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31 05月

なぜ復活されたイエスは弟子たちではなく 女性たちに現れたのか?     WWGM 坂 達也


なぜ復活されたイエスは弟子たちではなく

            女性たちに現れたのか?

 

                WWGM     坂 達也

 

 

Faith Life 社のスタッフジェス·ホランド

        とマシュー·ボフィ氏の書いた記事のご紹介

 

 

 土曜日、彼女たちは休息していました。しかし、日曜日の早朝、女性たちは行動を開始しました。愛に突き動かされた彼女たちは、イエスの身体を称えるために香辛料や香料を集めました。彼女たちは、日曜日の朝が人類の歴史の中で新しい一日を迎えたことを知らなかったのです。神は、すべての時間の中で最も偉大なニュースを伝えるために、小さな女性のグループを選びした。なぜですか?

イエスは違っていました。

まず最初に、福音書の中での女性の役割と、イエスが女性とどのように関わっていたかを大まかに見てみましょう。

すぐにわかるのは、イエスが女性を大切にし、尊敬していたということです。例えば。

イエスは母マリアを愛し、十字架の上で死にかけているときでさえ彼女の世話をしました(ヨハネ19:26-27)。

井戸端で出会った女が自分に価値を見いだせなかったときも、イエスは親切に対応されました。(ヨハネ4:1-42)。

弟子たちを叱りつけ、高価な香料をイエスの頭にかけた女性を弁護し、その信仰と謙虚さを尊重しました。(マルコ14:1-11、ルカ7:36-50)。

また、福音書からは、イエスの従者の多くが女性であったことがわかっています。彼女たちは、弟子たちと一緒に旅をし、彼らの働きを経済的に支え、できる限りイエスに仕えました。

その後すぐに、イエスは神の国の良い知らせを宣べ伝えながら、町や村を回って行かれた。12人はイエスと一緒にいたが、悪霊や病を癒された女性たちもいた。マグダラと呼ばれるマリヤは、7つの悪霊がいなくなっていたし、ヘロデの家政婦チュザの妻ヨアンナ、スザンナ、その他多くの人たちは、自分の財産を使って彼らに仕えていたのです。(ルカ8:1-3)。

また、福音書の記述によると、イエスに従っていた同じ女性たちが、イエスの十字架刑に立ち会っていたことがわかります。David Rhoads氏はこう書いています。

語り手であるマルコは、『マグダラのマリヤ、若いヤコブとヨセの母マリヤ、サロメ、その他多くの女性たち』がイエスに仕え、ガリラヤでイエスに従い、イエスと一緒にエルサレムまで行ったと伝えています。

実際、これらの女性たちは、弟子としての役割を続けています。イエスの母マリアとヘロディアスを除けば、これらの女性たちは名前が挙げられている唯一の女性であり、12人と同様に、短いながらも物語の中で継続的な役割を担っています。

彼女たちは、磔刑の現場に居合わせたり、墓場に行ったりして危険を冒し、香辛料を買ってイエスに油を塗ることで奉仕の意思を示します。特に女性の脇役たちは、12人の失敗や不在の中で、弟子としてのあり方を模範としています1。

しかし、なぜイエスは12人の弟子ではなく、彼女たちに現れたのでしょうか?

 

 

意外な情報源

 

なぜイエスが男性ではなく女性に最初に現れたのか、聖書にはその理由が書かれていないので、確かなことはわかりません。しかし、その理由を推測することはできます。

まず、4つの福音書すべてが、空っぽの墓を最初に見たのは女性であり、天使に出会ったと断言していることに注目してください(マタイ28:5-8、マルコ16:1-8、ルカ24:1-8、ヨハネ20:1ff)。マタイとヨハネは、これらの出会いの後、イエスが女性たちの前に現れたことを認めています。

このように細部が一致していることは重要です。すべての記述が一致しているのです。

しかし、もっと重要で、実際には不可解なのは、イエスがなぜこのようなありえない情報源をニュースを広めるために女性を選んだのかということです。

 

古代の世界では、女性の証言がほとんど重視されなかったことはよく知られています。

法廷から女性が排除されるのは当たり前で、法廷は男性が男性のために作るものでした。バビロニア、エジプト、カナンの女性は法廷に出ませんでしたし、ギリシャの女性は後世になっても出ませんでした。ローマの女性は法廷で証言することはできても、遺言書の証人になることはできませんでした2。

ジョエル·グリーンはルカの注釈書の中で、女性の証言に対して弟子たちが不信感を抱いた理由として、この点を肯定している。否定的な反応は、女性を証人として認めることに偏見のある世界で、報道をしているのが女性であるという事実によって説明されます3。

では、なぜ福音書記者たちはこのような詳細を記載したのでしょうか?福音書の読者も同じような反応をするのではないでしょうか?そして、なぜイエスが最初に男性の前に現れ、彼の復活の証言がより広く受け入れられるようにしなかったのでしょうか?

それはおそらく、福音書が捏造されたという非難を封じ込めるためであったからでしょう。

 

 

信じられないほどの信憑性

 

もし使徒たちが復活を捏造したのであれば、女性が最初に目撃したとは書かなかったはずです。4。

マイケル·リコナが詳しく説明する。女性の出現や空の墓が歴史的なものであることを主張する主な論拠は、初期のキリスト教徒がこの物語を創作しなかったということである。Bauckham氏は、グレコローマン世界では、教養ある男性が女性を “宗教的な問題に騙されやすく、特に迷信的な空想に陥りやすく、宗教的な行為に過剰になる “と見なしていたという証拠を示しています。ユダヤ文化における女性観の低さを示す多くのユダヤ人の資料も同様に引用できるが、タルムードからのものは後世のものであることは認めざるを得ない。また、ルカの福音書24章11節にも注目したい。

古代における女性観の低さを考慮して、女性たち、特にマグダラのマリアの姿を、恥ずかしさという基準で歴史的なものと見る人が多いのです。福音書記者、特にマルコは、最初の伝承で記憶されていたことと違うのであれば、女性を復活したイエスの最初の目撃者とするために、既存の証言を捏造したり、調整したりすることはあり得ないと思われます。多くの人にとって信じがたいイエスの復活の報告を捏造し、女性を最初の目撃者として加えることで、その困難をさらに増大させる理由があるでしょうか?もしマタイが女性の弟子たちへの出現の話を作ったのであれば、復活したイエスを最初に見たのは男性であると描いた可能性の方がはるかに高いと思われますし、特にマルコが自分の福音書にそのような出現を書かなかったのであればなおさらです。サンヘドリンのメンバーであるアリマタヤのヨセフを挙げて、女性の問題を完全に避けたのではないか?このように、バウカム氏が評価しているように、1世紀に報告書が信用されなかった理由は、21世紀になっても信用される理由になっている。これらの物語は、当時、説得力を持たせるためにうまく作られていないように見えるので、歴史的に、つまり、今日、歴史的に批判的な考え方を持っている人々が信じることができる可能性が高いのです。 したがって、復活の物語に女性の目撃者が含まれていることの最も妥当な説明は、その伝統の記憶があまりにも強く、広く浸透していたために、それを含めなければならなかったということです。5。

 

 

 以上の記事をご紹介した理由は、復活された主イエスは、12弟子(皆男性)の前にではなく、数人の女性の前に現れました。何故でしょうか?ーこの事実を皆様どのように解釈されますか。歴史的に見ても、クリスチャンですら多くの人が訝る事実です。

 

 

 私、坂 達也は、目下3冊目の本を書き終えつつあり、出版の準備に入ろうとしている最中です。

 この本では「なぜ神は、この終末の時代に至って、パンデミックのコロナウイルスを世界中に蔓延させているか」ーーというテーマを取り扱っています。

 

 実は、その本の4章「神は人間を男と女に創造した」で、私は聖書の創世記2:21−24に書かれている下記の掲題:

 「神はなぜ、最初の人間·男のアダムの肋骨の一つを取り出して、それから女· エバを造ったのか

 を取り扱わせていただきました。

 そして、特にこの重要な問題について、世界的に有名な女性の宣教団体「アグロー」を率いておられるジェーン·ハンセン·ホイト師が書かれた「神が男女を創造されたときの計画とは·マスタープラン」という本をご紹介しています。

 

 従って、この章を通して「なぜ復活されたイエスは先ず男の12弟子ではなく、数人の女性の前に現れたか」の答えを書かせていただきましたので、ご期待下さると共に、私の新しい本の出版に関してもお祈りいただけますようお願い申し上げます。(終り)


20 05月

聖書の終末観を知る重要さ(下) マイク·ビクル


聖書の終末観を知る重要さ(下)

 

マイク·ビクル

 

 

神学的にも終末の世代について知ることは重要です。聖書はアダムとイブの時代以来のすべての世代の中でこの世代について最も多く語っています。どうしてでしょうか。主は「それがどれほど重要か、あなたは知っていますか?」と言われるのです。その時代がいかに栄光に満ちているか、そして同時にいかに惑わしに満ちているか、いかにパワフルであると同時にいかに危険に満ちているか、、。このような時代に生きた世代は未だかつでありません。この時代にどのように生きればよいかを示唆できる世代はないのです。

 

驚くべきことに、聖書の150以上の章の主たるテーマは主が帰ってこられる終末に関する記述です。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書を合わせると89章になります。90章近くがイエスが初めに来られたときの記述です。しかし再臨に関しては150章あるのです。主が再臨されたとき、どのようにリーダーシップを取られるかについてです。終末に関しては興味がないと言われる方に申し上げたいと思います。あなたは福音書のイエスと同じイエスがこの世をどのように治められるのか、興味がないのですか?イエスの地上でのご計画について興味がないのですか?同じ聖書の中の、同じ聖霊が書かれたイエスに関する記述です。どうしてそれを無視するのでしょうか。

 

私は61歳ですが、私の世代を見てみますと多くの人が終末に関して学ぶことを避けています。そしてその結果、若い世代にそれを教えることができていません。それは非常に問題であると私は思います。なぜならば、今私たちは現にその終末の世代の始まりにいると思うからです。一世代がどれほどの長さであるかはわかりませんが、この150章に関して教え始めるのは、決して早すぎることはないのです。今教会ではこれに関して教えるのはポピュラーではありませんが、私はそんなことは気にしません。今20代の人が終末に関して知らないならば、恐れやつまづき、混乱、妥協、背教の危険にさらされるのです。

神の恵みにより、若者に聖書の筋書きを教えようではありませんか。しっかりと計画をもってシステマティックに教えて行こうではありませんか。一回のセミナーとか夏期講習で網羅できることではありません。

 

また、終末に関する聖書を知る重要性は預言的な理由もあります。今がどのような時代であるかに関してイエスは幾つかの出来事を示しておられます。主は「あなたがこれを見たとき、終末の世代にいることを知りなさい。」と言われました。クリスチャンは自分がその世代にいることがわかるということです。使徒たちもいくつかの終末の出来事を挙げています。旧約の預言者たちもいつくか挙げています。100以上の事柄がありますがそのうち2つだけを述べたいと思います。

 

マタイ24:14「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされて、それから、終りの日が来ます。」ここで「すべて国民

all the nations」と言われているのはギリシャ語ではエスノスで、エセニックグループ、すべての民族ということです。世界には3千以上の民族がありますが、ミッション活動のリーダーたちは、福音は3千すべての民族に歴史上初めて2020年までに伝えられるであろうと言っています。いままで2千年のあいだ、そのように言われたことはありません。イエスはそれが起こったあと、終りの日が来ると言われたのです。これは非常に重大な終末のしるしであるにもかかわらず、キリストのからだの大部分は「それはいいね。」くらいにしか捉えていないのです。

 

次に、使徒2:17に「終りの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ。」とあります。教会時代の最初の200年は聖霊を受けることは当然のことでしたが、その後1800年間は聖霊は片隅に追いやられていました。1920年頃には百万人くらいの人が聖霊を受けていましたが、その50年後には6千万人となり、使徒行伝の時代以来はじめて聖霊を受けることが標準的なこととなったのです。それと「福音がすべての国民に伝えられる」こととが重なっているのは、決して偶然ではありません。イエスが言われた終末のしるしの殆どすべてのものは、世界的にどんどんと加速し増大しています。すべての事柄が揃ってきているのです。キリストのからだの一部はそのことに注目していますが、全く無視している人達も大勢います。

 

次に社会的な終末のしるしを二つ挙げたいと思います。まずイスラエルの民が祖国にもどったということです。1948年のことです。イスラエルは殆ど2千年のあいだ国がなかったのですが、聖書はイエスの再臨の前には彼らが祖国に帰っていることが条件だと言っています。1948年まで聖書教師たちはそれに関して「何のことがわからない。」と言って、そのようなことが起こることはあり得ないと考えていました。ところが突然一日にしてイスラエルは国家となったのです。これは世界に衝撃を与えましたが、一番驚いたのは聖書教師たちでした。「聖書の言葉は文字通りだったのだ!」と衝撃を受けました。私たちは歴史上かつてなかった時代に生きているのです。聖書の預言はイスラエルが再び建国されるまでは成就されなかったのです。でも今はそれが起こる可能性のある時代です。これは全く新しいシーズンが始まった合図でした。

 

マタイ24:33に非常に重要なイエスの命令があります。これはただの招きではなく命令です。「そのように、これらのことのすべてを見たら、あなたがたは、人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」「これらのこと」とはイエスが終末のしるしとして語られた事柄であり、実際に今世界規模でそれらが起り始めています。それらを見たときには再臨が近いことを「知りなさい」というのは、ぼんやりとではなく、確信をもって知りなさい!という命令です。そして34節で「まことに、あなたがたに告げます。これらのことが全部起こってしまうまでは、この時代(generation世代)は過ぎ去りません。」とあります。一世代は百年続くかもしれませんが、もっと短いかもしれません。そして36節に「ただし、その日、その時がいつであるかは、だれも知りません。」とあるので、聖書教師たちは「その時は全く予測できない」と解釈してきました。しかしイエスは、もしあなたが終末の世代に生きているのならば、それを知りなさい、と言われました。日と時はわからないけれど、その世代は分かるのです。イエスが終末に起こることとして示された事柄は、すべてではないにしても殆どすべてが現在起こり始めています。今、聖書の筋書きに注目する時ではないでしょうか。父の世代が子の世代に教え、子が次の世代に教えていく時ではないでしょうか。多くの者は今聖書の筋書きを教えられていません。その結果は混乱と恐れと惑わしに陥り、つまずいてしまいます。そして大いなる背教が起こるのです。そのようなことが皆さんや皆さんが導いている人たちに起こらないようにしようではありませんか。

 

ダニエル11:33に「民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。」とあります。これは終末の聖書的筋書きを理解している人たちは多くの人を教えることができるという意味です。多くの人とは、何百万、何千万の人だと思います。人々の中に聖書ではどう言っているかを明確に知りたいという飢え渇きが爆発的に起こるのです。その時聖書教師が必要となります。歌い手、ミュージシャン、本を書く人、映画を作る人、ソーシャルメディア、説教者が必要になります。勇敢に聖書が言っていることを様々な手段で伝える人達です。この1、2年、様々な声が巷で騒がしくなってきました。これからの10年、15年はますます混乱してくることでしょう。世界規模で本当の理解を求める飢え渇きが起こります。神は「思慮深い人たち、理解する人たち」を起こされています。私はそのような人たちを「先ぶれのメッセンジャー」と呼びます。神はアジアにおいてそのような人達を起こされています。アフリカで、ラテンアメリカでも、いろいろなミニストリーを起こされています。私たちのミニストリーも他のグループと交わりながら、神が聖書を通してそれぞれに示しておられることから学びあっています。すべてを理解しているグループはありません。お互いが必要なのです。

 

ここに来ておられる皆さんも「理解している人」になることができるのです。何故ならば聖書は誰でもそれを求める人にはその理解を与えてくれるからです。学ぶには少し時間はかかります。ミニストリーでは様々な働きがありますが、それと同時に終末に関する勉強もして行かねばなりません。私は何万人もの先駆けをする人たちを起こしてくださいと、神にお願いしています。世の中で何が起ころうと、それが神のご計画の中でどのように用いられるかを理解し、恐れず確信をもって信仰生活ができるように人々に教えて行かねばなりません。20代の人も80代の人も神は用いられます。ソーシャルメディアで80代のおばあさんでも発信して世界中の何百万人に教えることが出来るのです。

 

最後に私の体験をお話したいと思います。20年ほど前のことで、IHOPを始める以前のことです。私はカンサスで牧会をしていました。私は教会の祈祷室でイザヤ63章を読んでいました。2、30人がそこにはいました。この箇所はキリストの再臨についてですが、少し変っています。あまり知られていませんが、非常に重要な箇所です。私はこのような霊的経験は40年間で3、4回しかしていないのですが、それは私の人生を変えるほどのものでした。イザヤ63章を読んでいると、聖霊の炎と熱が勢いをもって私を包みました。私は「一体何が起こっているのだ、、、」と思いました。又、聖霊の風が私の周りに吹いているのを感じました。それが一時間ほど続いたのです。何かが起こっていることは分かりましたが、それが何であるかは全く分かりませんでした。

 

イザヤ63:1でイザヤは次のように質問しています。「エドムから来る者、ボツラから深紅の衣を着て来るこの者は、だれか。その着物には威光があり、大いなる力をもって進んで来るこの者は。」

イザヤは2700年前にメシアがエドムからエルサレムに行進してくる幻を見たのですが、それが誰であるかは分かりませんでした。エドムは今のヨルダンです。イエスはヨルダンを通ってエルサレムに来られたのです。その衣は紅く染まっている。どうしてでしょうか。エルサレムは異邦人の国々に取り囲まれて攻撃されようとしていました。イエスは再臨のときのエルサレムを救うために来られます。ダビデより、ヨシュアより、モーセより、エリヤより偉大な方がエルサレムの救いをもたらすために来られるのです。その方は「正義を語り、救うに力強い者、それがわたしだ。」と答えます。

イザヤは「なぜ、あなたの着物は赤く、あなたの衣は酒ぶねを踏む者のようなのか。」と尋ねます。3節でメシアが答えます。「わたしはけものを礼拝するものたちと戦い、わたしの衣は彼らの血で赤く染まった。わたしは人間の酒ぶねを踏んだのだ。わたしは彼らをとり除いた。」そして「わたしはひとりで酒ぶねを踏んだ。わたしと共にことをする国はなかった。」と言われました。

すべての異邦人の国々がエルサレムに敵対したのです。イエスは「他のどの国も、どの軍隊もわたしと共に戦ってくれなかった。誰ひとりわたしと共に立つものはいなかった。わたしが裁きをもたらしたとき、すべての者はわたしに敵対した。わたしは一人で彼らをすべて踏みつぶし、それでわたしの衣は血に染まっているのだ。復讐の日だったのだから。イザヤよ。」と言われたのです。

 

私はこの箇所を読んでいたのですが、一時間ほども聖霊の炎と熱に包まれ、聖霊の風が周りに吹いてました。主の言葉が私に来ました。「わたしが裁きのために来るとき、(それは愛を阻むすべてのものを取り除くためです)あなたはわたしと共に立ってくれるのか?」と。それは主から私への個人的な言葉でした。「多くの者はわたしがあわれみと共に正しい裁きをするとき、わたしにつまづくのです。誰もどの国もわたしと共に立ってはくれない。あなたは立ってくれますか。」と語られました。私は泣いていました。イエスとの激しい出会いでした。「主よ、私はあなたと共に立ちます。」と私は申し上げました。「世間からどのように悪く言われようとも、多くのクリスチャンから嫌われても、あなたのご計画に従います。」と。

 

その時祈祷室にいた一人の人が私のところに来て肩を叩き「私はヴィジョンを見ました。」と言いました。私は「今はお願いだから邪魔しないでくれ」と心の中で思いましたが、彼は次にように言ったのです。「主は今あなたにイザヤ63章について話しておられます。私は天使があなたに炎を注いでいるのが見えました。天使の羽根が風を起こしているのも見えました。」私は驚いて何も言えずに彼を見つめていました。非常に強烈な経験でした。彼は「主はあなたに一つの質問をされました。あなたはイザヤ63章の深紅の衣を着たイエスを人々に説きますか。

人々に受け入れやすい説教だけをするのではなく、血染めの衣を着たイエスを語りますか?と主は問うておられます。」彼はそう言ってから去っていきましたが、私はそのまま泣いていました。

 

その日、私は主と契約を結びました。「主よ、私はあなたの裁きがどのようなものであるか、理解はできません。終末に関する150章を理解はできていません。2、3の事は知っていますが詳細は知りません。でもあなたの問いに対して私は『はい。』とお答えいたします。」

 

どうか皆さんも血染めの衣を着た主の問いに「はい。」と答えていただきたいと思います。(終り)


15 05月

聖書の終末観を知る重要さ(上) マイク·ビクル


聖書の終末観を知る重要さ(上)

 

マイク·ビクル

 

 今日は聖書の「終末観」を理解することが非常に重要である理由をお話したいと思います。ある人達は「私はそのようなことに関心はありません。」と言います。しかし聖書にはその重要性が書かれていますし、今は聖霊がその重要性を語っておられる時です。人々の預言とかではありません。聖書そのものに書かれていることを把握することです。今人類の歴史に大きな嵐が襲おうとしています。聖書はそのことを明らかに語っています。大きな嵐がすでに襲い始めていて、世界の問題が急速に増大しています。最早1990年代の世の中に戻ることはありません。もっと暗やみが深くなっているのです。暴力、悪魔の力、性的倒錯が増していきます。しかし、それだけではありません。神の栄光も増し加わるのです。神は、教会を建て上げて、神の栄光を現す場所とします。今の深い闇の中にご自分の栄光を現わされるのです。

私は皆さんによい知らせがあります。歴史は栄光へと向かって進んでいます。暗やみの中にすばらしい栄光が現れるためです。私たちは麗しいリーダーであられるイエスに従っている者です。主は非常にすばらしご計画を持っておられます。

 

終末のことを語るとき、私は「ユニークなダイナミックス」という言葉を使います。人間の歴史の中である一つの世代が、他のどの世代とも違ってユニークだからです。その世代には最も強烈なネガティブなものと、最も強烈なポジティブなものが同時に起こります。そのような時代を経験した者は今まで一人もありませんでした。人類にとって始めての経験です。最大の悪魔の暗躍がすでに始まっていて、しかもそれが急速に増大しています。しかし聖霊の最大の傾注もすでに始まっています。使徒行伝を越えるようなリバイバルが世界中で始まります。それは「24/7の祈りのムーブメント」によって支えられています。祈りと賛美が地上から立ち上り、打ち破りとリバイバルが起ります。

 

主が帰ってこられるのを経験する世代に特有のことがもう一つあります。その世代に生きている人の数は今までのどの世代よりも多いということです。聖書ではその世代に関して、他のどの世代に関するよりも多く語っています。

どうしてでしょうか? それはその世代がユニークであり、重要であり、栄光に満ちたものであるからです。それは危険であり、恐ろしく、ものすごいのです。

 

私は今まで40年以上牧師をしてきましたが、教会は今、終末に関する知識が非常に希薄になってきています。今世界が何に向かっているかを理解していないのです。私の知っているクリスチャンは皆イエスを愛していますが、殆ど終末に関心がありません。私は「聖書に書いてあることをよく見てください。」と彼らに言います。「もう一度よく見て、考え直してください。」と。なぜならば、終末に関する聖書の言葉を知らないままに、その時代に突入するならば、非常な混乱と恐怖がキリストのからだを襲うことが絶対に避けられないからです。

 

イザヤ60:2を見てください。「見よ。やみ (darkness) が地をおおい、暗闇が諸国の民を覆っている」とあります。悪魔的なもの、性的倒錯などすべての闇です。しかしそれが話の結末ではありません。それと同時に主は御力をもって主の民の上に来られるのです。暗やみが最も深い時に、主の栄光が人々の目の前に現れるのです。

 

「これから世の中はよくなりますか?それとも悪くなりますか?」と私は多くの人に訊かれますが、その答えは「どちらも」です。悪魔が暗躍する暗やみもますます深くなり、御国の人々と御国を受け入れる人々の上に輝く栄光も大きくなるのです。それが同時に起ります。ハガイ2:6を見てください。「まことに、万軍の主はこう仰せられる。しばらくして、もう一度、わたしは天と地と、海と陸とを揺り動かす。」神が空中を揺り動し、地を動かすとき、海と陸が揺り動くのです。さら7節には「わたしは、すべての国々を揺り動かす。」とあります。国家の政治が揺り動かされ、国々の社会構造が揺り動かされるのです。どうしてでしょうか?7節の続きに「and the Desire of All Nations shall come (そして彼らはすべての国々の望みである方が来る)」とあります。すべてのものが揺り動かされるのは、人々が今まで拠り頼んでいたものを揺り動かすことによって、彼らが救いを他に求め、すべての国々の希望(Desire of All Nations)であるイエスの麗しさと栄光を見て、彼こそ自分の希望であることを悟るためです。

 

イエスは人々が切に願うものとなります。イエスの麗しさを人々が見出す時となるのです。私は一億の人が主のもとに来ると信じます。ものすごい数の人たちが全世界で救われてきます。ニューヨークとかロンドン, ベイジンのような大都会では何百万人といる人が救われるでしょう。今まで想像もしたことのないような魂の収穫が起こります。主は人間が拠り頼んでいたものを揺り動かして、人々が真の拠り所を捜し始め、イエスの麗しさを発見するようにされるのです。そして次に「わたしはこの宮を栄光で満たす」と主は言われます。主が戻られる前に、使徒行伝を越えるようなことが起こると私は信じます。それは私たちの肉にとっては困難な時となりますが、霊的には栄光ある時となるのです。イエスを愛する者が生きるのに最高の時代となるのです。しかしイエスを否むものにとっては、最も危険で困難な時となるでしょう。

 

あるミニストリーは「艱難」にだけ焦点を当てて、栄光の希望について話しません。また、あるミニストリーは偉大な終末のリバイバルについて話しますが、艱難に関しては話そうとしません。ポジティブな事だけ話したいからです。私もポジティブでありたいですが、それ以上に正確でありたいのです。聖書は「艱難の中で栄光に輝く教会」を語っているからです。両方を語っていない終末論を受け入れないでください。それは聖書の言っていることではないからです。

 

この艱難が持つ危険性は、それが人々を混乱に陥れるからです。多くのクリスチャンは困難が増し加わる時に混乱してしまいます。それに関する教えを受けたことがなく、聖書もよく読んだことがないので、困難に襲われたときに混乱するのです。ですから聖書が語っている筋書きをしっかりと知る必要があります。何が起こっているのか、これからどうなって行くのか、という筋書きです。それが分かっているならば、私たちは確信を持つ事ができます。そういう人はどのような時にも愛に溢れ、動じることはありません。彼らは麗しい栄光に満ちた王のリーダーシップの下に自分がいることを知っています。栄光あるすばらしい計画が進められていることを知っています。大いなる暗やみをも征服する力ある王を信頼して進むことができます。

 

しかし、多くの世の人々は間違った選択をしてしまいますし、クリスチャンであっても多くの人が間違うのです。聖書の筋書きを知らないならば、私たちは必ずこの世の解釈を受け入れてしまうからです。聖書の筋書きを知らないと、いろいろな声が聞こえてくる大混乱の中では、必然的にこの世の筋書きを受け入れてしまうのです。

 

聖書の終末の観点を知る必要性は、牧会上大いにあります。聖書の筋書きを知っている人たちは、神を信頼して確信をもってすべてを受け止めることができます。しかしクリスチャンであってもこの世の筋書きしか知らない人たちは、非常に恐れを持ってしまうのです。恐れが人生を支配してしまうならば、私たちは往々にして間違った判断、決断をしてしまいます。イエスは終末の世代に関して、人々は恐れると言われます。聖書の筋書きを知らないので、何が起こっているのかわからないので恐れるのです。また、あるクリスチャンは、イエスにつまずき腹を立てます。「こんな困難が起こるとは教えられていない。聖書は本当に神の言葉なのか。イエスは信頼するに足るのだろうか。」と。サタンはクリスチャンがイエスに信頼するのではなくつまずくことを願っています。

 

またあるクリスチャン達は、騙され惑わされます。聖書ははっきり言っていますね。終末には偽りの正義が起り、偽りの統一宗教の動きが起り、偽りの愛、偽りの恵みが説かれると聖書は明確に述べています。

ある牧師が「正義、一致、愛、恵み」という言葉を用いて説教をすると、人々は「すばらしい!」と言います。しかし聖書の言葉を用いてはいても、それが正しく聖書が説いている意味で用いられているかどうかを吟味せねばなりません。惑わしは一般社会でも非常に深くなりますが、それは教会の中にも入りこんできます。イエスの終末の教えを調べるとわかりますが、主は艱難に関することよりも惑わしについてもっと多く語っておられます。終末と聞くと、多くの人は艱難とか迫害とかを思い浮かべますが、イエスが教会に警告したのは「惑わされないように」ということでした。

 

第二テサロニケ2:3でパウロは「だれにも、どのようにも、だまされないようにしなさい。なぜなら、まず背教が起り、不法の人、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないからです。」と言っています。これは非常に重要な預言です。イエスの再臨の前には、クリスチャンの背教がまず起こるのです。これは聖書の預言の中でも非常に厳しいものの一つだと私は思います。クリスチャンの背教が起こることはイエスもパウロもペテロも旧約の預言者たちも言っています。背教はただクリスチャンが罪を犯すというのではなく、彼らが恐怖に陥ったり、イエスにつまずいたり、この世の偽りに惑わされたり、敵が背後にいるムーブメントに引き寄せられたりするからです。多くの者が主から離れて行きます。

 

イエスの再臨は二つのことが起こるまでは起こりません。それは背教と滅びの子の現れです。

再臨が近いことがどうしてわかるでしょうか。それは数日後かもしれませんし、数十年後かもしれませんが、近いことがわかるのです。その一つの現れはキリスト教の伝統の中で育った人たち、主のために燃えていた人たちさえ、信仰を捨てている事実です。もう一つは滅びの子の現れですが、これは反キリストが世界的に現れるということです。これは非常に重大な出来事ですが、それと同じほどに背教がすごい規模で起こるということです。教会から少しずつ人がいなくなる、というような小さなことではなく、世界的に劇的な背教が起こるのです。それは反キリストの現れと同じほどに劇的で大規模なことです。

私は40年以上牧師をしていますが、信仰を捨てる人たちがこの4、5年ほど多いことはありませんでした。これは他の牧師たちもそう言っています。数年前には祈祷会でリバイバルのために熱心に祈っていた人が、信仰を捨てていくのです。今は背教の時代の始まりだと私は信じます。(続く)


22 04月

第二次「アメリカ独立/南北戦争 と     アメリカ合衆国憲法」について(その3)      リック ジョイナー


第二次「アメリカ独立/南北戦争

    アメリカ合衆国憲法」について(その3)

 

                        リック ジョイナー

 

 

マルクス主義者のアメリカ支配戦略

                                   (リック·ジョイナー 4月1日21年マルクス主義者の戦略パート7より)

 

    世界中のマルクス主義者にとっての最大の敵はアメリカです。なぜなら、創造者の神の前では「すべての人間は平等に造られている」ー アメリカは、この人間の自由と正義を確立し、それを維持するための人間の「共和国政府」を樹立する目的で建国された国であるだけでなく、その制度が世界各国の手本となることを最終目標として求められているからです。

 端的に言って、宗教、特にキリスト教信仰のリーダー國であり、民主主義、自由主義を尊重するアメリカを自分たちの支配下に置くことがマルクス主義者にとっての至上命令であり、そのために45の目標を立てて組織的にその目標達成に最大のエネルギーを使っているいると言われます。

 今回はその目標の28番目に当たる:アメリカの公立学校での祈りやあらゆる宗教的表現を、「政教分離」の原則に反するという理由で排除する、という彼らの目標に焦点を当ててみます。

 

 それは1962年に、エンゲル対ビタール事件という宗教問題に関する訴訟に際して起こったことですが、米国最高裁判所は、400年近くにわたるアメリカのクリスチャンの伝統と、それに200年近くにわたる最高裁判所の判例基準を根底から覆すような判決を下したのです。この判決によってそれ以来「公立学校での祈り」が禁止されてしまいました。

 

  ついては、最初に上記に挙げられた「政教分離の原則に反する」という理由についてですが、 「 政教分離」はアメリカ合衆国憲法のどこにも書かれていません。実際に憲法を読んだことのある人なら、このことを知っているはずです。

 

 マルクス主義者は、歴史上のどのグループよりも、プロパガンダを使って人を騙し、嘘を宣伝することに長けています。しかし、多くのアメリカの指導者たちは、何が政治的プロパガンダで、何が真実なのかという基本的な見極めもできないまま、メディアで広く語られたり、報道されたりすれば、ほとんどのことを真実として受け入れてきたのです。このような無能さ、場合によっては敵との共謀によって、アメリカ合衆国は過去に大変な代償を払ってきました。

 

    それでは、教会と国家の関係について、憲法はどのように述べているのでしょうか。憲法修正第1条だけがこの問題に触れていて、単純明快に次のように記されています。「連邦議会は、ある(新しく)宗教の設立を尊重したり、その自由な行使を禁止したりする法律を作ってはならない。」

 

    憲法制定に関わった建国者たちは、スピーチや個人的な文章の中で、これは宗教から政府を遠ざけるためのものであって、政府から宗教を遠ざけるためのものではないことを明確にしています。

 建国者の一人トーマス·ジェファーソンが最初に 「政教分離」という言葉を使いましたが、それは、ダンベリー·バプティスト(宗派の一つ)に対してで、これは国家が宗教に干渉させないためのものであり、その逆ではないということを確認するための手紙でした。

    また、憲法修正第1条では、合衆国議会だけが、宗教を確立(干渉する)ことを明確に禁じていて、州や国民が自由に考えて行動してよいと明示され、そのように理解されていました。

  問題は、あらゆる宗教にとって、その最も基本的な行為は「祈り」にあり、これを禁止することは、その宗教とその神との親しいコミュニケーションを禁止することになり、宗教的にいえば、これ以上に罪深いことがあるでしょうか?

 

         アメリカ共和国憲法の修正第1条では、私たちの他のすべての自由の基礎となる自由を保護しています。これは、自由を保証するために書かれた最も強力な45の言葉であり、アメリカを支配するためのマルクス主義の45の目標に対抗する最も強力な言葉でもあるのです。

  連邦議会は、宗教の確立を尊重したり、その自由な行使を禁止したり、言論や報道の自由を制限したり、人民が平和的に集合して政府に不満の解消を請願する権利を制限する法律を作ってはならない。

 

 この1962年の「エンゲル対ビタール」判決は、最高裁が下した中でも最も衝撃的な判決の一つと言われ、それ以来、私たちの国を覆っている腐敗への扉を大きく開いただけでなく、政府が教会の問題に介入するための扉も大きく開かれたのです。

 多くの研究では、この年からアメリカの道徳が崩壊したとされていますが、これは同時に、アメリカの宗教的自由に対する容赦ない攻撃の始まりであるとも言われます。

      そして、この違憲の最高裁判決は、他の多くの憲法違反の判決にも大きな扉を開きました。また、権利章典 the Bill of Rights で保障されている私たちの権利のほとんどすべてに対して裁判所が攻撃を加えることになり、ジェファーソンをはじめとする建国者たちが共和国にとって最大の脅威と考えていた「司法の専制政治」が始まったのです。

 

    イエスは、「木はその実でわかる」と言われました。アメリカの学生たちは現在、合衆国憲法修正第1条の「言論の自由」によって保護されていると想定し、学校内で自由に最も下劣な呪いのことばを使うことができると共に、何よりも衝撃的なことは、イエスの名前を使っただけで退学処分となる、それを政府が認めているのです。

 これは、歴史上最も神を愛し、神を求める国の政府が、今や反キリストとなってしまったという悲しい事実であるのです。

 

    アメリカはこの問題にあまりにも簡単に引っかかり、アメリカ文化に壊滅的な影響を与えたため、多くの人が現在のアメリカにおける道徳、誠実さ、人格の崩壊をもたらした唯一最大の破壊的な要因であると考えています。この見解を裏付ける圧倒的な証拠があります。真に憲法を知り、憲法を守るという誓いを誠実かつ勇気を持って実行する指導者がいたならば、アメリカでこのような事態は起こらなかったはずです。

 

         マルクス主義者は、もし彼らが宗教の自由、言論·報道の自由、あるいはアメリカ人の平和的集会の権利を破壊すれば、他のすべての自由の破壊が容易かつ迅速に行われることをよく知っています。彼らがすでに奪ってしまった自由を取り戻すためには、まず憲法修正第1条の権利を取り戻すことから始めなければなりません。

 

 次に、マルクス主義者の目標:その29では、アメリカの憲法を「不十分で、古めかしく、現代のニーズにそぐわない」と信じさせ、「世界規模での国家間の協力を妨げるものだ」と言って、その信用を失墜させようとしています。

    これによるマルクス主義者のねらいは、アメリカの「国の最高法規」としての合衆国憲法を無効にすることにあります。なぜなら、それができれば、共和国が立つ基盤を破壊することになり、アメリカ共和国は崩壊すると信じるからです。

 

         アメリカ人がこのような論法の影響を受けて、自国の憲法を軽視し始めているのは、自国の憲法に書かれている内容を全く知らないか、あるいは、アメリカが世界で最も強力で、裕福かつ自由な国となったのは、憲法がいかに役立ったかを明らかにしたアメリカの歴史を知らないという証拠です。

 歴史上、聖書に次いで、アメリカの憲法がこれほどまでに世界に良い影響を与えた書物は他にないと思います。

 それを「不十分」とか「現代のニーズにそぐわない」と言うのは、究極の無知、あるいは意図的な裏切り行為です。

    わが国の憲法は、書かれた時代の文化に合わせて作られたものではなく、時代を超えて明らかにされてきた人間の本質に関する知識に基づいて作られたものです。この憲法は、人間の悪を抑制し、善を自由にするために見事に設計され、これほど効果的な手段で政府を樹立した文書は他にありません。

         アメリカ人が「憲法は現代のニーズにそぐわない」と言うのは、憲法を知らないか、時代を知らないかのどちらかであることを示しています。憲法は、時を超えた真実に基づいているため、常に時宜を得たものであるのです。この憲法は、最初に批准された時と同じように、今日の問題に関連しており、今現在、人間の悪がその抑制をこれほど必要としていたことはないので、それ以上かもしれません。現在、米国を引き裂いている大きな危機の根源は、憲法を無視した結果であり、これらの危機を解決するための答えは、憲法を「国の最高法規」として正しい位置に戻すことです。

   最後に、憲法が世界的な協力の妨げになっていると考えるアメリカ人がいるとしたら、それは憲法と、今世界を究極の専制政治へと向かわせている力の両方について、いかに無知であるかということを改めて示しています。グローバリズムの根底にあるのはマルクス主義であり、地球上に放たれた最悪の専制政治の下に世界を統合しようとする人々に対する最も強力な防波堤がアメリカ憲法なのです。私たちの憲法は、これまでも、そしてこれからも、文明と自由を愛するあらゆる人々や国との協力関係の基礎となるものです。

 

    アメリカを破壊しようとするマルクス主義者のアジェンダを調べていくと、残念ながら、マルクス主義者は、憲法が私たちの自由、繁栄、強さにとっていかに重要であるかを、多くのアメリカ人よりもよく理解していることが分かります。

 

 

2020年の選挙の不正    (リック・ジョイナー師の4月21日 MSJ より)

 

 使徒パウロは、エペソ人への手紙1章18節で「私たちの心の目」が開かれるようにと祈りました。私たちの自然な目にも影響を与えるものがあり、物事をありのままに見るためには矯正レンズが必要なように、私たちの霊的な視力にも同じことが言えます。霊的な視野がぼやけてきたとき、正しい補正を受けると、すべてのものにピントが合うようになり明確になります。

 

 今回の選挙の後、私が話したクリスチャンのほとんどは霊的にぼやけた感じで、選挙が不正によって盗まれたと考えていない人はいませんでした。さらに悪いことに、最高裁判所を含む政府のほとんどすべての関係者が、この腐敗に加担しているように思えるのです。政府への信頼は1950年代から着実に低下して来ましたが、今回の選挙で米国民の連邦政府への信頼はほぼゼロになったようです。政府に対する信頼の低下は、政府の信頼性の欠如の増加に対応してきました。

 そうなるとすべてが悪い結果につながり易く、小さな火種でも大きな問題に連鎖する可能性があります。

 私たち国民がこのような事態を招いて共和国を破綻させてしまったのです。私たちの共和国では、国民が主権者であり、政府は私たちのために働くのであって、その逆ではありません。この状況を変えるには、国民が政府を取り戻さなければなりません。どうすればできるのでしょうか?

 

 まず、米国民が政府を取り戻す準備ができていることを示す証拠はあっても、「明確なトランペットコール」つまり明確な戦略や動員の場がない。

 しかし、今すぐに動員する必要はないのでそれでいいのです。まずはビジョンを修正する必要があります。

 私たちは、政府を修正する前に、政府がどうあるべきかという明確なビジョンを持つ必要があります。政府を再建し、私たちの信頼を得るためには、決まり文句やスローガン以上のものが必要になるでしょう。

 

 バイデン新政権は、トランプ氏に投票した人以外でも、多くの人が違法な政府とみなしています。多くのアメリカ人は、すでに選挙に対する信頼を失っていたため、長い間投票していませんでした。このところ、国が左に大きく揺さぶられているにもかかわらず、アメリカ人は自分たちは中道を堅持していると思っていて、80%以上の人がキリスト教徒であると言い、60%以上の人がボーンアゲイン・キリスト教徒であると主張しています。

 今、私たちアメリカ人は、地球上のほとんどの国がそうであるように自国の政府を信用していません。

 

 権力と権威·権限の間には違いがあります。権威がなくても力を持つことはできます。現在、多くの政府が不法に権力を握っています。事実、歴史上、世界のほとんどの政府にそれは当てはまりにますが、ローマ人への手紙13:1-2にはこう書かれています。

 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在する権威はすべて神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は、自分の身にさばきを招きます。」

 

 この文章で「権威」と訳されているギリシャ語は、「エクソシア」といい、文字通り「力」と訳されています。ですから、もしある人が権力を持っていたら、その人がどのようにして手に入れたかにかかわらず、私たちは、神が理由があってそれを許したと考えなければなりません。また、その力にできるだけ従うべきですが、一つだけ例外があります。それは、使徒たちが確立したように、権力者が聖書に書かれている神の明確な指示と相反することを指示する場合に「私たちは人よりも神に従わなければなりません」(使徒5:29参照)

 

 ローマ人への手紙13:1-4を考えるとき、多くの人が抱く疑問は、「ヒトラー、スターリン、毛沢東のような悪人が権力を持つことを神は許しておられたのか」答えは “イエス “です。神が許可していなければ、彼らは権力を握ることができませんでした。

 最初の人間が神ではなくサタンに従うことを選んだときに人間に与えられた権威をサタンが奪ったにもかかわらず、神はサタンがこの時代を支配することを許しておられます。イエスは、贖いによって地上の権威を取り戻したので、今はすべての権威を持っていますが、まだ地上の権力を奪ったわけではありません。

 なぜ主は、聖書に啓示されている多くの神の戒めに真っ向から対立するバイデン氏のような邪悪な政権を許されるのでしょうか。それはおそらく、歴史上で支配してきた他のすべての邪悪な権力を主が許されたのと同じ理由によるものでしょう。これらは裁きのために任命されたのです。もし私たちがこの理由を受け入れられないとしたら、それは私たちが神のありのままの姿、そして聖書に明確に啓示されている姿を知らないからです。

 

 「悪を善とし、善を悪とし、闇を光とし、光を闇とする」(イザヤ書5章20節参照)という究極の堕落に陥った国には、深刻な結果が待っています。

 アメリカは、記録された歴史の中で誰よりも神と神の道を愛していた国から、神が嫌うものを愛し、神を最も怒らせることを実践し、さらには実践している人々を称える国へと転落しました。もし神がこれらのことでイスラエルの国を滅ぼし、当時イスラエルが世界における神の唯一の証人であったときに神の民を流浪の民として散らされるなら、同じことをしている私たちに同じことが起こらないようにされると思いますか?

 

 私たちは、トランプ大統領が在任中に成し遂げることができたすべてのことに感謝すべきです。経済を再び動かすこと、軍隊の準備と効果を回復させること、聖書の正義と公正の原則に沿った信念を持つ裁判官を任命することなど、私が生きてきた中でどの大統領よりも多くのことを行いました。リーダーシップは重要であり、政府の最高機関に誰が座るかは重要です。

 邪悪な王がイスラエルを治めていたとき、国は邪悪になりました。正しい王が治めれば、リバイバルが起こり、神に立ち返るようになりました。

 

 バイデン政権は、就任初日から、神が “悪 “と呼ぶものの多くを大統領令で立法化し始めました。下院に提出された法案HR-1は、歴史上最も露骨な憲法修正第1条への攻撃であり、もし可決されれば、アメリカにおける宗教の自由、言論の自由、報道の自由の終焉と共に、その他の自由も攻撃されることになります。

 

 アメリカ国民はこのような事態を許すのでしょうか?選挙が簡単に盗まれるのを許してしまったら、他の権利が盗まれることに対して国民が立ち上がるとは思えないでしょう。確かに、私たちが方向性を変えなければ、今向かっている恐ろしい専制政治と同じようなことを、神は私たちに計画されているのでしょうか?その通りです。

 従って、私たちが神のもとに戻るならば、神は私たちのもとに戻って来られるゆえに、私たちは神のもとに戻らなければなりません。

 アメリカは基本的に神にこの国から出て行ってもらい、今では、神の名前を公の場で使うことさえ拒否しています。ヨハネの黙示録3章20節にあるように、この時代、私たちが主に心を開かなければ、主はご自分の教会にさえ入って来られません。ですから、私たちは、この国で日に日に増大している道徳的、霊的堕落よりも、主を望むことを決意しなければなりません。

 

 自分の将来を決めるのは、本当に私たち自身なのです。私たちが主を求めるなら、主を見つけることが約束され、また、私たちが主に近づくなら、主が私たちに近づいてくださることが約束されています。主を愛している人たちが、主を憎むごく少数の人たちに国を支配するのを許し続けるなら、私たちは本当に主を愛しているとは思えません。

 

 現在、アメリカの「キリストの身体」には、人間に対する恐れが蔓延しています。人間への恐れは「臆病」と訳されます。これは特にキリストの身体のほとんどの指導者に顕著で、彼らは人間を恐れるあまり、現代の重要な問題に取り組むことを控えています。私たちが政府にこのようなことを見るのは、私たちクリスチャンの教会がそのような模範を示して来たからです。

 この時代、アメリカには偉大な教会や祈りの運動があり、私たちはそれに感謝しなければなりませんが、一方で、教会全体がおそらく歴史上最も弱体化しているのも事実です。神は私たちに最大の権威と最大の力を与えたにもかかわらず、教会にはほとんど力も影響力もありません。なぜその力が使われないのでしょうか?それは、教会の指導者たちが、神への恐れよりも人への恐れによって生きているからです。これこそ「臆病」と言えます。

 

パート2:希望の兆し

 

 私たちが常に心に留めておかなければならないことは、主は、この世の強い者、賢い者、大勢の者を用いることはあまりないということです。むしろ主は、団結している二人を通して、団結していない大勢の人よりも多くのことをなさることができます。

 

 先月、私は国内外に影響力を持つリーダーたちのために、毎年恒例のラウンドテーブルの33回目の会議を開催しました。彼らは皆、クリスチャンですが、教会のリーダーばかりではありません。中には、ビジネス、行政、エンターテインメントなど、世界に大きな影響力を持つ分野のリーダーもいます。この座談会に参加する人たちの相互理解、尊敬、総合力は驚くほど高まっていますが、今回の座談会には特別なものがあり、私に大きな励ましを与えてくれました。

 

 座談会は自由な交流を目的としているので、このような集まりはいつも、主とその目的についての啓示や、私たちの時代についての洞察に富んでいます。その中には、国内外に影響を与えるようなものも発表されています。

 2015年の私たちの円卓会議は、トランプ氏を当選させたかもしれません。その座談会に参加したほとんどの人は、来る前は他の候補者を支持していましたが、帰る時は、ほとんどの人というより、おそらく全員が、トランプこそが運命の人だと信じて座談会を後にしました。その人たちは何百万人もの有権者に影響力を持つ人たちだったのです。

 もちろん、今回の座談会では、最近の選挙の意味合いについても議論されましたが、「今回の選挙は盗まれたものだ」というのが総意でした。盗まれた選挙は、失われた選挙よりもはるかに危険であること、そして、選挙管理そのものに信頼性がない時には、民主主義の共和国は存続そのものが難しいことを全員が知っている様子でした。ということは、私たちは今、歴史上最大の危機に直面していることは承知しているのです。ーではどうすればよいのか?

 色々なアイデアは話題に上りましたが、強烈なラッパを吹くレベルのものは何もない、しかし、それでいて、それを心配している人は一人もいませんでした。しかし、それが必ず来ることに、全員信仰ともいうべき確信を持っていて、そこには平安が溢れていたのです。

 この円卓会議になかったものは「不安と心配」ーーそのことが、恐らく会議で得られた最も重要なメッセージであったのです。

 そこには、驚くほど際立って大きな平安がありました。それは深遠なものでした。平安は、私たちの最も神聖な強力な武器の一つです。何度も繰り返しますが、サタンを足の下に打ち砕くのは「平和の神」(ローマ16:20参照)であると言われています。

 今回の座談会では、いつもながらの情熱があるにしても、平和と喜びが満ち溢れていたのです。主の臨在がそこにあり、主の臨在には「喜びが満ちている」からです。(詩篇16:11参照)そして「主の喜びはあなたの力」だからです。(ネヘミヤ8:10)これもまた、このリーダーたちの中にある強さを啓示していると受け止めています。毎回、笑いが絶えないのですが、今回は本当にそれ以上のほがらかな笑いがあったように思います。

 去年直面した危機の激しさを考えると、これは予想外のことでした。最も深刻な問題を話し合っているときでさえ、素晴らしいユーモアのセンスがありました。

 私たちの座談会の参加者は、何百万人もの信者に影響を与えているかもしれませんが、それはキリストの体のほんの一部に過ぎません。私たちは、国全体を代表しようと思ったことはありません。ただ、「キリストの身体」について幅広い経験を持ち、現代の重要な問題について国際的な視点を持った限られた人たち(30人以下)を集めるようにとの要請があったのです。ですから、私はこのような多様なミッションを代表する方々が、私たちが直面しているすべての問題に平安を感じているように見えたことは、私にとって非常に励みになりました。

 この平和と喜びは伝染するでしょう。もしあなたが世界に起こることについてストレスを感じているなら、これを読むだけでそのストレスが解消され、神への信頼と信仰が増していくことを祈ります。  (終わり)


22 04月

第二次「アメリカ独立/南北戦争とアメリカ合衆国憲法」について(その2)


 

第二次「アメリカ独立/南北戦争

                 アメリカ合衆国憲法」について(その2

              

                                                                         リック・ジョイナー

 

2021年を迎えて ( 2月21日 MSJ リック·ジョイナーより) 

 

 

 昨年の世界的な試練を受けて、2020年が終わったことを喜ぶ人が多いのは理解できます。しかし、その大変な2020年に、人生を取り戻した人たちーー特に主への献身や家族への献身を取り戻した人、人生の優先順位を取り戻したという人の証しを聞くことの方がはるかに多いのではないでしょうか。この勢いで、すべての出来事から学び、試練を無駄にしないように決意したいものです。未来に希望を持つことは良いことですが、その多くは私たち自身にかかっていることを忘れてはならないと思います。

「喜びに満ちて」主の御前にとどまっている人にとっては、最悪の時でさえも祝宴のごちそうになります。もし私たちがそうでないなら、私たちは主から離れてしまったのであり、私たちにできる最も重要なことは、主を求めることではないでしょうか。(箴言15:15参照)

 

 新しい心理学の分野では、私たちは環境や経験の良し悪しで決まるのではなく、それらにどう反応するかで決まると言われます。主は「私たちのためにならないことは経験させない」と約束されています。ですから、どんな試練でも、それが私たちのためになると確信して対処することが基本的な信仰です。そうしないと、神が私たちを助けてくださることよりも、トラブルが私たちを傷つけることを信じることになってしまうからです。

 

   2021年は、ある意味で私たちが生きてきた中で最も激しい年として始まっています。しかも、その激しさが増していくことを示す良い証拠が多くあります。アメリカには南北戦争以来の多大な分裂があり、アメリカ政府はおそらくこれまでで最大の憲法上の危機に陥っています。

 ヘブル人への手紙12章によれば、揺らぐことができるものはすべて揺らぐと言われていますが、私たちには揺るがすことのできない王国があります。王国の原則に基づいて建てられていない、あるいは王国の原則から離れてしまった政府のすべての部分は揺るがされます。残ったものは揺るがない。これは、主からのすべての規律がそうであるように、良いことです。もし私たちが今、個人的に揺らいでいるとしたら、おそらく私たちは、移り変わりの多い政府のやり方に必要以上の期待を寄せ過ぎているのでしょう。….政府のリーダーシップに目を向けると、ほとんどすべてのことに対して提案されてきた彼らの解決策の中で、国中に大きな不和が増えないようなものは一つもないように思えます。

 

 私たちが何年も前から言っているように、人類のあらゆる主要な問題は、今や人間の手に負えるものではなくなっています。しかし、すべての問題に対して、実行可能な完璧な解決策はあるのです。それらは人間を超えていますが、神にとって不可能なことは一つもありません。私たちが直面していることを、神はいとも簡単に解決してくださいます。ですから、私たちのするべき仕事は、問題にではなく、常に神に注目し続けることです。

 

 友人がジョージ・パットンの言葉を送ってくれました。それは「過去の人々がどのようにして予測不可能な事態に対処したかを研究することで、未知の事態に備える」というものです。このような偉大な例は、すでに聖書という1冊の本にまとめられていて、今ほど聖書が時代にマッチし適している時はありません。

 

 私はフィットネス・トラッカーを身につけていますが、その測定項目の一つにストレスがあります。ある行動がストレス・レベルにどのような影響を与えるかを見てきましたが、ニュースを見ることは、ストレスレベルが大きく上昇します。一方、聖書をはじめ、主や信仰に関する本を読んだり、クリスチャンにふさわしい生活をしていると、ストレスは下がります。従って、私はストレスが下がることに多くの時間を費やしています。

 

 2021年を21日間の断食で始めるにあたり、多くの人がニュースを見るのをやめて、その時間を聖書の中で過ごすことを選びました。MSJの記事は配信される1ヶ月以上前に書かなければならないので、私たちの教会の断食はすでに終わっていますが、神は時間と空間に制限されないので、今からでも参加することができます。もしあなたがストレスモニターを持っているなら、これがあなたに与える影響を見てください。不健康なストレスレベルは、事実上すべての臓器はもちろん、免疫系にもダメージを与えるため、パンデミックや紛争が増えている今日、これは私たちにとってさらに重要なこととなるでしょう。

 ストレスは恐れと直結しているので、恐れではなく、信仰を深め、信仰に基づいて歩むことを決意しようではありませんか。

 

 ボブ・ジョーンズは、メディアを「世界最大のテロ組織」と呼んでいましたが、その理由は、メディアが常に恐怖を植え付けているからです。私たちは情報を得る必要がありますが、恐れや疑いを与える情報源に気を付ける必要があります。

 これらは、私たちができる簡単で基本的なことですが、健康や生活の質に大きな影響を与えます。もし私たちが主に近づいているのなら、不安ではなく、喜びが増しているはずです。なぜなら、「主の御前では喜びが満ちる」からです。(詩篇16:11参照)喜びのレベルは、私たちがどれだけ主のもとにとどまっているかを判断する良い指標となります。

 主の平安と喜びを持っている人は、世界が増大するストレスと暗闇の中で霊的に抜きん出た人たちで、このようなリーダーによって最後の収穫は大いに増すことでしょう。

 ローマ人への手紙14章19節には「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」と書かれています。この世のものが、最も安定していると思われる組織や政府でさえも崩壊している中にあって、私たちは建設するように求められています。物だけではなく、人を築くように求められているのです。私たちは毎日、誰かを築き上げることによって、世界を変えることができるのです。

 私たちが、主とその王国のために道を築き、準備するために用いられる第一の方法は、マタイ6:33-34に従うことです。

「だから、主の国と主の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 だから、あすのための心配は無用です。・・・」

 

 主は、私たちが主と主の王国を第一に考えて行動するならば、主は私たちが必要とするすべてのものを用意してくださると約束しています。主よりもよく知り、世話のできる能力を持っている人は誰もいません。究極的には主にのみ頼り委ねることーこれが私たちのすべての問題の答えであり、世界のすべての問題の答えでもあります。私たちが、全能の神からのこの祝福を受けないとすれば、それこそ、生きてきた者の中で最大の愚か者ではないでしょうか?

 

 

真理とは何か  

         (3月21日 MSJ リック・ジョイナーより)

 

    前回のMSJで、私は「真理は行進している」ということを書きましたが、一方で、この国では今ほど真理が捨て去られていることはないと思われるかもしれません。実は、この2つはどちらも真実なのです。政府、メディア、教育、その他あらゆる影響力を持つ場所で、真実は踏みにじられているように見えます。しかし、これは真理が勝利しているのではなく、真理が暴露されているのです。真理の御霊は、政府や社会、文化における欺瞞と腐敗の深さを明らかにしてくれます。真理の光が、闇の中にあるものを暴いているのです。

 

 イエスが十字架にかけられる直前に、「この世の君主(サタン)が追い出されようとしている」(ヨハネ12:31参照)と言われたことを考えてみてください。追い出されるのはイエスご自身のようでした。神の史上最大の勝利が、一時的には最大の敗北に見えたのです。神の勝利のほとんどはそのようなものです。ですから、私たちが約束していたことや期待していたことと反対のことが起こっても、決して絶望したり、希望を失ったりしてはなりません。

 

 真の信仰は、結果だけではなく、神に対するものであることを忘れないで下さい。これは、私たちが祈るときに具体的なことを求めないという意味ではありませんが、私たちが望むもの、望むとき、あるいは主が提供してくださる方法が、最善ではないこともあります。私たちは、外見にとらわれず、主を信頼することを決意しなければなりません。

 

 2020年の選挙では、ドナルド・トランプ氏が大差をつけて勝利したことが、調べれば調べるほど明らかになっています。詐欺と汚職の証拠は、誰が見ても明らかです。しかし、これまではそうではありませんでした。しかし、証拠に基づいて却下されたものは一つもなく、「スタンディング」に基づいて却下されました。これはどういうことでしょうか?

 「スタンディング」とは、もしあなたが不注意な運転手に怪我をさせられた場合、あなたにはその怪我に対する損害賠償を求める裁判権があるということです。しかし、そのような事故の目撃者であっても、怪我をしていなければ、明らかな理由により訴訟を起こす資格はありません。

 

 選挙の完全性に異議を唱えるすべての訴訟を、すべての裁判所が、これらの訴訟を起こした州や人々には原告適格がないと言って退けたのは、どういう意味でしょうか。不正な選挙によって傷ついたのは、たとえ候補者が勝利したとしても、アメリカのすべての市民ではないでしょうか。有権者の不正行為は、この国のすべての人の投票権を低下させます。このようなケースで正義を求めて訴訟を起こす権利がないと裁判所が言うのは、私たちにはもう本当の権利がないと言っているようなものです。

 最高裁を含むすべてのレベルの裁判所が、事件の証拠を調べることさえ拒否するこの戦略を取ったのはなぜでしょうか?このことは、前例のないレベルの不正選挙よりもさらに私たちが警戒すべき裁判所の腐敗のレベルを明らかにしました。ひとたび裁判所がどの政党にも支配されていることが明らかになれば、共和国は絶望的になる。このようなことから、ジェファーソンなどの建国の父たちは、「司法の専制」を共和国にとって最も危険な脅威と考えていたのです。

 

 共和国では、国民が指導者を投票で選ぶ、最終的な権威を持つ主権者であり、政府の全員が国民に仕えているのです。裁判所が、私たちにこの問題での適格性がないと言うことは、国民がもはや主権者ではないということであり、従って私たちは、もはや共和国ではなく、この不正行為を指示する者の下での独裁国家であると言えます。

 共和国では、憲法は「国の最高法規」です。つまり、主権者である国民であっても、憲法に則って行動しなければなりません。国民の主権は彼らの投票によって行使されます。今回の選挙では、不正行為によって票数が少なくされたことによって、自分の票を正しく数えてもらうという国民の最も基本的な権利が踏み躙らました。と同時に、国の憲法が踏みにじられたことを意味します。

 

 メディアやリベラル派は、今回の選挙には不正の証拠がないと言っていますが、実際には、これまで経験したことのないレベルの証拠が山ほどあります。この国でこのようなことが起こるとは想像もできないでしょう。今や、不正と腐敗が勝利し、真実、私たちの権利と、憲法が徹底的に打ちのめされたかのように見えます。それはまさに、悪魔とイスラエルの腐敗した指導者たちがイエスを十字架につけ、イエスが死んだのを見た人々は、そう思ったのと同じです。

 イエスは弟子たちに、「自分は十字架刑に処せられねばならない」「自分はそうして死ぬが、必ず復活する」と何度も言われたにもかかわらず、弟子たちは、イエスが死ぬと絶望してしまいました。復活が起こるまでは、彼らには復活が見えなかったのです。イエスが復活した後、彼らの信仰はかつてないほど大きくなりました。

 

 今回の選挙で暴露された政府の腐敗は、間違いなく私たちが夢にも思わなかったほどひどいものでした。それは上記で挙げた十字架刑で死なれたイエスを見て弟子たちがうちのめされたのと同じことが、アメリカでも起こったのです。

 それが、私たちがこのような目に遭わなければならなかった理由の一つかもしれません。それはアメリカ人が持った「自分たちが作り出した選挙方式」への「誇り」に対する主からの戒めであったのかも知れません。私たちは、公平・正当な選挙が行われることをもっと厳しく監視する義務を怠ったのです。その結果は大変な打撃を受けました。

 このようなことがアメリカで起こるはずがないと考えるのは慢心であり、それを許したのは明らかに開かれた扉でした。メキシコでは、私たちよりもはるかに多くの安全対策が施されていますし、私たちがよく嘲笑する「バナナの共和国」も同様です。神は高ぶる者には抵抗されますが、へりくだる者には恵みをお与えになります」(Ⅰペテロ5:5参照)とあるように、私たちにはへりくだる理由があります。

 私たちは、自分の国の腐敗の度合いを知る必要がありましたが、それ以上に謙虚さが必要だったのでしょう。弟子たちは、イエスが十字架にかけられたことでみなへりくだり、イエスが復活されるまでは落胆し、落ち込んでいたことでしょう。これらのことは、彼らがアパー・ルームでイエスの約束を待つ間に得た、かつてないほどの一体感のための準備となりました。この一体感こそが、聖霊が注がれるための準備でした。

 

 この国の重要性やこれらの出来事を、イエスの十字架と復活になぞらえているわけではありません。しかし、これらは多くの人間の出来事と並行しており、私たちが今、アメリカで経験していることとも重なります。共和国は一時的に死んだように見えるかもしれませんし、ある意味では死んでいます。しかし、復活の時があるのです。そして、聖霊の注ぎが来るのです。

 

 私は、2018年に見た夢の中で、来るべき第二次アメリカ革命・南北戦争は避けられない。しかしそれは成功するであろう。」と主から示されました。 決して希望と信仰を失わないでください。勇気を失ってはなりません。また、決して喜びを失わないで下さい。「主の喜びはあなたの力」 どんな人間の政府よりもはるかに信頼すべき私たちの主は、選挙に負けませんでした。それどころか、主は無敗であり、どんな戦いにも負けたことがなく、これからも負けないのです。

 

 詩篇2篇にあるように、すべての国が主との関係を断とうとして大混乱に陥っているとき、主は「天に座って笑っておられる」のです。私たちが主に寄り添っていれば、私たちもそうなります。これは、私たちの国が経験しているトラウマを笑っているという意味ではありません。この時代全体、そして「大艱難」までもが、悪魔と彼に従う者たちが、イエスを殺して倒したと思った時のように、やがて捕らえられるための神の罠なのです。( 続く)


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