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Walk With God Ministries


28 05月

あなたの夢を眠りから覚ませ!         ジョイ・レターナウー             2014年5月29日


あなたの夢を眠りから覚ませ!

 

ジョイ・レターナウー

 

創世記37:5「ある時、ヨセフは夢を見て、....」

私たちにはみな夢があります! 私たちの内のどこかに、心を情熱で燃やし喜びに溢れさせる何かがあります! それは古い夢かもしれませんし、新しい夢かもしれません。 それは冬眠状態で起こされるのを待っているのかもしれませんし、或いは人々に新しい命をまさに吹き込もうとしているところかもしれません。あなたの心の中にある夢がどのような段階であったとしても、今はその夢が目覚める awakening ための準備をする時です!

 

生き返ることができようか?

 

エゼキエル37:3「主は私に仰せられた。『人の子よ。これらの骨は生き返ることができようか。』」

今、私たちは主と共に 、私たちの夢の干からびた骨を見ています。敵はその夢を盗み、殺し、滅ぼそうとしました。神は私たちに「これらの夢は生き返ることができようか?」と聞かれます。主は私たちの答えを待っておられます。私たちは長引いた期待で病んでいる心からその問いに答えてはなりません。むしろ、私たちがすでに孕んでいるもの(主はそれをあなたと共に産み出すパートナーになるのを待っておられます)にむかって語りかけねばなりません。

 

御父は、あなたに対してあることばを語るというのではなく、あなたの内にすでにあるそのことばを呼び起こし召し出そうとしているのです。御父はあなたがもう一度夢を語り始め、一歩ずつ主と共にその夢を生き始めて完全に成就させるようにと願っています。期待が長引く前にあなたが持っていた喜びを取り戻してください。古い夢、死にかかった夢、休止状態の夢は、あなたが考えるよりも生きています。そしてあなたは自分で思っているよりもその夢を実現する力をうちに持っているのです。あなたの中には子供がいて、その子は夢を見る方法を知っているだけではなく、シンプルな信頼と信仰でそれを実現する方法をも知っているのです。

 

「タリタ、クミ」

 

私たちがエチオピアから引越す前に、私はまるで現実かのようなリアルで強烈な夢を見ました。主が私を埋葬場のような所に連れて行きました。そこには6つのひつぎが置かれていました。主はその中のある一つのひつぎに私を連れていき、「手を差し伸べていのちを預言しなさい。」と言われました。まだ夢の中だったのですが、私は主がすぐそばにおられることを身体で感じていました。私が手を差し伸べて語りかけると、 ひつぎの中の子供が起き上がりまっすぐに座りました。

 

私はこの子供の姿こそがこれからの時代の鍵となるものだと信じます。この夢から2年近くも経ち忘れかけた頃、 神はその夢の意味にいのちを与える言葉を、 マルコ5:41−42から語ってくださいました。「そして、その子どもの手を取って、『タリタ、クミ。』と言われました。(訳していえば、『少女よ。あなたに言う。起きなさい。』という意味である。)すると、少女はすぐさま起き上がり、歩き始めた。十二歳にもなっていたからである。彼らはたちまち非常な驚きに包まれた。」

 

このような子供こそが、私たちの夢がいのちを取り戻しこの世で実現されるための鍵となるのです。私たちの中にある夢が実際に叶い、その御国のリアリティーが表現されるためには、私たちはもう一度幼子のように御父と歩むことを学ばねばなりません。

 

イスラエル人がヨルダン川を渡って約束の地に入るときもそのようにしました。彼らは一歩、又一歩と、夢と約束の中へと入って行きました。川の流れに未だブレークスルーが起こる前に、彼らは最初の一歩を踏み出していました。すなわち、それが現実のものとなる直前に彼らは一歩一歩を既に踏み出していたのです。ー子供がするのはそういうことです!  御父は今、「若さ(若者)に溢れた」リバイバルを生み出そうとしておられると信じます。それはあなたの中にいる子供であり、そして又、あなたのすぐ横にいる若者です。両方とも「この時のために」起こされているのです。神は多くの場合、思いもよらないような人々や作戦を用いて動かれました。そして今も又、神はこの世の「からの器(2列王記4:3)」を探しておられるのです。それは私たちの考えているものとは全く異なる「神の最高のもの」を入れるスペースを持っている者たちです。

今はあなたの中にある子供のような信仰をよみがえらせる時です。その子はあなたの夢に語りかけて目を覚まさせ、あなたを力づけるのです。そして又、今はあなたの周りにいる若者を見つけ、夢を見るように励まし力を与える時でもあります!今という時は両者が共にもう一度夢を見る時です!

 

地に落ちる神の約束は一つもない

 

私が持っていた古い夢や神からの約束の中で、いのちを吹き返し以前より更に強くなったものが一つあります! それはサムエルの話から来ています。サムエルはあまり主の御声が聞かれなかった時代であったにもかかわらず預言者として立たされました。彼はまだ非常に若かったのでが、彼に与えられた使命を神と共に生き始めました。御父と共に働く子供としてです。それは彼にその資格とか悟りがあったからではなく、彼が「主に明け渡す」性質を持っていたからであり、それは母ハンナから受けついだものでした。

 

このようにサムエルは神の預言者として非常に若い時から主のために預言をしたのですが、彼について次のような証しがあります。「サムエルは成長した。主は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とされなかった。(1サムエル3:19)」

 

私はこのことに驚嘆します! 毎日の任務として神の代弁者として語り、地に落ちることばが一つもなかったということがあり得るでしょうか? 私たちは預言のことばをいとも簡単に口から出してしまうことがあります。しかし主のために預言をする任務を少年の時から与えられた者の言葉が、 無益に地に落ちることが一つもなかったというのです。なんとすばらしいことでしょうか。

もし神とサムエルとの間のことばが一つも地に落ちなかったのならば、神が計画された人々の人生の目的が一つとして地に落ちないということも大いにあり得るのではないでしょうか。

 

私たちの人生の目的は、それぞれに非常にユニークなものを神から特別に与えられいるのです。もしサムエルのことばが一つも地に落ちなかったとするならば、 神の子供であるならば誰であっても、その人の人生の目的が地に落ちることなどあるでしょうか? これこそ私たちが夢を持ち続けなければならない理由です!

 

あなたの中には他の誰もが持っていないユニークな目的があるのです。御父にとってあなたがどのような存在であるか、ということだけであなたには(ものすごい)価値があるのです。御父はあなたを無条件で愛しておられ、 あなたを信じています。私も信じています!御父はあなたをユニ—クで特別な目的へと召しておられるのです。

 

今はあなたの中にある夢を呼び覚ますときです。今は子供のように主を信頼して歩み、この世が示す夢ではなく、あなたの本来の夢を生き、あなたの目的が実現するのを見るときです。神があなたの中に入れた目的が、一つも地に落ちることがないように祈ります。今は夢を持つときであり、それはぼんやりと夢想することではありません。 実際にこの世でそれを最も必要とする人のために用いられるあなたに与えられた目的、使命を実現させる夢のことを言っているのです。

あなたがあなたの目的を生きることによって国が変えられることを想像してみてください! 目を覚ますことを選び取った者たちを通してその希望は息づくのです。(終わり)

Joey LeTourneau
M.A.R.K. 10:14 Family/Heavenly Hope Ministries
Email: joey.letourneau@gmail.com取った
Website: bringhishope.org / uncommonvision.org


20 05月

超自然の中を歩む     ジェラーム ネルソン         2014年5月21日


超自然の中を歩む

ジェラーム ネルソン

 

 

今日は、私が経験した中でも、かなり変わった神体験についてお話ししたいと思います。幻や瞬間移動などが私の人生に起こり始めたのは、私がボビー•コナーというすごい友人と知り合うようになってからです。

 

ボビーとあるカンファレンスで出会ったのは、私がミニストリーを始めたばかりの頃でした。集会が終わったとき、彼は私の前に真っすぐに歩いてきて、彼がこれからミニストリーをするいろいろな都市に一緒に来る気はないかと私に訊ねたのです。私は「Yes, Sir はい。」と答えたのですが、まさにその時点から彼の私への霊の分与が始まったのでした。

 

彼と私が一緒に旅をするとき、彼は何十年にも渉る預言のミニストリーで経験した逸話をよく話してくれました。彼とオランダでミニストリーをするために旅行をしていたとき、彼の経験した神との超自然的な出会いを全部と言っていいほど話してくれました。瞬間移動や天使の訪れを何回も受けた時のこと、更にはサタンが現れたときのことなどを彼はずっと話続けてくれました。本当にすごいことでした!

オランダでの集会の後、帰りの飛行機に乗り込む直前、ボビーは自分の多くの霊的経験をどうして私に話し続けたのか、という理由を明かしてくれました。

「ジェラーム、私がこの一週間ずっと何をしていたか知りたいですか?」と彼は訊きました。

「何ですか?」と私は言いました。

「私はあなたにずっと分与していたのです。『イエスのあかしは預言の霊です。(黙示録19:10)』」

 

そして彼は私への授業を続けました。「ジェラーム、君に理解して欲しいことがある。君は超自然の中を歩みたいかい?」

「ええ。」と私は答えました。

 

彼は言いました。「神のことを話しなさい。コロサイ人への手紙の中に、もしあなたが神について話すならば、もしあなたの心が常に上のものに目を留めているならば(そこはイエスが神の右座についておられる場所です)、あなたは天の心を持つ者になるのです。(コロサイ3:1−2参照)その時に天の門、扉、入り口が開かれて、あなたはそこを通って天に入っていけるのです。」

 

ボビーは、超自然の中に入っていくための啓示の門を開ける鍵を私に手渡してくれたのです。その鍵とはこれです:「イエスの証を語りなさい。そうすれば、あなたはもっと霊的体験をするようになります。」

 

私たちへのチャレンジ

 

私はこのレッスンの贈り物を受け取って家に帰りました。次の週末、私はクレイグという親しい友人と一緒にミニストリーのためにニュージャージー州に行きました。私は彼にボビーから教わったことを話しました。「クレイグ、私は先週ボビーから教えてもらったことがあるんだ。もし僕たちが神について話すならば、もし御国の業に従事しているならば、もし天のことをいつも考えているならば、私たちは霊の扉の中に入って行って超自然的なことを経験することができるんだよ。」

 

それで、私たち二人の間では神に関する話だけをすることに決めました。「家に着くまで神のことを話そう。今までに自分たちが見たすべての奇跡、神の訪れのこと、スミス•ウイグルワース(Smith Wigglesworth)やトッドベントリー(Todd Bentley)のことを全部話してみようよ。僕たちが知っている超自然的な中を歩んだ人たちのことを全部話して見よう。そして何が起こるか見てみよう。」私たちはニュージャージー州からカナダの西海岸にあるアボッツフォードまでの飛行機に乗っていたので、話す時間はたっぷりありました。

 

ニュージャージーからトロントまでの間、私たちは神のことを話し始めました。それからトロントで飛行機を乗り換えてアボットフォードに一番近いヴァンクーバーまで行きました。その間もずっと神に関することを話しました。突然、私たちの目の前に明るい閃光がパッ、パッと輝きはじめました。それを見たとき、天の領域が飛行機の中に入り込んで来たことを私は悟りました。そしてこの閃光は神から遣わされた天使だとわかりました。飛行機の中を動き回っている天使たちを見ていると、金粉が私たちの上に降っているのに気がつきました。

 

本当にすごかったです。ですから私たちはずっと話し続けました。霊的に生きることの素晴らしさ、神の臨在と力との出会い、そして御国が地に侵入してくることを話し続けたのです。

 

 

神が見せてくださるもので世界が変わる

 

私たちがバンクーバーに着いたとき、私の弟のジョシュが空港に迎えに来てくれました。車に乗るとすぐに、私は「君はきっと信じられないと思うけど、ボビー•コナー先生を通して語られた主の御ことばに従って、僕たちは神様に関する話だけをし始めたんだよ。そしたら何が起こったと思う? 天使たちが現れて金粉が飛行機の中に降り始めたんだ。メチャクチャすごかったよ。」と言いました。

 

ジョシュに話しているうちに車はバンクーバーの高速道路に入っていました。後ろの座席にいるクレイグをちらっと見た時、彼が驚いたような声を出しました。

「何だい?」と私は聞きました。すると彼が「今僕たちはミシシッピー州を走っているぞ! 何が起こってるんだ?!」と言うではありませんか。

 

私も窓の外を見ました。すると驚いたことには私も彼が見ているのと同じ景色を見たのです。私たちはもはやバンクーバーを走ってはいませんでした。どこか別の場所にいたのです。運転していた弟もまったく自分に馴染みのない道を走っていることに気がつきました。私たちは瞬時にして2700マイル離れた場所にいたのです。クレイグが窓の外を見ると、男の人が芝生を刈っているのが見えました。そしてそれはクレイグがかつてこの町で住んでいた時の幼なじみだということがわかったのです。私はまわりを見回して「これは全く奇妙な場所だ。」と思いました。

次の瞬間、私がクレイグの方に振り向いた途端、私たちはバンクーバーの高速道路に戻っていました。クレイグは家に帰って数日後にミシシッピー州の友達に電話をして聞きました。「この前、君は芝生を刈っていただろう?」するとその友達は「そうだよ。」と言うので、クレイグはその友達にその庭の様子などを正確に言ってみせたのです。

 

このような経験に目的があるのでしょうか? この経験は何のためだったのでしょう? 神は今、「超自然を自然で当たり前のこと naturally supernatural」として生きる世代を建て上げておられるのだと私は信じます。それは神との親密さと御声に聞き従うことから生じる生き方であり、まさに天の霊的領域に入っていく鍵となるものです。

 

ヘブル13:8に神は昨日も今日も永遠に変わらないと書かれています。神は決して変わることがないのです。神が聖書に書かれている昔に、エリヤやピリポ、そしてイエスまでも瞬間移動されたとするならば、今日もそれと同じことをされるのではないでしょうか? 神はご自分の友とされる人々にお見せになることを、私たちにも見せて下さったのだと私は信じます。又、神は今から天を開き始められ神の民を訪れてくださると信じます。

神はあなたが神のみ心をさらに知り、次にそのみ心を人々に解き放つことを望んでおられる故に、神との出会いをあなたに経験させたいと願っておられます。神はあなたを訪れたいのです。神はあなたに天使との出会いを与えたいのです。神はあなたに夢やヴィジョンを与えたいのです。あなたが神と親密になり、神に従順であり、神について語り、神が今までにして下さったこと、今しておられることの証をいつも考えているならば、あなたは更なる神との出会いを体験するようになるでしょう。(終わり)

 

Jerame Nelson
Living At His Feet Ministries
Email: admin@livingathisfeet.org
Website: livingathisfeet.org


15 05月

おばあちゃんたちの出番   ジュリア・ローレン   2014年5月16日


おばあちゃんたちの出番 (Grandmas Are Coming)

ジュリア・ローレン

 

私が目を覚ましかけでまだ半分寝ぼけているとき、天使が耳もとで「おばあちゃんたちがやってくる。」とささやいたように思いました。見ていた夢はもう終ると思ったので無視しようとしたのですが、次の朝もまた同じことばを聞いたのです。そして次の朝も。そこで私はやっとちゃんとベッドに起き上がり、主が語っておられることばを全部聞くことにしました。そして一週間前に主の御ことば全部をはっきりと知ることができました。次のように主が言われていると信じます。

 

「おばあちゃんたちがやってきます。今、霊で物事を見はじめた若いおばあちゃんや、ずっと霊で見て来た年取ったおばあちゃん達です。彼女たちの啓示的な洞察が前面に表されてきます。人生の様々な煩雑さがなくなってきたからです。

 

瞬時にして敵の抑圧の重い天井が砕かれ、おばあちゃんたちは天の領域に上っていき、今まで以上にはっきりと見えるようになります。あなたの霊を高く舞い上がらせなさい! もう以前のようではないのです。長年の艱難や労苦により、あなたの祈りや養い育てる手は今や新しい香りを放ち、これからのあなたの人生に喜びを与えます。

 

あなたは『アンナの油注ぎ』を受け取る年齢になりました。この油注ぎは、 受け取りたいと願うすべての人のために、もうすでに注がれ始めています。これは、赤ちゃん、子供、ティ-ンエイジャー、若者の中にある、目には見えない可能性を見て、それを呼んで引き出す油注ぎであり、それを願う人は誰でも受け取れるのです。それは神殿に来た幼子イエスの中に世の光を見たアンナのようです。あなたの年齢の故に、あなたは人々から受け入れられます。そしてあなたの油注ぎの故に、あなたの言うことに人々は耳を傾けます。

 

それはやさしい油注ぎです。それは幼児の心(或いは子供のミニストリー)に命を吹き込み、優しく育てる油注ぎであり、背後で祝福しとりなしの祈りをするものです。幼子にある可能性をあなたが見たとき、前に出て直接指図をしたり面倒を見たりするのではありません。これはおばあちゃんに与えられた自由であり、他の人の子供(或いは子供のミニストリー)に食べさせたりお世話をする責任を負うことなく、祝福することができるのです。子供の中に何があるのかを見て、それを生み出すのはおばあちゃんたちの喜びです。」

 

ルカ2:36-38に祈りをもって神に仕えていたアンナのことが書かれています。「ちょうどこのとき、彼女はそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。」

アンナはこの幼子の真のアイデンティティーをどうして悟ることができたのでしょうか? それは彼女が祈りを通して神の臨在を常に感じとることができるようになっていたからです。祈りはアンナと神との間の親密な会話でした。神は彼女と常に共にいてくださり、彼女との親しい関係の故に祈りの中で神の奥義を語ってくださっていたのです。(ルカ8:10参照)

ですから、もしあなたがおばあちゃんならば、今はあなたの回りにいる子供や若者の中にある、目には見えないものを見て、それを引き出す時なのです。この世はあなたを必要としています。子供の中にあるものは、あなたの祈りによって呼び出され、解き放たれるのを待っているのです。(終)

 

Julia Loren
Julia Loren Ministries / Blue Moth Media
Email: bluemothmedia@yahoo.com
Website: julialoren.net / bluemothmedia.com

Julia Loren is a prophetic author of several books including Shifting Shadows of Supernatural Power, Claim Your Anointing and The Future of Us: Your Guide to Prayer, Prophecy and the Coming Days. She lives on an island in the Pacific NW.


06 05月

わたしのものを返しなさい      グラハム・クック     2014年 5月7日


わたしのものを返しなさい

グラハム・クック(Growing Up in Godセミナーより抜粋)

 

私はドリーマーで、毎晩のように夢を見ます。夢の中で私は神に会うのです。神は夢や幻を通して私たちに語ってくださる方ですね。時として私は夢の中で変えられていき、夢から覚めたときには変革されていることさえあります。そしてそれは私にとってすばらしい祝福となります。

 

私はある夢をシリーズとして毎晩のように見ました。その夢は私が天国の丘の上のテントの中で布地をはった木の洒落た椅子に座っているところからいつも始まります。私の前にはすばらしい食卓が用意されていて、椅子は座り心地がよく、暖かく気持よいそよ風が吹いているすばらしい場所でした。私はそこでイエスと会っていろいろな話をするのです。主はいつも私に会いに丘を登ってこられるのですが、必ず数百人もの大勢の人たちを連れてこられます。子供からおばあさんまでのいろんな人たちが主の回りを踊りながら一緒に登ってくるのです。そしてこれは主にしか出来ないことですが、主は何十人という人と同時に会話をしながら来られます。主は本当にうれしそうな様子でした。人々も主を喜び主と共にいることを楽しんでいました。やがて主は私を見あげ、「直ぐ行くからね。」という合図をされます。そして私のそばに来て座られるのです。主と私は話し始めるのですが、あるときは一日中、あるときは数日に話すのです。私は夢の途中で目を覚ますと、それを何時間もかかって書きとめます。私が集会でお話しすることの多くはそのノートから来ているのです。神はそのような出会いを愛しておられます。神のなさることは何によっても制約されることはないのです。どのような方法でもお用いになれるのです。

 

ある時のこと、夢の中で私はいつものように丘の上に座って主を待っていました。主が登って来られるのが見えましたが、不思議なことにお一人でした。微笑んでもおられません。行進するようにどんどん登ってこられます。その様子を見て私は、「私は何か悪いことをしたのだろうか?」と思いました。主は私のいるテントの中に入ってこられ、ぐっと私を睨みつけられました。

 

「グラハム、わたしのものを返してくれ!」と主は言われました。

「すみません、主よ、何のことかわかりません。どういう意味ですか?」と私は困惑して訊ねました。

「グラハム、わたしのものを返してくれ!」

「何のことでしょうか。私が持っているものは全部主がくださったものです。」

「わたしはあなたにそれを上げてはいない。わたしのものだ、返してくれ!」

「主よ、おっしゃることがわかりません...」

「ぐずぐずしないで早くしてくれ、わたしのものを返しなさい!」

私は殆ど泣きそうになって言いました。「主よ、何のことでしょうか?」

主は言われました。「その悩み、その恐れ、その心配、その苦々しさ、その怒りのことだ。わたしはそのために死んだのだ。わたしはその代価を払った。だからそれはわたしのものだ。わたしのものを返してくれ!!」

 

私は泣きながらくずおれて、「ああ、主よ、何ということでしょう。何ということでしょう。」と何度もつぶやきました。 心配したり、怒ったり、恐れたりしたときのことを私は全部思い出しました。目の前に見ることができました。「主よ、赦してください、ごめんなさい、本当にごめんなさい。わかりました。わかりました。それはみんなあなたのものですね。私のものではありませんでした。私が持つべきものではありませんでした。」

 

主を見上げると、主はにっこり笑われました。改めて今一度救いを得たような感じでした。主は笑って私を抱き上げ、私の両頬にキスをしてくださいました。そして私の目をじっと見て「息子よ、もしあなたがこれらの物を又わたしから取り返し続けるならば、あなたはわたしが望むような人には決してなれないのです。『わたしの前に置かれた喜び』とはこれなのです。わたしが十字架につくことによって、あなたを痛めつけているすべてのものを拭い去ることができる、あなたの人生のすべての負の部分を取り去ることができる、あなたが心配したり、あせったりする 可能性をすべて取り去ることができる、という喜びを知っていたということなのです。

 

あなたは最早、恐れたり、怒ったり、心配したりする必要は一つもありません。わたしはこれらすべてのことをあなたから取り去ることができるのです。あなたは二度とそのようなことを経験しなくてもいいのです。わたしはそのようなものの考え方、見方、話し方、生き方から完全にあなたを解放します。わたしはそれを可能にすることを本当に喜んだのです。それ故にわたしは十字架について死ぬことを心から喜んだのです。十字架の上で考えていたのはそのことです。わたしは御父と切り離されることほどの恐ろしいことは経験したことはありませんでした。しかしあなたが御父から切り離されることは今後絶対にないことを知っていたので、わたしは十字架についたのです。そしてわたしはあなたから、心配、焦り、恐れ、すべての否定的思いを抱く力を取り去ったのです。グラハム、わたしのものを返してください。あなたの持ち物ではないのです。あなたは持つことができないのです。わたしのものです。返しなさい。もしわたしに返すならば、そしてそのライフスタイルを止めるならば、わたしはあなたが成長する度合いを加速させます。」と主は言われました。

 

平安があなたの成長を加速させるのを知っていますか? 喜びもそうです。だから、あなたはすべてのことに喜びを見出すべきなのです。そうすればあなたはもっと早く成長するからです。愛も成長を加速させるものです。あなたが受け入れられ愛されていることを知ると、あなたの中の何かが変ります。その時、あなたはもしかして生まれてはじめてリラックスできるのです。あなたは自分に価値があることを証明する必要がないからです。あまりうまくやれていないと思うときも、価値がない者のように生きる必要はないのです。あなたは自分が受け入れられていて、愛されていることを知っているからです。

 

もしこれが真理ならば、あなたが一番愚かでまぬけな日にも真理でなければなりません。その日のために用意された真理だからです。主の慈しみはあなたの最悪の日のために用意されているのです。あなたの最高の日のためではありません。神はあなたのすべての必要を、それがどんなことであっても、キリストにあって満たしてくださる方なのです。恵みとは、あなたに力を与える神の臨在です。それによってあなたは、神があなたを見たときにあなたの中に見てくださる人物へと成長できるのです。神があなたをご覧になるまなざしは、あなたに自分自身を好もしい、愛しい、と思わせるものなのです。(終)