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Walk With God Ministries

10 01月

2017年に何を期待するか           坂  達 也      2017年1月9日


 

2017年に何を期待するか
             坂  達 也
 日本における新年早々のテレビ・ニュースで話題をまいたものの一つに、東大の古澤明教授のグループによる「量子テレポーテーション」という技術を利用した超高速「量子コンピューター」に関する科学的進展とその成果の発表がありました。私たちもそれをコンピューターで見ておりました。
「量子テレポーテーション」とは、一言でいえば、物質の最も小さな素材をそっくり「瞬間移動 translation」させることです。量子テレポーテーションの説明として、古澤教授は非常に難解な物理用語による量子工学の理論を次のように分かり易く説明してくれています。それは、ある場所でブラック・ボックスに入れたもの=光とか電子というこれ以上分けられない最も小さな素粒子=量子(群のかたまり)をバラバラにして得た情報を使って、別の場所のブラック・ボックスの中に全く同じ物を粒子・量子から組み直し作り上げる技術です。
 ここでブラック・ボックスの中身が「一つの情報群」とすれば、それを個々に移動させて別のブラック・ボックスにそっくり同じものに作り上げるーそれが光の速度以上の高速でできるという「超高速量子コンピューター」による情報提供、あるいは計算機の作成が今では実現の可能性が現実のものとなったというお話なのですが、実はこのブラック・ボックスの中身を「素粒子の塊としてできている一人の人間」とすれば、その人間がバラバラの素材に分解されて、それぞれが瞬間的に他の場所に移動し、同じものがそこに組み立て上げられることが可能である」ということにもなるーこのような説明をすれば一番分かり易いと思います。
 事実「この瞬間的人間移動が現実に今どんどん行われているのです」と私がいえば多くの人は「エー、そんなの嘘!」と信じないかとも思いますが、実はほとんどそれが日常茶飯事になりつつあるのです。
 聖書には色々その例が出て来ます。有名なのは、先ず「死を見ることなく天に移されたエノクとエリヤ」の話しです。(ヘブル書11:5)使徒行伝8章の終りに出て来るピリポの話しもそうです。又、イエスご自身が弟子たちと一緒に乗った小船があっという間に向こう岸に着いたお話もあります。(ヨハネ6:21)
それに十字架に着かれて死んだイエスは、三日後によみがえって弟子たちの前に壁を通り抜けてスーッと現れたという話し(ヨハネ20:19−20)も本当です。それどころか「生きたままの人間が、何かをしていて急に霊と魂だけが天に行き、イエスとか色々な人に会った後、又、地上の身体に舞い戻った」という話しは一度や二度は聞かれたことはあると思います。
 皆さんの中には天の黄金の道を歩いたヘンリー•グルーバー師の話しを聞かれたことのある人は大勢いると思いますが、私のよく知っている人で同じような体験をした方が私たちのこちらの教会の関係者におりますので、今回はその方のお話をご紹介させていただきます。
 それは皆さんもよくご存知の、私たちの教会の正牧師ベンジャミン・ロビンソン牧師夫妻の「霊の親」として、ご自分の教会を持ちながら、私たちの教会の指導者でもあり、よくすばらしい霊の深いメッセージもされる方で、ロバート・ダニエルズ牧師夫妻です。奥様はすばらしい預言者で、このお二人は霊的にすばらしく成熟された方々です。
或るとき、ご主人が運転され、助手席に奥様、後ろの席に二人乗せた四人の乗用車がある交差点に向かって走っていると、突然横から大型トラックが猛スピードで走って来ました。それに全く気が付かなかったダニエルズ師の車はそのままトラックの横腹に突入し、あっという間に突き抜けて反対側に出ましたが、誰も何の怪我もなかったというのです。
2017年はヨハネ17章の年
 私は新年を迎えるに当って、今年の new year resolution として一つの決意をしました。それは朝起きて最初に必ず主の前に出ること、そして主を礼拝し、その日一日の自分のすることを主にうかがいつつ、それを主と親しく話し合うことに決めたのでした。そのきっかけとなったのは、前にもお分ちした詩編139:16にある「主は私たち人間を造るに当たって一人一人が生きる毎日を日毎に丁寧に創作され、その『神のバージョン』と、私たち自身の意志で実際に自分の人生を生きる(た)『現実のバージョン』の二つが書物として天の書庫に保管されてあること」が分かったことから来ております。又、主が私たちに教えてくださった「主の祈り」も「日毎に祈る」ことが基準になっていることに気が付いたからです。
 それにもう一つ挙げれば、最初の人間アダムとエバは、罪を犯す前は、何も書いたもので神に言われなくても、楽園で毎日する仕事が分かっており、「そこを耕させ、そこを守らせた」とあり(創世記2:15)ます。その上、そよ風が吹くころ、彼らは園を歩き回られる神である主と毎日会っていた」ことが創世記3:8に書かれていることも考慮しました。
 ヨハネの17章は、聖書の中でも、「私たちと神との関係」を明確に主が示された最も重要なことが書かれている箇所の一つです。それは、ヨハネ10:26、6:37、39にも書かれていますが、私たちをこの世に送って、人間を創造した最終目的を果たすための「コミッション任命」を申し渡されたのです。
 すなわち、21節にある「父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように彼らがみな一つとなるためです。また、かれらもわたしたちにおるようになるためです。またわたしは、あなたがわたしに遣わされたことを、世が信じるためなのです。またわたしは、あなたがわたしに下さった栄光を、彼らに与えました。それは、わたしたちがひとつであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは彼らが全うされて一つとなるためです。・・・父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。・・・それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らのなかにあり、わたしが彼らの中にいるためです。」
私は最近、「主が私の人生を生きて下さるように。」という祈りがよく口に出て来るようになりました。なぜなら、主が主のいのちを私たちにくださり、私たちが私たちのいのちと人生を主に差し出した関係ー差し違えの関係にあることを厳粛に思い起こし始めたからです。夜寝ていても何度もそれを口ずさんでいる自分に気が付きました。
私たちクリスチャンには、量子論的にいえば、二つの住所がある
私たちクリスチャンは、少なくとも二カ所に住まいの住所を持っていることを皆さんはよくご存知ですね。パウロが「罪過の中に(霊的に)死んでいた私たちをキリストとともに生かし、—―あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所(右座)にすわらせてくださいました。」(エペソ2:6)これは過去形で書かれていますから将来起こるのではなく、既に現実に起こったことであるのです。又、1ヨハネ4:13には「神は私たちに御霊を与えてくださいました。それによって、私たちが神のうちにおり、神も私たちのうちにおられることがわかります。」 次に1ヨハネ4:15で「だれでも、イエスを神の御子と告白するなら、神はその人のうちにおられ、その人も神のうちにいます。」
 従ってクリスチャンは現在天におられる主イエスのうちに住み、又、キリストが私たちのうちにおられるのです。他にヨハネ15:4には「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」とも書かれています
 そのことは量子論が科学的に証明しております。
 人間の身体を含むもすべての物質も小さく分解すれば量子素材にばらばらになるのですが、実はこの極微小の世界が量子論の世界であり、これが「霊の領域」そのものであるのです。実際に先述の「量子テレポーテーション」の原理は、たとえこの地上と宇宙の外の神が住まう天の領域であっても、「量子もつれ」の関係にある量子は同一と見なされ、一つとなっているという事実です。
 それは前述のヨハネ17章で主イエスが父なる神に祈られたわたしたちがひとつであるように、彼らも一つであるためです。わたしは彼らにおり、あなたはわたしにおられます。それは彼らが全うされて一つとなるためです。・・・父よ。お願いします。あなたがわたしに下さったものをわたしのいる所にわたしといっしょにおらせてください。あなたがわたしを世の始まる前から愛しておられたためにわたしに下さったわたしの栄光を、彼らが見るようになるためです。・・・それは、あなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らのなかにあり、わたしが彼らの中にいるためです。」が成就するためであるのです
 これがクリスチャンの身分証明・アイデンティティーそのものであります。
今年から私たちクリスチャンの最終目的の時代が一段と大きく開け
 私は終末の世がいよいよ迫って来ていることを今年の始めにひしひしと感じています。それは、人間を造られた創造者の神が、「人間の完成」=「キリストのからだ」の完成=「教会」に仕上げを掛けておられることを意味しないでしょうか。すなわちそれは「御国の王」が間もなくこの世に帰って来る日が近づいているのです。それには、私たちクリスチャンが主ともっともっと密接な「量子もつれ」の関係に入ってゆかねばならないのです。それは私たちの霊性が益々強められねばならないことを意味します
 そのための最も重要なキーファクターは「十字架」です。主の十字架によって私たちは神に近づける恵みを与えられました。これに対してクリスチャンの私たちができる唯一の主への応答はやはり「十字架」をもってです。それは私たち自らが「イエスに似た者」となること—―そのためには、完全に私たちの霊魂肉のすべてが「量子もつれ」の状態に置き換えられねばならないーすなわち、それは私たちが「自分の十字架を背負って主の後に従う」ことこそ、今年の大目標であると信じます。 まさに私たちキリスト者のアイデンティティーとは究極的に「十字架」に自分をかけて「自分に死ぬ」ことによって、主と霊的「量子もつれ」の関係を深めることであると信じます。2017年を霊的な大飛躍の年としようではありませんか。(終り)
注: 尚「量子もつれ」の説明がもう一つ理解できない恐れがあります。この辺りの科学的説明を追って追加説明させていただきます。

31 12月

2016年を振り返って    坂  達 也       2016年12月31日


2016年を振り返って

 

                 坂  達 也

 

 間もなく2017年を迎えようとしております。就きましては、先ず2016年がどのような年であったかを私なりに振り返ってみたいと思います。

 

  第一に、2016年はアメリカの大統領選挙が行われ、それによってアメリカの政治と経済、それに一般のモラルの現状がどれ程凋落しているかがあばき出されたことが挙げられます。
 結果としてはトランプ氏が次期大統領になることが決まり、それが決まると同時にトランプ次期大統領はすかさず彼の政府関係の人事(未だかってない程の実力者をそろえる)に着手し、それと平行して政策面でも彼の所信がどんどんと発表されました。それで分かってきたのは、トランプ次期大統領とオバマ現大統領の考え方と政策がどれほど違うかという事です。
 最も顕著な違いは、両者のイスラエルに対する考え方であり、ここに至ってオバマ氏が親アラブであることが明白になり、一週間前の国連安保理事会でのイスラエル非難決議をアメリカが今迄の前例を破って「拒否権」を行使せず「棄権」したことです。それはトランプ氏のイスラエルを擁護する立場と完全に対立するもので、彼が大統領就任後は、場合によってはアメリカの国連分担金(最多)の支払いを拒否するとか、ひいてはそれが国連からの脱退に発展する可能性があることです。
 これはトランプ氏がクリスチャンとしてイスラエルを全面的に擁護する考え方から出ています。現オバマ政府の要職にはアラブ容認を主張するアラブ系の人たちが思いのほか多くいて、それによって、アメリカでは今、クリスチャンとしての伝統的活動と行為がなし崩しに統制禁止されつつあり、アメリカの歴史上クリスチャンと教会が最も肩身の狭い思いに追いやられています。
 「これがかってのクリスチャン国か?」と疑わざる得ない現状にあることを新大統領がどのように是正して行くか、新政権の行く手には多難が待ち受けていることは容易に察知できます。2017年はユダヤ暦で5777年、7は剣(神のことば)を意味し、特に闇の世界・悪霊との戦いが未だかってない程激しさを増すことでしょう。
 アメリカが変われば世界が変わります。私たちクリスチャンはいよいよ「御国」という考え方をする時が来ました。全世界のクリスチャンは真にイエス・キリストを個人的な救い主としてだけでなく「御国の王」として信じ、名実共に「光なる」王と一致して行動する時が近づいています。それはイスラエルとの同盟関係に入ることをも含むと考えられます。又、地境を堅く守り、国民が一致して戦う時でもありましょう。そのためには王なる主の御ことばを聞き、それに従うことが今程大切なシーズンはありません。
 私は2016年に WWGM で私自身が取り上げて書いたことの6割以上がアメリカの現状と大統領選挙に関してであることを知って、少々驚いていますが、それだけアメリカの動きが日本(のクリスチャン)にも影響すると信じます。 
私の「創造者の神」の本について
 この新しい年を迎えるに当り、先ず私自身の長年の念願である「創造者の神による創造」(仮題)の本の出版を2016年度で行うというのが今年年頭の計画でしたが、残念ながら今年も実現しませんでした。
 しかし、それには確固たる理由がありました。主が今迄私が書く予定がなかった「新しいこと」示して下さったからです。それは「創造者の神」を確実に裏付ける重要な内容のものでした。それは、詩編139:16−19に書かれていること――すなわち神はすべての人間の一生の「すべての日々に何をするか」を書いた本を天の書庫に貯蔵してあるという事実です。私はこれを実際に天で見て来た三人の証人の証しを知っています。このことは私がハーザー誌の9−12月号に書いて載せていますので、あるいはそれを読まれた方がおられると思います。
 小説家が小説を書くのに、始めだけ書き、後は「主人公が自分の好き勝手に生きなさい」というような「進化論的」な無責任な本は一つもないのと同じで、神なる小説家は毎日克明に創造者としての脚本・シナリオを原作として書いてあるというのです。但し人間は罪人で自由意志が与えられていますから、かなり自分で勝手に生きるので、神のオリジナルの創造の脚本とは違うように生きます。(神はその違った生き方の全貌も始めから知っていて、それも本になっており、それが最後の「さばき」の際に天にある二冊の本として開かれ、それによってさばかれるというものです。しかし、その人間がキリストを知り、彼に従って生きる決心をして、キリストとともに歩む人生をはじめると、段々に元の脚本に近く生きるようになるというのです。しかも神の原本の通りに生き通した人が一人だけいます。それはイエス・キリストで、彼はそれゆえに「信仰の創始者であり、完成者である」といわれるのにふさわしい人であると思います。(ヘブル12:2)
 皆さん、これは英語でいうところの、それぞれの人の「デスティニー」ですが、そのための道であり方法が、常に「 WALK WITH GOD 」であり、私はこれをモットー、目標として生きています。それで私たちのミニストリーに同じ名前を付けた次第です。「キリストの中にあなたが住み、あなたの中にキリストが住む」関係に入るのはそのためです。

 

 さて、もう一つ主からつい最近示されたことがあります。それは神が人間を造られたのは、園においてであり、その園の中央には二本の木が植わっています。一本はご存知の通り「いのちの実がなる木」もう一本は「善悪の知識の木」です。これは聖書の創世記の1−3章に書かれています。
 私は昔、救われて間もない頃リック・ジョイナー師の「園に植えられた二本の木」という本があるのを知ってそれを購入しむさぼるように読みました。小さな本です。私はこの本はクリスチャンとしての「必読書の一つ」であると信じますが、残念ながら日本語訳は出ていないと思います。
 そこでこの本の内容をご紹介したいと思います。それは私たちが2013年の2、3月頃の WWGMに 四回に渡って紹介した「宗教の霊に打ち勝つ」という同じリック・ジョイナー師の本から引用抜粋した文章に、この「二本の木」のことが出て来るからです。以下をご高覧ください。
「パウロはコリントのクリスチャンに「宗教の霊で働く者たちを警戒せよ」と言いましたが、それは始ったばかりの教会に律法主義というくびきを負わせようとする者たちに対する警告でした。彼は次にように説明しています。「こういう者たちは、にせ使徒であり、人を欺く働き人であって、キリストの使徒に変装しているのです。しかし、驚くには及びません。サタンさえ光の御使いに変装するのです。ですから、サタンの手下どもが義のしもべに変装したとしても、格別なことはありません。彼らの最後はそのしわざにふさわしいものとなります。」第二コリント11:13−15)
 サタンは聖書を引用し知恵を用いることに長けていますが、その知恵は知識の木の知恵であり、人を殺すものです。彼は人の欠点や落ち度を的確に指摘することが出来ますが、それはその人に解放といのちを与えるのではなく、その人をズタズタにしてしまうようなやり方でするのです。
 宗教の霊から力を得た「光の御使い」は、まず最初に人の正しいところではなく間違っているところを探そうとします。
 アダムとイブが善悪の知識によって生きることを選びとったとき、彼らは宗教の霊を受けたのです。その最初のあらわれは「自分中心」でした。即ち彼らは自分自身を見始めたのです。彼らがこの実を食べたあとカインが生まれましたが、カインは聖書の中で宗教の霊によって支配された者の最初のモデルです。
カインは「地を耕すもの(創世記4:2)」でした。彼の思いは「地」にあったのです。宗教の霊は、私たちを天の領域ではなく地の領域に焦点をおくように常に企むのです。「カインの子孫」は目に見えるものによって物事を判断し、「目に見えない方を見るようにして忍び通す者(ヘブル11:27)」を理解することができません。
 カインは又、自分の労働の実を主に捧げようとしました。主はその生け贄を拒絶し、アベルの血の生け贄は受け取られました。私たちの労働の実は、決して主への捧げものとして受け入れられることはできません。神が小羊の血だけを生け贄として受け入れられることは始めからの神の御こころでした。カインは訓戒を受け入れて悔い改めることをせず、アベルを嫉妬し殺害しました。自分の働きによって生きようと試みる者は、往々にして、小羊の義により頼む者に対して激しい怒りを抱くものです。
 パリサイ人の中のパリサイ人であったタルソのサウロが、クリスチャンに対して怒り狂ったのはこの理由によります。パリサイ人が人生をかけて築き上げてきたものを最大限に脅かす者、それがクリスチャンだったのです。それ故にパリサイ人たちはクリスチャンの存在に耐えることができなかったのです。自分の業を土台にしている宗教は、いとも簡単に暴力化します。キリスト教と称するセクトで、キリストの十字架の業を自分の業に置き換えてしまった教義をもつものも、これと同じです。
 使徒と預言者は、「建て上げ、また崩す権威」を与えられています。しかし、まず建て上げることをしないならば、崩す権利はないのです。霊的に人々を養い、建て上げてきた人以外には、私たちに責任のある人たちを正す権威を与えてはなりません。「預言者」と言われている人であっても、人々を建て上げる心を持たないならば、その人はミニストリーから取り除かれるべきだと私は思います。」
 以上ですが、「善悪の知識の木」の実を食べたアダムとイブは罪を犯しました。この木の実を食べるようにそそのかしたのはサタンです。サタンは、人をそそのかすために、すべての創造が行われる前に神によって造られた「被造物」です。サタンが先ず神に背いて罪を犯しました。それは神の最初からの御計画でした。又、アダムとイブが罪を犯すのも最初からの御計画でした。
 そうしてかなり後になって、多くの人が罪を犯すのが目に余る程になってからはじめて、神はイエス・キリストを「人間」として生まれさせ、彼が信仰の何たるかを見せた後に、人間たちが罪の全くない彼を十字架に着けました。そして彼が私たち罪人の罪を背負って死ぬことによって、もしその事実を信じる者は、その人間が犯すすべての罪が赦されるという高尚な「人間救出」の手段を神は設けてくださったのです。私たちクリスチャンはすべてこのキリストによる「救いの御業」を理解し、私たちは単に信じるだけでなく、「イエスと共に死に、イエスと共によみがえる」プロセスを経ることが必要であることを本当に理解しなければなりません。
 何故、創造者の神はこのようなプロセスを踏むようにされたのでしょうか。それはすべて自分の可愛い子どもを「神に似せて造り直し」自分の子ども育て上げるためです。すなわち、神は人間に地上で「弟子訓練」をしてキリストに似た者にしたいからです。
 以上の説明ではご理解いただけないと思いますが、私の目標はこのプロセスがすべて物理学者の発見、あるいは想像した「理論」で説明できることを最終目標としています。この辺りは、やはりハーザー誌をお借りして2016年の1、2、4月号に「見えるマクロの世界と見えないミクロの世界の探求」という題で書かせていただきましたのでご興味のある方はお読み下さい。尚、この3ヶ月の原稿で全部を説明できた訳ではありません、ほんの一端です。しかし、物理学の進歩発展は、「霊の世界」にやっと探求のメスを入れ始めておりますので、ぜひ私がこの本を完成することをお祈りいただきたいのです。
 従って、本年度中に完成させることができるかどうかは、ひとえに主のご計画と聖霊の助けがなければ全く不可能であると考えておりますので、確約はできませんが、最近、その実現が近いことを主によって導かれております。どうぞお祈りいただけますよう節にお願い申し上げます。
ニューヨーク移住のご報告
 さて次に、これは突然にこの1−2ヶ月の間に起こったことなのですが、私たちの息子の新しい仕事が急に決まり、家族で又ニューヨークに引っ越すことになりました。息子はこの数ヶ月前に今迄の会社がそっくり別の州に移転したため職を失っておりました。彼らはできればこのサンフランシスコ近辺に住むことを希望していましたので、失職後地元の色々な会社と仕事をしながら、よい勤め先を探して来ましたが、急に一月程前にニューヨークの会社から誘いがあり、しかも本人にはできるだけ早く出社するように乞われた結果、急遽この会社に就職することを決意し、息子本人はこの12月初旬から単身赴任をしております。
 今は家を売る準備をしながら、できれば1月末までに息子家族が移転し、とりあえずニューヨークにアパートを借りて、そこを仮住まいとしながら、適当な家を探して購入する計画です。私たちも、何の迷いもなく、息子家族と同じ町のできるだけ近い場所に移り住むことが未だ小さな二人の孫をかかえる家族全員の希望であり、それが主の御心であることをはっきりと示されましたので、移転の決意をしました。但し、私たち夫婦の移住は息子家族の家が決まってから探し始めますので、多分早くて4月、遅ければ夏頃になるかもしれません。
 私たちは現在、ここのベンジャミン・ロビンソン牧師の教会(リビング・ホープC.C.)の長老としてミニストリーに関わっておりますが、この教会のビジョンの一環として、将来ニューヨークに枝教会を設立する計画があり、もし御心なら、それに私たちが関わる可能性も充分あります。
 尚、ニュ―ヨークに移住しても日本向けのミニストリーには支障はありませんし、そこで私の本を書き上げることが主の御計画であることを望んでおります。しかしながら、ニューヨークは住む家の購入、あるいはアパート住まいにしても家賃が高いこと、それに生活費も高くなると思われますので、私たちの買える値段でよい家が見つかり、私たちが生活できますようにお祈りいただければ幸いです。
 それでは以上をご報告申し上げ、追ってニューヨーク行きと、私たちのミニストリーの新年度計画をお知らせ申し上げます。
 それではどうぞ皆様、よいお年をお迎え下さい。(終り)

25 12月

相互依存の重要性   リック・ジョイナー               2016年12月25日  


MERRY CHRISTMAS AND HAPPY NEW YEAR

 

                            WALK WITH GOD MINISTRIES  一同

 

 

相互依存の重要性

 

リック・ジョイナー

 

 

第一コリント2:16「ところが、私たちには、キリストの心があるのです。But we have the mind of Christ.

 

ここでパウロは「私には」ではなく「私たちには」キリストの心があると言っていることに注目してください。一人の人がキリストの心のすべてを持っているのではなく、私たち一人ひとりが一部分づつ受けているのです。ですから主の完全な心を持つためには、私たちは一致をもって集まる必要があります。自分以外のキリストのからだの他の部分、即ち他の教会とどれ程深く交わりを持って結ばれているかによって、私たちがどれ程主から完全な教えや指導を受けられるかが決まるのです。「一致」は単なる理想ではなく、私たちが完全な真理を持ち神の完全な指導を受けたいならば、絶対に不可欠なものであり、イエスがヨハネ17:23で、主の民が「全うされて一つとなる perfected in unityように祈られた理由でもあります。

 

数年前に「自分が持つコディペンデンス(共依存)の関係を認識して、それから解放される必要性」についてよく語られました。共依存とは、ある人やある集団に不健全な形で結びつき、自分というものが他の人のアイデンティティーの中に飲み込まれてしまうことを指します。これは結婚相手、友人、上司、親、子、あるいはクラブや同好会等との関係で起ります。又、自分と教会との関係においても不健全な共依存になることがあります。カルトは普通、集団を通して自分のアイデンティティーを得ようとする共依存の人々で成り立っています。決断力と指導力のある支配的な者が、弱い共依存症の人々を惹き付けるのです。

 

共依存の傾向から私たちを解放するためには、自分が本当にどのような者であるかを知るために、自分が独立する期間を持たねばならないというポイントは正しいです。これは真理ですが、そこで終ってはいけません。最終ゴールは誰にも依存しない「独立」ではなく、「相互依存(inter-dependence)」です。実際、適切に正しく他の人々と関係を持つとき、初めて私たちは自分のアイデンティティーを知ることができるのです。

 

共依存は真の一致ではなく、強者が弱者を支配することです。私たちは各々、自分自身の賜物や召しを見つけ出し、自分という人間に、そして自分が召された任務に対して確信をもつために人生の一時期を過ごす必要があります。その時期を経て初めて真の一致が可能になるのです。一致とは人々が融合して個人的なアイデンティティーを失ってしまうことではありません。キリストのからだのユニークなすべての異なるパーツが互いに認め合い共に働くことで一つのユニットとして機能するのが真の一致です。

私の身体がうまく機能するためには、心臓が肺になろうとすることなどありえません。私の心臓が正しく機能するためには肺や腎臓、肝臓、血管が必要であり、心臓が心臓以外の器官になろうなどとは決して考えてはなりません。世界で最もすばらしい心臓を5つ持っていたとしても、少なくとも一つの健康な肺に繋がっていないならばみんな死んでしまいます。主はご自分のからだ、即ち教会を同じように構成されました。それは多くの異なるユニークなパーツから成り立つべきであり、それらのパーツは自分のアイデンティティーを知ると共に、全体の中での自分の位置も知っていなければなりません。

 

私は教会やカンファレンスで、キリストのからだの中における自分の召しやミニストリーを知っているかと質問してきました。大抵の場合、全体の5%くらいの人が「知っている」と答えました。一番多いときで20%くらいでした。もしあなたの身体が5%、よくても20%しか機能していなかったとしたら、あなたはうまく生きられるでしょうか。しかし、残念ながらこれがキリストのからだの現状です。私たちは確かに一致が必要ですが、まずからだのメンバーである一人ひとりが、からだの中での自分の場所と目的を見つけ出すプロセスを通る必要があります。

私は長年、キリストのからだには様々な異なる教派やムーブメントが必要であると主張してきました。キリストのからだのメンバー達(教派、ムーブメント)は自分のアイデンティティーが基本的に確立された「誰にも依存しないで独立している」という段階に留まり続け、そこからまだ卒業していません。確かに自分のアイデンティティーが確立されるまではそこに留まるべきですが、私たちはその段階に何世紀も留まっているのです。今は任務達成のためにキリストの身体の他の部分と相互依存することによってのみ見出せる究極の目標達成にむかって進んでいくべき時です。

 心臓は、自分は心臓であって肺ではないことを「知って」います。それは肺の位置を知っており肺と共に働くからです。私たちは「独立」の段階を経験しなければなりませんが、相互依存の関係の中にしっかりと確立されるまでは、自分が何でありどこが自分の場所であるかを100%知ることはできません。すべての真の新約のミニストリーは、一つのユニットとして一緒に機能する異なるパーツのチームで成り立っています。バルナバは出かけて行ってサウロ(後のパウロ)を捜さねばなりませんでした。そして二人が使徒として究極的な召しへと解き放たれるためには正しい場所(アンテオケ)に行かねばねりませんでした。同じように、私たちも自分の究極的目的へと解き放たれるためには、主にあって共に結び合わされるべき人々を探し出さねばならないのです。(終り)


18 12月

神の御顔を拝する     フランシス・フランジペイン        2016年12月18日


神の御顔を拝する

 

フランシス・フランジペイン

 

 

あなたは「神を見、神を本当に深く親密に知りたい」と、切に願ったことはありますか?愛する皆さん、イエスを見ることは、即ち神を見ることです。私たちは本当に神を見ることができるのです!ですからそれを異端だと考えないでください。しかしまず第一に、キリストを知ることによってのみ全能の神を真に認識できるという確信に至らねばなりません。

ですから、イエス・キリストの生涯と、又その教えと行ないをしっかり学んでください。そうすれば神の本質を覆っている神秘のベールをあなたは取り除くことができるでしょう。

イエスは「わたしを見たものは、父を見たのです。(ヨハネ14:9)と言われました。これ以上に深い真理があるでしょうか?

イエスがされたことを読む度に、私たちは実際に神の本質を見ているのであり、イエスの教えを聞く度に、私たちは生ける神の声を聞いているのです。

 

イエスは見えない神の完全な現れです。(ヘブル1:2−3)また「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。(コロサイ2:9)イエスは神の形です。イエスはご自分の父が天でしておられることを見て、それを地でそのまま実行されたのです。イエスは御父が永遠の昔からささやかれた言葉をそのまま語られたのです。

あなたは本当に神を見たいと願いますか? キリストの言葉は、心の清い者が全能の神を仰ぎ見る窓です。

 

勿論、私たちの魂は他の人々からも養われます。しかしいかなる預言者、使徒、教師も、キリストによる神の啓示以上のものを与えることはできません。キリストを(深く)思い巡らしてください。それは即ち神の本質を思い巡らすことです。イエスの言葉を食べてください。それは全能の神の実体をあなたの霊のうちに宿すことです。

 

ヘブル1:1−2「神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終りの時には、御子によって、私たちに語られました。」

 

神は預言者たちに「多くの部分に分け、いろいろな方法で」語られたのです。実際、預言者たちの言葉はすべて私たちの魂を鼓舞し、矯正し、導きます。すべては有益であり、私たちを正しく導くものです。しかし「この終りの時には、(神は)御子によって語られました。」とあります。

 

預言者たちは「道」を指し示します。キリストがその「道」です。教師たちは「真理」を解き明かします。イエスがその「真理」です。使徒たちは「命」を宣言します。イエスがその「命」です。そうです、すべての者が「言葉」を語りますが、神の御子こそが「言葉 the Word」です。

イエス・キリストの教えがあたかも神に用いられた他の重要な人々の教えと同等であるかのように聖書の中で混同されてはなりません。イエスは真に神ご自身の生ける現れであり、神の見えざる栄光の唯一の現れです。イエスが語られる時、私たちは神ご自身が語られるのを直に、そのものずばり、何のベールもかぶされずに、聞いているのです。

 

ですから、もう一度お聞きしますが、あなたは神を見たいですか? 神の栄光を見たいですか?そうであるならば、イエスを学んでください。イエスの言葉と行ないを深く思い巡らしてください。じっとイエスを見つめることは、「キリストの御顔にある神の栄光(第二コリント4:6)を仰ぎ見ることだからです。

 

祈り「父よ、私はあなたの栄光を見、あなたの臨在の中に住まいたいです。あなたの御子イエスがヨハネ17:24で祈られた祈りに、私を通してお答えください。そして私がキリストのおられる所に一緒におり、あなたの栄光を見ることができますように。あなたの御ことばを私にとって生きたものとし、私の魂を変革してください。私の思いを新たにし、永遠に変らずあなたと共に住む事ができますように。」(終り)


12 12月

天国と復活の希望     マイク・ビクル                2016年12月12日


天国と復活の希望

 

マイク・ビクル

 

 

第一コリント15:1−4、20、49

「兄弟たち。私は今、あなたがたに福音を知らせましょう。これは私があなたがたに宣べ伝えたもので、あなたがたが受け入れ、また、それによって立っている福音です。また、もしあなたがたがよく考えもしないで、信じたのでないなら、私の宣べ伝えたこの福音のことばをしっかり保っていれば、この福音によって救われるのです。わたしがあなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また、葬られたこと、また、聖書に従って三日目によみがえられたこと、、しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。私たちは土で造られた者のかたちを持っていたように、天上のかたちをも持つのです。」

 

この復活の章といわれる箇所は、私たちクリスチャンの信仰生活の錨となるものであり、常に心に留めるべきものです。私たちが自分はどのような者であって最終的にはどこに行くのかを知らないならば、その時々の人生のドラマに翻弄されるだけで、神がご自分の民を召されているキリストにある栄光ある偉大な目的という大切なシナリオを見失ってしまいます。

ルカ20:36でイエスは私たちに「復活の子」というアイデンティティーを与えておられます。私たちはリアルな肉体の復活をするのです。私たちはその事実をふまえて人生を歩んでいくのです。

 

2週間ほど前に、私は死を真近にしている一人の女性と話す機会があったのですが、それはすばらしい希望を与える話でした。それはマーサ・スティーブンという方ですが、彼女はこの話を是非人々に伝えてほしいと言われました。彼女は私が32年前に牧会をしていた時からの友人で、非常に忠実な信徒でしたが、今は85歳を過ぎて死の床についておられます。私は彼女に電話をして「マーサ、いかがですか?」と訊きました。勿論、彼女は自分が死を迎えていることを知っていましたし、私もそれを知っていました。彼女の答えは「マイク、私はびっくりしているんですよ。本当にショックです。」と言うのです。私は次に悲しいことを聞かされるのかと身構えました。でも彼女は「死を迎えるプロセスは本当にすばらしいわ!」と言ったのです。そして次のように続けました。

「私は死んだら天国に行くのは信じていました。それはうれしいことです。でも私はずっと死ぬのがとても怖かったのです。でも私はびっくりしました。死ぬって、とてもすばらしいのです!」私は少しとまどって「そうですか、それはすばらしいことですね。ちょっとくわしく話してくれませんか?」とお願いしました。

私は30年ほど前に、私の大好きなトピックについて彼女と話したことがありました。私は死に関する本を沢山読んでいました。その全部を信じたわけではありませんが、何百という話を長年の間に読んだり聞いたりしていました。まあ、趣味を兼ねた研究のようなものでした。1970年代や80年代、私は他所の町に行くと必ずキリスト教書店に行き、死ぬときに人々が経験することに関する本があるかと捜しました。私たちが死ぬ日は人生で最も重要な日です。その日は必ず来るのですが、人々はあまりその事を考えません。私がその研究を通してわかったことは、多くの人が死ぬ少し前、30分とか1時間、又ある場合は数日前に、生と死の境のベールがわずかに開かれて天国を垣間見る経験をしていることであり、まわりに居合わせた家族がそれを証ししています。また、中には死んでから又生きかえって、その経験を話している人もいます。彼らの話には多くの共通点があり、殆どのものは聖書の言葉が正しいことを証明するものです。

 

マーサはそのことを憶えていました。そして「マイク、あなたの言ったことは本当だったわよ。生と死の間のベールが本当にちょっとだけ上げられる時があって、死の向こうがチラッと見えるの。2日前にはイエス様を見ました。1、2分だけだったけれど、私はそれが夢ではないことがわかったわ。主は何も言われなかったけれど部屋の隅に立って私に微笑まれました。イエス様が去ったあと、主の臨在の感覚の波が私に押し寄せてきました。2、3時間もの間、私は主に愛されているのを感じ、主への愛を感じたの。こんなに強烈な感覚を持ったのは今までなかったわ。恐れなど少しもなく、ただ喜びだけがあって、最高に平安で穏やかな気持だった。」私は「わー、すごいですね。」と言いました。

彼女は続けました。「それから私は眠ったのですが、夢を見ました。夢の中に天使が現れ、何も言わなかったけれど、又あのすばらしい愛と喜びの感覚の波が押し寄せてきて1、2時間も続いたのよ。とにかく本当にすばらしかったわ。私は死のプロセスがこんなにすばらしいものとは知らなかった。それから又数日してから、私は天使のクワイヤーが歌っているのも聞いたの。お見舞いに来た人にその話をするとみんな『マーサ、ちょっとおかしくなっているのね。』といいましたが、違うのよ。私は『いえいえ、そうではないんです。私は正気です。』と言いました。実際、私はこのすばらしい経験をすべて受けたいので、身体の痛みはあったのだけれど頭がボーっとしないように痛み止めも飲んでいなのよ。このすばらしい時を一瞬も逃したくないから。」

「2、3日毎に私はチラッとベールの向こう側が見えるのだけど、そのあと何時間も平安と喜びの至福の時をすごすのよ。マイク、本当に驚きです。死のプロセスはまったくすばらしいわ。確かに天国はもっとすばらしいと思うけれど、死がこのようなものとは知りませんでした。若い人たちにこのことを教えてくださいね。主は私をこのように生かしておられるのは、みんなにこのことを知らせるためだと思いますから。」

 

マーサは人生を信仰深く歩んで来て、沢山の友人がおりましたので、みんなに自分の体験を話しました。早く天国に行きたいと主に申し上げるのですが、主は目的をもってこの期間を伸ばしておられるのでした。

彼女の結婚生活はすばらしいものでした。ご主人はもう亡くなったのですが、40年以上の結婚生活でした。マーサは「私たちの結婚は最高だったわ。」といつも言っていました。ところが私が昨夜又電話したとき、彼女は次のように言いました。「マイク、あなたに話したいことがあります。死ぬことは結婚よりいいわよ。」私は「えっ、何ですって?」と言いましたが、彼女は、「世界中で一番すばらしい結婚をしていた私が言うのだから間違いありません。死の経験は本当に結婚よりすばらしいのです。みんなにそのことを知らせたいの。どうか今日私が天国に行けるように祈ってちょうだい。」私は「マーサ、いやいや、もう少しこちら側に留まって私に情報を沢山ください。この情報が私には必要です。」と言いました。(笑)

 

私たちはこのリアリティーをいつも思い出す必要があります。第一コリント15章にある私たちが持つ復活の希望は人生の錨であり、毎日思い起こすべきものです。

先ずパウロは「キリストは私たちの罪のために死んだ」と言っています。罪のないお方が私たちの罪の代価を支払ってくださったのです。神の法廷で私たちに罪が無いことを宣言されました。私たちの罪が処理され、負債が支払われました。

次に「キリストは三日目によみがえられました。」です。肉体を持った人が死に、よみがえりの肉体をもってよみがえられたのです。歴史上の出来事です。旧約で預言者エリアが人をよみがえらせたことがありますが、その人は何年か後にはまた死ぬのです。ですから「息を吹き返した」と言ったほうが適切でしょう。しかしイエスは完全な超自然的な肉体をもってよみがえられました。そのようなことはイエスが初めてでした。20節でパウロは「キリストは眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。」と言っています。キリストの復活はあなたにも関係が大有りです。「初穂」という言葉は、これからも多くの者がキリストと同じようによみがえることを示唆しています。信者が死んだときには瞬時にして彼の霊は主と共にあります。一瞬でもどこか途中でさまようということはありません。肉体は地面や海など、それぞれの場所で朽ちていきます。神はイエスが再臨される終りの時に、それらの朽ちた肉体が墓から再生されて出てくるように命じられるのです。

すべての信者は自分のDNAのよみがえりの身体を与えられます。それぞれが自分のDNAを持っていることは大切なポイントです。あなたは自分というアイデンティティーをもってよみがえるからです。同じ人種、性格、特徴、能力、姿などは全くあなたであり、それが完全になっているのです。ですから私たちが互いを見た時に、誰かがわかりますし、以前のことも憶えていますから、問題なく関係を続けられます。イエスが初穂となり、私たちイエスを信じる者は救いを受け,主と同じようによみがえるというすばらしい約束が与えられたのです。

 

私が読んだ数えきれないほどの死の体験談や直接本人に聞いたことで共通していることがあります。(私はすべてを信じるのではなく、聖書と一致していることだけを取り上げています。)ある人は交通事故で死んだのですが、自分が死んだことが全くわかりませんでした。「ああ、危ないところだった。」と言って起き上がり、あたりを眺めると自分の身体が地面に横たわっています。「へえー、これはどう言うことだ?私はちゃんと生きている。あそこに横たわっているのは誰だろう?僕に似てるなあ..」と彼は思ったというのです。それほど死んだ後も「自分は生きている」という感覚はリアルなのです。彼は救急隊員に助けられて息を吹き返したのですが、私たちは死んだ瞬間にキリストと同じよみがえりの身体を頂けるのです。

 

ピリピ3:21「キリストは、万物をご自身に従わせることのできる御力によって、私たちの卑しいからだを、ご自身の栄光のからだと同じすがたに変えてくださるのです。」

 

第一ヨハネ3:2、3「愛する者たち。私たちは、今すでに神の子どもです。後の状態はまだ明らかにされていません。しかし、キリストが現れたなら、私たちはキリストに似た者となることがわかっています。なぜならそのとき、私たちはキリストのありのままの姿を見るからです。キリストに対する望みをいだく者はみな、キリストが清くあられるように、自分を清くします。」

 

これが私たちの持つ望みであり、私たちが人生の様々な風に揺り動かされないようにする錨です。様々な偽りの教義の風が吹き起こってくる時、あるクリスチャンたちはその風に吹かれてしまいます。又波も起こってきます。それは困難な状況、あなたをあきらめさせ断念させようとする問題の波です。しかしそのような風や波に襲われたとき、それに負ける必要はありません。あなたには錨があるからです。少しぐらついたり揺れたりはするでしょう。しかし決して動かされないための錨があるのです。それこそが私たちが持つよみがえりの望みです。教えの風や困難の波が襲ってくるときに、「私は吹き飛ばされない、あきらめない。私はよみがえりの息子、娘であって、行くべき目的地を知っているのだから。誰に仕えているか、誰を愛しているか、誰を信頼しているか、私は知っている。私は主を知っている!」と言えるのです。ヨハネはこの望みを持つ者は自分を清めると言っています。キリストが清くあられるように、主に従う私たちも復活の望みを持ちつつ自分を清めて生きていくのです。(終り)


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