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Walk With God Ministries

25 03月

アメリカは「復活祭の日曜日を機に休止状態の経済は 回復に向かう」と大統領はいう     坂  達 也        2020年3月25日


アメリカは「復活祭の日曜日を機に休止状態

        の経済は回復に向かう」と大統領はいう

             

 

                    坂  達 也

 

 

 FOX NEWS による先週末の報道によれば、テレビで有名な Dr. Oz は、フランスの医師が二つの既存薬、一つはマラリヤ熱に有効な薬 であるHYDROXYCHLOROGINE、もう一つは既存のフルー(流感)に効くという薬、 AZITHROMYCIN の二つの薬を、既に30人以上の陽性コロナ患者にコンビネーションで与えた結果が、驚くべきことに、全員投薬後6日目に陽性が陰性になったと発表しました。但し、その報道の終わりに Dr. Oz は、患者でない一般の人が、万が一のために買いだめをすれば、限りがある既存の在庫がたちまち無くなるので、それだけは絶対にしないで欲しいと要請しました。

 

 その Dr. Oz が、本日のインタビュー記事で、トランプ大統領が既に発表した「4月12日のイースター(復活祭)日曜日までには、現行のコロナウイルス危機によって全ての経済が一時停止している状態から一歩抜け出す兆しが起こる、そして解除に向かうであろう。」と言うトランプ大統領の明るい見通しをどう思うかと言う質問に対して、「それは充分にあり得る」と答えています。

 

 それと同時に、複数のアメリカの薬学研究機関でも同じようなテストが既に始められていて、また、ワクチン開発も進行していると言われるのです。そして、これらの既存薬・適用のアイデアの元は、中国からであるそうです。

 

 私はこの一大危機に際して、目下たけなわのアメリカ大統領選で真っ二つに割れているアメリカ、特に上下両院の政治闘争とメデイア闘争を巧みにリードして、過去になかったような思い切った多額の国民経済援助を通過させようとしているトランプ大統領の努力は高く評価されつつあります。

 私は、前から申し上げているように、トランプ大統領をこの世に送ったのは間違いなく神の叡智による「ご計画」であることを今回改めて確信しました。

 

 

神は私たちの信仰と愛を試されている

 

 最近のブログでリック・ジョイナー師が言っていましたが、師が、主に「何とかこの世界的なウイルス危機を止めて下さるように」祈った処、その祈りだけはしないようにと、はっきり御声が聞こえるな強さで止められたそうです。

 そして師は、イザヤ書40:31「主を待ち望む者は・・・」、詩篇23:2「主は私を緑の牧場に伏させ・・・」また、ヘブル4、5章、特に4:1「こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っている・・・」を引用して、「安息をもって(安心して)主を待ち望むこと」の大切さ、それが今回の全世界にまん延する深刻な感染病の大流行(pandemic) を与えた目的であると言われたそうです。

 このような pandemic は、確かに私たちに恐れを起こさせます。しかしクリスチャンにとっては、恐れを持つ必要は全くないのです。そのことが1ヨハネ4:16−18に次のように書かれていることを思い出して下さい。

 

 「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人にうちにおられます。このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちがさばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」

 

 ですから主は、今回だけではありません、歴史上、今回に匹敵するような恐ろしい伝染病を人類に何回も与えて来られました。それは特に、私たちクリスチャンが真に主キリストを愛し、主への絶対の信仰を持つているかどうかを試すためのテストであると思います。

 

 私たちの住むニューヨークの北の地域は、今アメリカで一番コロナウイルスの危険区域と言われています。そんな中で、孫たちの学校が休校になって二週間経ちました。そこで今は、私たち家族、特に別に住む私と一緒に家の中で集まるのは控えていますが、先週末はたまたますばらしいお天気でしたので、子供二人は自転車と手押しスクーターに乗り、私たち大人3人は2メートルほど離れて、話し合いながら、渓流の側の6−7メートルほどの幅のある散歩道を楽しく日光浴をして歩きました。多くの家族が同じようにやって来て賑わう中でも本当に楽しそうでした。

 私は今の世の中は、あまりにも目まぐるしく、忙しくなり過ぎていて、特に家族が親しく交わり、リクリエーションをする機会が非常に少ないということに気が付き、そんな時にこのように家族が楽しく交わへることを心から神に感謝しました。クリスチャンの家族が、家族だけで聖書を読んだり、祈り合う機会が与えられ、生活が非常に充実したという方々も多くいます。まるで時計を100年も200年も前に戻した家族中心の世界です。ハレルヤ(終わり)


19 03月

「主と共に歩く」時がやって来た!(3)               坂  達 也     2020年3月19日


「主と共に歩く」時がやって来た!(3)

 

                 坂  達 也

 

 

 本日3月20日(日本時間)のアメリカの様子をご報告します。

 

 昨日は、アメリカ中がコロナウイルス問題で完全にパニック状態になっていましたが、今日は一変して、全体のムードとしてはかなり落ち着いて来ました。その形容の仕方が「例えこのウイルスに罹ったとしても、その病状は高熱とか咳が出る程度で、大した事はないー英語でマイルドと言う形容詞を使っていますー、しかも多くの人が2−3週間で治ってしまうと言う受け取り方です。

 

 確かに高齢者では死亡率が罹った人の55%となっていますが(これはアメリカだけでの話です)といって40歳以下の若い人でも死亡率は15%と言います。

 しかし概算で、目下世界中で十五万人がこのウイルスに罹り(検査して陽性と出た人)そのうち5,800人が死亡、残りの14万4千人の約半数の7万人が数週間で治ってしまっていると言う感じ(報道の仕方)です。実際には、検査をしない人も多く、その中には罹った人もいるし、しかし、知らないうちに治ってしまっている人も多いとみれば、確かに「それほど大した事はない」とかなり安心するムードでしょうか、

 加えて、ワクチンの試験的製造もどんどん進み、今やアメリカの製薬会社とか研究機関では、早いところで既に1、2社が人間に投与し始めました。

 

 従って私自身昨日申し上げたように、最初に紹介したショーン・ボルツ師の預言はかなり正確な預言であったと思います。

 

 取り急ぎ以上ご報告とします。(終わり)


18 03月

「主と共に歩く」時がやって来た!(2)                  坂  達 也        2020年3月18日


「主と共に歩く」時がやって来た!(2)

 

                 坂  達 也

 

 

3月18日の掲題のメッセージに追伸として加えさせていただきます。

 

1)ボルツ師の預言に関しては、今のところの結論として、私はこのコロナウイルスの問題はあと1−二ヶ月で峠を越え引潮になると言う預言は正しいと信じます。リック・ジョイナー師もそのような感じで進行してゆくと見ています。但しすぐ終わる訳ではなく、流感と同じで夏は一時的に消えても翌年冬に再発することが予期され、しかしそれまでにはワクチンが出て来ることを期待したいと思います。

 特にワクチンの開発は目下アメリカでも2−3社が開発を終えて人体実験を始める段階に入ったと言い、世界中でどんどん開発が急がれていますから、暖かい季節を迎えることも考慮して次第に静まる方向に行きそうです。

 

2)アメリカ国内の情報は明日改めてご報告します。

 

3)私はこのWWGMのブログは、毎週一回を目標として来ましたが、現在は非常事態でもあり、必要に応じて毎日でもメッセージを書かせていただきます、従って少なくとも明日は別のレポートを出しますのでご高覧ください。

 

 以上です。


18 03月

「主と共に歩く」時がやって来た!                  坂  達 也     2020年3月18日


「主と共に歩く」時がやって来た!

 

                 坂  達 也

 

 

 今回のコロナ・ウイルス騒ぎは一体何を意味するのでしょうか。私はショーン・ボルツ師の預言をご紹介しましたが、今世界中が、世の終わりが来るかのような前代未聞の恐慌に襲われています。

 この新しい疫病によって、世界中の国で、既に多大な人の命が取られているだけでなく、それが止まるところが見えない状況にあります。それだけではありません。世界中の交通機関から教育制度に至るまで完全に麻痺状態にあり、加えて経済面でも、あらゆる地域、業種、階層において、未だかってなかった程の打撃を受け、それによる政治の困難と混迷は、遂に人々を混乱と恐怖のどん底にまで落とし込んでいると言って過言ではありません。

 

 それが何を意味するのでしょうか? 本当に「世の終わりの裁きの時」が間近であることを思もわせることが今起こっているーーそれは確かです。しかし、世の終わりが来る前に、主が一大リバイバルを起こされることも、それと同じ位確かなことであることは、クリスチャンであれば知らない人はいない筈です。なぜなら聖書にそれが、繰り返し、はっきりと書かれているからです。

 加えて、その一大アウエイクニングとリバイバルがいよいよ2020年から始まるーいや、既に始まっていると、多くの預言者が語っていることもご紹介しました。

 

 私は、そのリバイバルが始まるに当たっての「警鐘のラッパ」が今高らかに鳴らされているーーそれがコロナ・ウイルス騒ぎであると信じます。

 

 今の世界情勢は極端に言えば、人間はこれから一ヶ月後、或は1分後ですら何が突発的に起こるかも分かりません。しかし主はいつも何事もご存知です。そうであるなら、私たち、特にクリスチャンにとって 絶対安全で、ベストで、しかも確実な方法が一つだけあります。それは「主と共に歩く」ことです。

 

 私たちはいつも主に寄り添って全てにおいて何をしたら良いかを主に聞き、会話しながら歩く位、間違いのない生き方はありません。ーそれはちょうど、よちよち歩きの幼い子供に親が側に寄り添い、手を取って歩く姿と似ています。主もそれを何よりも望んでおられるのです。

 

 実は、それをモットーとし、また目標として掲げ、私たちのミニストリー名は Walk With God Ministries と名付けられましたが、今程それが必要である時代は過去にはありませんでした。どうぞすべてを主に聞いて聖霊の油注ぎの中ですべてを行おうではありませんか。

 

 また、その「主と共に歩む」ことをイエス・キリストご自身が、ヨハネ5:19、20で示してくれました。

 「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。・・・」

 これは私たちが通常、神の示されることを夢とか幻で見て預言的に受け取り、それに従って「預言に忠実に生きなければならない」ことを示していないでしょうか。正確な預言を個人的にも毎日受け取らねばなりません。同時にまた、間違いのない預言者からの預言も常に吟味して求め、受け取って生きなければならないことを意味しています。自分の思い、希望、考えだけで生きてはいけないのです。

 その主の言われることに忠実に従いながら行動することの重要性と方法を使徒のペテロから学ぶことができます。

 

 

ペテロのやり方で物事を進めよう

 

 弟子たちがイエスが水の上を歩いているのを見て、ペテロが「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになって下さい。」とお願いし、イエスが「来なさい。」と言われたので、ペテロは水の上を歩いてイエスの方に行ったのです。(マタイ14章)

 

 ところがです。風が吹いて来て怖くなったので、彼は沈みかけました。そこでペテロは「主よ。助けて下さい。」と叫び、イエスは、すぐに手を伸ばして彼をつかんで「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」とペテロを諫めましたね。

 

 この話でご注目いただきたいことは、ペテロは自分の考えで水の上を歩いたのではないことです。私たちクリスチャンは、自分の考えで行動することは絶対に禁物であるのです。(ほとんどの人は自分が生きています。そのようなクリスチャンを別名、宗教的クリスチャンと言う事はご存知ですね。)であれば、たとえ自分でも水の上を歩きたいと思っても、「先ず主に聞いて、主の命令に従う形でしか、ことを起こさない」ーこれがクリスチャンの鉄則であることです。その理由は、 私たちは主と共に死んで主と共によみがえった人間であるからです。あるいは「イエスにおいて」しか生きない人間であるからです。

 

 このお話は今起こっているコロナ・ウイルスに少しでも恐れを持つ者(私も含め)に当てはめられます。神がこのウイルス旋風を世界に与えた理由と目的がここにあると私は思います。

 これは、人間なら誰でも真に神に頼る信仰を持たない者は生き残れないことを世に示しておられるーすなわち、これから主が起こされる大アウエイクニングには、真の信仰を持つていない単なる「宗教的なクリスチャン」も霊的喚起が絶対に必要であるということであり、そのようなアウエイクニングされたクリスチャンこそが、これから起こる最後の大リバイバルを主にあって起こし、ボブ・ジョーンズ師の言われる10億の未信者を導くために絶対に必要であることを、主は示しておられると信じます。

 古い言い方で恐縮ですが、言ってみれば、大リバイバルの宣戦布告に際しての戦う勇士への「赤紙召集」であると私は考えます。

 最後に神は、ご存知のように、私たちクリスチャンの信仰がいかに重要であるかを、詩篇91で教え、強調しておられることにご注目下さい。

 詩篇91:1−11「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の影に宿る。

  私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」

  と。

  主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからであ

  る。

  主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。

  あなたは、その翼の下に身を避ける。

  主の真実は、大楯であり、とりでである。

  あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。

  また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びおも。

  千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、

  それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、

  悪者への報いを見るだけである。

  それはあなたが私の避け所である主を、

  いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。

  わざわいは、あなたにふりかからずえやみも、あなたの天幕に近づかない

  まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、

  あなたを守るようにされる(終わり)


10 03月

キリストに似る者となる     フランシス・フランジペン           2020年3月10日 


キリストに似る者となる

 

フランシス・フランジペンIn Christ’s Image より)

 

 

 本日は、私たちの教会の最も中心的なビジョンを話します。それは「キリストに似る者となる」ことです。私たちがキリストに似る者とならないならば、教会の目的はなくなります。神は私たちの古い性質を抑制する「宗教」を与えてくださったのではなく、私たちに新しい性質をくださいました。新しい命、即ちキリストの命そのものをくださったのです。パウロはガラテヤ2:20で「私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」と言っています。

 

 イエス・キリストがあなたのうちに生きておられるかどうか、吟味してみてください。教会におけるすべての訓練(活動、ビジョン、適応、学びなど)の目的は、キリストを私たちのうちに解き放つことにより、キリストが私たちを通して生きることにあるのです。私たちがどれ程キリストの霊をこの世に解き放つか、そのために、自分の動機、自分の思い、自分の信仰をどれ程キリストに明け渡すか、それが教会の成功度のバロメーターであって、人数ではありません。何人がキリストに似る者となるかが、教会の成功を測るポイントです。それによってあなたがリバイブされたかどうかがわかります。リバイブ(生き返る)するのは、あなたの中のキリストの命だからこそです。

 

 パウロがピリピ3章に書いていますが、彼は信仰生活を始めたとき、多くの教会を設立しようと計画した訳ではありません。新約聖書の三分のニを書くつもりも、使徒になる計画もありませんでした。彼の唯一つのパッションは「イエスを知ること」でした。彼はピリピ3:2で犬に気をつけるように警告しています。悪い働き人、肉体だけの割礼の者に気をつけるように言っています。

 一世紀の犬は今のように可愛いペットではなく、ゴミ捨て場をうろつく動物でした。エルサレムの12の門の一つはゴミの門で、その門の外はゲヘナと呼ばれゴミが燃やされていました。犬はそのゴミをあさって生きていたのです。教会にもゴミばかりあさっているクリスチャンがいます。何か悪いことがないかといつも鼻をぴくぴくさせているのです。腐敗したことはないか、不完全なものはないか、何か失敗した者はいないかといつも嗅ぎまわり、それを食べて生きているのです。どうかそのようなクリスチャンにはならないでください。神はあなたのためにもっと良いものを備えていてくださいます。

 ここでパウロは「宗教」ではなく、キリストとの真の関係について話しています。彼は自分の経歴を述べ始めます。「自分はパリサイ人の中のパリサイ人、ベンジャミン族の出、律法に熱心で非難されるところはなかった...」と自分の血筋の良さを書き並べたあと、「キリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」と言い、この「イエスを知りたい!」というパウロの情熱こそが、彼が「神からの約束」を得る推進力となったのです。もしあなたがイエスを知る情熱をもたず、キリストに似た者になることもせず、神からの約束の成就だけを願うならば、それはなかなか成就しません。キリストに似た者になることを人生の最大の目的とすることが必要であるのです。

 この教会はただ「人々」を求めているのではなく「弟子」を求めているのです。

「弟子は師以上には出られません。しかし、十分訓練を受けた者はみな、自分の師ぐらいにはなるのです。」(ルカ6:40)」とイエスは言われました。私たち弟子は、師であるイエス・キリストのようになれるのであって、それが私たち教会のゴールです。イエスを知ること、イエスのようになること、そのための情熱を持つこと、それが今日の話のテーマです。

 それはあなたが生きているこの世界でキリストのようになることであって、次の世においてではありません。次の世ではすべての人が完全にされますから、それは難しくありません。でも神は今ここで私たちがキリストに似る者となることを意図されているのです。

 即ち、あなたの仕事場でキリストのようなること、あなたが住んでいる町でキリストのようになることです。もし私たちがそれを目指して進むならば、神の約束がそれに添えて成就されるのを私たちは見るのです。

 

 私たちは神の約束を得ようと進んでいても、なかなかそこに到達出来ないと感じます。それは私たちが「神の約束は他のことと関係なく独立して存在し、成就するものだ」と勘違いしているからです。そうではなく、神の約束は、私たちがイエスとの縦の関係を確立するとき、私たちの心がキリストを知ることを愛しキリスに似る者となりたいと情熱を持って進むときに、その「結果」として、神の選ばれた時に成就されるものです。

 

 世界の国々のことを考えてみましょう。彼らが救われることを私たちは願います。すべてのものは膝をかがめ、すべての口が「イエスは主である」と告白して神を誉め称える時が必ず来ます。イスラム教国であっても、共産国であっても、ヒンズー教国であっても、ある時にすべての人が「イエスは主である」と告白し、それが真理であり、リアリティーなのです。現在と、それが成就するまでの間の期間に、教会はどんどんと今までになかった程キリストに似る者となるのです。この約束が成就されるために、私たちはキリストに似る者にならねばなりません。

 第二コリント1:20でパウロは「神の約束はことごとく、この方において『しかり。』となりました。それで私たちは、この方によって、『アーメン。』と言い、神に栄光を帰すのです。」と言っています。「ことごとく」とは、神がイスラエルにした約束、異邦人にした約束、イエスによってもたらされた約束、神があなたにされたすべての約束、これらすべての約束のことです。健全な結婚、子供たちの救い、繁栄、健康など、すべてあなたが神からの約束と信じるものは、「この方において『しかり。』となったのです。もしあなたが約束の成就に到達したいと願うならば、まずイエスにある成就に到達せねばなりません。イエスにあって成就すること、即ち私たちを通してイエスが顕されることが、二番目の祝福の扉、即ち神の約束の成就の扉を開けることになるからです。

 

 人々はあまりにも多くの場合、焦点の合わせ方を間違えます。例えば、「繁栄」ということに焦点を当てます。「神は私を繁栄させてくださる。私が蒔けばそれは何倍にもなって返ってくる、と聖書は約束している。」と言います。でもその人はやがて破産してしまいます。どうしてでしょうか。その人は「信仰」をもって行ったのではないのですか? 聖書の法則に従って行動したのではないのですか? 違います。そのような約束はそれが独立して成就するのではなく、イエスにおいて成就するのです。私たちの人生の中心にイエスがおられるならば、主は光と力を与え、すべてのものをあるべき姿にしてくださり、二義的な約束をも成就してくださいます。「イエスにおいて」「神の約束はことごとく」「しかり」なのです。これは、すごいことではないでしょうか。

 

 あなたはあなたの結婚が、仕事が、家族の救いが、その他すべてのことが巧くいくことを願っています。神はそのすべてをイエスにおいて「Yes!」だと言われるのです。喜びの叫びをあげようではありませんか! 御父は御子をそれほど愛されているのです。イエスはそれほど私たちのために代価を払われたのです。天の銀行にある約束を引き出すためには、私たちは「イエスにおいて」生きねばなりません。イエスの御ことば、命があなたの命となって、神があなたの内側を変えてくださることによって、栄光から栄光へとあなたを内から外へと変革してくださいます。イエスに焦点を当ててください。

 これを真剣に願う人がいますか? 「主よ、私はそれを求めます。」と言いますか? そのような人にはある事が起ります。主はあなたを「イエスのようでなければならない状況」に導かれます。

 前もって警告しておきますよ。何かが起り始めます。戦いが始るのです。確かに「私はイエスのようになりたいと言いました。でも教会という安全な場所でね。でも教会を出た途端、ひどいことが沢山起こりました。」とあなたは言うかもしれません。でもひどいことが起るのはすばらしい事であるのです。それはあなたが前進している証拠です。あなたは「私はそんな風に前進などしたくありません。私は安らかにまどろんでいたいんです。」と言われますか?

 もしあなたが真剣ならば、主はあなたが立ち上がってキリストに似る者になるのを阻止しようとするものとの戦いに勝利できるように油注いでくださいます。この戦いは神の御こころによって戦略的であり、計画、計算されていて、教会という安全な場所で先ず調えられたあなたが、厳しい外の世界に出て行って勝利するように神が備えてくださったものなのです。そこで私たちはイエスのようになるプロセスを拡張していくことができるのです。教会の建物を出てからが実際の生活の場におけるリアルな訓練です。

 

 あなたは将来の伴侶を求めているかもしれません。それは誰だか教えましょう。それはイエスです。「そういうことではなく、本当の誰かを望んでいるのですが….」と言われるかもしれませんね。でも、まずイエスと親しい関係になることがよい伴侶を見つける道です。幸せな結婚がしたい、よい家庭を作りたい、というあなたの願いは、まずイエスとよい関係を結ぶことから始ります。それによって主はあなたに最良の結婚を与えてくださいます。あなたがまわりのものに目を奪われることなく、まずイエスを目指して進むからです。

 

 私たちには少しばかりの苦難、少しばかりの戦いが必要です。小説でも「葛藤がない話は退屈」でしょう? 私たちの中には「退屈な筋書き」の人生を送っている者があるのではないでしょうか。でも大丈夫です。あなたがキリストに似る者になりたいと真剣になったときには、主は必ず葛藤、戦いを送ってくださり、あなたがキリストのようにならねばならない状況の中に置いてくださいます。キリストに似る者になればなるほど、神の約束はあなたの傍に引寄せられてきます。神はあなたの心の願いを与えてくださるようになります。戦いの中にあってもあなたが主を喜ぶとき、あなたが聖なる手をあげて祈るとき、神に愛を捧げるとき、生け贄を喜んで捧げるとき、神は祝福を与えてくださるのです。神の力があなた近づいてきます。あなたがキリストに近づくからです。私たちの教会のDNAは、イエスに従う者です。イエスのように変えられる者です。今日、私たちは神からイエスのようになるチャンスと力を頂いているのです。特権です。

 

 質問します。あなたは他の誰かでその人のようになりたいと思う人がありますか? 考えてみてください。政治家ですか? 映画俳優ですか? 私はイエスのようになりたいです。あなたもそう思われるならば、あなたはその決心をせねばなりません。「主よ、これが私の生き方です、私はこのために生まれました。」と決意してください。イエスのようになること以外は、すべて死の世界なのです。私たちの魂のすべてがイエスにむかって「Yes!」というならば、キリストの御性質が増え広がって行きます。すべての人がこの決断をすることが、私の願いです。「私は真にイエスに倣う者になりたいです。今までは、それ以下のことを神としていたことを心から悔い改めます。」と告白してください。

 

 イエスを離れて私たちは何もできないのです。徳を高めることも、力を得ることも、神の約束を手に入れることもできません。ある人は他の人がしていることを真似てそれらを得ようとします。しかしイエスを内に持たないではそれは不可能です。朝イエスと共に目をさまし、夜イエスと共に床につく、私の潜在意識までもがイエスの思いで一杯になるように、私の目が健全でからだ全体が少しも暗いところがなく明るいようにと願います。

 

 祈りましょう。「父よ、私たち一人ひとりが、イエスのようになることに熱心になりますように。私たちの人生のすべての面をあなたが取り仕切ってくださいますように。父よ、私たちがイエスに似る者となることをお願いいたします。キリストのような心の態度で回りにいるすべての人に接することができますように。自分はいつもそうではないことを告白いたします。あなたや私の心を満足させるような態度ではないことを告白いたします。キリストのような心をすべての面において与えてください。父よ、私たちがイエスを顕す者となれますように。アーメン 」(終り)


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