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Walk With God Ministries

06 5月

わたしのものを返しなさい      グラハム・クック     2014年 5月7日


わたしのものを返しなさい

グラハム・クック(Growing Up in Godセミナーより抜粋)

 

私はドリーマーで、毎晩のように夢を見ます。夢の中で私は神に会うのです。神は夢や幻を通して私たちに語ってくださる方ですね。時として私は夢の中で変えられていき、夢から覚めたときには変革されていることさえあります。そしてそれは私にとってすばらしい祝福となります。

 

私はある夢をシリーズとして毎晩のように見ました。その夢は私が天国の丘の上のテントの中で布地をはった木の洒落た椅子に座っているところからいつも始まります。私の前にはすばらしい食卓が用意されていて、椅子は座り心地がよく、暖かく気持よいそよ風が吹いているすばらしい場所でした。私はそこでイエスと会っていろいろな話をするのです。主はいつも私に会いに丘を登ってこられるのですが、必ず数百人もの大勢の人たちを連れてこられます。子供からおばあさんまでのいろんな人たちが主の回りを踊りながら一緒に登ってくるのです。そしてこれは主にしか出来ないことですが、主は何十人という人と同時に会話をしながら来られます。主は本当にうれしそうな様子でした。人々も主を喜び主と共にいることを楽しんでいました。やがて主は私を見あげ、「直ぐ行くからね。」という合図をされます。そして私のそばに来て座られるのです。主と私は話し始めるのですが、あるときは一日中、あるときは数日に話すのです。私は夢の途中で目を覚ますと、それを何時間もかかって書きとめます。私が集会でお話しすることの多くはそのノートから来ているのです。神はそのような出会いを愛しておられます。神のなさることは何によっても制約されることはないのです。どのような方法でもお用いになれるのです。

 

ある時のこと、夢の中で私はいつものように丘の上に座って主を待っていました。主が登って来られるのが見えましたが、不思議なことにお一人でした。微笑んでもおられません。行進するようにどんどん登ってこられます。その様子を見て私は、「私は何か悪いことをしたのだろうか?」と思いました。主は私のいるテントの中に入ってこられ、ぐっと私を睨みつけられました。

 

「グラハム、わたしのものを返してくれ!」と主は言われました。

「すみません、主よ、何のことかわかりません。どういう意味ですか?」と私は困惑して訊ねました。

「グラハム、わたしのものを返してくれ!」

「何のことでしょうか。私が持っているものは全部主がくださったものです。」

「わたしはあなたにそれを上げてはいない。わたしのものだ、返してくれ!」

「主よ、おっしゃることがわかりません...」

「ぐずぐずしないで早くしてくれ、わたしのものを返しなさい!」

私は殆ど泣きそうになって言いました。「主よ、何のことでしょうか?」

主は言われました。「その悩み、その恐れ、その心配、その苦々しさ、その怒りのことだ。わたしはそのために死んだのだ。わたしはその代価を払った。だからそれはわたしのものだ。わたしのものを返してくれ!!」

 

私は泣きながらくずおれて、「ああ、主よ、何ということでしょう。何ということでしょう。」と何度もつぶやきました。 心配したり、怒ったり、恐れたりしたときのことを私は全部思い出しました。目の前に見ることができました。「主よ、赦してください、ごめんなさい、本当にごめんなさい。わかりました。わかりました。それはみんなあなたのものですね。私のものではありませんでした。私が持つべきものではありませんでした。」

 

主を見上げると、主はにっこり笑われました。改めて今一度救いを得たような感じでした。主は笑って私を抱き上げ、私の両頬にキスをしてくださいました。そして私の目をじっと見て「息子よ、もしあなたがこれらの物を又わたしから取り返し続けるならば、あなたはわたしが望むような人には決してなれないのです。『わたしの前に置かれた喜び』とはこれなのです。わたしが十字架につくことによって、あなたを痛めつけているすべてのものを拭い去ることができる、あなたの人生のすべての負の部分を取り去ることができる、あなたが心配したり、あせったりする 可能性をすべて取り去ることができる、という喜びを知っていたということなのです。

 

あなたは最早、恐れたり、怒ったり、心配したりする必要は一つもありません。わたしはこれらすべてのことをあなたから取り去ることができるのです。あなたは二度とそのようなことを経験しなくてもいいのです。わたしはそのようなものの考え方、見方、話し方、生き方から完全にあなたを解放します。わたしはそれを可能にすることを本当に喜んだのです。それ故にわたしは十字架について死ぬことを心から喜んだのです。十字架の上で考えていたのはそのことです。わたしは御父と切り離されることほどの恐ろしいことは経験したことはありませんでした。しかしあなたが御父から切り離されることは今後絶対にないことを知っていたので、わたしは十字架についたのです。そしてわたしはあなたから、心配、焦り、恐れ、すべての否定的思いを抱く力を取り去ったのです。グラハム、わたしのものを返してください。あなたの持ち物ではないのです。あなたは持つことができないのです。わたしのものです。返しなさい。もしわたしに返すならば、そしてそのライフスタイルを止めるならば、わたしはあなたが成長する度合いを加速させます。」と主は言われました。

 

平安があなたの成長を加速させるのを知っていますか? 喜びもそうです。だから、あなたはすべてのことに喜びを見出すべきなのです。そうすればあなたはもっと早く成長するからです。愛も成長を加速させるものです。あなたが受け入れられ愛されていることを知ると、あなたの中の何かが変ります。その時、あなたはもしかして生まれてはじめてリラックスできるのです。あなたは自分に価値があることを証明する必要がないからです。あまりうまくやれていないと思うときも、価値がない者のように生きる必要はないのです。あなたは自分が受け入れられていて、愛されていることを知っているからです。

 

もしこれが真理ならば、あなたが一番愚かでまぬけな日にも真理でなければなりません。その日のために用意された真理だからです。主の慈しみはあなたの最悪の日のために用意されているのです。あなたの最高の日のためではありません。神はあなたのすべての必要を、それがどんなことであっても、キリストにあって満たしてくださる方なのです。恵みとは、あなたに力を与える神の臨在です。それによってあなたは、神があなたを見たときにあなたの中に見てくださる人物へと成長できるのです。神があなたをご覧になるまなざしは、あなたに自分自身を好もしい、愛しい、と思わせるものなのです。(終)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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