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Walk With God Ministries

12 02月

自分のはかりごとをとりこにする フランシス・フランジペイン     2019年2月12日


自分のはかりごとをとりこにする

 

フランシス・フランジペイン

 

 

 クリスチャンであることで私たちは安心していますが、だからといって私たちが完全な者になったわけではありません。私たちのうちにはまだ多くの霊的要塞があるのです。

それらはどのような要塞であるのかを調べてみましょう。

要塞を一つも持たないクリスチャンはまれです。多くのクリスチャンは、次のような霊的要塞を持っています。ー 不信仰、冷めた愛、恐れ、プライド、不寛容、情欲、欲望等々です。

私たちは自分に対しては非常に寛容で、人生を圧迫している自分の中の要塞をはっきり見極め認めるのが非常に難しいのです。つまるところ、これらの要塞とは、かたくなな自分の思い、考え、態度、物の見方であり、私たちは自分を正当化し自己防衛するのと同じ烈しさで、この要塞を正当化し防衛しようとします。

 

箴言23:7を意訳すれば「人がその心で思うことこそ、その人の本質である。」という意味です。つまり、私たちがどのような人間であるかという本質は、私たちの思考の中にあるのです。

ですからどのような要塞であれ、真にそこから解放されるためには、まず正直に「自分は解放される必要がある」ことを認め、それを告白せねばなりません。「万事巧くいっています、大丈夫です」というふりはやめねばなりません。

へりくだって助けを求めてください。実際のところ、神があなたからまず取り除かねばならないのは「プライド」という要塞です。自分はデリバランス(解放)が必要であることをすすんで認めるまでは、あなたが解放されることは決してありません。

 

私たちのどこが悪いのかをはっきり認識するためには、まず「神が意図された人間のあるべき姿」を知る必要があります。ダビデが有頂天の高みから、或いはヨブが苦しみのどん底から、そして私たちがこの二人の間のあらゆる地点で発した問いは「人とは一体何者か?」という昔から言い古された質問でした。ヘブル書の著者も同じ問いをしましたが、御霊の助けにより次のように答えています。

ーーイエス・キリストこそ、 新しく造られた人間に対して神が望まれる姿のモデルです。イエスは単に私たちの救い主であるばかりか、私たちのうちに住まわれて、私たち、栄光ある多くの子たちを長子であるご自分と同じ姿に形造ってくださるのです。

「神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者イエスキリストを、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。」(ヘブル2:10)

「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。なぜなら、神はあらかじめ知っておられる人々を、御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。」(ローマ8:28−29)

「またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造りだされた、新しい人を身に着るべきことでした。」(エペソ4:23)

 

しかしそれと同時に、「イエスのようになれるのは、イエスだけである」ことを私たちはしっかり認識する必要があります。そうなるためには、私たちがますます主に服従し、主の内に住まい、主のことばが私たちの内に住まうならば、主は私たちのうちに単に「主のいのちに似たいのち」を現してくださるのではなく、「主のいのちそのもの」を現してくださるのです!

 

キリストご自身が私たちの内に住まわれるということこそ神の永遠の目的の成就であり、それは即ち、「人をキリストの姿に創造する」ということです。この「主イエスの臨在が私たちの内に現われ出る」ことが、要塞を打ち砕く私たちの宣言に権威を与え、戦いを力強いものとするのです。

 

ですから、あなたの内に「イエスの姿に見習わず、イエスの教えに従わない考え、思い、態度」があるならば、それらを客観的に考察することを学ばねばなりません。あなたはそのような思考をとりこにし、間違った態度を十字架につけねばなりません。

 

私たちは、自分の内に主の来られる道を備えねばなりません。 あなたはただ「主を信じる believe in Him」だけではなく、「主が信じるように信じる believe like Him」まで主の御霊の中に入り一つにならねばなりません。そのためにあなたの上に主の統治、主の主権が増し加わることを願ってください。拒んではなりません。 その時、主の愛、思い、考え、願いがあなたの内から流れ出るようになるのです。

 

あなたがサタンの要塞を明確に見分けてそれを打ち砕こうとするときに、まず壊滅すべき二つ目の要塞 は「不信仰」 です。

I

「キリストと同じ姿になるなんて、私には絶対不可能だ」という偽りの思いを吹き込むのが敵の策略であり、それによってあなたのすべての霊的成長がとりこにされてしまいます。サタンの嘘や心を縛り付ける鎖を、私たちは自分の人生から除き去らねばなりません。

 

ですから、今この時にあなたの霊のうちに祈り始めてください。 あなたの心に聖霊を立ち上がらせあふれさせてください。もしあなたが「おまえは絶対にキリストのようにはなれない」と告げる要塞に苦しめられているならば、今それは打ち壊され始めます。

 

祈りましょう。

主イエスよ、あなたに服従いたします。「私たちは肉にあって歩んではいても、肉に従って戦ってはいません。私たちの戦いの武器は、肉の物ではなく、神の御前で、要塞をも破るほどに力あるものです。」(第2コリント10:3−4)

 

「私はイエスのようには絶対なれない」という偽りを、自分の罪の言い訳にし、又、自分の信念を妥協させるために用いたことを悔い改めます。

私は自分の弱く罪深い古い性質を、イエスの御名によって断ち切ります。そして神の恵みと御霊の力により、私の思いの中に存在している不信仰の要塞を打ち砕きます。

イエス・キリストの完全な生け贄の故に、私は新しく創造された者です。そして私は栄光から栄光へと進むことを信じます。神と共に歩くとき、私はキリストの姿へとますます変えられていきます。(終り)


04 02月

最近のヘンリーグルーバー師についてのご報告            坂  達 也  2019年2月4日


最近のヘンリーグルーバー師についてのご報告

 

                   坂  達 也

 

 

 ヘンリー師は、10日ほど前の、1月23日にサンフランシスコから韓国に向かって飛び立たちました。今頃は韓国から沖縄に向かい、沖縄でミニストリーをされているかと思います。韓国に真っ先に行かれたのは、昨年に続き医師(団)によるその後の状態の診察を受けるのが主目的ということでした。

 

 私が最後に師とお話ししたのは、出発の数日前の1月18日頃でしたが、その前に話した時(多分昨年の年末ごろでした)とはうって変わって、師は喜びに満ちた溌剌とした声で、再びアジア各地にミニストリーに出ることを大変喜んでおられました。昨年韓国で手術を強く勧められたのを断り、今は日本のキノコの粉末とエキスを飲んでいて、値段は非常に高いが効果はあると言っておられ、私が驚いたのは、痛みが全くないことでした。ハレルヤ!通常であれば周りに転移状態の末期ガンは背骨等を冒し、かなりの痛みがあるはずと聞いていたからです。今回は沖縄の後、台湾に行き、確かその後に日本本土に戻ってくるとのことでした。ぜひお祈りください。

尚、昨年私たちが来日時に師への献金をお預かりして帰国しましたが、その分は師に郵送させていただきました。もしヘンリー師に献金をご希望される方は、ぜひ私たちのWWGMの方へその旨を書かれて御送金ください。それをまとめて、私たちの方から師にお送りさせていただきます。それではよろしくお願いします。

 

 以下は英文の手紙で、ヘンリー師の家族が出したお礼を込めたニュースレターを訳したものですが、少々遅れて私たちのところにも送られて来たものです。どうぞご覧ください。あるいは既に森先生等から聞かれた方もおられるかと思います。

 

 

感謝のことば         ヘンリー・グルーバー

 

 主に愛されている皆様に、麗しく尊い主イエス・キリストの御名によってご挨拶申し上げます。

 

私と妻、そして家族にとって去年は非常に厳しい時でしたが、皆様が共に堅く立ち共に戦ってくださったことをまず心から感謝いたします。私の愛する妻が生死の戦いをしているときに、私自身も同じ戦いをすることになるとは思ってもいませんでした。私も妻もその戦いは非常に烈しいものでした。そして私の愛する妻ジュディスは、8月に天の家に召されて行きました。私の嘆願を主は受け入れてくださり、私はその時妻の傍らにいることができました。妻は私の腕の中で、2018年8月14日午前12時10分に、本当にやすらかに天に召されました。

 

皆様のお祈りととりなしは、私たちを高く引き揚げ、まるで天の翼に乗っているかのようであり、私たちはこよない平安と安らぎと愛で満たされましたことをお伝えいたします。その喜びと感謝は愛する者を失った痛みを凌駕し、毎日を勝利で進んで行く力を与えてくれています。皆様お一人お一人に心から感謝を申し上げます。

 

私たちの経済的必要にも豊かに答えてくださったことも感謝いたします。ジュディスの医療費、ホスピス代、葬儀のための費用と共に、私の医療費も多くかかりました。

病気のために私は4月から12月まで集会は2回しか持つことができなかったのですが、すべての必要は十二分に満たされました。皆様が喜んで愛をもって尊い献金や励ましの言葉を送ってくださり、私たちの心は感謝で一杯です。皆様に祝福がありますように!

 

2019年について主が私に語ってくださっていることを少しお分ちさせてください。私の家族がいろいろな困難に直面したように、皆様の多くもいろいろな試煉にあわれたことを私は知っております。

 

第一ペテロ5:9b−11「ご承知のように、世にあるあなたがたの兄弟である人人は同じ苦しみを通って来たのです。あらゆる恵みに満ちた神、すなわち、あなたがたをキリストにあってその栄光の中に招き入れてくださる神ご自身が、あなたがたをしばらくの苦しみのあとで完全にし、堅く立たせ、強くし、不動の者としてくださいます。どうか、神のご支配が世々限りなくありますように。アーメン。」

 

今年も又、 予断を許さない混沌とした世界状勢に私たちは面しています。キリストのからだの中では、繁栄の預言や

地上で神の力ある御業が解き放たれるという多くの預言が

語られています。(そして私もまたそれを叫び求めていることを主はご存知です!)しかしながら、私はこのところ神の御ことば、特にエペソ人への手紙で使徒パウロが繰り返し言っている言葉を黙想するときに感動させられています。

 

エペソ1:5−6、8−9

「神は、ただみこころのままに、私たちをイエス・キリストによってご自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定めておられたのです。それは、神がその愛する方によって私たちに与えてくださった恵みの栄光が、ほめたたえられるためです。...神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって...」

 

ここに「ただみこころのままに according to His good pleasure ( 主のよき喜びに従って)」とあります。

どうかこの言葉に目を留めてください。今年はこの言葉を毎日黙想し、私たちの心と魂が再びはっきりとこの真理を理解するようにと祈ります。

 

今私たちはあまりにもメディアによって「自分に心地よいこと」を求めるようにと洗脳されてしまっています。

私たちは「自分が喜び楽しむために何を一番求めているだろうか? 私は日常生活や思いの中の何から喜びを得ているだろうか?何が私の気持を満足させるだろうか?」と自分に問うてみる必要があるのではないでしょうか。私たちはこのようなことから魂の糧と平安を得て、自分の価値を見出だすからです。

 

そして、私たちは今一度、父なる神のこころから流れる親しい交わりについて考えてみようではありませんか。御父の御こころが望まれ喜ばれることは何でしょうか。

次の箇所にそれが書かれていると思います。

 

第一ヨハネ4:16「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人のうちにおられます。」

 

雅歌8:6「私を封印のようにあなたの心臓の上に、封印のようにあなたの腕につけてください。愛は死のように強いからです。」

 

私の「天国の六時間」というあかしの中で、天国がどのようなところかを表した言葉を覚えておられるでしょうか。それは「天国では、すべてのものは仕えることを愛し、愛する故に仕えている。」です。神が最も喜ばれることは何でしょうか。それは「御こころが天で行われるように、地でも行われますように」です!

 

すべての国のクリスチャンはこの祈りを祈っています!

今年はこのことをしっかりと捉えましょう。それによって、神の御国が到来し、御心が天で行われるように地でも行われるようになるのです。

愛はすべてを覆うのです。

 

2019年が、 尊い救い主と天の御父に最大の喜びをもたらすことができますようにと祈ります。

 

イエスの御名において  ヘンリー・グルーバー


28 01月

神のフェイバー(特別な厚意) グラハム・クック 2019年1月29日


神のフェイバー(特別な厚意)

 

グラハム・クック

 

 

今回は「神のフェイバーは、私が今置かれる状況の中で、私の益のためにどのように働くのか」を考えてみたいと思います。

まず「神からフェイバーを受けている」とは、「神にお願いすることが許されていて、神に求めることができ、ドアが開かれるように叩くことができる」ということです。そして、キリストにあって神の約束はすべて「YesでありAmen」である故に、あなたの求めに対する神の答えは、必ず「Yes」であると確信することができます。これを忘れないでください。

 

又、「神からフェイバーを受けている」とは、「神は あなたの人生に深く介入することをとても喜んでおられる」ということです。

なぜならば私たちがもっと大きな夢を抱くように神は教えたくてたまらないからです。

神があなたに抱く願望を、あなたの霊がキャッチするならば、あなたの心は大きく広がるのです。

 

ですから 「神は私の味方であり、私と共におられ、すばらしい結末をすでに計画されておられ、その計画を見出すのは私たちにとってとてもうれしく喜ばしいことである。」というのが私たちの出発点です。確かに色々な問題、困難は起きてくるでしょう。しかし、神とあなたによって対処できないことなど一つもないのです。

 

神と私たちの関係は、神がまずあなたの心の中に働きかけてくださり、次にそこで起こることをあなたの思考の内に引き入れてくださるのです。

 

あなたはまず、 神のあなたへの愛情に自分自身を繋げるのです。神は意図的にあなたをすごく贔屓(ひいき)していることをいつも心に留めておいてください。

 

あなたは神の大のお気に入りであり、神があなたに与えようとしている有利な立場を今まさに受け取ろうとしているのです。

 

ですから、今 神のフィエバーの中にゆっくりと安息し、リラックスすることが大切です。それは必ず起こります。

そして神のフェイバーを得ているという確信は、あなたを安息、平安、喜びへと導きます。

 

ですから今、深く息を吸ってください。もしも心配していたり、パニックになっていたり、自分に否定的な思いを抱いているならば、あなたは学ぶことも受け取ることも出来ません。神は常にあなたの味方であり、決してあなたに敵対する方ではありません。

 

ですから、大事なポイントは「今、ここで、神はあなたのためにどのような方となり、何をしてくださるのか」ということであり、これが即ち、あなたへの神のフェイバーです。今の状況の中で神が目的とされるのは、あなたを神との更に深い関係、深い交わりへと導き入れることです。

 

神の「目的」に神との「関係」が合わさったとき、新しいあなたの領地が開かれます。領地とは、 あなたの職場、グループ、家族、友人等のなかで、それが何であれ、今起こっている状況のことです。

 

もしあなたが今外国にいるならば、特別な神のフェイバーを必要としているかもしれませんし、又は家の近所で何かが起こっているかもしれません。あなたの領地とは、神のフェイバーを受け取る訓練をする場所なのです。

 

私たちはフェイバーを受けるための訓練を受けています。

即ち、自分の領地の中でフェイバーを見つけ出す訓練を受けているのです。そこに必ず神のフェイバーが注がれていることを、常に意識し確信するためです。

 

新約の私たちに与えられている課題は、「あなたを決して離れず、すでにいつも共いてくださる神を、どのように捜し求めればいいのか」いうことです。

 

その意味は、あなたはいかなる状況の中でも、意識して神を捜し求めれば、必ずそこで「神を見る」ことができるようになるという事に他なりません。

 

疑いがあってはなりません。初めはなかなかそうならないかもしれませんが、やがてそれは必ず起こります。そのような経験を通して、私たちは主を信頼することを学び、主への信仰が強められるのです。

 

神のフェイバーを受けることは、一瞬にして分与されるというものではありません。それは神の愛をいつも喜びをもって意識することであり、そうすることによって、神は私たちと共におられるという平安に満ちた期待をいつも私たちの心に与えてくださるのです。

そして私たちが神のフェイバーを期待しつつ 神と共に歩く時に、私たちの心は喜びと楽しみに満たされるのです。

 

「喜びを持つこと」は又、 私たちが主と共に歩くことを学ぶための素晴らしい道具の一つとなります。

なぜなら、人生のどのような状況の中にあっても喜ぶことを学ぶならば、その喜びが生み出す神のフェイバーは、私たちが人生で経験するいかなる否定的な思いや感情によっても、侵害されることは絶対にないからです。

その時、私たちの状況の中で問題だったものは、神が造りだす可能性へと変えられていきます。

 

私の心が神の心によって治められることを神に委ねるプロセスを、私は非常に愛しています。そのプロセスによって、無邪気な幼子が持つような単純な信頼感が私の内に涌き上がるのです。

神はいつもまず「信頼」から事を始められます。なぜならば、信頼は信じる喜びと平安を作り出すからです。

そして信頼が確立されたときに信仰が生まれます。信頼と信仰は一つのコインの両面のようなものです。

 

信頼によって私たちは神が善いお方であることを信じ期待します。「神は私の味方である」と信頼し期待するとき、私たちは神の心を知り、神が私たちに与えてくださる約束を受け取る用意ができるのです。

そして、そのような神の約束を受け取る能力が与えられるのも、神からのフェイバーなのです。(終り)


21 01月

死に至るまでも(そのニ) ダニエル・コレンダ                    2019年1月21日


死に至るまでも(そのニ)

 

ダニエル・コレンダChrist for all Nations)

 

 

真の福音とは

 

ティーンエイジャーの頃、私は過激なクリスチャンで、仲間と一緒に「全ての人に福音を伝えよう!」と張り切っていました。サタンから逃げるのではなく、サタンを捜しに出かけて行き、その結果色々な問題を起こしました。ある時、ニューエイジのショップに出かけました。「そこにいるサタンを追い出して、そこにいる人達を救いに導きリバイバルを起こそう!」という意気込みでした。友人二人と一緒に店に入ると、片隅にピアノがあるのが目に入りました。私は当時ワーシップ・リーダーだったので、「ワーシップ・ソングを弾けば、主の臨在が満ちて、敵は慌てて逃げ出し、店中の人たちは救われるに違いない」と考えました。そこで私はピアノを弾きながら「イエスよ、あなたは聖なる方・・・」と歌い始めました。イエスの名を聞けば、サタンは恐れて逃げ去ると考えたからです。

 

しかし驚いたことには、店のオーナーが私の横に立って一緒に歌い始めたのです。私は「えっ、どうして?」と訝しく思い、ピアノを弾くのをやめ、「あなたはクリスチャンですか?」と訊ねました。彼女は「いいえ、私は魔女よ。」と言うのです。「でも、あなたはイエスの歌を歌いましたよね?」と私は驚いて訊きました。「そうよ。だって私たちはイエスが大好きですもの。」というので、私は「イエスが大好きって、どういう意味ですか?」と訊きました。すると彼女は、「イエスはすばらしい人でしたよ。悟りをひらいたグールーで、超越した人でした。大好きです。」と言いました。

 

私はその日、大変貴重なことを学んだのです。それは「みんなイエス様が大好き」ということです。イスラム教の人も、仏教の人も、ニューエイジの人も、無神論者さえ、皆イエスは大好きなのです。どうしてかおわかりでしょうか?

それはみんな「自分が考える自分のイエス」が好きなのです。「善良な人」「グルー」「話の中の人」「偉人」「預言者」等々、皆勝手なイエス像を作りあげています。しかし、あなたは「自分勝手に考える自分好みのイエス」を持つことはできません!イエスは聖書に書かれているイエスだけです!それ以外のイエスは、イエスでは全くなく、偽物です!

十戒の2番目は「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。」です。私たちは最早偶像を造ってそれを拝むことはしないでしょう。しかし、この戒めを現代版にすれば「あなたの神をあなたの形に造ってはならない。」となります。自分勝手に、自分の気分や好み、願望に従って神を形造ってはならないのです。

 

すでに死んでいる人達

 

マタイ5:29−30「もし、右の目が、あなたをつまずかせるなら、えぐり出して、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに投げ込まれるよりは、よいからです。もし右の手があなたをつまずかせるなら、切って、捨ててしまいなさい。からだの一部を失っても、からだ全体ゲヘナに落ちるよりは、よいからです。」

 

私は皆さんに「殉教するために出かけなさい」と言っているのではありません。ジョン・チャウのような人たちが殉教したのは、矢が胸に刺さったときではありません。彼らは出発する前からすでに殉教していたのです。彼らはすでに自分に死んでいたので、誰も彼らから命を奪うことはできませんでした。これこそイエスが私たちすべての者に望むことです。肉体的に殉教するかどうかの問題ではなく、私たちが自分の命を主に明け渡しているかどうかです。

あなたが「私は出かけて行ってイエスのために命を捧げます」と言ったとしても、コンピューターを消すことも、ポルノを見るのを止めることも出来ないならばどうでしょうか。イエスは「あなたの目があなたをつまずかせるならば捨てよ」と言われているのです。これがキリスト教です。冗談ではありません。

 

本物の聖霊

 

1995年にフロリダのペンサコーラでリバイバルが起こったとき、多くのメディアが取材に来ました。ある番組が、そこで救われて聖霊に満たされ劇的に変えられた若い女性とその家族にインタビューをしました。その家族はそれまでずっと伝統的な教会に通っていました。自分達の娘が聖霊に満たされ、異言を語り身体を振るわせている様子を見て、両親は言いました。「私たちは、これは神の業だとは思いません。なぜなら、聖霊は家族の中に分裂をもたらすような方では絶対ないからです。」と。しかし私たちは自分勝手な聖霊を造ってはならないのです。イエスがどのように言われているか見てみましょう。

 

マタイ10:34~39「わたしが来たのは地に平和をもたらすためだと思ってはなりません。わたしは、平和をもたらすために来たのではなく、剣をもたらすために来たのです。なぜなら、わたしは人をその父に、娘をその母に、嫁をそのしゅうとめに逆らわせるために来たからです。さらに、家族の者がその人の敵となります。わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。また、わたしよりも息子や娘を愛する者は、わたしにふさわしい者ではありません。自分の十字架を負ってわたしについてこない者はわたしにふさわしい者ではありません。自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、わたしのために自分のいのちを失った者は、それを自分のものとします。」

 

砕かれる者

 

マタイ21:44「また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。」

 

ここに究極の福音があります。私たちは砕かれるか、それとも粉みじんになるかのどちらかです。(broken or crushed)

あなたに与えられている選択肢はこの二つだけで、中間はありません。ある時私は、ワーシップソングを流しながら仕事をしていたのですが、突然「You saved me and now I am better off(あなたが私を救ってくださったので、物事がうまくいくようになった)」という歌詞が耳に飛び込んできました。「better off よくなった、うまくいくようになった」とは死刑を免れた者がいう言葉ではありません!

問題は救いが何であるかを私たちが理解していないところにあります。イエスが十字架で死んだのは、私たちが「少しうまく」暮らせるようになるためでしょうか?違います!地獄に行くことが決まっていた私たち罪人を解放し自由にするために、主は最も残酷な死を遂げられ、そして私たちにも十字架を担ぐようにと言われたのです。

 

イエスの血を飲む

 

ヨハネ6:53「イエスは彼らに言われた。『まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。』」

 

イエスはこれを、血を食することを律法で固く禁じられているユダヤ人に向かって言ったのです。主はそれを4度も繰り返し言われ、ユダヤ人を激怒させました。イエスは人の気分を害さないように話す方ではありませんでした。

 

あかしの言葉とは

 

冒頭にあげた箇所をもう一度見てみましょう。

黙示録12:11「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至までもいのちを惜しまなかった。」

 

ここにある「あかし」とは、自分が救われたときのことを話す証ではありません。これはギリシャ語では「marturias」であり、英語のマーターと同じで殉教という意味です。即ち、信仰の故に裁判にかけられている者の口から出ることばであり、イエスを否まないで信仰を貫くならば「死に至る」ことを覚悟したことばです。最終的にあなたが殉教するかどうかが問題ではありません。私たちのある者は、殉教の特権(そうです、特権です)に与るでしょう。でも他の者はそうではないでしょう。「主のために死ぬか?」ではなく、「今主のために生きているか?」が問題なのです。主のために生きられないのなら、主のために死ぬことなどできません。

 

最後にパウロのことばを見ましょう。

第二テモテ4:6~8「私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。今からは義の王冠が私のために用意されているだけです。かの日には、正しい審判者である主が、それを私に授けてくださるのです。私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」

 

有名な箇所ですが、最後の「私だけでなく、主の現われを慕っている者には、だれにでも授けてくださるのです。」という文に目を留められたことがありますか?

誰でも主のためにいのちを注ぎ出し、勇敢に戦い、走りぬき、信仰を守り通した者には義の王冠が待っているのです。あなたは自分のいのちを愛することもできますし、或いは主の現われを愛することもできます。しかし両方を愛することはできないのです。

 

現在キリスト教界ではしばしば福音は「良い選択肢の一つ」としてしか伝えられていません。説教者は人々が救われることだけに力を注ぎ、「救われるとは、何かを捨てることであり、犠牲を伴うことである」とは教えていませんし、勿論十字架を担うなどとは教えていません。ですから人々は「福音とは、素早く簡単に、安楽で幸せな人生を与えるもの」と思ってしまうのです。そして更に恐ろしいことがあります。私たちは今の世代に「自分のいのちを捨てても惜しくないほどの真の福音の尊さ偉大さ」を伝えない故に、彼らが福音に関心を持たないのだとしたら、何という悲劇でしょうか。

上よりの火が祭壇に下るのは、いけにえが供えられた時です。何もない祭壇に火は下りません。どうか私たちが福音のためにいのちを捧げ、イエスの足元で砕かれるようにと祈ろうではありませんか。(終り)


14 01月

死に至るまでも(その一) ダニエル・コレンダ (Christ for all Nations) 2019年1月14日


死に至るまでも(その一)

 

ダニエル・コレンダ (Christ for all Nations)

 

 

黙示録12:11「兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。」

 

 ご存知のように私は伝道者ですので、あまり外交的で耳に心地よい話ができません。牧師の役目は悩んでいる人を安らかに心地よくすることですが、伝道者の役目は安らかにしている人のこころを揺さぶり悩ますことです。ですから今から話すことはある人々にとっては嫌な話かもしれません。しかし、私は神が私たちを揺さぶって目を覚まさせてくださることを願っています。

それは「心地よいキリスト教」から「本物のキリスト教」へと移行させてくださることを願っています。すなわち「新年はあなたにとってすばらしい年となります」というメッセージではなく、「自分の十字架を背負って歩きなさい。」というメッセージをします。

 

ジョン・アレン・チャウの殉教

 

皆さんはジョン・アレン・チャウ(John Allen Chau)という若者をご存知でしょうか。この世のほとんどのメディアが、彼の身に起こったことを大きく報道したのは驚くべきことでした。しかしその多くは間違った報道であり、多くの混乱がありました。2018年11月17日に26歳のジョンは福音のために命を落としました。彼はインド洋のノース・センチネネル島に福音を伝えに行き、原住民に弓矢で殺されました。島の住民はすべての文明から自分たちを隔離し、外からの侵入に対して非常に攻撃的でした。2006年には、漂流して島に近づいた舟に乗っていた二人の漁師が彼らに殺されました。2004年にその地域に起こった津波の被害を調査をしていたインドのヘリコプターに向かって彼らは弓を射ました。ヘリコプターが何であるのかを知らなかったのでしょう。彼らが外部との接触を極端に嫌っていたのは明らで、インド政府は島と周りの海域を立ち入り禁止区域と定め、住人と接触することを違法としました。

 

ジョン・アレン・チャウは、18歳のときからこの島に行ってイエスの愛を伝える準備をしてきました。18歳の時彼は心にその召しをはっきり受けたのです。それからの10年間、彼がしたことはすべてその目的のための備えでした。オクラホマ州タルサや南アフリカで貧しいユースのためのボランティア活動をしました。イラク北部でシリアからのクルド人の難民の子どものための宣教師となりました。オーラル・ローバート大学でヘルス・サイエンスの学位を取得しました。医学、言語学、民族学を学び、宣教師訓練学校では僻地で生き延びる訓練も受けました。健康を保つための栄養学を学び肉体を鍛えました。一年に100冊以上の本を読み、精神的にも島での生活に備えました。そして実際に島に出かける前には13の予防接種をし、更に自らをしばらく隔離して何の病気も持ち込まないようにしました。彼は自分で知るかぎりのことをして、島の人々に福音を伝える準備をしたのです。彼は原住民と知り合い、友情を培い、必要ならば彼らの中に何年も住んで彼らの原語を学び、聖書を翻訳したいと考えていました。すべて彼らをイエスのもとに導くためでした。

 

多くのメディアが伝えたのとは反対に、ジョンは一人で行こうとはしていませんでした。メディアは、「ジョンは自分がメサイヤであるかのように一人で行ってヒーローになりたかったのだ」と報道しました。私たちはジョンと長年親しかった女性の友人に連絡をしました。彼女によれば、ジョンの死が報道されてから何日間も、多くのジョンの友人たちが深く嘆き悲しんで彼女に連絡してきて、彼らがジョンに一緒に島に行ってほしいと頼まれたことを告げたそうです。彼らは恐れて誰も行かなかったのです。

ジョンの決意は驚くべきものでした。多くの障碍がありました。島に近づくのが違法であること、又、たとえそれが合法であったとしても島にたどり着くのは非常に困難であり危険であること、一人きりであったこと等々、すべてのことを彼は乗り越えたのです。彼はインドに行き、そこの漁師に頼んで木製のモーターボートで、夜の闇にまぎれて島から800メートルほどのところまで行ってもらいました。漁師はそれ以上は行きたくないというので、彼はカヌーに乗り換えて、島に着きました。

 

ジョンの母親は彼の日記をワシントン・ポスト紙に渡しました。インターネットで誰でも見ることが出来ますが、ロビンソン・クルーソーのような冒険記です。ワシントン・ポストの記事から少し引用してみます。

 

「彼は10月16日にアドマント(インドの漁村)に着いた。11月14日の夜、漁師に金を払い彼らの船でパトロール船のサーチライトを避けながら島に向かった。翌朝日が上ったとき、彼は一人カヌーで島に上がると、女性たちは何か話していたが、弓矢をもった男たちがやってきた。『私はジョンといいます。あなたがたを愛しています。イエスもあなたがたを愛しています。』と叫んで、またカヌーで漁船までもどった。二日目に彼は 魚、はさみ、安全ピン、というようなギフトを差し出した。花の冠のようなものを被った男性が彼に叫んだので、彼はワーシップソングや讃美歌を歌うと、彼らは黙った。若者が彼に矢を放ち、それは彼の聖書に当たった。彼はマングローブの林の中を逃げ、また漁船までもどった。『主よ、この島の住民はあなたのことを聞いたり読んだりする機会がないままなのです。』と彼は日記に書いた。三日目には彼は自分が殺さることを覚悟した。美しい夕日を見ながら、彼は『私が夕日を見るのはこれが最後だろうか。』と泣きながら書いた。次の日、彼はまた漁師に海岸まで連れていってもらった。その後漁師たちは島の男たちがジョンの死体を引きずり埋めるのを目撃した。」=引用終り=

 

私たちはジョンと非常に親しかった友人に聞いたのですが、ジョンにとってイエス・キリストが全てであり、彼はすべてを主に捧げきっていたのでした。彼と親しかった人達は彼を「無私で愛情深く勇気がある者」と表現しています。「様々な困難な状況の中でも、彼は常に人の話に耳を傾け、ゴシップなどしたことがなく、彼が怒ったのを見たことはなかった」と人々は言います。

私は100億のジョン・チャウがいたらいいのにと願います。犠牲と殉教の霊を持つ世代が福音を全世界に宣べ伝えることを願います。行きやすいところにはすでに福音が届いています。ですからこれからはジョン・チャウの大胆さと勇気を持つ軍隊が必要なのです。ただ人々をわくわくさせ心地よくさせるためではなく、命をも惜しまない犠牲と殉教の御霊が注がれることを望みます。

 

彼に対する社会の反応

 

このすばらしい若者の死に対するメディアの批判を見て、私は深く悲しみました。彼らは一面しか伝えておらず、非常に不公平な報道でした。彼らはジョンを「クレイジーでおろかで甘い考えを持った若者」と表現しました。批判はキリスト教界の中でも同じでした。あるユース・パスターは「ジョンは危険な幾つかのイデオロギー(観念)に憑かれ、非常に愚かな行動へ走った。」と言いました。「危険な幾つかのイデオロギー」とは、例えばイエスの「大宣教命令」のことでしょうか?

 有名な聖書学校の学部長をしている人は、「ジョン・チャウのしたことは、ミッション活動の中でも極端にうぶで愚直な甘い考えの行動であった。」と言いました。彼は象牙の塔で安楽椅子に座り、誰かが血を流し死んで行くのを遠くから眺め、「神学的に考察」しているだけなのです。しかし、もっと悪いのはSNSの中で言われたことです。「彼は全く愚かである」「他の文化を尊重しなかった」「民族の伝統的価値を尊重しなかった」「植民地にしようとした」等々、キリストの命令を実行した一人のクリスチャンに対して、多くのクリスチャンが投げかける言葉を読んで、私は心から驚嘆し嘆きました。

 

私たちは道を見失ったのでしょうか。一体なにが起こっているのでしょうか。犠牲と血を求める福音を私たちは忘れたのでしょうか。イエスに従い世界に影響を与えるためには代価を払わねばならないことを忘れたのでしょうか。「すべては自分が幸せになるため」という福音に染まってしまったのでしょうか。「私が心地よく、楽しく生活できて、今最高の人生を送るための福音」に堕落してしまったのでしょうか。キリスト教は人々の救いのためにご自分のすべての血潮を注ぎだした方の上に立っていることを忘れたのでしょうか。主は血潮の染まった十字架で最もむごい最後を遂げられたのです。彼こそ最も過激に生きた人だったのです。彼こそがキリスト教の創設者なのです。

 

私たちの信仰は、むごい殉教の死を遂げた使徒たちによって伝達されたことを忘れたのでしょうか。

初代教会以来200年間、教会の父祖たちは信仰のために火あぶりにされ、のこぎりで引かれ、十字架にかけられ、拷問にあったのです。ネロの庭園で彼らがたいまつとして焼かれたのを私たちは忘れてしまったのでしょうか。競技場でライオンのえさにされたのを忘れたのでしょうか。異教の地に福音を携えて入った人たちが弓矢で殺されたのを忘れたのでしょうか。キリスト教は常にリスクをともなう危険な行動によって広まっていったのです。皆さんが今クリスチャンンとして教会で座っているのは、何百万人というジョン・チャウが、あなたの国に行ってあなたの先祖、親族に命をかけて福音を伝えたからなのです。

 

初代教会では多くの者が殉教の死を遂げました。教父の一人であるターチュリアンは「殉教者の血は教会を生む種である。」と言いました。ヘブル11:35~38節を見てみましょう。「またほかの人たちは、さらにすぐれたよみがえりを得るために、釈放されることを願わないで拷問を受けました。また、ほかの人たちは、あざけられ、むちで打たれ、さらに鎖でつながれ、牢に入れられるめに会い、また、石で打たれ、試みを受け、のこぎりで引かれ、剣で切り殺され、羊ややぎの皮を着て歩き回り、乏しくなり、悩まされ、苦しめられ、この世は彼らにふさわしい所ではありませんでした。荒野と山とほら穴と地の穴とをさまよいました。」

 

これこそが私たちが受け継ぐべき遺産です。私たちの信仰のために、多くの者が血の代価を払ったのです。メディアはジョン・チャウをクレージーと呼ぶかもしれません。クリスチャンは「彼の考えは甘かった、愚かだった」と言うかもしれません。しかし聖書は「この世は彼らにふさわしい所ではなかった、彼らに住んでもらう価値がなかった」と言うのです。

 

新しい世界宣教の波

 

私は今までに無かったような大きな世界宣教の新しい波が起ころうとしているのを感じています。しかし、それが起こるためには、今まで以上の犠牲を払わねばならないのです。17世紀のジョン・エリオットのように、ジョン・チャウがその模範、原型となるでしょう。世界にはキリスト教の教会が一つもない地域があるのです。キリスト教が違法であり、キリストを伝えるためにはすべてを捨てなければならない地域があるのです。

35節に「釈放されることを願わないで」とあります。彼らは釈放されるよりは死を選んだのです。「私のために命を与えてくださった方のために、私も命を捧げたい。」と彼らは言ったのです。これは現代のアメリカ人の耳には「極端で過激」に聞こえます。でもこれが聖書に書かれているキリスト教です。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。」と主は言われました。十字架とは拷問と死です。キリストのために命までも捨てる、という精神はどこに行ってしまったのでしょう。

 

「そのような事は遠い昔に遠い場所で起こったことだ」と思われる人がいるかもしれません。しかしこの10年に一億人のクリスチャンが殉教しているのです。今も毎月数百人のクリスチャンが殺され、200人が誘拐され性的暴行を受けています。毎週66の教会が襲撃され、160人のクリスチャンが裁判なしに拘束されています。歴史を通してキリストのために死んだ77億のうち、半数がこの100年で死んでいるのです。

 

これは私にとっても身近なことです。アフリカでの私たちの伝道集会でイエスを信じた人が、その会場を出るまでに殺されたこともあります。救われて家に帰ったときボーイフレンドに殺された女性もいます。彼らにとってクリスチャンになるのは、ただ「週に一度教会に行く」とか、「たまに祈る」とかではなく、すべてのものを捨てることなのです。又、半月前、私たちのミッションチームはナイジェリアからコンゴまで8週間車を運転して行きましたが、内戦が起こっている地域を銃弾を避けながら越えていき、夜は車の上で寝て、食べるものは死んだ動物でした。そしてまた8週間かけて戻ってくるのです。帰りに銃弾を3発受けた者がありましたが、奇蹟的に助かりました。このような事が毎日福音のために起こっているのです。

人々はそれはあまりにも極端で過激なことだ、何でそこまでしなくてはならないのか、と言います。しかし福音を聞いて救われた人の喜びの笑顔のために、私たちは命をかけるのです。皆さんはあまりにも極端すぎると言われるかもしれませんが、私はそれをキリスト教と呼びます。私はそれが普通のこと、ノーマルなキリスト教だと思います。(続く)

訳者注:ダニエル・コレンダ師は、クライス・フォー・オール・ネイションのプレシデントCEO として現在世界中で活躍しておられますが、皆様よくご存知の世界的に有名なエヴァンジェリストであるレインハード・ボンケ師の後継者として、世界で最も危険な僻地を中心に、野外集会によって既に2100万人の人々を救いに導いておられます。今回のメッセージは昨年末のモーニングスターミニストリーでの集会で語られたものです。


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