WWGM

Walk With God Ministries


24 01月

世界情勢ー特に日米情勢とメデイヤのついて


 先回も申し上げましたが、最近は日本のメデイヤ(私は日本経済新聞と朝日新聞の


10 12月

坂 達也 近況のお知らせ


私たちのサイトをご覧いただいている愛読者の皆様

 最近は、特に2020年1月16日に妻、柚実子が天に召されてからは、私一人で毎週のメッセージの用意ができませず、ほとんど何も書かずに、大変失礼して参りましたことを、先ずは深くお詫び申し上げます。

 私自身はその後元気にしておりますが、独り身となって、柚実子とのニューヨーク郊外でのアパート住まいを引き払い、そのアパートから車で20分ぐらいのところにある息子夫婦と二人の孫が住む家に1室部屋をもらい、そこで暮らして来ました。そして、ハワイのホノルルに住む娘夫婦のアパートにも一室私の部屋があり、この間を適時往復しております。

 また、今年の9月1日に久しぶりに日本を訪問しました。主な目的は、私の日本での主治医の勧めで、私のヘルニヤ(脱腸)の手術を薦められたからです。手術はうまくいきました。後は故郷の愛知県で家族友人に会うという私用で過ごし、訪ねた教会は福島の蓬莱教会だけでした。そして、この11月12日に羽田からの便でホノルルに帰って来た次第です。

   さて、私が wwgm への投稿が書けなかった、もう一つ、最大の理由は、私は昨年から私の3冊目の本の原稿を書くのが精一杯であったことです。

 そこで、私がいったい、どんなことを書いているかに、皆様はご興味があると思い、その一端を下記にご紹介させて頂きます。 ついては、この本の最初である「はじめに」を下記の通りご紹介させていただきます。

「はじめに」

 全知全能で、しかも誰よりも愛に溢れる「創造者の神」は、私たち人間全員に「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことに感謝しなさい。」と言われます。(1テサロニケ5:16−18)

 私は聖書に書いてある「ことば」の中で、これ以上の「創造者の神の絶対性を保証する」御ことばはないと断言して憚りません。

 しかし、多くの皆さんは言われるでしょう。

    ちょっ、ちょっと待って頂戴。お前、ついに気が狂ったのか?

    世界中にパンデミックを蔓延させ、世の中をこれ程めちゃめちゃにしておいて

    その中で苦しんで生きている私たちに

    「いつも喜んで···全てのことに感謝せよ··」

    とは一体何という事を言う。

    それが万能で愛の神だというのですか?!

 皆様は本当にどう思われますか?

 私自身、「創造者の神の創造」とは「私の人生の毎日で、何が起こっても、いつも喜んでいられる、そして、起こるすべてのことに、心から感謝できるようになることを「最大のモットー」として、その信仰を本気で信じ、生きようとしていると申し上げられます。

  但し、「絶えず祈る」とは、絶えず(ですよ)主イエスと私たちが「切れ目なく親しく会話する状態」(できるようになるのです)ーーこれこそが真のクリスチャンになる最大の目標であり、特典、すなわち、「永遠のいのち」を得て神と共に楽しく永遠に生きるる道であるからです。

 何故なら、その神様(父、子、聖霊の三人)は、私たちが真のクリスチャンになれば、私たちの心の中に入って来られ、私たちと共に生きてくださり、毎日いつもイエス様の口から出るみ言葉(ご指示)を受け取れるようになるからです。

  実は、私はそのようなキリスト教の創造者の神を皆様にご紹介しようとしてこの本を書き出しました。パンデミックでも大地震でも何でも来い。いや、既に来ているし、もっともっとその災害は続くでしょう。

 コロナウイルスのパンデミックは、既に多くの変化をとげ、「変異ウイルスは強毒したウイルス」とまで言われ、それに伴い精神異常者とか自殺者が増えているのが現状です。

 しかし、もう一度申し上げます。聖書の上記の短い言葉1テサロニケ5:16−18のみ言葉は、神に信仰を持つ私たちに対して、究極的に喜びに満ちて生きる「永遠の命」を保障してくれているのです。

===========

  さてそこで、本著は、先ず第一部と第二部に大別しました。その分けた第一部は、聖書が「創造者の神」をどのように説明しているかを主なテーマとして書かせていただき、第二部では、主に宇宙物理学者による「量子論·量子工学」を中心とした「科学的考察」がどこまで創造者の神の存在に迫っているかをご紹介致します。(第一部の各章には頭にWを、第二部の各章にはRを付けました。)

 そこで「第一部」のW第1章では、主に聖書と聖書学者の言わんとすることを引用しながら「創造者の神」の自己紹介も含め、聖書の説く「創造者の神」をできる限り詳しくご紹介します。

 W第2章では、神が世にパンデミックを与えた理由を二人の著名牧師により語ってもらいます。そして思い切った提案を用意しましたのでご期待ください。

 そして、W第3章で、なぜ世の中はこんなに悪いのか、御使いと悪魔の創造ーーその理由と目的に触れます。

 また、W第4章では、神はなぜ人間だけを、先ず最初に一人の男アダムを造り、その後で、そのアダムのわきから骨を一本取り出して女エバを造った理由を、世界的に有名な女性の宣教団体「アグロー」を率いておられるジェーン·ハンセン·ホイト師が書かれた本を中心にご紹介します。この男と女に関する掲題は、今まであまり取り上げられていないと思いますので、ご期待ください。

 そしてW第5章では、創造者の神の創作とは、映画を造るのに似ているーー 天には、この世に生まれて来るすべての人間の一生の毎日に何が起こり、それぞれの登場人物と、どのような会話を交わすかの脚本と台本が綿密に2通り書かれていて、一つは神の望む原作·筋書きと台本、もう一つは、(シナリオとか台本は一切知らされていない)一人一人の人間が、実際に自由勝手に生きる人生の筋書き。天には、この二つが有史以前の初めから用意されていて、その膨大な書庫があるというのです。しかもそれを天に挙げられ実際に見て来た人が3人いて、その方々の具体的な報告をご紹介します。

  その後で第二部に移り、主に量子論·量子工学を中心に、科学者の見地から今までに発見された宇宙創造のセオリーと、それが聖書に書かれた「創造者の神の創造」とどのように違うかを、R1ーR5章にわたってご紹介して参ります。

  その中のR3章で、乗用車を運転する私の親しい牧師夫妻とその教会の二人のクリスチャン4人が、街中で、傍から信号無視で飛び出して来た大型トラックに横から衝突したにもかかわらず、無傷で通り抜けたというユニークな奇跡的体験をご紹介していますので、ご期待ください。

  そこで一つお断りしておきたいことがあります。それは、二つに分けたこと、それに、筆者の私だけではなく、ご紹介する多くの権威者が、それぞれ、聖書の言葉とか強調点の説明をされていますが、結果的に、重複するところが多いことです。(私自身もかなりくどい方です。ごめんなさい。)しかし、それを何度もご覧いただくことによって、その重要度と内容的な理解度が深まる利点があると思いますので、どうぞご了解の上、お読みいただけますようお願い致します。

  尚、本書の文章の下に引いてある下線は、すべて著者が強調したい意図をもって引いたものです。  (以上です。)

 

 それでは私の新しい本の題名は未だ付いては’おりませんが、皆様にぜひご期待いただき、お祈り下さるようお願い申し上げます。

WWGM 代表  坂 達也


05 06月


信仰の言語と量子論と アネット·キャップス

 

                   坂  達 也

 

 

アネットさんは言われます。

 「量子論の仕組みは、あまりにも奇妙で奇抜なため、それを表現する言葉がありません。これが、多くの人が量子物理学に興味を持てない理由の一つです。ほとんどの人にとって、量子物理学は理解できないものなのです。

 

 私たちが住んでいるこのマクロな世界での素粒子の振る舞いの例を見せれば、理解してもらえると思います。しかし、量子ミクロの世界は、私たちが日々観察している自然(マクロ)の世界とは、上下が逆になっているように見えることがあります。

 

 量子物理学を勉強していると、それがとても身近に感じられるようになりました。それは「信仰の言葉」のように聞こえました。私が長年にわたって教えられてきた信仰や告白に関することが、突然、科学的に可能になったのです。イエス様が教えてくださったから信仰で受け入れたことが、まるでイエス様が量子原理の言葉を話しているかのように聞こえたのです。言葉が山を動かすというのは、どれほど奇妙なことなのでしょうか。

 

 イエスの言葉を信じるためには、古い考えを捨て、新しい考えを受け入れることが必要です。イエスが教えてくれた言葉は、世間的に見れば無意味なことのように思えますが、イエスは「私たちはこの世のものではない」と言っています。私たちはこの世にいますが、この世のものではありません(ヨハネ17:16)。

私たちは、イエスが神の国の法則と呼んだ、別の法則の中で活動しているのです。神の国とは、神が住んでいる領域のことです。

 

 

異なる領域  異なるルール 

 

  神の国の法則は説明できません。それは、物質的、物理的なレベルではなく、創造の基礎となる、より高い原理に基づいているからです。創世記第1章には、神が御言葉によって目に見えないものを存在させたことが記されています。言葉目に見えない振動は、明らかに物質を顕在化させたり変化させたりする効果があります。

  説明のつかないこれらの法則を、あなたはすでに経験しているかもしれません。

あなたは信仰に基づいて経済的な種を蒔いたことがありますか?10ドルを寄付して、100ドル、1000ドルと豊かになることができるのはどうしてでしょうか。この原理がどのように働くのか、数学的に説明することはできません。しかし、神の国の原理がどのように働くのか、イエスはまさにこのように教えておられるのです。···」

 

 以上は Annette Capps  アネット·キャップス師の小冊子の一部から取ったものですが、私はこの方のことを近いうちに出版予定の私の3冊目の本で紹介しています。

 何故この部分だけを引用させていただいたかといえば、実は、今は天に召された私の家内の柚実子が、地元ニューヨークの教会で、今となっては最後の機会をとらへて、一〇1献金がどれほど大切かを皆さんに訴えました。それが私にとっては彼女の遺言であったような強い印象を持ったのです。彼女もこのアネットさんの小さな一文を読んでいたと思いました。

 どうぞ皆様、10いち献金の尊さを、柚実子からの遺言としてお受け取りくだされば幸いです。

 

主にあって      坂 達也


31 05月

なぜ復活されたイエスは弟子たちではなく 女性たちに現れたのか?     WWGM 坂 達也


なぜ復活されたイエスは弟子たちではなく

            女性たちに現れたのか?

 

                WWGM     坂 達也

 

 

Faith Life 社のスタッフジェス·ホランド

        とマシュー·ボフィ氏の書いた記事のご紹介

 

 

 土曜日、彼女たちは休息していました。しかし、日曜日の早朝、女性たちは行動を開始しました。愛に突き動かされた彼女たちは、イエスの身体を称えるために香辛料や香料を集めました。彼女たちは、日曜日の朝が人類の歴史の中で新しい一日を迎えたことを知らなかったのです。神は、すべての時間の中で最も偉大なニュースを伝えるために、小さな女性のグループを選びした。なぜですか?

イエスは違っていました。

まず最初に、福音書の中での女性の役割と、イエスが女性とどのように関わっていたかを大まかに見てみましょう。

すぐにわかるのは、イエスが女性を大切にし、尊敬していたということです。例えば。

イエスは母マリアを愛し、十字架の上で死にかけているときでさえ彼女の世話をしました(ヨハネ19:26-27)。

井戸端で出会った女が自分に価値を見いだせなかったときも、イエスは親切に対応されました。(ヨハネ4:1-42)。

弟子たちを叱りつけ、高価な香料をイエスの頭にかけた女性を弁護し、その信仰と謙虚さを尊重しました。(マルコ14:1-11、ルカ7:36-50)。

また、福音書からは、イエスの従者の多くが女性であったことがわかっています。彼女たちは、弟子たちと一緒に旅をし、彼らの働きを経済的に支え、できる限りイエスに仕えました。

その後すぐに、イエスは神の国の良い知らせを宣べ伝えながら、町や村を回って行かれた。12人はイエスと一緒にいたが、悪霊や病を癒された女性たちもいた。マグダラと呼ばれるマリヤは、7つの悪霊がいなくなっていたし、ヘロデの家政婦チュザの妻ヨアンナ、スザンナ、その他多くの人たちは、自分の財産を使って彼らに仕えていたのです。(ルカ8:1-3)。

また、福音書の記述によると、イエスに従っていた同じ女性たちが、イエスの十字架刑に立ち会っていたことがわかります。David Rhoads氏はこう書いています。

語り手であるマルコは、『マグダラのマリヤ、若いヤコブとヨセの母マリヤ、サロメ、その他多くの女性たち』がイエスに仕え、ガリラヤでイエスに従い、イエスと一緒にエルサレムまで行ったと伝えています。

実際、これらの女性たちは、弟子としての役割を続けています。イエスの母マリアとヘロディアスを除けば、これらの女性たちは名前が挙げられている唯一の女性であり、12人と同様に、短いながらも物語の中で継続的な役割を担っています。

彼女たちは、磔刑の現場に居合わせたり、墓場に行ったりして危険を冒し、香辛料を買ってイエスに油を塗ることで奉仕の意思を示します。特に女性の脇役たちは、12人の失敗や不在の中で、弟子としてのあり方を模範としています1。

しかし、なぜイエスは12人の弟子ではなく、彼女たちに現れたのでしょうか?

 

 

意外な情報源

 

なぜイエスが男性ではなく女性に最初に現れたのか、聖書にはその理由が書かれていないので、確かなことはわかりません。しかし、その理由を推測することはできます。

まず、4つの福音書すべてが、空っぽの墓を最初に見たのは女性であり、天使に出会ったと断言していることに注目してください(マタイ28:5-8、マルコ16:1-8、ルカ24:1-8、ヨハネ20:1ff)。マタイとヨハネは、これらの出会いの後、イエスが女性たちの前に現れたことを認めています。

このように細部が一致していることは重要です。すべての記述が一致しているのです。

しかし、もっと重要で、実際には不可解なのは、イエスがなぜこのようなありえない情報源をニュースを広めるために女性を選んだのかということです。

 

古代の世界では、女性の証言がほとんど重視されなかったことはよく知られています。

法廷から女性が排除されるのは当たり前で、法廷は男性が男性のために作るものでした。バビロニア、エジプト、カナンの女性は法廷に出ませんでしたし、ギリシャの女性は後世になっても出ませんでした。ローマの女性は法廷で証言することはできても、遺言書の証人になることはできませんでした2。

ジョエル·グリーンはルカの注釈書の中で、女性の証言に対して弟子たちが不信感を抱いた理由として、この点を肯定している。否定的な反応は、女性を証人として認めることに偏見のある世界で、報道をしているのが女性であるという事実によって説明されます3。

では、なぜ福音書記者たちはこのような詳細を記載したのでしょうか?福音書の読者も同じような反応をするのではないでしょうか?そして、なぜイエスが最初に男性の前に現れ、彼の復活の証言がより広く受け入れられるようにしなかったのでしょうか?

それはおそらく、福音書が捏造されたという非難を封じ込めるためであったからでしょう。

 

 

信じられないほどの信憑性

 

もし使徒たちが復活を捏造したのであれば、女性が最初に目撃したとは書かなかったはずです。4。

マイケル·リコナが詳しく説明する。女性の出現や空の墓が歴史的なものであることを主張する主な論拠は、初期のキリスト教徒がこの物語を創作しなかったということである。Bauckham氏は、グレコローマン世界では、教養ある男性が女性を “宗教的な問題に騙されやすく、特に迷信的な空想に陥りやすく、宗教的な行為に過剰になる “と見なしていたという証拠を示しています。ユダヤ文化における女性観の低さを示す多くのユダヤ人の資料も同様に引用できるが、タルムードからのものは後世のものであることは認めざるを得ない。また、ルカの福音書24章11節にも注目したい。

古代における女性観の低さを考慮して、女性たち、特にマグダラのマリアの姿を、恥ずかしさという基準で歴史的なものと見る人が多いのです。福音書記者、特にマルコは、最初の伝承で記憶されていたことと違うのであれば、女性を復活したイエスの最初の目撃者とするために、既存の証言を捏造したり、調整したりすることはあり得ないと思われます。多くの人にとって信じがたいイエスの復活の報告を捏造し、女性を最初の目撃者として加えることで、その困難をさらに増大させる理由があるでしょうか?もしマタイが女性の弟子たちへの出現の話を作ったのであれば、復活したイエスを最初に見たのは男性であると描いた可能性の方がはるかに高いと思われますし、特にマルコが自分の福音書にそのような出現を書かなかったのであればなおさらです。サンヘドリンのメンバーであるアリマタヤのヨセフを挙げて、女性の問題を完全に避けたのではないか?このように、バウカム氏が評価しているように、1世紀に報告書が信用されなかった理由は、21世紀になっても信用される理由になっている。これらの物語は、当時、説得力を持たせるためにうまく作られていないように見えるので、歴史的に、つまり、今日、歴史的に批判的な考え方を持っている人々が信じることができる可能性が高いのです。 したがって、復活の物語に女性の目撃者が含まれていることの最も妥当な説明は、その伝統の記憶があまりにも強く、広く浸透していたために、それを含めなければならなかったということです。5。

 

 

 以上の記事をご紹介した理由は、復活された主イエスは、12弟子(皆男性)の前にではなく、数人の女性の前に現れました。何故でしょうか?ーこの事実を皆様どのように解釈されますか。歴史的に見ても、クリスチャンですら多くの人が訝る事実です。

 

 

 私、坂 達也は、目下3冊目の本を書き終えつつあり、出版の準備に入ろうとしている最中です。

 この本では「なぜ神は、この終末の時代に至って、パンデミックのコロナウイルスを世界中に蔓延させているか」ーーというテーマを取り扱っています。

 

 実は、その本の4章「神は人間を男と女に創造した」で、私は聖書の創世記2:21−24に書かれている下記の掲題:

 「神はなぜ、最初の人間·男のアダムの肋骨の一つを取り出して、それから女· エバを造ったのか

 を取り扱わせていただきました。

 そして、特にこの重要な問題について、世界的に有名な女性の宣教団体「アグロー」を率いておられるジェーン·ハンセン·ホイト師が書かれた「神が男女を創造されたときの計画とは·マスタープラン」という本をご紹介しています。

 

 従って、この章を通して「なぜ復活されたイエスは先ず男の12弟子ではなく、数人の女性の前に現れたか」の答えを書かせていただきましたので、ご期待下さると共に、私の新しい本の出版に関してもお祈りいただけますようお願い申し上げます。(終り)


11 04月

真のクリスチャン國として世界を導くために、  神は、アメリカ共和国を造られた(その1)      坂  達 也


のクリスチャン國として世界を導くために、

     神は、アメリカ共和国を造られた(その1)

 

                    坂  達 也

 

 イスラエルという国は、創造者の神が造られた唯一ご自分の国でした。そのイスラエルの歴史は、基本的に、旧約聖書がその歴史と言えます。

 一方新約聖書には、冒頭のマタイの福音書の最初に、神であって人間として生まれた「神のひとり子イエス・キリスト」の系図が記されていて、その「キリストがこの世で何をしたのか」の物語(4つの福音書)が書かれています。

 キリストは、彼を信じる人間を救うために、人間としてこの世に生まれ、全人類の犯す罪の身代わりとして十字架で死なれ、よみがえり、最後に天に帰られました。新約聖書には、それに付け加えて、「イエスの初代の真弟子たち」によって「その後のクリスチャンの歴史とその預言」が書かれています。

 

 しかし、神は人間を造った目的をより明確にするために、「その後のクリスチャンの歴史」の終盤において、アメリカという国を造りました。それは、「すべての人間は平等に造られていて、すべてのクリスチャンのための自由と正義を確立する」ことを、具体的に国の政治によって実現させるためでした。しかも、その制度が世界各国の手本となることを最終目標として求めておられたのです。

 

 私は、リック・ジョイナー師は、神学的に深い理解を持つ「神学者」であり、また「神と親しい預言者」でもあり、またこの世のビジネスの経験を持った方ですが、それ以上に重要なことは「真のクリスチャンを育てる教会の主任牧師」として長年苦労されて来た方であることです。このジョイナー師を用いて、神はアメリカ共和国を造った真の「神の目的」を明らかにされていると信じます。

 

 以降は師の書かれたものの中から選んで、その趣旨をお伝えします。

 

 

第二次「アメリカ独立/南北戦争 とアメリカ合衆国憲法」について

                      リック・ジョイナー

             

 

     私は、2018年12月14日に、私たちの国、アメリカ合衆国にさまざまな攻撃がやってくるという夢を見ました。そして、それぞれの攻撃に対抗するために送り出される人たちが示されました。

     夢の中で、私の任務が告げられ、そのための「天から見たアメリカ共和国の歴史 」が映し出されたのです。

     それを見ていると、右手には現在に向かって時代が進んでいることがわかりました。そこで私は、今起こっていることに対する天の視点を見るために、最後まで行ってみることにし、現在にまで来てみると、そこには燦然と輝く金色の文字で、「第二次アメリカ独立・南北戦争は必然であり、正しく、成功するであろう。」と書かれていました。

     (歴史の行程を)歩いて「現在」を見たことで、この革命・南北戦争がなぜ 避けられない のか、なぜ正しいのかが分かりました。これは、私が今までに託された最も重要な啓示かもしれないと感じながら、私は目を覚ましたのです。

 

 従って私は、天の視点から見た「アメリカ共和国」の歴史にアクセスする権利と、それに伴う「役割」が与えられたと理解し、これから終末に向かって展開される事態において、神の意向をより正しく理解し、この世に伝えるために、このアメリカの歴史に立ち返ることになるだろうと感じたのです。

 

     私たちは既に、”第二次アメリカ独立/南北戦争 “の最初の段階に入っているのです。このことは、次のような多くの疑問につながると思います。双方の立場、争点は何で、何が正しいのか?何よりも重要なのは、天の視点から見たこの戦争の成功とはどのようなものかということでした。

    預言者でなくても、アメリカが二つに分裂して「国内の内戦」に向かっていることは分かります。それでも、夢を見る前は、「避けられない」ことがはっきりするまでには、まだまだ時間がかかると感じていました。しかし夢の中で、私たちは既にその一線を越えてしまっており、それが今、私たちに迫ってきていることを知ったのですから、私たちはそれを避けるための戦略から、勝ち取るための戦略に変えねばならず、そのためには、「天の視点で勝つ」ことを考える必要があることが分かりました。

 

     天の視点では、(英国からの)独立戦争には勝てませんでした。天の視点では、この戦争は単に独立を勝ち取るだけではなく、自由、すなわちすべての人のための自由と正義を確立し、それを維持するための人間の政府を樹立するための革命を意味していたからです。

 この戦争では、いくつかの重要なことが達成されましたが、天が成功したと見なすには、基本的にあまりにも不十分な結果となりました。もし建国者たちが、独立を求める理由として宣言した「すべての人間は平等に造られている」ということを真に信じていたのであれば、奴隷制度自体が問題であり、南北戦争は避けられなかったはずです。

    また、 天の視点から見て南北戦争が成功していたら、その後起こった the Civil Rights Movement 公民権運動とか、私たちが今も戦っている多くの紛争の必要はなかったでしょう。連邦政府は、反乱を鎮圧し、奴隷制を廃止することには成功したかもしれませんが、すべての人に「正義と平等」を確立することには成功しなかったのです。

     アメリカ共和国では、自由と正義は人種問題だけではなく、富や名声、政治的な面でも歪められています。天は、この時代に地上のあらゆるものが完璧であることを期待してはいません。実際、聖書には、地上の最高のものも天の影に過ぎず、今の地上の最高のものもやはり来るべきものの影に過ぎないと書かれています。しかし、私たちが何かの影の中にいるとき、私たちは本物にとても近いのです。アメリカ共和国は、まだ到達していない自由と万人のための正義に、もっと近づくことが求められています。しかも私たちは、その制度が世界各国の手本となることを求められているのですが、実際には、現在のような機能不全の手本でしかない状態です。

 

     また、私たちは、戦争に対しても天の視点を持たなければなりません。私たちは、戦争というと常備軍隊同士の戦いと考えがちですがそうではなく、今起こっていることは真の意味での独立戦争や南北戦争ではありません。しかし、だからといって、私たちが今直面していることが容易であるということではなく、全世界がかつてなかったほどの大きな試練の時を迎えています。それに立ち向かう私たちには、「成功する」という確かな希望が上から与えられていることを望んで止みません。

 

 

Jan 4,2019 WEEK 2 第二次アメリカ独立・南北戦争

 

    私が見たこの夢の最初の部分は、この戦争で成功する戦略を理解するためのものでした。私たちの国にある特定の悪の拠点を攻撃するために、チャンピオンが育てられるのです。その悪とは、偏見、貪欲、利己的な野心、憎しみ、反抗、プライドなどのことです。夢の中では、これらの悪はすべて木の中にあり、根と枝を持っていることを語っていました。それらを打ち負かすためには、枝をもてあそぶのではなく、木の根に斧を突き立てなければなりません。

    但し、アメリカは神の国でもなければ、新しいエルサレムでもありません。私たち共和国が、神との特別な契約を結んでいた証拠を求めて歴史を調べましたが、それも見つかりませんでした。人は国家のために神との契約を結びますが、神が義務を負う契約の聖書的な基準ではなく、すべての神の契約は人間ではなく神に由来し、神が契約を結んだことが明確に超自然的に示されます。私が見落としているのかもしれませんが、私たちの国の歴史の中にこのことを見つけることができませんでした。

         そうは言っても、アメリカが「神に捧げられた国」であるという証拠はたくさんあります。神への献身は人間に由来することですが、神に捧げられたものは、すべて聖なるものとして聖別されます。従って捧げられたものには、特別な恩恵(好意)や裁きがついて回ります。神の好意は、この世のどんな宝や他の資源よりも価値があります。しかし、神に捧げられたすべてのものが聖なるものであるため、神に捧げられた国は、他の国ができるかもしれないことをすることができません。

 私たちには、すべての人が持つように創られた自由と正義を示す国になるという建国の目的が与えられました。この目的こそは、私たちがこの奉納のために受けた神の最大の好意です。

 聖書には「主の御霊のあるところには自由があります。」(Ⅱコリント3:17参照)と書かれています。だからこそ、「善悪を知る木」が園に置かれたのです。逆らう自由がなければ、真の従順はあり得ません。自由と自由意志は、私たちが創造されたものの中核をなすものです。

         私たちの「国の創世記の文書」は聖典ではありませんが、私たちの運命を明らかにし、導くために、神の霊感を受けたものです。このような天命があるからこそ、そこから外れたときにトラブルが起こるのです。天命を明確にし、それを果たすための道に戻ることは、私たちが存在し続けるために重要です。

         目的を逸脱すればするほど、不和は大きくなる。これまで述べてきたように、私たちの国家としての基本的な目的の一つは、「すべての人間は平等につくられている」ということを理解し、それを実践する場を設けることでした。天国では、独立ではなく、この点が独立戦争の最大の問題でした。独立戦争の後、我々の主目的が妥協され、偽善的に無視されたので南北戦争は必然的に起こりました。もし、アメリカ共和国が「人間はみな平等に造られている」と本気で信じていたら、奴隷制度はもちろん、人種による差別もあり得なかったはずです。

         南北戦争では、奴隷制度を根絶やしにすることはできても、「すべての人間は平等につくられている」ということまではできませんでした。これは、まだ達成されていない私たちの使命の一つの要素に過ぎません。アメリカにおける差別撤廃の進展には感謝すべきであり、顕著な進歩が見られますが、私たちが求められている場所にはまだほど遠いのです。私たちは今、国家として神から与えられた使命の明確なビジョンを取り戻し、それに完全に従うことを決意するまでは、紛争の拡大は避けられないところまで来ているのです。

                                                                                                                                                                                        (続く)


 Page 1 of 38  1  2  3  4  5 » ...  Last »