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Walk With God Ministries


10 11月

本当のイエス フランシス・フランジペイン 2019年11月10日


本当のイエス

 

フランシス・フランジペイン

 

 

嵐? 幽霊? それともイエス?

イエスは常にあなたの信仰を完全なものにしようとしておられることを忘れないでください。(ヘブル12:2)本物のイエスならば、 あなたがいつか「不可能なもの」と正面から向き合い、不可能を可能とする神の力を信じることを必ず求められるに違いありません。

 

主が弟子たちにガリラヤ湖を渡らせた日のことを考えてみましょう。真夜中になったとき、主は水の上を歩いて弟子たちのところに来られました。(マタイ14:22−33参照)湖には強い向かい風が吹き荒れていて、舟は荒波に悩まされていました。勿論イエスは穏やかな日を待って水の上を歩いてもよかったのです。あるいは、超自然的に向こう岸まで瞬時で行くこともできました。でも違います。主はその時、ある目的をもって弟子のところに来られたのです。それは弟子たちに信仰について教えるためでした。

 

嵐は非常に激しかったことに注目してください。イエスは弟子たちに「水の上を歩くための基礎知識」という授業はしませんでしたし、水たまりの上での練習とか、湖が凍る冬まで待つこともされませんでした。

静かな海の上を歩くより荒波の上を歩く方がずっと困難なことは勿論です。それだけではなく、主は昼間ではなく真っ暗な夜に来られました。イエスは湖の真中に、嵐の最中の、しかも真夜中に、水の上の歩き方を教えるために弟子たちのもとに来られたのです。

イエスのなされる信仰のレッスンは決してやさしくはないのです!ここに描かれているのは本当にリアルなイエスがリアルな弟子たちを取り扱っておられる姿です。その時弟子たちの身体は疲れ果て、心は恐れに満ちていました。

 

真っ暗な荒波の上を歩いて来る姿を見た時、弟子たちの恐れは恐怖へと変わりました。彼らは「幽霊だ!」と叫びました。イエスは舟に近づき、「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない。」と言われました。

あなたが激しい嵐の中にいるとき、イエスが「わたしだ。It is I. 」と言われるなら、それは信仰への呼びかけであり信仰への招きです。主が「しっかりしなさい。Take courage.」と言われるのは、行動への促しであり招きです。なぜならば本当の信仰は名詞ではなく動詞だからです。真の信仰は必ずある時点で「勇気」を必要とします。

 

ペテロは「主よ。もし、あなたでしたら、私に、水の上を歩いてここまで来い、とお命じになってください。」と言いました。この言葉は実際のところ、とてもすばらしい言葉です。これによって真のイエスの理解が深まると同時に、ペテロとイエスの関係をもうかがい知ることができます。

ペテロはイエスと出会って以来、主が弟子たちに不可能なことを要求するのをずっと見てきました。即ち、病人を癒し、一人分の食糧で群衆を養い、死人をよみがえらせるというようなことです。ペテロはイエスが奇蹟をされるのを繰り返し見てきました。そして 主は、ペテロが目撃した奇蹟を ペテロ自身が行えるように何度も彼に力を与えてこられたのです。

 

嵐の夜、ペテロは素晴らしい識別力を発揮しました。これも又、私たちが特記すべきことです。「もしこれが本当に自分の知っているイエスならば、直ぐに不可能なことを私に命じられるに違いない」とペテロは考えました。そしてその通り、イエスはペテロに「来なさい。」と命じられたのです。

 

実際のところ、ペテロは水の上を歩いたのではありません。 彼が一歩踏み出したのは、「来なさい。」という主の御ことばの上を歩いたからです。「不可能なこと」を成し遂げる力は、キリストの御ことばに従う中にあることをペテロは学んでいました。彼はこの超自然的なリアリティーの上に立ったのです。

お分かりでしょうか、信仰とは「イエス・キリストの命令の確かさを信頼すること」に他なりません。水の上に一歩を踏み出したとき、ペテロは何か特別な力を感じたと思いますか?

彼が感じたのはただ嵐だけだったと私は思います。興奮で鳥肌が立つとか、栄光で身震いするとかは無かったと思います。ただ主の御ことばへの従順があっただけです。

波しぶきを顔に受けながら、ペテロは揺れ動く舟の縁に座り、荒れ狂う水の上に足を伸ばし、風と雨を通してイエスを見つめました。そして荒れ狂う海の上に下りて真っすぐに立ったのです。

パシャ!一歩進みました。パシャ!一歩、又一歩と彼はイエスのそばまで歩きました。これは決してほんの短い歩みではありませんでした。

誰でも水の上を確かに最初の一歩は歩けます。二歩目からが難しいのです。ペテロは波に気を取られるまで歩いたのです。そしてイエスから目を離してしまい沈み始めました。勿論、主は彼を助けました。そして二人が舟に乗ったとき、風はやみました。

 

私たちは 主が「ペテロ、やったね!」と言われるのを聞きたいような気がします。ペテロも「水の上を少し歩いた」という実績を誉めてもらうことを期待したかもしれません。でも違いますね、イエスはやさしく彼をたしなめて「なぜ疑ったのか?」と言われたのです。

キリストはペテロの内に何か素晴らしいことが起り始めていることを見て、それが宗教的プライドや自己憐憫で汚されることをよしとされませんでした。私たちの多くは、何か神のために善き業をする度に栄誉のメダルが欲しいのです。しかし主は、私たちやペテロが自分の功績を(特にそれが始まったばかりの時には)記念する碑を建てることを許されないのです。

 

この奇蹟がアメリカの誰かによってなされたのであれば、2週間もたたないうちに「水の上を歩いた記念日」とかTシャツやツアーが出来ていたことでしょう。しかしイエスはご自分の弟子にはそのようなことは一切許されませんでした。主はペテロの中に素晴らしいものが現われ始めたのをご覧になりました。しかし主が求められたのは、弟子たちがご自分に似る者となる事だけだったのです。

 

忘れないでください。神のゴールは私たちがキリストのようになることです。本物のイエスであるならば不可能な事をするようにと私たちを招いてくださるのです。神と共に歩むとは、私たちが今までしたことのないことに召されることです。あなたはイエスがあなたの前を(恐らく何らかの嵐の中を)歩いて行かれるのを見るでしょう。その後について行くならば、あなたは変革され、あなたの周りの世界に影響を与える奇蹟が始まるのです。

 

祈り:主よ、今まで超自然的な人生を求めることなく、安全な人生だけを求めていたことをどうかお赦しください。もっとあなたを求めます。私が馴れ親しんだ舟(何も変ったことは起こらない日常的な世界)から私を呼び出してください。主よ、失われた人々に手を差し伸べるために、どうか私の信仰を増し加え、あなたと共に「神の可能性」という水の上に立つことが出来るようにしてください。イエスの御名によって祈ります。アーメン (終り)


07 10月

神との関係をレベルアップする(その1) グラハム・クック 2019年10月8日


神との関係をレベルアップする(その1)

グラハム・クック



今日は、私たちが主との関係をもっと深めることが主の御計画だということをお話したいと思います。それは私たちが今混迷の時代に生きているからです。世界で今混乱していない国は一つもありません。この無秩序な混乱に対して私たちは、イエスとの関係をもっと深めて立ち向うことが不可欠です。まず、今はエレミヤ31:3の時であると思います。

エレミヤ31:3「主は遠くから、私に現われた。『永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。(I have loved you with an
everlasting love.)それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。(I have drawn you with
unfailing kindness. わたしは絶えることのない優しさであなたを引き寄せてきた。)』」

この聖句をよく読んで、次のように自分に問うことが大切だと思います。即ち、「私は本当に主に引き寄せられた所にいるだろうか?
引き寄せられることを自分に許しているだろうか? 私の人生に、又私の状況の中に永遠の神の愛を期待し待ち望んでいるだろうか?」と問うのです。

あなたの周りに問題はなくなりませんね。それは様々に形をかえてやってくるのです。状況や問題がやさしくなることはありませんから、私たちが成長し変ってゆかねばなりません。そうなるためには、自分の内におられるキリストがどのような方であり、神が私たちのためにどのような方になってくださるのかを、まず自分の人生の土台に据えねばなりません。

どのような事態、問題の中でも、私が神に好んでする質問は「この問題の中で、あなたは私のためにどのような方になってくださるのですか?」というものです。私たち一人ひとりに対する神の第一の目標は、私たちが神を大好きになることだからです。あなたの人生の状況や問題を用いて、私たちがどうしたら神のようになれるかを、神は教えようとしておられます。それが「御国における関係の学び Relational Learning in the Kingdom」と呼ばれるものです。

神は私たちを救助するためではなく、私たちを元気づけ、回復させ、私たちが問題の下敷きになって押しつぶされるのではなく、その上で生きるようにしてくださるために神はいてくださるのです。

イザヤ63:7にはこう書かれています。
「私は、主の恵みと、主のくすしいみわざをほめ歌おう。主が私たちに報いてくださったすべての事について、そのあわれみと、豊かな恵みによって報いてくださったイスラエルの家への豊かないつくしみについて。」

私たちはこの場所から生きるのです。即ち、完全に期待し、信じて待ち望む場所です。私たちに対する神の御思いが、そのまま私たちの思いになるのです。神があなたをどれほど愛しておられるかを知るとき、あなたはどれほど信じ期待してよいかを知るのです。

もしあなたに娘がいるならば、そのことが理解できると思います。私の娘はそばに来て、「あのね、お父さんは私をすごく愛しているよね。」と言います。私は「まあね。」と答えます。娘は「私をすごく愛しているのはお父さんの様子をみればわかるわ。」と言うので、私はまた、「まあね。」と言います。私は娘が何をねだるのかを待っています。娘は父親にねだることができることを知っているのです。でもそれがあまり高価なものである時は、買ってやることができない時もあります。娘が肉の父親である私にねだることができるように、天の父にもねだることができる事を、私は娘に教えました。そして天の父のほうが勿論、私よりもっとよくしてくださるのです。だから娘は私に期待するように、天の父に期待していいのです。

今娘は私が持っている会社の一つを経営していますが、私にお金をねだったように、御父を信じて期待しています。それは素晴らしいことだと私は思うのです。自分がどれほど相手に愛されているかを知るとき、その人との
関係が築けるのだと思います。自分はその人からどれほど厚意を得ているかを知るならば、その厚意を用いることができます。

神は私たちに願ってほしくないものもあります。神がすでに与えておられるものを私たちが更に願うことを、神はしてほしくないのです。考えてみてください。あなたが神に願ったのに、何も起こらなかったことが何度ありましたか?
それは神が「あなたが願っていることは、キリストにあってあなたはすでに持っています。 すでに与えているものを『下さい』と頼んではいけません。
あなたが持っているわたしとの関係を調べてみてください。その関係がどう改善されるべきかを知り、その関係に入ってください。」と言われるのです。


私たちは今日、そのような神との関係に入りたいと思います。私たちには果たすべき任務や召しがあり、それを果たすためには、
神との関係を今よりも深め強めなければなりません。これは皆さんを批判しているのではなく、神との関係はどんどんと深く強いものになる可能性があるということです。私たちは更に深いレベルでイエスからすべてを受け取ることができるのです。

神は私たちを情熱的に愛しておられ、それが私たちの内にも熱心さを生み出します。神が私に関わってくださる方法が私は大好きです。私はそれを探検するのが好きなのです。イエスは大きな国ですからね。私たちは彼がどのような方なのか、「キリストの内にある」とはどういうことなのか、「キリストを内に持つ」とはどういうことなのかを探求せねばなりません。

そのような領域をあなたは掴み取らねばなりません。あなたは その領域、
約束の地を今すでに受けているのです。約束の地とは、即ち、「あなたの内にキリストがおられ、キリストの内にあなたがいる」ことです。そして私たちはその領域を探求せねばなりません。ただ個人や家族としてだけではなく、地域社会としても探求するのです。私たちは今までとは違うレベルで祈り始め、必要からではなく、必ず答えられると予期して祈り始めねばなりません。

もしあなたが預言の言葉を受けているならば、それを祈りの中に組み込むことが必要です。もし神からの約束を頂いているのなら(約束は天国の通貨です)、その約束をあなたの思考や物の見方、言葉、祈り、讃美の中に組み込むことによって、あなたがそれに取り囲まれるようになることを神は望んでおられます。

あなたは約束を掴み、用いて、その上に立つのです。約束はその許可証です。聖書の言葉も許可証です。預言も許可証です。それは神が「そうだ!」と言っておられることなのです。

神が何年も前にすでにくださっている物を願うことを止めてください。ずっと以前に預言の言葉を受けているならば、その言葉を奥の方から一番前に出してください。
ずっと以前にその預言を受けた時、それはあなたにとっては耳慣れない言葉であり理解が出来なかったのですが、今のあなたにとっては、まさにそれは「今この時のための言葉」かもしれません。今はその預言が解き放たれる時です。神が必ずよくしてくださると期待し予期することによって、今は問題だとしか思えないことを、可能性として捉えることができるようになります。

もしあなたに問題があるならば、それと共に神は必ずそれを解決する可能性も用意されるのです。あなたがキリストにあり、キリストがあなたにあるならば、すべてのことは可能なのです。即ちすべての問題は可能性に変えられ、あなたは期待と確信をもって神に近づくことができるのです。

私は「Brilliant Perspectives」「Brilliant TV」「Brilliant Book
House」という3つの会社を経営していますが、スタッフには「私は、あなたたちを『問題』を取り扱うためにではなく、『可能性』について話し合うために雇ったんですよ。問題を可能性に変えるために皆さんに給料を払います。私のところには、問題についてではなく可能性について話すために来てください。神は可能性の神であり、私たちは御国の住人であり、御国では違う法則が適応されるのです。この世では艱難がありますが、御国では別のものを与えられるのです。

ですから、あなたはどの立ち位置から生きるのか、どなたの内に生きるのか、そして人生の土台は何かを決めねばなりません。個人的に、また家族、教会のキリストにある霊の土台がもっと強められる必要があります。
それによって私たちはただ期待するだけではなく、必ず良いことが起こると予期する生き方をすることができるのです。

今の混沌とした世界で、私たちは混沌の中の問題を見るのではなく、天にある可能性を見るのです。
私たちは今「地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。(コロサイ3:2)」という時に生きていて、そのレベルまで上る必要があるのです。そしてそうさせてくれるのが、期待、約束、預言、御言葉なのであり、クリスチャンに与えられた特権以下ではなく、それより上のレベルへ私たちを上げてくれるのです。

自分が神に愛されていると知り、神のあなたへの情熱は愛に根ざしていると知ることは不可欠です。神はあなたに情熱的であり、それは神があなたの中にいるキリストに情熱的であるからなのです。神はあなたの中にキリストを与えて、神がイエスを愛するのと同じようにあなたを愛することができるようにされたのです。

ヨハネ17:23−26でイエスは「わたしたち(御父とイエス)が一つであるように、彼らも一つであるように。あなたがわたしを愛されたように彼らをも愛するように。」と言われました。これこそがあなたがキリストのうちにある意味であり、これによりあなたがどれほど愛されているかを知ることができるのです。

あなたの人生の中でその愛を強めるために、神がどれほどつくしてくださったか、そしてあなたはその神の愛を知る故に、神にねだってもいいのです。
娘は私に愛されていることを知っていたので、それをいい事にしてつけこんだのです。それは娘への愛の故に私が許したからです。
そして神は私より何百万倍も大きい方であることを娘に知って欲しかったのです。それは娘の霊的学びのために本当に大切な事でした。娘は今そのような生き方を実践しています。

私たちは、イエスの慈しみと厚意をもっと高いレベルで
知ることがとても大切です。私たちは、神がどれほど自分を愛し助けくださる方であるかに感動することなしに、山を動かすことはできません。預言や約束を成就させるために神のパートナーとなりたいならば、イエスとの関係を今の生ぬるいままにしていてはいけないのです。

集会に来たら自分がレベルアップされると考えるのを止めねばなりません。レベルアップはあなたと神との関係によってなされるのです。怠惰であってはなりません。
私も怠惰なときがありました。自分は霊的に怠惰で、誰かのミニストリーに助けてもらっていました。でもイエスとの関係を深めることは、自分でしか出来ません。みんなそれは分かっていますね。何もしないで関係を深めることはできません。イエスが私たちと一生懸命に関係を持とうとしておられるのに、どうして私たちは努力をしないのでしょうか。神はそのような私たちが変るように助けたいと思っています。(続く)


21 09月

敵の真中で平安を保つ (その1) フランシス・フランジペイン 2019年9月22日


敵の真中で平安を保つ (その1)

フランシス・フランジペイン(Ministries of Francis Frangipane)

真の平安は、私たちが神の愛を確信するときに実る果実です。どのような戦いの中にあっても「あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力がある。(1ヨハネ4:4)」という真理が啓示されるとき、平安は生まれるのです。あなたは自分自身を信じるのではなく、神を信じて平安を得るのです。

神の平安がサタンを打ち砕く

霊的戦いを効果的に戦うためには、私たちは「霊的権威」を理解し用いねばなりません。しかし、霊的権威を持つとは、自分の考えを他の人に押しつけることではありません。霊的権威を持っているならば、あなたは、以前葛藤と抑圧に満ちていた領域で神の平安を確立しているはずです。ですから権威をもって働くには、あなたはまず平安を得ていなければなりません。

使徒パウロはローマ16:20で「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。」と教えています。私たちが戦いの最中に平安を保つならば、悪魔的圧迫や恐怖に致命的な打撃を与えることができるのです。勝利は自分の感情や知性では絶対に得られません。勝利は、「物事を自分の目や耳からの情報で判断すること」を拒み、「神の約束は必ず実現すると信頼すること」からやってきます。

自分のおかれた状況に人間的に反応するのをやめるまでは、 キリストの勝利を完全に経験することは絶対できないでしょう。
本当に権威があるならば、物事を心配や恐れや怯えなしに見ることができます。 あなたに平安があることが勝利のしるしです。

激しい嵐に対するイエスの権威は(マタイ8:23−27)ご自分の平安を自然の上にも行使し展開させたものです。主は嵐と戦ったのでもなく、恐れもしませんでした。全き平安のうちに主は嵐の猛威に向かい、主の権威で制圧しました。

イエスがピラトの法廷に立たれたとき、そこは地獄の権力が渦を巻き人々の感情を揺さぶっている世界でした。しかし、イエスの周りは聖なる静寂に包まれていました。それは、「どのような代価を払おうとも神の御こころを遂行する」という主の決意から生まれた平安でした。神の御座の平安を完全に映している静けさを、イエスの霊は放っていました。瞬時にして、
裁判にかけられているのは最早イエスではなく、サタン、ピラト、そして宗教界の人々となったのです。

サタンの兵器庫には、恐れ、心配、疑い、自己憐憫などが入っています。これらの兵器はすべて私たちから平安を奪い、内なる苦悩を与えるものです。敵がどこからあなたを攻撃してくるかを知りたいですか?あなたの様々な人間関係の網の中で、あなたに平安がないところがあるならば、そこには戦いがあるのです。反対に、あなたに平安があるところには、勝利があるのです。サタンが矢を放ち、あなたを逆境の中に陥れる時でも、あなたの平安が大きければ大きいほど、あなたはキリストの勝利の中を歩むことができるのです。

パウロはピリピ1:28で「また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。」と語っています。あなたが平安を保ち、神の言葉に固く立つならば、それはあなたが神の御こころに100%正しく従っているしるしです。あなたが「どんなことがあっても反対者たちに驚かされない」という事実そのものが、あなたが敵の上に権威を持っているしるしです。
(続く)


16 09月

家族の絆を回復する ラナ・ヴァウサー 2019年9月16日


家族の絆を回復する

 

ラナ・ヴァウサーLana Vawser Ministries)

 

 

最近主を一人で礼拝しているとき、

多くの家族、人間関係の中の亀裂のヴィジョンを見ました。イエスがそのヴィジョンに入っていき、亀裂が主の御霊の力によって修復されていくのを私は見ていました。素晴らしいことに、亀裂がなくなったばかりか、家族間の関係が以前より深く、より良いものとなりました。これを見ていた私の心は畏敬と喜びで溢れ、「これこそ私の神様だ!」と叫びました。

 

これらの亀裂は、痛みやトラウマ、傷が原因でしたが、その他にも、単に忙しすぎたり、優先順位が間違っていることから起こっていました。又、

コミュニケーション不足や誤解、また混乱から起ったこともありました。様々な原因が入り組んで、複雑な亀裂が 入ってしまっていたのです。

 

家族間に亀裂があると感じている人たちにむかって「聖霊の力によって奇蹟的な絆の回復が起こっています!」と宣言せよと、主が言われているのを私は感じました。

 

主は今、家族の中にある亀裂を修復されています。主は多くの人が家族の中に感じている割れ目や大分裂を修復されるだけでなく、深い回復をもたらされるので、以前よりも深い絆と喜びが起ります。

 

家族の絆を強める優先順位と方法

 

主は家族の絆を強める戦略と家族生活の優先順位の大切さについて教えてくださりました。家族の絆の回復が起こっている時に、あなたが主の胸に耳をあてて主の御こころを知り、健全な関係、健全な家族、正しい優先順位を保つための知恵を主に訊ねることが重要です。

 

今家族やキリストのからだの中に、健全な人間関係を培うための知恵がより豊かに与えられています。

主の愛が教会や家族の上にもっと豊かに途切れることなく現われ、

主の御霊の大波が御民を愛で浸します。そして「互いに愛し合いなさい」という啓示が示されると共に、私たちをその実践へと導きます。

 

ヨハネ13:34−35「あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。もしあなたがたの互いの間に愛があるなら、それによって、あなたがたがわたしの弟子であることをすべての人が認めるのです。」

 

聖霊のささやき

 

聖霊がささやかれました。「わたしの愛は家族関係の中にある恐れを溶かしてしまいます。わたしは恐れの縛りを打ち破ります。わたしの愛は家族関係の中にある恥とトラウマを取り去ります。わたしの愛は昔の罪や傷を癒します。わたしの愛は家族を縛っていた鎖を打ち破ります。

 

今は家族が解放され新しい自由へと移行する時です。それはわたしのうちに家族がずっと持っていたものなのです。もはや亀裂はなく、フレッシュで深い絆の回復があり、

これから代々に影響を及ぼす健全で深い関係が生まれていきます。」(終り)

 

 

訳者コメント

 

 私がこの祈りに接した時、聖霊より強い示しを受けました。それは今の時代に最も神が望んでおられることであるという思いでした。

このラナ・ヴァウサーさんというオーストラリアの預言者は私たちの大好きな預言者の一人で、この終末の時代に私たちに最も必要で適切な預言をされる方です。

 どの家庭でも家族の間で、また、あらゆる人間関係の中で、何らかの亀裂のない関係はありません。それを主に祈れば聖霊が癒してくださいます。主の愛を心から感謝しつつ、この預言をお届け致します。アーメン。


10 09月

次のシーズンに入る時(その2) ダッチ・シーツ 2019年9月10日


次のシーズンに入る時(その2)

 

ダッチ・シーツDutch Sheets Ministries)

 

 

 

 

考え方を変える必要

 

一つの境界線を後にして次のシーズンに入ると、すべてが変わります。ですから私たちは考え方を変えねばなりません。バプテスマのヨハネが現われたとき、

「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と言いました。悔い改め(メタノイア)とは悲しむことでなく、考え方を変えるということであり、ギリシャ語では「考え方を変え続ける。」という継続を意味します。

 

そしてヨハネは、考え方を変えねばならない理由は、「天の御国が近づいたから」と言っています。

彼は言うのです。「御国の王が来られて、アダムの堕落により混乱に陥ったこの世を正しくされるから、考え方を変えなさい。

四千年待ち続けたメシアが今私たちの中におられ、すべてが変ろうとしています。ですからもし罪の中にいるのならば、考え方を変えなさい。もし宗教的なシステムの中で縛られているのなら、考え方を変えなさい。もし自己満足してぬるま湯につかっているのならば、考え方を変えなさい。『悪が支配しているからメシアが来るまで待っていよう』と思っているならば、考え方を変えなさい。メシアはもうすでにここに来られ、蛇の頭を踏み砕こうとしているのですから。」と。

私たちはすでにヨルダンを越えてこちら側にいるのですから、考え方を変えねばなりません。ヨルダンを渡る前とは違う時代に入ったのです。そしてそれはただピクニックをして楽しむ時ではありません。

私たちは今、巨人たちを倒すために行くのです。ヨルダンを越えてその地方を解放するのです。それは即ち、祈りのチームを人身売買の源となっている国々に遣わし、混乱と戦うことです。まだ地上には二千年間福音が届かなかったところがあり、六千年間悪霊の支配下にあったところがあるのです。

今まで六千年の間、神の御業をみたことがない地があるのです。今私たちはその地に行き、「天の御国は今ここに来ている!御国の王は今ここにおられる!」と告げ知らせるのです。

 

キリストのからだの中で混乱していることが一つあります。

ある人たちは、「悪霊を打ち負かす必要はない。私たちはただ主を礼拝すればいいのだ。サタンはすでに敗北したのだから、私たちはただ神を讃美していればいいのだ。」と言うのです。勿論そうです。私たちは出て行ってもう一度サタンを打ち負かすことはありません。しかしカルバリでの勝利を実際に適用し行使せねばなりません。それは誰かがせねばならない仕事なのです。武具と剣が必要なのはそのためです。

私たちは新しい時代に入り、新しい領域に入り、歴史上最大の魂の収穫を見ようとしています。過去二千年間で救われた人よりもっと沢山の人がこれからの20年間で救われてくるのを私たちは見るのです。

 

今まで一度もブレークスルーがなかった人々や土地がブレークスルーを経験します。現在はイスラム国と言われる国が10年後にはキリスト教国と呼ばれるようになります。それは私たちが境界線を越え、新しい時代で用いられるように聖別されたからです。

 

私たちは信仰によって癒しや奇蹟を神から受け取ります。しかし、信仰がなくても癒し、しるし、不思議が豊かに上から注がれるシーズンがあるのです。そのような時には救われてない人でもそれを受けます。不可知論者や無神論者であってもです。

 

そのようなシーズンに私たちは入っていこうとしています。いろいろな集会で大勢が解放されていくシーズンです。私は霊でそれを見ました。でも実際にそれが起こり始める時には、やはり皆さんと同じようにびっくり仰天することでしょう。神と親しく交わるとき、御臨在が部屋に満ち、人々は口々に宣言し、神の力が部屋の空気を満たすのです!

 

集会にイエスの御臨在が顕れ、悪霊たちは「ああ、もうここには居られない!

とても耐えられない!」と叫んで出て行くのです。もし皆さんの集会に悪霊がまだいるならば、ちょっと考えた方がいいでしょう。もし主の栄光があるならば、そして神の顕在が部屋の中に入ってくるならば、悪霊たちはもうそこから逃げ去って行くのです。

 

ヨシュアの失敗から学ぶこと

 

私たちが神のことばを聞き、それに従うならば、敵は私たちを止めることはできません。しかし私たちが自己満足して高慢になるならば、敵にやられてしまいます。

それは、ヨシュアが約束の地に入ったときのようです。彼は2つ目の戦いに破れてしまいました。どうしてでしょうか。

 

それは彼らがジェリコを陥落したことによって悦に入って尊大となり、どのようにアイと戦えばよいかを神に祈り求めることをせず、自分たちの力で戦おうとしたからです。それによって小さなアイに敗北してしまいました。アイを征服するのが神の御心でなかったわけではありません。しかし神はアイがイスラエルを破るのを許されました。彼らが「これは本当に小さな町だから祈る必要はない。」と言って高慢とプライドで勝手に行動を起こし、神に聞いて従うことをしなかったからです。

 

ですから、神があなたを用いて働かれ始めたときでも、常に神に祈り求め、神が言われることに従うことを決して怠ってはなりません。そうすれば、あなたは新たな領地へと進んでいき、新しい時代に入れるのです。私たちは約束の地に入り、勝利と征服のシーズンに入ったのですから巨人たちを倒していくのです。

 

チャック・ピアース師の預言

 

私がチャック・ピアース師とエルサレムで集会をしていた時のことです。彼が

「あなたへの言葉を神から聞きました。意味は神が教えてくださると思いますよ。『わたしはヘブロンを再び開拓する I’m going to pioneer Hebron again.』という言葉です。」と言いました。私は「チャック、それはどう言う意味ですか?」と聞いたのですが、彼は「知りませんよ。でもこれがあなたへの言葉ということは確かです。神がその理由を教えてくれますよ。」と言うだけでした。

 

神はよくピアース師を通して私にそのようなことをされます。神はたった一言、二言を与えることによって、私がその意味を熱心に神に求め続け、

深い啓示と洞察を主から得るためのプロセスに入るようにされるのです。

 

ヘブロンはカレブが征服した町でした。イスラエルの中で最も重要な場所の一つで、ヘブロンという言葉は「契約、友情」をあらわしています。そこはアブラハムとサラが埋葬されている町で、それは彼らが神の友だったからです。又、ユダヤの学者たちによれば、アダムとイブもそこに埋葬されました。イサクやレベカをはじめ旧約聖書の多くの人物も埋葬されています。ですからヘブロンは非常に重要な土地なのです。

 

しかしヨシュアの時代には、すでにヘブロンは巨人アナクの父であるアルバによって征服されていました。彼はすべての巨人の中で最大のものであったと聖書は言っています。

 

 

創世記23:2「サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、今日のヘブロンで死んだ。」

 

創世記23:19「こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクベラの畑地のほら穴に葬った。」

 

ヨシュア14:15「ヘブロンの名は、以前はキルヤテ・アルバであった。アルバというのは、アナク人の中で最も偉大な人物であった。」

 

 

最も巨大で邪悪であったアルバが、イスラエルで最も高い土地に位置していたヘブロンを征服したのは、悪霊は権威を象徴する高い所を好むからなのです。

しかしそれは悪霊が権威を欲し、高き所を占拠したかっただけではありません。悪霊が神をあざけり「神よ、あなたはここは契約とか友情の地だと言っているが、俺は悪霊に憑かれた巨人たちの砦にしてやるぞ。」と言って神の権威に戦いを挑んだのです。

 

カレブの働き

 

カレブは斥候の一人としてカナンの地を偵察したとき、「私たちはぜひとも、上って行って、そこを占領しよう。必ずそれができるから。」と言いましたが、それはただ高い地を取るためだけではなく、そこに住む巨人達を倒したかったからです。そして45年後に、85歳の彼はヨシュアのところに行き、「どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。」と言いました。(ヨシュア14:12)彼はアルバの町、キルヤテ・アルバに向かい、それを奪回したのです。そして又そこを「ヘブロン 」という名にもどしました。

 

又、ヘブロンはキリストの予形、型であり、のがれの町の一つとなりました。神が私に「ヘブロンを再び開拓せよ」と言われたのは、私たちと神との交わりを略奪していた霊的巨人たちを追放し、回復するという事なのです。

 巨人たちを失脚させ、ヘブロン(神の臨在、神との交わりの場)を再び取り返すのです。それは2007年に私が見たボクシングリングで巨人たちをノックアウトする夢の成就でした。

 

昨夜ピアース師は「ダッチさん、5人の巨人をやっつける時がきましたね。今ですよ。」と言いました。というのは、私は夢の中で倒した巨人は5人いたからです。私は主に5人の巨人とは何かをはっきりと教えてくださいと頼みました。その一人は「堕胎」です。もう一人は「不正な政治組織」だと思います。私たちは霊的要塞を取り除き、暗やみ、抑圧、偽りを地にはびこらせている巨人たちを取り除いて、その地を解放し、その地が福音の光を見ることができ救いが起こるように今からしていくのです!(終り)


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