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Walk With God Ministries


25 03月

アメリカは「復活祭の日曜日を機に休止状態の経済は 回復に向かう」と大統領はいう     坂  達 也        2020年3月25日


アメリカは「復活祭の日曜日を機に休止状態

        の経済は回復に向かう」と大統領はいう

             

 

                    坂  達 也

 

 

 FOX NEWS による先週末の報道によれば、テレビで有名な Dr. Oz は、フランスの医師が二つの既存薬、一つはマラリヤ熱に有効な薬 であるHYDROXYCHLOROGINE、もう一つは既存のフルー(流感)に効くという薬、 AZITHROMYCIN の二つの薬を、既に30人以上の陽性コロナ患者にコンビネーションで与えた結果が、驚くべきことに、全員投薬後6日目に陽性が陰性になったと発表しました。但し、その報道の終わりに Dr. Oz は、患者でない一般の人が、万が一のために買いだめをすれば、限りがある既存の在庫がたちまち無くなるので、それだけは絶対にしないで欲しいと要請しました。

 

 その Dr. Oz が、本日のインタビュー記事で、トランプ大統領が既に発表した「4月12日のイースター(復活祭)日曜日までには、現行のコロナウイルス危機によって全ての経済が一時停止している状態から一歩抜け出す兆しが起こる、そして解除に向かうであろう。」と言うトランプ大統領の明るい見通しをどう思うかと言う質問に対して、「それは充分にあり得る」と答えています。

 

 それと同時に、複数のアメリカの薬学研究機関でも同じようなテストが既に始められていて、また、ワクチン開発も進行していると言われるのです。そして、これらの既存薬・適用のアイデアの元は、中国からであるそうです。

 

 私はこの一大危機に際して、目下たけなわのアメリカ大統領選で真っ二つに割れているアメリカ、特に上下両院の政治闘争とメデイア闘争を巧みにリードして、過去になかったような思い切った多額の国民経済援助を通過させようとしているトランプ大統領の努力は高く評価されつつあります。

 私は、前から申し上げているように、トランプ大統領をこの世に送ったのは間違いなく神の叡智による「ご計画」であることを今回改めて確信しました。

 

 

神は私たちの信仰と愛を試されている

 

 最近のブログでリック・ジョイナー師が言っていましたが、師が、主に「何とかこの世界的なウイルス危機を止めて下さるように」祈った処、その祈りだけはしないようにと、はっきり御声が聞こえるな強さで止められたそうです。

 そして師は、イザヤ書40:31「主を待ち望む者は・・・」、詩篇23:2「主は私を緑の牧場に伏させ・・・」また、ヘブル4、5章、特に4:1「こういうわけで、神の安息にはいるための約束はまだ残っている・・・」を引用して、「安息をもって(安心して)主を待ち望むこと」の大切さ、それが今回の全世界にまん延する深刻な感染病の大流行(pandemic) を与えた目的であると言われたそうです。

 このような pandemic は、確かに私たちに恐れを起こさせます。しかしクリスチャンにとっては、恐れを持つ必要は全くないのです。そのことが1ヨハネ4:16−18に次のように書かれていることを思い出して下さい。

 

 「私たちは、私たちに対する神の愛を知り、また信じています。神は愛です。愛のうちにいる者は神のうちにおり、神もその人にうちにおられます。このことによって、愛が私たちにおいても完全なものとなりました。それは私たちがさばきの日にも大胆さを持つことができるためです。なぜなら、私たちもこの世にあってキリストと同じような者であるからです。愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」

 

 ですから主は、今回だけではありません、歴史上、今回に匹敵するような恐ろしい伝染病を人類に何回も与えて来られました。それは特に、私たちクリスチャンが真に主キリストを愛し、主への絶対の信仰を持つているかどうかを試すためのテストであると思います。

 

 私たちの住むニューヨークの北の地域は、今アメリカで一番コロナウイルスの危険区域と言われています。そんな中で、孫たちの学校が休校になって二週間経ちました。そこで今は、私たち家族、特に別に住む私と一緒に家の中で集まるのは控えていますが、先週末はたまたますばらしいお天気でしたので、子供二人は自転車と手押しスクーターに乗り、私たち大人3人は2メートルほど離れて、話し合いながら、渓流の側の6−7メートルほどの幅のある散歩道を楽しく日光浴をして歩きました。多くの家族が同じようにやって来て賑わう中でも本当に楽しそうでした。

 私は今の世の中は、あまりにも目まぐるしく、忙しくなり過ぎていて、特に家族が親しく交わり、リクリエーションをする機会が非常に少ないということに気が付き、そんな時にこのように家族が楽しく交わへることを心から神に感謝しました。クリスチャンの家族が、家族だけで聖書を読んだり、祈り合う機会が与えられ、生活が非常に充実したという方々も多くいます。まるで時計を100年も200年も前に戻した家族中心の世界です。ハレルヤ(終わり)


19 03月

「主と共に歩く」時がやって来た!(3)               坂  達 也     2020年3月19日


「主と共に歩く」時がやって来た!(3)

 

                 坂  達 也

 

 

 本日3月20日(日本時間)のアメリカの様子をご報告します。

 

 昨日は、アメリカ中がコロナウイルス問題で完全にパニック状態になっていましたが、今日は一変して、全体のムードとしてはかなり落ち着いて来ました。その形容の仕方が「例えこのウイルスに罹ったとしても、その病状は高熱とか咳が出る程度で、大した事はないー英語でマイルドと言う形容詞を使っていますー、しかも多くの人が2−3週間で治ってしまうと言う受け取り方です。

 

 確かに高齢者では死亡率が罹った人の55%となっていますが(これはアメリカだけでの話です)といって40歳以下の若い人でも死亡率は15%と言います。

 しかし概算で、目下世界中で十五万人がこのウイルスに罹り(検査して陽性と出た人)そのうち5,800人が死亡、残りの14万4千人の約半数の7万人が数週間で治ってしまっていると言う感じ(報道の仕方)です。実際には、検査をしない人も多く、その中には罹った人もいるし、しかし、知らないうちに治ってしまっている人も多いとみれば、確かに「それほど大した事はない」とかなり安心するムードでしょうか、

 加えて、ワクチンの試験的製造もどんどん進み、今やアメリカの製薬会社とか研究機関では、早いところで既に1、2社が人間に投与し始めました。

 

 従って私自身昨日申し上げたように、最初に紹介したショーン・ボルツ師の預言はかなり正確な預言であったと思います。

 

 取り急ぎ以上ご報告とします。(終わり)


18 03月

「主と共に歩く」時がやって来た!(2)                  坂  達 也        2020年3月18日


「主と共に歩く」時がやって来た!(2)

 

                 坂  達 也

 

 

3月18日の掲題のメッセージに追伸として加えさせていただきます。

 

1)ボルツ師の預言に関しては、今のところの結論として、私はこのコロナウイルスの問題はあと1−二ヶ月で峠を越え引潮になると言う預言は正しいと信じます。リック・ジョイナー師もそのような感じで進行してゆくと見ています。但しすぐ終わる訳ではなく、流感と同じで夏は一時的に消えても翌年冬に再発することが予期され、しかしそれまでにはワクチンが出て来ることを期待したいと思います。

 特にワクチンの開発は目下アメリカでも2−3社が開発を終えて人体実験を始める段階に入ったと言い、世界中でどんどん開発が急がれていますから、暖かい季節を迎えることも考慮して次第に静まる方向に行きそうです。

 

2)アメリカ国内の情報は明日改めてご報告します。

 

3)私はこのWWGMのブログは、毎週一回を目標として来ましたが、現在は非常事態でもあり、必要に応じて毎日でもメッセージを書かせていただきます、従って少なくとも明日は別のレポートを出しますのでご高覧ください。

 

 以上です。


18 03月

「主と共に歩く」時がやって来た!                  坂  達 也     2020年3月18日


「主と共に歩く」時がやって来た!

 

                 坂  達 也

 

 

 今回のコロナ・ウイルス騒ぎは一体何を意味するのでしょうか。私はショーン・ボルツ師の預言をご紹介しましたが、今世界中が、世の終わりが来るかのような前代未聞の恐慌に襲われています。

 この新しい疫病によって、世界中の国で、既に多大な人の命が取られているだけでなく、それが止まるところが見えない状況にあります。それだけではありません。世界中の交通機関から教育制度に至るまで完全に麻痺状態にあり、加えて経済面でも、あらゆる地域、業種、階層において、未だかってなかった程の打撃を受け、それによる政治の困難と混迷は、遂に人々を混乱と恐怖のどん底にまで落とし込んでいると言って過言ではありません。

 

 それが何を意味するのでしょうか? 本当に「世の終わりの裁きの時」が間近であることを思もわせることが今起こっているーーそれは確かです。しかし、世の終わりが来る前に、主が一大リバイバルを起こされることも、それと同じ位確かなことであることは、クリスチャンであれば知らない人はいない筈です。なぜなら聖書にそれが、繰り返し、はっきりと書かれているからです。

 加えて、その一大アウエイクニングとリバイバルがいよいよ2020年から始まるーいや、既に始まっていると、多くの預言者が語っていることもご紹介しました。

 

 私は、そのリバイバルが始まるに当たっての「警鐘のラッパ」が今高らかに鳴らされているーーそれがコロナ・ウイルス騒ぎであると信じます。

 

 今の世界情勢は極端に言えば、人間はこれから一ヶ月後、或は1分後ですら何が突発的に起こるかも分かりません。しかし主はいつも何事もご存知です。そうであるなら、私たち、特にクリスチャンにとって 絶対安全で、ベストで、しかも確実な方法が一つだけあります。それは「主と共に歩く」ことです。

 

 私たちはいつも主に寄り添って全てにおいて何をしたら良いかを主に聞き、会話しながら歩く位、間違いのない生き方はありません。ーそれはちょうど、よちよち歩きの幼い子供に親が側に寄り添い、手を取って歩く姿と似ています。主もそれを何よりも望んでおられるのです。

 

 実は、それをモットーとし、また目標として掲げ、私たちのミニストリー名は Walk With God Ministries と名付けられましたが、今程それが必要である時代は過去にはありませんでした。どうぞすべてを主に聞いて聖霊の油注ぎの中ですべてを行おうではありませんか。

 

 また、その「主と共に歩む」ことをイエス・キリストご自身が、ヨハネ5:19、20で示してくれました。

 「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。それは、父が子を愛して、ご自分のなさることをみな、子にお示しになるからです。・・・」

 これは私たちが通常、神の示されることを夢とか幻で見て預言的に受け取り、それに従って「預言に忠実に生きなければならない」ことを示していないでしょうか。正確な預言を個人的にも毎日受け取らねばなりません。同時にまた、間違いのない預言者からの預言も常に吟味して求め、受け取って生きなければならないことを意味しています。自分の思い、希望、考えだけで生きてはいけないのです。

 その主の言われることに忠実に従いながら行動することの重要性と方法を使徒のペテロから学ぶことができます。

 

 

ペテロのやり方で物事を進めよう

 

 弟子たちがイエスが水の上を歩いているのを見て、ペテロが「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになって下さい。」とお願いし、イエスが「来なさい。」と言われたので、ペテロは水の上を歩いてイエスの方に行ったのです。(マタイ14章)

 

 ところがです。風が吹いて来て怖くなったので、彼は沈みかけました。そこでペテロは「主よ。助けて下さい。」と叫び、イエスは、すぐに手を伸ばして彼をつかんで「信仰の薄い人だな。なぜ疑うのか。」とペテロを諫めましたね。

 

 この話でご注目いただきたいことは、ペテロは自分の考えで水の上を歩いたのではないことです。私たちクリスチャンは、自分の考えで行動することは絶対に禁物であるのです。(ほとんどの人は自分が生きています。そのようなクリスチャンを別名、宗教的クリスチャンと言う事はご存知ですね。)であれば、たとえ自分でも水の上を歩きたいと思っても、「先ず主に聞いて、主の命令に従う形でしか、ことを起こさない」ーこれがクリスチャンの鉄則であることです。その理由は、 私たちは主と共に死んで主と共によみがえった人間であるからです。あるいは「イエスにおいて」しか生きない人間であるからです。

 

 このお話は今起こっているコロナ・ウイルスに少しでも恐れを持つ者(私も含め)に当てはめられます。神がこのウイルス旋風を世界に与えた理由と目的がここにあると私は思います。

 これは、人間なら誰でも真に神に頼る信仰を持たない者は生き残れないことを世に示しておられるーすなわち、これから主が起こされる大アウエイクニングには、真の信仰を持つていない単なる「宗教的なクリスチャン」も霊的喚起が絶対に必要であるということであり、そのようなアウエイクニングされたクリスチャンこそが、これから起こる最後の大リバイバルを主にあって起こし、ボブ・ジョーンズ師の言われる10億の未信者を導くために絶対に必要であることを、主は示しておられると信じます。

 古い言い方で恐縮ですが、言ってみれば、大リバイバルの宣戦布告に際しての戦う勇士への「赤紙召集」であると私は考えます。

 最後に神は、ご存知のように、私たちクリスチャンの信仰がいかに重要であるかを、詩篇91で教え、強調しておられることにご注目下さい。

 詩篇91:1−11「いと高き方の隠れ場に住む者は、全能者の影に宿る。

  私は主に申し上げよう。「わが避け所、わがとりで、私の信頼するわが神」

  と。

  主は狩人のわなから、恐ろしい疫病から、あなたを救い出されるからであ

  る。

  主は、ご自分の羽で、あなたをおおわれる。

  あなたは、その翼の下に身を避ける。

  主の真実は、大楯であり、とりでである。

  あなたは夜の恐怖も恐れず、昼に飛び来る矢も恐れない。

  また、暗やみに歩き回る疫病も、真昼に荒らす滅びおも。

  千人が、あなたのかたわらに、万人が、あなたの右手に倒れても、

  それはあなたには、近づかない。あなたはただ、それを目にし、

  悪者への報いを見るだけである。

  それはあなたが私の避け所である主を、

  いと高き方を、あなたの住まいとしたからである。

  わざわいは、あなたにふりかからずえやみも、あなたの天幕に近づかない

  まことに主は、あなたのために、御使いたちに命じて、すべての道で、

  あなたを守るようにされる(終わり)


26 11月

2018年秋の日本訪問を終えて(3)          坂  達 也   2018年11月25日


2018年秋の日本訪問を終えて(3)

 

         坂  達 也

 

 

霊の目が見え、霊の耳が聞こえるようになる訓練

 

 エペソ人への手紙1:18に「あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって・・・」と書かれていますが、それがどういう意味かお分かりでしょうか。喩えるならば、あなたが誰か高貴な人を後ろの座席にお乗せして車を運転しているとします。その時あなたは後ろは見えなくても、そこにその方がいることを実にリアルに感じるはずです。その方がイエス様であれば尚更です。これは「あなたが主の臨在を心の目で見ているから」と言えないでしょうか。そうであれば「心の目で見る」こととは、そんなに難しいことではないはずです。

 しかし主は「・・・彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。」(マタイ13:13)と嘆かれました。その後に続いて「あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見ているが、決してわからない。この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。」と主は叱責され、イザヤ6:9の預言が成就したと言われました。この叱責は私たち多くのクリスチャンに対して当てはまります。

 これからしても先週の報告(2)の冒頭で私が述べたように、人間がこの世に生まれた目的を果たすためには私たちの霊の目と霊の耳を訓練することがまず最低限必要であることが分かります。そして、多くのクリスチャンは分かってはいても、いつまでたってもそれができないのです。「でも私は聖書を既に何度も読んだのになぜできないのか」と言われるかも知れません。その理由は、聖書を只読むだけでは単に頭の知識として知っているだけで「絵に描いた餅」に過ぎず、実際に訓練しなければ「霊の目、霊の耳」は出来てこないのです。

 それではどうすればよいのでしょうか。それは全ての技術習得に通じますが、訓練です。そこで私は今回の旅行でその訓練の方法の一例として私自身の経験をお分かちしました。

 

霊的な意識と感覚を磨ぐ訓練

 

1)先ず第一に「私はどうしても主の御声を聞きたい、御姿を見たい」と日夜願い、主にしつこく嘆願することから始めなければなりません。断食祈祷もよいでしょう。問題は「やる気」と「決意」です。それには持続する情熱が必要です。

 

2)次にどこに行くにも必ずノートと筆記用具を携帯する。特に、寝る前にベッドの横にノートを用意しておくことから始めてください。その理由は、人間は自分の意思とは無関係に夢を見ますが、時に神は夢とか幻で私たちに伝えたい「メッセージ」を見せてくれます。しかし問題は、多くの場合朝起きた時、肝心の夢の内容を忘れてしまうーそんな経験をしたことがありませんか。従って、ノートを用意し「主よ、その時は必ず起こしてください。」と日頃お願いしていれば、主は起こしてくださり、書き留めることができるようになります。これは「意識の訓練」と言えますが、大切なことは、書き取った主からのメッセージを何度も見直すこと、そして、必ず実行に移すことです。

 

3)主は多くの場合、不意に全く予期していないときに語られます。しかし、それが本当に「主からだ!」と気づくためには、いつも主への意識と期待を持っていなければなりません。私にとっては、これこそが「常に主と共に歩む」ための最も重要な訓練であると思っています。そして主が語られたことを、出来るだけ早くノートに書き付けます。私はこのために今回日本でポケットに入る小さなノートブックを追加で入手しそれ一杯に走り書きしました。ある時は紙が無くて咄嗟に近くにあった買い物の包み紙の上に書きました。大事なことは、それらのノートを時間ができた時に、毎日付ける日記に書き写し、時折、見返すことです。

 特に、礼拝で説教を聞いているとき、あるいは人の話を聞いている最中に、主がその話している人を通して「あなたへのメッセージ」を語って下さいます。これはその場に聖霊が溢れているような時によく起こります。

 くどいようですが、なぜノートを取る必要があるのでしょうか。それは、そうすることによって私たちが誠心誠意主のお話を一つでも聞き漏らさないという「決意・決行の態度」を主が大変喜ばれるからです。そうすると主は常に私たちと歩きながら、どんどん語ってくれるようになります。

 私はこの方法をリック・ジョイナー師から学びました。彼はそうすることによって段々に主から預言をいただけるようになった言われます。

 勿論、私が今ご紹介した方法は、むしろ補助的な意味で申し上げたのであって、要は、いつも栄光の主を心で見上げ、意識して「絶えず賛美し、祈る」ことにあることは言うまでもありません。そしてその目的が、主との絶え間ない個人的なコミュニケーションを持つことを助長する「主と共に歩む」訓練であるからです。

マタイ6章にある「主の祈り」を祈る大切さ

 

 今回、私が日本で語らせていただいたメッセージの一つに「主の祈り」の大切さがあります。そこで重要なことは、当時の使徒たちが、他のことはともかく、敢えて主に「祈り方」を教えて欲しいと願い出たことです。皆さんなら何を主に教授して欲しいとお願いするでしょうか。「あらゆる病気の癒し方」「悪霊追い出し」や「死人を蘇らす方法」あるいは「風とか湖水を静めること(自然に向かって命令すること)」でしょうか。主イエスはこれらを全て弟子の見ている前でなさいました。弟子はそれ等が全て信仰さえあれば可能であることを実習訓練を通して学び納得していたのです。その上で何をどうしても主から学びたかったのでしょうかーーそれは「主の祈り方とその態度」であったと思います。主は人里離れた場所で一人になり、天の父と向き合うその真剣で熱烈・真摯な主の姿を見ていたからです。

 

 主の祈りとは元々マタイ6:6にあるように「祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。・・そうすれば報いてくださいます。」と主が言われる祈りです。ところが多くの教会では、毎週日曜日の礼拝時に全員で声を出して祈リます。残念なことに、それは形式的、宗教的な虚ろの祈りになってしまっていないでしょうか。

 むしろ主の祈りとは本来、私たち神の子と御父との深い絆の関係、すなわち真のコイノニアの祈りであり、完全な霊の祈りであると思います。

 

 そこで主が教えてくださった祈りを見てみましょう。ここで一つ重要なことは、これは主が祈れと言われた祈りですから、この祈りを正しく信仰で祈れば間違いなく聞かれるはずであることです。ですから主は今回最初に私が訪ねた教会に行く前に「主の祈り」を「こんなうまい話はない。」と前置きして語りなさいと、おっしゃいました。しかしその意味するところが、実はとても深いことが段々と示され、旅の終わりには予想もしなかった究極の真理を教えられました。

 

 6:9「天にいます私たちの父よ。御名があがめられますようよ。」ーーこれは親密な父と子の間にだけある深い愛の告白、それは私たちが持つ御父への心からの敬慕と栄光を讃える祈りであると思います。ビル・ジョンソン師は、父とそのような関係に入るには、父との間に「継ぎ目のないつながり seamless connection」を築くことであると言い、その例としてヨハネ15章で主が例えられた「ぶどうの木と枝の関係」を挙げています。私たちと主がいつもつながっていれば、何もしないでもそれだけで多くの実を結ぶ、同時に主は「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」と言われたことは本当に心すべきです。

 

 6:10「御国がきますように。御心が天で行われるように地でも行われますように。」ーー私たちがこの祈りを祈れば、天に行かなくとも、その前にこの世が天のようになり、すべて御心が行われるようになるのですから、こんな素晴らしい話はありません。しかし、私は思わされました。ーこの祈りを私たちに教えられた主イエスは、ゲッセマネで弟子たちが見ている前で「わが父よ。できますならば、この盃をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」と祈られたことを。(マタイ26:39)そうであるなら、私たちもこの祈りを祈る時、この地で私たちの願いが実現するために祈るのではなく、すべてのことが主の御心でなされることを願う祈りとして祈るべきではないでしょうか。キリスト者である私たちは、主と共に十字架について死に、主と共によみがえって、今は一心同体で生きているのですから。

 

 6:11「私たちの日毎の糧をきょうもお与えください。」ーー6:8で「父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。」と書かれていますから、私たちに日毎必要な肉の糧はすべて必ず与えられます。しかし10節の祈りと同じく、私たちが望むものではなく、すべて神が与えて下さるもので満足すると決意して祈ることが重要なポイントですし、その祈りが神に栄光を与えるだけでなく、私たちにとっても究極的に最高の結果を得ることになることであることを思わされました。

 

 6:12「私たちの負い目をお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」ーー主イエスはすべての人間の罪(負いめ)を赦すために死なれました。そうであれば私たちが、主に忠実に従う弟子であり、また永遠に主の花嫁として一心同体となるのであれば尚更のこと、単に私たちに負いめのある人だけを赦すのではなく、一見負めのないすべての他人の罪をも、主が赦されたと同じように赦すべきではないのでしょうか。そのことがマタイ6:14、15に書いてあります。

 そうであるなら一番赦せないのが夫婦となった相手であり、加えて一番親しいはずの肉の兄弟姉妹とか、家族の間での不和話が絶えないのがこの世の現実であるというのはどうしてでしようか。神がこの世を造り、最初の人間に罪を犯させた上で、そんな罪だらけのこの世に人を生まれさせて苦労させることに目的があるのではないでしょうか。

 人間を男と、そして男の一部から女を造り、その一対の男女から子供が生まれ、それが家族となって子孫を残すようにされたことには、本当に深い意味があると思いませんか。この「夫婦関係」はこの世だけのもので天に戻れば解消されます。これからしても私が先週書いた報告(2)の冒頭で述べたように、「天で霊と魂で生まれた人間に、創造主の神は霊的成熟を目的として一時的にこの世に生まれさせ、苦労をさせて霊的訓練するのがこの世で生きる目的である」と申し上げたことが事実であると思いませんか。

 

6:13「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」ーー

「私たちを試みに会わせないで」という意味は、私たちが耐えられないような試練には会わせないように」という意味です。そのことは1コリント10:13に書かれていますが、私たちに霊的訓練をさせることの目的がヤコブ書1:2−4、12に次のように書かれています。

「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つかけたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。・・・試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。」

 

 上記のみ言葉は前にも書きましたが、エノクを思い起こさせます。エノクは主にあっていつも喜んでいました。それで彼は死を経験することなく、天に挙げられたのです。それによってエノクは「主とともに歩んだ」人と書かれています。

 ご参考までに、「私たちが主に喜ばれるクリスチャンになるとは、どのような人間になるのか」について使徒パウロが次のように言っています。「私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。」(ロマ書14:7、8)

 そのようなクリスチャンになれば、勿論主は必ずいかなる悪魔の攻撃からも守って下さることは言うまでもありません。しかし主は私たち自身が主の御名で悪魔勢に勝利することを望んでおられます。なぜなら主イエスが既に勝っておられるからです。

 

 これで今回の日本旅行の報告を一応終らせていただきます。今回は各地で心から主に飢え渇いておられる方々がお集まりいただき、どの集会にも真ん中に立って喜んでおられる主のご臨在を強く感じましたことは、私たち夫婦にとってこの上ない励ましとなりました。その集会でいただいた油注ぎと、多くのWWGMの皆様のお祈りが相まって、来日前に患った私の軽い脳梗塞の症候が旅の終わりには全くと言ってよいほど無くなり、元気回復しました。最後にそのことをお伝えすると共に、主にあって心から厚く御礼申し上げます。

 リバイバルの兆しは日に日に増して来ています。主がそのための備えとして発せられた「大宣教命令」に今、呼応する選ばれた精鋭が続々と起こされつつあることを今回日本でも目の当たりに見させていただき、心からお喜び申し上げます。(終わり)


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