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Walk With God Ministries


23 04月

預言の言葉の適応  リック・ジョイナー   4月24日2011年


預言の言葉の適応

 

リック・ジョイナー

 

神からの啓示、あるいはヴィジテイション(主や天使の訪れ)等の超自然的な方法である場所に引っ越すように指示されたので 、又同じような超自然的啓示を受けるまではそこを去ることを拒む人たちを、私は知っています。このような人の中には、 留まるべき期間がずいぶん過ぎていることが明白な人たちもいたのですが、彼らは「もう一度超自然的な啓示をもらうまでここに留まる」と言い張りました。ある地に行くように啓示を受けたならば、そこを去るにはまた同じような啓示を受けなければならないと、どこに書いてあるのでしょうか?

 

聖書には、そして私の経験や親しい人たちの経験からしても、主は私たちを導かれるために多くの異なった方法を用いられます。主が過去に私たちを導いてくださったのと同じ方法で将来も導いてくださるであろうと思うのは、間違いかもしれないのです。この「法則」によって生きると決めてしまった人たちは、 主が今までとは違う方法で 語られたり、私たちが十分成熟して自分で何をすればよいのかわかるだろうと主が期待される故に何も語られない場合は、 主の御心を知ることができないことが往々にして起きてしまいます。

 

次の法則 principle を考慮に入れるべきです。 私たちが信仰と知恵において成長して、すべてのことに預言的啓示を必要としないことを主は通常、望んでおられるのです。どこかある場所に引っ越すようにと私たちに告げるために主が天使を遣わさねばならないとしたら、その引っ越しが重要であるのではなく、私たちの霊の耳がよく聞こえないということであるのかもしれないのです。その場所での私たちの務めが終ったときにそこから移るようにと、又もや主が天使を遣わすことを必要だとすれば、それは私たちが未だによく聞けないからであるかもしれません。

 

幼な子は絶えず指図されねば何もできません。大人になっても細かいことまで指図されねばならないとしたら、その人はまだ未熟なのです。もう一度言いますが、私たちが「ハイレベル」の啓示と呼ぶものは、必ずしもそれを受けた私たちが重要であるかとか、その任務がどれほど重要かとは関係なく、私たちが未熟で聞くことに疎いからかもしれないのです。

 

またこれも常にそうであるとは限りません。しかし、時には物事の重要性の故にそれがハイレベルの啓示で示されることがあります。つまり私が言わんとすることは、物事をパターン化したりそれが法則であると思い込む危険なあやまちから自分を守らねばならないということです。そうしないと将来私たちはつまずくことになるでしょう。 私は、その人が受けた啓示を自分自身で解釈する預言者はあまり信用しない方がよいことを今までの経験から学んできました。しかし、これを私の法則とした途端に、啓示を受けた本人が大変正しく解釈する預言者があらわれて、この法則は破られることになるでしょう。私は確かに法則を用いはしますが、それに強く固執することなく、常に新しいことにオープンであるように努めています。このバランスをとるのは難しいですが、 それ故に私たちは 主を絶えず求めるようにされますし、それこそ最も重要なことかもしれません。

 

ポリティカリィー・コレクトネス(その時の政治風潮的に見て正しいこと、その時の世間で受け入れられる正しさ)は、西洋文化の敵が、西洋に対して非常に効果的に用いていると豪語している一番大きな 欺きの覆い(ヴェール)です。しかしそれと同時に非常に大きな欺きであるのは、物事をステレオタイプ化したり、十ぱひとからげで総括的に見てしまうことです。もし私たちが主に従うならば、すべての雪の結晶 や、すべての人間を一つ一つ異なるものとして造られ、御こころを多くの異なった方法で 伝えることを好まれる神の基本的な御性質をしっかりと把握する必要があります。私たちの神は多様性を好まれます。もし私たちが主に従うならば、なにをさておきユニーク性に対しての備えがなくてはならず、私たちが人間的に案出した法則、方法、型は危険であり要注意なのです。

 

魔術とは、基本的にいえば偽りの霊の権威を用いることです。魔術や魔法は、主に従うのではなく、聖霊以外の 諸霊を用いて人を操りコントロールすることを土台としています。これはガラテヤ5章で肉の働きの一つとして挙げられていますが、その理由は初期の段階では霊というよりは肉のものとしての性質を強く持つからです。多くのクリスチャンはこのような方法を用いるという誤りに陥り、自分たちで勝手に神の目的であると思う事柄を達成するために魔術を用いてしまうのです。これに関してはまた詳しく話したいと思いますが、ある一つの型とか方式、法則を用いるのは、魔術の根本であることをよく考えねばなりません。 聖霊による私たちの歩みは、聖霊というお方に従うことが土台であり、方式に従うのではないのです。

 

もし私たちが賢明であるならば、「主は以前このようにして下さったから、この様に語られたから、次も同じようにされるだろう」と思いこむことを警戒するはずです。 私はむしろ「主は朝ごとに新しい」(哀歌3:23参照)ことをしっかり理解し悟るほうがどれほど良いかと 思います。これは主が変る方であるというのではなく、主は限りのない方であり、私たちの狭い考えに主を閉じ込めることはできないということです。 私たちが自分の型にあまりにも固まってしまうと、人との関係は退屈で面白みのないものになってしまいます。私たちの神はものすごくすばらしい方なので、主のお傍近くにいれば決して退屈などしないのです!(終り)


20 04月

東北大震災への思い   坂 達也・柚実子   2011年 4月21日


東北大震災への思い

坂 達也・柚実子

 

私たちは外国に住む者として、被災地の深刻な状況が刻々と報じられるにつれ、祈ること以外には何も出来ないことに不甲斐なさと焦りを感じて参りました。

 

そうした折に、先日突然でしたが、私たちの住むハワイに福島から15名の方が一時避難して来られました。牧師ご家族を含めて4家族、大人8名と子ども7名(12歳から4ヶ月の幼児まで)です。その方たちから現地の様子、特に原発による放射能被爆の問題の深刻さを詳しく聞くことができたことも幸いでしたが、それにも増して、僅か11日間の滞在でしたが、こちらで被災者の皆さんに多少のお世話が出来ましたことを主に心から感謝している次第です。

 

福島の放射線被爆はこれからもっと深刻になる長期戦が予想されていますが、それと同時に、最も大きな地震と津波の直撃を受けた宮城県の海岸部での被害と被災者への対応も急務のようです。

 

実は、このような状況下、ハワイにおります私たちの娘が、今回日本の被災地に働きに参ることになりました。娘は、たまたま今まで働いて来た会社を奇しくも3月11日で退職することになっておりましたが、これは主のタイミングと導きであることを強く示され、この5月中旬から仙台の近くにある日本バプテスト利府キリスト教会(松田牧人牧師)が経営する森郷キャンプ場内の CRUSHJAPAN と言うミニストリーに参加することとなりました。

 

この団体は海外からの被災地応援物資と共に外国人ボランティヤーが今大勢来ており、その物流と人流の配送と割り振りのアレンジをしているそうです。その仕事のために少し長期に滞在出来るバイリンガルの働き手を求めていることが分かり、娘はこれに応募した次第です。

この宮城県利府町は釜石の近くにあって最も被害を受けた地区の一つです。

 

就きましては、未だ娘が着任する前ですが、松田牧師より下記の物資が目下必要であるとのことで、具体的なリストを送ってこられましたので、もしご支援いただける方がおられましたら、少しでも結構ですので、品物を宅急便等でお送りいただければ幸いと思いご一報申し上げます。どうぞよろしくお願い致します。

 

1)今、特に現地一帯で不足しているのは乾電池で、どのタイプも必要ですが、特に単1、単2のタイプが手に入りにくいそうです。

2)その他の支援物資として、バケツ、モップ、デッキブラシ、雑巾、長靴、ゴム手袋、箱ティッシュ、下着(男性用、女性用)、バスタオル、水 等をお願いできればとのことです。

 

送り先は 宮城県宮城郡利府町森郷字惣ノ関北56−2 森郷キャンプ場気付

CRASHJAPAN  坂 亜里子 宛

 

私たち夫婦も出来るだけ早い機会に現地を訪ねるつもりです。このミニストリーのためにどうぞよろしくお祈り下さい。尚、ご質問があれば、私たちの方にメールでお問い合わせ下さい。

坂 達也・柚実子


15 04月

リック・ジョイナー「世界が変わった日」への追記


一昨日リック・ジョイナー師の「世界が変わった日」の訳文を掲載しましたが、その翌日、彼は再び日本の地震の預言に触れています。それによれば、ボブ・ジョーンズ師と共にジム・ベーカー師も、これから東京にもう一つ大きな地震が確実に起こることを預言しているそうです。

東京に大きな地震が来ることは、このところ多くの地震専門家も警告しておりますが、この預言を念のため追記致します。坂 達也


13 04月

世界が変った日  リック・ジョイナー  4月14日2011年


 

世界が変った日

 

リック・ジョイナー


歴史の中で世界の流れを変えてしまう曲がり角となる決定的なポイントがあります。2011年3月11日はそのような日として人々に記憶されるでしょう。日本を揺るがした9.0の地震は、日本列島全体を8フィート移動させ、又、 一日の長さを変えるほどに地球軸を動かしてしまいました。それは私たちが気がつかないほどの小さな変化であるかもしれませんが、地球軸のシフトはどれだけ些少であっても大きな影響を与える可能性を秘めています。又、この地震や津波、また原発事故による社会的経済的影響においても同じことが言えるでしょう。

日本に最大級の地震が来るという預言を、ボブ・ジョーンズ師から私が初めて聞いたのは22年前でした。彼はその地震によって世界が激変し、大異変が起こり始めると預言しました。これまで何千人という人々が、ボブが地震やその他の自然災害を驚くべき正確さで預言するのを聞いてきました。その中でも最も衝撃的だったのは、サンフランシスコに起こった地震のことでした。その地震は北カリフォルニアの中心部で起こるが、そこはサンフランシスコよりは南であることをボブは予見しました。そしてそれはリヒター・スケールの震度7.0であること、橋が危険であること、「世界がそれを目撃する」ことを予見しました。この地震は秋に起こったのですが、ボブはその前の数ヶ月間、カンファレンスや教会でそれを話しました。地震はその年の野球のワールド・シリーズの第一回戦の時に起こりましたが、その試合はサンフランシスコで行われており、160カ国に同時中継されていましたので、世界中の人々が放送を通して地震を目撃することとなり、ボブが預言したことはすべて正確に成就されたのでした。

この地震の次に南カリフォルニアで起こった地震については、多くの預言的な人々が主から啓示を受けていました。 そしてそれはその次にやがて来るもっと大きな地震の前の主からの警告であることも知らされていました。私たちはこのことを南カリフォルニアの多くの教会やカンファレンスで話しました。 その地震が起こったとき、 教会でさえもそのメッセージを軽く受け取り、カリフォルニア人は何が来ようと対処できるのだと誇っている人たちさえいたのには驚かされました。私たちは地震か起こることをはっきりと預言し、その預言は多くの細部において正確であったにも拘わらず、その警告を聞いた人々に(その中には非常に熱心なクリスチャンもいたのですが)ほとんど全くと言っていいほど危機感を与えていなかったように感じたのでした。

 

その地域で最も著名なクリスチャンリーダーの一人である方が、次に来るであろう巨大地震を遅らせる、又は軽減させるためには何が出来るのかという質問をされたのですが、そのとき私に主からの「知恵の言葉」が与えられました。それは、十戒の中で唯一約束を伴っているものは、私たちの父と母を敬えというものであり、その約束は「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」というものです。(エペソ6:3参照) 私たちがこの戒めを果たすことが出来る一つの道、方法は、イスラエルがとった方法であり、それは即ち父祖が掘った井戸から水を飲むということです。霊的に言うならば、父祖の教えを実行するということです。このことを私がパサディナで話したとき、ルー・イングル師がそれを取り上げ、それについて本を著し、「The Call」というムーブメントを通して非常に驚くべきすばらしい方法で、このメッセージを国中に広めてくました。

 

それは効果があったのでしょうか? ルーを始めとする多くの人々の働きは、私たちに今まで(大地震が来るまでの)時間の余裕を与えてくれたと私は思います。多くの人たちが次に来ようとしている巨大地震に関する啓示を受け、多くの人たちが大地震を予期していました。しかしボブ・ジョーンズ師は 日本の大地震を予見し、それが起こるまではカリフォルニアの大地震は絶対に起こらないと確信をもって言っていました。神戸に大地震が起きたときも、ボブにはそれが自分が見た大地震ではないことがはっきりと分かりました。日本に9.0の地震、津波、原発事故が起きた後、日曜日の礼拝にボブが現れたとき、私は直ちに「これがそうか?」と彼に聞きました。彼は「これがどういうことを意味するのか、わかるでしょう。」と言いましたが、その時ほど深刻な彼の顔を私は今まで見たことがありませんでした。

 

それは何を意味するのか?

 

これは全世界に大きな変動をもたらす転換のポイントであり、経済の究極的崩壊をも引き起こすものです。これはまた、アメリカの西海岸に大地震が起こることを意味しています。勿論、西海岸のどこで、いつ、大地震が起こるのかは重要な問題です。ボブはそれが起こる「時」に関しては示されていませんでしたが、日本の大地震がまず起こり、その後に来ることだけは知らされていました。ですから、いまはもう起こりうるのです。しかし、それは直ちに起こることを必ずしも意味するものでもありません。今日起こるかもしれませんし、あと数年後かもしれません。 警告を聞いて引っ越しをする人たちが秩序よく動けるように時が延ばされることを私たちは祈っています。

地震が起きる場所(震源地であっても)に住むすべての人が引っ越しをするべきだということではありません。ある人々はそこに留まり、起ころうとしていうる大災害の中で用いられるようにと神から招集されるかもしれません。これまで私たちは、西海岸を離れるべきかどうかを訊ねてくる人に対して、神から指示を受けるまでは動かないようにと助言してきました。しかし今からは、神から留まるようにという言葉を受けない限り西海岸を離れるようにと勧め始めました。

これまでは「経済的メルトダウン崩壊を避けるために必要な改革が出来る悟りと知恵と勇気のあるリーダーを起してください」と、私は祈ってきました。しかし、今は「避けることができなくなった事態の中を導くことが出来る悟りと知恵と勇気を持つリーダーを起してください」と、祈っています。


預言というものの特徴

 

第一コリント13章で言われているように、私たちが見るところは一部分であり、私たちの知っているところも、預言することも一部分でしかありません。全体像が分かるものは一人もいません。全体像を得るためには、すべての部分を集めねばなりません。アモス3:7に「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ(servants)、預言者たち(prophets)に示さないでは、何事もなさらない。」とあるように、このような場合は必ず預言者という言葉は複数で書かれています。決して一人の預言者、または一つの預言的ムーブメントによって啓示の全体像、は見えないのです。これが私たちが互いを必要としている 大きな理由です。

アメリカ西海岸にやってくる大地震に関して、様々な面を示された 預言的賜物を持つ多くの人々を私たちは知っています。現時点で地震が起こる「時」については、私が信頼できるものを持っている人は誰もいません。私たちは多くの地震に関する預言を集めて、皆さんにお知らせすべき重要なものはこれからこのコラム(Special Bulletins)に載せたいと思います。

箴言4:18に「義人の道は、あけぼのの光のようだ。いよいよ輝きを増して真昼となる。」とあります。私たちが歩み始めるとき、必要に応じて更なる知識と洞察を主は与えてくださるのです。私も現時点で分かっていることだけをお話ししています。


経済崩壊(メルトダウン)で何が起こるか?

 

多くのことが起こるでしょう。しかし 起こらないことが一つだけあります。世の終りは起こりません。そして又、自由国家としてのアメリカが崩壊して終焉する必然性は必ずしもないのです。この メルトダウンから、より強くより良い国家として立ち上がり、経済的にもより強くより良くなることも可能なのです。しかしながら、 これから辿るべき道を選んでいくのが非常に困難な、今までになかったような危険な事態に私たちは突入しているのは確実です。国の正しいリーダーシップと正しい決意なしには(それは神の恵みによってのみ得られるものですが)、アメリカも恐ろしい圧政へと陥ってしまう可能性があるのです。

 

この経済的メルトダウンで起こるであろうと私が確信している2つのことがあります。一つはドルの価値があまりにも下がるので、物の支払いの役目をなさず、一時的に物々交換がそれに取って代わることです。もう一つは銀行が閉鎖され預金の引き出しが出来なくなる時期があるということです。 ドルが価値をなくしたならば、銀行に預けてあるお金をわざわざ引き出す意味もありませんから、この二つは同じ時期には起こらないように思えます。貸金庫の中にしまった高価なものが出せないということなのかもわかりません。

 

恐ろしい惑わし

 

第二テモテ4:3-4で私たちは非常に厳しい警告を与えられています。「というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分のために寄せ集め、真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。」

 

アメリカのクリスチャンの一番大きな弱点は、すべての否定的、ネガティブと思えることに耳を塞ぐようになってしまっていることです。彼らは上記の預言を成就する者になってしまったのです。この惑わしのためにすでに大きな代価を払い、恐ろしい結果を招いた者も沢山います。私たちは、どのようなことが起こっても、主にある揺るぎない平安と喜びが与えられる確実な希望を持つことが出来ます。しかしたとえそうではあっても、非常に困難な時を私たちは迎えようとしていて、賢いものだけがその中にあっても整えられ勝利することが出来るのです。最も賢い者たちにとっては、実際、最も繁栄する時となる可能性もあるのです。賢者は人々の魂を勝ち取ります。それが第二テモテの次の節に書かれていることです。「しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。」

 

これからは今までになかったほどの最も大いなる収穫の時となるのです。私たちは目に見えることがら(the natural)ではなり、それよりもずっと深く霊のもの(the spiritual)の準備をする必要があります。自分のためにだけ蓄えるのではなく、何が起ころうともその中で地の塩、世の光として召されたものとして、何をすればよいのかを考えねばなりません。

私たちは変らねばなりません。この国は堅固な経済的基礎となる支柱を土台としてきましたが、その多くが放棄されてしまいました。それにより私たちは非常に危険な崖っぷちに 長い間追いやられていました。残念ながら国のリーダーの間には、崖っぷちから安全な所へと戻るために必要な、難しい、けれども絶対に不可欠な決断を下すための強さも決意もありませんでした。

日本の大地震が起こる以前から、過去20年間低迷していた日本経済が、もはや耐えきれずに崖から落ちてしまうのではないかという恐れが起こり始めていました。もし日本がそうなれば他の危い国々も落ちしまうのです。しかもこの危機的状況は大地震、津波、原発事故が起こる前からあったのです。

聖書が明確に言っていることですが、祈りと悔い改めによりこれらのことは避け得るのです。一つの例として、ニネベはヨナが彼らの運命を預言した後に滅亡から救われました。私たちは今まで何年も、覚醒と悔い改めが起こり、惨事が避けられるようにと 祈ってきました。しかし、日本に大地震が起き、もうアメリカでも大地震が起こることは避けられないことを知りました。ですから、 これまで私たちは惨事を避けるためにアメリカの教会が目を覚ますようにと働いてきましたが、これからは、神の民が惨事を迎える準備が出来るように助ける働きに方針を変えました。私たちは彼らを通して神のあわれみと恵みがあるようにと祈り続けることは出来ます。主は裁きよりもあわれみを好まれます。しかし裁きが避けられないときがあります。そして私たちは今その境界線を越えてしまったのです。


裁きはあわれみである

 

神による裁きの数々の例が聖書の中に書かれていますが、そのうち断罪宣告(condemnation)はただ一つであり、滅亡させた(destruction)のもただ一回です。それ他はすべて愛する者への主の訓戒です。もし何の訓戒もないとしたならば、その方が私たちにはもっと恐ろしいことです。私たちの国に来ようとしている訓戒は、主が私たちを愛されているからこそなのです。第一コリント11:31には「しかし、もし私たちが自分をさばくなら、さばかれることはありません。」とあります。このほうがもっとよいですし、主は私たちがそうするための時を沢山与えてくださっていました。けれども今、私たちは主の助けが本当に必要です。

 

正しい(義の)道

 

先に箴言418で見たように、もし私たちが義しい道を歩むならば、私たちの人生はますます輝きを増すのです。これは 試煉が全くないということではなく、試煉を明確に認識し、どちらに歩めばよいかを明るい光によって見定めることが出来るということです。これは状況のいかんに拘わらず義の道を歩む者に言えることです。もしあなたの人生でこのようなことが起こっていないならば、あなたはどこかで曲がるべき角を見過ごしてしまったのです。間違った道が義の道につながるということは、主にあって決してありません。もし曲がり角を見落としたのならば、そこまで引き返して義しい道にもどるしかありません。それが「悔い改め」と呼ばれることです。

これから起こるすべての事態の中を、私たちは 恐れによって支配されるのではなく、信仰によって生きていかねばなりません。未熟で不安定な人は、どんな警告にも恐れを抱いてしまいますし、それは仕方のないことです。 ある人たちは、自分には信仰があり、信じているから悪いことなど一つも起こらないと思っています。そのような人々の意見に左右されてはなりません。

 

アメリカを始め多くの国が健全な原則から離れてしまっています。健全な経済政策からも離れていて、もはや維持していくことができなくなっています。間違ったやり方を経済崩壊の前に正していればもっとたやすく是正することが出来たでしょう。しかし今や私たちは大きな困難、問題の最中にいてその仕事をしていかねばなりません。しかしそれは不可能ではありません。アメリカにはまだ成就されていないデスティニー(神からの使命)があります。神は私たちに匙を投げたのではありません。しかし、私たちは今まで進んできた方向のままに進むことは、最早してはならないのです。


これから回復させていかなければならない経済復興は一挙には起こらないかもしれません。それが起こっていることも直ぐには顕れないかもしれません。このところ、リーダーたちは私たちが置かれている本当の状況を隠すことが巧みになってきています。 その状況の中で困った人たちが、逃げ道を探すまでパニックにならないようにと、よかれと思って真実を隠しているだけかもしれません。或いは、自分たちも 本当には状況を把握していない故に、真実をごまかしているのかもわかりません。

 

いずれにせよ、世界経済で起こっていることは、日本の政府が原発事故の危機に対処しようとしているやり方にあまりにも似ているように思えます。日本政府が発表することと、実際に計器が指し示す数値が食い違っているのです。一つの火をなんとか消したと 思うと、それよりもっと悪質な火が燃え始めるようです。メルトダウンは続いており、政府が報告するよりも事実はずっと悪い状態であることが判明するということが続いています。

 

もう一度申し上げますが、私は牧師、又見張り人として、今までの方針を変えました。今までは国のリーダーたちが必要な変革をするようにと祈り、とりなしてきましたが、今は この不可避となった経済崩壊に神の民が備えられるように助けをすることが私の方針となりました。どのように備えたらいいのでしょうか?


危機の機会

 

中国語の危機という言葉は機会という言葉と同じであるということは注目に値します。これは今までになかったような最も大きな機会かもしれないのです。ダニエル2章に見るように、この世の王国を表す像が崩れ始めた時、像の足に当たった小さな石は大きな山となりました。山というのは聖書の中では国を治める機関を表している時が多いのです。その石はどんどん大きくなりやがて全土に満ちました。主が御自分の民に2千年の間祈るようにと言われた「神の御国」も又、必ず起こるのです。それは必ず来るものであり、私たちは今、御国で生きることができるのです。

 

この世の多くの政府が崩れるとき、神の政府、統治がますます明らかに顕れてきます。この世の経済が崩れるとき、神の経済がますます顕れます。神の御国、王国は「王なる主」が戻られるまでは完全には成就しませんが、主が戻られるまで主の民のために与えられた仕事は、 来るべき神の御国の福音(即ち良い知らせ、ニュース)を宣べ伝えることです。私たちは悪いものではない「良い知らせ」を持っているのであり、それを人々に分け与えることが出来るのです。

 

イザヤ40章で、私たちは大路を作り、御国を来らせるための道を整えるようにと命じられています。この大路は神の御国が通る道です。この大路は山や丘を低くし、谷や低地を高くして作られます。40章全体が現在世界の国々で繰り広げられていること表すよいパノラマです。

 

イスラエルがバビロ二ヤに捕囚されたとき、主はエレミヤを通して驚くべき勧めをされました。

「イスラエルの神、万軍の主は、こう仰せられる。『エルサレムからバビロンへわたしが引いて行かせたすべての捕囚の民に。家を建てて住みつき、畑を作って、その実を食べよ。妻をめとって、息子、娘を生み、あなたがたの息子に妻をめとり、娘には夫を与えて、息子、娘を産ませ、そこでふえよ。減ってはならない。わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから。』」エレミヤ294-7

 

ある意味で、この世の国家の市民である私たちクリスチャンは、神の御国が到来しあがなわれるのを待ち望む捕囚の民と同じである、ということができます。私たちが住むように言われた国家での繁栄を願い、イスラエルに告げられたようにその地で根を張るのは正しいことです。しかしそれと同時に、神の民は多くの点において特殊な聖別された民であり、バビロンの不道徳や性的倒錯、偶像礼拝で汚されてはなりませんでした。

 

捕囚の民は、 選ばれた民として神の目的を果たすために、神が与えられた律法、教えを遵守しなければなりませんでした。これはクリスチャンも同じなのです。自分の住む国の一部となりその繁栄を求め、また、自分の家、家族を立て上げても、御国の基本的教えをおろそかにしては絶対にならないのです。

 

御国の経済原則に従って生活して来た人は、揺るがない御国の上に人生を建てていたので、すべてのものが崩れるときでも彼らは揺るがされません。もし私たちがこの事に関して今まで主に従わず、御国の原則ではなく愚かにもこの世の原則に従って財をなしてきたとしても、まだ希望はあります。私たちは悔い改め、赦され、正しい土台へと回復されることが出来るのです。これは私たちが苦しまないとか、間違った土台の上に建てたものを失わないとかを意味するのではありませんが、私たちは回復されて正しい土台の上に建て直すことができるのです。これは個人的にも、また国家としても出来ることです。

経済的メルトダウンで何が起こるのでしょうか? それはヘブル1225―29で明確に述べられています。

「語っておられる方を拒まないように注意しなさい。なぜなら、地上においても、警告を与えた方を拒んだ彼らが処罰を免れることができなかったとすれば、まして天から語っておられる方に背を向ける私たちが、処罰を免れることができないのは当然ではありませんか。あのときは、その声が地を揺り動かしましたが、このたびは約束をもって、こう言われます。『わたしは、もう一度、地だけではなく、天も揺り動かす。』この『もう一度』ということばは、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての造られた、揺り動かされるものが取り除かれることを示しています。こういうわけで、私たちは揺り動かされない御国を受けているのですから、感謝しようではありませんか。こうして私たちは、慎みと恐れとをもって、神に喜ばれるように奉仕をすることができるのです。私たちの神は焼き尽くす火です。」

 

来るべき経済的メルトダウンにより、 御国の原則(これは揺る動かされることがない)の上に建てられていないすべてのものは取り去られるでしょう。かつてはアメリカの建国の原則や自由経済のシステムの多くは、御国の原則でした。私たちは国家としてそこに立ち返らねばなりませんし、また個人的にも立ち返らねばなりません。

 

詩編8914「義と公正は、あなたの王座の基。」と書かれています。義とは神の目に義しいことを行うことです。神の公正、正義は、たとえどのような立場、地位であっても、すべての人を一つの基準で公平に正当に取り扱うことです。この基本的な真理に忠実であったことが、アメリカが史上最高の経済を築き上げるための推進力となりました。そしてこの基本的真理から離れてしまったことが、今私たちが国家として直面しているすべての大きな問題の原因なのです。私たちは国家的悔い改めをする必要があるのです。

 

砂の上ではなく岩の上に家を建てよ、という主の教えの中で、今私たちが置かれている状況の中で極めて重要なことが幾つかあります。まず第一に、嵐は両方の家を襲いましたが、岩の上に建てられた家だけが残りました。嵐はやってきますが、私たちがしっかり建てているならば倒れないのです。

 

岩の上に建てるためには、私たちは主の言葉を聞き、その言葉に従わねばなりません。他の箇所で言われているように、主の言葉を聞いてもそれに従わないならば、もっと厳しい裁きを受けるのです。私はクリスチャンなって40年になりますが、回心したときからすでに現在私たちが置かれているときに対する警告を聞いていたのです。主は大声で、はっきりと何度も語られました。多くの者がそれを聞きましたが、全員が従ったのではなかったと思います。多くの点で私自身も同じでしたし、その不従順のために私は代価を払ってきました。

 

そうであっても、そういう場合はいつでもへりくだり、悔い改め、隠したり言い訳を言ったりしなかったので、主の恵みを豊かに受けることができました。私は破産をして、何年もかけて苦労して築いたもののほとんどすべてを失いましたが、2年後には以前よりもよい状態になることができました。

主の恵みは、 個人にも国家にも、今も受けることができます。私たちはこれから確かに損害を受け、困難を経験する中を通ることを覚悟すべきです。でも、もし私たちが悔い改め、罪から遠ざかり、主に従順に生きることを決意するならば、前よりもよい状態になることを期待していいのです。ロ―マ1417で私たちは次のように保証されています。

「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」

回復はこれと同じ順番で起こります。即ち、私たちが義を行うと、真の平安が訪れ、次に真の喜びがそれに続いて起こるのです。

 

あなたが真の平安を知ってからどのくらい経ちましたか? 真の喜びはどうでしょうか? これらはあなたの将来にやってきます。今こそ私たちの心と思いで主に従うことを決意し、主に従順でなかったすべてのことを悔い改めて正す時です。もし私たちが神の御国に住みたいのであれば、揺り動かされることのないものの上に私たちの人生を建て上げ、地上にくるどのような嵐にも耐えることが出来るようにせねばなりません。そのためにはマタイ633―34で与えられている御国の鍵によって生きるように決意しなければなりません。

「だから、神の国とその義を先ず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。」

御国のために主があなたに望んでおられることを求めないで、自分が望むからとか他人が願ったからという理由で、大きな決断をしたことによって現在間違った場所で生活したり、働いたり、教会に行ったりしているクリスチャンがいます。神の御国をまず第一に求めるとは、ときどき主の導きを求めて熱心に祈り、その後すぐに自分のしたいことをするという安易なものではありません。主を見つけ出すまで主を求めることが必要なのです。主を見出すのに思ったより時間がかかるとすれば、それは私たちが今までに主からずいぶん遠くまで離れてしまっていたからかもしれません。

 

主の御こころに従うためには、今こそどんなことでもする時です。急いでそうしようとしない者は、時を遅らすにつれ、ますます大きな代価を払わねばならなくなります。一方、御心に従って生きる者は、時が経つにつれ、ますます平安と喜びが増し加えられるでしょう。(終わり)