WWGM

Walk With God Ministries


22 11月

2015年を間近に控えて                坂  達 也  2014年11月22日


2015年を間近に控えて

 

                    坂  達 也

 

多くの人が2015年、16年は大きなことが起こることを予測すると共に「打ち破り」が起こることも期待しています。そこで今回は終わったばかりのアメリカの中間選挙が今後のアメリカにどのように影響するかに関して、ジョイナー師の意見を先ずご紹介し、その後で、私自身が2015年に対して感じていることをお分ちさせていただきます。

 

アメリカの中間選挙が終わって

リック・ジョイナー

 

先日行われた2014年のアメリカの中間選挙は、一言で言えば、現職オバマ大統領(民主党)が国民によって、今までに前例がない程大きな叱責 rebuke を受けるという結果で終わりました。大統領自身が認めるように、彼のやって来た政策は、今回の選挙で圧倒的多数の国民によって却下されたことになったのです。

選挙結果としては、共和党が民主党に対して、下院においては歴史上最大の大差を付けて勝利し、上院においても久しぶりに過半数を制しただけでなく、州知事選をはじめとするあらゆるレベルにおいて圧倒的勝利を獲得しました。

 

exit polls(投票所における選挙後の投票者に対して行う意見調査)で明らかになったことは、投票者は二対一の割合で「国が間違った方向に進んでいる」と言い、それに対して多くの人たちが怒りを感じていること、全体の8割以上の人が「アメリカの将来を憂いている」と答えています。国民が今一番関心を持っている問題は次の通りです。

 

  1. economy  経済 (45%)
  2. healthcare オバマ・ケアと呼ばれる悪名高い国民健康保険制度(25%)
  3. illegal immigration 主にメキシコ人の違法入国問題/移民法(14%)
  4. world affairs 世界情勢(13%)

 

そして選挙直後の現在、アメリカは二つの大きな課題に直面しています。

1)過半数を獲得した共和党が、今回国民から示された圧倒的な要望と期待に答えることが出来るか。

2)民主党のオバマ大統領が、共和党がリードする上下院国会に協力するか、或は対立して自分のやり方をあくまで通そうとするのか。

 

前回全く同じような立場に立ったのは民主党のクリントン大統領でした。彼は、過半数をしめる共和党にうまく協調することによって、国家予算の運営において赤字解消に成功し、国の膨大な累積負債をいくらかでも返済をするという最近のアメリカ史上では稀に見る政治的成果を上げました。これが功を奏し、その後しばらく続いたアメリカの繁栄の基礎を作ったのです。もっとも、それに対する国民の評価のほとんどはクリントン大統領が取った形となり、彼の人気が高まりましたが、国民の要望に応えて実質的に貢献したのは共和党のリーダーシップによるものでした。

 

後二年の任期を残すオバマ大統領は、へりくだってクリントンを見習い、共和党に協調して国民の期待に応えるならば、少なくとも彼の人気は現在の最低の状態から回復に向かい、彼の政治力が歴史に残る可能性は十分にあります。しかし私たちはそれを望んで祈るにしても、オバマ大統領が国民の信頼を失った大きな理由の一つは、彼は言葉ではよいことを言い、約束はしても、実行が伴っていないことにあることを、この際十分に認識せねばなりません。

一方、もしオバマ大統領が共和党と敵対し、あくまで自分の政策を通そうとするならば、2016年の大統領選挙を控えた民主党自体が、今回国民から受けた厳責に対して反省しない大統領から距離を置く可能性が十分にあります。事実、今回民主党が大敗した最大の原因は大統領にあると言う非難が、既に民主党内から出て来ております。加えて勢力を強めた共和党が、今まで大統領として相当な権限逸脱(憲法違反も含めて)を強引に重ねて来たオバマ大統領に対して厳しく批判し、一層厳しく追及するでしょう。そうなると、もしオバマが大統領の持つ議会決議への拒否権 veto を行使した場合に、多くの民主党員が共和党に加担して(議案の再審議で2/3以上の票数を取ることによって)大統領の拒否権を無効にするという事態が起こり得ます。

 

民主党は今回、国民から信用失墜の烙印をはっきりと押されましたが、しかし共和党にしても決して大きな信頼を受けているわけではなく、ここでもし国民の期待を裏切るようなことしか出来ないとすれば、今回得たせっかくのチャンスを台無しにする可能性も十分にあります。大勝利したからと言って、ここで安心してはおられません。

 

ここで前述した四つの国民の関心事と要望について触れます。

最大の問題は国の経済に関する国民の憂慮です。政府は、経済の回復に関する一部の指数だけを示して景気はよくなったと強調しますが、多くの国民は政府の言うことを信用せず、アメリカの経済情勢は表面に現れている数字より遥かに悪いと感じています。非常に憂慮すべき経済破綻の大きな地鳴りが今高まっていることを国民はひしひしと感じているのに、政府のリーダーたちは感じていない(あるいは隠している)ーこれが今回の選挙で国民が、政府と大統領に対して下した一番大きな不信任宣告の理由であり、それだけに国民の最大の関心事である訳です。

 

オバマ・ケア  Affordable Care Act (AFC) が、affordable (手頃で支払い可能な値段) ではないことが明らかになって来ました。私たちのモーニング・スターの団体には135人のスタッフがおりますが、政府の言う事を聞いていると、私たちは働いている人数を半分に減らさないとaffordable にはならないことが分かって来ました。多くの中小企業が同じ不満を訴えています。これは現大統領が敢てごり押ししようとしている政策の一つで、もし新しい年の国会で改定案が通らなければ、アメリカ経済の将来に大きな足枷 yoke を加えることになります。

 

違法移民  illegal immigration これは今は三番目にリストされていますが、この問題を早くうまく処理しなければ大変な国家的問題となります。それは国の経済問題に影響するだけでなく、私たちの生活そのものに大きく響いて来ます。これに関連して、メキシコとの国境を越えてテロリストがアメリカにどんどん侵入して来ます。私たちの国境を固く守る(アメリカ入国者を適切に取り締まる)ことは、アメリカが自由国家として存続するかどうかの分かれ目となるーそれほど重大な問題です。

 

外交関係 world affairs  オバマ大統領とクリントン国務長官になってからアメリカとよい関係になった国の名前を挙げて下さい。一つもありません。ロシアとの関係、アラブ諸国との関係(ISISの出現に至る) …….紙面がないのでこれ以上言及しませんが。

 

忍耐への決意

 

小舟の舵をきるのは簡単ですが、大きな航空母艦の向きを変えるには時間が掛かります。アメリカはこの六年間、左に寄り過ぎて来ました。これを正しい方向に舵をとって向け直すのは一朝一夕ではできません。適切な戦略と知恵なくしてただ性急に短期間で方向転換すれば、もっと大きな危険を招く事になりかねません。

結論として言えることは、今回の選挙結果は、アメリカがよい方向に向きを変えて進んでいくモーメンタム(はずみ)を与えたように思われます。しかしそのような時にクリスチャンと保守的な国民は、往々にして安心し過ぎて又寝てしまいます。これから必要なことは、更によいモーメンタムをつけることです。

ヨシュアが最初の敗北を経験した時に必要であった忍耐と知恵が今のアメリカには必要なのです。

ヨシュアが率いるイスラエルの民は、エリコでの戦いで驚くべき勝利を得ましたが、その後で小さな町アイ Ai に対して思いがけない敗北を喫しました。これは驚くべき事実で、私たちに大きな教訓を残してくれました。この選挙は大きな勝利でした。しかしアメリカを元来のコースに戻すためには、未だ始まったばかりの最初の一歩に過ぎません。今は気をゆるしたり、慢心・傲慢になる時ではありません。(以上でジョイナー師のメッセージは終わります)

 

さて、これから私自身のコメントを加えさせていただきますと、現時点のアメリカは、株式市場だけを見れば一見大変なブームで、ドル相場も予想外に高騰していますから、近い将来も含めアメリカの景気は非常によいように見えます。しかし、その表面下で実際の一般消費者の感覚は全く別です。アメリカ国民は今、国の内外に対する政府の対応に深刻な不安感を持ち、それが今回の選挙でオバマ大統領とその政府に対する予想以上に厳しい評価として爆発し表面化したと言えます。

アメリカに未曾有の経済恐慌が迫って来ている、と言う予測が最近出回り、かなりの人たちがそのような記事とか報道を見聞きしていることに気がつきました。その代表的な例として、今年のNYタイムズのベストセラーになったJames Rickards著のThe Death of Moneyが挙げられますが、その他二、三の経済・金融・株式市場の専門家たちによって書かれたものが、新聞、経済誌等で取り沙汰されています。問題にされているのは、既に数年前から懸念されて来たアメリカにとって既に返済不可能な膨大な財政赤字とか、フェデラル・リザーブが印刷して来た1兆ドル以上のドル紙幣の氾濫がドルの暴落を呼び、世界経済が混乱に陥ると言うものです。一方で、ドルの暴落は起こらないという専門家のはっきりした意見もあって、何も起きずに現行のまま続行するかもしれません。

 

しかし、ここで考慮すべきことは、リック・ジョイナー師がこの夏ビジョンで見たことです。それはメキシコとの国境を超えてテキサス州にISISが侵入し暴挙に出るというものでした。それに加えて、彼は「アメリカに軍隊による戒厳令が布かれる時が来る」という預言も以前しています。又、ヘンリー•グルーバー師による預言には、ロシアの潜水艦からアメリカの東部海岸の主要都市に(核)爆弾が打ち込まれるというものもあります。

 

世界情勢に一大事が起こるという点で考慮しなければならないもう一つの深刻な可能性があります。これについては私がこの数ヶ月間どうしても頭から離れないことなのですが、それは皆様よくご存知の2014年と15年の「過越の祭り」と「仮庵の祭り」の日に4回続けて起こる皆既月食 blood moon の意味についてです。

過去においてこれと同じことが起こった年に何が起こったかと言えば、1967年にイスラエル軍隊がエルサレムを奪還しており、その前の1948年にはイスラエルの国が改めて独立しました。となれば、この2014年の仮庵の祭りから2015年の仮庵の祭りまでの一年間に何かイスラエルに大変事が起きると言うことが十分に考えられます。

私の思いに来たことは、エルサレムにおいて第三神殿の建設が開始されることです。これはイスラエルにとっては1948年、67年に起こったことに続いて、それに匹敵する大事件となるでしょうし、第三神殿が建たなければ、世の終わりが来ないことを考えれば、今神殿が建てられることは決しておかしくありません。

しかし、そうなると大変な争いが起こることを覚悟しなければなりません。現在アラブの聖地として Al-Aksa Mosque 寺院が建っているテンプル・マウント Temple Mount 付近で最近新たな争いが起こっていますが、ここにユダヤの神殿が建設されるとなれば、それが引き金となってアラブ/イスラエル間で未だかってないスケールの大戦争に発展する可能性は充分以上にあります。イスラエルを囲むアラブ諸国が一斉に ISISのようにイスラエルに侵略して来るかもしれません。

その結果、世界は前の二度の戦争(48年、67年)の時以上に大きな神の奇跡(イスラエルの大勝利)を見ることになるのではないでしょうか。但し、これが世の終わりの大戦争につながるとは思えません。神殿が建つのには2、3年は掛かると思うからです。(既に色々な資材が用意されていると聞きますが)と言うことは、たとえイスラエルに大きな戦争が起るにしても、その後に又、小康を保つ時期が来ると考えられます。

もしイスラエルに大きな戦争が起これば、必然的に世界中が戦争に巻き込まれるでしょう。そうなった時に、先程挙げたアメリカの経済破綻がむき出しにされ、それが世界経済を揺るがし、苦境に陥ったアメリカにおいてジョイナー師やグルーバー師の預言が実現するような事態に発展する可能性が出て来ます。そして世界情勢は増々緊迫し、終末の聖書預言で未だ成就されていないものが次々に起こる事態に移行して行くと考えられます。

 

私はこのような、下手をすれば必要以上にセンセーションを煽るようなメッセージを今まで努めて書かないようにして参りました。しかし、今回ジョイナー師のメッセージを紹介しなければならないと考えたのは、アメリカの現状そのものが2015年以降の終末の気配を十分に見せていること、それにイスラエルに戦争が起こることを強く感じていることをお伝えしたかったからです。

従って2015年は、今まで長く続いた「いつも通り」の「平和な時代」にいよいよ終止符を打つ年となるような気がします。しかしながら、その一方で最後の世界的大リバイバルがこれからいよいよ本格的に起こる気配も整って来ました。

 

主は既に立ち上がっておられます。と言うことは、私たちクリスチャンも主にあって万端整った霊的武具と装備に身を固め、最後の総攻撃とも言うべきリバイバルへの戦線に参加する時が来ました。

最後となりましたが、2016年にはアメリカ大統領選挙が来ます。その時にどちらの党から出てもよいのですが、若い世代のパッションのあるクリスチャンの大統領が選出されることを心から願っております。そのことを含めアメリカのためにぜひお祈りください。(終わり)


15 11月

祈りの学校#1:   何故祈るのか           シンディー・ジェコブス        2014年11月15日


祈りの学校#1:何故祈るのか

 

シンディー・ジェコブス

 

私たちは祈り方はもう誰でも知っているだろうと思い勝ちですが、でも実際は、新しいクリスチャンや、今まで教えてもらう機会がなかったという人など、祈りの基本をまだ知らない人がいます。これから私の「The Power of Persistent Prayer 」という本にそって祈りについてお話していきたいと思います。

 

それでは何故祈るのか、ということをお話していきます。まず聖書には何と書いてあるか見てみましょう。

ルカ11:9−13「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

 

「神様はすべて私の必要をご存知なのですから、なぜ

『それをください』と私がお願いする必要があるのですか」という質問をよく受けます。それに対する一番目の答えは、神が求めなさい、願いなさい、と言っておられるからです。

私が「願い求める祈り」と呼んでいる箇所が聖書の中には沢山あります。ゼカリヤ10:1には「後の雨の時に、主の雨を求めよ。」とあります。ヨハネ14:14には「わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」とあります。ヤコブ1:5には知恵を求めなさい、とあり、ルカ11:13には聖霊を求めよ、と書かれています。

 

私の子どもや孫のことを考えてみますと、彼らが何を必要としているのかはもう私はわかっているかもしれません。しかし、彼らが直接私に願い出て欲しいのです。ある人にお願いすることは、その人を敬い尊ぶことです。又、必ずかなえてくださるという信仰が必要です。私たちは与えられるように求めなさい、と言われています。ですから一番目は「神はあなたに必要なことをすべてご存知であるけれども、あなたに願い求めて欲しい。」ということです。

 

私が二番目によく質問されるのは、「ほんの小さなことで神様をわずらわせるのは避けるべきではないでしょうか」というものです。私が結婚したばかりのとき、夫が「小さなことを頼んで神をわずらわせるのは止めた方がいいと思うよ。神は大きな方だから、大きな事だけを頼んだらどうかね。」と言ったのをよく憶えています。   でも実際は、私たちが自分の子どもたちや友人、親戚など親しい人たちのことはすべて、小さな事でも関心があるのと同じように、神も私たちの小さなことにも深い関心を持たれ、そのすべてをお話しすることを喜ばれます。あなたの人生の最も些細な事柄や、あなたが心を痛めた話とか、悲しんでいる事など、すべてを話して欲しいのです。

 

神はご自分と親しく交わるように私たちを造られました。祈りで最もすばらしいことは神との交わりです。ですからあなたが神のところに行ったとき、あなたになにか必要があるならば、隠さず全部話してください。

あなたの必要を書き出してリストを作ってください。

以前、私は困窮していて、必要の大きさに圧倒されてしまいそうのなりました。そのような時、私のすべての必要を紙に書き出すことを学びました。「1、この位のお金が必要です。2、癒しが必要です、友人、家族も癒しが必要な人がいます。

 3 人生のディレクションが必要です。」というように、全部書き出すのです。

そのリストをベッドの横に置いておきます。リストに書き出し、神に願い求めることによって、私の心に平安がきました。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ5:7)という御ことばがあります。書き出して神に求めることは、思い煩いを神にゆだねることになるのです。

 

もう一つ私がすることは、その祈りに日付を書いておくことです。ずっと以前、私の牧師が「あなたが、クレジットカードや家や車のローンとかで借りているお金を全部書き出しなさい。」とある集会で言いました。そこで私と夫はすべて書き出し、「支払い完了」というスタンプまで押しました。ずっと後になって私は聖書に挟んであったその紙を見つけましたが、その時には本当に支払いは全部済んでいました。神は私たちが願ったことを聞いてくださったのです。ですから、皆さんも神に頼んでください。大きなことを神に願ってください。神はあなたの祈りを聞いてくださると信じてください。あなたは祈るだけではなく、信じなければなりません。「信仰がなくては神に喜ばれることはできません。」とヘブル11:6にある通りです。

 

私たちの祈りのリストを書くことは、 自分の必要を神にお渡しすると同時に、私たちの信仰を告白することになります。

「見てください。私はこのようなリストを書いて神に求め、そして神がそれをかなえてくださることを信じています。」と回りの人びとに言うのです。そして神が必ず実現してくださることを信じるのです。「願い求め、信じ、かなえられると予期するask, believe, expect」のです。

 

祈ってはいるけれども、祈りの訓練が出来ていないので、行き当たりばったりにしか祈らず、いろんな祈り、願いがぐちゃぐちゃになってしまっていることがあります。でも祈りの訓練をして神に毎日キチンと願い求め、感謝をするならば、神はあなたが今まで経験したよりも素早くあなたの祈りに答えてくださるでしょう。

 

ですから、祈ることは大切です。すべてのことを祈ることは大切です。絶えず祈ることが大切です。あなたの必要を神に告げるのは大切です。そして、神が祈りに答えてくださったときに、神に感謝することを忘れてはいけません。私は神にいろんなことをお願いしたのに、それがかなえられたときに感謝を忘れていたことがありました。感謝する心はすこやかです。感謝を捧げることは、私たちのクリスチャン生活の中でとても大切な要素です。聖書の中では何度も何度も「感謝しなさい」と言われています。ですから、あなたの祈りがかなえられたときは、どうか神のところに戻り感謝してください。

 

私は最近二つの癒しを主に願っていました。一つは足の指の感覚がなくなったことでしたが、今朝歩くと、感覚が戻っていました。とても自然だったので、神に感謝するのを忘れていました。もう一つは歯のことですが、何度も医者に通って直ったのですが、それもとても自然な流れだったので、神に感謝することを忘れていました。

あなたはどうか神に感謝をするのを忘れないでください。

 

「祈り、信じ、かなえられると予期する」そして祈りが答えられたときは「感謝すること」をどうか実行してください。そうすればあなたの祈りの生活は豊かなものとなるでしょう。

 

 祈りの学校#2:信仰の祈り

シンディ・ジェコブス

 

今日のトピックは「信仰の祈り」です。勿論私たちは祈るときは信じて祈らねばならないことを知っています。1ヨハネ5:14、15には「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」とあります。これは本当にものすごく力のある言葉です。

 

1.「祈るときは、 神がその願いを聞いてくださることを確信しなければならない。」祈るときに

本当にこの確信が自分にあるかどうかをチェックしなければなりません。あなたは「勿論ですよ。シンディーさん」と言われるかもしれませんが、本当にそうですか?

神のみこころにかなう祈りをしたならば、かならず聞かれると信じていますか?

神の慈しみに対する自分の確信が少しずつ薄れていっているかどうかを神に聞いてみてください。「神は私のためにこれをしてくださるだろうか?

神は私のためにそうしたいと思っておられるだろうか?」という問いに対して、確信をもって「Yes!」と答えられねばなりません。

 

2.「神は私の祈りに耳を傾けていてくださると信じねばならない。」神は目に見えない方なので、あなたは空にむかって祈っているように感じるかもしれません。あなたは自分が祈るときに、確かに誰かがそれを聞いていてくださると信じますか?

神への祈りの回線がふさがっているとか、神が宇宙のどこかに会合に出かけてしまっているように感じる時があるかもしれません。

しかし、神は全能で全宇宙の支配者であるにも拘わらず、あなたの祈りを聞いていてくださるのです。すばらしいではありませんか。私はといえば、家族のことや仕事のプレッシャーで頭が一杯になってしまうことがありますが、神にはそういうことはありません。神は全世界を御手の中に治めておられますが、それでもしっかりとあなたの祈りに耳を傾けてくださるのです!神は愛情溢れる天の父であり、あなたの願いを聞いてくださいます。

 

私たちは、神が善き方であることを信じなければなりません。あなたは「勿論、信じてますよ。」と言われるでしょうが、本当にそうでしょうか?

私は自分にもその質問を時々します。ただ単に祈りという形式的儀式をしないでください。自分が一方的に祈りを並べ立てるだけではなく、聖霊の声に耳を傾けてください。

 

神は大きな方ですから、あなたのどのような質問にも答えてくださいます。私の人生にも様々な出来事がありました。私は神に「神様、私はこのようなことはとても理解できません。」とか「こんなことは本当に辛いです。

本当に苦しいです。」とか申し上げます。神と話すときは一方通行ではありません。神に話し、質問し、そして神からの答えを聞いてください。主の臨在の中で待ち望んでください。

 

自分の祈りが聞かれないとき 、多くの人が信仰の破船に会います。ヤコブ1:18に「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。」と書かれています。あなたは親しい人の癒しを祈ってもかなえられなかったことがあったかもしれません。その経験からあなたの神学を変えることはしないでください。どうか神が善き方であるという確信に戻ってください。神は癒し主だと確信してください。神はあなたの祈りを聞きたいと願っておられることを確信してください。神はあなたのことを愛し深く心にかけていてくださること、あなたと共に苦しみ悲しんでくださる方であると確信してください。聖書は「悲しむに時がある、泣くに時がある、喜ぶに時がある。」と言っています。私たちには時々祈りの原点に戻ることが必要です。主のもとに行き、「主よ、どうかあなたへの確信を回復させてください。」と言ってください。聖書を読み、そこに書かれている主の約束を読んでください。御ことばをあなたの中に入れてください。それによってあなたは力を得て、あなたの心の傷は癒されます。

 

3.「神はあなたの祈りをかなえてくださることを信じる。」神はあなたの祈りをかなえたいと思っておられるのを信じていますか?

神はあなたが「こうなればいいな、、、」というように、ただ思っていることに答えてくださるのではありません。あなたの祈りに答えてくださるのです。私たちは時々「神様が〜してくださるとうれしいんだけど、、、」とか「〜じゃないといいんだけど、、、」とか言います。しかし、そのようにただ心で願うだけでは、神を動かすことはできません。神は「求めなさい、そうすれは与えられます。」と言われたのです。求める時、神はかなえてくださると信じてください。勿論それは神のみ心にかなう祈りでなければなりません。

 

一つの実話をお話したいと思います。ジョージ・ミューラーはイギリスで多くの孤児を養ったことで有名です。彼は信仰の祈りを信じていた人でした。ある時、彼は講演のために船でブリストル市に行こうとしていました。ところが港は霧が濃くて、船長はとても船出は無理だと言いました。ミュ—ラーは「講演の約束があり、どうしても土曜日の午後までに行かねばなりません。私は57年間一度も約束を破ったことはないのです。海図室に行って祈りましょう。」と船長に言いました。船長はこの神の人はちょっと気がおかしいと思いました。そして「不可能です。あなたはどれだけ霧が濃いか見えないのですか?」と言うと、彼は「私の目は濃い霧ではなく、私の人生のすべてを司っておられる生ける神を見ているのです。」と言いました。ミューラーはひざまずいてシンプルな祈りをしました。船長が次に祈ろうとすると、彼は船長の肩に手を置いて、「もう祈らないでください。あなたは神が祈りに答えてくださることを信じておられないし、神はもうすでに私の祈りに答えてくださったことを私は信じていますから、もうあなたは祈る必要はありません。私は主を57年間信じてきましたが、私が主に嘆願したときに断られたことは一度もありません。さあ、外に出てみたらわかりますよ。」と言うのでした。二人が外に出てみると、濃霧はすっかり晴れていました。そしてミューラーは約束の時間に目的地に着いたのでした。

 

決してあきらめないで祈ってください。神はあなたの祈りをかなえたいと思っておられるのですから。(終)


08 11月

私たちは主に嫌われる人になってはいけない          坂  達 也  2014年11月8日


私たちは主に嫌われる人になってはいけない

 

                    坂  達 也

 

この世の中には三種類の人間しかおりません。その中に、主が最も嫌われる人たちがいるのをご存知ですね。そのような人を主は、口から吐き出す程嫌いであると言われます。それは一体誰でしょうか。なまぬるいクリスチャンです。

 

 黙示録三章でラオデキヤにある教会に向けて主はこう言われます。

「15 わたしはあなたのわざを知っている。あなたは冷たくもなく、熱くもない。むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。16このように、熱くもなく、冷たくもなく、なまぬるいので、あなたを口から吐き出そう。」

 

そうです。三種類の人間とは「冷たい」か「熱い」か「なまぬるい」かの人間です。主は「むしろ、冷たいか熱いかであってほしい。」と言われます。私は未だクリスチャンになりたての頃ですが、この聖句を読んで直ぐ思い当たったのはコーヒーのことでした。コーヒーは熱いか冷たいかに限りますね。まさに、なまぬるいコーヒーは本当に口から吐き出したくなります。

 

ここで主が言われる「冷たい人」とはどんな人でしょうか。一般的には霊的に全く冷たい人、すなわち未信者を指すと思います。主は未信者に対しては大きな期待を持って接し、嫌われません。可能性があるからです。うまく導いて、真の栄光あるゴスペルを教え、正しく弟子訓練すれば「熱いクリスチャン」にすることが出来るからです。

 

 主は又、「あなたはクリスチャンとして冷たくもなく、熱くもない」と言われているように思いますが、その意味について、私は少し別のことが頭に浮かびました。クリスチャンは冷たいならうんと冷たい、すなわち「自分の肉に死んで冷たい」人間でなければならないことです。

私が最後にクリスチャンの死体に触ったのは、3年程前に亡くなった姉の身体でしたが、死体とはこんなに冷たいものかと驚きました。私たちは生きている時から肉にはこれ程冷たく死んでいなければならないのだと言うことに気がつかされ、そのことをとても印象的に覚えています。やさしい顔の姉の死体が冷たく横たわっている姿を見て、私は悲しみよりも、むしろ姉の霊と魂がこの世のすべての労苦から解放されて、今は主と共に天に召されて喜んでいる姿を頭に浮かべ、冷たい死体にいとおしさを感じたのでした。

 

皆さんは、肉の身体に死にきれずに、未信者と変わりないほど生暖かく、又、霊的にも熱くない「なまぬるいクリスチャン」ではありませんね。私もそうでないように心がけています。

一方「霊的に熱い」とは、原語の「熱い」は煮えたぎる程熱い意味だそうですから、私たちが主イエスに対して「熱烈な愛とパッションを持つ」クリスチャンにならなければならないという意味でありましょう。

 

それでは熱い情熱に燃えるクリスチャンとは具体的にどんなクリスチャンなのでしょうか。

 

 私たちクリスチャンはビル・ジョンソン師が言われるように、「天にいますわれらの父よ、御名があがめられますように。御国がきますように。みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように。・・・」(マタイ6:9、10)と言う「主の祈り」をこれまで祈り続けて来ました。しかし、主は今、私たちがただ祈るだけでなく、実際にその祈りを実現する人になることを期待しておられます。つまり誰かが天で行っていることを地でも行うーそれを実際に行動に移すことをしなければなりません。そして今、その時が来たのです。ご存知の通り、今そのような天から持ち込んだ色々な奇跡がどんどん起こっています。

 

天の御国(高次元)では、日常誰でも超能力を使うことが出来、病気の人はいません。必要なものはすべて充たされる世界です。(主の祈りに「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」と言う祈りがある通りです。)

又、天にいる人だけでなく、地上のクリスチャンでも、霊の力を働かすことの出来る人は、どこへ行くのも望めば一瞬にしてぱっと目的地に行けます。これを瞬間移動 translationと言いますが、聖書では地上でそのような奇跡がなされたことが書かれています。その実例として、ピリポの場合:使徒8:39−40、イエスの場合:ヨハネ6:21があります。現に、この世のミニストリーでこの超能力を利用している人がおりますが、一瞬にして無料で世界中どんな場所にでも移動できるのですからすばらしいではありませんか。

 

 それと共に霊の世界では複数の場所に同時にいることが出来ます。その例としてエペソ2:5、6に「罪過によって死んでいたわたしたちを、キリストと共に生かし――あなたがたの救われたのは、恵みによるのである――キリスト・イエスにあって、共によみがえらせ、共に天上で座につかせて下さったのである。それは、キリスト・イエスにあってわたしたちに賜わった慈愛による神の恵みの絶大な富を、きたるべき世々に示すためであった。」と書かれています。

ここで、私たちはイエスと共に既に天の御座についていると書かれていることにご注目下さい。いや、それは霊の形でであって実際に肉の形では地上にいるではないか、と反論されるかもしれませんが、実はその通りです。霊で生きているクリスチャンは、肉と霊で二つの場所に同時に存在出来るのです。聖書には「見えるもの(一時的)にではなく、見えない(霊の)もの(永遠に続く)にこそ目を留める」と書かれているように霊の世界、霊のものにこそ真の永遠の力が具わっているのですから、私たちが既に霊的にイエスの中にあって天の御座に今もイエスと共に座しているという事実を信仰で確信しているならば、それが可能なのです。事実今、天と地の間を瞬時移動して往復し、天で主にお会いするだけでなく、既に天に召された多くの人に会って来た人がどんどん出て来ています。

 

私は、実はこのところ、今真剣にそのことを心から願い、毎日主に「顔と顔を合わせてお会いしたい、お話したい」と心熱く嘆願している最中です。これはクリスチャンとして必ず聞かれる願いであり、主の方こそ私たちがそう願い出るのを待っておられる、当然実現する願いであることに気がついたのです。

 

 なぜかと言えば、私たちクリスチャンは第一に「主の花嫁」であり「主のからだ」として既に主の中で生きている、主が私たちの中に生きている、と言う「一体」の関係にあると聖書にはくどい程書かれているではないですか。そんなのっぴきならない関係にあるとすれば、特に、私たちがキリストの花嫁であるのなら「花婿である主に未だ一度も顔と顔を合わせてお目にかかっていない」などと恥ずかしくて言えないと、少なくとも私は思います。いや、夢の中とか、幻で主とあった人は多くおられると思いますが、私はモーセのように、主と本当に顔と顔を見合わせてお会いし、親しくお話ししたいのです。

 

そこで、主にお会いするには、天に私を呼んでいただくか、あるいは私のところに主が来て下さるかのどちらかですが、私は今両方お願いしております。

と言うのは、私たちが「御国をこの地に来らせる」と言う最も重要な役目の一つを仰せつかっているのであれば、天の御国の王であるイエスが、この終末の一番大事なときに王自らがもっと頻繁に地上に出て来られるのは当然でありましょうし、一方、私たちも誠実なビジネスマンのように業務打ち合わせのため足繁く天に出張するのは当たり前ではないでしょうか。

 

最後にもう一度申し上げたいことは、主にこのことをお願いするためには、主に対する熱烈なパッションを持つことが絶対に必要であると言うことです。主の花嫁になる最も大事な資格は、主を熱烈に愛し「毎日会わずにはおられません」と叫ぶ人になることではないでしょうか。そうなるためには、決して「なまぬるいクリスチャン」であってはならないのです。ですから主は、なまぬるい人を口からへどのように吐き出すと言われるのです。

私たちがなまぬるいクリスチャンになってしまったとすれば、その最大の原因は、私たちがあまりにも宗教的に育ち、あまりにも頭のクリスチャンで過ごし過ぎて来たからであると思います。その結果、私たちはいつまで経っても「力のない能力の低い肉の人間」のままで甘んじて生きることに抵抗を感じなくなったのです。私は今、自分がそうであったことを心から反省し、悔い改めております。そして激しく主を求めております。

 

考えてみて下さい。私たちクリスチャンの一人一人に聖霊が内住して下さっていると言う驚くべき事実を、皆さんはどう受けとめておられますか。聖霊は、私たちがこの地上で天の超能力を最大限に発揮するように、私たちを助けるために来られたのです。私たちはもはやか弱く能力に劣る「肉の人間」ではありません。聖霊の助けを借りれば、イエスが「わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを行う」(ヨハネ14:12)と言われるような超能力を持つ霊の人間に生まれ変わったのです。

人間が神から受けた恩恵の中で、イエスの十字架の御業と並んで、イエスに信仰を持つ人間それぞれに、助け主として聖霊を賜ったことほど偉大な賜物は他にありません。クリスチャンはそのことの意味をもっと魂の奥底から認識する必要があると思います。創造者の神のなさった創造行為で、これ以上に大きな奇跡、又、これ以上に大きな神の愛と恵みが他にあるでしょうか。(終わり)


03 11月

天国を地にシッド•ロスのIt’s Supernaturalからゲスト:ビル•ジョンソン


 天国を地にもたらす

 

シッド•ロスのIt’s Supernaturalから抜粋

 

ゲスト:ビル•ジョンソン

 

シッド:今日の番組のゲストであるビル•ジョンソン師は、数多くの奇跡を行っておられます。ある日彼は「御国が来ます様に、御心が天で行われる様に地でも行われますように」という聖書箇所を読んでいました。そして「天には病気はない、恐れもない、貧困もない」と考えました。そしてこれこそが、私たちが天にいるように地上で歩むことができる鍵であると彼は思ったのです。これは非常に深くて素晴らしい真理ですね。皆さん、今日彼の話を聞くだけではなく、天が地に侵入してくるのを見る準備をしてください。ビルさん、「心の一新 renewing your mind」ということが一つの鍵だということですが、それはどういうことでしょうか?

 

ビル:一新された心とは、キリストの心のことです。実際に神の視点で物事を見ることです。主は物事を私たちとは違うように捉えます。少しのパンと魚だけで大勢の人を養う必要が生じたときも、どうしようかとドキドキはされませんでした。主は別の視点を持たれ、この奇跡を見ることによって弟子達もご自分と同じ視点をもつことを願われたのです。主は「見えないのですか? わからないのですか?」と問われました。主が食べ物を何倍にもした直後に、パンを持ってこなかったことを心配している弟子達に向かって主はそう訊かれたのです。弟子達はまだ「地上から天を見上げる」という視点に留まっていました。ほとんどのクリスチャンは、地から天を見上げて、神が自分の問題に介入してくださるのを望み嘆願しています。一新された心は、天から地にむかって生きるのです。

 

シッド:もし今教えていること、あなたがクリスチャンになったばかりのときに理解していたならば、あなたのミニストリーは違っていたでしょうか?

 

ビル:まったく違うものになったと思います。まず第一に、神は慈しみ深い方であり、本当に善き父であられるということが神学の基礎になります。神はみなしごの地球のために御子を送ってくださった愛情深い父です。神が親切で愛がある完全な父であることをあなたが理解する時、突然すべてのことが変わるのです。あなたが神をどう見るか、自分をどう見るか、あなたの過去をどう見るか、あなたの可能性をどう見るか、ということがすべて変わるのです。全き愛を持つ完全な父がいることがわかるとき、すべての事がシフトし変わります。それは「自分がしたいようにしてもいいんだ」ということではなく、神を一番喜ばせることをしたいという情熱を持つことです。その情熱は神がどのような方であるかを理解するところから生じるものです。一新された心の第一の変化は、神をどのように見るかが変わることです。

 

シッド:一つの例で説明してください。ある人があなたの所に来て、「腰が痛いのです。」と言ったとします。その時、あなたの心の中ではどのようなプロセスがあるのですか? 何をするのですか?

 

 

ビル:イエスは彼のところに来た人たちをすべて癒されましたし、御父が示された人はすべて癒されました。イエス•キリストが完全な神学であると私は信じますので、あたかもイエスが私の立場におられるかのようにその人に仕えるというのが常に私のアプローチです。イエスだったら起こったに違いにない癒しが時には起こらない事もありますが、私は自分の経験のレベルでもって期待の基準を下げたり、聖書の基準を下げたりはしません。

 

シッド:では、もし腰の悪い人が10人続けてあなたの所に来て、10人とも癒されなかったとしたら、あなたはどう感じますか? あなたの心の中で何が起こるでしょうか?

 

ビル:もし同じ問題を持つ人が10人来て、一つも癒しが起こらなかったならば、それは私にとっては、神の御前で一人になり、ブレークスルーを叫び求めなさいという招きです。それは私が神を説得するということではありません。それは私が神と出会うプロセスであり、それによって私は変えられ、多くの場合は私に力を与え、私を備え、神が私の前におかれる問題に対処できるように私を調えてくれるものです。

 

シッド:わかりました。あなたはイエスが言われた「御国が来ますように、御心が天で行われるように地でも行われますように」という御ことばをよく話されますね。これは非常に重大なステートメントですが、あなたはそのように生きておられるのですか?

 

ビル:はい、そうです。私はいつもそのように努めています。私の人生はただそれだけであり、それが駄目なら次はこれ、というようなプランBはありません。イエスはご自身がどのように生きられたかという明確な見本を示してくださいましたし、私たちが何をするべきかというはっきりした任務も与えてくださいました。それは即ち、地上のすべての状況の中で、主が統治しておられることを事実として現すことです。それが、私が情熱をもってしていることです。

 

シッド:あなたの学校では、学生たちは3回失敗するように義務づけられているそうですね。3回成功するのではなく失敗ですね。どうしてですか?

 

ビル:喩えでお話しましょう。以前私はスチールヘッドという魚(マスの種類)がとれる場所に住んでいましたが、ある日釣りの達人が釣りに連れていってくれました。そして「釣り針とか錘が川底に時々引っかかって取られてしまうほど深いところ迄下ろさないと魚は釣れないよ。」と教えてくれました。私のミニストリーに対するアプローチは、時として失敗するくらいのリスクを伴う生き方をするということです。もし安全なことばかりしていたら、周りの人たちは私を賢いというかもしれませんが、私は決して山を動かすことはないでしょう。

ですから、学生に居心地のよいところに留まるのではなく、思い切って(失敗するかもしれないという)リスクを侵しなさい、新しい領域に踏み出しなさい、という課題を出すのです。失敗といってもそれは勿論、道徳的に間違いを犯すということではありません。ミニストリーをするときに、神がその時に何を言っておられるかを感じ取って、知識の言葉や励ましの言葉を失敗を恐れずに勇気を出して言ってみるということです。学生たちが主に用いられるように成長し、リスクを取ることを学んでほしいのです。それで失敗することを必須にしているのです。

 

シッド:食道癌だった女性の方に起こったことを話してください。

 

ビル:ある女の方は食道癌だったのですが、礼拝中に両手をあげてワーシップをしていた時に、両手がとても熱くなるのを感じました。彼女は夫に「癒されたと思う」と告げました。手が熱くなったことと癌が癒されたのを彼女がどうして関連づけたのかは、私にはわかりません。でも彼女はそう感じたのです。彼女は主の臨在を感じ、癒されたと思いました。

医者のところに行って彼女は「癒されたと信じます。」と告げると、医者は「この癌は無くなることはありません。」と言いました。しかし検査の結果、医者は「癌が無くなったばかりか、あなたの食道は全く新しくなっています。」と彼女に告げました。主を崇め敬い、主の善きこと、主の慈しみを賛美し祝っていた霊的雰囲気の中に顕われた主の臨在によって癒しが起こったのです。誰かが信仰の祈りを彼女のためにしたのではありません。臨在の中で起こったのです。

 

シッド:それが御国では普通に起こることなのですか? 今テレビを見ている主婦でも、高校生でも、幼稚園児でも、誰でもそのように出来るとあなたは言われるのですか?

 

ビル:ええ勿論、全くその通りです。もし誰かが私に祈ってくださいと言って、私が祈ってもブレークスルーが起こらなかったならば、私はその人に「祈りの出来る5歳の子供のところに行ってみてください。神の御こころは何かなどと、思案しない純真な子供の所に行ってみてください。」と告げます。これは誰にも出来ること、誰でもが参加できることなのです。

 

シッド:私たちは考え方、物の見方を変えねばならないと言う事でしょうか。説明してください。

 

ビル:確かに私たちは変わる必要がありますが、それは訓練によってではありません。神との出会いによって起こるのです。神と出会う時に、私のまわりの世の中を見る、私の見方そのものが変えられる機会が与えられます。もし私の見方が変えられなければ、いつまでも同じで、神に「解決してください」と懇願するだけになってしまいます。しかし私の見方が変えられた時には、私が問題を解決するために遣わされた神の代理人として、その権威によって問題を解決することができるのです。

 

シッド:精神科医はよく否定的に生きる人のことを話ますが、ビルさんは否定的に生きることを勧めておられます。それはどういうことでしょうか?

 

ビル:それは言葉の遊びと言うべきですが、悪魔が私に何かを要求してくるとき、私は「その要求は拒否する」と言う意味です。それが私の言うところの否定的に生きるということです。私は悪魔が物事を見る視点とその影響の何もかもすべてを否定します。悪魔が存在することは否定しませんが、彼が影響を与えることを否定するのです。

 

シッド:わかりました。それでは、あなたが用いる宣言の例を挙げてください。

 

ビル:神の御国では何事も宣言・宣告なくしては何も起こらないと私たちは信じています。ですから私たちは神の御心 the heart of the mind of God そのものを神からの「法令布告」decree(あるいは「判決」)として宣告するのです。時にはそのように宣告しただけで物事が変わっていきます。例えば「これは私の人生に対する神の目的や計画ではない。私は拒絶する。退きなさい。」という宣告です。そのようなシンプルな宣告・宣言で解決することもあります。もっととりなしの祈りが必要なときもあります。又、ワーシップに導かれる時もあります。時には、問題の大きさにとらわれないで、自分の焦点をシフトさせればいいだけの時もあります。

 

シッド:問題の大きさにとらわれないとすれば、あなたは何に心を集中させるのですか?

 

ビル:それは神に、です。神の約束に、神の御ことばに、神の私に対する思いに、私と共にある神の臨在に、です。私はそのような思いにだけ心を馳せ、その決意・確信から力を得て、どのようなチャレンジに対しても、自分が主と共に働く同労者であり、主が共にいてくださるという臨在を意識して向かっていきます。私はどのような状況に対しても、聖霊が、とどまる鳩のように私の内に臨在してくださっている確信をいだいてアプローチします。

 

シッド:交通事故に遭った女の人のことを話してください。片腕が使えなくなった方のことです。

 

ビル:彼女は同じ町の別の素晴らしい教会に属する人でしたが、その方のお嬢さんがたまたまその日に、教会に行きたいと言ったのですが、その日その教会では集会がなかったので、私たちの教会に来たのでした。私は彼女を知りませんでしたから、あとで聞いた話ですが、彼女は片方の腕を数回手術していました。それでその腕は数インチ短くなり、使えない状態でした。感覚もなく、肘から下は動かすことができず、物を掴むことも持ち上げることもできませんでした。彼女には2歳半の女の子がいましたが、その子を抱き上げることもできませんでした。

礼拝の時、病気の人にために祈る時間を持ちました。彼女の上のお嬢さんが「お母さん、前に行ったら。」と勧めました。彼女は行きたくなかったのですが、とうとうお嬢さんの勧めに応じて、前に出ました。一人の祈り手の婦人が彼女のために祈りました。するとすぐに腕が伸びて元通りになり、その腕が普通に使えるようになりました。私は呼ばれてそこに駆け寄りました。私はその報告を聞いて大喜びで興奮しました。

私がそこにいる時に、小さな女の子が彼女のそばに来ました。彼女が両腕を女の子の方に伸ばすと、その子は「駄目よ、ママ。腕が、腕が。」と言いました。女の子は生まれてから2年半の間ずっと、お母さんは腕の怪我で彼女を抱き上げることはできないのだ、と聞かされて来たのです。その時お母さんは「大丈夫よ、ハニー」と言って彼女を抱き上げました。その時の女の子の笑顔を私は一生忘れないでしょう。お母さんに抱かれるのがその子の心からの願いだったのです。本当に感動的でした。そのような経験をすると、他のいろいろな問題を見る見方が変えられます。

 

シッド:「神の家」ということをあなたは重要視していますが、どうしてでしょうか?

 

ビル:私たちは神の家です。私たちは全能の神の住まいです。私たちがその意識をなくし、神の御霊が私たちの上に又、内に、住まわれていることを忘れると、全く違った生き方になります。すべてが変わってしまいます。私たちが、神と共に生活しているという認識をもって毎日を過ごすとき、(それは神学としての知識ではなく、実際に共にいる方、力を与えてくださる方、私たちの方向を示して下さる方、共に働いてくださる方として現実に認識することですが)すべてが変えられていくのです。私が考え、期待するすべてのことが、私の祈り方も含めてすべてが変わります。それは神に「どうか介入して助けてください」と懇願する祈りではないからです。私は既に神と共にいるのですから、その時その時私のまわりに起こる状況に対する神の心と思いを私が察知し、その私を神が用いて、その状況に必要な変化をもたらすこと、すなわち、変えることがすべてです。

 

シッド:一つ聖句が浮かびました。「神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。ローマ14:17」この聖句をどう思いますか?

ビル:いくつかの理由で私はこの聖句がとても好きです。その一つは、神の御国は聖霊のうちにあることを教えてくれるからです。すなわち、御国の領域、神が支配する領域とは聖霊の領域の中にあるということです。ですから、実際に御国の実現が、聖霊の臨在の顕われを見出すときに起こるのです。両者が私のために非常にうまく働く理由は、私が神を見出せば見出すほど、神の御こころがわかり、鳩のように私の上に留まり続ける聖霊をもっと意識できるようになるからです。私の人生や集会でそのようなことが起これば起こるほど、その集会での神の目的がはっきり見えるようになります。御国は聖霊の領域にあるからです。

 

シッド:あなたが「一新された心」をもって祈るとき、どんなことが起こるのですか?

 

ビル:奇跡がおこります。数週間前に起こった事で、私はこの日曜日に報告を受けたばかりですが、その女性の息子に牛乳とグルテンのアレルギーがあったある母親のことです。その息子は自閉症でもあったのですが、みんなが祈ったのはアレルギーのためでした。彼女は息子のアレルギーが癒されたことを信じて礼拝のあとでピザを食べに行ったのですが、そこで分かったことは息子はアレルギーだけではなく自閉症も癒されていました。

 

シッド:あなたの友人がモザンビークで経験した奇跡のことを話してください。彼女の前を走っていたバスが事故で横転して死傷者が出たのですね。

 

ビル:そうです。彼女は医師でしたので、人々をチェックしてまわりました。すると一人の女性が首を折って死んでいました。頭の向きが大きくねじれて異常でした。彼女はそこで、まわりに立っていた怪我をしていない人々を集めて、その死人に向かって「生きよ」と告げなさいと教えました。

 

シッド:彼らはクリスチャンだったのですか?

 

ビル:いいえ、そうではありません。しかし医師の彼女は集めた人々に「ずっと命を受けるように言い続けなさいよ。」と言って、自分は怪我人の手当をしていました。すると何か音がするので、見ると、首が折れて死んでいた女性の首がひとりでに回って正しい位置になりました。多くの人が命を語るという霊的環境の中で死んでいた彼女は生き返ったのです。

 

シッド:神の御国が地上に来たのですね。ビルさん、すべての人のために御国が地上にくるようにどうかお祈りくださいませんか?

 

ビル:勿論です。主はライフスタイルに変革をもたらすべく色々な人に主との出会いを与えてくださると信じます。そのことを祈りたいと思います。父なる神よ、どうか大いなる聖霊の力を顕わしてください。それによって人々があなたの心の奥底を知り、あなたの臨在を見分け、あなたが持っている人々への情熱を知り、それによって物事の見方、考え方が変わりますように。それによって人々が内側から変革されますように。(終わり)