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Walk With God Ministries

16 04月

人生の様々なシーズン エリザベス・エンロウ 2019年4月16日


人生の様々なシーズン

 

               エリザベス・エンロウ(Restore 7 Ministries)

 

  私はクリスチャンホームで育ち、8歳の頃から聖霊に満たされていましたが、私が12歳の時、母が癌で天に召されてしまいました。父が一年後に再婚し、二度目の母に私は可愛がられて幸せに暮らしました。しかし、私の内には母を亡くした痛みと深い悲しみ、失望があり、私はそれを長い年月、心の奥深くにずっと埋めていたのです。

やがて私は結婚し、牧師である夫(ジョニー・エンロウ)と共に教会を牧することになりました。ですから毎週の礼拝で、私は一番前の席に座って夫の説教を聞いていました。夫は「神がどれほど善き方であるか、どれほど親切な方であるか、神はすべての国に対して偉大な計画を持っておられ、その国をどのように変革されていかれるか、神はどれほどすべての人々、国々を愛しておられるか」という内容の説教を力をこめて毎週語りました。神はただ私たちの魂を永遠の救いに入れてくださるだけではなく、私たちが持っている日常の関心事、心配、社会的な問題にも手を差し伸べて助けてくださることも夫は語りました。

 

夫が牧師としてこのように語るのを聞きながら、私はそのメッセージに心から同意しようと一生懸命つとめました。確かに夫の語ることは真理だと思いました。しかし私は自分の内で葛藤を感じていました。それは「もし神が本当にそんなに善き方で親切な方ならば、どうして私のお母さんを取り去ってしまったのか?」という、私が心の奥底に押し込めていた疑問や神に対する大きな失望が浮き彫りになり、最早無視することができず、私はついにその問題と正面から向き合わねばならなくなったからでした。

頭では「神は善き方」と信じているのですが、心ではそれを本当には受け入れていない自分がいて、そこに激しい葛藤が生まれました。

母の癌との戦いは4、5年も続いたのですが、私たち家族は神による癒しをずっと堅く信じていました。癒しのメッセージを聞き、癒しの聖書箇所を読み、癒しを宣言して、知っている限りの方法で精一杯戦ったのです。しかし母は召されました。

 

私はこのように感じました。「神は母を癒されなかった。それは事実だから受け入れよう。でも世界でただ一人母を癒すことができる方がいたのに、その方は何もしてくれなかった。神が母を殺したのではない。けれども神は母が死ぬことを許された。だから神が殺したのも同様だ。」

 誰でもこのような経験があると思います。「神は~を止めることができたのに、止めてくださらなかった!」という神に対する失望と怒りです。

 

私がどのようにしてそのような状態から抜け出ることができたかというと、それは「短期間ですぐに」ではなく、時間をかけてのプロセスでした。そのプロセスの第一歩は、私が神に対して100%正直になることでした。私は誰か心から尊敬する人から「自分に正直に、そして神に正直になってもよい」という許可をどうしてももらいたかったので、夫に頼みました。

夫は「神はものすごく大きくて寛大な方だから、怒って神の胸を打ち叩いても大丈夫だよ。だからあなたの思っている事を何でも神に言ってごらん。」と保証してくれました。それで私は神に対して本当に心から腹を立てたのです。そして自分の気持を包み隠さず神にぶつけました。

当時私は夫と共に教会を牧していたわけですから、それはちょっと具合の悪いことではありましたが、私にとってそれはどうしても必要なプロセスだったのです。

そのように自分と神に正直になったとき、回復のプロセスは早く進んでいきました。神はそのような私に対していろいろと教え始められました。神が今までもずっとどのように私と共に歩いていてくださったかを教えてくださいました。

神に対して本当の自分の気持をぶつけたとき、神は慰めと愛と平安をもって私の心に入ってこられ、神がすべてのことを意図を持って行われ、神の私への愛は常に変らなかったことを教えてくださったのです。

100%正直にオープンに神に接したとき、神が私に教えてくださるスペースが出来たのだと思います。

あなたがもしも自分の心を防御の壁で囲んでいるならば、あなたの怒り、苦しみはそのまま自分の内にずっと残ります。でもその壁を取り壊すならば、神はあなたの中に入ってきてくださるのであると思います。

 

私が癒されていくプロセスの一つになったことですが、ある時私自身のワーシップCDをつくるようにある人から依頼されました。私はワーシップリーダーではありませんでしたが、当時ワーシップを手伝っていたことがありました。

更に「あなたがCDを作るための資金を出します。」という人まで現われたのです。私は歌を作ったことがありませんでしたので、神に「どうしたらいいでしょうか?」と訊ねました。すると神は「わたしはあなたの中に歌を4つ、すでに与えてありますよ。」と言われました。

そして神は、 4人の娘たちがそれぞれに1歳から3歳くらいだった4回の幼児期に私に教えてくださったことを示されました。娘4人それぞれが幼児期であった4回のシーズンは、私と神との関係と私の心の成長過程を表す4つの異なったシーズンだったのです。娘たちの名前は、プロミス・ジョイ(約束・喜び)、ジャスティス・ホープ(正義・希望)、グレイス・ヴィクトリア(恵み・勝利)、グローリー・ルツ(栄光・ルツ)と言いますが、すべて彼らが生まれた時に神から与えられた名前でした。

 

神は娘たちの名前の通りに「冬の約束」もあれば「春の正義」「夏の恵み」「秋の栄光」もあることを教えてくださいました。

神が言われたことを整理し理解したとき、私はこう言いました。「神様、あなたは本当に善き方であり、本当に親切な方です。あなたは地上で、そしてこの国やこの地域ですばらしいことをしてくださる方です。

でもそれと同時に、私の心の中にも同じようにすばらしいことをすることを計画してくださいました!」神は街や国に住む多くの人々の心を愛し癒されるのと同じように、私一人の心をも愛し癒してくださることを示してくださいました。あなた自身が持っていないものを、人に与えることはできません。神が本当に善き方、親切な方であることを自分で信じていなければ、この世の人々に伝えることはできません。

多くの場合、私は神との関係において自分がどのシーズンにいるのかが分からなかったので、神に対して多くの疑問を持ったのだということが、今はわかります。

どのような人間関係であれ、いろいろなシーズンを通ります。それは神との関係においても同じであることを神は教えてくださいました。冬のシーズンも幾度も通りますし、又、神と共に何かを生み出していく春のシーズンもあります。暑い日照りの夏のシーズンもあり、実りのある秋のシーズンも必ず来るのです。目には見えないようなこと、とても繊細で守らねば壊れてしまうようなことも、大切にすれば神は必ず実らせてくださいます。

 

神が意図を持って計画的に、 私が4人の幼児を育てた13年間に私の心に与えられたもの、即ちプロミス(約束)を育て、ジャスティス(正義)を育て、グレイス(恵み)を育て、グローリー(栄光)を育てた時に神が私の心に与えられたものは、私のためだけのものではありませんでした。それは神がどのように私たちを取り扱われるかということであり、私たちすべての者が知らねばならない啓示でした。

真冬に庭に出て、オレンジの木にむかって「どうしてオレンジがないの?」とは言いません。そのシーズンではないからです。神はすべてを目に見える形で現してくださる時もあり、またある時は隠されるときもあるのです。そのようなシーズンの違いを理解することは私たちにとって大きな助けになります。それはフラストレーションを克服するのを助けます。神がオレンジの根を養おうとしておられるときに、それを理解せずにオレンジの実を期待するならば、フラストレーションを起こします。

 

冬の季節は「十字架のヨハネ(16世紀のスペインのカトリック司祭)」が言う「the dark night of our soul(暗夜、神との一致に至るまでの過程)」のことだと思います。たとえ真っ暗な夜であっても、神が常に共におられるならば、本当にそれは最も神と親密になる時なのです。なぜならば、それは隠されている時であり、私たちは暗闇の中で何も見えなくても、神がすぐ横にいてくださるからです。

冬のシーズン、あなたは「自分は裸にされ、もう駄目だ」と落ち込み、実をならせたいと切望することでしょう。しかし、それは神が私たちの内に、あるいは私たちを通して、次にしようと計画されていることをあなたの中に孕ませているのです。どのシーズンも厳しく、またどのシーズンも良いものであるのです。

 

それは、あなたが寒くて凍えそうな時に、「あそこに暖炉がある!」と大喜びするようなものです。寒い冬も今までとは違う受け取り方、過ごし方ができるようになります。自分が今、どのシーズンにいるのかを知れば、敵の攻撃を防ぐことができます。神が私を取り扱い、多くのことを私に教えようとされた時、私は大変混乱しましたが、今私は自分の方向性を見出し、自分が現在どこにいるのかを知っています。

時として 私たちの街や地域で神が一体どのように働いておられるのかわからないことがありますが、それと同じように、自分の人生の中で神がどのように働いていてくださるのか見えないときがあります。でも神は着実に働いていてくださるのです。神は常に何かをしていてくださいます。ですから、それを知れば神と共に働くことができます。

 

もしあなたの内にあまりにも多くのことが鬱積していて、それが吹き出さないように押さえつけながら「どうにかこうにかやっと毎日を送っている」のならば、それを主の元に正直に持っていくことをお薦めします。

私はついには「神様、私はあなたが大嫌いです!」と叫ぶところまで行きました。それは100%正直になることであり、神はそれを喜んでくださり、恵みを与えてくださるのです。ですから「神よ、あなたは私の人生に何ということをされたのですか!どうしてあのように私を失望させたのですか!」と神に正直に言ってみてください。神が私たちに恵みを与えてくださることを経験するならば、その時私たちはこの世に恵みを与え、憐れみを持ち、この世と愛をもってかかわることができるようになるのです。

 

「祈り」ー父よ、感謝いたします。今あなたは共におられます。今一人ひとりに申し上げます。あなたの魂が神との関係において今どのシーズンにあろうとも、ダビデのように100%の正直さをもって神のもとに来ることをお薦めし、宣言いたします。あなたが 今までの どのように主と交わってきたかを正直に認め、主があなたの人生を新しいレベルに引き上げてくださいますように祈ります。

そしてあなたが周りの世界に向かって「神は善き方です!」伝えることができますように。

「神は善き方である!」と私は今あなたの魂にむかって宣言します。父よ、今すべての人があなたを正しく見ることが出来、それによってこの世もあなたを正しく見始めることができると宣言します。

父よ、私たちはあなたを愛し、 今それぞれが置かれているシーズンを感謝します。あなたが今ひとりひとりの心に確証と平安を与えてくださいますように。イエスの御名によって祈ります。(終り)


08 04月

世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー     今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その2)                坂  達 也


世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー

    今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その2
                  坂  達 也
 今回訪ねたニューヨークのヒルソング教会の礼拝の雰囲気と第一印象をご報告します。先ず、そこに来ている人たちからは、教会員とか信徒が集まっているという感じがしない、むしろ、町を歩いている普段着のままの人たちが気軽に入って来て、礼拝賛美を楽しんでいる、そこには「自由」があること、それでいて、生きたイエス個人と聖霊の臨在が感じられるのでした。確かに若者が多い、しかし子供から老人まで、あらゆる人種と階級の人たちが渾然と混じり合っていました。敢えて言うとすれば、いないのは宗教的パリサイ人ではないかという印象でした。(但し多くの訪問客は別として)
1日5回の礼拝をするのですから、一人の牧師と一組の賛美チームではやりきれません。といってもネットで見た記事によれば、今年40歳になった主任牧師のカール・レンツ師は、9年前の設立当初から聖日礼拝は何回であっても一人でやり続けた、その情熱とスタミナは凄いものがあったと言われます。ところが私が参加した日はカール牧師は他教会を訪ねていて留守でした。しかしその方がかえってスタッフとかリーダーたちの資質が分かって良かったと思いました。主任牧師がいないのを全く感じさせない、喜びに満ち溢れた賛美と、それを縫うようにして確かな福音のメッセージが情熱的にしっかり語られたのです。そこには形式的、宗教的なものは全く感じられませんでした。よく教育されている、よく祈るスタッフとリーダーたちの霊的な質と厚みを感じました。
 その日のメッセージを担当した若い女性のリーダーの一人が語ったメッセージは、ルカ7章36−50節に出てくる、パリサイ人に招かれた席で罪深い女に語るイエスの話でした。その他に賛美の合間に司会者が、マタイ7章の「『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国に入るのではなく・・・わたしは彼らにこう宣言します。『わたしはあなた方を全然知らない。・・わたしから離れて行け。』」と言う話とか、有名なベタニアのマリヤとマルタとの対比の話が触れられていました。
気が付いたことは、この教会のメッセージはすべてイエスが語られたことに焦点がおかれ、それにパリサイ人的クリスチャンが対比されていることでした。そして集会の終わりには、「救いの招き」がなされました。すると私のすぐ前に座っていた10歳前後の少女と、少し離れたところにいた背の高い黒人の老人を含む、少なくとも一階だけで20名ぐらいの人が手を挙げていました。正直なところ、この集会を通して私自身が強く感じたことは、自分が、未だにどれ程「自分に死んでいない」=「イエスと共に生きていない」パリサイ人的クリスチャンであるかでした。私はそれを聞いて改めてぐさりと胸を突き刺され、悔い改めさせられました。
ヒルソング・ミニストリーから学べる終末の教会のあり方
 4月号のカリスマ誌によれば、ヒルソングの創始者であるブライアン・ヒューストン師夫妻は1983年にオーストラリアのシドニー市で45名の小さな教会から牧会を始め、4年以内に900人に成長、その後、年一回のヒルソング・カンファレンスを開始してダーリン・チェックとかジェフ・ブロックという歌手を生み出し、ご存知のように、その独特なゴスペル・ミュージックで世界を風靡しました。そして1999年には正式に「ヒルソング教会」に改名、今では前述のように、世界に13万人の会員を持つまでに急速な発展を遂げたと言います
最初彼らはAssemblies  of God 教団の傘下にいたのを、昨年9月に独立、自からの教派を設立しましたが、その理由をヒューストン師は、今は「教団・教派主義」の時代ではない、イエスと本来持つべき「リレーションシップ」に帰る時であって、その上で、この世の未信者に対してイエスが取った態度と同じ深い愛と哀れみをもって、相手がどれ程リベラルな考えであっても、むしろそうであればある程、相手に大手を広げて真に「ウェルカム・ホーム」といってその人を個人的に親しい家族のように迎い入れるーそれが「イエスの御国」にふさわしいミニストリーだとして, 自らを ”One house, many rooms”と呼んでいます。
彼らは、主が本来なぜ彼らにここまで大きく広がる世界的なミュージック・ミニストリーを与えたかというその主のご計画に気付き、目覚めたのです。そしてこの世界的ムーブメントを継続させるためには、主を心から礼拝するミュージックに併せて、徹底したオーソドックスな「主ご自身が語った御言葉を中心に本来の福音を伝える」ことこそが主から受けた彼らの本来の使命であることに目覚めた(アウェイクニング)と私は見ました。そのために彼らは徹底して世界的なリーダーとスタッフを教育することを始めたようです。
 しかし一方で、これだけ急速に大きくなったヒルソングに対する批判も厳しく、悪い噂は絶えないようです。特に若者のライフスタイルが全くのリベラルなニューヨークの場合、彼らのやり方は誤解されます。街に氾濫する堕胎賛成者や同性愛者や、金持ち、有名人、そして浮浪者など、どんな人でも喜んで受け入れますから、多くの識者、パリサイ人的クリスチャンとかメデイヤは教会がそのような教義を受け入れていると誤解し、一方的に批判し叩くからです。
 しかしヒルソング創始者もニューヨーク教会の主任牧師も明言します。彼らはどんな考えを持った大悪人でも喜んで受け入れる。しかし、そのような人たちから訊かれれば、教義的に聖書に書かれたことを優しく伝え、決して罪と妥協はしないが裁くこともしない。そして、メッセージで罪人に対して取ったイエスの態度を伝えるならば、イエスご自身が彼らに直接語ってくださる。後はその人次第であると言います。

 

彼らの目標は、キリストの再臨を間近に控えた今、キリスト・イエスを王とする「天の御国体制」をこの地上に1日も早く造ることであり、彼らはそのことに目覚めていると私は受け取りました。特に彼らの礼拝に参加して、彼らが従来の教団教派を超えたより高い「ビジョン」を持っていること、そして、それを実現する使命感に燃えている「情熱」を痛いほど感じたのです。言ってみれば、主の花嫁である教会は、今まさに「マルタからマリア」に変革される時であることを主が望んでおられるのです。
黙示録17章に出てくる「偽の教会
 ここで思い出されるのは黙示録16−18章に出てくるすべての淫婦と地の憎むべきものとの母、大バビロン」です。この大バビロンこそは、終末に現れる「偽の教会」であると私は信じています。そして、これに打ち勝つのが主の主、王の王である小羊」であり「また彼(小羊イエス)とともにいる者たちは、召された者、選ばれた者、忠実なものだからです。」(黙示録17:14)と言われている者たちです。
「偽の教会」とは、多くの人が歴史的にローマ法王を頭とするカトリック教団を指すと言いますが、必ずしもカトリック教徒全部が偽のクリスチャンではなく(霊的な素晴らしいクリスチャンもカトリックには多くいることを私たち夫婦も日本で体験しました。)むしろプロテスタント教派教団でも多くのクリスチャンが、小羊イエスを個人的に知らないパリサイ人的・宗教的・人間的・もっぱら頭だけの霊的でない人間的クリスチャンが多く、その人たちは、厳しい言い方をすれば、本物のクリスチャンではないと思います。だからこそイエスは昇天する直前に「大宣教命令」を弟子たちの言い残したのではないでしょうか。
従って今までにその「偽の教会」は、カトリック以外でも、その頭になる牧師がプライベート・ジェット機を乗り回し、何億もする贅沢な家に住むメガチャーチを生み出しました。(勿論メガチャーチの全部がそうではありません。)神は何事においても悪魔に先ずやらせた後で最後に主のなさる本物を顕されます。どうも「メガ・チャーチ」においても同じやり方をされておられるように思います。
レデイングのベテル教会の台頭
 さて、ここで最初にご紹介したキム・クレメント師の預言の一部がカリフォルニア州レディングでなされたことを思い出して下さい。彼が預言したのは多分ビル・ジョンソン師のベテル教会においてではなかったと思いますが、最近私はこのベテル教会でジョンソン師が発表した第二の教会新建物、それは新たに1200名収容できる第二礼拝堂+多くのミニストリー用教室等の増設計画とその資金調達推移の報告を聞いて実は大変驚きました。既にご存知の方も多いと思いますが、彼らは昨年この計画を発表しました。それによれば:

 

 その設計図面の完成とコストの見直し     2019年中に終わらせる
 支払い済みの土地の整地と全ての建築許可取得 2020年中に終わらせる
 建設着工                  2021年5月
 完成                    2023年4月
 総予算1億4千880万ドル(約140億円)、その内の30%ー約3千6百20万ドルが既に調達済(約束コミット分も含む)で、残額は約9千8百万ドル(約1千億円)、但し工事の進行より前に資金調達が常に先行することを見込んでいると言います。資金調達にはクレメント師はビル・ゲイツ氏の名前を掲げていましたが、ゲイツ氏かどうかはともかく、今までに世界40カ国の6千人から資金献金があり、
現在土地代金支払い後1200万ドルが手元にあるといいますから、今後もそのような大口提供者が既にいることは確かなようです。
これからはこのような超大型のメガチャーチが世界中に多く出てくると予期されます。先述のヒルソング教会についての説明の際、今はもはやメガチャーチの時代ではない、むしろ、これは世界的ムーブメントであると申し上げましたが、ベテル教会の増築においても全く同じことが当てはまると思います。すなわち、すべて主がなさっておられる「御国の時代」が遂にやって来たのです。
加えて、このベテル教会の計画そのもの以上に私が驚いたのは、この経緯が進行するに当たって、過去10年間教会が一団となって祈って来たこと、それにも増して、初めから神が、ジョンソン師と教会内部の関係者に確かな具体的なビジョンを与えただけでなく、関係者以外の多くの信頼できる預言者からと共に一般の見知らぬクリスチャンからも「主からのメッセージとしてジョンソン師に伝えなさいと指示されたので知らせます」というケースが何度もあり、すべての面で、時事進行に先だって全く疑いを持たせないように、確かな主よりの約束と知恵の預言が与えられたと、ジョンソン師が熱烈に証するのを私はネットで聞きました。従ってこれも「御国が来た確かなしるし」であり、本物も本物の主のやり方であることに驚きご報告する次第です。
ジョンソン師は、「今回のことは丁度エルサレムに城壁を建てるために多くの王とリーダーたちが資材と費用をネヘミヤに渡した時のようだ」(ネヘミヤ記参照)といっていました。紙面がないのでこれ以上は申し上げませんが、神のなさることは何と偉大でしょうか。今ベテル教会では内と外でリバイバルが起きております。
最後に申し上げます。主の祈り「御国が来ますように。みこころが天で行われるように地でも行われますように。」が今確実に聞かれていることを心から感謝します。そして、バプテズマのヨハネが言った「天の御国が近づいたから。・・・『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」がいよいよ成就する時が来たのです。(終わり)

02 04月

世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー   今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その1)              坂  達 也


世界はいよいよ終末の最終段階に入った ー

    今一大アウエイクニングが世界に広がりつつある(その1)

 

                    坂  達 也

 

 

 最初に、今年2019年1月号に載ったカリスマ誌の記事をご紹介します。その記事によれば、キム・クレメントという預言者が「アメリカに一人の大統領が選ばれる。その大統領は自分のホワイトハウスの事務室で祈る人でありー選ばれた後の最初のうちはそうではないがーその大統領は『防御の壁』を建設し、二期目も当選する。」と2007年に預言しました。

 

ここでいう「『防御の壁』の建設」とは現在アメリカで政治的に大問題となっている、トランプ大統領がメキシコ国境に建てることを強硬に主張している国境の壁のことを指しています。

 同時にこの「防御の壁」とは、世界中、特にEUで移民に関して深刻な問題になっている国境を取り除く政策ーこれこそは明らかに悪魔の狙う世界統一政府〈ワン・ワールド・オーダーの画策〉に対する防御をも意味しています。アメリカでは民主党がこのようなグローバリズムの旗振り役をしています。それは民主党が選挙で共和党に勝つためには、多くのビサなしの中南米人を違法に移民させ、彼らに金をばらまいてまでも民主党候補に票を入れさせるという企みがあるからです。(日本では全く考えられないような選挙法違反ですが今のアメリカでは、これが大ぴらにまかり通るという時代になっています)。実のところ民主党はそうでもしなければ共和党に勝てないという事情があるのです。

 

 さてそこで、少々このアメリカの預言者クレメント師のことをご説明します。彼は必ずしも一般的に広く知られた預言者ではありませんでしたが、私たち夫婦も含め、多くの人が注目した「知る人ぞ知る」特異な預言者でした。彼は多くの場合、バンドを引き連れ、彼自身が賛美のピアノを弾きながら神の御声を聞く預言者でした。その彼は一年間の闘病生活のあと2016年の11月に亡くなりましたが、彼のこの2007年の預言は、トランプ氏が大統領選挙に出ることも分からなかったときにされたものです。

 

ここで再びカリスマ誌の記事の引用にもどります。

 

「クレメントは2007年2月10日にアリゾナ州スコッツデイルで次のような預言が与えられた。

『宗教的ではない、祈る大統領が現れる。』と主がいわれる。『わたしは国民を(いっとき)騙す。そうである。わたしは確かにそうする。』

そして神が言われる。『(わたしが)選んだ者は(ホワイトハウスに)入る。人々は「彼は血の気の多い短気者だ。」というであろう。』しかし神の御霊は言う。『そうだ、彼は短気かもしれない。しかし彼はすぐれた「防御の壁」をこの国にもたらす。そしてこの国の経済は急速に変って行く。』と万軍の主は言われる。

『主の言葉を聞きなさい』と神は言われる。『わたしはあなたがたのリーダーとして「祈る大統領」を2期(8年)据える。彼が大統領になった当初は祈る者ではないであろう。しかしわたしは彼を大統領にし、次に聖霊のバプテスマとわたしの力のバプテスマを彼に授ける。』」

 

 その後、2007年4月4日にカリフォルニア州レディングにおいて、クレメントは 「『わたしはトランプをトランペット(ラッパ吹き)とし、ビル・ゲイツを教会の経済の領域の扉を開く者とする。』と主は言われる。『わたしが国家の最高の地位に置く者は、初めはわたしの名を小声でささやくが、大統領になると聖霊の力によってわたしの名を大声で叫ぶであろう。それは彼が大統領になったとき、わたしが彼をわたしの霊で満たすからである。そしてこの国の最高の座には、祈る者が就くであろう。』と神は言われる。」と預言しました。(これにて引用を終ります)

 

 以上がカリズマ誌の記事の要約です。ここで申し上げられることは、トランプ大統領が二期目も当選するという預言はリック・ジョイナー師を含む多くの預言者が既に預言している事であり、その中で特にリック師が、2期目再選直後の2021年にアメリカにおいて第二の革命的市民戦争が勃発することを真剣に危惧している事実をお伝えしたいと思います。その理由は、去年から乱立し始めた民主党(デモクラット)の過激派(その多くが憲法無視、反キリスト教、あまりにも無責任、非常識でナイーブな社会主義的主張をしている)大統領候補たちが、これから一人に絞られて行き、その選ばれた最終候補者が2020の選挙でトランプ大頭領と対決することになるのです。その結果が現実に「憎むべきトランプが再選される」となれば、既に、今ですら国が真っ二つに割れている危機的状態にあるアメリカですから、憤懣やるかたないメデイヤや過激的社会主義者に煽られたリベラルの民衆がついに付和雷同し反乱を起こす、という非常に深刻な情勢にあることを強調させていただきます。

すなわち、サタンの悪あがきも遂に来るところまで来ているのです。

 

以上、現行のアメリカの政治情勢をバックグラウンドとしてご紹介しました。それと共に、今まで私たちはトランプ大統領への数々の預言をご紹介して来ましたが、預言というものには信用できないものも多くある中で、これ程までに正確な預言もあることに、私自身も驚きましたが、このトランプ氏への多くの預言が真に神からのものであることへの確証になるのではないかと思いご紹介させていただいた次第です。

さてこれからが、いよいよ終末に起きると期待されている大リバイバルあるいはアウェイクニングが、もう既に現実に起こり始めていることの実例のご紹介に入りたいと思います。

 

世界に広がるヒル・ソング教会

 

 私は今回、同じカリスマ誌の4月号のテーマとして載ったヒルソング教会の記事に促されて、実は昨日3月31日に、私たちの住むニューヨーク市内にあるヒルソング教会を急遽訪ねて見ました。そのことをこれから書かせていただきます。

 

 私たちは2012年の夏から約2年間このニューヨークのマンハッタンに移住して住みましたが、確かその年か翌年に一度だけ未だ設立されて間もない頃のヒルソング直営のニューヨーク教会を訪ねたことがあります。その場所はナイトクラブを日曜だけ借りていて、外からの光が全くない真っ暗な場所に広いステージだけが上からの照明で照らし出されており、その照明が空中を舞う濃厚な埃を鮮やかに浮き彫りにして見せている、まるで映画館か、劇場か、ナイトクラブにいるような、とても教会とは思えない異様な雰囲気でした。その場所は一階のステージの前が広く空いていて、そこに人が集まって自由に歌い踊っていました。その後ろに客席があって、そのステージの両袖の上から張り出した形で2階のバルコニー席がUの字に巡らす2階の客席があり、その欄干には多くの若者が立ったまま鈴なりに寄り掛かかって階下のステージを見下ろしながら、折から奏でるバンドと歌手が喜び歌うヒルソング特有の礼拝奏楽に合わせて歌っているのでした。場所としてはそれ程大きくなく人数としては当時せいぜい200人ぐらいだったかと思いました。

 ところが今回私が訪ねた場所は、エンパイヤー・ステート・ビルが近くにある同じ34番街 の目ぬき通りで、前よりかなり大きな場所でした。礼拝は午前10時、 12時 , 午後2時, 6時, 8時と1日5回、出席人数は推定ですが1回が500−600人として計約3千人ぐらいでした。

カリスマ誌によれば、このオーストラリアから来たヒル・ソング教会は、今では、世界24カ国に広がり、総計で約13万人が毎週の日曜礼拝に参加し、2017年1年間で救われた人は3万3千人に達したといいます。加えてヒルソング・チャネリングというネット放送を通じて、世界の183カ国で何と1億4千600万家庭に日夜配信しているそうです。(続く)


25 03月

家系の呪いを断ち切る マリリン・ヒッキー              2019年3月25日


家系の呪いを断ち切る

 

マリリン・ヒッキー(Marilyn Hickey Ministries)

 

 

出エジプト20:5「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。」

 ここでは「(父の) 咎 (iniquity )」という言葉を用いていて、罪(sin) とか 罪過(trespass)とは言っていません。咎(iniquity)とは何でしょうか?

箴言28:13に「自分のそむきの罪を隠す者は成功しない。それを告白して、それを捨てる者はあわれみを受ける。」とありますが、咎というのは、罪(sin)を犯した時に悔い改めないで、何度も犯し続け習慣になったもののことを言います。罪(sin)とは「的を外すこと」であり、罪過(trespass)とは的を越えてしまうこと(例えば言葉で人を傷つけたりすること)です。もしこのようなことを何度も繰り返し犯してしまうならば、それは咎(iniquity)となってしまうのです。それは家系に代々現われてきます。特に性的な罪がそうです。人が性的罪を犯して何度も繰り返すならばそれは代々受け継がれていきます。貧困も呪いであり、神を憎む者の家系に受け継がれていきます。

しかし、私たち神を愛する者はイエスの血潮により家系の呪いを断ち切ることができまです。そればかりか、あなたは祝福を千代に渡って子孫に受け継がせることが出来るのです。神は何とすばらしいお方でしょうか。

 

私の家系にもある呪いがありました。私の父、祖父、兄は時として非常に激しい怒りに襲われていました。そして私が36歳の時、サタンはその呪いを私にも及ぼそうとしました。私は「神様、助けてください!私はお父さんと同じような激しい怒りに捕われようとしています!」と叫びました。すると神は「そう、あなたは父と同じなのです。そしてわたしこそがあなたの父です。わたしは精神的な問題など持ったことはありませんよ。だからあなたにも問題はありません。」と言ってくださいました。

家系の呪いには例えば次のようなものがあります。失敗、離婚、破産、不慮の死、自殺、激怒、批判的な態度、事故、性的罪、慢性的な疾患、心臓疾患、糖尿等々です。私の家系の多くは心臓疾患で死亡していますが、私も11歳の時に心臓肥大と診断され、23歳の時にも同じ診断を受けました。しかし、私は「私は神を愛しています!この家系の呪いをイエスの御名で断ち切ります!」と宣言しました。そして今私は80歳を越えていますが、医者は私の心臓は若者のようだと言います。私は天の倉から新しい心臓をもらったのです。

 

家系の呪いを断ち切るための最初のステップは、それが「家系の呪い」であると認識することです。そうでないと、

サタンが呪いを持って入り込むのを無防備に許してしまうことになります。あなたは「サタンはどのようにしてそのようなことが出来るのですか?」と訝しく思われるかもしれませんが、それはファミリヤー・スピリットという悪霊によるのです。この悪霊は、あなたの家系に起こったことを全部知っているので、次の世代にそれをまたもたらすのです。サウロ王が霊媒の女を使ってサムエルを呼び出しましたが、それは実はサムエルではなくサムエルのことを知っているファミリヤー・スピリットがサムエルになりすましたのです。ファミニヤー・スピリットはあなたの家系の歴史を熟知し、その弱点をも知っています。

それではどのようにして家系の呪いを断ち切ることができるのでしょうか。私は聖書を調べて、咎(iniquity)によってどのように呪いがかかるかを学びました。土地の咎に対する呪い、国の咎に対する呪い、家系の咎に対する呪いがあります。そしてそれは「悔い改め repentance」によって断ち切ることができるのです。

 

レビ記26:40—42「彼らは、わたしに不実なことを行ない、わたしに反抗して歩んだ自分たちの咎と先祖たちの咎を告白するが、しかし、わたしが彼らに反抗して歩み、彼らを敵の国に送りこんだのである。そのとき、彼らの無割礼の心はへりくだり、彼らの咎の償いをしよう。わたしはヤコブとのわたしの契約を思い起こそう。またイサクとわたしの契約を、またアブラハムとのわたしの契約を思い起こそう。そしてわたしはその地をも思い起こそう。」

 

イスラエルの民は父祖の咎を告白し悔い改めました。ですから私たちも両親や先祖の咎を考えて書き出す必要があります。次の二つの箇所にも同じことが書かれています。

ネヘミヤ9:2「そして、すべての外国人との縁を断ったイスラエルの子孫は立ち上がって、自分たちの罪と、先祖の咎を告白した。」

エレミヤ14:20「主よ。私たちは自分たちの悪と、先祖の咎とを知っています。ほんとうに私たちは、あなたに罪を犯しています。」

 

このように私たちが自分の罪と先祖の咎とを告白し、悔い改めることが必要なのです。例えば、ダニエルは偶像礼拝の罪を繰り返していた祖国イスラエルのために断食をして悔い改めました。自分の罪と親や祖先の咎を告白し悔い改めことこそが、呪いを断ち切る鍵であるからです。

「この呪いを家系にもたらした咎をお赦しください。」と祈ってください。私たちにはイエスの血による贖いが既にあります。イエスの血潮なしに赦しはありません。

皆さんの家系にも必ず何か咎の問題があるのではないでしょうか。それを覆い隠すならば、解決はなく、それを認識し告白して悔い改めるならば、その呪いを断ち切り、家系に祝福をもたらすことができるのです!

ここで聖書に書かれた一つの家系を見てみたいと思います。それはコラの家系です。モーセの時代に、コラとその仲間はリーダーであるモーセとアロンに反逆し、自分たちがリーダーになるべきだと言いました。その結果、コラたちは主に裁かれ、「彼らとその家族、またコラに属するすべての者と、すべての持ち物」は地に飲み込まれて滅ぼされてしまいました。(民数記16章)

しかし民数記26:10、11に「そのとき、地は口をあけて、彼らをコラとともにのみこみ、その仲間は死んだ。...しかしコラの子たちは死ななかった。」と書かれているように、コラの子たちは父とは離れて父と共に立たなかったので死にませんでした。彼らは主に従い、それ故に彼らの家系は祝福の家系へと変えられ、彼らの子孫は後にダビデの幕屋やソロモンの神殿で讃美を捧げる者として大いに用いられたのです。有名な詩編42「鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。」は「コラの子たちのマスキール」と記されています。実に全部で9つの詩編がコラの子たちによるものです。

私たちも、コラの子たちのように、自分の家系の咎をそのままにせず、告白し悔い改め、イエスの血潮による赦しを受けるならば、家系の呪いから自分を、また子孫をも解き放つことができるのです。イザヤ53:5、11に書かれているように、イエスは私たちの「罪(sin)、罪過(trespass) 、 咎(iniquity)」のための生け贄となられ、その血潮により私たちを呪いから解放してくださいました。私たちも、又私たちの家族も、最早呪いの下で苦しむのではなく、千代の祝福の中を歩むことができるのは、何とすばらしいことでしょうか。(終り)


18 03月

近況報告です      坂  達 也            2019年3月18日


近況報告です

 

                 坂  達 也

 

 

 最近私たち夫婦は、アメリカに移り住んでから7回目の引越しをしました。このニューヨークだけでも今回で4軒目の住居移動です。と言っても未だ、引越し後の荷物をほどく作業の真っ最中で、完全に落ち着くまでにはかなりの時間が掛かりそうです。

 さて、今度引っ越した先は築55年という古いレンガ造り、7回建てのCo-opアパートで、最初の思惑と違ったところも多々あり、思わぬ不慮の事態がいろいろと起きました。その最たるものといえば、元々息子夫婦から譲り受けたソファーが新居アパートの入り口のドアからどうしても入らず、止む無く又引越し屋さんに元の住まいの息子家族の家まで運び返してもらうという事態になったことです。お陰でこの二日間、私は近くの家具屋7−8軒を駆けずり回り、やっと玄関口を入りそうな、私たちには分相応な値段で手頃なセット物を見つけて、明後日配達されるのを待っているところです。

 

 実は、私は今回の引越しを通して、聖書のみ言葉の意味をより深く理解することができたという幸いな経験をお分かちさせていただきたいと思います。それはクリスチャンなら誰でも知っている「クリスチャンとしての生き方」の標語のような下記のみ言葉に関してです。

 

 「いつも喜んでいなさい。

  絶えず祈りなさい。

  すべての事について感謝しなさい。」(1テサロニケ5:16−18)

 

 考えてみればみる程、このみ言葉はクリスチャン・ライフそのものを最もやさしく簡潔で明瞭にその全体像を表現している「信仰の極み」であると私は思います。本当にこれができるクリスチャンになれば、エノクのように生きたまま天に召されること請け合いです。正直なところ、それは分かってはいるけれど現実は出来ないーー皆さんはともかく、私にとって最も難しいのは最初の「いつも喜んでいなさい。」です。この世の中を腹を立てない、イライラしないで生きるのは至難の技ですね。私は真っ先にそれを認めます。しかし、主イエスのかかとをつかんで生まれてきたと言われるイエスの弟のヤコブが書いたヤコブ書1:2で、ヤコブは、

 

 「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」

 

とまで言っています。こうなるとクリスチャンは、どんなに辛い試練を受けても、単にイライラするのを抑えて、見せかけだけの笑顔を見せるのではなく、試練が来れば逆に「待ってました」とばかりに心からそれを「この上もない喜びと思って迎えよ」という信仰の意気込みに変えられるという意味で言っているのですから、これこそ凄い真の信仰ではないでしょうか。実はご存知の通り、パウロもヤコブもそれを強調するのは、それだけの確固たる理由があるからです。そのことが続く次の節に書かれています。

 

「信仰がためされと忍耐が生じる・・・その忍耐を完全に働かせなさい。重要なのはその次の「そうすればあなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全は者となります。」

 

私たちは主にあって完全な者になれるし、ならねばならないのです。なぜなら、

 

 「キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対してとこしえの救いを与える者となり・・」とヘブル書5:8−9に書いてあるからです。

 

「絶えず祈りなさい。」

 

 ところで私は、同じように今回の引越しを通して「絶えず祈りなさい。」の本当の意味を学びました。「祈る」といへば、何か、はるかかなたの天におられる父なる神にお願い事をするとか、誰かのために取りなすことと思われがちです。確かに、「絶えずとりなす」ことは重要ですが、今回はそれに加え、それ以上に大切なことを私たちがしないでいる事に改めて気付かされたのです。

 それは、私たちの内には聖霊さまが内住し、その聖霊を通じて、御父と御子がいつも私たちの側におられるのに、私たちはその最も大事なお方は遠い天にだけおられると誤解して(神は距離と関係なく偏在される)、個人的に親しく会話をしないことが多いからです。考えてみれば、もし私たちが苦境に立っている時、頼り甲斐のある親しい友が側に付いていてくれれば、その人に絶えず相談しないでしょうか。

 私たちには7歳と4歳になる孫がおりますが、彼らは父親が家に帰ってくると側に纏わりついて、いっ時、切れ目なく父親に話し掛けます。ボーンアゲインしたクリスチャンになる最大の利点は、御父と四六時中、個人的にいつも一緒に「絶えず会話を交わし、相談に乗っていただく」特権に預かることです。今回程私は、その特権の素晴らしさを味わったことはありませんでした。

 それを言えば、同じヤコブ書の1:5で「あなた方の中に知恵の欠けた人がいるなら、その人は誰にでも惜しげなく、とがめることなくお与えになる神に願いなさい。そうすればきっと与えられます。但し、少しも疑わずに、信じて願いなさい。疑う人は、風に吹かれて揺れ動く、海の大波のようです。」と書かれていますから、全てが信仰の問題であることがよく分かります。就いてはこの際ぜひ、ヤコブ書を最後まで通してお読みください。

 そしてヤコブは12節でこう締めくくります。

「試練に耐える人は幸いです。絶え抜いて良しと認められた人は、神を愛するものに約束された、いのちの冠を受けるからです。」

 

 

「すべての事について感謝しなさい。」

 

 この締めくくりのみ言葉は上記の二つのみ言葉を支えるのに不可欠であると同時に、すべてのことが信仰で実行したと思ってしたことが、たとえ、結果として主の全き御心でなかったことが分かった時も(その時には短く心からの悔い改めをする)、あるいは御心通りすべてうまく行った時も(とても嬉しい)、同じように感謝し、その感謝の心が自然に、神の栄光を讃える心からの賛美と礼拝に高揚してゆくものでなければならないと思います。尚、そのような主の全き御心を行うことに失敗する経験を主が敢えて許されるのは、その失敗を通して私たちのより霊的な信仰が築かれるからです。

 その為には先ず、自分がイエスを救い主として信じる信仰告白をした後で、ロマ書8:2ー11に書かれている「イエスの死にあずかる水のバプテスマ」を受ける必要があります。それはすなわち、イエスと同じようにイエスと共に死に、イエスと共によみがえって「永遠のいのちで生きる」という、そのバプテスマを受けた時から、信仰で、生きたままで自分に死ぬ(自分の十字架を担ぐ)という確かな意識を持つて生きることが、私は絶対に必要であると信じます。今の特に若い人たちにはこの「自分に死ぬ」という意識を口にすることを嫌う人が多くいることに注意する必要があります。なぜかといへば、その「自分に死ぬ」意識を持たない人は、結局のところ、パウロのいう1テサロニケ5章の確固たる信仰を持ち得ないと私自身は信じるからです。すなわち、御父が愛する私たちクリスチャンを敢えてこの世の苦しみの中を通すのは、ひとえに私たち肉的なクリスチャンに必要な霊的訓練を施す為であるのです。

 

 結論として申し上げられることは、聖書の福音「良い知らせ」とは「全て良し」、この宇宙に唯一存在する完全な「創造主の神」が造られた完璧な福音であることです。従って、キリストの父なる神だけが完全無欠、非の打ち所のない神であり、あらゆる人間は、一切を神に委ねて神に従うことに絶対に間違いはないということです。クリスチャンは、従って、いかなる状況であってもネガテイブに考える必要は全くない、常にポジテイブに喜びに満ちて生きられるのです。アーメン。(終わり)


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