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Walk With God Ministries


30 11月

あなたは疲れ果てそうになってはいませんか フランシス・フランジペン 2013年11月30日


あなたは疲れ果てそうになってはいませんか

 

フランシス・フランジペン Francis Frangipane

 

預言者ダニエルは、悪魔がいと高き方の聖徒たちを疲れ果てさせてしまう時が来ることを警告しています。(ダニエル書7:25参照)終りの時代の最後の時にそれがどのように起るかは実際に見るまでは分りませんが、しかし既にその戦いは現実に起っております。神の預言(個人的なものも含め)の実現が限りなく遅れているかのように見えるので、それによって信者は完全に疲れ果てているのです。

 

皆さんの廻りに、その(執拗に攻めて来る)敵との戦いに疲れを感じている人がおられませんか。あなた自身はいかがでしょうか。もう何ヶ月、あるいは何年も前に解決されているはずの状態に、未だに閉じ込められている多くの人たちを私は知っています。彼等は神を愛する人たちですが、多くの場合、悪魔の妨害に出会って、彼らの計画の前進と彼ら自身の成熟が阻まれています。絶え間ない悪魔の妨害に出会う結果、多くのクリスチャンが徐々にですが、彼らの魂に圧し掛かってくる重圧に耐えられなくなり、ついにはそれに屈してしまうのです。

この闘いの多くは、自分の子供たちや伴侶との間に起る家庭内の不和や争いに根ざすもの、或いは彼らの属する教会内に分裂があり、それを引き起こした問題を未解決のまま引きずっているとか、もしくは仕事場での確執・争い、又は健康上の問題で長期の闘いが続行している状態などであり、それらが信者を疲れ果てさせます。このような長期の戦いが私たちから喜びや力、又クリスチャンとしての情熱を奪っているのですが、多くの者は何を奪われたのか、又どれ程奪われたのかさえ気付かずにいるのです。

 

又個人の生活環境だけではなく、大きなスケールで言えば世界中に色々な戦いが存在します。国と国や民族間に、ある場合には何世代にもわたる確執・闘争が続いております。

ですから、クリスチャンによるすばらしいワーシップとかプレイズの最中でさえ、天においては祭壇の下に集まる聖徒たちが常に「聖なる、真実な主よ。いつまで・・・・」(黙示録 6:10)と叫ぶことが理解できます。聖書では、初めから終りまでの間に58回も、待つのに疲れた人たちが「主よ、いつまでですか?」と同じようにを叫んでいます。

 

神の御計画の成就の遅延は、私たちの完全な信仰と人格の成熟のために時には神が敢えてそうされます。しかし一方、悪魔が事の成就を阻止しようとして私たちが疲れ果てて諦めるまで攻撃や邪魔をし続けることもあります。悪魔は別の名をドラゴン dragon と呼ばれ、その目的は戦いを引き延ばす(ドラグ-オン drag on)ことによってクリスチャンの力を消耗させるのです。悪魔は私たちが疲れ果て、諦め、ついには祈ることをも止めてしまうまで執拗に攻める手を緩めません。加えて、戦いの結末を予想以上に遅らせることによって、魂の疲れと苛立ちがその人を肉的に過度の反応を引き起こさせて、以前より悪い状態に追いやりかねないのです。私たちはそのような状態になると忍耐を失い、敵の攻撃に勝利することよりも、自分の肉的な苦しみから解放されることを求めてしまいます。その結果、神が期待するクリスチャンが保つべき高い標準とかその意識を現実と妥協することによって低くしてしまうことになりかねません。

 

忍耐強さ

 

聖書の黙示録にはこの perseverance 「忍耐」と言う言葉が七回も使われているのには理由があります。何度も何度もこの「忍耐する」とか「打ち勝つた」という言葉が出て来ます。又、「ビジョンを持つ」とか「聖なる動機を持つ」ことは重要ではあっても、それだけでは私たちの目標を達成することは出来ません。私たちはがまん強く忍耐しなければならないのです。がまん強さという言葉の元は severe 厳しい、ひどい、という言葉です。私たちが勝利するためには、厳しい試練の中を通らねばならないと言う事実に目をつぶるわけにはいきません。ヘブル書 10:36にあるよう、私たちが神のみこころを行って、約束のものを手に入れるために必要なものは厳しい忍耐です。ヤコブ書1:2-4にこう書いてあります。

 「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰がためされると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」

多くの困難と試練を通してこそ忍耐強さや不動の信仰が育まれます。そして「キリストに似た者となる」品格が磨かれ、その教義が毎日のライフスタイルそのものになって行くのです。すなわち上記の「忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。」が実現し、それが私たちに必要な真の霊的成熟です。

 

打ち破りが来る前に到達すべき品格

 

ダニエルが預言者の一人として、「終末に至って悪魔が聖徒を疲れ果てさせる計画を持つ」と前に述べましたが、神は彼に次のようなビジョンを与えました。「 私が見ていると、その角は、聖徒たちに戦いをいどんで、彼らに打ち勝った。」(ダニエル書 7:21)

これがその戦いがどんな内容のものであるかを物語っています。その戦いは、時には私たちは敵の攻撃で圧倒されそうになるように感じますが、それは次の22節に書かれている時までです。「しかし、それは年を経た方が来られるまでのことであって、いと高き方の聖徒たちのために、さばきが行われ、聖徒たちが国を受け継ぐ時が来た。」

 

ここに一つの原則があります。一度それを理解して従うならば、私たちはその戦いの勝利へと導かれるのです。もし私たちが忍耐をもって耐え抜き、もし私たちがそれによって神の高みに到達し、もし私たちが神を信じて委ね通すならば、「年を経た方」が来られ、私たちのために戦いに介入して下さる時が来ます。そして私たちが忍耐を通して強く錬られた人格を持つ者とされたことをご覧になる時、「あなたたちがここまで成熟するのをわたしは待っていた」と言われ、私たちの味方となってくださり、敵を裁かれるのです。

どのような戦いであっても―それがあなたの国のために祈ることであっても、あるいは子供たちのために堅く立つこと、あるは魂の救いのため、あるいは個人的な争いを和解に至らせることであっても、忘れないで下さい。私たちは単によい種を蒔き、あるいはよい土壌を持つことだけでは充分ではありません。刈り取らなければならないのです。―「わたしたちは、善を行うことに、うみ疲れてはならない。たゆまないでいると、時が来れば刈り取るようになる。」(ガラテヤ 6:9)【口語訳】の御言葉の通りです。(終り)

 

= 以上は Frangipane 師の著書This Day We Fight からの抜粋です。=


24 11月

ダン・ポッター師と超弦理論                  坂  達 也 2013年11月17日


ダン・ポッター師と超弦理論

 

                  坂  達 也

 

この二週間に渡って、私はDon Potter 師のメッセージをお伝えして来ました。ポッター師は、礼拝音楽の専門家として、主に音楽、特に音の振動数(周波数)とかチューニングについてお話しされましたが、常日頃主の御声を聞きたいと願っている私にとって一番心に響いた、と言うより気になったのは、彼が引用したロマ書10:17-18の御言葉でした。

彼が引用したのは英語の詳訳聖書 Amplified Bible でしたが、それによりますと(私の拙い日本語訳ですが)「17信仰は〔語られたことを〕聞くことから始まり、聞くことは〔救世主ご自身である〕キリストご自身の唇から発して語られた説教のメッセージを聞くことです。18でも、こう尋ねましょう。『はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。』確かに、聞こえたのです。〔聖書-詩篇19:4では〕『その声は〔自然物すべてのものが共鳴して聞ける神のメッセージとして〕地球の全地に響き渡り、世界の果てまで届いたのです。』」となっています。

 

私はこの英語のAmplified Bible(詳訳聖書)を読んで、その思い切って意訳している部分はすばらしいと思いました。しかし、一つ気が付いたことがあります。

それは18節ですが、Amplified Bibleでは「その声は〔 自然物すべてのものが共鳴して聞ける神のメッセージとして〕地球の全地に響き渡り、世界の果てまで届いたのです。」 と訳しています。この部分が詩篇19:4から引用されていることは、他の聖書もみな同じで定説になっていますから問題はないとして、私がオヤと思ったのは〔括弧〕の部分です。それには〔 自然物すべてのものが共鳴して聞ける神のメッセージ〕と書かれており、この解釈はどこから来たのかに私は疑問を持ったのです。そこで詩篇19:1-4を調べてみて分ったのですが、新改訳では、詩篇19:1-4は「1 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。2 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。3 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。4 しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。・・・」と訳されておりますが、ここでの3節「話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない」の意味が少々理解に苦しむような文章であることに気が付きました。特に「その声も聞かれない」とあることが奇異です。そこで英語の注釈書を色々調べてみた結果、私なりの結論としては、4節最初の「その呼び声」とは、創造者キリストが語られた声には違いないとしても、その「声」は人間の耳には聞こえない声であり、又人間の話す言語とか説教の話し言葉ではないとしか解釈出来ません。

そうであるとすれば、一体キリストは何を語られたのか―それはもしかして、宇宙全体のすべての被造物が理解出来る「声」すなわち、被造物が造られている物質を構成する最も小さくて、これ以上分割できない素粒子とか量子と呼ばれる素材のレベルで聞こえ、且つメッセージとして理解出来る「サウンド」-音の波、振動、音響-ではなかったかと言うことに気が付いたのです。

そして、キリストの御声のサウンドが語った内容は、創造者ご自身が、創造の主旨を被造物全部に説明されたのではないかと思うのです。その説明には当然ながら最初に造られた人間が、悪魔に唆されて罪を犯すこと、それによって全被造物が巻き添えになること(ロマ書8:20-22)、しかし創造主自らが人間として生まれ、十字架の死を通った後によみがえり、信仰を持つ人間を救うこと、そして全被造物もその救いに与ることを説明されたと思うのです。つまり創造者のキリストご自身が「キリストについて」の福音をすべての被造物に語られたと解釈出来ると思います。

さてそこで、これから私がなぜそのことに気が付いたかをご説明したいと思います。

 

すべての被造物は音として振動している

 

物理学では宇宙のすべての物質を構成するそれ以上分割出来ない最小の素材を「素粒子」とか「量子」と呼んでおります。その量子論の最先端を行く理論に「超弦理論」とか「超ひも理論」と言われるものがあることを皆さんも御存知かと思いますが、私は前から、分らないままにその理論に非常に興味を持っておりました。

この理論によれば、宇宙にあるすべての物質を構成する最小基本物質は、僅か10の-35乗メートル と言う小さな「振動しているエネルギーの糸(ひも、あるいは弦)」であると言うのです。それは輪になったループ状のものと開いた一本の短いひも状のものと二種類あり、この二種類のひもが振動して、ちょうどバイオリンの弦のように、振動数の異なるあらゆる波を出し、それが今まで固体物質と思われて来た素粒子の本質の一つであると言うのです。従って数百種類ある素粒子が一本の振動する「ひも」とか「弦」に例えて説明出来ると言う訳です。しかも超弦理論は、この宇宙は10次元世界まであると言い、「霊の領域」と言う高次元空間の存在を物理学的に示峻しています。

 

と言うことは、宇宙はこの弦のようなひもが振動して奏でる異なる波長で出来ている「音の一大シンフォニー」であるとして捉えられると言うのですから、これは聖書のコンセプトに非常に近いと言えないでしょうか。

すなわち、天とこの地上にあるあらゆる物質は、最初にイエス・キリストが創造されただけでなく、今もすべて振動して生きている、そしてそのエネルギーをイエス・キリストが永遠に補給しておられる、と考えられるのです。ですからすべての物は素粒子・量子レベルで意思を持ち、聖霊により神とのコミュニケーションを受けていると考えられるのです。

 

私はこれが「創造者の神がすべての被造物をどのようにして造られたのか」と言う創造の根本原理に触れていることに前から非常に興味を覚えて来ました。聖書は神イエス・キリストがすべてのものの創造者であることを多くの箇所で示していますが、特にキリストが具体的にすべての創造を「言葉で言い表す」ことによって造ったことは、上記のロマ書10:17,18以外にも下記の聖句に書かれています。

 

ヘブル 11:3 「信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉によって創造され、従って見えるものは、目に見えているものからできたのではないことが分かるのです。」【新共同訳】(ヨハネ1:1-4も御参照下さい。)

又、ヘブル書 1:3には、 御子(キリスト)は「その力あるみことばによって万物を保っておられます。・・・・」と書かれており、へブル 4:12では「神のことばは生きていて、力があり・・・」とも言われております。

そして「わたしたちは見えるもの(物質世界)ではなく、見えないもの(霊の世界)に目を注ぎます。見えるものは過ぎ去りますが、見えないものは永遠に存続するからです。」(二コリント 4:18新共同訳)と書かれていることにも大いに興味がそそられます。

 

これで分ることは、もし超弦理論が正しいとすれば、三次元の世界で「見えるもの」は、目に見える単なる物質・固体・粒子で出来ているのではなく、波の性質を合わせ持つ振動するひも状の振動物(それはほとんど見えない10-35乗メートルしかない)と言うのですからそれを「目に見えないものからできている」と言って正しいと思います。

 

参考までに私の調べたことを御報告しますと、量子論では、すべての素材が粒子であると同時に「振動する波」の性質を持つことが実験で分ったそうです。しかも代表的な素粒子である電子の場合、その電子を観測しようと実験すると、現われる電子の波は消えてしまうと言うのです。まるで電子には心があり、観測されていることが感知できるかのようです。電子は非常に奇妙な性質があり、究極的には「誰かが見ていない時にしか現れない電子の波は、私たちにとっては存在しないのと同じ」とさえ説明されております。その量子論の研究が進み、今まで「真空」と考えられていた空間が、実は完全に何もない真空ではなく、無数の粒子や反粒子が突然生まれたり、消えたりして「ゆらいでいる」あるいは、波として存在するが「粒子としては実質、見るまでは存在しない」と言う不確定な状態であることが判明したと言うのですから「この奇妙な性質」の発見こそ大変な物理学的成果であるのではないでしょうか。

 

以上をまとめてみますと、天とこの地上にあるあらゆる物質は、すべて振動していて生きている、そのエネルギーをイエス・キリストが永遠に補給しておられると考えられ、すべての物は意思を持ち、聖霊により神とのコミュニケーションを受けていると言えそうです。そのことが次の聖句からよく窺えると思います。

 

イザヤ 55:12 「まことに、あなたがたは喜びをもって出て行き、安らかに導かれて行く。山と丘は、あなたがたの前で喜びの歌声をあげ、野の木々もみな、手を打ち鳴らす。」

 

歴代上16:31-35「 天よ、喜び祝え、地よ、喜び躍れ。国々にふれて言え、主こそ王と。32 海とそこに満ちるものよ、とどろけ/野とそこにあるすべてのものよ、喜び勇め 33 森の木々よ、喜び歌え/主を迎えて。主は地を裁くために来られる。34 恵み深い主に感謝せよ/慈しみはとこしえに。35 祈って言え。わたしたちの救いの神よ、わたしたちを救い/諸国の中からわたしたちを集め/救い出してください。聖なる御名に感謝をささげ/あなたを賛美し、ほめたたえさせてください。36 イスラエルの神、主をたたえよ/世々とこしえに。民は皆、アーメンと答えよ。主を賛美せよ。」【新共同訳】

 

しかし残念なことに、この超絃理論は30年も前から提唱されて来ていますが、それを証明する実験的証拠を得る手段が今のところないので、あくまで仮説の域を出ていないようです。あまりにも微の微の世界であるからでしょうか。しかし私はダン・ポッター師の話を聞いて、「超弦理論」こそが神の創造の基本を解明する可能性を充分持つものであることに改めて眼が開かれました。従って、この理論が科学的に正しいと証明出来るように神が科学者を導かれることをこの際心から期待し、お祈りしたいのです。そして、その時が刻々と迫って来ていると信じます。

 

440と432のチューニングと超弦理論

 

正直なところ、私には音楽におけるチューニングが技術的にどう言うことなのかを本当には理解出来ておりません。しかし、交響楽団の演奏を聴きに行くと、演奏が始まる前に必ず全員がコンサートマスターの出す音に合わせて、それぞれの楽器をチューニングするのを見慣れていますから、交響曲の演奏等では特に楽器のチューニングすることがいかに大切であるかはよく分ります。

それで気がつくのは、もし量子のレベルですべての素粒子が超弦理論で言うように弦のようであると言うなら、創造者の神とは実に音楽を好む、美しい音を聞くことが大好きな方であると言うことです。特に私たち神を愛する者が、いつも心から神を感謝し声を上げて賛美するのを聴くことを、創造者は何よりも楽しみにしておられるのではないでしょうか。

本来、宇宙に存在する被造物全体が、人間を中心に心を一つにして美しい音色のすばらしい交響曲を奏でる目的のために造られたのではないかと言うことに、今回改めて気が付かされました。それは神学とか理屈ではありません。神が真に愛の創造者の神であり、被造物をこよなく愛して下さる、一方被造物もお互いに愛し合い、労わり合って、すべてに命を与えて下さる神を常に喜び感謝し、褒めたたえる、そしてそのすべてのものが一致して奏でるハーモニーこそが至高の永遠のいのちであると言う気がします。

 

賛美を何よりも好むダビデが心から次ぎのように歌っていることからも、そのことがよく分ります。

 詩篇 148

   1 ハレルヤ。天において主をほめたたえよ。いと高き所で主をほめたたえよ。

   2 主をほめたたえよ。すべての御使いよ。主をほめたたえよ。主の万軍よ。

   3 主をほめたたえよ。日よ。月よ。主をほめたたえよ。すべての輝く星よ。

   4 主をほめたたえよ。天の天よ。天の上にある水よ。

   5 彼らに主の名をほめたたえさせよ。主が命じて、彼らが造られた。

   6 主は彼らを、世々限りなく立てられた。主は過ぎ去ることのない定めを置かれた。

   7 地において主をほめたたえよ。海の巨獣よ。すべての淵よ。

   8 火よ。雹よ。雪よ。煙よ。みことばを行うあらしよ。

   9 山々よ。すべての丘よ。実のなる木よ。すべての杉よ。

   10 獣よ。すべての家畜よ。はうものよ。翼のある鳥よ。

   11 地の王たちよ。すべての国民よ。君主たちよ。地のすべてのさばきづかさよ。

   12 若い男よ。若い女よ。年老いた者と幼い者よ。

   13 彼らに主の名をほめたたえさせよ。主の御名だけがあがめられ、その威光は地と天の

   上にあるからだ。

   14 主は、その民の角を上げられた。主のすべての聖徒たち、主の近くにいる民、イスラ  

   エルの子らの賛美を。ハレルヤ。

 

もし創造者の神が音楽家であり、被造物が彼の造る音楽を演奏する楽器であり、同時に演奏者とか歌手であるとすれば、当然ながら楽器のチューニングとか音の調律が最も大事なことの一つであることは当たり前のことではないでしょうか。

神の創造したもの―太陽を含む大自然のすべての被造物の振動音の基調がA-432であるそうですが、そうであるとすれば、それを知っている悪魔は何としてでも人間の弾く音楽のチューニングを狂わそうと努力することは当然考えられます。432が神の音律で440が悪魔が考え出したものとすれば、その差は僅か8ヘルツですが、音調を壊すのはそれで充分のようです。それに気が付かないのは人間だけで、自然の被造物は水も含め皆432と440の差をよく知っていて嘆いているのかもしれません。

又、人間の耳には聞こえないにしても霊的には感じられる「霊の領域の振動数」が二万ヘルツ以上であるなら、その霊的振動を人間に聞かせないようにするのも悪魔の仕業であることはよく理解出来ます。

 

それでは最後に、ロマ書8章全体、特に19‐23節に書かれている「被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現われを待ち望んでいるのです。・・・被造物全体が今に至るまで、ともにうめきともに産みの苦しみをしていることを知っています。・・・」と言うパウロの訴えが、今回特に私の心に響いて来ましたことをお伝えして、このメッセージを終わらせていただきます。(終り)


11 11月

最近のモーニング・スター・カンファレンスでのメッセージ (2) – Worship Intensive Conference at MorningStar Ministries, Oct.15-19, 2013 ダン・ポッター      2013年11月11日


最近のモーニング・スター・カンファレンスでのメッセージ (2)

 

  • - Worship Intensive Conference at MorningStar Ministries,  Oct.15-19, 2013

 

ダン・ポッター

 

 

コンピューター・ミュージック ― 私の言う意味は、サウンドがすべてコンピューターを使って作られた(訳者注;デジタル化することによる)音楽のこと ― は人を怒らせたり、いらいらさせます。正直なところ私は自分のコンピューターで本当に心から怒ったことが何度もあります。恐らくコンピューターをよく使う人でいらいらした経験のない人はいないと思います。なぜでしょう。それはコンピューターが非常に単純なコンセプトで作られていることに大きな原因があるからです。それは binary と言われる考え方で、基本的にすべてをXかOか(0か1か)のどちらかであるとし、どんなに複雑な機械であってもすべてがあくまで黒か白かのどちらかで処理することの積み重ねであることです。宇宙には(特に霊的な領域においては)binary あるいは digitalデジタルのコンセプトでは決められない、処理できないことが多くあると思いますが、それらをすべてXかOかで処理することが人を怒らせるのです。デジタル は人間を完全に狂わせようとしています。

 

ところで、50年代以前に録音された古いレコード、例えばサイレント・ナイト等のクリスマスの歌を聞いて今でも郷愁の念に駆られない人はいないと思います。そのレコードはAが440ではなく432であり、又デジタルではありません。従って音が生きていて(霊の息が聞こえ)私たちの霊に触れるからです。ここでお断りしておきますが、私は音楽を奏でるバンドを悪く言っているのではありません。それを録音する方法を問題にしているのです。

これは変えられなければなりません。そうしなければ私たちは完全に破壊されてしまいます。その最も大きな理由は私たちの賛美(の point基点)が変えられねばならないからです。

 

人間の身体は通常62-78MHzメガ・ヘルツと言う振動数を持っています。メガは百万単位です。脳の frequency 振動数は72-90MHz、ノーマルは72MHzです。ところがとても興味が沸くことに、身体の振動数が低くなる、特に62以下になると身体に depression意気消沈とか病気を招くと言うのです。ところが私たちが日常生活している電気周波数(=振動数)は60サイクルですから、低い振動数を持つ人が壁のコンセントに近づくと私たちの身体の振動数(=周波数)を危険範囲となる60に下げる作用が働きかねないのです。これは馬鹿げていないでしょうか。ところで、60サイクルとは440ではBフラットの音です。これが432ではBフラット以下になり、心が平穏になります。不思議ですね。

 

〔これ以降は会場からの質問を受けてポッター師がそれに答える形式となります。〕

 

質問:CDでは2万サイクル以上の高音をカットしていると言うことですが、それを元にもどして高音を含んだCDは作れないのでしょうか。

ポッター:それは出来ます。但し現在のCDとは違うものになります。過去にその要望の声が強まり、業界ではSACD(スーパー・オーディオCD)と言うものを作って売り出す計画が出て来ました。想定値段も一枚27ドルとそんなに高くなく、これでもう一度みなさんにCDを買い直してもらえば、又大きく儲けるチャンスになると企画されました。しかし、これに横やりを入れて、この計画を駄目にしたのがアイ・ポッドでした。最初アイ・ポッドはCDの半分あるいはそれ以下の音質でした。後になってCDに近いところまで上げられたのですが、上限は相変わらず2万以下です。続いて出たMP3に至っては質の話をする価値もないような代物で、全く「霊の息」などないものです。又、小さくて便利なイヤープラグで聞けば、音のすべてが漏れなく聴けると言う錯覚を持たせますが、音質的には全く劣るものです。

 

これから起ろうとしていることがあります。もしそうなれば皆さんが思う以上に危険極まりない事態になります。預言者のボッブ・ジョーンズ師がビジョンで見たのですが、それによれば、身体が器械で作られている一人の男が地球にやって来て、その時代のすべての人間・世代を盗む計画をしていると言うもので、これは明らかに私たちに対する神からの警告です。これはルシファーがやって来てルシフェリアン・ティュ‐ニングによって世の中を完全に変えてしまうことに当てはまるように私には思えます。私たちはこれが起ることを何としてでも阻止して、私たちが元々神から与えられた基盤に戻さねばならないのです。

 

質問:最近ビデオ・ゲームが大流行していますが、このゲームに使われている音もCDと同じ部類なのでしょうか。

ポッター:多分、CD以上に悪いと思います。考えてもみて下さい。ビデオ・ゲームはそれ特有のハイピッチでヒステリックな音で、それを聞いているだけでいらつきます。これは興味のあることですが、人家の前を歩いていて、通りかかりの家の中で人々がテレビを見ています。その時、そのテレビそのものを見ないで、そのテレビの画面が窓に反射する影を見て下さい。まるで火がついたように見えませんか(ゆらぎも含めて)。これは暖炉で焚く焚火の火を何となく見ていると、まるで催眠術に掛けられたように魅せられ、惹き付けられるのと同じです。それと同じ現象で、眼が催眠術に掛けられたような状態になるのです。

これはハイ・デフィニッション(HD)TVが開発されるずっと以前にボブ・ジョーンズ師が警告したことなのですが、彼はテレビの画質がよくなり、画面が余りにも鮮明でリアルな映像を映し出すので、それは悪魔がテレビから出て来て人間を完全に魅了してしまうような時代が来ると預言しました。そのHDTVが普及すると共に、ブルー・レイの映画が出て来ました。そして3D画面がこれに続きます。ビデオ・ゲームと言うご質問でしたが、このビデオの開発は単なる遊びのゲームではありません。私たちを楽しませるために技術が発達して来たなどと喜んでいる場合ではないのです。これは背後の悪魔の計画が確実に進んでいて、今ではその悪魔の目的が達成されようとする寸前にまで来ているのです。それは私たち人間を、特に「キリストのからだ」を世界的な惑わしによって眠らせ霊的に死に至らせることによって、私たちが悪魔と戦うのを止めさせる計画であり、今ほとんどそれが実現しつつあるのです。

 

私たちは、私たちの内にあるキリストのいのちを励ますようなクリエイティブな音、私たちの内にある光りに目覚めさせるようなサウンドを見つけなければなりません。そしてそのサウンドが何であるかを人々に気付かせることは私たちが待ち望んでいる最後のハーベストが近づくことであり、そのサウンドを聞くことによってハーベストに参加する思いを人々に起こさせるのです。(拍手)

 

質問:今まで440で録音されて来たワーシップのCDをどうすればよいのか。

ポッター:一つ申し上げたいことは、あなたの持っている440のCDであっても、もし神の油注ぎが感ぜられるものであるならば、実際にそうであるのです。神はそれがどんな音であっても、たとえばこのテーブルを私が叩く音であっても、それに油を注ごうと思われればそうされる神ですから、あなたのCDが油注がれ、主の臨在があると感じられるならば神がそうされたと信じます。しかし、そのCDがもし432で奏でたものであったとすれば、それに癒しの力が加わってくることは確かであると思います。

間もなく、多分金曜日にでもこのカンファレンスに現われるはずのレナルド・クーリー師は最近432で演奏したものを録音してアルバムを作りました。私もその演奏に加わりました。彼は既に432の音楽を実行し始めています。今私たちはそうしなければならない時です。それと同時に、私たちはデジタルのコンセプトに打ち勝ち、それを克服しなければなりません。

これは宣伝のために言っているのではありませんが、私も最近、全くコンピューターを使わずに432で録音をしました。そのためにはかなりのコストが掛かりましたが、今はそれを実行に移す時であると信じます。実際により高い品質のCDを録音する技術は存在します。後は、それに対応する高い音質が聴けるCDプレーヤーがあればそれだけよいものが出来ます。

 

この問題についてはもっとお話ししたいことは山ほどありますが、後は皆さんが皆さんの教会に帰ってからぜひ研究して下さい。

さて、最後に申し上げたいことは、あなたがピッチを変えることによって、癒しが起り始めたら、何が起こるでしょうか。又、多くの人があなたの教会に癒しを求めてやって来た時に、あなたの教会では432のサウンドが演奏出来ないとしたらあなたはどう思われるでしょうか。それではお祈りします。 (終り)

 

 

訳者より

ダン・ポッター師は日本にも来られてワーシップ音楽の指導をされており、その名は世界的にかなり知られつつあります。今回初めて彼のメッセージを訳させていただきましたが、正直なところ、基本的に音楽と音に関する専門知識があまりない私には理解出来ない部分が多くあり、あるいは誤訳したところもあるかと思いますので、その点の御理解と御容赦をいただけますようお願い申し上げます。   坂 達也


06 11月

最近のモーニング・スター・カンファレンスでのメッセージ (1) — Worship Intensive Conference at MorningStar Ministries, Oct.15-19, 2013          2013年11月6日 ダン・ポッター


最近のモーニング・スター・カンファレンスでのメッセージ (1)

 

  • - Worship Intensive Conference at MorningStar Ministries,  Oct.15-19, 2013

ダン・ポッター

 

私たち礼拝音楽を担当する者たちにとってはいつもしていることなのですが、演奏する楽器の音を始めにティューニングします。そのことに関して、皆さんの中でどの位の方がA-440ヘルツにティューニングすることを知っておられるでしょうか。音楽を演奏するに当たってはどこかに合わせてスタートしなければならないのですが、現在は皆一様に440ヘルツ(サイクル)のAに合わせています。(そうするとCでは128ヘルツになります。)私たちにとってそれは当たり前のこととして長い間そうして来ましたが、実はこのAの音を440ヘルツにするようになったのは比較的最近のことで、ある時から強制的にそうさせられてなったのです。

そのことについてこれからご説明しますが、その前に一箇所聖書をお読みしたいと思います。それはロマ書10:17, 18です。私がこれから読むのは詳訳聖書からです。私はこの聖書の訳が正しくてとてもよいと思います。

 

17 So faith comes by hearing [what is told], and what is heard comes by the preaching [of the message that came from the lips] of Christ (the Messiah Himself).

18 But I ask, Have they not heard? Indeed they have; [for the Scripture says] their voice [that of nature bearing God's message] has gone out to all the earth, and their words to the far bounds of the world. [Ps. 19:4.] これを日本語に訳しますと、

「17信仰は〔語られたことを〕聞くことから始まり、聞くことは〔救世主ご自身である〕キリストご自身の唇から発して語られた説教のメッセージを聞くことです。18でも、こう尋ねましょう。「はたして彼らは聞こえなかったのでしょうか。」確かに、聞こえたのです。〔聖書-詩篇19:4では〕「その声は〔自然物すべてのものが共鳴して聞ける神のメッセージ〕地球の全地に響き渡り、世界の果てまで届いた。」となります。

(訳者注:特に日本語聖書、中でも新改訳聖書の訳とは大分違います。)

ここでメッセージを語る主の御声がサウンド(音の波、振動、音響)として全地に響き渡っていると言うことは興味のあることです。サウンドは音波の振動として伝わり、地球を今でもぐるぐる永遠に回っているのです。であれば、いつか私たちが皆神の御前で集まっているところに、たまたま、ぐるぐる回っている「私の生涯で私が発した振動音のすべて」が披瀝されます。そうなると一生の間に私が語った馬鹿げたスピーチが皆さんに聞かれて大変な笑いものになると言う訳で、実に恥ずかしいことになります。その時私は下手なスピーチが聞かれないように大声で「主を賛美しましょう、賛美しましょう」と叫ぶことになるでしょう。(笑い)

 

と言うことで、私たちはイエスの唇から語られるお話を聞いて信仰が増すのです。そうです。私たちは地上で私たちの内におられる栄光の望みであるイエスを私たちがmanifest表すことを学び始めています。

ところでイエスは、彼が地上に帰って来られる前に来られることを皆さんは御存知ですよね。それは主が、雲に乗って地上に再臨される前に、先ず皆さんとか私の中に帰って来られると言う意味です。そしてその後に雲に乗って来られる時イエスは、私たちの中にご自身がおられるのを見て喜ばれるのですが、その時、歌声の大音響が鳴り響きます。それはJudson Conwell ジャドソン・コンウェル師が「プレイズとは救われた人たちが歌うものであるが、ワーシップは救われた人々に内在する神ご自身が(私たちを通して)御自分に向かって歌われる賛美である」といみじくも言ったように、地球上で爆発するような大礼拝の賛美が起るのです。

さて、先程の話に戻りますが、私たちがA-440にティューニングするようになったのは1950年代に入ってからです。その前は世界中がA-432ヘルツでした。このA-432についてグーグルを検索されると驚かれると思いますが、実はこの432と言うのは地球が造られた時の地球のサウンドそのものであったのです。つまり、創造時に共鳴、共振 resonance する音でありました。それは又、私たちの身体にある水が共鳴するサイクルであり、これによって私たちの脳の働きも活性化されます。

ですから現在使われている440ヘルツは被造物が共鳴できる自然音ではないのです。猫や犬がレコードプレーヤーの前でどんなに大きな音で音楽を鳴らしていても知らぬ顔をして反応しないのはそのせいです。

1939年にドイツのヒットラーはそれまでの432を440に上げることを提案しました。理由は440にすると音楽とか演説がより強要力を持つ、より興奮させる効果があるからです。ヒットラーはナチの音楽を440にしてその音のダイナミックを変え、これに世界中が乗ったのです。こうして第二次世界大戦に入りました。

 

しかし、これからもう一つの世界戦争が起るでしょう。それは440を432に戻すことにおいてです。それはこれから起きます。

それなら、どうして今世界中が、元の432に戻そうとしないのでしょうか。それはピアノをはじめ多くの楽器がそのように設定されており、今更変えることは大変手間の掛かることであり、それをする必要はないと考える人が多いからのようです。しかし、この432で演奏すると身体が音楽に共鳴しますから(身体の癒しの振動数は432)もっと多くの癒しが起こることは確かです。又528という振動数は人間のDNAを 是正することが出来るそうです。1920年に名前を忘れましたが、誰かが自分の好みの振動数を作り出す器械 frequency machineをつくり、これによって癌が100%癒されたそうです。その後その人はどうなったのでしょうか。何者かによって殺されました。あまりにも成功したからです。

 

身体の癒しとメディテーションによい効果があると言うA-432にティューンした音楽が、光の速度と人体をharmonize調和させる(振動を一致させる) と言われます。これを別の言い方で言えば、その音楽が人間の体内の中に光を造り出すと言ってもよいと思います。イエス・キリストは「わたしは世の光です。わたしに従う者は・・・いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)と言われたように、キリストによって造られた人間はその人の中に光を持ち、真実それは、「いのち」であるのです。

 

と言うのは、元々神は生き物を432の振動によって健康に生きるように造られており、私たちが病気になること自体が奇跡に近いことであるのです。その点からすれば、病気を持つのが当たり前のようになっている現代の私たち、特にクリスチャンは、もっと病気に対する権威を発揮すべきであるのです。科学者の分析によると、440の振動は身体にエネルギーを与えるのではなく、元々体が持つ振動のバランスを崩すと言うのです。もし病気になればその人の、特にその疾患部の振動が弱まっていて、健康な強い振動との間のバランスが崩れる。そこで432の振動が来れば、その弱い部分にエネルギーを与えて癒しに導くと言うのです。440の振動は人を怒らせ、心を憂鬱にし、又不眠症を起こす原因の一つとも言われます。一方432は心を平安にし、ストレスを少なくします。ストレスは癌の主な原因と言われます。又、高血圧症によい効果を上げ、そして心を集中させるのに役立ちます。

 

さて、私がモーニングスター・ミニストリーに来た年のある時、私はモーレビアン・フォールの岩の傍にリック・ジョイナーと立っていました。その時私は、「多くのミュージシャンよ、ここに集まって来い!」とに空中にむかって叫びました。それを聞いたリックは「風に向かって叫ぶのかね?」と笑いながら私に聞きました。 そうです。私は風に向かって叫ぶのです。その年のモーニングスター・ミニストリー・スクールの応募者の25%がミュージシャンでした。それが次の年には60%に増え、3年目には新しく入学した80%がミュージシャンでした。そこで学校のヘッドの人が来て、一体どうなっているんだと私に聞くのです。そこで入学の申込用紙を調べてみて分ったことは、用紙に書かれている質問の一つ「あなたはどうしてこのモーニングスター・ミニストリーの学校を選びましたか」に対する答えに「私はサウンドを聞いたのです。それでここへ来なければならないと言う気になりました。」と言うのがあったのです。「サウンドを聞いた」とはどう言う意味でしょうか。

 

サウンドと言うものに私たちはもっと注目しなければならない時、それが戦いを引き起こすことにもなる、そのような時に来ています。それは、すべての被造物が私たちクリスチャンの主への賛美に参加するようにされた神の御子-創造主の計画が実現する時でもあります。(このことに就いては後で触れます。)

 

 

私は長い間音楽に関係して来ましたが、その間に色々な変遷を経験しました。その最も大きなものの一つは、レコードからCDに変わった時です。レコード業界は、新しいメディヤのCDを、その他の利点と共に「サウンドがクリーンでずっとよい」と大々的に宣伝し、その結果ほとんどのレコードをCDに焼き直すことに成功し、それによって音楽業界は莫大な利益を得ました。なぜならCDにするにはほとんどコストが掛からず、又、音楽の演奏者に改めて払うお金が掛からなくて済んだからです。しかし、CDにして問題となったのは実際には音の質を落としたことです。御存知のようにCDに録音し直す時、2万ヘルツ以上の音を(フィルターを通して)録音からカットしました。それ自体はそれ程大きな問題ではないと思われました。なぜなら人間は年を取るにつれ高音が聞こえ難くなり、老人は1万2千ヘルツまで、若者は1万5千ヘルツ、一番よく聴こえる子供でも1万8千ヘルツまでで、人間の能力ではそれ以上の音は聴くことが出来ないからです。しかしこのカットしたことが大きな問題となりました。それは霊の世界の振動は2万ヘルツ以上であることに配慮していなかったことです。このカットした2万ヘルツ以上を称して「 air 空気」と言いますが、それはむしろ霊的には「breath 息」と呼んだ方が皆さんにはよりよく理解出来るかと思います。ですから2万ヘルツ以上をカットしても可聴周波数的には問題はないとしても、演奏者の心とか霊的なものが全く感じられないのです。特に音楽の背後にいる悪霊を識別出来ないことが私たちに大きな問題を残しました。実際にCDが作られた時の最初の音質はドライで、硬い、奥行きがないと言うことで非常に不評でした。そこで業者は苦肉の策として、シューと言う高音のノイズを加えてCDの限度を気が付かせないようにしたのです。

 

問題は、それ以来新しい世代のサウンドとして、霊的に惑わしがある音楽が多く出て来るようになったことです。その一例は、同じ節を何度もくりかえす音楽が多く出て来ました。その何度も繰り返し歌うことによって(麻薬でとか呪文にかけるかのように)人を惹きつけ、おぼれさせてしまうテクニックが巧妙に使われるようになったのです。クリスチャンでもそれにめり込んでしまう理由は、音楽の背後にある霊の識別が出来なくなったからです。それが出来れば、繰り返して歌う部分が霊的におかしいと感じた時に、いち早く警戒することによってはまり込まないで済むからです。

 

又、古いレコードをCDに変えることによって、古い世代の人たちが益々若い人の音楽について行けなくなったのは事実です。CDが出回り始めたのは80年代の終り、90年代に入ってからですから、今50歳以上の年配者はCDの音よりもレコードの音により親しんで来たと言えます。つまり、2万ヘルツ以上の「霊の息」を音楽から感じることに慣れ親しんだ人たちです。ですからそのような古い年代の人たちは、新しい年代の音楽、特に霊的な息が欠如しているものを聞くといらいらして来るのです。

音楽に対する年代間の差はいつの時代にもありましたが、特にCDの出現を境にそのギャップは益々大きくなったと言えます。しかもそれが霊的に重要な意味を持つのです。しかし、この年代間の分裂 splitが大きくなるのを許されているのは神の御計画であると信じます。なぜなら、神は私たち人間社会のかけ離れた父と子の関係を修復して、この地上にある最も大きな「のろい」の一つから開放することを計画しておられるからです。

音楽に関する現在の年代差は、音楽のスタイルとかメロディーの問題ではなく、サウンドにあります。ですからこの問題の解決策はあるのです。

昨夜の集会のワーシップでは私たちは432で演奏しました。(拍手)これは真実ですが、昨夜の礼拝音楽を聞いた人の中で癒された人が出て来ました。そして、気が付かずに癒された人も大勢いることを私は疑いません。保証します。なぜなら神は神の正しいサウンドを解き放って、それが人間の身体に触れ、癒す必要があるところを癒さないことはあり得ないからです。

100年も前に存在したルドルフ・スタイナーと言う人は(訳者注:Rudolf Steiner 1861-1925、オーストリア人、ウイキぺディヤによれば、第一次大戦1919後のナチの台頭で、晩年にヒットラー等と理論闘争した社会改革・教育・哲学・精神科学者)人間が440と言う「ルシファー的Luciferic blightness」サウンド を使うようになることを警告しました。彼は440を悪魔のサウンドであると言ったのです。ピッチ440は悪魔・ルシファー的ティューニングであり、地獄から来たものです。しかも私たちはそれを毎日聞いている・・・私はそれを知って心底から怒りを覚えました。スタイナーは440にティューンする音楽は、人間の貪欲の力を増すものであるとも言いました。私たちは悪魔に完全に惑わされて来たのです。ところがそれに気が付かないのは人間だけで、被造物全体はそれを知っていて、今まで「うめいて」来たのです。(ロマ書8:22)私たちが目覚めるのを被造物は待っています。神はこの432と440のティユーニングのことが、人間と悪魔との戦いにおける次の大きな対決となるとし、今私たちを目覚めさせ闘いへの準備を整えつつあるのです。(続く)