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Walk With God Ministries


21 10月

永遠が押し入ってくる! ジェフ・ジャンセン 10月21日


永遠が押し入ってくる!

ジェフ・ジャンセン(グローバル・ファイヤー・ミニストリーズ)


最近私は主と出会うという経験をしたのですが、そのとき主は時が迫っていて永遠が非常な勢いでやってくることを示してくださいました。この経験を通して私は、アモス書にある「耕す者が刈るものを追い越す」という意味を理解することが出来ました。永遠という領域が、文字通り自然の時間を追い越すのです。

私たち、キリストの身体は、新しい時代に突入する瀬戸際に立っています。神の栄光で満ちた、時のない領域では、加速的に強まる力があるのです!神の栄光の領域が自然の領域に入り込むと、奇跡、癒し、しるし、不思議、創造的力が大いに加速されます。

2000年近く前に、ヘブル書の著者はユダヤ人信者に対して、キリストに関する初歩の教えや基礎を離れて、成熟を目ざして進むようにと勧めています。(ヘブル6:1参照) 皆さん、今日私はあなた方が神の御座の前に大胆に確信をもって進み出て(成熟へと進んで)神の栄光の新しい領域と出会うようにと強くお勧めします。

今は神の栄光が、キリストの身体の中や身体を通して現されるときです。宮の後の栄光は、先のものよりまさるのです。(ハガイ2:9参照)

今からは残りの者の集団、打ち勝つ信者たちの身体、栄光の世代が起こされ、彼らは王として新しいレベルの権威で御国を偉大な力で統治し、キリストの身体の身丈にまで達するのです。この残りの者は地上から起こってくる新しい人です。キリストの身体が成長するので、イエスの復活の力が完全に現されるのを私たちはもうすぐ見るのです!

デスティニーの種が刈り取られようとしている

主は私たちが今加速の時代にいることを示してくださいました。アモス9:13にある「耕す者が刈り入れる者を追い越す」という時代にすでに入ったのです。永遠がそのまま現在の中に注がれて、私たちを加速的に進ませているのです。過去に蒔かれた種、デスティニーの種、が良いものも悪いものも十分色づいて刈りいれを待っています。

永遠の領域が現在と交ざり合わされたので、様々な出来事が最高潮に起こっています。まだされていないことも、キリストが来られるまでに完成されるでしょう。通常10年かかっていたことが、10ヶ月、あるいは10週間で起こるようになるでしょう! キリストの雲が下ってきて私たち全体を覆うので、キリストの身体は急速に成熟するでしょう。このシーズンはやってくるのではなく、すでに今ここに来ているのです!

現在、栄光のうちに神は任命を下し、マントルや奇跡を開放されています。力と増加の霊が地上のすべての信じるキリストの身体の上に注がれています。それは世界的な大収穫のためです。今、私たちは今までに無かったような御国の力と栄光の顕れを見るようになります。

それに加えて、今主は主の計画と目的のために主の民が自分を聖別することを要求されています。完全に従順であり情熱的に聖さを保つことが絶対必須条件です。熱烈なワーシップと信仰のライフスタイルは、この世代にリバイバルの火をつける燃料であり、生けるキリストの火のような臨在の中で完全に焼き尽くされ聖められる者とならねばなりません。

時のない栄光の領域

栄光の雲は人々を覆う天蓋のようであり、すべての人がそれに触れられます。栄光の雲が臨むとき、天との直接的なコンタクトが起こるので、啓示が増し、霊的視野が開け、賜物が活性化され、奇跡がそこら中で起こります。
アダムが神に創造されたときは、彼には時もなく、不老で、永遠の存在で、時のない神の栄光の中に置かれました。人は病気や死もなく、神の栄光の時のない領域の中で生きるように造られました。

通常全治するのに何週間、何ヶ月とかかる怪我は、神の栄光に触れられるとき瞬時に癒されます。実に時というものは、天の市民としての自分の権利を知り理解している者たちに仕えるように作られたのです。時のない領域を経験するときに、私たちは栄光の領域を経験するのです。
栄光の雲の中にいるとき、私たちは主のみ言葉を宣言し、それが超自然的に顕れるのを見るようになります。ヨブ22:28の「あなたが事を決めると、それは成る」という領域に入るのです。神は私たちを天の倉に入らせてくださり、すべての必要なもの、奇跡、賜物、マントル、祝福、恵み、その他なんでも取り出させてくださいます!今のシーズンに私たちが栄光の新しい領域に入るとき、私たちは自分が語る言葉がすばやく成就するのを見るでしょう。今は物事を宣言するときです、それは成就されるでしょう。

私たちの任務

私たちはプレイズとワーシップを通して新しい栄光の領域に踏み込むようにと、主から任命されています。 私たちがこのことを共にするならば、力と栄光に満ちた御国が顕れるのを見るのです。神の御国が地上で主権を持つようになり、すべての敵の要塞を取り払っていきます。詩篇149:6に「彼らの口には、神への称賛(ハイ・プレイズ)、彼らの手にはもろ刃の剣があるように。」とあります。キリストはすべての敵をその足の下に置くまで支配されるのです。(第一コリント15:25)

ハイ・プレイズを通して私たちは敵の計画を打破し、まだ顕れていない栄光の新しい領域をこの地にもたらすのです。私たちは時のない領域に踏み込み、想像もできないような奇跡を主の臨在の中で見るのです。天にむかって進み続けるとき、私たちは自然の領域に存在する制約を打ち破り、古いパラダイムを振り落とします。

天の扉は今までになかったほど広く開けられています。そして私たちはデスティニーの巻物が解かれるのを今見ています。目に見える世界も見えない世界も共に栄光から栄光へと変えられています。そしてすべてのものが、ますます増加する神の栄光によってトランスフォームされていっています。

祈りましょう。「父よ、新しい栄光の領域へと導いてくださってありがとうございます。どうか私たちの心の目を開けて聖徒の受け継ぐべきものがいかに栄光に富んでいるかを体験できるようにしてください。どうか感じることのできるあなたの臨在で私たちを覆ってください。キリストの身体をあなたの栄光の雲で覆ってください。モーセの叫びが私たちの心の中で響きますように。『どうかあなたの栄光を見せてください!』と。
父よ、どうか私たちの前を通り過ぎるあなたの善をいつも見させてください。イエス様、あなたの花嫁をあなたのみ言葉で聖め、あなたが憩われる聖なる住まいとしてください。あな たはご自分のために栄光の教会を用意されます。聖霊よ、今急速のときが来ていますから、私たちに栄光の領域でどのように動き働けばよいのかを教えてください。そして私たちが信仰の一致によって立ち上がり、神の御子を知る知識により、今までになかった力の栄光の御国の顕れを見ることができますように。私たちは現れた神の息子、娘であり、栄光の世代なのです。 イエスの御名により、アーメン」 (おわり)


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14 10月

打ちひしがれた魂はどこに神を見出すか フランシス・フランジペン 10月14日


:打ちひしがれた魂はどこに神を見出すか

フランシス・フランジペン


イエスは今の終わりのことを表すのに、非常に厳しいタイトルをつけておられます。主はこの期間を「大艱難時代」と呼ばれたのです。艱難という言葉は「過酷な苦痛、災難。霊的な圧迫、重圧」を表します。今私たちはこの時代の終わりに近づいているのですから、人間への破滅的な災難や圧迫が増加することを予期せねばなりません。

現代はますますストレスが大きくなるのに加えて、政府や一般社会はモラルの低下に歯止めをかける意欲をだんだん無くしています。世間のかなりの割合の人々が、神に真っ向から逆らっている時代に私たちは生きているのです。詩篇2編にある預言は、私たちの眼前で現実となっています。「地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と主に油そそがれた者とに逆らう。」(2節) この世はモラルの価値を捨て去り、活動家たちは「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」と叫ぶのです。(3節)

イエスは今の時代に関して「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」(マタイ24:12)と警告されました。もしあなたが暗さを増すこの世の中で、その流れに抵抗してきた者たちの一人であるならば、この戦いがどれほど激しく、又多くの戦いの最前線で戦わねばならないかをご存知でしょう。コミュニティーの中の不正を正そうとする戦いであれ、家族が一致するための努力をしているにせよ、一歩事が前進したかと思うと、今度は五つくらい問題がすぐに出てきます。

いくつかの都市でブレークスルーが起きているにもかかわらず、善良な人たちの多くは気力を失っています。彼らはただ毎日同じルーティーンを繰り返しているだけです。預言者ダニエルは、敵が「いと高き方の聖徒たちを悩ます(疲れさす)ダニエル7:25」時代のことを警告しています。今の時代に勝利者として生き残るには、詩篇91で神が与えてくださっているリアリティーまで登っていかねばなりません。いのちが再び満たされる場所がそこにあるのです、そこは私たちが宿ることができる永遠の命の泉です。聖書はこの場所を「いと高き方の隠れ場」と呼んでいます。

エリヤ:私たちと同じ人間

エリヤは私たちと同じように情熱をもった人でした。そして私たちと同じように霊的戦いをしました。彼はイスラエルの魂のために戦い、イザベルとその夫アハブ王とのたくらみに対抗しました。しかし、彼の一番激しい戦いの相手は目に見える敵ではなく、自分自身の落胆に対する戦いでした。

エリヤは勇敢な人でしたが、逃亡者として洞穴や隠れ場所を転々としなければなりませんでした。イザベルは主の預言者たちの大多数を殺害し、彼らからの神の影響の代わりにバールやアシュラの祭司からの暗闇の悪魔的な力を受けていました。 しかし、新しい指令が主から発せられました。エリヤとバールの預言者たちは、それぞれが仕える神の祭壇を築き、祭壇に火をもって答えられる神こそが彼らの主であると認められるということになったのです。 
アハブ王とイスラエルはこの戦いを見に集まってきました。そして、いかにバールの祭司たちががんばっても、悪の偶像バールからの応答はありませんでした。それとは対照的に、エリヤが祈ると火がたちまち天から下り、いけにえをなめ尽くしました。これはエリヤが勝ち取った最大の勝利でした。イスラエル人は神の力を見て地にひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」(第一列王記18:39)と叫びました。

しかし、主がされることはまだあったのです。バールの祭司たちを死刑にしたあと、エリヤはカルメル山頂に行き、顔を伏せて雨が降るように7回祈りました。 そして、とうとう3年間の旱魃を終息させる大雨を主がもたらされました。この日一日で火と雨が奇跡的に天から下ったのです!
このすばらしい出来事がイスラエルの歴史上の他の時代に起こったのならば、イスラエルは悔い改めたでしょう。しかし、それは起こりませんでした。バール礼拝はここで終わるべきでした。しかし、続いたのです。実際、何も変化が無かったのです。エリヤが心に描いていたリバイバルとは全く反対のことが起こりました。怒り狂ったイザベルは主の預言者を皆殺しにすることを誓い、エリヤはあわてて荒野に逃げ出しました。えにしだの木の下で、エリヤは疲れ果て意気消沈して倒れてしまいました。 疲れ果ててエリヤは「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」と祈りました。(第一列王記19:4)

エリヤは出来る限りの努力を主に捧げました。この日は彼の人生が絶頂に達した日でした。エリヤはイスラエルが主こそ彼らの神であることを知るようにと祈り、それに答えて主はイスラエルの「心を翻して」(第一列王記18:37)くださったのです。しかし、先の預言者たちと同じように、エリヤはイスラエルのリバイバルを引き起こすことは出来ませんでした。落胆が彼を圧倒しました。彼はもう十分だったのです。

あなたも霊的にも感情的にも疲れ果てて、「もう十分です。」と言ったときがありましたか? それは自分の家庭を良い方向に変えられなかった自分の力不足に落胆したときだったかもしれませんし、あるいは、あなたの教会や社会のために断食して祈ったにもかかわらず、何もこれといった変化が見られなかった時かもしれません。あなたは全力を出し切ったのに、なんの成果も見られなかったのです。エリヤのように落胆して疲れ果て、あなたのすべてを使い果たしてしまったのです。

エリヤは横になって眠りました。すると御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」といいました。(第一列王記19:5) 彼の頭のところにパンと水がありました。人生に疲れ果てていたエリヤは、それを食べてまた眠りました。

もう一度御使いが彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから(too great for you)。」と言いました。(7節) 私たちのヴィジョン、計画、プログラムに到達するための旅もまた、「too great, 大きすぎる、まだ遠い」のです。実に私たちの旅は、自分一人でするには大きすぎるように神は作られたのです。神なしで成功できるような計画を、主は私たちのために立てられることはないのです。私たち神のほうに助けを求めて駆り立てるように、人生は組み立てられているのです。

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「そこで、彼(エリヤ)は、起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山
02 10月

トッド・ベントレーが残した課題 真の使徒時代の黎明 10月2日


トッド・ベントレーが残した課題
          -真の使徒時代の黎明― 


  
この記事はハーサー誌11月号への原稿です。

     坂  達 也

ユダヤ暦の2008年は間もなく終わろうとしている。今年一年を振り返ってみて最も目立った「事件」の一つは、フロリダのレイクランドに起こった癒しのアウトポアリングではなかろうか。
 その中心人物は好むと好まざるにかかわらずトッド・ベントレーであった。彼が招かれたイグナイテッド・チャーチで、彼自身も予期しなかった嵐のような聖霊のアウトポアリングが起ったのが4月初めであったが、それも4ヶ月ほどであっという間に過ぎ去った。まるで大型の台風のようであった。大型台風は被害を与えるが、人々は「ベントレー」と言う名の台風が去った今、ベントレーが祝福の代わりに被害を与えたかのように、その後始末で騒いでいる感がするのは私だけであろうか。

今回の「ベントレー事件」で注目すべきことの一つは、6月23日にピ-ター・ワグナーの取り持ちと司会により、ベントレーが三人の使徒的監督者の下につくと同時に、レイクランドにおける癒しのリバイバルの伝道者として公に按手・任命されたことであろう。しかしこの任命式の後、多くの人々、中でも自分と関係している使徒たちからの反対と批判を受けたピーター・ワグナーは、特にトッドの別居・離婚発表があった後において噴出した多くの抗議に答える形で、8月25日に一つの声明文を発表した。

 彼はその声明文の冒頭で、ベントレーのレイクランドのアウトポアリング第一部は終わり、その後ストレーダー牧師によりアウトポアリング第二部が始まりうまく行っていることを強調した。(確かにそれは事実のようであり、主の御名をたたえたい。)しかしその書き方には、ベントレーをまるで悪臭のする汚物のように見て、早くそれに蓋をし過去のものとして葬りたいと言う気持ちがありありと見受けられた。そしてピーターは、トッドに「うそつき」で「人を惑わす男」と言うレッテルを貼り、実際に彼自身も「だまされた」と言う。私はこの書き方から、彼が使徒と呼び合う同僚たちから、どれほど大きなプレッシャーをかけられているかが分かって気の毒に思った。

 彼は今回、神からトッドを使徒的にalign(整列・参加させる)せよと言われる御声を聞いて、自分は気が進まなかったがそれに従ったと言う。そして彼はチェ・アン、ビル・ジョンソン、ジョン・アーノットの三人の使徒(リバイバル・アライアンス)の下にトッドをつけることを提唱し、それを正式に司会者として発表した。私は彼のしたことは正しいと信じ、その点では彼を全面的に擁護したい。しかし、腑に落ちないのは、彼が信仰でトッドのミニストリーを使徒的な仕事としてその権威の下に入れる儀式の長を務めながら、実は、私は元々トッドをエンドース(支持)していないとか、トッドのミニストリーに対する興味は薄かったと、なぜ言うのかと言う点である。要するに彼の手紙は、使徒団体のリーダーとして自分のしたことの正当性を弁解し、反対者に対しての言い訳をしているに過ぎないような気がする。

 ピーターは今回自分がやるべきことをしたのでレイクランドの秩序が回復し、トッドもこれから3人の監督の下でカンセリングが始まることを自分(たち)の功績として誇ったが、私は確かにそれを認める。そして彼は、自分はリスク・テーカーであると言い、今まで1970年以来18人以上の著名なリーダーを自分の名声を賭ける危険を犯して支持したり、パートナーとなったり、あるいは使徒的にアラインして来たと説明する。その結果72%(13人)は勝利者となったが、17%、すなわち、トッドを含む3人がloser敗北者となった、そして残りの二人は勝者敗者のどっちともつかない人であったと言う言い方をして、トッドにはっきり敗北者と言う焼印を押した。彼は今回のトッドの件でピーターの団体に所属する人のうち、ピーターと係わり合いがあると思われることを恐れて数人が脱退し、多くの人が今も自分のやったことに憤慨していると言い、自分はそうなる危険を冒してまでもトッドを使徒的権威の下につけたと言いたいのであろう。ちなみに彼はICAと言う500人の使徒が所属すると言う世界最大級の使徒団体の議長を長年務め、現代における使徒のムーブメントの最も著名な世界的リーダーである。

  しかし私が驚いたことは、彼は、初めから終わりまでトッドの罪を責めてはいても、使徒的指導者としてトッドをかばう、あわれむ言葉は一つもないと言う事実である。就いてはこの際、私はピーターに使徒とはどんな人で、どんな役割を持つのか、その根本的な考え方を聞いてみたい。何故なら、私にとって使徒とは「主の直々の弟子」として主が選んで立て、個人的に主と親しい関係に入り、「真にキリストに似た者」となり、パウロのように「私に見習いなさい」と堂々と言える人であると信じるからだ。つまり使徒としての最優先の資格は、先ずキリストの愛に満ちた人で、常に父の御心を知り、主と同じ思いとあわれみを持って人を指導し、育て上げる人であるはずだ。
 
 次に、使徒は主が選んで用い、主の力と栄光を発揮できる人でなければならない。その点、トッドが主から選ばれた器で、聖霊のアウトポアリングによる力を受け、大いなる癒しを顕してイエスの証人になると言う、現代においてはまれな使徒としての重要な素質(資格)を持っていることをピーターは全く認めていないようだ。使徒とは、単に組織を作り上げたり、施政方針を決めたり、大局的に指図することだけがその職務ではないのである。

 さて、今回の「トッド事件」で私が気付いたことの一つは、6月23日の式で壇上に並んだ参列者の一人であったリック・ジョイナーが、ワグナー・グループのしていることを尊重して決して批判はしていないけれども、その式の内容を説明する際に一言も「使徒」「使徒的アラインメント」と言う言葉を使っていないことである。私の知る限り、彼は人から使徒と呼ばれても自分からは使徒であるとは言っていない。

ここで、9月19日にボブ・ジョーンズ夫妻とジェフ・ジェンセンから「主は2012年までに終末における真の使徒たちを立て、真の使徒組織が確立される」と言う重要な預言が発表されたことに触れたい。新約聖書では教会に五役者が立てられるとはっきり書かれているが、初代教会以来、特に終末の現在においては最も必要で重要な使徒職が未だ確立
01 10月

その後のトッド・ベントリーに関して リック・ジョイナー 10月1日


現在のリバイバルの歴史と将来―パート10.その一
その後のトッド・ベントリーに関して

リック・ジョイナー


私が今一番聞かれる質問は、「トッド・ベントリーはどうしていますか?」ということです。彼は私たちのところに来て数日過ごしましたが、概して言えることは、彼の様子を見て私は励まされています。彼は自分の問題が多くの人々に問題を与えてしまったことを、非常に申し訳なく思っています。彼は自分が間違いを犯したことやおろかな選択をしてしまったことを十分認識しています。彼はそのことを手紙という形で出来るだけはっきりと発表したいと考えていますが、それには数週間かかると思います。というのは、私がそれを手伝うことになっているのですが、私は3週間外国に行かねばならないからです。また、他の数人の人たちからもそれに関して助けてもらいたいと考えているので、そのくらいの時間がかかりそうです。


彼のための今の計画は、彼の生活の実際的な問題を解決することです。そのために、彼と同じような問題を経験し、しかもそれに勝利した二人ほどの友達を訪ねる予定です。それから私たちのモーニングスター・ミニストリーのヘリテイジに来て、癒しと回復のプロセスに入り、ある期間ここで過ごす予定になっております。


私はフレッシュ・ファイヤー・ミニストリーの主だった二人のリーダーとも話しました。その結果、私は、トッド並びにこのミニストリーがこの危機を切り抜けるばかりではなく、彼らがこれから起こる主のムーブメントにおいて、パワフルな力、並びに、ファクターとなることを確信しています。


今回起きた問題は、すべての面において非常に深い教訓を含んでいます。それを解決し、それから学ぶことは、教会の未来のために大いに役に立つでしょう。私個人としては、レイクランド・アウトポアリングが今の時代に与えられた非常に重要な主の訪れであったことを疑ったことはありません。何万人、何十万人という人が癒され、奇跡を体験したばかりではなく、数え切れない人の信仰が高揚されました。そしてそれによって今もいろいろな場所で霊的な動きが急激に起こったり前進したりしているのです。教会も、癒し主としてイエスを知り、必要な奇跡をしてくださる方として信じるという最も重要な信仰を持つことによって、来るべき時に備えることができました。私たちは、現在の教会のレベルより更に高く成長していかねばならないのです。


また、トッドの問題によって提起された種々の論点は、教会が次ぎに進む前にキリストのからだによってキチンと話し合われねばならないと思います。そうしないと同じような問題が将来起きたときにはもっと大変な混乱を招くでしょう。もう少し詳しいことがお分かりになったときに、皆さんも同意されると思います。この事態を正しく扱うことは、キリストの身体を強め将来のために教会を整えるすばらしい機会なのです。
今日までに多くの人たちがこの問題に言及されましたが、それは励まされるものであったり、又、がっかりするようなものでもありました。しかし、これを正しく解決することは、現在私たちが本当に必要としていることであり、教会全体を強めることができるのです。この問題から私たちが得るものは、本当に大きい可能性があるのです。主は私たちを常に勝利へと導いてくださり、今回も例外ではないと私は確信します。

トッドやフレッシュ・ファイヤー・ミニストリー、レイクランド・アウトポアリング、そして特にレイクランドや多くの場所で力強く働いておられる主をあきらめなかった人々の忍耐と祈りを、私は感謝します。レイクランドは多くの火をつけた火花(スパーク)であり、今も火をつけ続けています。消えることはありません。もしあなたが、どのような形であれ、それに触れられたのならば、どうか前進し続けてください。これはトッド・ベントリーがしたことではなく、主がしたのであり、主は今、劇的な速度で動かれているのです。実際のところ、これは止むことのない神の動きの始まりかもしれません。

それと同時に、私たちは傷ついた仲間を殺し続けようとすることを、もう止めねばなりません。ガラテヤ6:1で明言されているように、「いかなるあやまち」に陥った人でも、その人たちを回復させるのが私たちのとるべき唯一の道です。私はトッドがミニストリーに復帰するだけではなく、やがてもっと大きなインパクトを与えるようになり、今までより大きなパワーの中を歩むようになると確信しています。私がこう信じるのは、トッドに関して数年前に主から示されたものがあるからです。ボブ・ジョーンズが「レイクランドは来るべきものの予告編に過ぎない」と言った通りなのです。トッドは主が「地上最大のショー」と呼ばれるものを開始するために招集された人です。それは神がどのようなお方であるかを世界に示すために、神ご自身が地上を歩かれたとき以来最大のデモンストレーションになるでしょう。キリストのからだはそのために今整えられているのであり、レイクランド・アウトポアリングはその道を備え始めたのです。

それと共に、私はトッドの問題を知ったときにあまり驚きませんでした。彼のような性格と神からの召命を持つ人間は、偉大な勝利、前進を勝ち得るとともに、大きな失敗をも犯しやすいのです。使徒ペテロがそのよい例です。聖書の中で最も偉大な賛辞の一つを受けた直後に、神の御子ご自身が、ペテロを「サタン」(マルコ8:33)と呼びました。ペテロははじめ天から直接聞いたのですが、次の瞬間には地獄から聞いてしまいました。また、主を否むという私たちの出来る最悪のことの一つをしたすぐあとで、ペテロは赦しと回復を得て、ペンテコステの日のリバイバルのリーダーになりました。このことをよく考えてみてください。

このところ、この問題で毎日数時間を費やしておりますが、いまだにその真相やファクターについて、また解決するためには何が必要かを学ばされています。今回起こったことには多くの深くて重要な問題点が含まれています。妥協をほとんどしない人たちでも、より正確な情報を得たときに意見を完全に変えた人々の例も私は見てきました。もう少し進展すれば、すべてをはっきりさせるチャンスがあり、それによって多くの人が解放され癒されると思います。時として身体の癒しの方が魂と霊の癒しよりも容易であることがありますが、私たちはすべての面での完全な癒しが必要です。

私たちが絶対にしてはいけないことは恵みを制限し、出し惜しみ
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