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06 05月

世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー     今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その三)                坂  達 也


世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー

    今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その三)

 

                    坂  達 也

 

 今回、私は別の記事を書き始めていたのですが、カリスマ誌の5月号を見て、世界は益々アウエイクニングの火が広がりつつあることを知り、急遽先月に引き続く記事とさせていただくことにしました。

 

ヨーロッパにも広がる聖霊の火

 

 最近のヨーロッパは、ご存知の通り、移民・難民問題、特に大量の回教徒の流入とか、政治的・経済的混乱と低迷による大量の失業者が出て、特に南ヨーロッパにおける伝統的キリスト教教派は事実上死んだも同然の暗黒時代を通って来ました。そして今では世界で最も宣教活動の難しい地域となっています。

 その暗黒時代の最中に、心ある人たちは断食祈祷をしながらもがき苦しみました。しかし数年前から何かがシフトし、聖霊の風が吹き始めた結果、ようやく人々が飢え渇き、神を熱心に求め始めたのです。これは明らかに神のなせる御業です。2014年になって、神は元ベテル教会の牧師だったベン・フィジェラルド師とトッド・ホワイト師をドイツのニュレンベルグに送り、ベン師に預言的ビジョンを与えました。その結果、彼はヨーロッパが神から与えられた自分のデスティニーであると確信するに到り、ドイツに渡りました。そして「アウェイクニング・ヨーロッパ」という宣教活動を開始しました。それに同調するかのようにヨーロッパ各地のリーダー達が立ち上がりました。その主な人たちとは、国際ヒーリング・ルーム協会のJean-Luc Trachsel 師とか、ノルウェーのジーザス・レボルーションのステファン・クリスチャンセン師、Gospel Forum’s のピーターとマーカス ウエンツ Wenz 師たちで、彼らにより大きな救いの御業の成果が見られ始めました。

 

 そして2016年には、強力な聖霊によるリーダーシップ養成のための弟子訓練が開始され、また、世界中からハイディ・ベーカー師、ダニエル・コランダ師を含む多くのリバイバリストがベン師に加わり、スイスに集まって祈った結果、ヨーロッパ宣教の戦術が案出されました。今ではヨーロッパ各地で多くの訓練を受けた若い宣教師たちが育っております。そのリーダーたちの活動によって、特にヨーロッパの若者達がアウェイクニングされ、いよいよリバイバルが起こる気配が濃厚となって来ていると言われます。その他に注目すべき動きは、アメリカの24/7祈祷のIHOPのミニストリーとか、それと同趣旨の祈りのムーブメントがウイーン、ベルリン、ミュンヘン、ブリュッセル、グラスゴー、スコットランド等の都市を始め、ヨーロッパ各地に大きく広がりつつあることも報道されています。

 以上の報告は5月号のカリスマに掲載されていたものからですが、加えて下記の記事にもご注目ください。

 

世界一多忙なサムエル・ロドリゲス師

 

 ロドリゲス師は、カリフォルニア州サクラメントにある「ニューシーズン・クリスチャン・ワーシップ・センター」を含む五つの教会の主任牧師ですが、加えて「ナショナル・ヒスパニック・クリスチャン・リーダーシップ・カンファレンス」という世界最大のラテン系福音伝道団体(メンバー45万教会、1億のラテン系人会員を持つ)の会長職を勤めています。彼はブッシュ、オバマ、トランプという三代の大統領の「福音伝道のためのアドバイザー役」を務め、過去にタイム誌による世界で最も影響力を持つ100人の一人に選ばれています。その他映画を製作したり本を著したりと、恐らく世界一多忙な牧師であるとカリスマ誌は形容します。

 それでは何故彼が続けて三代のアメリカの大統領のアドバイザー役になるという信任を得ているのでしょうか。それは第一に彼がラテン系アメリカ人であり、その彼が世界一大きなラテン系クリスチャン団体の頭であるからです。ロドリゲス師は「今世界でリバイバルの火が付くと言えば、必ずそこにラテン系(スペイン系)クリスチャンがいるはずだ。」とまで自信を持って言い切ります。これは私自身の考えですが、神がそのような思いをこの人に信仰として与えた上で、彼を立てて用いておられるからだと思います。

 今世界中で難民移民問題が爆発的に起こっています。アメリカは根っから移民の国ですが、最初はヨーロッパから、そして後でアフリカの黒人がどっと入って来て、その後に世界中からの移民が集結してできた国です。それが今は、黒人の代わりにラテン系中南米人が国境を超えてなだれ込んで大問題となっています。しかしこれも神のご計画と信じます。ちなみにロドリゲス師の五つの教会の人種構成は、白人と黒人が40%ずつ、残りの20%がラテン系と東洋人などであり、彼はこれはまるで天国のようだと言います。そんな彼はクリスチャンとして人種差別問題への解決にいろいろな面で関与しています。

 私が特にこの人個人に興味を持った理由は、彼の多忙な生活を処するモットーが、「自分中心」を「キリスト中心」に置き換え、全てにおいて神の御心を行うべく「聖霊と共に歩く」ことを最大の目標として実践に務めている人であることです。それは彼が若い頃、神から「あなたを、わたしの栄光を顕わすための導管の役目を担う一人として、福音を語り世界を変える者に任命(デスティニー)する」と言われたことを信じたからです。

 彼がミニストリーを始めた最初の頃、神は彼に Hという頭文字が付く七つの形容詞ーHoly, Healed, Healthy, Happy, Humble, Hungry, Honoring (life)で生きるようにと指示されました。すなわち、Holy:全てにおいて非難されるところがないように生きる。 Healed & heathy:身体、魂と霊が常に癒されていて、健康であるように、Happy:わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるように、Humble:すべてがキリスト、神の恵みによって今の私があるとわきまえる。Hungry : 義に飢え渇く。Honoring: 父母だけでなく神があなたの前に置くすべての見知らぬ人をも尊んで迎える。ーー

 以上ですが、ロドリゲス師は「現在自分の真の情熱は『聖くなること』です。」と言い「神は主の教会が聖くなること、一つとなり、光となることを願っておられる」ことを強調します。また、多忙の毎日を自分の最上の状態で神に仕えるために一番必要なことは、主にあって「安息日の休息」を忠実に取ることであることも強調して止みません。そして彼はどんなに忙しくても必ず時間をとって最愛の奥さんと二人で散歩したり、リラックスした静かな時を過ごすと言います。

 

 私は先回を含めて、今世界で神がなさっておられる3つのリバイバル・アウェイクニングの「現れ」を紹介して来ました。それで気が付くことは、神は、一つの世界的なミニストリー(ヒルソング)と一つの教会(ベテル教会)そして今回、一人の牧師(ロドリゲス師)を取り上げられたことです。それは何を意味しているのでしょうか。ーこの3つの例に共通していることは、神はこの三例に対して特別の祝福を与えていることを人々に見せることによって、少なくとも次の三点を私たちに示しておられるように思います。

 一つは、多くのミニストリーの中から、よりもよってヒルソングを選んだ理由は、これからの真のワーシップは「主イエス個人」を賛美礼拝することが中心であり、同時にイエスが直接語った「教え」とその深い真理を宣教し、私たちがイエスと個人的に深い愛の交わりの関係に入ることが、これから地上に主ご自身の御国を立てるための最大の焦点でなければならないからであると思います。

 二つ目は、カリフォルニア州レディングにあるベテル教会が世界で最も偉大な教会であるからと言うより、ベテルという名のヘブル語の意味が「神の家」であり、ヤコブが夢で示された神の約束(創世記28:12−17)を主が忘れていないことを最後の時代の教会を代表してベテル教会に告げる目的で祝福されたように私は思います。ベテル教会は、預言的に天の門となる教会の一つとして、主の約束を誠実に果たして来た教会であることは疑う余地はありません。

 三つ目のロドリゲス師は、私個人、今まで全く聞いたこともない人でした。しかしこの人こそ、教会やミニストリーの大きさに関係なく、一人のキリストの花嫁として、深く主を愛し、主に忠実に仕えたいと願う、最後の時に働いてもらうクリスチャンのモデルとして立てられた方であると私は信じます。私にはこのロドリゲス師の生き方が大変参考になりました。

 さて最後に日本の皆さんに質問をさせていただきます。それは日本の現状ではアウェイクニングがどのように起こっているかを私は知りたいのです。

 

日本では今、何が起こっているのか

 

 それは国として「羊の国になるか、山羊の国になるのか」という問題だけでなく、日本の各地、特に皆さんの住まわれるそれぞれの地域、町、そしてそれぞれの教会ではアウェイクニングが既に始まっているのか。未だ何も起きてないとすれば、どうすれば起きるのか。

 就いては何度も申し上げますが、今は終末の時代、いよいよ最後の大リバイバルが近づいて来ました。リバイバルとはよい言葉です。それは未信者を信者にすると共に、というよりその前に、クリスチャンを先ずリバイブする=文字通り「復活させる、生き返らす」ことであると私は理解するからです。

 

「復活させる、生き返らす」とはどういうことか

 

 今年の復活祭は去る4月21日(日)でしたが、私たち夫婦は先ず4月19日金曜日夜に、近くのアメリカ人の教会で聖金曜日 (Good Friday)の式典に参列しました。クリスチャンは、その日をイエス・キリストが私たち人間の罪のために十字架につかれて死んでくださった日として記念する厳粛な式典です。そして日曜日は近くの日本人教会の集会に参加し、キリストがよみがえられた復活の日としてお祝いの祝典に参加しました。この間、日本の教会でもそうでしょうが、こちらでも多くの人が洗礼を受けました。

 

 ところで、キリストが死んでよみがえられたことを信じるだけで、私たちの罪が赦されて天国に行けるのなら、こんな幸いなことはありません。しかし「キリストが私たちに代わって死んでくださったのだから、私たちは無罪放免でこのままピンピン生きていてよい」ということではでは決してないのです。

 ロマ6:4−8でパウロが言います。「それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのでありませんか。私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によってよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。もし私たちが、キリストにつぎあわされて、キリストと同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。・・・死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。」

 最近はこの聖書箇所を引用する人は少なくなったように思います。多くの人はイエスが私たちに「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。自分のいのちを救おうと思う者は、それを失い、わたしのために自分のいのちを失う者は、それを救うのです。」(ルカ9:23、23)と言われ、また、ルカ14:27で「自分の十字架を追ってわたしについて来ない者は、私の弟子になることはできません。」とも言っておられることを忘れているように思います。

 また、主が最後に弟子に言い遺したのは「大宣教命令」(マタイ28:18−20他)でした。そこには「あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け・・・」と書かれています。そうであれば、キリストに召されて働く人は「少なくとも自分に死んで主とともによみがえり、全てを主に委ね、主の命令を聴きながら主のために働く」ことが、最も重要な資格であると信じます。皆さんの中でその聖霊の招きに応じたいと感じる方はどうぞ立ち上がってください。

 その真の働き人になるための資格はもう一つあります。それは、「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル11:6)と書かれている通り、神が喜ばれる「信仰」で毎日を生きる堅い決意を持つ人であることです。

 

信仰とは何か

 

 その定義はヘブル11:1に書かれています。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」

 確かに原文ではこの通りに書かれていて和訳が間違っているのではありません。しかし正直なところ、私はこの聖句を読む度にこれでは真に信仰の何たるかを、心にグサッと来るような説明にはなっていないと思うのです。

 ところが主イエスの説明はどうでしょうか。「まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言って、心の中で疑わず、だだ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。だからあなたがたに言うのです。祈って求めるものは何でも、すでに受けたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになります。」(マルコ11:23)

 さすがに信仰の創始者であり、完成者であるイエス・キリストの言われることには権威があり曖昧さは全くありません。そこで私が同じ聖句を意訳すれば、こうなります。

 「何の疑いもなく信仰を持って生きることによって、自分の望んでいることが『現実のものとなる』のであり、それを神が保証される。そして信仰こそが、望んだ時には目に見えなかったものを、現実に見えるものと変えるのである。」

 いや、皆さんもぜひ信仰の定義を考えて見てください。何れにせよ、そこまで主イエスが保証されているのです。そうであれば、私たちは信仰を持って生きない方がおかしいーということになりませんか。しかしそれには前に申し上げた条件を満たさねばなりません。それは私たちが信仰で本当に自分に死に、イエスに生きてもらうーすなわちイエスがなさってくださるから、間違いなく実現するということです。皆さん、ぜひ立ち上がって御国の戦士となり、郷土をリバイブしてください。(終わり)


29 04月

私を変えた3つのみ言葉(その2) ジャック・ディア              2019年4月29日


私を変えた3つのみ言葉(その2)

 

ジャック・ディア

 

 

二つ目の祈り

 

このように私は、「神への情熱」を持つための実践的な道を見出しました。次に私が出会った二つ目の祈りは、ヨハネ15:15にあるイエスの言葉「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。...わたしはあなたがたを友と呼びました。」によります。

このみ言葉によって衝撃を受けたのは40代の時でしたが、すでに私は友情に関しては知り尽くしていました。というのは、私の育った家には愛というものがほとんどなかったので、家の外に愛を求めるしか道がなかったからです。それで私は小さいときから必ず一人か二人は親友を持っていたのです。

 

本当の友情がどう言うものであるか、お話ししましょう。「その人のために何かをしてあげるのが友情」では決してありません。「その人に忠誠を尽くすのが友情」ということですらありません。友情とは、その人と一緒にいるときに私が感じる喜びです。友情とはその人から愛されていると感じる時に自分の重要性、存在価値を感じることです。

そしてこの友情こそ、ずっと神が私たちに求めてこられたものです。アブラハムやダビデ、ヨセフ、ダニエルの話を読んでみてください。このような友情こそを神は求めておられたのです。神は人々が「神を喜び楽しみ、又神も自分を喜び楽しんでいてくださると感じること」をずっと願っておられたです。

そしてイエスはそのことを公言されました。「わたしのあなたたちへの愛を感じてほしい。わたしを喜び楽しんでほしい。」と言われたのです。

 

マイク・ビクルが再び、私の前に現われて言いました。「ヨハネがイエスの一番の親友だったことを知ってるね。」と。私はちょっと考えてから答えました。「ああ、本当にそうですね。ヨハネの福音書を数えきれないほど何回も読み研究してきたけど、ヨハネがイエスのベストフレンドであったことは確かですね。」

 

他の福音書の筆者たちはヨハネを「使徒ヨハネ」と呼んでいますが、ヨハネは自分が書いた福音書で自らを「イエスが愛された弟子」と呼んでいます。自分のアイデンティティーを「神に愛されている者」と言うことをどう思いますか?

「自分がどのような立場や地位のものか」とか、「どれほど豊かであるか」とかではなく、「神に愛されていること」を自分のアイデンティティーにするのです。

ヨハネは自分の真のアイデンティティーを「神が愛されている者」としたのです!ヨハネは主イエスのベストフレンドであり、それはヨハネの福音書全体を通して見ることができます。例えば最後の晩餐のことを見てみましょう。

 

イエスは弟子たちが周りに座っていたとき、「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」と爆弾宣言をされました。皆は「それは一体誰だろう?」と心の中で思いまどいました。

彼らは多分ペテロが何か言うかを待っていたでしょう。ペテロはいつも最初に口を開くのですが、このときは何も言いませんでした。そしてみんなは「ヨハネならイエスに聞くことができるだろう。」と思ったのです。そこでペテロはヨハネ(イエスが愛しておられた者)に「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」と言いました。ヨハネはイエスにそれを訊ねるのを恐れないと知っていたからです。

あなたはベストフレンドになら何でも恐れずに聞けますね。ヨハネはどこに座っていましたか?イエスのすぐ横でした。ですからヨハネはイエスに向いて「主よ、それは誰ですか?誰があなたを裏切るのですか?」と訊ねたのです。

イエスは「ヨハネ、それはわたしがこのパン切れを浸してから与える者だよ。」と言われ、それをユダに与えられました。そこでヨハネはベテロに「それはユダだよ。」と教えました。簡単なことです。それがベストフレンドということです。ベストフレンドなら何でも訊けるのです。

 

ときどき私は神学者の友人たちにこのように話すことがあるのですが、彼らはいらいらしたように「イエスが他の使徒たちよりヨハネをもっと愛したなんてことはない!」と言います。私は仕方なく「全くあなたの言う通りですね。」と言うのです。

 

 しかし、友情とは愛することだけではありません。愛だけで友情を保つことはできません。あなたの親友のことを考えてみてください。ただ彼らを愛していくだけではなく彼らを信頼していますね。

信頼がなければ親友にはなれません。信頼がなければお互いの心を明け渡すことはできません。私が私の息子スコットを愛した以上の愛で愛した友はいません。しかし私とスコットは友達になることはできませんでした。それは私たちがお互いを信頼することができなかったからです。スコットは22歳で自ら命を断ってしまいました。

イエスがヨハネを信頼していたことは、主の十字架の苦しみの時に見ることができます。天地の主である方は十字架の上からあまねく全地を見渡されましたが、唯一イエスを見捨てなかったのは、母マリアと数人の女性、そしてヨハネだけでした。

私は目を閉じるとイエスがご自分の母親を見下ろしているのが見えるのです。主は母マリヤの顔に浮かんでいる深い苦悩と戸惑いを見ておられました。マリアは天使ガブリエルが告げた偉大な約束と今見ていることとの矛盾をどう理解すればよいのかわからなかったことでしょう。

私には母マリアを見ながらイエスが考えておられたことが分かるのです。「私の弟たちは駄目だ。彼らは私を信じてもいないのだから。他の使徒たちも駄目だ。みんな私を見捨てていった。ヨハネ、ヨハネ、お前だけがわたしにためにいてくれる。」

 

イエスはそしてこう言いました。「お母さん、今からヨハネがあなたの息子です。」次に主はヨハネに「さあ、この人はあなたの母親です。」イエスは地上で最も大切な人を唯一信頼できるベストフレンド、ヨハネに託したのです。

 

マイク・ビクルはこう言いました。「あなたもイエスのベストフレンドの一人になれるように祈ったらいいんですよ。確かにそれは突飛で途方もない祈りですよ。でも神は突飛な神様ですよね。目指すなら最高を目指すべきですよ。」

そこで、私はそのように祈り始めました。「父よ、あなたが主を愛するように私も神の御子を愛せるように、どうか聖霊の助けをお与えください。」という第一の祈りに加えて、「主イエスよ、どうかあなたのベストフレンドの一人になれる恵みを私に与えてください。私もヨハネのようになりたいのです。」と祈りました。

 

三つ目の祈り

 

この二つが私の人生の切なる祈りとなりましたが、次に今から5年前、私の心は3つ目の祈りにとらえられました。それは詩編27:4です。

「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさ(beauty)を仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」

そこで、私は「父よ、今日あなたの麗しさを仰ぎ見る恵みを私にお与えください。」と祈り始めました。

友人の中になにか麗しいものを見る度に、私のその友人に対する愛が増し加わります。ですからもし神の、そしてイエスの中に麗しさを見ることが出来るならば、私の主に対する愛も増し加わると私は考えました。それによって心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛することが出来ると思いました。

私の人生の夢は心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛することです。でもそれが夢で終ってほしくはないのです。これは私に与えられた課題であり、成就させたいのです。

 

私たちがこの世を去る時に、天に持って行けるものは私の心の中にある神への愛だけです。地上でのミニストリーや私が書いた聖書の解説書や本を天国に持っていくことはできません。それで、私は毎日祈り始めました。「主よ、あなたの麗しさを見せてください。」と。ダビデがこの祈りをしたとき、彼は「主よ、あなたの全知能力に関する新しい真理を見せてください。」とは祈りませんでした。また、「神に関する神学的知識をもっとください」と祈ったのでもありません。彼は神を体験することを願ったのです。

 

トマス・アキナスは「美とは、我々に喜びを与えるものである。」と言いました。又 現代の彼の弟子は「美とは、まぶしくて目がくらむようなものである。」と言いました。ですからダビデの祈りは「主よ、あなたの麗しさ、美しさで私の目がくらむほどにしてください。私の目がくらむような、あなたの愛、あなたの憐れみ、あなたの親切さ、あなたの全知、あなたの知恵、あなたの全能を私が経験できる恵みをどうかお与えください。」と言うものだったのです。

 

5年前、私は教会で24/7の祈りをスタートさせたいと思い、「神の麗しさによって目がくらむとはどういうことか」を巧く説明できるものを捜していました。私は聖書解説書や聖書辞書を調べたり、いろいろな訳の聖書を調べました。

それは私がいつもする方法でした。しかしその日には神は本の中にはご自分の麗しさをひとかけらも潜ませてはおられませんでした。

2時間ほどで、私は本の中に主の麗しさを捜すのをあきらめました。そして書斎から出てゲストルームに行き、ベッドに横になり言いました。「主よ、あなたの麗しさで私の目がくらむまで、絶対ここから起きません。」

私は自分の人生の出来事をあれこれと思い出し、その中に何かまぶしいばかりの神の麗しさの体験があるに違いないと考えました。神の赦しや憐れみ、親切などの記憶をノートに書き出しましたが、「まぶしくて目がくらむ」ほどのものは一つもありませんでした。私は天を見あげて「神よ、何かもっとお出来になるはずです!」と嘆息しました。そう言った途端、スマホがチンと鳴ったので、ポケットから取り出して見ると、それはビデオが送られてきた報らせでした。

私は早速そのビデオを見ました。わずか18秒のものでしたが、私はそれを繰り返し見続けたのです。「あと一回だけ見てまた祈りに戻ろう。」と思うのですが、どうしても又繰り返し見たくなるのでした。そういう自分に可笑しくなってしまうほどでした。止められなくて、何度も何度も何度も見続けたのです。

 

それは生まれて2ヶ月になる私の初孫のレイチェルのビデオでした。寝ているレイチェルに向かって母親のリンデイとその母親のメラニーが「レイチェル、グーグーと言ってごらん!」と話しかけ、レイチェルが笑いながら「グーグー」と言っているビデオでした。

私はそれを見ていたのですが、突然「自分は今神の麗しさを見ている!」という思いが来ました。「11ヶ月前にレイチェルはたった一個の細胞だった」と思いました。その細胞もない以前には彼女は永遠の麗しさである神の思いの中に存在していたのです。そして今このような赤ちゃんとして私の目の前にいるのです。「私は今、まぶしいような麗しさに目もくらむほどだ!」と思いました。これはレイチェルの全人生を形成する時間の中のほんの一時に過ぎませんが、私にとってその18秒間は私の霊を大喜びさせる特別のものでした。

そして私は「声」を聞いたのです。「わたしがあなたを愛する思いは、あなたがレイチェルを愛する思いと全く同じです。」私は泣くじゃくり震えながらビデオを繰り返し見ました。やっと物が言えるようになったとき、私は「ありがとうございます、ありがとうございます。」と何度も言い、再び泣き続けたのです。

 

神は、感謝のない少年だった私を、赤ちゃんがグーグーと言うのに感動し感謝する老人へと造り変えてくださったのです。神はご自分のまばゆい麗しさで私を圧倒してくださったのです。この経験はもう一つの声にも語る機会を与えました。それは人生の多くの場面で私を陥れてきた悪の声でした。その声は「神がそんなことを言うはずはない。お前が勝手につくりあげた偽りだ。お前がレイチェルに対して感じるのと同じように神がお前を愛しているなんて、あり得ない!お前はあまりにも悪すぎる!」と言いました。

でも今回はその暗闇の声を聞いても、私はただ微笑み、その声に影響されることはありませんでした。それは、自分でつくりあげた嘘によって私が感動し泣きじゃくることなどありえないことがわかったからです。

 

皆さん、 神はすべての人にむかって「わたしはあなたを喜び楽しんでいるのですよ。」と告げたいと真に願っておられます。神は私たちに神の愛を毎日体験し感じてほしいのです。もし私たちが、「パーフォーマンス/自分の業」ではなく、「神が御子を愛するように御子を愛すること」に焦点を当てるならば、それは可能だと私は信じます。

 

祈り「父よ、どうか聖霊の助けにより、私たちがあなたのように御子イエスを愛するように、又、御子のベストフレンドになり、あなたの麗しさを仰ぎ見て、あなたの憐れみとあなたの愛を経験できるようにと毎日祈る恵みを与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。」(終り)

 

あとがきー坂 達也

 

二十年も前だったでしょうか、私たちがマイク・ビクル師のカンサス・シテイーの集会を訪ねた時に、このデイア師が講師の一人でした。その夜集会が終わって私たちがホテルの部屋に帰ろうとしてエレベーターに飛び乗ると、目の前に講師のデイア師が立っていて、にっこり笑って初めて会う私たちに二言三言親しく話しかけてくれたのですが、その笑顔がとても印象的で今でも忘れません。恐らくその集会で買ったのでしょうか、彼の書いた Surprised By the VOICE of GOD という本が二十年後の今でも私の本棚にあるのを見て懐かしく取り出して見ました。「神のみ声を聞く本」といえば、多くの預言者が書いておりますが、この方の本は技術的な方法論ではなく、むしろ神との親密さが鍵である事を強調していますのでそれをご紹介したいと思います。

「聖書でイエス程、御父の御声を聴ける人はいないと思います。それは子イエスが常に愛する御父の言われる事だけは絶対に聞き漏らさないと、24時間常にワクワクしながら待機しているからで、そういう人には父も最も多く語られるといいます。(ヨハネ5:19)するとそれは不公平だ、神は誰のいうことも公平に常に語るべきだと文句をいう人がいますがそれは誤解です。その証拠に「神は豚の前には真珠を投げない」と書かれている。申命記4:29に『主を慕い求め、主に会う。』とも書かれています。」とデイア師が書いている処に私は線を引いていました。どちらかといえば愛の少ない堅物の私は、理屈抜きにこのジャック・デイアの大ファンです。ー以上ー


23 04月

私を変えた3つの御ことば(その1) ジャック・ディア 2019年4月23日


私を変えた3つの御ことば(その1)

 

ジャック・ディア(Surprised by the Power of the Spirit 著者 Wellspring Church 牧師)

 

 

「というのは、律法はキリストによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。」 (ヨハネ1:17)

 

神は教会を恵みで救われましたが、それ以後ずっと教会は、律法によって自分のアイデンティティーを見出そうとしてきました。神は私たちが喜び楽しむように「ひとりのお方」を与えてくださっているにもかかわらず、私たちは「律法」を守る道を選びとっているのです。

人の心は、放っておけば律法に頼るようにセットされています。私たちは律法に自分の保身・保証を置いているのです。律法を守る道は筋道が決まっています。自分でコントロールがききます。しかし「そのお方」がされることは、予想がつかず、コントロールもできません。

私は17歳のときに恵みにより救われました。それは1965年12月18日のことでしたが、それ以後四半世紀もの間、私の信仰生活のフォーカスは、その完全なるお方にではなく、自分のパーフォーマンス(クリスチャンとしての良き業)に置かれていました。今朝、そのような私がどのように変えられたかをお話ししたいと思います。それは聖書に書かれているたった3つの簡単な祈りの話なのであり、それを皆様にお薦めしたいと思います。

 

神への情熱

 

皆さんは「神への情熱 Passion for God」という言葉を聞いたことがありますか?私は当時38歳で、教会の牧師として成功していました。又私は福音主義神学校の教授でもあり、ヘブル語とギリシャ語を教えていたのですが、この言葉は聞いたことがありませんでした。私が最初にそれを聞いたのは、カンサスシティーのマイク・ビクルという33歳の人からでした。彼はIHOP (International House of Prayer)と呼ばれるムーブメントのリーダーですが、彼ほど世界中の人々に「心をつくし、思いをつくし、力をつくして神を愛すこと」を示し教えた人を他に知りません。

私はカンサスシティーで彼に会ったのですが、彼が「神への情熱」という言葉を口にした時、私は「えっ、何のことですか?」と聞き返しました。彼は「『神への情熱』ですよ。知ってるでしょう?」と言うので、私は又「何ですか、それは?」と言いました。マイクは再度「神への情熱ですよ、知ってるでしょう?」と言いました。でも私は「何のことかさっぱりわかりません。」と言うしかありませんでした。

私は神学的な環境でずっと学んできたので、「情熱」はよいものではないと教えられてきました。神学校の2年目、ギリシャ語のクラスで、教授が「自由主義者たちは物事を感じる。でも我々は考えるのだ。」と言ったとき、クラス中が拍手喝采して、「そうだ、我々は頭がいいのだ。自由主義のようではない。彼らは皆感情に操られている。我々の敵だ。」と口々に言いました。

ですから、感情は良いものではなく、かえって排除すべきものだと教えられてきたのです。

しかしこの考え方の問題点は、知識、知能を発達させるために心を犠牲にしてしまうことです。マイクは続けました。「神への情熱ですよ。神は私たちが神に従うことよりも、もっと神を愛することを願っておられるのです。私は神を愛する方法を見出しました。」

何ということでしょう、私は四半世紀のあいだ、 感情をほとんど除外する訓練をしてきたのです!例えば「神を愛するとは神に従うことだ。」と私たちは言うのです。でも、愛していない人にでも従うことが出来ることは誰でも知っています。確かにもし私たちが神を愛しているならば、神に従うでしょう。しかし、「愛」とは「従うこと」をもっと越えたものではないでしょうか。

マイクは神への情熱について語り続け、「ああ、私はもっと神への情熱を持ちたい!」と言いました。私は心に中でこう思いました。「今までの人生ではずっと情熱を持たないようにしてきたのに、今突然に変へられるものだろうか。」と。私は非常に問題だらけの家庭に育ちました。ですから何も感じないほうが生きやすかったのです。

マイクは 「それはね、ただ『神への情熱を下さい』と祈ればいいんですよ。」と言いました。私は何かの感情をくださいと祈ることなど考えたこともありませんでした。感情といえば、それをどのようにして押さえるか、それだけが焦点でした。でもマイクは違いました。感情を与えてくださいと祈れと言うのです。

「どこにそんなことが書いてありますか?私は聖書をよく知っています。神学校では原語で聖書を教えていたんですよ。あなたがいうような事はどこに書いてありますか?」マイクはすぐに「ヨハネ17:26ですよ。イエスの大祭司の祈りの最後のところを見てください。」と答えました。

そこで私はその箇所を数えきれないほど読みました。でもわかりませんでした。イエスは「わたしは彼らにあなたの御名を知らせました。また、これからも知らせます。それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らのなかにあり、またわたしが彼らの中にいるためです。」と言われています。

 

私は「主よ、どうしてあなたは御父がどのような方かを私たちに知らせたかったのですか?」と訊ねました。主は次にように答えてくださいました。「父がわたしに対して持っておられる愛を、人々も持つためです。彼らが父と同じようにわたしを愛するようになるためです。そしてわたしが彼らの中にいるためです。」イエス・キリストは御父の横に座って今日もあなたと私のためにそのように祈っていてくださるのです。

ヘブル7:25「....キリストはいつも生きていて、彼らのために、とりなしをしておられるからです。」

ローマ8:34「...死んでくださった方、いや、よみがえられた方であるキリスト・イエスが、神の右の座に着き、私たちのためにとりなしていてくださるのです。」そして御父が御子に持っておられる愛があなたや私の中にあり、主をそのように愛することができるようにと祈っていてくださるのです。クリスチャンの信仰生活のゴールは、ただ服従するだけではなく、それをはるかに越えたものであるのです。

 

信仰生活は「正しいよい業」をはるかに越えたものです。もうお分かりになったと思いますが、私たちの業は十分ということは決してありません。ですから自分の業に希望を託すのは、最初から失敗するに決まっているのです。落ち込むための確実な方法です。しかし一人のお方を喜び楽しむのは、それとは全く違う話ですね。そのお方を喜び楽しむ方法の一つは、御父に「どうか神の御子イエスを、あなたと同じように愛せるようにしてください。」とお願いすることです。

 

マイクは「神を愛することが出来るのは神だけだ。」と言います。勿論そうです。でも私は38歳になるまで誰かがそう言うのを聞いたことがありませんでした。マイクは続けました。「だから『御父よ、どうか私に聖霊を注ぎ、あなたが神の子を愛するように私も愛することができるようにしてください。』と祈ればいいんですよ。」

この祈りを毎日して、自分では絶対に出来なかったことを神にしていただくのです。それは神の恵みと憐れみに他なりません。私たちが持つものは、すべて神の恵みと憐れみによるのです。神はいつも憐れみによって私たちを救い出してくださいます。そして神の憐れみを受ける方法の一つが祈りです。

 

素晴らしい娘や息子はその父親にとって大きな誇りですね。私も子どもの自慢話を始めたら止まりません。子どもたちは私のヒーローですが、御父の右座に座っている方も御父にとってヒーローなのです。ですから私が御父に「あなたのようにイエスを愛する者にしてください。あなたと同じ御子への愛をください。」と祈るならば、それは神の御子を私のヒーローにすることであり、私がいつも話し、いつも自慢し、いつも考えている方にすることです。

皆さんによいお知らせがあります。この祈りは本当に聞かれます。でも皆さんに悪い知らせもあります。それはその効果はとてもゆっくり現われることです。でも絶対にそれは聞かれ、正しい方向へと私たちを導いてくれます。

 

神の憐れみの訓戒

 

この祈りを4、5年続けた頃、私はテキサスから引っ越してカリフォルニア州のアナハイムにあるヴィンヤード・チャーチで働いていました。ある日私は教会に向って運転していたのですが、非常に幸せな気分になって歌を歌っていました。私は歌はうまくないので、車の中で一人の時にしか歌いません。私は自分自身にこう話しかけました。「ジャック、なんか幸せそうだね。どうしてそんなに楽しそうなんだい?」と。というのは私は普段は沈んだ気分のことが多いからです。

 

私はこのよい気持を持続させたいと思い、どうしてこんなに幸せな気分なのかを考えました。そして自分に語りかけました。「そういえば、今まですごく祈る方ではなかったけど、今までより沢山祈ってるよね。それから聖書もよく読んでいるね。それも説教の準備のためじゃなくて、読むのが楽しいから読んでるね。それに今まで大嫌いだった断食もしている。」

「そうか、だからお前はそんなに幸せな気分なんだ!お前は祈ってるし、聖書を読んでるし、断食までしてる。だから幸せなんだ!」と自分を誉めてやりたくなりました。「その調子、その調子!」という風に。

その時、私は声を聞きました。「あなたの『イエスへの献身』を喜んではなりません。イエスを喜びなさい。もし自分のイエスへの献身を喜ぶならば、必ずあなたは自己義認に陥ります。」

突然、私の人生のヴィジョンが目の前に映し出されたようでした。自分が山に登っていて、「わあ、すごいなあ、高くまで登ったものだ。すばらしい経験だ。」と言いながら、周りを見渡します。そして「随分高いところまで来たぞ。あそこの人たちより随分高い!」と言うのです。

次の瞬間、私は荒野に移されていました。神が「ジャック、又同じ間違いをしていますね。わたしはあなたに荒野に戻ってほしくないのです。あなたはわたしの息子を愛し始めました。そこに留まっていてほしいのです。」と語られました。

 

神がこのように「あなたの業ではなく、わたしのようにわたしの息子を愛することですよ。」と私に 思い起こさせてくださったのは、実に神の憐れみでした。

 

神は本当に驚くべき素晴らしい方です。神は私たちの心を懸命に守ってくださいます。神は私たちが神を喜び楽しむことを本当に願っておられるのです。神は私の心の中に芽生え成長し始めたばかりのその愛を守り、御手を私の心の上に置いて「もう同じ間違いをしてはなりません。」と言われたのです。(続く)


16 04月

人生の様々なシーズン エリザベス・エンロウ 2019年4月16日


人生の様々なシーズン

 

               エリザベス・エンロウ(Restore 7 Ministries)

 

  私はクリスチャンホームで育ち、8歳の頃から聖霊に満たされていましたが、私が12歳の時、母が癌で天に召されてしまいました。父が一年後に再婚し、二度目の母に私は可愛がられて幸せに暮らしました。しかし、私の内には母を亡くした痛みと深い悲しみ、失望があり、私はそれを長い年月、心の奥深くにずっと埋めていたのです。

やがて私は結婚し、牧師である夫(ジョニー・エンロウ)と共に教会を牧することになりました。ですから毎週の礼拝で、私は一番前の席に座って夫の説教を聞いていました。夫は「神がどれほど善き方であるか、どれほど親切な方であるか、神はすべての国に対して偉大な計画を持っておられ、その国をどのように変革されていかれるか、神はどれほどすべての人々、国々を愛しておられるか」という内容の説教を力をこめて毎週語りました。神はただ私たちの魂を永遠の救いに入れてくださるだけではなく、私たちが持っている日常の関心事、心配、社会的な問題にも手を差し伸べて助けてくださることも夫は語りました。

 

夫が牧師としてこのように語るのを聞きながら、私はそのメッセージに心から同意しようと一生懸命つとめました。確かに夫の語ることは真理だと思いました。しかし私は自分の内で葛藤を感じていました。それは「もし神が本当にそんなに善き方で親切な方ならば、どうして私のお母さんを取り去ってしまったのか?」という、私が心の奥底に押し込めていた疑問や神に対する大きな失望が浮き彫りになり、最早無視することができず、私はついにその問題と正面から向き合わねばならなくなったからでした。

頭では「神は善き方」と信じているのですが、心ではそれを本当には受け入れていない自分がいて、そこに激しい葛藤が生まれました。

母の癌との戦いは4、5年も続いたのですが、私たち家族は神による癒しをずっと堅く信じていました。癒しのメッセージを聞き、癒しの聖書箇所を読み、癒しを宣言して、知っている限りの方法で精一杯戦ったのです。しかし母は召されました。

 

私はこのように感じました。「神は母を癒されなかった。それは事実だから受け入れよう。でも世界でただ一人母を癒すことができる方がいたのに、その方は何もしてくれなかった。神が母を殺したのではない。けれども神は母が死ぬことを許された。だから神が殺したのも同様だ。」

 誰でもこのような経験があると思います。「神は~を止めることができたのに、止めてくださらなかった!」という神に対する失望と怒りです。

 

私がどのようにしてそのような状態から抜け出ることができたかというと、それは「短期間ですぐに」ではなく、時間をかけてのプロセスでした。そのプロセスの第一歩は、私が神に対して100%正直になることでした。私は誰か心から尊敬する人から「自分に正直に、そして神に正直になってもよい」という許可をどうしてももらいたかったので、夫に頼みました。

夫は「神はものすごく大きくて寛大な方だから、怒って神の胸を打ち叩いても大丈夫だよ。だからあなたの思っている事を何でも神に言ってごらん。」と保証してくれました。それで私は神に対して本当に心から腹を立てたのです。そして自分の気持を包み隠さず神にぶつけました。

当時私は夫と共に教会を牧していたわけですから、それはちょっと具合の悪いことではありましたが、私にとってそれはどうしても必要なプロセスだったのです。

そのように自分と神に正直になったとき、回復のプロセスは早く進んでいきました。神はそのような私に対していろいろと教え始められました。神が今までもずっとどのように私と共に歩いていてくださったかを教えてくださいました。

神に対して本当の自分の気持をぶつけたとき、神は慰めと愛と平安をもって私の心に入ってこられ、神がすべてのことを意図を持って行われ、神の私への愛は常に変らなかったことを教えてくださったのです。

100%正直にオープンに神に接したとき、神が私に教えてくださるスペースが出来たのだと思います。

あなたがもしも自分の心を防御の壁で囲んでいるならば、あなたの怒り、苦しみはそのまま自分の内にずっと残ります。でもその壁を取り壊すならば、神はあなたの中に入ってきてくださるのであると思います。

 

私が癒されていくプロセスの一つになったことですが、ある時私自身のワーシップCDをつくるようにある人から依頼されました。私はワーシップリーダーではありませんでしたが、当時ワーシップを手伝っていたことがありました。

更に「あなたがCDを作るための資金を出します。」という人まで現われたのです。私は歌を作ったことがありませんでしたので、神に「どうしたらいいでしょうか?」と訊ねました。すると神は「わたしはあなたの中に歌を4つ、すでに与えてありますよ。」と言われました。

そして神は、 4人の娘たちがそれぞれに1歳から3歳くらいだった4回の幼児期に私に教えてくださったことを示されました。娘4人それぞれが幼児期であった4回のシーズンは、私と神との関係と私の心の成長過程を表す4つの異なったシーズンだったのです。娘たちの名前は、プロミス・ジョイ(約束・喜び)、ジャスティス・ホープ(正義・希望)、グレイス・ヴィクトリア(恵み・勝利)、グローリー・ルツ(栄光・ルツ)と言いますが、すべて彼らが生まれた時に神から与えられた名前でした。

 

神は娘たちの名前の通りに「冬の約束」もあれば「春の正義」「夏の恵み」「秋の栄光」もあることを教えてくださいました。

神が言われたことを整理し理解したとき、私はこう言いました。「神様、あなたは本当に善き方であり、本当に親切な方です。あなたは地上で、そしてこの国やこの地域ですばらしいことをしてくださる方です。

でもそれと同時に、私の心の中にも同じようにすばらしいことをすることを計画してくださいました!」神は街や国に住む多くの人々の心を愛し癒されるのと同じように、私一人の心をも愛し癒してくださることを示してくださいました。あなた自身が持っていないものを、人に与えることはできません。神が本当に善き方、親切な方であることを自分で信じていなければ、この世の人々に伝えることはできません。

多くの場合、私は神との関係において自分がどのシーズンにいるのかが分からなかったので、神に対して多くの疑問を持ったのだということが、今はわかります。

どのような人間関係であれ、いろいろなシーズンを通ります。それは神との関係においても同じであることを神は教えてくださいました。冬のシーズンも幾度も通りますし、又、神と共に何かを生み出していく春のシーズンもあります。暑い日照りの夏のシーズンもあり、実りのある秋のシーズンも必ず来るのです。目には見えないようなこと、とても繊細で守らねば壊れてしまうようなことも、大切にすれば神は必ず実らせてくださいます。

 

神が意図を持って計画的に、 私が4人の幼児を育てた13年間に私の心に与えられたもの、即ちプロミス(約束)を育て、ジャスティス(正義)を育て、グレイス(恵み)を育て、グローリー(栄光)を育てた時に神が私の心に与えられたものは、私のためだけのものではありませんでした。それは神がどのように私たちを取り扱われるかということであり、私たちすべての者が知らねばならない啓示でした。

真冬に庭に出て、オレンジの木にむかって「どうしてオレンジがないの?」とは言いません。そのシーズンではないからです。神はすべてを目に見える形で現してくださる時もあり、またある時は隠されるときもあるのです。そのようなシーズンの違いを理解することは私たちにとって大きな助けになります。それはフラストレーションを克服するのを助けます。神がオレンジの根を養おうとしておられるときに、それを理解せずにオレンジの実を期待するならば、フラストレーションを起こします。

 

冬の季節は「十字架のヨハネ(16世紀のスペインのカトリック司祭)」が言う「the dark night of our soul(暗夜、神との一致に至るまでの過程)」のことだと思います。たとえ真っ暗な夜であっても、神が常に共におられるならば、本当にそれは最も神と親密になる時なのです。なぜならば、それは隠されている時であり、私たちは暗闇の中で何も見えなくても、神がすぐ横にいてくださるからです。

冬のシーズン、あなたは「自分は裸にされ、もう駄目だ」と落ち込み、実をならせたいと切望することでしょう。しかし、それは神が私たちの内に、あるいは私たちを通して、次にしようと計画されていることをあなたの中に孕ませているのです。どのシーズンも厳しく、またどのシーズンも良いものであるのです。

 

それは、あなたが寒くて凍えそうな時に、「あそこに暖炉がある!」と大喜びするようなものです。寒い冬も今までとは違う受け取り方、過ごし方ができるようになります。自分が今、どのシーズンにいるのかを知れば、敵の攻撃を防ぐことができます。神が私を取り扱い、多くのことを私に教えようとされた時、私は大変混乱しましたが、今私は自分の方向性を見出し、自分が現在どこにいるのかを知っています。

時として 私たちの街や地域で神が一体どのように働いておられるのかわからないことがありますが、それと同じように、自分の人生の中で神がどのように働いていてくださるのか見えないときがあります。でも神は着実に働いていてくださるのです。神は常に何かをしていてくださいます。ですから、それを知れば神と共に働くことができます。

 

もしあなたの内にあまりにも多くのことが鬱積していて、それが吹き出さないように押さえつけながら「どうにかこうにかやっと毎日を送っている」のならば、それを主の元に正直に持っていくことをお薦めします。

私はついには「神様、私はあなたが大嫌いです!」と叫ぶところまで行きました。それは100%正直になることであり、神はそれを喜んでくださり、恵みを与えてくださるのです。ですから「神よ、あなたは私の人生に何ということをされたのですか!どうしてあのように私を失望させたのですか!」と神に正直に言ってみてください。神が私たちに恵みを与えてくださることを経験するならば、その時私たちはこの世に恵みを与え、憐れみを持ち、この世と愛をもってかかわることができるようになるのです。

 

「祈り」ー父よ、感謝いたします。今あなたは共におられます。今一人ひとりに申し上げます。あなたの魂が神との関係において今どのシーズンにあろうとも、ダビデのように100%の正直さをもって神のもとに来ることをお薦めし、宣言いたします。あなたが 今までの どのように主と交わってきたかを正直に認め、主があなたの人生を新しいレベルに引き上げてくださいますように祈ります。

そしてあなたが周りの世界に向かって「神は善き方です!」伝えることができますように。

「神は善き方である!」と私は今あなたの魂にむかって宣言します。父よ、今すべての人があなたを正しく見ることが出来、それによってこの世もあなたを正しく見始めることができると宣言します。

父よ、私たちはあなたを愛し、 今それぞれが置かれているシーズンを感謝します。あなたが今ひとりひとりの心に確証と平安を与えてくださいますように。イエスの御名によって祈ります。(終り)


08 04月

世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー     今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その2)                坂  達 也


世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー

    今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その2
                  坂  達 也
 今回訪ねたニューヨークのヒルソング教会の礼拝の雰囲気と第一印象をご報告します。先ず、そこに来ている人たちからは、教会員とか信徒が集まっているという感じがしない、むしろ、町を歩いている普段着のままの人たちが気軽に入って来て、礼拝賛美を楽しんでいる、そこには「自由」があること、それでいて、生きたイエス個人と聖霊の臨在が感じられるのでした。確かに若者が多い、しかし子供から老人まで、あらゆる人種と階級の人たちが渾然と混じり合っていました。敢えて言うとすれば、いないのは宗教的パリサイ人ではないかという印象でした。(但し多くの訪問客は別として)
1日5回の礼拝をするのですから、一人の牧師と一組の賛美チームではやりきれません。といってもネットで見た記事によれば、今年40歳になった主任牧師のカール・レンツ師は、9年前の設立当初から聖日礼拝は何回であっても一人でやり続けた、その情熱とスタミナは凄いものがあったと言われます。ところが私が参加した日はカール牧師は他教会を訪ねていて留守でした。しかしその方がかえってスタッフとかリーダーたちの資質が分かって良かったと思いました。主任牧師がいないのを全く感じさせない、喜びに満ち溢れた賛美と、それを縫うようにして確かな福音のメッセージが情熱的にしっかり語られたのです。そこには形式的、宗教的なものは全く感じられませんでした。よく教育されている、よく祈るスタッフとリーダーたちの霊的な質と厚みを感じました。
 その日のメッセージを担当した若い女性のリーダーの一人が語ったメッセージは、ルカ7章36−50節に出てくる、パリサイ人に招かれた席で罪深い女に語るイエスの話でした。その他に賛美の合間に司会者が、マタイ7章の「『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく・・・わたしは彼らにこう宣言します。『わたしはあなた方を全然知らない。・・わたしから離れて行け。』」と言う話とか、有名なベタニアのマリヤとマルタとの対比の話が触れられていました。
気が付いたことは、この教会のメッセージはすべてイエスが語られたことに焦点がおかれ、それにパリサイ人的クリスチャンが対比されていることでした。そして集会の終わりには、「救いの招き」がなされました。すると私のすぐ前に座っていた10歳前後の少女と、少し離れたところにいた背の高い黒人の老人を含む、少なくとも一階だけで20名ぐらいの人が手を挙げていました。正直なところ、この集会を通して私自身が強く感じたことは、自分が、未だにどれ程「自分に死んでいない」=「イエスと共に生きていない」パリサイ人的クリスチャンであるかでした。私はそれを聞いて改めてぐさりと胸を突き刺され、悔い改めさせられました。
ヒルソング・ミニストリーから学べる終末の教会のあり方
 4月号のカリスマ誌によれば、ヒルソングの創始者であるブライアン・ヒューストン師夫妻は1983年にオーストラリアのシドニー市で45名の小さな教会から牧会を始め、4年以内に900人に成長、その後、年一回のヒルソング・カンファレンスを開始してダーリン・チェックとかジェフ・ブロックという歌手を生み出し、ご存知のように、その独特なゴスペル・ミュージックで世界を風靡しました。そして1999年には正式に「ヒルソング教会」に改名、今では前述のように、世界に13万人の会員を持つまでに急速な発展を遂げたと言います
最初彼らはAssemblies  of God 教団の傘下にいたのを、昨年9月に独立、自からの教派を設立しましたが、その理由をヒューストン師は、今は「教団・教派主義」の時代ではない、イエスと本来持つべき「リレーションシップ」に帰る時であって、その上で、この世の未信者に対してイエスが取った態度と同じ深い愛と哀れみをもって、相手がどれ程リベラルな考えであっても、むしろそうであればある程、相手に大手を広げて真に「ウェルカム・ホーム」といってその人を個人的に親しい家族のように迎い入れるーそれが「イエスの御国」にふさわしいミニストリーだとして, 自らを ”One house, many rooms”と呼んでいます。
彼らは、主が本来なぜ彼らにここまで大きく広がる世界的なミュージック・ミニストリーを与えたかというその主のご計画に気付き、目覚めたのです。そしてこの世界的ムーブメントを継続させるためには、主を心から礼拝するミュージックに併せて、徹底したオーソドックスな「主ご自身が語った御言葉を中心に本来の福音を伝える」ことこそが主から受けた彼らの本来の使命であることに目覚めた(アウェイクニング)と私は見ました。そのために彼らは徹底して世界的なリーダーとスタッフを教育することを始めたようです。
 しかし一方で、これだけ急速に大きくなったヒルソングに対する批判も厳しく、悪い噂は絶えないようです。特に若者のライフスタイルが全くのリベラルなニューヨークの場合、彼らのやり方は誤解されます。街に氾濫する堕胎賛成者や同性愛者や、金持ち、有名人、そして浮浪者など、どんな人でも喜んで受け入れますから、多くの識者、パリサイ人的クリスチャンとかメデイヤは教会がそのような教義を受け入れていると誤解し、一方的に批判し叩くからです。
 しかしヒルソング創始者もニューヨーク教会の主任牧師も明言します。彼らはどんな考えを持った大悪人でも喜んで受け入れる。しかし、そのような人たちから訊かれれば、教義的に聖書に書かれたことを優しく伝え、決して罪と妥協はしないが裁くこともしない。そして、メッセージで罪人に対して取ったイエスの態度を伝えるならば、イエスご自身が彼らに直接語ってくださる。後はその人次第であると言います。

 

彼らの目標は、キリストの再臨を間近に控えた今、キリスト・イエスを王とする「天の御国体制」をこの地上に1日も早く造ることであり、彼らはそのことに目覚めていると私は受け取りました。特に彼らの礼拝に参加して、彼らが従来の教団教派を超えたより高い「ビジョン」を持っていること、そして、それを実現する使命感に燃えている「情熱」を痛いほど感じたのです。言ってみれば、主の花嫁である教会は、今まさに「マルタからマリア」に変革される時であることを主が望んでおられるのです。
黙示録17章に出てくる「偽の教会
 ここで思い出されるのは黙示録16−18章に出てくるすべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」です。この大バビロンこそは、終末に現れる「偽の教会」であると私は信じています。そして、これに打ち勝つのが主の主、王の王である小羊」であり「また彼(小羊イエス)とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実なものだからです。」(黙示録17:14)と言われている者たちです。
「偽の教会」とは、多くの人が歴史的にローマ法王を頭とするカトリック教団を指すと言いますが、必ずしもカトリック教徒全部が偽のクリスチャンではなく(霊的な素晴らしいクリスチャンもカトリックには多くいることを私たち夫婦も日本で体験しました。)むしろプロテスタント教派教団でも多くのクリスチャンが、小羊イエスを個人的に知らないパリサイ人的・宗教的・人間的・もっぱら頭だけの霊的でない人間的クリスチャンが多く、その人たちは、厳しい言い方をすれば、本物のクリスチャンではないと思います。だからこそイエスは昇天する直前に「大宣教命令」を弟子たちの言い残したのではないでしょうか。
従って今までにその「偽の教会」は、カトリック以外でも、その頭になる牧師がプライベート・ジェット機を乗り回し、何億もする贅沢な家に住むメガチャーチを生み出しました。(勿論メガチャーチの全部がそうではありません。)神は何事においても悪魔に先ずやらせた後で最後に主のなさる本物を顕されます。どうも「メガ・チャーチ」においても同じやり方をされておられるように思います。
レデイングのベテル教会の台頭
 さて、ここで最初にご紹介したキム・クレメント師の預言の一部がカリフォルニア州レディングでなされたことを思い出して下さい。彼が預言したのは多分ビル・ジョンソン師のベテル教会においてではなかったと思いますが、最近私はこのベテル教会でジョンソン師が発表した第二の教会新建物、それは新たに1200名収容できる第二礼拝堂+多くのミニストリー用教室等の増設計画とその資金調達推移の報告を聞いて実は大変驚きました。既にご存知の方も多いと思いますが、彼らは昨年この計画を発表しました。それによれば:

 

 その設計図面の完成とコストの見直し     2019年中に終わらせる
 支払い済みの土地の整地と全ての建築許可取得 2020年中に終わらせる
 建設着工                  2021年5月
 完成                    2023年4月
 総予算1億4千880万ドル(約140億円)、その内の30%ー約3千6百20万ドルが既に調達済(約束コミット分も含む)で、残額は約9千8百万ドル(約1千億円)、但し工事の進行より前に資金調達が常に先行することを見込んでいると言います。資金調達にはクレメント師はビル・ゲイツ氏の名前を掲げていましたが、ゲイツ氏かどうかはともかく、今までに世界40カ国の6千人から資金献金があり、
現在土地代金支払い後1200万ドルが手元にあるといいますから、今後もそのような大口提供者が既にいることは確かなようです。
これからはこのような超大型のメガチャーチが世界中に多く出てくると予期されます。先述のヒルソング教会についての説明の際、今はもはやメガチャーチの時代ではない、むしろ、これは世界的ムーブメントであると申し上げましたが、ベテル教会の増築においても全く同じことが当てはまると思います。すなわち、すべて主がなさっておられる「御国の時代」が遂にやって来たのです。
加えて、このベテル教会の計画そのもの以上に私が驚いたのは、この経緯が進行するに当たって、過去10年間教会が一団となって祈って来たこと、それにも増して、初めから神が、ジョンソン師と教会内部の関係者に確かな具体的なビジョンを与えただけでなく、関係者以外の多くの信頼できる預言者からと共に一般の見知らぬクリスチャンからも「主からのメッセージとしてジョンソン師に伝えなさいと指示されたので知らせます」というケースが何度もあり、すべての面で、時事進行に先だって全く疑いを持たせないように、確かな主よりの約束と知恵の預言が与えられたと、ジョンソン師が熱烈に証するのを私はネットで聞きました。従ってこれも「御国が来た確かなしるし」であり、本物も本物の主のやり方であることに驚きご報告する次第です。
ジョンソン師は、「今回のことは丁度エルサレムに城壁を建てるために多くの王とリーダーたちが資材と費用をネヘミヤに渡した時のようだ」(ネヘミヤ記参照)といっていました。紙面がないのでこれ以上は申し上げませんが、神のなさることは何と偉大でしょうか。今ベテル教会では内と外でリバイバルが起きております。
最後に申し上げます。主の祈り「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」が今確実に聞かれていることを心から感謝します。そして、バプテズマのヨハネが言った「天の御国が近づいたから。・・・『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」がいよいよ成就する時が来たのです。(終わり)

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