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Walk With God Ministries


28 11月

荒野からの脱出      リック・ジョイナー      2016年11月28日


荒野からの脱出

 

リック・ジョイナー

 

数年前のことですが、私はミニストリーの進展を阻んでいる幾つかの障碍に対する不平不満を心の内でつぶやいていました。どうすればそれらの障碍を取り除いてミニストリーを前進させられるかと椅子に座って思い巡らしていた時、預言者の友人であるボブ・ジョーンズ師から電話が掛かってきました。彼はまるで私の思いを聞いていたかのように話し始めました。

 

彼は「あなたは椅子に座って、物事を進めるためには何をすればいいのかといらいらしながら考えていますね。でもあなたの歩みを遅くしたのは主なのです。」と言いました。そしてすべてはスケジュール通りにちゃんと進んでいて、 私たちは主から与えられている召しを必ず成し遂げることができると励ましてくれました。 又、私たちはまだ完全な計画やすべての事に関する神のタイミングをキチンと掴んでいないので、更に主を求め続ける必要があることも語ってくれました。

 

 私たちは10年ほど前に、ミニストリーの拠点であるノースカロライナ州のシャーロットに主が示されただけの人数を集合させるようにという預言をボブを通して与えられていました。そしてその人数が集められたならば、主はその数のうしろに「0」をつけて10倍にして下さると言われていました。ボブはこの預言で鍵となるのは「集合させる assemble」という言葉だと言いました。それはただ人数を集めるというのではなく、ジグソウバズルの一片一片を完全に組み合わせて一枚の絵にするように人々が組み合わされるということであったのです。

 

現在、シャーロットには最初に主から告げられた人数の数倍の人々が集まっていますが、そのうちで自分がこのキリストのからだの中での働き場所を心得ている人は多分半数に満たないでしょうし、その場所で実際に機能し始めた人は更に少ないと思います。たしかにミニストリーは前進していますが、本当に「一つに組み合わされた」人の数はまだ主が求められた数には達していないのです。

 

続けてボブは、主が私たちの歩みを遅らせているもう一つの理由は、人々の中に愚痴と不平不満があるからだと言いました。ショックだったのは私もその内の一人であり、ボブが電話をしてきた時、私は心に中で実際愚痴をこぼしていたのです。ヘブル書は初代イスラエル人が約束の地に入れなかったのは愚痴と不平が一番の理由だったと述べています。不平不満は私たちを神の約束に入らせません。又、 自分の召しへと解き放たれない人が沢山いる理由の一つでもあります。

 

不平不満の対象がたとえ何であっても、それは実際には主に対して不平を言っていることなのです。仕事場の上司に不満があるとすれば、それは即ち自分の人生を司っておられる主に対して不満を抱いているのです。なぜならばその上司をそこに置いたのは間違いなく主だからです。(ローマ13章参照)もし夫や妻、親や子ども、そして他のすべての状況に対して不平を言うとすれば、主が自分の人生を導いておられる方法に不平を言っていることになります。信仰がなくては神を喜ばせることはできず、又主に働いていただくこともできません。そして不平をいうことは信仰に対して正反対の働きをします。愚痴によって物事を動かすことはできません。かえって物事を止めてしまいます。不平不満は、私たちが主から与えられた人生の目的の中に生きるのを阻む最も力ある敵になりえるのです。

 

更に、主が前進を停止しておられる時、私は落胆し鬱状態に陥るという試煉を通るであろうとボブは言いました。私のような性格の者は、「待つ」というのは最も憂鬱なことの一つです。又、教会員の多くがすでに何年も神の動きを待ち望んでいたので、今から更に又待たねばならないと聞くのはとても辛いであろうこともよくわかりした。しかし、もし私たちが気落ちしたり疑ったりしたならば、更に長く荒野に留まることになるのです。気落ちし鬱になることは罪です。なぜならば、信仰によらないものはすべて罪であり、気落ちし鬱になることは信仰に堅く立つことではないからです。神の約束を受け継ぐには信仰が必要です。

 

確かに科学的生物学的な理由で鬱状態になることもありますが、多くの鬱は霊的な根を持っています。すべての霊的要塞に対する勝利は十字架によってすでに私たちのために勝ち取られました。鬱から完全な勝利するまでは決して満足してはなりません。そしてすべての状況を疑いではなく信仰の目で見ることを決意せねばなりません。もし荒野にいるのに倦み疲れたのならば、神の約束をもう一度確かめ、神の忠実さ、誠実さに励まされねばならないのです。

 

基本的に鬱状態は私たちの状況を悲観的に見ることから起こります。これは私たちが状況を信仰の目を通して見なくなる時にはいつも起こることです。約束の地に遣わされた12人の斥候のうち10人が「悪い報告(民数記13:32)」をしたのは「気落ち、鬱」の結果でした。彼らの報告は正しいものであり、信仰のある2人の斥候の報告と基本的に同じであったことは興味深いことです。しかし10人は障碍が彼らには克服できないほどのあまりにも大きいものであると認識したのに対し、ヨシュアとカレブは神が味方であるなら必ず克服できると信じたのです。 彼らは違う状況を見たのではなく、どのように見たのかに違いがあったのです。

 

エジプトを出た初代イスラエル人と同じように、多くのクリスチャンは自分が召されている神の約束のうちを決して歩くことがありません。それは愚痴や不平不満に陥るからです。悲しいことに多くの者はまさに荒野から解放されようとする直前に不平不満へと陥ってしまいます。それはあまりにも長く荒野にいたので「本当にここから脱け出せるのだろうか」と疑う誘惑を一番強く受ける時だからです。荒野を抜け出す最速の道は、感謝をすることであり、それは「荒野」に対してさえも感謝の心を持つ事です。私たちは感謝をもって主の門に、賛美をもって主の庭に入るのです。私たちの人生のすべての領域において主の内に留まることを決意しようではありませんか。それはすべてに感謝をすることによって可能になるのです。

 

ボブを通して与えられた神の言葉により、私たちのミニストリーは私たちの疑いと不平の故に一年間停滞させられたことがわかりました。これは数年前のことでしたが、現在はすべてのことが速いスピードで進んでいるように見えます。停滞していた期間はのんびりしていて良かったなーと思ってしまうほどです!使徒パウロは貧しいときも富むときも満ち足りる秘訣を学んだと言っています。私たちもそのようにならねばなりません。疑いではなく信仰において成長することを決意しようではありませんか。信仰の表れは忠実さです。誰に対しても何に対しても不平不満を抱きやすい傾向に対して戦いを挑み、すべてのことに感謝をしようではありませんか。感謝をもって主の門に、賛美をもって主の庭に入り、そこに留まりましょう。(終り)


21 11月

受けた預言を産み出す     パトリシア・キング        2016年11月21日


受けた預言を産み出す

 

パトリシア・キング

 

 皆さんのクリスチャンとしての人生において、個人的な預言とか、あるいは神からの約束が与えられている方は多いと思います。皆さんはそれに対してどう対応して来られたでしょうか。

その預言とが約束の中にまだ成就していないものがあるならば、私たちがそれを真剣に祈って来なかったから 実現していない可能性も十分あると思います。

 

私たちは受け取った預言を誕生させるためには、祈らねばなりません。預言的な言葉を受けたからといって、それが自動的に成就するということではありません。

一つの例は1列王記18:41節の記事です。エリヤは預言的に大雨の音を聞きました。空には一片の雲もなく何年も雨が降っていなかったのに大雨の音を聞いたのですから、これは預言的に聞いた音でした。その預言を受けたとき、エリヤは何をしたでしょうか。

彼は地にひざまずいて自分の顔を膝にうずめました。これは預言者が祈るときの姿勢であり、預言されたものを産み出すための姿勢です。彼は頭を両膝の中にうめて神を求め、御ことばが成就するようにうめいて産みの苦しみをしたのです。彼は若いしもべに雲があるかどうかを見るように指図します。雨が降るときにはまず雲が必ず出るからです。若者の答えは「何もありません。」でした。エリヤは続けて同じ姿勢でうめき続けました。そして若者に七たび繰り返して空を見るようにと告げます。

 

七度目に若者は「人の手のひらほどの小さな雲が海から上ってきます。」と報告します。エリヤは歓喜しました。ブレークスルーが起こったからです。私たちもブレークスルーが起こるまで祈り通さねばならないのです。

 

昔リバイバルが起こったときのオルターコールは、誰かに祈ってもらうために出て来なさいという招きではなく、「一人ひとりが神の御前に出て祈り通しなさい」という招きでした。「神があなたを祝福されます。前に出て来てそれを受けるために祈り通しなさい。」という意味だったのです。今はあまりそういうことをしませんね。

 

もう一人祈り通した人がいます。それはルカ2章に出てくる女預言者のアンナです。彼女は預言者だったので、昔の預言を学んでいました。それと共にイエスがメシアとしてこの世にこられることも知っていましたので、やもめになってから何十年ものあいだ、この預言の成就のために祈ったのです。昼も夜も宮を離れずに断食と祈りをもって、預言のことばが成就するために産みの苦しみをしていたのです。メシアが来るという約束は人間に何百年も与えられていたものですが、アンナはその成就が近いことを預言的に知り、それを産み出すために人生を捧げたのです。

 

また、使徒行伝一章で、イエスは弟子たちに「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」と言われました。 この「待ちなさい wait 、tarry」という言葉の意味は、「祈りながら待つ」という事を弟子たちは知っていました。彼らはイエスと生活を共にしていたので、「待つ」とは「祈りながら待つ」ことだと把握していたのです。そこで彼らはエルサレムに集り、祈りに専念し、「父からの約束」を産み出すまで祈り続けたのです。

 

ですから、もしあなたの人生に神からの預言と約束が与えられていて、それがまだ表れていないとすれば、今こそそれを再び真剣に祈り始めて、それを産み出してください。今こそその時、実現のシーズンである可能性が充分あるかもしれないのです。(終り)


14 11月

遂にトランプ大統領が誕生した          坂  達 也    2016年11月14日


遂にトランプ大統領が誕生した

 

                 坂  達 也

 

 

  今回の大統領選挙は、恐らくアメリカ史上最大のアプセットー予想をくつがえすー選挙であったと言われます。

 ご存知の通り、選挙の十一日前になってクリントン候補の国家機密漏洩の可能性が新たに出て来たため、FBIのコーメー長官が再調査に入る声明を突然出しました。このショッキングなニュースによって、トランプ候補の人気が完全に盛り返しクリントン候補に追いついたかに見えました。しかし投票日の四日前になって、コーメー長官はクリントン候補の嫌疑告発を改めて否定、再度取り下げたのです。これが大きな混乱を招いた結果、最後の土壇場で、再び「クリントン候補優勢」の方向に一気に傾いたまま投票日を迎えました。

 その十一月八日の朝「クリントン勝利」の呼び声が益々高まる現実を前にして、私は主に訴えました。というのは、主が何かをなさるという私が抱いて来た密かな期待に対しもう何も起きないように見えたからです。その時、先週ご報告の通り、下記の聖書箇所が示されました。それは皆さんがよくご存知のエリシャとその若い召使の話しです。

 

 2列王記6:15−17をご覧ください。「神の人の召使が、朝早く起きて、外に出ると、なんと、馬と戦車の軍隊がその町を包囲していた。若い者(召使い)がエリシャに、「ああ、ご主人様。どうしたらよいのでしょうか。」と言った。すると彼は、「恐れるな。私たちとともにいる者は、彼らとともにいる者より多いのだから。」と言った。

そして、エリシャは祈って主に願った。『どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。』主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、神が備えた火の馬と戦車を見ることができました。」

 

 エリシャの若い召使は、朝起きて周りの町が敵の軍隊で包囲されているのを見て、恐怖で一杯になりました。しかしエリシャは「霊の目」で神の軍隊が取り巻いているのを見たのです。そこでエリシャは、恐怖におののく召使に手をおいて「彼の(霊の)目を開いてください。」と祈りました。すると突然、若者の霊の目が開き、神が備えた火の馬と戦車を見ることができました。

 実はこの話しを示されたのは、この聖句に対するグラハム・クック師の解釈をたまたま読んだからでした。そして私は改めてこの聖句を読み、すかさず今の自分がこの若い召使であり、現実の状況だけを見てそれに捕われ、エリシャのように霊の目で見ることを怠っていたことに気が付いたのです。

 クック師は、霊の目で見る姿が真の「御国としての現実」であり、それはこの世の現実の上を神の御国が覆っている姿であると言います。「私たちはこの世に生きているが、この世の者ではないことを思い出してください。あなたは御国に属する者だから、この世を違った次元から見ることができるのです」と師は言われます。

 

 主によってそれに気が付かされた私は、その時から選挙の投票結果を見る目が変えられました。そして選挙結果はほとんどの人の予想に反し、ものの見事に神に期待した通り僅かの差でしたが明らかにトランプ候補に「まぎれもなく勝たせた」結果が出ました。全州合計の人気投票数ではクリントン氏が僅かにトランプ氏より多かったことを多くのメデイアが報告していますが、この数字は未だ最終の数字ではないといわれます。しかしいずれにせよ全州の選挙人合計数(現在迄の集計)では、290対228でトランプ氏が圧勝し、クリントン氏もオバマ大統領もそれを認め敗戦宣告をしています。

 さらに今回の選挙をトランプ勝利に導いたのが神であることを証しするもう一つのよい例があります。それは、今回の大統領選の勝敗を決めるかなめの州といわれた州ーオハイオ、ミシガン、ウイスコンシン、ペンシルバニヤ、ノースキャロライナ、フロリダのすべての州でトランプ候補が予想に反して勝ったことです。加えて、今回の選挙ではいつも以上に不正行為が出ることが憂慮され(事実出た)のですが、それが問題にならない程の差によりトランプ氏が勝っことが出来たのも神であると信じます。

 

 それだけではありません。次に大事な上院/下院選挙においても、全く予想に反し、共和党が上院で51議席、民主党48議席、下院では共和党238議席、民主党193議席で共和党が両院の過半数を占めるという圧倒的な勝利に終ったことを見ても、今回の選挙で神がトランプ氏を起用してアメリカを抜本的に変える御計画であることがよく分かり、ひたすら主に感謝しております。

 

トランプ氏の勝因はエヴァンジェリカル・クリスチャンの祈り

 

 今朝の日本経済新聞・電子版の記事によれば「ドナルド・トランプ氏を次期米大統領に選んだ主役は、米北部の工業地帯「ラスト(さびた)ベルト」の白人労働者だけではない。米南部から中西部に伸びるキリスト教保守派の影響力が強い地域「バイブル(聖書)ベルト」の支援も大きかった。だが敬虔(けいけん)な彼らにとってトランプ氏支持は究極の選択だった。」と書かれていましたが、その通りです。

 今年の選挙に先駆けて、先ずフランクリン・グラハム師が2月1日クリスチャン保守派の牙城であるアイオア州から出発し、全50州の首都議事堂をバスツアーで訪れ、大勢のクリスチャンと共に神に嘆願しました。又、ダッチ•シーツ師は「天にアッピールする」という名の下に、全米各地で集会を開き、それにチャック•ピアース師が参加して各地のクリスチャンと共に祈りました。10月のオハイオ州のミドルタウンでの集会では、ピアース師が力強い預言を宣言し、これによって、それまではクリントン氏が優勢と言う予想が完全にひっくり返りました。その他、リック・ジョイナー師、マイク・ビクル師を始めとする多くのクリスチャン団体と教会のリーダー達が、クリスチャンがこぞって選挙に参加することを呼びかけました。

 ここで選挙が終わった後に語るフランクリン•グラハム師の言葉をご紹介します。「今メデイアは、どうしてこんな結果になったんだろうかと頭をかかえていますが、私は八日の夜判明した結果は、明らかに神の介入のなせる業であったことを疑いません。神のいない無神論者の掲げる課題がこの国を乗っ取ろうとして来たことに対して神がストップをかけられたのです。しかし次期大統領・副大統領に選ばれたトランプ氏とペンス氏はこれから多くの助けと祈りを必要としています。神が彼らを助け、又アメリカが再び祝福されることを心から祈ります。」こう語ったグラハム師は、投票日の翌日大統領と副大統領に当選した両氏に祝電を打っております。

 2012年の大統領選では2500万人のエバンジェリカル・クリスチャンが投票所に行かなかったといわれます。しかし今回は、懸命の呼びかけと祈りの要請の結果が多くのクリスチャンを投票させ、二党を載せた秤の傾きを変えました。

 ここでトランプ氏を最初から熱心に応援し続けて来たリック•ジョイナー師に語ってもらいます。

 

トランプ大統領は今や悔い改めを多くする正真正銘のクリスチャン

 

 「私はこのところ、少なくとも3−5日置きにトランプ氏、あるいはその側近の人たちと密接な連絡をとっているので言えるのですが、トランプ氏は最近、個人的に新生したクリスチャンとして、色々なことで神に悔い改めをし、神を畏れる人間に変えられていることは間違いのない事実です。但し、だからといって彼が間違いをしないということではありません。特に政治家経験の全くない彼は、これからも色々な間違いをし、大きな苦しみの中を通るでしょう。それだけにクリスチャンが今まで以上に祈る必要があります。」とジョイナー師も明言します。(以上、先週末のモーニングスター集会でのメッセージより)

 また、トランプ氏をよく知っている人たちは、トランプ氏は自分ではっきり約束したことは必ずといってよい程実行する人であり、決して無責任な人ではないといいます。

 

 ここで私がトランプ氏を弁護し、また、彼の良さを強調したいことがあります。それは彼が豊富な経験を持つビジネスマンであり、それでいて彼は「善悪の良心」がすり減った人ではないことです。多くの政治家が単に政治家特有の「裏のかけひきの技術」は熟練していても、人の心とか情勢判断に機敏で「取り引きに勝つ」ことにおいては、商売人としての多年の経験があるトランプ氏にはかなわないと思うのです。

 それが証拠に、彼は今真っ先に、最も重要案件で選挙公約の目玉である「メキシコ国境に壁を建てる」ことと「オバマケアを廃止する」ことにおいて、たとえ壁を作る代価をメキシコ政府に払わせることは無理としても、とにかく実質に建て上げ、移民問題の野放し状態に終止符を打つこと、そしてオバマケアにおいても、その一部が正当なことであれば存続させ、実質をより良い国民保険体制に変革する方向でどんどん準備を進めています。

 

 そのためにトランプ氏はチーフ・オブ・スタッフというホワイト・ハウス人事の最重要な職務に共和党チェアーマンのプリーバスという人を任命しました。これはトランプ氏が「ワシントン政治体制を壊すという約束」に反した人事だという批判を受けましたが、彼は共和党大統領として、同じ党が上下院過半数を勝ち得たという、今回、大げさにいえば千載一遇のチャンスを逃したくなかったからであると思います。なぜなら、自分の公約して来た議題をどんどん通すためには、議会の協力が絶対に必要だからです。その意味でこのプリーバスという人は、選挙期間中も空中分解しかかった共和党そのものを、終始トランプ候補の線でまとめ上げて来た今選挙での第一の功労者であり、今こそ彼のような人物が党とのコミュニケーション上、最も必要な人物であるからです。

 

なぜ、トランプ氏に猛反対する人が出て来たのか

 

 今回アメリカの国は真っ二つに意見が割れました。未だにトランプ候補の当選に不満で各地でトランプ反対のデモが起こっております。(もっとも、そのデモ隊の一部は日当を払って雇われた人たちであると言われますが。)とは言うものの、特に若いクリスチャンが主体の教会で、デモに参加していない人たちであっても、感情的にトランプを嫌悪しー憤懣やるかたないー受け付けない、という人々が大ぜい出て来たことは事実です。一体何が起こったのでしょうか。

 私はその大きな原因は、共和党の最終候補を選ぶに際して、連立する多くの共和党候補者が競り合う中で、トランプ氏が同じ共和党のクリスチャン候補者を激しくこき下ろし罵倒したことに原因があると思います。このような彼の人となりの欠点は確かに最後迄たたりました。

 しかし、これに便乗したジャーナリストたちの多くは、真のジャーナリズム精神を失って、忠実な報道を公平に伝える代わりに、ここぞとばかりに「自らの私見」を述べ立て、挙げ句にウイキリーク等が暴露したクリントン候補の犯して来た多くの罪状を報道しなかったのです。又、現場に飛んで確認することを怠った多くのジャーナリスト(特にニューヨーク中心の)たちは、地方で経済的に犠牲者となっている白人労働者の気持ちとか怒りを見落とし軽視したのです。その結果は彼らが何としてもクリントン氏に勝たせたいという思いから「選挙予想」を意図的にクリントン優位に偽って報道したともいわれます。このような作為的に民衆を煽った「メデイアの無責任さ」が前代未聞の驚くべき「番狂わせ」をつくり出したのではないでしょうか。

 皮肉なことに、クリントン氏は自分の敗因を聞かれたときに、先づはFBI コーメー氏にあると言い、次にメデイアにあると言っております。これではメデイアの立つ瀬がないことになります。

 

 今回、圧倒的多数のメジャーなリベラル・ジャーナリストたちは、選挙活動に入るかなり前から「トランプという人間」は人種差別者、女性軽蔑者、国粋主義者、ファシスト、非道な金儲け主義者と言う、いわゆる「ステレオタイプのレッテル=先入観・固定観念」を作り上げ、それを民衆に押し付けることに驚く程成功したともいえるのです。それは極度のリベラル思想であり、極端な偏見、極度の嫌悪、激しい恨みを抱いて意図的なでっち上げたとしか思えません。そこに私は悪霊的なものを強く感じます。

 これからどんどん変化してゆく中で日本の皆様のお祈りを心からお願い申し上げます。(終り)


08 11月

アメリカ大統領選挙の投票日に際して       坂  達 也   2016年11月8日


アメリカ大統領選挙の投票日に際して

 

                    坂  達 也

 

 私はこの二日程、又何かが起こることを期待しながら、選挙の行方を祈りつつ見守って来ました。ご存知の通りFBI のコーメー長官が三日程前に、改めてヒラリー氏の嫌疑を否定したニュースが入ったことによって、最後の土壇場で又「クリントン夫人優勢」という方向に体制が変わって来たからです。

 私は昨夜遅くまで「何かが起こる」ニュースを待ちましたが、何も起こらず、トランプ氏を押すFOX ニュースですら多くのニュースキャスターが「クリントン候補が勝つ」という予想に傾いていることが分かり、正直なところ失望しながらそれでも主に期待しつつ眠りに入りました。

 一方昨夜は、家内の柚実子が翻訳して書いたグラハム・クック師の預言に関する原稿を最終チェックしていたのですが、WWGMに早く載せなければならないと焦りつつも、どうしても二カ所程でひっかかり、ためらいの末、載せるのを今朝迄待つことにしたのでした。そして今朝6時に私は目が覚め、主に祈りました。その結果、私が昨夜原稿を出すことをストップされたのは主であることがわかったのです。そこで主から示されたことをこれから書かせていただきます。今は朝の8時15分です。

 

 就きましては、先ずクック師のメッセージの下記の部分をお読みください。

 

 「・・・ある人を肉の目で見て判断するという間違いを犯すことは非常に易しいことです。預言者としてプレッシャーを感じると肉の目で見たことを預言してしまいます。でも私たちは神から聞いたことをそのまま伝えねばなりません。

 御国で私たちが住むべき最もポジティブな場所は「恵み」です。「恵み」は私たちが人を見るとき、肉で見るのではなく霊で見るように常にチャレンジしてくれます。人を正しく見るためには、その人を十分に愛さねばなりません。そこで下記の聖書箇所をご覧ください。

2列王記6:17「そして、エリシャは祈って主に願った。『どうぞ、彼の目を開いて、見えるようにしてください。』主がその若い者の目を開かれたので、彼が見ると、なんと、火の馬と戦車がエリシャを取り巻いて山に満ちていた。」

 

この若者は町が敵の軍隊で包囲されているのを見て、恐怖で一杯になりました。しかしエリシャは霊の目で神の軍隊が取り巻いているのを見たのです。エリシャは若者に手をおいて「彼の目を開いてください。」と祈りました。これは聖書の中にある「不思議な瞬間」というべきことの一つですね。突然すべてのものが違って見えるー神が見ておられるようにあなたも見るならば、すべてのものは違って見えるのです。もし神のように見ないならば、この世界は肉の目で見る通りのものに過ぎません。しかし本当はその上を神の御国が覆っているのです。あなたはこの世にいますが、この世のものではないことを思い出してください。あなたは御国に属する者ですから、この世を違った次元から見ることができます。若者の霊の目が開き、神が備えた火の馬と戦車を見ることができました。一度霊で見るならば、あなたは永遠に変えられます。

 

パウロはそのことをエペソ1:18でこのように言っています。

「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものかを、、、知ることができますように。」

 

霊の目で見ることによって私たちの理解は深まります。あなたが聞くべきところ、あなたが見るべきところはただ一つ、それはあなたの内にある御国です。

 

祈り——父よ。どうか私たちの心の目を、あなたが見られていることすべてに開いてください。主よ、預言のミニストリーをする時に往々にして起こる否定的な思い、恐れ、プレッシャーをすべて取り除いてください。安息と平安の霊を私たちすべての者に注いでください。それによって私たち自身があなたが善き方であるという安息と平安の中から預言できますように。あなたが心の目を開いてくださり、あなたの物の見方で見ることができますように。それによって私たちが人を見るときに、その人の顔つき、服装、話し方などを越えて見ることができますように、そしてイエスの目で見ることができますように。」

 

 以上はクック師のかなり長いメッセージの最後の部分ですが、今朝私が気が付かされたことは、このエリシャのメッセージは実は今の私こそが必要であるということでした。すなわち主は、私に「霊の目を開けて見なさい」ー今日の大統領選挙は、主の軍隊により、トランプ候補が勝つことが見えるはずである—とおっしゃっておられると感じたのです。その上もし、今日の結果でクリントン候補が勝ったとしても、その意味するところは、それによって主はこの選挙でトランプ候補が勝つよりもっとすばらしい圧倒的な「御国の勝利」に導く—それが主のご計画であると主がいわれているという確信を得ましたことをお伝えします。

 

 実は昨日、これ以外に主からもっと多くのことを示されましたので、それを追ってお分ちさせていただきます。とりあえず先ずは、今日の選挙の投票結果が報道され始める前にこのメッセージをお伝えさせていただきます。(終り)