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25 07月

アメリカのクリスチャンの政治家から学べること             坂  達 也


アメリカのクリスチャンの政治家から学べること 

 

                坂  達 也

 

 先週から今週に掛けて、今アメリカでは大統領選挙の山場の一つである、二つの政党がそれぞれ大統領候補を最終的に選ぶ党大会が行われています。そこで先週行われた共和党の大会で起こったことの一つをお伝えしたいと思います。

 ご存知の通り、共和党はドナルド・トランプ氏を最終候補として選びました。しかしそこに至る迄、特に初日にトランプに反対する人たちが会場の内外で相当激しいデモを行い、不穏な空気に充たされましたが、幸い大事に至らずに無事終了しました。

 トランプ反対派の主流は、既に選挙から降りた二番手のテッド・クルーズ候補を押す人たちでした。全体の票数から見てクルーズに勝ち目がないことは明らかでした。通常党大会では、既に確定がほぼ決まっている presanptive 候補者が、大会で演説する顔ぶれを選ぶことと共に、その内容をチェックすることができます。大概の場合は、自分をサポートする人だけが演説するように選びますが、トランプは、クルーズが彼に反対の態度を崩さないことが分かっていても、彼が壇上から演説する事を許しました。それは二つに割れかけた党を最終的に一致させることが今は最も重要な時であり、トランプがクルーズに握手の手を差し出したのですが、クルーズはそれを受けなかったのです。誰の目にも彼がいかにトランプからひどいことを言われたかをよく知っております。しかしクリスチャンであれば、いつまでも根に持たず相手を赦し、この際は特に党の一致のため、クルーズがトランプに投票すると言うか、あるいは自分を押している人々をなだめ、反対をこれ以上しないように呼び掛けることが期待されましたが、残念ながらそれは実現しませんでした。今回の選挙では候補者が保守的クリスチャンであるかどうかが大いに問われました。そして、クルーズこそがその保守的候補に最もふさわしいと言われていただけに、会場は大きな失望の色が隠せず、多くのクリスチャンからこれで将来クルーズが大統領になる可能性ー政治生命は終わったとまで批判されました。

 

今は世界中で非常識な迄の考えられないような悪行が氾濫しています。それを見て嘆き憤り、批判することは誰でも出来ます。しかし、そこでクリスチャンと未信者との差が出てくるとすれば、クリスチャンは相手が非行を犯せば犯す程その人のために祈り、とりなすはずであることが聖書に書かれていることです。そのことをフランジペン師が非常にタイムリーに説いていますのでご高覧下さい。

 

あなたはどのような者になりつつあるか − クリスチャンのパリサイ人になってはならない

 

                   フランシス・フランジペイン

 

 ルカは12使徒の名前を列挙していますが、イスカリオテのユダに関して、6:16で「後に裏切り者となったイスカリオテ・ユダ」(新共同訳)と言っていることが私は意味深いと思います。

まず一つの質問をさせてください。 これは真面目な問いであり、あなたが自分に問う最も重要な質問かもしれません。あなたは今どのような者に「なりつつありますか becoming 」? イスカリオテ・ユダは「裏切り者となった」使徒でした。彼は他の使徒と同じように「病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出して(マタイ10:8)」主に大いに用いられていました。彼はイエスと個人的に共に歩む興奮と喜びと力を味わい、奇蹟、しるし、不思議を多く見たのです。

しかしユダには重大な性格の欠点、即ち道徳的弱さがありました。神に重用されていたにもかかわらず、ユダは「盗人であった(ヨハネ12:6)」と書かれています。彼はお金を収納する箱からお金をくすねていたのです。私たちはしばしば「主はそれが何であってもその罪を指摘し問いただされるに違いない」と考え勝ちです。しかし私たちが繰り返し犯す罪に対して何も言わずに沈黙されることによって、主はご自分の叱責を表される場合があるのです。ユダは自分がしていることが悪いことを知っていましたが、イエスはそれに関して直接咎められませんでしたので、彼は自分の罪の重大さを過小評価していたのです。彼は「お金をくすねることが本当に悪いのならば、神は私に奇蹟など起こさせるはずはない」という理屈をつけていたのかもしれません。

 

少しのパン種が粉全体を何と大きくふくらますことでしょうか! 私たちがあまり注意を払わない比較的小さな罪が、私たちの人生を破壊する大きな罪になっていくのです。聖書は、ユダは裏切り者になった(became a traitor)と言っています。彼はイエスに忠実に仕えて働く者として出発しましたが、金銭のことで嘘をつき始め、遂には堕落し暗やみとなった心を内に秘めるようになったのです。ユダは裏切り者になった盗人であり、最後には自分で命を断ちました。罪に対する彼の妥協は次第にエスカレートし、遂には彼を破滅させたのです。

 

今日クリスチャンが世の中を見ると、そこには不正、不道徳、腐敗を見ます。これらを見て私たちが怒るのは自然であるばかりでなく、正当なことです。これらの罪を見て怒らないことなどありえるでしょうか。多く場合、 世界に起こっている事件、人間の言動を見る時、実際そこに地獄そのものを私たちは見るのです。

私たちがこの世の邪悪さを見て悲しむことを神は知っておられるので、御言葉は「怒っても、罪を犯してはなりません。(エペソ4:26)」と教えています。どの時点で怒りが罪へと堕ちていくのかを私たちははっきり見極めねばなりません。パウロは続けて、「日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。」と言っています。私たちが本当に間違っていることに対して怒ることは正しいことであり道理に適っています。しかし私たちの怒りの表現は、それに留まらずもっと高潔で、物事を贖っていく態度でなされねばなりません。

それは受け身で無関心な態度をとることではなく、積極的なとりなしへと立ち上がることです。私たちは不義に対しても同じ感情を持ちますが、「父よ、彼らをお赦しください。」という「憐れみの祈り」を祈ることを学ぶのです。

 

ステパノが石で打たれ死ぬときに、イエスを見上げて「主よ。この罪を彼らに負わせないでください。(使徒7:60)」と祈ったことを思い出します。私たちが不正に直面したとき、神がイエスの新たな啓示を私たちに与えてくださり、それによって私たちが裁きを願うのではなく憐れみを祈ることができるようにして下さいます。ステパノの「憐れみを願う祈り」によって神の恵みが解き放たれました。その恵みがサウロに流れることによって、サウロもイエスを見ることができたのです。お分かりでしょうか、もし自分が感じる怒りをきちんと対処しないならば、そしてもし不正に対して憐れみととりなしで応答しないならば、自分が決して意図しなかった何者かになっていくのをやがて見ることになるでしょう。もう一度言わせてください。ユダは裏切り者になったのです。

 

ユダは奇蹟を行う使徒から裏表のある二重生活をする者に「突然変異」したのです。私たちの怒りは、もし放っておけば同じことをします。自分が絶対なるつもりもなかった者に退化していくのです。即ち「クリスチャンのパリサイ人」になっていくのです。

パウロは「日が暮れるまで怒っていてはいけない」と警告しました。それはあたかも問題解決には長くても24時間しかないと言っているようです。(しかしそのような解釈をしてはならないのです。むしろ、日暮れ迄にはその怒りを赦し心からのとりなしの祈りに変えねばならないという意味です。)私も人生の中で私の怒りが取り去られてとりなしへと変革されるのに、何ヶ月も格闘したことを認めます。ですから皆さんも心から苦々しさが取り去られ、とりなしのための力が与えられるまで格闘し続けてください。

 

今日のアメリカには怒り憤慨しているクリスチャンが有り余っています。どうすればよいでしょうか? 私たちは憤りをとりなしへと転換させねばなりません。心に苦しみを感じたときは、それを私たちの益となるように用いねばなりません。即ちキリストと一つになって贖いの祈りをし、本当に迫害する者のために祈ることです。

感謝なことにイエスは十字架からパリサイ人を見下ろして「あなたたちは基本から学ぶ必要がある。」と批判はされませんでした。そうではなく、主は「父よ、彼らをお赦しください。」と言われたのです。驚くべきことに「彼らは何をしているのかわからないのです。」と言われ、彼らの罪をかばわれたのです。

 

教会の中に浸透しているクリスチャンの憤りは、天からのものではありません。あなたの怒りをほんの小さな罪として決して片付けないでください。それはモーセが約束の地に入る資格を無くしたのです! 物事の正否に関する憤りよりももっと重要なことがかかっているのです。 聖書的に正しい私たちクリスチャンが、道徳的に間違っている人々とどのように関わっていくかを世の人々はじっと見ています。私たちの言葉が救い主イエスのものか、それともパリサイ人のものかをじっと見ているのです。

しかし、この世が私たちをどのように見ているかということよりも更に重要なことがあります。それはキリストがどのように私たちを見ておられるかということです。主は私たちの心に何が起っているかを見ておられます。主は一人ひとりにシンプルな質問をされます。「あなたは自分がどのような者になりつつあるかわかっていますか?」(終り)


18 07月

アメリカは遂に今、激動と混沌の時に入る!  そしてこの時期が将来のアメリカを決定する       坂 達也


アメリカは遂に今、激動と混沌の時に入る!

 そしてこの時期が将来のアメリカを決定する

 

               坂  達 也

 

 去る四月に「アメリカは遂に今、激動と混沌の時に入る!そしてこの時期が将来のアメリカを決定する」と預言したのはチャック・ピヤース師です。彼は「この2016年四月二十五日から十月二十日までの期間は、アメリカが過去百六十ー百七十年の間で経験した最も激動と混乱の時となるでしょう。しかも私たちは今、私たちの将来を決定する時に突入したのです。」と語りました。私は一人の預言者が、これ程重要且つ思い切ったパワーフルな預言を解き放ったのを久々に聞きました。

 続いてピヤース師は言います。「あなた方が現在、どのように自分がキリストのからだとして主と繋がっているかをよく知らねばならない。なぜなら、キリストのからだは今のようではなくなるからである。あなたは今十字路に立っていて、どちらに曲がればよいかを知る時に来ている。今は神の御国を導くリーダー達が、今のままで留まらず、次の段階であるクリスチャンとしての真のアイデンティティーへと移行せねばならならい時である。主は『わたしは今わたしのとりなし手を必要としている。それはダビデの幕屋が今こそ地上に台頭し、認証される時代に入ったからである』といわれる。地上にある今迄のすべての宗教的なやり方は、今こそシフトしなければならない。そしてあなた方は、将来のためのわたしの模範(あるいは原型 prototype ) となる『賛美のユダ the Judah expression 』に喜んでなりなさい。」

 

「アメリカの黒人社会とアフリカの国々において、権威を得ようとして争う邪悪なムーブメントが間もなく起るが、それは、「神のことばの力 expression of God によって失墜させられるであろう。彼らの中にいるわたしの民だけが、彼らの血の中の暴力と憎悪を取り除くことができる。」

「アジアの教会が立ち上がり、今までにはなかった原型 prototype を造るであろう。イスラエルは千九百六十七年以来最大の闘争に入る。あなたは新しいタイプのシーズンに突入したのだ! ユダよ、立ち上がれ! あなたが新しいタイプのワーシップと宣言の時代にシフトするならば、わたしはあなたの敵を待ち伏せ闇討ちにする。もしあなたがそのようにシフトしないならば、敵があなたを闇討ちにするであろう。」

 

「わたしの手でわたしはあなたのために必要な事を整えるので、あなたは毎日歩みつつ、それらを見出しなさい。戦いと賛美の新しい原型、そして地上でわたしが台頭させているリーダーシップによって、わたしはあなた方の敵を必ず刈り取る。勝利のための戦略はわたしの血潮にあり、わたしの血潮は他のすべてのものを打ち破る。しかしあなたはわたしの血潮を実際に信仰で当てはめ適用しなければならない!わたしは強い者を縛り上げ、略奪物を取り返す人々を備える。」

 

「自分が何者であるかを知れ! 敵を知りなさい! しかしわたしとわたしがどのように考えるかー御心を行うことーをまず第一とせよ!」

 

 以上の驚くべき預言は発表された時点では私も見逃していましたが、7月8日に改めて Elijalist に再載されて初めて私も気が付いたのです。そこで分かったことはオーストラリヤの預言者ラナ・ヴァウザー師が「7月7日」の重要性を預言していたことでした。彼女はこの日がキリストのからだ、特に預言的賜物とか霊の目の成熟を待つ者にとって重要な打ち破りのシーズンに入る、それはあたかも霊的な幼虫が堅い殻を破って蝶蝶となって空に舞い上がることに例えられる「シフトの時」となることを主から示されていたのです。従ってこの日以来、預言の質と量が共に大きなレベルアップし始めたことを私たちも感じています。ピアース師の預言もこの日からより一層の注目を浴びる様になったと言われます。又、7月から8月に掛けて世界的な大事件が起こることを預言する人がピアース師以外に二三出て来ております。

 

深刻なアメリカの人種問題が大きく浮上

 

 そこで、上記で最初に預言された「人種問題」がアメリカで真っ先に起きたことは驚愕に値いします。特に白人と黒人間での反目が突然の様に各地で激しく再燃し始めたことです。特に白人の警察官に対する黒人の恐れと憎しみの根がいかに大きく深いかはアメリカに住んで経験してみないと理解が困難であると思います。私たちの教会に隣接するオークランド市の貧民街地区は全国でも特に悪名高い場所の一つで、暴動、殺人が日常茶飯事のように起きています。私たちの教会は黒人の割合が三割位ですので、特にその確執を肌で感じます。

 なぜ今の時期に再燃しているのでしょうか。それは確かに今に時代は悪魔があらゆる面で世の中を混乱に陥れ無秩序を挑発していることは明らかな事実ですが、それよりも神ご自身が、この問題を解決することを特にクリスチャンに要求しているからであると、ある黒人の牧師が指摘していたことに私は同意します。

 就いては今朝リック・ジョイナー師が彼のファイスブックで次の様に書いていたのをご高覧ください。

 「神はアブラハムにその子孫を通して世界中の家族を祝福する約束を与えました。しかしなぜ、神はその子孫が四百年間もエジプトの奴隷になることを許るされたのでしょうか。それは彼らイスラエル民族が世界に究極の自由を与えるために召されていたからであり、そのためにイスラエル民族自身が奴隷の経験、しかもその最低どん底で痛めつけられる経験をさせる必要があったのです。

 イスラエルは祭司の国となるために召されましたが、祭司にはいかなる「かさぶた」があってはならないと規定されていました。かさぶたとは癒されてない瑕です。癒されてない傷口を持つ人は、その毒とか膿を伝染させる可能性を持つので、他人に触れたり近づくことを禁じられ、祭司になる資格がありません。

 黒人は、歴史的に見てイスラエルの民に匹敵する程の奴隷の経験を持った唯一の他民族/人種グループと云えます。そうであれば黒人はイスラエル民族と同じ召し「世界の人たちに自由解放を与えるという召しを持っていると言えないでしょうか。私たちは、彼らがそのような重要な召しを神から与えられていることを自覚し、その責任を果たしてもらうことを今特に祈るべきであると信じます。それは非常に高い召しであり、特にアメリカでは今最も必要とされる人たちであるのです。」神はアメリカの回復とリバイバルのためには、黒人、特に黒人のクリスチャンこそに祭司の役目を期待しておられる、そのために敢てこの問題が表面化することによって、黒人を中心にアメリカ全体が癒されることを期待しておられるのです。」

 

黒人のクリスチャンがリバイバルのリーダーシップをとる祈りの要請

 

 アメリカは、世界で最も多くの人種が集められた「クリスチャン大国=天の御国の一つ」となる目的で建国されるデスティニーを持った国であると私は心から信じる者の一人です。それは神の御国イスラエルの次にユニークな使命を与えられている国と云えます。しかしそれだけに複雑な人種問題という自らが持つ最も深い「瑕と縛り」から一日も早く解放される必要を抱えております。

 そのためには、マイナーでしかない黒人クリスチャンがそのリード役となって、先ずアメリカ自身を解放に導くと言えばーそれは正直な話し、今となっては全く不可能に近いように見えます。しかし、イスラエルが神の力によって奇跡的に再興されたのなら、アメリカの回復も神にのみ頼めば不可能ではないばかりか、世界に広がるリバイバルの大きな震源地の一つとなることを私は信じます。それはウイリアム・シーモアー師のアズサ・ストリートにおける歴史的リバイバルが世界に大きな霊の覚睡を引き起こしたことに前例があります。

 

 神は現実にアメリカにそれを期待されており、今着々と備えられつつあります。曲がりなりにもクリスチャン政党の共和党は、トランプ候補を立てて政権を取り返すための党大会にまでやっとこぎ着けました。

 

 「起きよ。(アメリカ)光を放て。あなたの光が来て、主の栄光があなた

  の上に輝いているからだ。

  見よ。やみが地をおおい、暗闇が諸国の民をおおっている。しかし、

  あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。・・」

                        (イザヤ60:1、2)

 

 ぜひアメリカのためにお祈りください。私たちも日本のリバイバルのために心からお祈りしております。(終り)


11 07月

痛みの祝福     ブライアン・ジョンソン            2016年7月11日


痛みの祝福

 

ブライアン・ジョンソン(ベテルチャーチ・ワーシップリ—ダー)

 

ダン・ポッター師の奥さんがワーシップについて教えに来てくださった時にこう言われました。

「『I will give you all my worship(主よ、私のすべてのワーシップをあなたに捧げます)』という歌がありますが、実際のところ『I will give you some of my worship(わたしのワーシップの一部をあなたに捧げます)』と歌うべきでしょうね。」

確かに私たちの日常のワーシップを表すには、その方が正確な言い方ではないでしょうか。100%のワーシップをしているとは言いがたいです。しかし、本当に徹底的に打ち砕かれた時、私たちは100%全面的に神の恵みだけで生かされていることがわかるのです。自分では何もできないことを知るのです。それは本当にパワフルな瞬間です。今日はその事をお話したいと思います。

 

今日教会のキャシーさんが私が小さかった頃のことを話してくれましたが、一つのことが私によい意味で衝撃を与えました。

「ブライアンが2歳の頃、 頭をドアにぶつけて転びました。でも彼は痛さを感じなかったかのように立ち上がり、親指をしゃぶりながらお気に入りのブランケットをもって歩いていきました。」

小さい時のことはあまり憶えていないのですが、その小さなブランケットは今でも持っています。もうかなりすり切れていますが、くまのプーさんの黄色いブランケットです。

でもこれを聞いた時、私はあることがわかったのです。人生の大部分、私は自分の「痛み」を丁度そのように処理してきたのです。「痛み」の対処法は人それぞれ違いますが、私は非常な痛みを感じたとき、それを心の奥にしまい込んで「私は大丈夫」と言ってきました。それは昔ながらのアメリカ男性の典型ですね、いつも「俺は大丈夫さ」と言うのです。しかし現実は大丈夫ではなくて、痛みを抑えてしまい込んでいたのです。痛みを感じたとき、それに対してどのように反応すればよいかも私はわからなかったのです。痛みをもっている本当の自分に面と向かうのを避けていたのです。そのように人生を過ごしていたのですが、2015年の7月に遂に行き詰まってしまいました。

 

私たちは何としてでも人生の痛みを出来るだけ経験しなくて済むように努めますが、痛みと決定的に直面した時、多くの場合、自分のデスティニーを発見するのです。すべての慰め、言い訳がなくなった時、あなたは痛みと向き合わねばなりません。」仕事を終えて家に帰ったとき、あなたは何をしますか? ビールを飲みますか、テレビでスポーツを見ますか? 沢山食べますか? そのようなことがすべて取り去られてもあなたは十分幸せで満足ですか? それらのことは別に罪ではありません。でも「スポーツを見る」ことも罪になり得るのです。それがあなたがきちんと向き合わねばならない問題から気を逸らし紛らわせるものになっているならばです。私は今までの人生、ずっとそのようにしてきました。アメリカの文化は、男ならタフであるべきであり、痛みを感じていることを認めてはいけないというのです。しかし私たちは神によって痛みを感じるように創られており、その痛みは父なる神のもとに置くべきなのです。イエスはすべての痛みを感じられましたが、それをすべて御父の足元に置かれました。そして次の働きへと出て行かれたのです。

 

ここに風船がありますが、これをあなたのこころだと考えてください。もし痛みや恐れ、他のあらゆる感情をこころに溜め込むと、風船は膨らんでいきます。私たちは御父の下にいき、それをすべて吐き出さねばなりません。しかし、そうしないでずっとそのまま溜め込んでいる人がいます。「私は大丈夫,私は大丈夫」と言い続けるのです。私がそうでした。自分のこころに何が起っているのかわからなかったのです。そして風船はどんどんと膨らんでいき、ある日突然破裂するのです。そしてそれは100倍もすさまじい破裂となります。許せない思いや、苦々しさ、痛みの重荷は自分では決して背負いきれないのです。世界中で一番強い人にも無理なのです。いつか破裂します。そして私にそれが起りました。

 

去年の7月のことです。CDの仕事が一段落したところでしたが、様々な問題を経験し大きなストレスを抱えていた時でした。息子と外でトカゲを取っていたのですが、 なんとなく変な感じが身体にしました。私はあまりエモーショナルではないのですが、なにかこころにおかしな感覚がありました。自分が自分でないような気持でした。それで息子と家に帰り妻に話ました。私は小さいとき時々パニック症状が起り、そのときはヨシャパテのように神をワーシップすることでアタックから解放されました。それでその時も私は外で一時間ほど歩きながらワーシップしました。しかしこの時はまったく様子が違っていました。自分は気が狂うに違いないという思いがあり、身体も震え胸が苦しく息ができませんでした。家にもどりワーシップ音楽をかけて何時間も歩き回りました。私はナーバスブレイクダウン(神経衰弱)を起こしていたのですが、自分では何なのかわかりませんでした。両親や友人達が駆けつけてくれました。

 

自分の意志ではどうにもならない、自分の力ではどうしてもそこから抜け出すことができない状態です。まったくコントロールがきかないのです。永遠に苦しみが続くように感じて死にたいと思うのです。心臓の鼓動が激しく「もう駄目だ、もう無理だ、これ以上無理だ。」と言っていたのを憶えています。救急車が到着し、私は酸素マスクをつけらえて病院に運ばれました。神だけにしか答えがないというような状況に追い込まれたときは、それは偉大なギフトだと思ってください。痛みがあまりにも深く、神だけが答えであると感じるとき、それはすばらしいギフトだと思ってください。どんな麻薬でもそのような痛みを無感覚にすることはできません。

 

「信仰とは、神さえいてくださればそれで十分であるという内なる確信である。」という言葉があります。聖書の中で救い主を求めた人はすべて、自分の必要を認識した人でした。金持ちでも貧乏人でも、パリサイ人でも異邦人でも、自分には救い主が必要だと心から知った人はイエスのもとに来ました。多くの人は自分の罪を知り自分が穢れているのでイエスの元に来て赦しを受けます。けれどもそれは第一段階にすぎません。次にあなたは走って主についていき、主を見上げねばなりません。その時にあなたは決定的に変えられるのです。あなたが主を見るからです。

 

ナーバスブレイクダウンの期間、私は多くの深い痛みを経験しました。私は震えていました。家の中で子どもたちが騒ぐ時に、いたたまれずに外に出ました。些細なことでも神経にさわり耐えることができませんでした。働くこともできませんでした。私に少しでもストレスを与えるようなことは誰も話せませんでした。庭の芝生がのびているのを見るだけでパニックの発作が起きました。ある時少しでも癒されるかと思い、妻とナパの方に出かけました。けれどもそれは地獄のような旅になりました。毎晩私の胸は死ぬほど苦しくなり発作が起りました。でもそれが私の人生の重要なターニングポイントだったと思います。帰り道の車の中で、私は呼吸が早くなりまた発作を起こしそうになっていた時、妻が人を赦すプロセスに導いてくれました。私の中にそのような必要があることを私は知りませんでした。車の中に神が共にいてくださるようでした。

 

長い苦しいドライブの後家に戻りました。私の苦しみ、痛みはますます激しく、「この苦しみを感じなくてすむならば何でもします」と私は泣いて叫んだことを憶えています。そしてその時、私は神と正しい関係に入ったのです。私は小さい時から神を信じていましたし、神から離れたこともありません、犯罪を犯したこともありません。これまでずっとクリスチャンで神を愛していました。でもこの時、神との関係が正しくなったのです。そして私は日夜、聖書を読み続けるようになりました。それから5ヶ月の間毎晩ワーシップソングを聞きました。それはすばらしい神との交わりであり、私は「癒されてもこのような主との交わりを失いたくはない」と思いました。私の親しい友人であるダーリン・チェックさんも癌と戦っていたときの神との親密な関係を失いたくないと言っていました。私はずっと教会で育ちましたし、神を知っていました。でもこのときの親密さは特別でした。

私は聖書を読み、特に福音書の中のイエスの人生を読みました。何か教会で話さねばならないからとか、何かを得ようとか、何か曲が与えられないかとかいう目的で読むのではなく、ただ主と共に時間を過ごし主を知り友情を深めたのです。あたかも一人孤島にいて唯主と交わるためだけに生きていたようでした。そのように打ち砕かれることのすばらしさはそこにあります。

 

イエスは重大な出来事の前には、必ず御父のところで時を過ごされました。そして力を得たのです。それが私たちが歩むべき人生のパターンです。祈りの課題とか嘆願を持たずに、ただ主のもとに行き親密な時を過ごすことがすばらしいのです。それを繰り返し行うことが大切です。御国のことは食べれば食べるほどもっと食べたくなります。あなたが本当に必死であれば、早朝に起きることもできるのです。

1サムエル30:6に「ダビデは彼の神、主によって奮い立った。」とありますが、私たちも主から力を受けることを学ばないでクリスチャン生活を続けることはできません。

 

ジョージ・ミューラーはこう言っています。「毎日私がするべき偉大な仕事は、神のもとに行き、私の魂に喜びを受けることである。」

朝のデボーションは私が生きるために不可欠なものとなりました。人生で私が持っていたすべての疑問の答えは神との秘密の場所に隠されていました。私たちは啓示を受けよう、答えを得ようとしますが、その方法が間違っていると思います。それを得る唯一の道は神と親しい関係になることです。それを得るために近づくのではなく、神と友達となるために近づくのです。神の声を聞く人はそのような関係を持っている人達です。

 

聖書に関しても私はシンプルな事しかできませんでしたから、毎日一節だけ選んで、その日一日それを生活の中で実践するように務めました。幼稚園児がするようなことですが、実行すると非常にパワフルでした。皆さんにもお勧めしたいです。ずっと教会生活をしていると、聖書を読む時、そこから深い真理や新しい啓示を受け取りたいと思います。でも実際は家族に対して忍耐ができなかったりするわけです。

ペテロがイエスを否んだ前日に、自分は決してイエスを見捨てないと自信をもって断言したように、私たちも「自分は神をこころから情熱的に愛している!」と自信を持ちます。でも実際それは自分の情熱に確信を持っているのであって、その幻想にしがみついているだけなのです。自分が真に打ち砕かれて「恵みだけ」が自分を支えていることを本当に知らねばなりません。

 

人は自分の賜物や成功、功績で人々から称賛されたいと思います。私も「こんな歌を作った、こんなCDを出した」と思っていたのですが、突然私の風船は破裂したのです。人との会話もうまく出来ず、のびた芝生を見るだけでパニックを起こしたのです。神が喜ばれるのは神にだけ頼り切る信仰です。私たちの賜物、成功、功績はもともと神が与えてくださったものですから、神はすでにご存知です。神は私たちが完全に神に拠り頼むときに感動されるのです。

 

私の父(ビル・ジョンソン)はすばらしいです。病気になり手術を受け今回復していますが、彼は今まで自分が説教してきた真理を毎日生きています。どのような状況にあっても神に絶対的無限の信頼をよせているのです。そのようなシーズンの父を見られるのは本当にうれしいです。

 あなたは人の賛辞、又は批判で揺り動かされることなく、ただ神が永遠の価値観から見た評価だけをしっかりと心にとめて生活すればよいのです。人からの賛辞はうれしいことですが、それだけを拠り所にするならば、あなたは上がったり下がったりの情緒不安定な人生を送ることになります。神への確信は私たちにバックボーンを与えてくれます。すべての事は100%神の恵みであることを知り、神に100%信頼し、100%のワーシップを捧げて生きようではありませんか。(終り)


04 07月

暗雲深く立ちこめるアメリカを主は変えられる      坂   達  也   2016年7月4日


暗雲深く立ちこめるアメリカを主は変えられる

 

                坂   達  也

 

 本日七月四日、私たちはアメリカの独立記念日を迎えております。正直に申し上げて私は、このアメリカの最も重要な祝日を、これ程迄に変わり果てた姿のアメリカで迎えたことは未だかってありません。この世の中に「クリスチャン国」が存在するとすればそれはアメリカでありましょう。しかしその姿は、廃退の末に僅かの残り火だけが残った「残骸」でしかないように見えます。

 その中にあって私を励ましてくれたのが下記の預言です。このオーストラリヤの預言者はアメリカのために主が用意された方であると信じ、前から注目して来た預言者です。ご高覧いただき、ぜひアメリカのためにお祈り下さい。

 

 

アメリカは一日にして変わることができるか

 

 ラナ・ヴァウザー(オーストラリヤ・ブリズベーン市)

 

六月の末のことですが、私が主と時間を過ごしていたとき、主の臨在が私の上を重く覆いました。そして主が神の民に呼びかける声を聞きました。主は一つの問いかけをしておられました。それは神の民にもっと高いところへ、もっと有利な地点へ、もっとよく見え、よく聞こえる地点へ、そしてもっと希望のあるレベルへと上るように、という呼びかけでした。主が神の民に「私の名によってアメリカは一日にして変えられることがあろうか?」と問うておられるのを私は聞きました。主は同じ質問を何度も何度もされました。私はどうして主が繰り返し同じ質問をするのか訝しく思いましたが、主が次のように言われているのを感じました。

「今は『もっと高いレベルの希望』持つ時!今はもっと高いレベルの希望へと移行する時!今はあなたの見る目と聞く耳の感度を上げてより高いいのちのしるし(兆候)をわたしから受け取る時だ!今はもっと高くわたしと同じ視点からものを見る時!わたしはアメリカ合衆国のこころに再びいのちを与えるべく、わたしの民に希望と信仰と(決意の)宣言を分ち与えようとしている。今がその時!今こそアメリカの国がわたしのいのちで生き還る時だ。」

このヴィジョンの中で、私は、神の民がアメリカ合衆国のためにもっと深いとりなしの祈りへと入っていくのを見たのです。人々が主のこころと出会って触れられ、それによって アメリカのデスティニーに関する彼らの思い込みや予想が打ち破られて行くのが見えました。

そして主が再び語られるのを私は聞きました。「造り変えられるために必要な揺り動かしをわたしは今許している。わたしは改革をもたらすためにアメリカとアメリカに住むわたしの民を今揺り動かしている。あなたはもっと高い有利な地点に上り、今のアメリカを覆う暗やみの向こう側を見る必要がある。このシーズン、わたしはわたしの民であるあなたのところに夜訪れて、アメリカに対するわたしの思いと計画を教える。わたしのこころにあるアメリカのデスティニーをあなたに教えるであろう。」

「わたしの民よ、わたしはあなたの内に再びいのちを吹き込もうとしている。それであなたは、アメリカの国のこころの内に再びいのちを語ることができるようにする。わたしは今のアメリカが向かっている滅びの運命の鎖を断ち切り、アメリカの上に横たわる疑いと絶望を打ち破り、あなたがアメリカに再びいのちを語ることができるようにしている。」

「恐れの鎖がアメリカを覆うが、わたしの民よ、あなたが立ち上がるとき、わたしの愛の炎がアメリカ中に燃え上がり、最大の暗やみの中でもわたしの愛が動き、整え、鎖を打ち破り、解放と癒しと希望をもたらすのをあなたは見るであろう。」「今、アメリカには恐れと混乱というしるしが付けられている。しかし、わたしの麗しいアメリカよ、あなたはわたしの愛の火と明るい目とデスティニーのしるしが付けられるようになるであろう!アメリカよ、わたしはあなたに命じる「いのちを受けよ、生き返れ、そしてあなたのデスティニーの本当の姿を見よ! わたしの民よ、わたしと共に命令せよ、わたしと共に宣告せよ!」

 

アメリカのために歌え!

 

次に私はイエスがアメリカの中心に立っておられるのを見ました。主は指揮者のように音楽を指揮していました。アメリカに向かって歌うようにと主が主の民に指示されているのだという感覚に私はつつまれました。国に暗やみが増し加わるのを人々が見た時、特にもっと大声でアメリカのために賛美とワーシップを歌うようにと主は招いていました。神の民がアメリカのために天国の歌を歌いワーシップをしていると、戦いの天使たちがアメリカに解き放たれ、解放、癒し、希望、自由を運んでくるのが見えました。

その時私は幾つもの新しい歌が打ち破りの油注ぎを受けている国中のワーシップ・リーダー達にダウンロードされるのを見ました。これらの歌が書かれて、国中で預言的な歌がアメリカに向かって歌われている時、私は辺り一面に詩編24:9を聞きました。「門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王がはいって来られる。」

これらの歌が国中で、アメリカ自身に向かって歌われているとき、幾つかの門が目を覚まして歓喜し始めました!デスティニーへの扉が大きく開き、栄光の王を招き入れる用意が整っているところに、王は未だかって見たこともないような形で輝かしいアメリカに入って来られようとしています。その王は国を覆う暗やみよりも遥かに大きく、その輝かしい栄光が現れようとしています。神の民は両手を上げて栄光の中にまさに出現しようとする王の王を礼拝しています!

 

希望の預言者たち、あなたへこれから新たにより広い領域の預言が与えられる

 

主がアメリカ中に希望を告げる預言者を立ち上げておられるのを私は見ました。主が彼らを大きな影響力のある位置に配置され、彼らの周りに沢山の新しい扉が開かれていました。預言者たちのためにすばらしい場所が与えられ、彼らは新しい視野をもって働いていました。アメリカの希望の預言者たちには、視野が増大し、預言の啓示と戦略が増し加わります。

彼らが神の戦略と天の解決法を解き放つとき、影響力を持つ人々がイエスに出会い始めるのを私は見ました。多くの人が不可能だと言って来た奇蹟的変化が即時に起るのを私は見ました。多くの人が決して起らないと言っていたことをイエスがされ始めようとする中で私は御霊による興奮で包まれました。 「彼らがイエスを信じることなど殆どありえない」と人々が思っていた影響力のある人たちが、突然イエスと出会い救われます。それは革新的で物事を変革させる奇跡的な方向転換であり、御国の拡大です。

 

私は又、希望の預言者たちがキリストのからだに新たな戦略、天の解決法、アメリカに関する神の御心からの言葉を宣言するのを見ました。私は神の民がアメリカに対する希望の分与を受け取り、毎日の生活の中で活性化され覚醒されるのを見ました。彼らは自分が影響力を持つ領域に出て行き、希望、いのち、励ましとイエスの愛を解き放つので、そのときリバイバルが起り始めます。そして食料品店から、コーヒーショップ、会社、政府、学校、芸術やエンタテイメントの分野に至る迄、リバイバルが起るのを私は見ました。いたるところで「いのち」が炸裂していました!クリスチャンの心の励ましと啓示の堤防が決壊してアメリカ中に溢れ出し、そこから主の慈しみと愛が宣言されていました。

主があなたの中に生きておられるゆえに、あなたがどれほど主にあってパワフルであるかを、主は今アメリカのクリスチャンに目覚めさせています。あなたはいのちを語り、霊的空気を変え、奇蹟を起こす力を持っているのです。あなたを通して主が奇蹟を起こされようとする場所に自らを配置してください!神のこころを聞いてください!まわりで何が起っていようと、どんなに暗やみが深くあろうと、いのちを宣言してください。今はあなたが起きて光を放つ時(イザヤ60:1)であるのです。そしてアメリカが造り直され変革されるのを見てください。(終り)