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Walk With God Ministries


13 06月

ジョイフルサウンド・ミニストリーズ・ニュースレター・14号


JOYFUL SOUND
MINISTRIES

  ジョイフル・サウンド・ミニストリーズ
ニュース・レター No.14 2006年      発行日  2006年6月10日



沖縄レポート2.
「リバイバルへの備え」(霊の畑を耕す働き)


                     アガペ・コミュニティー・チャーチ牧師  根間 民雄

 「私たちの心のうちで燃えたではないか。」これはエマオ途上における主イエスの二人の弟子たちが話し合ったことばです。去った2月14日、グルーバー師を那覇空港でお見送りした直後から、私の心に響いていることばでもあります。まさしく、主がグルーバー師と共におられ、働かれ、沖縄の霊の畑を耕され、大きな障害の石を取り除き、リバイバルへの備えを着々と進めておられることを感じさせられ、リバイバルへの期待がふくらむばかりです。
 グルーバー師は今回27日間滞在され、17教会と3つの団体、そして、多くの個人、家庭集会、病院を訪問し、相変わらず精力的な奉仕をしてくださいました。その中には5つの初めての教会と沖縄実践神学校での講義の奉仕も含まれており、来年はさらに、初めての6つの教会から既に招きがあり、少なくとも5―6週間の滞在が必要とされます。

 さて、はじめに昨年の津嘉山の森のことをレポートさせていただきます。今度も泡瀬バプテスト教会の具志堅牧師と兄弟姉妹、そしてグルーバー師があの山に登られましたが、頂上の拝所がなくなっており、霊的圧迫も誰も感じなかったという証しを聞いて、私は早速、その山に登ってきました。中腹の三大神の拝所はまだありましたが、頂上の拝所は確かになくなっており、さらに昨年までは呪われた地域のように放置されてあった娯楽センターは会社の事務所に生まれ変わり、周囲のビジネスも活性化され、霊的雰囲気も大きく変わっていました。ハレルヤ!今後もますます地域の霊的、経済的、社会的繁栄が拡大され、リバイブされ、主の栄光があらわされ、トランスフォーメーションが期待されます。
(1)
 似たようなケースでは、北中城村の喜舎場でも起こっています。昨年、島袋幸枝姉の案内で姉の住んでいる家やその周辺、その地域を支配している御嶽を祈りの歩行しました。今年行ってみると、近くにあった大きなホテルのビジネスは再開されていますし、その隣の大きなレストランも長年放置されてあったのですが、昨年の地滑りで破壊されたおかげで、新しいビジネスのための建設工事が進められていました。又、島袋姉は霊的圧迫から開放されて、House of Praiseの開拓伝道を始めておられます。ハレルヤ!

 今年の離島ミニストリーは伊江島でした。伊江島タッチュー〔山〕、アメリカの従軍記者の記念碑、土地闘争、千人洞穴、湧出(ワジー)、ユリ祭りなどで有名な島です。総面積23Km2の33%が米軍用地で、残りの土地に5,400人の住民が住んでいます。その島に28年間自給自足で伝道牧会を続けておられる野村牧師ご夫妻の伊江島キリスト教会があります。その教会の姉妹たちと沖縄本島から参加された比嘉球英牧師、大城啓子牧師、他三人の姉妹たちと教会でのオリエンテーション後、野村牧師の案内で祈りの歩行がなされました。アラウタキで始まり、タッチュー、湧出、芳魂の塔、千人洞穴、アニーパイル碑等々次々と祈りの歩行がなされました。ここでは代表的な場所として伊江島タッチューでの歩行のことだけを報告致します。
 そのタッチューの中腹まで車で行き、そこから徒歩で登りましたが、入り口の所に城山御嶽(グスクヤマウタキ)があり、そこで先ず祈りました。通常の登山経路と違って、その山を一周するような古い小路を通りながら、その道沿いにいくつもある拝所の総ての場所で霊的打ち砕きと十字架の血潮の祈りと勝利を宣言し、喜びと感謝と賛美に満たされました。頂上からは360度の視界でコバルトブルーの海、その向こうには島々眼下には平坦な畑や家々と絶景です。しばらく頂上で祈り、すばらしい景色を楽しんだ後下山しました。この島の最高峰が霊的に奪回されたからには、今後の主の御業が大きく期待されます。

 もう一つの山登りの歩行は、北部チャペルの大城啓子牧師の案内による今帰仁城跡の裏山でした。その山はユタの三大修練所の一つと言われるところです。頂上に着くまでには、ここでもたくさんの拝所があり、途中からはロープを頼りに30分ぐらい登らなければならない険しいところです。頂上付近は風が強く吹き飛ばされそうで、急な岩場をしっかりつかみながら登りました。頂上からは何とすばらしい見晴らしのこと。青い美しい海の向こうに伊江島や他の島々が見え、眼下には今帰仁城跡の全景が見えます。
グルーバー師と北部チャペルの兄弟姉妹たち8人の一行は、このような敵の重要な要塞が今回の歩行で奪回された勝利の喜びに満たされつつ祈りの歩行を終えて、夜の集会へと
導かれ、そこでも又すばらしい恵みの時が与えられました。過去にもリバイバルを経験したこの今帰仁の地に再びリバイバルの炎が燃やされることが大いに期待されます。
(2)

 アガペ・コミュニティー・チャーチによるオープン・ミーティングでは、イラン出身のイスラム教徒の夫妻がはじめてクリスチャンの集会に導かれ、キリストの良き知らせを知り、祈りのミニストリーも受けました。感謝、感謝を連発しながら帰って行きました。この夫人の弟はイランに住んでおり、クローン病という難病で医者から見離された状態でしたが、グルーバー師の祈りを境に、日ごとにいやしのきざしが見え始め、手術出来るほどに回復し、その手術のための祈りのリクエストもありました。ハレルヤ!
 いのちの水のキリスト教会による祈りの歩行では、いつもは入ることの出来ないお寺の境内に入ることが出来、建物の奥まで入って祈りの歩行が出来たことや、沖縄リバイバル・チャーチでは300-400人の集会で主の不思議な臨在と平安と喜び、その地域にあるいくつもの霊場での勝利等々、不思議としるしの証しは尽きることがありません。

== 数々のいやしの奇跡が起こる ==

 次に、今回すばらしい数々のいやしの御業が起こった証しをご紹介します。

金武バプテスト教会
 城間正人兄(50歳)はグルーバー師が来られる3日前に電気のこぎりで左手の親指の付け根をほとんど切断してしまい、手術を待っていたところ、病院でグルーバー師を見つけたので追いかけて行き、祈ってもらいました。師は後遺症もなく、傷は完全にいやされるようにと祈った上で「もう大丈夫で
04 04月

祈りの歩行とトランスフォーメーション  坂 達也   3月30日


祈りの歩行とトランスフォーメーション


1995年、日本にヘンリー・グルーバー師ご夫妻を最初にお連れしてから10年が経ちました。この間私たちは、師と共に毎年二回から三回各地の教会を訪れ[罪を赦す祈りの歩行]のミニストリーを日本全国で展開して参りました。
しかし正直なところ、一部の地区とか教会を除いて、その祈りの歩行の目立った永続的な成果というものが眼に見える形では現れないためでしょうか、一度は地域の歩行を実行し始めたものの、やがて祈りの歩行に興味を失ってしまった教会がほとんどであると言っても差し支えないと思います。グルーバー師と私は何度も落胆し、神様が私たちを日本に遣わされた目的は一体何だったのだろうかとお互いに問うたことも幾度かありました。
 しかし今やっと、私たちの日本における「祈りの歩行」の目的と意義が、主によってはっきりと示されたという思いが致します。それはトランスフォーメーションというムーブメントが世界的に起こり始めたからです。日本にも紹介されつつあり、多くの教会が今このムーブメントに対し真剣に興味を示し始めております。

世界的なトランスフォーメーションの推進者であるエド・シルボソ師は祈りの歩行の重要性を次のように強調します。
 「イエスのためにあなたの街(の救われていない魂)をどのようにリーチアウトするのか?」その答えは、先ずその町の霊的空気を変えねばなりません。そのために、街全体を――総ての通りから通り、町の区画のブロックごとに、隣近所から隣近所まで――くまなく街全体をカバーする祈りの覆いをかけるのです。それは1テモテ1:15-2:8にある命令を実行することであり、組織的に一貫して繰り返す祈りをするのです。歩きながら、主の平安を語りかけ(ルカ10:5)、聖書全体を声を出して読み、あるいは預言的行為として、街の門と思われる多くの所で祈る、又、総ての学校のキャンパスで祈りの歩行をすることです。」

師は「街の霊的空気を変える」ことはトランスフォーメーションが起こるための必須条件であると強調しています。

 又、著名な預言の指導者グラハム・クック師も街の霊的空気を変えることの重要性を強調しています。師は教会の管轄地域は少なくとも年4回、教会の会員によって祈りの歩行をすべきであると言い、要塞を砕くために、あるいは祝福を得るために、油を注いで場所を清めることを勧めております。霊的空気を変え、敵を払拭する効果的な方法は、出来るだけ多くのクリスチャンが集団で集中して祈ることであると言っています。

 祈りの歩行は、敵との霊的戦いにおいて最も有効かつ重要な攻撃の手段ですから、敵を完全に制覇するまでは、その攻撃の手を決して緩めず、執拗に繰り返し攻撃する必要があります。第二次大戦で日本が敗戦したのは、何よりも圧倒的なアメリカ軍の物量作戦によってであると言えます。末期において、日本の大都市は何度も何度も後を絶たないアメリカ空軍のマス空爆を受けて弱り果てました。
 私たちだけの経験からしても、日本で今まで一番足繁く訪れているのは沖縄です。この10年間にグルーバー師と私たちと併せれば、少なくとも年2回ずつ沖縄を訪れて参りました。特に最近の数年、グルーバー師は沖縄だけに年一回訪れ、集中して祈りの歩行をして来ました。そして、その結果が今はっきり現れつつあります。勿論私たちの働きだけの結果ではありませんが、沖縄の霊的空気がはっきり変わって来ているのです。(間もなくこの春のグルーバー師訪問による沖縄レポートをご報告します)

そこで、私たちは皆様の街にトランスフォーメーションをもたらすために、改めてもう一度[祈りの歩行]の重要性を見直していただきたいと思います。特に皆様の地域の霊的空気を変えるためには、出来るだけ多くの人で、出来るだけ頻繁に歩いて祈る、つまり歩行の「量」がものを言うとすれば、一つの教会が孤立してその地域を歩くだけではなく(頻度を高めれば効果は十分ありますが)、むしろ同じ地域で牧会する、出来るだけ多くの教会と手を取り合って団結して歩行することによって、より以上の効果を上げることが出来ると思います。
又、地域の教会が団結して祈りの歩行をすることによって、「地域の教会が一致する」と言うトランスフォーメーションへの必須条件も満たされることになります。

 
最近報告されましたが、最初にトランスフォーメーションが起こった都市であるコロンビアのカリでは、あれだけ大きなリバイバルが起こって街全体がトランスフォーメーションされたにもかかわらず、10年後の今はクリスチャン人口が僅か10%弱に落ち込み、トランスフォーメーションの町とは似ても似つかない街になってしまいました。この間、当時の中心的指導者であったジュリオ・ルイーバル師が暗殺されたのをはじめとし、10人以上の中心的リーダーが次々と死んで行ったそうです。
どうしてそうなったのでしょうか。その第一の理由として明らかなことは、その街の人たちが敵の反撃を許してしまっていたことに原因があると信じます。つまり、「高いところ」(Ⅱ歴代誌20:33)が取り去られていなかったからではないでしょうか。戦いにおいて、敵サタンの要塞を一つ一つ完全に取り除く重要性がここにあると思います。グルーバー師の祈りの歩行の特徴の一つはこれです。

 しかし、それに加えてもう一つ重要な要素があると思います。今まで世界中で起こったどのリバイバルを見ても、総て線香花火のように数年で消えて行きましたが、それはなぜでしょうか。私たちの最終目標は永続的トランスフォーメーション(神の王国)を確立することにあります。そのためには私たちクリスチャン自身が先ず抜本的に変わる、つまりトランスフォームされなければならないと思います。そうでなければコロンビアのカリの街と同じ轍を踏むことになるでしょう。
それでは、私たちがどのようにトランスフォームされなければならないのでしょうか。それは、私たちは忠実な王国の戦士ですから、王の命令を毎日はっきりと受け取り、総司令官である王と緊密なコミュニケーションがとれるようになることです。
私は最近つくづく感じさせられていることは、クリスチャンが毎日主との深い霊的な交わりを持つこと無くして、最終的な勝利を得ることは至難な業であると言うことです。主と個人的に親しい間柄にならなくて、どうして主の思い、主の御心(命令)が分かるでしょうか。
「キリストのからだ」=教会が完全に一致出来るのは、お互いからだの部分(器官)同志が一致協力 するからではなく、それぞれの器官が司令官である「頭」の心や思いと一つになり、忠実にその命令に従うからです。

イエス様は宣教を開始して以来、徹底して「御国」(キングダム、神の王国)のミニストリーを説かれ、それをご自身で実行されただけではなく、それを私たちクリスチャンが実行出来るように弟子訓練をされました。この御国のミニストリーとは、神が人間を用いて直接すべてを支配される「アダムへの命令」(創世記1:27,28)の回復・実行・成就以外の何物でもないと思います。

ところで、私たちは今ホノルルの小さな教会に所属し、トランスフォーメーション・ハワイ(発足して2年)と言う大きなビジョンと目標の元に、身近な私たちの地域である「チャイナタウン」(商いと悪の巣窟)にある他のクリスチャン団体と共に「祈りの歩行」を始めました。最終的には「チャイナタウン」に隣接するホノルルのダウンタウン(政治・経済、企業の中心地区)に歩行の足を進め、次にワイキキ地区、そして島全体に広げて行く計画です。(終わり)


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18 11月

「罪を赦して歩く」


「人の子が地上で罪を赦す権威を持っていることを、あなたがたに悟らせるために。と言って、中風の人に、『あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家にかえりなさい。』と言われた。すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。」
(ルカ5:24)


イエス様は地上で罪を赦す権威を持っておられました。それを弟子たちに悟らせるために、その権威を行使するデモンストレーションを、この時にして見せたのです。それは、弟子に同じことをさせるためでありました。私たちはイエス様を通して「神の子」となり、総ての父の財産を、イエス様と共に共有相続者として相続する約束をいただいております。ですから、「罪を赦す権威」は私たちのものであり、弟子として私たちがイエス様の指示に従って、地上でこの権威を行使する任務が与えられているのです。
 癒しの業を行なうことは「あなたの罪は赦された」と言うのと同じであると、ルカ5:2に書いてあります。イエス様がこの世に人間となって来られた最大の理由は、人間が犯した総ての罪を赦すためでありました。そのために十字架につかれました。そして、私たちにもそれと同じこと、即ち「罪を赦すこと」をしなさいと言われるのです。それは弟子の義務であると思います。
「イエスは、多くの人々を病気と苦しみと悪霊からいやし、又多くの盲人を見えるようにされた。」(ルカ7:21)とありますが、病気、苦しみ、悪霊のわざわい、生まれつきの欠陥の総ては、人類が犯した罪に起因しており、イエス様はそれを赦すことによって癒されました。
 罪とその「のろい」をこの世から無くすことが、神の王国の最終目標です。私たち弟子はイエス様からその特命を受けているのです。
 
 罪と悪霊の束縛から人々を開放するために、私たちがどうしてもしなければならない大事な仕事があります。それは今までに犯された罪ののろいをこの地上から一掃することです。
罪が犯されると、その罪ののろいが犯された現場の地に残ります。そのことに就いて、カインが弟のアベルを殺した時、主はこう言われました。

「そこで、仰せられた。『あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。今や、あなたはその土地にのろわれている。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。それであなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」
(創世記4:10-12)


ヘンりー・グルーバー師は世界を歩く祈りの歩行者ですが、多くの場所で、過去に罪の無い人間が殺され、その血が流された土地で血が叫ぶのを聞いております。それが何百年前の出来事であっても、その場所に行ってその罪を赦さない限り、「のろいの叫び」は消えないと師は言われます。
そののろいが、カインの場合は、その土地を耕しても「力を生じない」不毛の地にしたと書かれておりますが、それと同じように、罪のない人の血が過去に流された場所では、そののろいとして、そこに住む人たちに色々な形で悪い影響を与え、「たたっている」例を日本でも多く見て参りました。

何故それが分かるかと言えば、そのような大きな罪が犯された場所は、多くの場合、結果的に悪霊の要塞となり、その地域に悪影響を及ぼしていることが明らかであるからです。
私たちの罪の上に悪魔はのさばります。元々罪の創始者である悪魔は、人間をそそのかして罪を犯させた結果、人間を支配するようになりました。土地の所有権に関しても同じことが言えます。元々この地球は、罪を犯す前のアダムに与えられた神様の神聖な土地でした。しかしアダムが罪を犯した結果、地球全体がのろわれました。そして悪魔は罪でのろわれた土地を、総て自分のものとしてその所有権を主張します。その上、人間がその地の上で大きな罪を犯せば犯すほど悪魔はその地を好み、そこを根拠にもっと大きな悪事を働こうとします。
悪魔がこの世を支配し、罪人と土地を呪縛出来るのは、全て人間が犯した罪の故です。過去に犯された全ての罪は、その罪の大小にかかわらず、必ずそののろいがその地に残り、そこに住む住民を苦しめます。下記の二つのみ言葉がそれを表していると思います。

 「地は嘆き悲しみ、衰える。世界はしおれ、衰える。天も地とともにしおれる。地はその住民によって汚された。彼らが律法を犯し、定めを変え、とこしえの契約を破ったからである。 それゆえ、のろいは地を食い尽くし、その地の住民は罪ある者とされる。それゆえ、地の住民は減り、わずかな者が残される。」
(イザヤ書24:4-6)

「あなたがたは、これらのどれによっても、身を汚してはならない。わたしがあなたがたの前から追い出そうとしている国々は、これらのすべてのことによって汚れており、このように、その地も汚れており、それゆえ、わたしはその地の咎を罰するので、その地は、住民を吐き出すことになるからである。」 
(レビ記18:24,25)


総ての土地ののろいは、イエス様の流された血潮によって既に赦されましたが、実際に誰かがその罪が犯された場所に行って、そこにイエス様の血潮を霊的に適用し、のろいの断ち切りを宣言しなければなりません。ある人たちは油を用意してそこにふりかけます。そのように、イエスの御名と流された血潮でそこで犯された一切の罪を赦し、洗い聖めなければ、のろいはそこにいつまでも残ります。そののろいがそこの住民を縛り、イエス様に対して盲目にし、福音を聞く耳をふさいでいるのです。

日本には、いくら宣教しても成果が上がらない不毛の地が至る所にあります。その大きな理由の一つは、その土地に強いのろいの影響が存在するからであると私は信じます。ですから、私たち弟子がその罪ののろいを断ち切って、過去の罪ののろいと言う呪縛から住民を開放する任務を持っているのです。

 イエス様は弟子を連れて町から町へと歩かれました。当時は車がないから歩くのは当たり前と言われるかもしれませんが、イエス様は、実は祈りの歩行をされたのであると私は思います。そして、イエス様が歩かれたところは聖められ、罪ののろいから開放されたと信じます。地域の祈りの歩行をぜひお勧め致します。(終わり)
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