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Walk With God Ministries


18 02月

2011年が始まった 坂 柚実子 2月19日


2011年が始まった

 

 坂 柚実子

 

 と思ったら、もう2月の半ば。元旦に 娘と主人と私で、今年の抱負を語り合いました。英語では、「New Year’s  Resolution」といい、新しい年の決意とでもいうのでしょうか。娘の決意は確か7つほどもあり、本人も覚えきれないくらいでしたが、そのうちの一つは我が家の歴史を書くことでした。主人は今書いている本を完成させること、そして私はこのコラムをもう一度書き始めることとしました。3人とも書くことが入っていたのです。 

 

娘はそれ以来、早速私たちに、両親のこと、祖父母のことなどを聞きまくって、コンピューターに打ち込んでいます。聞かれてみると、私たちも知らないことが多いのに驚きます。今まで家族の中で家族の歴史を語ることが少なかったこと、父母にもっと話を聞かなかったことが悔やまれます。娘はアメリカ生まれですが、それだけに自分がどのような家族の中に生まれたのか、自分のルーツ、を知りたいようです。

 

主人が今執筆中の本は、ノンクリスチャン向けというふれこみですが、私もまだ1ページも読んでいなので、残念ながら内容をお知らせすることはできません。お祈りくだされば幸いです。

 

さて、私は何のためにこのコラムを書くかというと、創造主の神に似せて創られた人間は何か創造できるはずである、創造したほうがいい、というようなことを聞いたことがあるからです。それでせめてこの雑文でも書こうと決めました。元旦には月に一度書くと明言したのですが、1月はあっと言う間に過ぎて行ってしまったので、2月が逃げない前にあわててこれを書いています。

 

近くにある高校の陸上競技場 

 

今日は私のもう一つの決意をお話しいたします。それは毎朝、グランドを8周走るということです。うちのマンションの向かいは高校で、立派なグランドがあり、誰でもいつでも使うことができます。高校生が体育の時間で使っているときでも、私たち一般人が一緒に使ってもいいのです。若者に混じって私がよちよち走っているのは、きっと傍目にはおかしいことでしょう。でも私も約半世紀前の私の気分にもどって心楽しく走っています。

右のポケットに小さな石を8つ入れておいて、一周まわるごとに一つ左のポケットに移します。つまり左のポケットが達成した数、右があと何周かという数になります。この石はうちのマンションの庭に敷いてあるのをちょっと拝借していますが、小さく白く軽い石です。ある時、走っていると一つそんな石が落ちていました。何かの拍子にポケットから落ちたかと思って拾おうとしたら、それは鳥の落とし物でした。そうです、鳥たちもこのグランドを共有している常連です。

 

1周400メートルのグランドを8周ということは、3.2キロです。このくらいは楽々と走れるようになる日を夢見ていますが、今のところやっとこせで回っています。でもそれだけに毎回「やったー!」という感慨を味わうことができます。それにしてもマラソンを走る人たちはすごい忍耐力だとつくづく思うこのごろです。(終)


07 09月

ハワイの八月   坂 柚実子   9月7日


ハワイの八月

常夏といわれるハワイですが、やはり一番暑いのは8月です。しかし今年は9月に入っても暑い日が続きます。日中外を歩くのは暑く陽に焼けるので、極力避けるようにしています。

さて、このひと月ほど、主人は床をカーペットから板張りに替えるのに忙しくしていました。これは2年前にこのマンションに越してからの念願でしたので、やっとやり終えて大満足です。
部屋の半分の家具を動かしてカーペットをはがしたところと、完成したところの写真です。




さて、遅れております日本旅行の報告を続けたいと思います。

重点的にご報告させていただきますが、奈良地区では、郡山希望チャペル(村山直樹牧師)と奈良ニューホープチャペル(木谷直也牧師)を訪れました。
私たちは木谷先生のお宅に二泊させていただき、ご夫妻から楽しく霊的なお話を沢山聞かせていただきました。木谷先生は神様から賛美の歌を沢山与えられる方で、「タンバリンと踊りで」等は神学校時代に与えられた曲で、本人も知らないうちに日本中の教会で歌われていたそうです。

郡山希望チャペルでの集会には、奈良ニューホープチャペルと奈良ベタニヤ教会(山田静男牧師)の方々も参加しての合同集会でした。この3つの教会はいつも協力しあっているそうです。ワーシップチームも合同で、木谷夫人のピアノや村山先生のドラム(ハワイのニューホープのワーシップチームでドラムをたたいておられたそうです。)等々で、素晴らしい賛美を主に捧げることができました。直也先生のドラム
 

翌日は奈良ニューホープチャペルでの集会でした。この教会では近頃賛美の時に踊ることを始めたそうで、 自由に主の前で踊る人が増えているそうです。そのために前に広くスペースがあけてあります。写真

私たちも大いに踊ったので、踊っているところに写真は撮れませんでした。(笑)
主人はメッセージの後で40歳以下の人たちのためにお祈りをさせていただきました。

今年は例年秋に訪問する沖縄を6月に訪ねました。いつものように宮里サレム教会の島袋先生、伊覇先生、兼城兄弟が出迎えてくださいました。私たちはいつも沖縄ではサレム教会の一階に滞在させていただきますが、今回も日曜礼拝や6回の集会( 家庭集会、祈祷会、聖書研究会)の奉仕を通じて、教会の皆様と素晴らしい交わりをさせていただきました。

サレム教会の砂川兄弟は高校教諭をされていた方ですが、教会での様々な奉仕に励んでおられます。家庭集会のリーダ−をはじめとして、教会の書はすべて兄弟の作品ですし、毎週のお花も彼の創作です。庭の花をたくみに使って大胆な生け花をされます。私たちはそれを見せていただくのを毎年楽しみにしております。
生け花と習字の間の砂川兄弟の写真



又、沖縄滞在中、いつものようにジョイチャペルで集会を持たせていただきました。

大城節子先生と宮平満副牧師です。宮平先生はオレゴン州のポートランド•バイブル•カレッジを今年卒業された方で、私たちがポートランドで親しくしていた英語学校のブショア先生ご夫妻の消息などお聞きすることができました。先生のこれからの主にある沖縄でのご活躍を期待いたします。二人の写真



金武バプテスト教会(横田盛永牧師、聖子副牧師)での礼拝は、父の日スペシャルとして横田先生が三線(さんしん)で琉球賛美を弾いてくださり、みんなで歌いました。主人のメッセージも無事にすんで礼拝が終ったときに沖縄の踊りで勝利の喜びを表すカチャーシーをみんなで踊ることになり、三人のおばあさんに続いて沢山の人が前に出てそれぞれの振りで踊りました。教会 がずっと祈ってきたことに対する答えが与えられて、皆さんが 喜びに満たされ、踊りたいという気持ちで一杯になったそうです。主人も一緒に踊っています。
先生の三線とみんなが踊っているところの写真

(続く)


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23 07月

日本からもどりました  坂柚実子 7月23日



日本からもどりました(2009年夏の日本旅行報告)

6月3日から7月10日までの日本旅行を終えてハワイに無事もどりました。その後の10日間は旅の疲れを癒しておりましたが、ようやく元気になってきました。旅行中私は疲れることもあまりないのですが、帰宅するとどうしてもほっとして疲れがでます。主人などは、帰宅してすぐにベッドにゴロっとした(玄関からベッドまで8歩くらい)と思ったら、その30秒後にはグーグーと寝ておりました。靴もはいたまま、眼鏡もかけたままで、そのまま寝ること数時間。少し食べて、また寝ること数時間、というような具合でした。

とはいえ、この38日間、皆様のお祈りに支えられて無事過ごすことができましたことを先ずは心から主に感謝いたします。特にこの旅行中、私たちのホームベージを読んでいてくださる方や、各地で主人の本を読んで神との関係が親密になったと言われる方々にお会いできたことは、私たちにとって大きな励ましとなりました。それでは旅の報告をこれからぼつぼつとさせていただきます。

6月3日 ホノルル空港にて。前日の夜から何の理由もなく突然痛くなった主人の左足がもっと痛くなって歩けないというので、空港で車いすを頼む。午後5時に飛行機出発。この足の痛みは以前にもあったこと。

6月4日 夜8時半、関西空港に到着。主人は車いすで、そのまま直ぐ前の日航ホテルへ。チェックイン後ホテルの車いすに乗り換えて部屋まで行く。サービスがよくて感謝。
車椅子に乗った主人


6月5日 朝になって主人の足は何とかびっこを引いて歩けるほどまでには良くなったので、車いすのサービスは断る。
昼過ぎに私たちは親しくさせていただいている吉本ご夫妻が最近始められた高畑コイノニヤ教会へいく。家の教会としてこれからの発展を期待する。そこには親しい 関西地区の方々が 来てくださり、最初の短い集会のあと近くの岩清水八幡宮(京都)に祈りの歩行に出掛けた。そしてそこに入った途端に主人の足がぴたっと癒された。緊張感があった。夕食後に皆さんと踊ったイスラエル・ダンスの時も主人は自由に踊ることが出来た。ハレルヤ!最近は日本を訪れる度に敵の嫌がらせ的な攻撃が来ることは「よいしるし」なのだろうか。
祈りの歩行をした神社の前で皆さんと。


九州旅行6月6-9日 

6月7日は永野誠治先生の別府フルゴスペル・イエスキリスト教会にて聖日礼拝。牧師夫人のワーシップリードでのすばらしい賛美。彼女の頭上を霊の鳩が舞うヴィジョンを見た方が以前あったそう。この教会は自由に踊る方もおられて解放されている。

午後は大分カルバリ・チャーチ 橋本 守先生の教会へ移動。三時から「あなたのビジネスを励ます会」と銘打っての集会。ノンクリスチャンのビジネルマンの方々にお知らせをしたとのことだが、来られたのは予想した人とは別の人たちだったとか。すべて神様のご計画の内である。
主人はこの日のためにアメリカの経済の動向についてかなりの準備をして来た。これが今回の旅行のメイン・テーマである「この世の経済と神の経済」の基調メッセージとなる。折からの経済恐慌で他地区に比べ打撃が大きいと言われる大分にこの教会を通して御国の大いなる祝福がもたらせるように祈る。

別府の永野先生と大分の橋本先生、同じく大分の釘宮先生は、年に二回、合同の集会をしておられるとのこと。三人の牧師がそれぞれの賜物を生かしての集会で、三つの教会からの参加者はみんな非常に恵まれるとのことであった。五役者が一つの教会にはそろっていないのがほとんどである現在、このような合同の集会は大変意義が深いと思った。
写真は、橋本邦光伝道師、橋本夫妻、私たち、 永野夫妻。


6月8日 福岡県八女市八女フロンティア・チャーチに近藤雅子先生を訪ねる。ここでのハイライトの一つは、前回も訪ねた野田国義氏の選挙事務所に行くと、幸いにも野田夫妻にそろって会うことができたこと。主人は夫妻と政治の話をした。いよいよ選挙が近づいてきている。古賀氏との対戦も話題になっている。クリスチャンの政治家が大勢出ることを祈ってやまない。
写真は近藤先生、野田氏、主人。


翌日は近藤先生と共に、最澄の開基と伝えられる天台宗の大寺院清水寺を訪問。この寺は雪舟が造ったといわれる庭園があることでも有名。この寺の鍋島住職夫妻と会うことができた。数年前グルーバー先生と一緒にお会いしている。住職は非常に博識な方で、キリスト教への理解も持ち、主人とアメリカの霊的、経済的現状について話が弾んだ。お土産に住職から高価な御香をいただき感謝する。
写真は私たち夫婦と近藤先生、清水寺住職鍋島さん


主人は、八女で政治家やお寺の住職の方とお話ができたことを、主からの特別のお計らいとして非常に喜んでいる。近藤先生は町中で主が示される人々なら、市長であろうと、お寺の住職であろうと、又、仏壇屋さんから、眼鏡屋、薬屋、花屋さんに至るまで親しくイエスの話を何度でも伝えにゆく、立派な地域をトランスフォーメーションする御国の担い手だ。(続く)


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23 12月

秋の日本旅行の報告 その5   坂 柚実子 12月23日


秋の日本旅行の報告 その5

坂 柚実子

秋の旅行の最後の数日は福島でした。本当は福島だけ私たちが来日中のグルーバー先生の通訳をする予定だったのですが、 アメリカで留守番をしておられた奥様のジュディスさんの病状が悪化したため帰国されたので、私たちだけで行くことになったのです。

この写真は福島の旭町バプテスト教会で、小久保先生ご夫妻、お嬢様の信子先生が牧会されておられます。また、幼稚園を経営されていますが、かなり徹底したキリスト教主義を貫いておられます。子供たちの毎日の礼拝は、「黙想」から始まるのですが、その時に流れる曲が、なんと私の大好きなルス/ファーザルが歌う詩編27:4なのでした。信子先生の選曲だそうですが、こんな油注ぎのある曲を聞きながら静かにしていることを学ぶ子供たちは幸いですね。



主人が話をして一人一人に油を塗って祝福しましたが、その後、子供たちが主人の周りに集まって祈ってくれました。これには主人も感激でした。

教会の向かい側の建物では、信子先生が英語塾と学童保育をしておられます。幼稚園生から中学生までが、それぞれの学校が終わったあと集まってきます。ここでもキリスト教教育が行われ、まず賛美と礼拝をしてから、宿題などをする時間になります。この日は私たちにヒップホップの賛美のダンスを披露してくれました。子供たちがとても素直に福音を受け入れてイエス様を愛するようになっている様子がわかりました。



今回の旅行は沖縄から秋田までの13の教会に行かせていただき、大きな祝福を受けましたことを心から主に感謝すると共に、皆様のお祈りに感謝いたします。
クリスマスが近づいてきました。私たちは今年は 息子のいるニューヨークでクリスマスとお正月を迎えることになりました。皆様もお身体を大切によいお年をお迎えください。(終わり)


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15 12月

秋の日本旅行の報告 その4  坂 柚実子 12月15日


秋の日本旅行の報告 その4                                         

私たちは秋には沖縄に行くことを、このところ恒例としています。滞在は10日間ほどで、いくつかの教会でメッセージをさせていただきますが、宿泊はずっとサレム宮里教会でお願いしています。主任牧師の島袋英子先生とは1996年の春、東京でのグルーバー先生の集会にちょうど上京しておられた先生が来て下さった時からの御つきあいです。この出会いはまさに神様のご計画であり、沖縄でのグルーバー先生や、ひいては私たちのミニストリーは、島袋先生をはじめとするサレム教会の方々の御尽力で進められてきました。

1996年の秋には、主人と私がグルーバー先生の通訳として日本に行っている一ヶ月程、私たちのオレゴンの教会の留守番をしていただきました。沖縄の教会を副牧師の伊覇先生にお任せになり、オレゴンの小さな日本人の群れのためにご奉仕くださったのです。その次の年に初めてサレム教会(当時は宮里隣人教会)に行かせていただいた折には、教会の皆様に先生を一ヶ月もお遣わしくださったことに心からお礼を申し上げたのでした。



 写真:島袋英子先生

その2年後でしょうか、グルーバー夫妻と私たちで日本を旅行中、四国から沖縄に移動した時点でグルーバー先生のお母様の訃報が入り、御夫妻は急遽アメリカに帰国されました。沖縄でのミニストリーの予定はすでに組まれておりましたが、すべてキャンセルするしかないと思われました。しかし島袋先生が、主人に「坂先生、あなたがグルーバー先生に代わってミニストリーをして下さい。」と励ましてくださり、他の牧師先生方の御理解のもと、主人が初めて日本の教会でメッセージを取り次ぐと共に、祈りの歩行の指導もさせていただきました。この時の経験は大いに主人を力づけました。それからも、いつも島袋先生は私たちのミニストリーの理解者、サポーターとしてお祈りくださり、暖かく励まし続けてくださっています。

サレム宮里教会は二階が礼拝堂、 三階が先生のお住まい、私たちは一階に宿泊させていただきます。すると夜遅くとかにどなたかが訪ねてきて、先生とお話などされています。後でお聞きすると、以前教会に来ていた方が東京に行くことになり、「先生、お祈りをしてください。」と言って来られたとか、なのです。そんなことが度々で、先生が多くの方の霊的支えになっておられるのがわかります。先生の牧会はキリストにある赦しと憐れみを土台にしておられると、常に思わされます。 信徒の方々もその薫陶を受けて、一人一人が主を深く愛し従って行く信仰を培っておられるのを感じます。
これまで主のために捧げられた先生の人生の収穫 が、これからもますます豊かに実るようにとお祈りします。 (終わり)

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