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Walk With God Ministries


25 02月

ボブ・ジョーンズ師が残した最後のことば     坂  達 也                 2014年2月25日


ボブ・ジョーンズ師が残した最後のことば

 

                     坂  達 也

 

ボブ・ジョーンズ師が天に召されました。先週モーニング・スターの教会で行われた彼のメモリアル・サービスの実況を見ましたが、彼と親しかった人たちが次々に壇上に立って彼のことを分ち合われました。最初の二、三の方が彼をエリヤに匹敵する預言者であったと言ったのですが、その瞬間、会場にいる多くの人が感動をもってそのことばに同感している雰囲気が強く伝わって来ました。私にとっても、彼が召されてみて初めて気が付かされた実感でした。彼は本当にすばらしい預言者であったと思います。

 

しかしそれは、いわゆる人に向かって流暢に将来を預言をする「預言者」としてではなく、むしろ彼がどれ程個人的に神と親しい関係にあったかと言う点において私は感銘したのです。正直なところ、彼は話し下手な人であったと私は思います。ものも書きませんでした。しかし確かリック・ジョイナー師だったと思いますが、ジョーンズ師は「神を最も愛した人の一人であったと同時に、神が最も愛した人の一人であった」と言いました。まさに彼は「愛の預言者」と言われるにふさわしい人であったと思います。

 

ボブ・ジョーンズと言う人は、こよなく神を愛し、神と過ごす時間を最も大切にした人であると思います。彼は神からのことばを、まるで恋人が話すことを聞き逃すまいといつも耳をそば立てて待っているような人でした。とにかく彼は、神から話を聞くことを熱心に求め、純粋に神のみ声をいつも聞きたかったのです。ですから神も恋人のように彼を離さず、ひっきりなしに彼に毎日話し掛けられたのです。そのような情熱を持つ彼は、会う人を捕まえては「今朝あなたは神から何か聞いたか、聞いたことがあれば話して欲しい」とせがみました。真に神のみ声にハングリーな人であったことに私は最も感銘を受けました。

 

そのようなボブ・ジョーンズ師はある時、神から間もなく「10億人の人が救われる最後で最大のリバイバルが来る」ことを教えられ、それ以来、それを見るまで自分は生きていたい、それをこの目で見させて下さいと熱心に神にお願いし、彼はそれが許されたと信じて来たそうです。しかしその彼が、84歳の誕生日を祝った後間もなくの先日のバレンタイン・デーに天に召されたのです。彼は召される前の数ヶ月は全身に耐えられないほどの苦しみを経験しておりましたから、最愛の父が愛する子ボブ・ジョーンズに送る愛のバレンタインの贈り物が天に召すことであったのです。それは愛の預言者が召されるのに最もふさわしい日ではなかったでしょうか。すばらしい天への凱旋の贈り物です。

 

彼は、最後は立っていて何もしないでいる時に突然足の骨が折れて倒れたそうですが、全身が朽ちると言うような耐え難い苦しみの中で、弱り果てていたそうです。最後はこれ以上見るに耐えかねた奥さんが、天の父に「彼を召して下さい」と嘆願した程だったと壇上から分ち合われました。彼にとっては示された大リバイバルが来るのを見ないで昇天するのは残念だったと思います。しかしジョイナー師は、ボブの場合はちょうど「主のキリストを見るまでは、決して死なない」と聖霊から告げられていたシメオンが、生まれたばかりのキリストを腕に抱いてから死んだように、ボブも、告げられていた大リバイバルの始まりを一目見てこの世を去ったのだから、リバイバルはいよいよ始まると解釈していました。ボブ・ジョーンズ師の昇天は、私たちが待ちに待った大リバイバルの始まりを告げていると言うのですから、本当に身震いするほどすばらしい時が遂にやって来たのです。ハレルヤ!

 

さて、そのボブ・ジョーンズ師に最も近い関係にあった 一人であるポール・キース・デイビス師が、一昨夜イーメールで特別メッセージを配信してきましたが、そこには彼がジョーンズ師と最後に話した時にジョーンズ師が触れたことが書かれていました。それは、今の時期に最も重要なことは、この世的な誘惑をもってクリスチャンを霊的な妥協compromiseに陥しめようとする敵の罠に絶対注意しなければならないということでした。

 

それを受けてデイビス師が書いている長文を要約しますと、私たちの前の時代に生きた多くの偉大な霊的パイオニヤとか父祖、前走者たちは確かに私たちのためによい道を開いてはくれましたが、彼等は皆、成し遂げるべきことを未遂のまま死んでいること。それは今までに起った聖霊のムーブメントとかリバイバルがいつもフルに実る前に終わっているのと同じであると指摘し、その原因は霊的な妥協compromise(人間的判断と誘惑に負ける)であったと言っております。

 

特にジョーンズ師は今の時代は偽預言者あるいは偽教師が多く出回いると言われ、それへの警告をよくしていました。その原因は民数記22-25章に出て来るバラムのようにこの世的な誘惑に惑わされる人がこれから多く出て来ること、それに惑わされないためには、私たちは常に神のみ言葉に誠実・忠実であることに最大限注意しなければならないと警告しています。特に今は大リバイバルが来る直前で、敵の攻撃は非常に強まっており、これからのリバイバルで用いられる人は余程注意をしなければならないことを強調しています。

 

それについて最近私が、主から強く感じさせられていることがありますので、それをお分かちしたいと思います。それはこの一年ぐらいでしょうか、たとえそれが自分には些細なことと思われても、私が主と同意したこと、あるいは人と約束したことを実行していない時に、主が私の良心に優しくではあってもはっきりと呵責を覚えさせられることです。

卑近な例ですが、今の時期は年度末会計決算の時です。クリスチャンとして前年度に正しく献金しているか、或いは、年一度の納税のための収入・支出の明細を提出する際、主に対して全く後ろめたさの無い公正な申告をしているか、をチェックするのは重要なことです。

その他色々なことで私たちが誰に対しても正しく、公正で、しかも愛をもって対処しているかどうかを、主は私たちのためにいつも見守っていて下さることを私は昨年からひしひしと感じております。

使徒 24:16でパウロが「私はいつも、神の前にも人の前にも責められることのない良心を保つように、と最善を尽くしています。」と書いていますが、ボブ・ジョーンズ師は、預言者として、少しでも主の預言をこの世的な誘惑で濫用・悪用していないかどうかを常に厳しく吟味する人でした。この世的な考えとか妥協への誘惑は私たちが気が付かないうちに忍び寄ってきます。ですから私たちも同じように、どのような賜物であっても神からいただいている賜物をいつも神に誠実に正しく用いて毎日を過ごしていることを吟味する必要があると思います。それを知るための最もよい方法は「自らの良心からの責めがないか」を吟味することです。ジョーンズ師はそのきよい良心がなければ神のみ言葉を「大胆に正しく」預言することは出来ないと言います。(1ヨハネ3:21−22をぜひ参考にして下さい。)

 

すなわち、私たちは誰もが「大胆で正しい信仰」で生きることです。そのためには、きよく正しい良心を持つことが絶対に必要です。そして賜物の運用だけにとどまらず、私たちの「キャラクター」そのものが、どれ程「主に似た者になっているか」「主と同じ愛を持ち、正しく生きているか」という霊的成熟度を主は見守っておられることを忘れてはなりません。

 

1テモテ1:19「ある人たちは、正しい良心を捨てて、信仰の破船に会いました。」

ヘブル 13:18「私たちのために祈ってください。私たちは、正しい良心を持っていると確信しており、何事についても正しく行動しようと願っているからです。」 (終り)


20 02月

三月に起こる画期的な出来事            ダグ・アディソン                    2014年 2月20日


 

 

三月に起こる画期的な出来事

 

ダグ・アディソン

 

物事が明瞭になる

 現在、物事がどうもはっきりしないように思えても、どうか心配しないでください。2月のあやふやさは、月末に向かうにつれてどんどんと明瞭になって行きます。3月には物事が明確になリ始め、画期的でポジティブな出来事が起り始めます。2月末には雲が晴れていくのを期待してください。そして3月から4月一杯にかけて神はあなたに励ましを注いでくださいます。

 

2013年の敵の攻撃はあなたの権威に変る

2013年におけるあなたの苦難、戦いは何でしたか。敵はどのように攻撃して来ましたか。2013年の攻撃が今年あなたの新しい権威の場となります。多くの場合、2013年に敵はあなたをひどくやり込め、あなたに事を断念させようとしたのです。

それでも止めなかった人々に、神は新しいレベルの権威と油注ぎを与えておられます。しかし、今年神からの新しい昇格を受け取るためには一つの鍵があります。それは私たちが人を批判、告発することを止めることです。神はへりくだって人を愛することの出来る人に新しい油注ぎと権威を解き放っておられるのです。

今のための聖書箇所はマタイ7:12です。「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。」

神は 「もし誰かに対してわだかまりや赦せない思いがあるならば、今がそれを捨て去る時です。特にもし自分が正しいという証拠を握りしめているのなら、それを捨てなさい。今は  あなたのために神が戦ってくださることを信じるべき時であり、すべての不満や遺恨を捨て去る時です。  不満や遺恨は、あなたが今年昇格できる資格を剥奪してしまうからです。

 

新しいアイデアと発明

 私は今月ある預言的な夢を見たのですが、それは、神は今、新しい戦略、アイデア、発明を天から解き放っているというものでした。夢の中で私は一人の天使の横に立っていたのですが、突然私の手の中にハイテックな傘が現れ、それは私を悪天候から守るだけではなく、内側から人をリフレッシュする細かい霧がおりていました。

この夢の意味は、  創造と発明の霊をもたらしてくれる天使は、それと同時に私たちを外敵から守ってくれるということを表しています。私たちは神に守られますが、それと同時に新しい 戦略と発明は、これからの厳しい時代の中で御国のための財源を生み出すのです。

又、私はひどく厳しい天候、気象の夢を幾つか見ました。神は私たちに「物事がどのように悪く見えても心を騒がせないで、どんな状況の中でも神はよいチャンスを私たちに与え祝福してくださることを信じなさい。」と言っておられます。

神は深刻な飢饉の時に100倍もの収穫を刈り取る戦略方法をイサクに与えられました。創世記26:12に「イサクはその地に種を蒔き、その年に百倍の収穫を見た。主が彼を祝福してくださったのである。」とあります。

 

スーパーボウルのスコア

今年、アメリカのプロ・フットボールのスーパーボウルは、それほど大したことはありませんでした。(あなたが勝利したシアトル・シーホウクスのファンだったならば勿論別でしょうが)しかし、その最終のスコアに私はとても興味をひかれました。

最終スコアは「シーホウクス43:ブロンコス8」でしたが、それを見たとき、私は力強い言葉でいっぱい書かれた有名なイザヤ43章を読むように神に導かれました。この箇所で神は、困難な時の慰めを与えておられます。それは私たちが神によって徳を備えた者に形造られ、聖霊に従うとき、 人々を新しいものへと導くことが可能になるということです。(イザヤ43:1−2、5−8、18−19)

最終スコアである43対8という数字をイザヤ43:8に当てはめて見てください。「目があっても盲目の民、耳があっても耳しいた者たちを連れ出せ。」

神は人々の目と耳を開けておられます。聖霊の力を全く知らない人々が、神の名で呼ばれる人たちによって導かれるのです。シーホウクスのフルバックであるデリック・コールマン選手は聴覚の不自由さがありましたが、決してあきらめなかった故に聖霊の助けにより多くの新しい権威を授けられました。

イザヤ43:18−19「先の事どもを思い出すな。昔の事どもを考えるな。見よ。わたしは新しい事をする。今、もうそれが起ころうとしている。あなたがたは、それを知らないのか。確かに、私は荒野に道を、荒地に川を設ける。」

人生という試合で神がチャレンジされることは、私たちの徳が高められていくとき、即ち様々な試煉に合うときを喜び楽しむということです。あなたの心が神によって変えられて行くことは、神のすばらしい慈しみをまわりに表すことになります。イザヤ43章を全部読んでみてください。あなたの人生の中に祈りこむべき神からの約束が一杯詰まっているからです。

 

人を裁くことを止める

神が何か新しいことを始められる時には、往々にしてその前のムーブメントはそれに対して批判的になります。これは教会の歴史を通して繰り返されて来たことです。神は今、新しいことをされていて、今までキリスト教 Christianity から退けられていた人々を引寄せておられます。「神を必要とする人であれば誰でも裁かずに暖かく受け入れるように」と、私はどこに行っても人々を励ましています。

私たちは人々を助ける前に 、まず自分の心の中に人を批判し裁く思いがあるかどうかを調べてください、と神に願う必要があります。私は次のような祈りをこのところずっとしています。「神よ、私自身の中にあるものを、敵が私に見せまいとしていることを見せてください。」そして又、「私が他人に対して  持っている良くない思いが心に中にありましたら教えてください。」とも祈ります。人を批判し裁く思いを無くすときに、自分とは異なる人々をも愛して受け入れることが更に出来るようになります。

私たちがそのようにし続けられるように助けてくださいと、共に祈ろうではありませんか。その時に私たちは人を裁かない目ではっきりと見ることができるようになり、多くの人に影響を与える新しい権威をどのように用いればよいかを神に聞く方法を見つけることができるでしょう。(終り)


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15 02月

生ける水の泉       リック・ジョイナー         2014年2月16日


生ける水の泉

 

リック・ジョイナー

 

羊飼いのいない羊を見て憐れみを感じた主は、彼らの羊飼いになられました。又、暗やみに住む人々を憐れまれたとき、主は彼らの教師となられました。まことの霊的権威はすべて愛を土台としています。  神の愛が自分の心に溢れ発露したと知るとき、私たちは自分の召しと果たすべき使命の場所を知るのです。

神は私たちをこの世の基が据えられる前に創造されたお方です。ですから、私たちの内に心からの真の願いを入れられたのは神です。イエスは生ける水が「その人の心の奥底から流れ出る」言われました。ですから私たちが神によって創造された目的は、私たちの心の一番深い願いと結びついているのです。私たちの中にある一番深い願いを認識することは、神が私たちの内に設けられた生ける水の泉を開くためには非常に大切で不可欠なことです。この泉は一度開かれたならばその流れは止むことはありません。

 

しばしば私は人々から相談にのったり指導するメンターになってほしいと頼まれます。私はそのように頼まれることは感謝しますし、名誉なことだと思います。しかしながら、その人に対する特別な愛を主から受け取らない限り、  そのような役目を決して引き受けません。私がその人のために出すべき生ける水は、私の「心の奥底」から湧き出なければなりません。そうでないと私がその人に与えられるものは、単に原則的なものだけになってしまいます。原則的な教えを示すことは助けにはなるかもしれませんが、イエスの大宣教命令が示唆する弟子訓練を指導することには遙に及ばないものです。

 

私たちは自分の子どもたちを心から愛するので、  自分自身が達成した域以上に子どもたちが育って秀でたときには大変喜びます。そして、そうなることを彼らのために心から祈ります。霊的な子供たちに対してはそれと同じか、むしろそれ以上でなければなりません。もし私が誰かのメンターになるならば、  その人が私が達した域を越えてより成熟することを心から願います。もし私が自分の仕事の一つとして(本当の主の愛持たないで)メンターになるならば、私はただの雇われ人にすぎません。

 

 ある一つの国を弟子訓練するように召されたときも同じことが言えます。その国に対する主の愛を私たちがしっかり持ったとき、主が私たちをその国のために召しておられることがわかります。しかし、主の愛は人間的な愛を越えるものであることを私たちははっきり理解する必要があります。その違いは何であり、どのようにして区別できるのでしょうか? もしそのような質問を私たちが持たねばならないとすれば、そのこと事態がまだ主の愛を充分にいただいてないことを示していると思ってよいでしょう。主の愛とは人間的な同情とか魅力、親しさとは違います。なんとか言葉でそれを伝えようとしても私にはうまく言い表すことができません。それは経験しなければわからないものです。

 

それではどうすれば経験できるのでしょうか? まず第一にそれを願うことです。ヨハネ17章で、主イエスは「御父がイエスを愛された愛が私たちの中にあるように」と祈られました。神の御子の祈りは必ず聞かれることを私たちは確信できます。御父と同じ愛でイエスを愛するキリストの弟子たちが地上を歩く日が来ることを私たちは知っています。ですから、私たちはそのような弟子の一人となれるように絶えず願うべきであると思います。(終)


10 02月

イエスは私の恋人              グラハム・クック                2014年2月10日


イエスは私の恋人

 

グラハム・クック

 

「イエスは恋人」というと、最初は少し奇異な感じがするとは思います。しかし2月はバレンタイン・デイがあり、それは私たちの人生で大切な人々に感謝を表す日です。でも私たちは、イエス様がその大切な人々の中のお一人であることを忘れてしまいがちです。  バレンタイン・デイに、もし私が大切に思っている誰かにカードを書いたり、詩を書いたり、何か意味のあることを小さな形で表そうとするのであれば、私はイエス様にこそ先ず、それと同じ喜びと感謝を表すべきではないかと思うのです。

そこで私は、今年はイエス様を「私の恋人」として詩を書くことにしました。皆さんもイエス様をこそあなたが愛する方として何かの方法でそれを表されるようにチャレンジしたいと思います。

もし何をしたらよいのかわからないと思われる方のために、ここにいくつかのアイデアを書きます。このままお使いになってもいいですし、また何かを加えたりしてどのように変えてくださってもかまいません。

  • 簡単にできることは、その日に祈りと黙想のために意識的にいつもより時間をかけることです。毎日の生活が忙しくなると、主との関係が希薄になってしまいがちです。ですから少しゆっくり時間をとって主との関係を回復してください。主に耳を傾け、今あなたが主のあなたに対する意図を感じていない部分の中にも主の御こころを見つけてください。
    • イエス様に手紙か詩を書いてください! 次の文はあなたが書き始める助けになると思います。
    • 1.次の文章を完成してください。「私は ーー の故に主が私を愛してくださっていることがわかります。」
    • 2.「私は主に愛されている」と特に強く感じた時のことを書いてください。
    • 3.FRIEND とかSAVIORの文字を縦に書いて、それぞれの文字を頭とした文を横に書いてみてください。

「イエス様のこういうところが一番好き」ということで、自分もそうなりたいと願うことを書き出してください。そして手作りのカードに書いてください。 その中で一番あなたにとって難しいことを一日中念頭において実践し、それによって神の愛があなたから輝き出るのを人々が見て、バレンタイン・デイがそれらの人々にとってもすばらしいものになるようにしてください!(終り)


03 02月

詩篇23:繁栄への新しい道           チャック・ピヤース                 2014年2月3日


詩篇23:繁栄への新しい道

 

チャック・ピヤース

 

神の義の道を歩む人たちへ 

 

今週の日曜礼拝は、ワーシップ、ミニストリー、啓示のすべてにおいて多様で、大変すばらしいものとなりました。

主が次のように言われるのを私はききました。「あなた方のうちのある人たちは、ある事柄に関してわたしが『そのドアを閉めなさい』と告げたにもかかわらず、それを閉める力がありませんでした。ですから、そのドアは未だ開いたままの状態になっており、それが理由であなたは自分を将来に導くために開けるべきドアを見つけることが出来ないのです。わたしから新しい力を受け、その力で前のシーズンの閉じるべき一つのドアをしっかりと閉めなさい。なぜならば、そのドアから嘆きがまだ入ってきています。混乱が入ってきています。別のところに追いやるべきだった何かを捨てきれない思いもまだ入ってきています。

ですから、今日そのドアを閉めなさい。前のシーズンのものであるそのドアを閉める力を受け取りなさい。そうすればわたしはあなたの力を幾倍にも強くするので、あなたは新しいシーズンへと招きいれる新しい一つの新鮮なドアを開けることができるようになるでしょう。あなたが今受けている試練の只中でわたしが招く場所に上ってくるならば、わたしはあなたが見ることのできるひとつの音 sound を解き放ちます。今日は音があなたの目を開くときであり、あなたが試練の只中で見えなかったものをわたしが見えるようにする日だからです。そしてその時から、わたしはあなたがどこで何をしなければならないかを解き放ちあなたに知らせます。」

主は続けて言われました。「今シーズン、わたしは羊を見つける『羊狩り』に出かけます!」これは「主は必ず私たちの居場所を見つけ、私たちをそこから私たちの行くべき未来へと導かれる」という意味だと私は受け取ります。

今週は詩篇23篇をもう一度読み、深く思い巡らすべき週であると信じます。23篇は苦悩と苦難の中にある時に慰めを与える詩篇であると多くの人は解釈していますが、ヘブル語をよく理解すれば、それ以上の意味、すなわち繁栄への道を示しているのです! ヘブル語で「(義の)道 path」 は ‘agol’ であり、それは「回り巡る」とか「サイクル」を意味します。であれば、この詩篇は、主が私たちを「義のサイクル」に導き入れられることを言っているのです。それは毎年やって来る主の祝日(Feast of Yahweh)と関連 しています。祝日というヘブル語’Chag’ はサイクルを作ることを意味します。もし私たちがイスラエルの祝日を理解するならば、サイクルをも理解することになり、繁栄へと正しく導き入れられ、何も乏しいことがない状態になるのです。(終り)