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Walk With God Ministries

15 11月

祈りの学校#1:   何故祈るのか           シンディー・ジェコブス        2014年11月15日


祈りの学校#1:何故祈るのか

 

シンディー・ジェコブス

 

私たちは祈り方はもう誰でも知っているだろうと思い勝ちですが、でも実際は、新しいクリスチャンや、今まで教えてもらう機会がなかったという人など、祈りの基本をまだ知らない人がいます。これから私の「The Power of Persistent Prayer 」という本にそって祈りについてお話していきたいと思います。

 

それでは何故祈るのか、ということをお話していきます。まず聖書には何と書いてあるか見てみましょう。

ルカ11:9−13「わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。あなたがたの中で、子どもが魚を下さいと言うときに、魚の代わりに蛇を与えるような父親が、いったいいるでしょうか。卵を下さいと言うのに、だれが、さそりを与えるでしょう。してみると、あなたがたも、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう。」

 

「神様はすべて私の必要をご存知なのですから、なぜ

『それをください』と私がお願いする必要があるのですか」という質問をよく受けます。それに対する一番目の答えは、神が求めなさい、願いなさい、と言っておられるからです。

私が「願い求める祈り」と呼んでいる箇所が聖書の中には沢山あります。ゼカリヤ10:1には「後の雨の時に、主の雨を求めよ。」とあります。ヨハネ14:14には「わたしの名によって何かをわたしに求めるなら、わたしはそれをしましょう。」とあります。ヤコブ1:5には知恵を求めなさい、とあり、ルカ11:13には聖霊を求めよ、と書かれています。

 

私の子どもや孫のことを考えてみますと、彼らが何を必要としているのかはもう私はわかっているかもしれません。しかし、彼らが直接私に願い出て欲しいのです。ある人にお願いすることは、その人を敬い尊ぶことです。又、必ずかなえてくださるという信仰が必要です。私たちは与えられるように求めなさい、と言われています。ですから一番目は「神はあなたに必要なことをすべてご存知であるけれども、あなたに願い求めて欲しい。」ということです。

 

私が二番目によく質問されるのは、「ほんの小さなことで神様をわずらわせるのは避けるべきではないでしょうか」というものです。私が結婚したばかりのとき、夫が「小さなことを頼んで神をわずらわせるのは止めた方がいいと思うよ。神は大きな方だから、大きな事だけを頼んだらどうかね。」と言ったのをよく憶えています。   でも実際は、私たちが自分の子どもたちや友人、親戚など親しい人たちのことはすべて、小さな事でも関心があるのと同じように、神も私たちの小さなことにも深い関心を持たれ、そのすべてをお話しすることを喜ばれます。あなたの人生の最も些細な事柄や、あなたが心を痛めた話とか、悲しんでいる事など、すべてを話して欲しいのです。

 

神はご自分と親しく交わるように私たちを造られました。祈りで最もすばらしいことは神との交わりです。ですからあなたが神のところに行ったとき、あなたになにか必要があるならば、隠さず全部話してください。

あなたの必要を書き出してリストを作ってください。

以前、私は困窮していて、必要の大きさに圧倒されてしまいそうのなりました。そのような時、私のすべての必要を紙に書き出すことを学びました。「1、この位のお金が必要です。2、癒しが必要です、友人、家族も癒しが必要な人がいます。

 3 人生のディレクションが必要です。」というように、全部書き出すのです。

そのリストをベッドの横に置いておきます。リストに書き出し、神に願い求めることによって、私の心に平安がきました。「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたのことを心配してくださるからです。」(1ペテロ5:7)という御ことばがあります。書き出して神に求めることは、思い煩いを神にゆだねることになるのです。

 

もう一つ私がすることは、その祈りに日付を書いておくことです。ずっと以前、私の牧師が「あなたが、クレジットカードや家や車のローンとかで借りているお金を全部書き出しなさい。」とある集会で言いました。そこで私と夫はすべて書き出し、「支払い完了」というスタンプまで押しました。ずっと後になって私は聖書に挟んであったその紙を見つけましたが、その時には本当に支払いは全部済んでいました。神は私たちが願ったことを聞いてくださったのです。ですから、皆さんも神に頼んでください。大きなことを神に願ってください。神はあなたの祈りを聞いてくださると信じてください。あなたは祈るだけではなく、信じなければなりません。「信仰がなくては神に喜ばれることはできません。」とヘブル11:6にある通りです。

 

私たちの祈りのリストを書くことは、 自分の必要を神にお渡しすると同時に、私たちの信仰を告白することになります。

「見てください。私はこのようなリストを書いて神に求め、そして神がそれをかなえてくださることを信じています。」と回りの人びとに言うのです。そして神が必ず実現してくださることを信じるのです。「願い求め、信じ、かなえられると予期するask, believe, expect」のです。

 

祈ってはいるけれども、祈りの訓練が出来ていないので、行き当たりばったりにしか祈らず、いろんな祈り、願いがぐちゃぐちゃになってしまっていることがあります。でも祈りの訓練をして神に毎日キチンと願い求め、感謝をするならば、神はあなたが今まで経験したよりも素早くあなたの祈りに答えてくださるでしょう。

 

ですから、祈ることは大切です。すべてのことを祈ることは大切です。絶えず祈ることが大切です。あなたの必要を神に告げるのは大切です。そして、神が祈りに答えてくださったときに、神に感謝することを忘れてはいけません。私は神にいろんなことをお願いしたのに、それがかなえられたときに感謝を忘れていたことがありました。感謝する心はすこやかです。感謝を捧げることは、私たちのクリスチャン生活の中でとても大切な要素です。聖書の中では何度も何度も「感謝しなさい」と言われています。ですから、あなたの祈りがかなえられたときは、どうか神のところに戻り感謝してください。

 

私は最近二つの癒しを主に願っていました。一つは足の指の感覚がなくなったことでしたが、今朝歩くと、感覚が戻っていました。とても自然だったので、神に感謝するのを忘れていました。もう一つは歯のことですが、何度も医者に通って直ったのですが、それもとても自然な流れだったので、神に感謝することを忘れていました。

あなたはどうか神に感謝をするのを忘れないでください。

 

「祈り、信じ、かなえられると予期する」そして祈りが答えられたときは「感謝すること」をどうか実行してください。そうすればあなたの祈りの生活は豊かなものとなるでしょう。

 

 祈りの学校#2:信仰の祈り

シンディ・ジェコブス

 

今日のトピックは「信仰の祈り」です。勿論私たちは祈るときは信じて祈らねばならないことを知っています。1ヨハネ5:14、15には「何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。私たちの願う事を神が聞いてくださると知れば、神に願ったその事は、すでにかなえられたと知るのです。」とあります。これは本当にものすごく力のある言葉です。

 

1.「祈るときは、 神がその願いを聞いてくださることを確信しなければならない。」祈るときに

本当にこの確信が自分にあるかどうかをチェックしなければなりません。あなたは「勿論ですよ。シンディーさん」と言われるかもしれませんが、本当にそうですか?

神のみこころにかなう祈りをしたならば、かならず聞かれると信じていますか?

神の慈しみに対する自分の確信が少しずつ薄れていっているかどうかを神に聞いてみてください。「神は私のためにこれをしてくださるだろうか?

神は私のためにそうしたいと思っておられるだろうか?」という問いに対して、確信をもって「Yes!」と答えられねばなりません。

 

2.「神は私の祈りに耳を傾けていてくださると信じねばならない。」神は目に見えない方なので、あなたは空にむかって祈っているように感じるかもしれません。あなたは自分が祈るときに、確かに誰かがそれを聞いていてくださると信じますか?

神への祈りの回線がふさがっているとか、神が宇宙のどこかに会合に出かけてしまっているように感じる時があるかもしれません。

しかし、神は全能で全宇宙の支配者であるにも拘わらず、あなたの祈りを聞いていてくださるのです。すばらしいではありませんか。私はといえば、家族のことや仕事のプレッシャーで頭が一杯になってしまうことがありますが、神にはそういうことはありません。神は全世界を御手の中に治めておられますが、それでもしっかりとあなたの祈りに耳を傾けてくださるのです!神は愛情溢れる天の父であり、あなたの願いを聞いてくださいます。

 

私たちは、神が善き方であることを信じなければなりません。あなたは「勿論、信じてますよ。」と言われるでしょうが、本当にそうでしょうか?

私は自分にもその質問を時々します。ただ単に祈りという形式的儀式をしないでください。自分が一方的に祈りを並べ立てるだけではなく、聖霊の声に耳を傾けてください。

 

神は大きな方ですから、あなたのどのような質問にも答えてくださいます。私の人生にも様々な出来事がありました。私は神に「神様、私はこのようなことはとても理解できません。」とか「こんなことは本当に辛いです。

本当に苦しいです。」とか申し上げます。神と話すときは一方通行ではありません。神に話し、質問し、そして神からの答えを聞いてください。主の臨在の中で待ち望んでください。

 

自分の祈りが聞かれないとき 、多くの人が信仰の破船に会います。ヤコブ1:18に「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。」と書かれています。あなたは親しい人の癒しを祈ってもかなえられなかったことがあったかもしれません。その経験からあなたの神学を変えることはしないでください。どうか神が善き方であるという確信に戻ってください。神は癒し主だと確信してください。神はあなたの祈りを聞きたいと願っておられることを確信してください。神はあなたのことを愛し深く心にかけていてくださること、あなたと共に苦しみ悲しんでくださる方であると確信してください。聖書は「悲しむに時がある、泣くに時がある、喜ぶに時がある。」と言っています。私たちには時々祈りの原点に戻ることが必要です。主のもとに行き、「主よ、どうかあなたへの確信を回復させてください。」と言ってください。聖書を読み、そこに書かれている主の約束を読んでください。御ことばをあなたの中に入れてください。それによってあなたは力を得て、あなたの心の傷は癒されます。

 

3.「神はあなたの祈りをかなえてくださることを信じる。」神はあなたの祈りをかなえたいと思っておられるのを信じていますか?

神はあなたが「こうなればいいな、、、」というように、ただ思っていることに答えてくださるのではありません。あなたの祈りに答えてくださるのです。私たちは時々「神様が〜してくださるとうれしいんだけど、、、」とか「〜じゃないといいんだけど、、、」とか言います。しかし、そのようにただ心で願うだけでは、神を動かすことはできません。神は「求めなさい、そうすれは与えられます。」と言われたのです。求める時、神はかなえてくださると信じてください。勿論それは神のみ心にかなう祈りでなければなりません。

 

一つの実話をお話したいと思います。ジョージ・ミューラーはイギリスで多くの孤児を養ったことで有名です。彼は信仰の祈りを信じていた人でした。ある時、彼は講演のために船でブリストル市に行こうとしていました。ところが港は霧が濃くて、船長はとても船出は無理だと言いました。ミュ—ラーは「講演の約束があり、どうしても土曜日の午後までに行かねばなりません。私は57年間一度も約束を破ったことはないのです。海図室に行って祈りましょう。」と船長に言いました。船長はこの神の人はちょっと気がおかしいと思いました。そして「不可能です。あなたはどれだけ霧が濃いか見えないのですか?」と言うと、彼は「私の目は濃い霧ではなく、私の人生のすべてを司っておられる生ける神を見ているのです。」と言いました。ミューラーはひざまずいてシンプルな祈りをしました。船長が次に祈ろうとすると、彼は船長の肩に手を置いて、「もう祈らないでください。あなたは神が祈りに答えてくださることを信じておられないし、神はもうすでに私の祈りに答えてくださったことを私は信じていますから、もうあなたは祈る必要はありません。私は主を57年間信じてきましたが、私が主に嘆願したときに断られたことは一度もありません。さあ、外に出てみたらわかりますよ。」と言うのでした。二人が外に出てみると、濃霧はすっかり晴れていました。そしてミューラーは約束の時間に目的地に着いたのでした。

 

決してあきらめないで祈ってください。神はあなたの祈りをかなえたいと思っておられるのですから。(終)


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