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Walk With God Ministries

03 07月

天国であなたがどのような人になるかは  地上での過ごし方によって決まる         坂  達 也   2020年7月4日


天国であなたがどのような人になるかは

       地上での過ごし方によって決まる

 

                     坂  達 也

 

 

 

エノクは最初に神と共に歩んだ人

 

 エノクについては創世記5:21ー24に「エノクは65年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んで後、300年神と共に歩んだ。そして、息子、娘たちを生んだ。エノクの一生は365年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が取られたので、彼はいなくなった。」と書かれています。そしてヘブル書11:5に「信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。」と書かれ、彼の信仰が神に喜ばれていたことがわかります。 エノクはノアと共に「キリストと共に歩んだ人間」であることが聖書に書かれていますが、この「神と共に歩むようになる」ことが私たちクリスチャンの最終目標であり、地上における霊的訓練終了の卒業証書であることをエノクが実証しています。そのようなエノクは、今天でどのような人になっているでしょうか。

 エノクと聞けば、しばしば天に行かれるリック・ジョイナー師が、そのエノクに天で会った時のお話を思い出します。生きたまま天に挙げられた人は他に預言者のエリヤがいますが、ジョイナー師は天で先ずエリヤに会いました。以下は私たちがWWGMで2014年5月1日のブログでご紹介した時の記事です。

 

エリヤとエノク

 

 ジョイナー師はエリヤによく会います。それは預言的経験の中ですから、実際のエリヤに会ったのか、霊的な経験だったのかはわかりません。エリヤはもうすぐこの世に来ます。それはエリヤの霊がキリストのからだに来るということです。

 しかし、エリヤが私に「あなたはエノクに会うべきだ」と何回も言うのです。エリヤは「私とエノクは死を経験しませんでした。それは、終末の時の最後の神のムーブメントのときにキリストのからだに大きな霊的分与をするためです。あなたはエノクに会わねばなりません。」と言いました。私も会いたいと思っていました。なぜならエノクはこの終末の時代に現れる力ある者たちについて預言しているからです。

 そして私はついにエノクに会うことができました。彼は私が想像していた人物とは全く違いました! エノクは私が今まで会った人の中で比べ物にならない程最もハッピーな人だったのです。いつも一緒にいたいと思うような人でした。彼が持っている喜びは信じられないほどでした。彼は地上に暗やみが広がっていた時代に生きていました。ネフィルムもいたし、人の悪が増大した時代であったにも拘わらず、エノクは最高にハッピーで喜びに満ちていたのです。

 エノクと会ったすぐ後で、私はまたエリヤに出くわしました。彼は私に「エノクと会ってどう思いましたか?」と聞きました。「彼は、私が会った中で一番ハッピーな人でした。驚きました。」と私が答えると、エリヤは「何か質問がありますか?」というので、「ええ。あります。どうしてあなたはエリヤのようにハッピーじゃないのですか?あなたはずっと天国にいたのに、どうしてもっとハッピーじゃないのですか?」とぶしつけな質問をしてしまいました。どうしても聞きたかったのです。

 エリヤは答えてくれました。その答えは私に非常な衝撃を与えました。「どうしてか話しましょう。あなたが地上で生活する間に、天国に行ってからあなたが永遠にどのような人になるかが決められるのです。天国に行けば、あなたの苦しみ、悲しみ、嘆きはすべて取り去られます。私もエノクのようにハッピーになることは可能でした。でも私は地上にいる時、暗やみの方にばかり焦点を当てていました。『私だけが残って他は誰も主を信じる者はいない』というように悲観的になった事が多かったのです。私はもっとエノクのようになることもできたのです。そしてあなたもそうなれるのです。

  エノクはどんなに地上が暗くても神と共に歩き、神に焦点を当てていました。彼の中で神はどんどん大きくなって、まわりの様々な問題や状況はどんどん小さくなりました。主の臨在の中では喜びが満ちるのです。」エノクは主の臨在の中で喜びの頂点に達したのだと思います。だから天に上げられたのではないでしょうか。そして今も喜びに満ちているのです。

 勿論、私たちは天国に行けば皆ハッピーです。天国で一番ハッピーでない人でも、地上で一番ハッピーな人よりもっとハッピーです。それは確かです。でも私たちは今、地上で自分の永遠の性格を決めているのです。エリヤは言いました。

 「あなたの信仰を増し加えるために一日も無駄にしてはいけません。神の喜び、神の平安へと成長できる時を無駄にしないでください。聖霊の実は育てられてだんだんに大きくなるものです。私は多くの日を無駄にしました。私も今のチャンスを逃したくありません.主の喜びが、これまでよりはるかに大きくやって来ようとしています。私たちには考えられないような喜びに満たされハッピーになるのです。主を間もなくお迎えしようとしているのですから当然ではありませんか。主の臨在の中で私たちはハッピーになるのです。いいえ、ハッピー以上のものー「喜び」です。ですからあなたがこの世で霊的訓練のために通される試煉を無駄にしないで下さい。 一日も無駄にしないでください。私たちは今、永遠に自分がどのような者になるかを決めているからです。

 もしこれが本当であるなら、私たちクリスチャンが、最終的に永遠の世界で「どのような者になる」=「達するか」は、私たちが「現世でどのように生きるか」で決まってくると言うのであれば、その意味は、私たち個人がそれぞれ育てる聖霊の実に「個人差」ができる、そしてその個人差は永遠についてまわる「変わらない」と言うことになります。考えてみるとこれは大変な意味を持っていると思います。天の御国で最も近しく主なる王に仕える人、また、花婿に最も近く、愛し愛される人になりたいと思いませんか。しかし永遠の序列は、一人一人個人が「この世をどのように生きるか」で決まるのです。

聖霊の実は「愛、喜び、平安・・・」

 ガラテヤ書5:22には9つの聖霊の実が書かれています。その真っ先に挙げられているのは「愛」であり、次が「喜び」そして「平安」「寛容(忍耐)」と続きます。この世で私たちクリスチャンが霊的訓練を受けることによって聖霊の実が育てられるのであれば、「喜び」以上に「愛」こそが真っ先に育て上げられることこそが、私たちクリスチャンにとっての最大の目標であるはずです。

 なぜなら、「神は愛」であり、私たちは「イエスに似た者」に成ることが問われるからです。それは創世記1:27で「神は・・人をご自分のかたち(イメージ)(似た者になるように)創造された。」とあり、また、ガラテヤ3:27で「バプテスマを受けてキリストにつく者とされたあなたがたはみな、キリストをその身に着たのです。」そして、コロサイ3:14では「これらすべての上に、愛を着けなさい。」と書かれている通りです。

 

 そこで私が思い出すのは、2014年に最終的に天に帰られた預言者のボブ・ジョーンズ師が、一度サタンに殺されて、天の門まで来て、救われた人たちの列に並んでいた時、門で迎える主イエスは誰もに唯一つの質問をされました。それは「あなたは地上で愛することを学びましたか」と言う質問でした。

 これを見ても、私たち人間が全てのことに「愛」を基とし、「愛によって働く信仰」を持つことがいかに重要であるかを物語っていないでしょうか。

 

 それにしても「終末の時」は本当に迫って来ました。終末とは聖書マタイ13:36-43の「毒麦の喩え」に出てくるように、すべて神からの本物の麦と悪魔からの偽物の毒麦が合い混じり合って育ち=それが神の始めからのご計画であることにご注意下さい=どちらも成熟する終末の時点で、神はまず毒麦だけを集めて火に放り込んで燃やすのです。一方、本物の麦は実が最高に熟し、重くなって穂の頭が下がりますが、偽物は実りがないだけでなく、毒になると言うのです。

 

 これはクリスチャンとは「預言的でなければならない」ことに結び付けて考えることにあてはめられます。すなわち、クリスチャンは一人一人が誰でも神の御声を聞く訓練を受けながら「本物の預言者からの預言を聞くこと」によって神の御心を知り、それを実行することを学びます。しかし同時に、神が悪魔に毒麦という偽預言を送らせてクリスチャンを惑わすことを許すので、私たちが偽物に惑わされない訓練をもさせて下さるのです。これは霊的成長にとって非常に大事な訓練です。

 

 その終末には、その訓練の間を縫って一大霊的アウエイクニングと最後の大リバイバルが、並行して起こるのです。そして今、既にその時に入っていることを私も実感し始めました。既に世界中がパンでミックスだけではない、色々な艱難が起こり、その上人と人が、神側と悪魔側の二つに別れて戦う様相が政治的にアメリカで進んでいるだけではありません。世界的に見ても、国と国、主義と主義による終末の大戦争に発展する様相が既にかなり濃厚になって来ました。(終わり)


23 06月

時は迫っている            坂  達 也 2020年6月23日


時は迫っている

 

                 坂  達 也

 

 先週私は、「終末の日に主だけを見上げる」というメッセージを書きましたが、これに続く格好のメッセージを、たまたま導かれて見つけましたので、今週はそれを載せさせていただきます。

下記のメッセージは2009年11月7日に私自身が書いたものの一部です。

 

時は迫っている

 

                 坂  達 也

 

 「聖書が何を要求しているかを一言で要約せよ」と言われれば、私は躊躇することなく「創造者の父なる神の御声に聞き従え」であると申し上げます。「聞き従うなら祝福を、従わなければのろいを」(申命記11:27,28)が聖書の単純明快な中心テーマの一つであり、それをこの世で最も忠実に(死に至るまで)実行して私たちのために模範を示されたのがイエス・キリストでした。一方従わねばこうなると言う見せしめを、私たちはイスラエルの長い歴史を通して知ることが出来ます。

 

 そのことに気がついている人は本当に幸いです。今の時代、世の終わりが刻々と近づいて来ていますが、それは人間が自分の思いで自分のために生きた時代、云ってみれば「個人の野心の時代」が終焉すると言う意味です。このことは、当然ながら、自分のために生きるのが通常の未信者の世界に当てはめられますが、私はそれ以上にクリスチャンに向かってそれを申し上げたいのです。

 

真のクリスチャンとは

 

 クリスチャンが今最も厳しく反省しなければならないことは、「自分のしたいことをして、何となく自然体で生きている」姿勢です。クリスチャンと云えども放っておけば自然に流されて「個人プレー(自分中心)のかたまり」のまま人間的に生きてしまいます。そのような生き方の正反対が「主の御声に聞き従った毎日」を生きる生き方です。

 そのためには多くの場合、人間が自然に生きる生き方に逆らって生きねばならず、それには大変な信仰による決意と努力が必要です。まさにヨシュア記1:8にある「この律法の書をあなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさなければならない。」の「律法の書」を「御心を知りたいと言う願いと祈り」に置き換えて実行することにあると思います。それは主のご計画にのみ従って生きることをとことん思い詰めることです。

 

そのような願いと思いで日夜を過ごせば、常に主に飢え乾き、主を求める生き方になるはずです。いや、逆に真に飢え乾く人でなければそのような願いと思いは持てないかもしれません。いずれにせよ、それ以外の生き方をしている人は主イエスの後を追っている真のクリスチャンとはいえません。この生き方のためにこそ、私たちはイエスの後を追って自分の(自分に死ぬ)十字架を担いで生きねばならないです。そして、これを実行し本当に主の御声を聞く人だけが主に助けていただいて「死ねる」のであると思います。とどのつまりは、人間関係において「自分に死んで主に生きてもらう」ことをどこまで実行するか、実行できるかの問題ではないでしょうか。

 

 イスラエルの民は、自分たちが直接神の御声を聞いて死ぬといけないから、モーセが聞いてそれを民に話してくれるように頼みましたが(出エジプト20:19)、これはある意味ではていの良い「逃げ」であり、現代のクリスチャンの多くも教会生活を通してそうしているのではないでしょうか。私たちクリスチャンは誰でも主の御声を直接親しく聞く特権があるだけではなく、それを実行する義務があり、重ねて申し上げますが、そうしなければ基本的にクリスチャンとは言えないのです。

 

 今「先を急いでおられる」主は、そのような人だけを求めておられます。なぜなら、そうでない人は使いものにならないからです。主に用いれられるかどうかは、主の御声に忠実に聞き従うかどうかの一点にしぼられます。

 

 しかし「何かする」ことがクリスチャンの究極の目的ではないと反論される方もおられるでしょう。その通りです。私たちは「イエスのようになる」あるいは「イエスを頭とした一つのからだの一部になる」、「イエスの花嫁になる」ことが最終目的です。つまりは「すること」ではなく、「なること」です。

 しかし、その最終ゴールに達するためにこそ、主は私たちを召して修行させます。それが主の御用をすることである訳です。その一番卑近な例が教会形成(あるいは特別な目的を持ったミニストリー=例えば私たちのWWGM)とその運営にあります。

 主は、私たちにそれぞれに役割や、仕事を与え、それを私たちが御心に従って逐次実行する時に成果を挙げさせ、成し遂げさせます。すなわち、「・・・になる」ためには「・・・を実行する」と言うドリルを通して訓練されるのです。(終わり)


14 06月

終末の日に主だけを見上げる      坂  達 也      2020年6月14日


終末の日に主だけを見上げる

                坂  達 也

 

 

 「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです。」(1ヨハネ4:18、アンダーラインは筆者による)

 

 私はこの聖句をこのパンデミックが始まって以来、執拗にかみしめて参りました。

 そして今回、再びこの聖句の意味するところを味わってみて、「全き愛」とは神を象徴し、「恐れ」とは悪魔を象徴することが分かりました。

 「恐れ」を引き起こし、挑発するのは、この世の人間を支配しようとする悪魔です。その悪魔には「地獄の苦しみという懲罰」が既に有史以前から定まっているのです。これが上記の「なぜなら恐れには刑罰が伴っている」の意味であるのですから主を褒め称えます。

 

 そうであれば、真の霊的成長を遂げたクリスチャンには「恐れ」が全くない、いや、あってはならないということを、私たちは理解しなければなりません。しかし、弟子訓練途中のクリスチャンには「恐れ」が全くないとは言い切れません。現に私も含め、多くのクリスチャンは、今回のウイルス・パンデミックで「恐れ」を感じました。しかし、これこそ信仰の問題であることを今しっかりと噛みしめます。

 

 全知全能の神を信じ切って「神の救いの力」に頼る、それが「恐れを完全に取り除く」唯一の方法です。そしてこの際にこそ、何としても未信者に「イエス・キリスト」を信じることを勧める、神が与えて下さった絶好の機会ではないでしょうか。

 これこそ神が用意された「第三の霊的アウエイクニング」の引き金となります。そして私たちが未信者を「リバイバル」に誘導するのを、神は期待しておられます。まさに神のなさることに絶対間違いはない、パンデミック恐慌は神の愛から出ていると言い切れると私は信じます。

 

 

「神は私が呼ぶ時答えて下さる」

 

  とは、私の家内が昔から愛し、私のために残してくれたバジレア・シュリンク Basilea Schlink さんの珠玉のような作品の一つに付けられた題名です。彼女はご存知の通り、ドイツのキリスト教会指導者で、後にルーテル派内に設立されたマリア福音姉妹会の共同創立者です。

  この方は、詩篇50:15「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」を引用し次のように書きました。「このみことばは、聖書に示されている終末的様相をますます帯び、多くの苦悩が心をむしばもうとする現代に生きる私たちへの、神からの力強い呼びかけです。・・・今、このような呼びかけが天と地を造られたお方、私たちをあがなって下さった主イエス・キリストがなされているのです。主はその愛ゆえに私たちの心が悲しみに満ちていることを、また私たちがあれこれの問題に対処できないでいるのをすべてご存じです。愛に満ちたまなざしで、イエスは私たちの心にあるすべてのことをごらんになります。主おひとりが、私たちの心をわかって下さるのです。なぜなら、主は苦しみを受けられ、私たちと同じように試みに会われたからです。しかし、それだけではなく、主は、私たちがどのような悩みの中にあっても助けを備えていて下さり、すべての問題を解決できる唯一のお方なのです。イエスとは「神は救いたもう」という意味です。・・・言いかえれば、主イエスが私たちを助けず、救い出さないことなどありえないのです。

 

 また、この方の別の著作「苦難のさなかをゆくともー迫害前夜に生きるキリストの弟子ー」の中で、

 「聖書には終わりの時に迫害されるクリスチャンのことが記されています。『兄弟たちは、小羊の血と自分たちの証の言葉とで、彼(サタン)に打ち勝った』(黙示録12:11)どのような時に『打ち勝つ』という言葉が使われているのでしょうか。それは戦いが行われる時のみです。なぜなら、戦いなくしては勝利もないからです。」と言われます。私たちクリスチャンは今こそ、その戦うための武器を取らねばなりません。

 

 

アメリカは既に第二の市民戦争 Civil War に入っている

 

 リック・ジョイナー師は、以前からアメリカには第二の市民戦争が起こることを預言して来ました。(第一の市民戦争とはリンカーン大統領時代の1861ー5年に行われた南北戦争を指します)そのリック師が10日ほど前のブログで「それは既に避けられないどころか、現在既にその第一段階に入っている。現在の政治政党とかメデイアにおいて、真二つに割れた市民の多くの人が、事実既に、武器(銃)を、個人的に購入して備えつつある」と言っていました。師は、ロマ書13:4を引用し、権威に逆らう人には権威者が持つ剣(当時の武器)がその悪業に報いると書かれていることを指摘しています。

 

 実は、それを裏書きするような事態が、このところアメリカで現実に起こっていることをお知らせしなければなりません。

 それは60万人の戦死者を出した歴史的な「南北戦争」を思い出させるようなお話です。当時、アメリカ合衆国を離脱して、植民地主義者、奴隷制度反廃止派のために戦って敗北した「南部連合国軍」に属する有名な将軍とか政治家の銅像が、現在の南部11州には、今でも大事な記念として数多く保存されています。ところが近来、その記念碑とか銅像を破壊しようとする動きが活発になる一方で、その取り壊し、あるいは移動を禁止する法律が各州で可決され、加えて、その連合軍国旗を保護する運動がこのところ相次いで起こっているのです。

 

 それと相まって、先月ジョージ・フロイド氏という黒人が、ミネソタ州のミネアポリス市にある店屋で、偽札使用で物を買おうとした容疑から、市の白人の警官が駆けつけ、武器を持たず無抵抗のフロイド氏の首の上に自らの膝を載せて押さえ込み窒息死させたという、大変由々しい事件が起きたのです。

 この事件は残念ながら、どう見てもその白人の警官が黒人を憎んでの仕業としか言いようがありません。このニュースを知ったアメリカ全土の人たちは激昂しました。そして、まさに一瞬のうちに挙国一致して反対デモに立ち上がったのです。それは黒人社会だけではなく、ほとんどの白人社会の人々も、あるいは世界中の人々が憤慨し、その連鎖反応として大都市では、商店舗の破壊行為を含む激しい暴動に発展したことは、日本でも大きく報道されましたから皆様もよくご存知の通りです。

 この前代未聞の恐るべき憎しみの犯罪は、やがて黒人に対するものだけに止まらず、すべての「人種差別反対へのデモ」に発展しました。幸いアメリカ国内では、小都市のほとんどが警官引率の元に平和裡のうちに行われました。その中には、白人の多い私の住んでいるニューヨーク郊外の小さな村のデモも含まれ、私はその様子を目撃しました。しかし、この騒ぎに便乗して、テロ組織が加わるという、かってないほどの争乱騒ぎになったことは本当に不幸な出来事としか言いようがありません。これで分かることは、アメリカには、特に黒人対白人というアメリカの市民戦争の深刻な古傷としこりが、未だ癒されていないことが明らかとなったのです。

 勿論神はこのような事件が起こり、世界に拡がる事を知っておられました。そして、世界を終末の大リバイバルへと導いて行かれます。

 

 

アメリカ国民はトランプ大統領の共和党の政策と

           民主党の政策を比較してどちらを選ぶか

 

 現政権を強力にリードするトランプ大統領とその共和党の勢いに対し、民主党としては、政策的には何も出せない、あるいは、何を出しても勝ち目が無いと見ているのでしょうか、結果的に見れば、トランプ大統領のすることなすこと全てに徹底して反対する策を取っているように私には思えます。

 それが、例え国の興亡に不利となり、国民のためにならないことが分かっていても、むしろ、そうなることによって国民がトランプ大統領に圧倒的な不満を抱かせ、彼のせいにして政権を奪い返す、すなわち、国民を犠牲にしてまでも政権を取り返すことだけに興味を持っているとしか思えないのです。

 

 その例を挙げてみれば、トランプ大統領の推し進めて来た民主主義・資本主義・民間企業を重視する自由経済に対し、民主党の候補者は、バイデン氏は今のところ何も言わない、程の良い無策主義、他の有力な候補者たちは、ほとんどがコミュニスト共産主義・社会主義による「すべて国がまかなう大きな政府」を主張しています。これはイデオロギーだけで大衆を取り込む、しかし実行すれば、すぐ破綻することが目に見えています。

 

 トランプ大統領がウイルス警戒の政策もさることながら、国民の経済を立て直す政策を今取ろうとしていますが、民主党はその反対にウイルス政策に重点を置き、その結果国民の経済状態が悪化、失業者が増えれば、政府の援助金をどんどん出させて、財政赤字を大きくし、国の借金を益々大きくすれば、その結果ドルの力は弱まり、国を不景気にすれば、その責任をトランプ大統領に課し、政権を奪い返す事だけを狙う。

 トランプ大統領が中国の台頭を警戒すれば、バイデン氏は、中国と仲良くする。等々。

 

 要するに今の民主党幹部には愛国精神は何も無いと言って過言ではないと思います。とにかく国の力を弱め、不景気になる政策を取ることによって、国民がトランプ大統領を見放すのを待つしかない。もっとも、実際に彼らはそう言っているのではありませんが、彼らの行言動からはそうとしか取れません。

 

 神はアメリカを見捨てるのでしょうか。決してそうではないと思います。この機にトランプを立てたのは神です。神は今、世界を歴史的にかってなかった程の一大危機に落とし陥れることによって、人類の目が、神を見上げるのを待っておられます。

 

 「御国が来ますように。みこころが天で行なわれるように地でも行なわれますように。私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。アーメン。」(終わり)

 


03 06月

完全なる自己放棄( abandonment )により 神とフェース・ツー・フェイスに出会う         坂  達 也       2020年6月4日


完全なる自己放棄( abandonment )により

     神とフェース・ツー・フェイスに出会う                                           

                   坂  達 也

 

 

 

 日本人程「頑張ること」の好きな国民はいないと思います。少なくとも言葉の上では、挨拶代わりに「頑張って!」「頑張りましょう!」が合言葉です。つまり日本人程「自分で何事も努力することを奨励し、尊ぶ」国民はいないと思います。確かに創造主の神を知らない人にとっては、頼りにするのは自分しかいない訳ですから、人を励ます意味においてこの言葉は、決して悪い言葉ではないかも分かりません。

 しかし、クリスチャンとしての私は、この「頑張れ!」という言葉を聞くと、何か複雑な気持ちになります。なぜなら、何事も自分の努力ですることは、根本的に聖書の原理と相反するからです。

 何故なら、クリスチャンとは、主を常に見上げ、主の言われることを聞いて、それに従う以外の生き方はないからです。神は私たち人間が、自分の努力で事を為すこと、自分で努力して物事を達成することから「休みなさい」すなわち完全なる自己放棄(complete abandonment)を先ず要求しているからです。

 

 もっとはっきり言えば、神は私たちに自分では何もしてはいけない、只々「主の御顔を見上げて待ちなさい」と言われるのです。そこに要求されるのは「忍耐」です。そうすれば、全て主が、私たちに必要な「心の思い」を私たちの心の中に入れて下さり、それに忠実に従えばそれができるようになるのです。

 

 「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます。わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(マタイ11:28−30)と主は言われます。その根底には「愛」があり、愛がすべてです。

 

 

 さて今日は、その「完全なる自己放棄(complete abandonment)」をすることについてビル・ジョンソン師の証しをお分ちしたいと思います。それは1971年に、当時ベテル教会の主任牧師であった彼の父親が取り次いだメッセージを聞いて彼が決意したことです。

 お父さん先生は、私たちが「神ご自身に対してミニストリーをする」ことと「人々に対してするミニストリー」とは全く違うと語りました。ビル師は、その前から自分を神に放棄する( surrender )コミットメントをしていました。しかし、そのメッセージを聞いて時、口に言い表せないような深い感銘を受け、更なる決意をしたのです。神はそれに素早く応じられ、それ以来聖霊の臨在と神の力を受け始めました。

 そして1995年に至って、彼は「私は、もっと主を求めます。それがいかなる代価であっても、私はその代価を払います。」と日夜泣き叫び始めました。それは8ヶ月続きましたが、10月のある夜、遂に神がそれに答えて下さったのです。但し、それは私が予想していない方法ででした。」と言います。

 

 ビル師は、突然死んだように寝た状態からはっきりと目覚めた状態へと一瞬にして変へられ、突如として全く説明のできない物凄い力が彼の身体の中を走り始めました。それはあたかも壁のソケットに自身を差し込むことによって1000ボルトの電流が彼の身体に流れ始めたかのようで、その電流に打たれ、神の前で彼は何も身動きできない状態になったと言います。

 それは神の御声を聞くとか、ビジョンを見るとかというレベルを遥かに超えた、彼はそれまでの人生で経験したことのない「物凄い圧倒的な力」そのものであった、それは神ご自身としか言いようがないーーと言い、これが彼が8ヶ月祈って来たことへの神の応えであったのです。

 

 このパワー(電力)サージのうねりはその夜を通して続いたそうです。そして朝方6:38AMにやっと止まり、彼はベッドから完全にリフレッシュして飛び起きたと言います。

 彼は、後日、これが「神とフェース・ツー・フェイスに出会った」経験であったということを知ったそうです。(以上はビル・ジョンソン師の著書:Face to Face with GOD からとったものです。)

 

 

モーセは神と口と口で語った

 

 このビル・ジョンソン師のお話しから思い浮かぶのは、モーセが主の前に40日40夜、食べず、飲まずに主と共に過ごした経験です。それによって彼は神と「親しい友人」のように話し合う間柄になりました。そのモーセは荒野の旅に出ると、宿営の外に会見の天幕を張り、そこで彼は「神と口と口とで語り・・・(目の前に)主の姿を仰ぎ見ている」(民数記12:8)と書かれていますから、私たちが真に決意して望めば、本当に「神とフェース・ツー・フェイスに出会える」のです。

 それには「神に出会えるなら、どんな代価でも払う」という決意と、時間を掛けてそれをまっとうする実行力、そして忍耐が必要です。

 

 ヤコブの場合は、祝福を得るためにはどんな代価を払っても神にしがみ付いて離さず、神(天使)と格闘して遂に勝ちました。そして、生涯びっこを引いて歩くという代価を払いました。

 

 私たちクリスチャンは、神とお話しができると聞いて、それならやってみようとその訓練を始めますが、多くの人が簡単に諦めて、結局辞めてしまいます。

 「主と共に歩く」ことも同じです。主と共に歩くためには、先ず「完全に自己放棄(complete abandonment)」して、無心で主について行けば、主が必ず語ってくれ、それが聞こえるようになり、後はそれに従って行けば良いのです。まさに「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」(終わり)


26 05月

「成熟した大人」(ギリシャ語でHuios)になること    グラハム・クック              2020年 5月26日


「成熟した大人」(ギリシャ語でHuios)になること

 

グラハム・クック Growing up in Godセミナーより抜粋)

 

  先週に続いて、今回はグラハム・クック師のとても愉快で楽しい「証し」をご披露させて頂きます。これは暫く前にWWGMに載せたメッセージですが、私はこのお話を読むと本当にクリスチャンが真に「神に似る人」に変えられるとこうなるという実話です。お楽しみ下さい。

 

   クリスチャンが霊的に子供から大人に成長する過程で、最終的に成熟しきった大人になることとは、その人の内なる人が神のご性質のようになることです。真に神のように誠実で清い性質と品性を持つようになり、それが常に外に表われる言動をする「成熟した大人」(ギリシャ語でHuios)にならねばならないのです。

しかし、そのような霊的成長過程であなたは、聖霊と真っ向から対立することになることを覚悟しなければなりません。なぜなら、あなたの内におられる聖霊の役目は、あなたの生涯を通して「あなたをイエス・キリストに真に似た者にすること」であるからです。

就いては、それに関して皆さんが知らねばならないことがあります。それは、神はクリスチャンである私たちが、この世に生きている間に真に「キリストに似た者」になることしか望んでおらず、それ以下で終わるとは全く考えておられないと言うことです。

 

そうであれば、私たちはこの世に生きている間にキリストに似た者に本当にならなければならないのです。このことは、単なる概念とかシンボル、あるいは象徴的な話として受け取らないで下さい。主は、実際にリアルにそうなることを意味しておられるからです。

それは実際生活で私たちが人と話したり、人のことを考えたりする時に、キリストに真に似た者として相手に対応できるということです。

しかも、それは相手の人たちがとる言動とは全く無関係です。彼らの言動によって影響を受けそれに反応するのでなく、ひとえに「あなたはその人とどう対応するのか」というあなただけの問題であるのです。あなたという人がどのように外に表れるかだけがポイントです。相手の出方次第(彼はこう言ったとか、こんなことをしたとか)で相手を責める―と言うようなことでは全くありません。なぜなら、御国では人を責めることなど存在しないからです。キリストにある私たちにはもはや恥も罪定めはないのです。又自分が肉的になってしまったことを相手のせいにしたり、状況のせいにしたりすることもあってはなりません。

 

「どれだけ神から祝福を受けるか」を決めるのはあなた自身であり、あなたにかかっています。あなたは「祝福された者」であるはずですが、それはあなた次第であり、あなただけが祝福を受けるための責任者なのです。あなたは主の約束をいただいている人です。しかしその約束を実際に受け取るかどうかはあなた自身の責任です。しかも、それはあなたがどんなに落ち込んでいたり、迫害にあっていたりする最中でも同じです。事実、迫害とか苦しみの中を通っていたり困難な目に会っている時でも、神から大きな祝福を受けている時と同じように、すべてを有益なものとする道があるのです。

 

あなたの内にはどんなことがあっても止めることの出来ない「いのち」が内在しています。勿論、あなたの意志でそれを止めるなら別です。それはあなたが決めることであって他の誰の責任でもありません。

神があなたに与えたいと願っている祝福を、あなたが受け取るかどうかの責任は、あなた自身にあることを学ばねばなりません。神が常に与えたいと願っている祝福に自分から積極的に近づき、主の御計画に沿って日常の生活の中でその祝福を受け取り、その祝福を人々のために用い始めるのです。そうすることによって、あなた自身がキリストのイメージ、似姿となり、それを人々に表すことが出来るようになります。それが霊的に成熟することの最終的段階であり、完全に成熟した神の息子Huiosになることの意味です。

 

あなたはもはや自分だけが祝福されることはできなくなります。あなたの周りのひとたちは全部あなたから祝福を与えられる可能性が充分にあるのです。あなたが現れると、誰であっても、あなたから祝福を受けることから身を守ることは出来ません。

 

聖書には「心を尽くし、思いを尽くし・・・あなたの主である神を愛せよ。・・・あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」とあります。ここであなたの隣人と言うのは、それがいつであっても、どこであっても、たまたまあなたの傍に立っている人、坐っている人のことです。飛行機の中でも、喫茶店の中でも、仕事の中でも、銀行の中でもです。全くの他人だとしてもあなたを通して神の祝福を受けることから身を守ることができる人はいないのです。主と共に歩くあなたは、他人の人生を変える力を常に持っているのです。あなたがその力をつねに持ち運んでいるからです。それは他の人がすることとか言うこととは無関係です。あなた自身が、一人だけで、あなたの住むコミュニティー全体を変える力を持っているからです。それはあなた次第です。そのような人になることを選ぶかどうかというあなたの意志一つです。

それはあなたがキリストの大使として、どのように人の前、あるいはコミュニティーの前に現れたいかによるのです。人がどれほど酷いか、状況がどれほど悪いとかには全く問題ではありません。あなたが一人の完全に成熟しきったHuiosとしてその町に現れると、その社会を変えてしまうほどの力を持っています。使徒行伝には「世界中を騒がせてきた者たちが、ここにもはいり込んでいます。」とあります。あなたがやったことが、その後の30年間も「信じられないことが起こった話」として語り草になるのです。あなたはそのような人になる可能性を持ち、あなたがそこを通って行くだけでそのコミニティーを変える人になれるのです。

 

 

「成熟した大人」としての私の経験

 

   私は30年前にロンドン近郷のある会社で働いたことがあります。その会社は色々な企業の会社にアプローチして、その会社によい社員を斡旋したり、各種の社員教育のトレーニングを提供する会社でしたが、私が入社した時は全部で24人の社員がいて、私はその24番目の何もよく分からない新米社員でした。

その24人の中には人材をリクルートすることが専門のアドバイザーとか社員教育のエキスパートが多くいました。それとセールス部門があり、そこでは、大中の企業にアプローチして、その会社の業績を上げるためにより良い社員を斡旋したり、社員教育をするプランを作成します。多くの場合全く知らない会社に電話をしてアプローチし、年間契約の提案書を作り、その仕事に対する入札価格を持って交渉に行きます。私はたまたまそのセールス部門に配属されました。

入社後6ヶ月ほどしたある日、突然私の前に社長のジョージが現れ、私にある会社に提出するプレゼンテーションをしてもらいたいと言うのです。私は面食らって、他にもっとよい人がいるでしょうと2,3のセールス担当者の名を上げたのですが、皆都合が悪く、結局私しかいないと言うことで無理やり私がその仕事を担当することになりました。社長はこれはある大会社への提案でこの入札が取れれば大いに助かる、二日後に一緒にその会社に行くからそれまでよく読んで準備をするようにと言われ、大きな提案書類を手渡されました。

二日後に私はジョージと彼のベントレー(高級車)に乗って出掛けました。そして、ロンドンにあるその大会社のビルの最上階の40階にある豪華な社長室に通されました。そこには社長と担当者たちが待っており、こちら側はジョージと私だけ、私はそれまでに経験したことがない程に緊張し、堅くなってプレゼンテーションを行いました。その最後の段階になって相手の社長がジョージに「提案の内要はとてもよかったが、つまるところ一体値段は幾らなんだね。」と聞くのです。それに対して私は提案書の最後に記入されている入札価格を言うだけでよかったのですが、その時、主が突然私に声を掛けられ「グレイ(グラハムの愛称)、わたしを信じますか?」と言われたのです。それを聞いて私は「オーNo! 主よ、今だけは黙っていていただきたかったのですが・・・後にしていただければ・・・」と心の中でうなりました。しかし主は「わたしを信じるか?」と又聞かれます。そこでやむなく私は「今だけは信じたくはないのですが、・・・ハイ信じます。」と消え入るような小声で答えました。すると主は「その値段を倍にしなさい。」と言われたのです。この間に3-4秒掛かりましたが、相手の社長は再び値段を催促して来ました。そこでジョージが私の方を見るので、思い切って私は倍の値段を言いました。それを聞いたジョージは慌てふためき、心の中で「あの男は精神異常のけがあるので、今の値段はどうぞ聞かなかったことにして下さい・・・」と叫んでいるのが私にはよく分かりました。狼狽したジョージは一瞬椅子から落ちそうになりましたが、相手の社長は担当者とその値段について話し合っていたので、ジョージの様子には気付いた様子もなく、にこにこ顔で「この値段は悪くない、契約しよう」と言ったのでした。

そこで話は決まりました。昼食後に無事契約が取り交わされ、ジョージと私は社長室を後にしました。エレベーターの中で二人きりになると、全く気まずい空気になり、ジョージが「一体何が起こってあの値段を言ったのか」と聞きました。そこで私は自分がクリスチャンであること、「倍にしなさい」と言う神の声を聞いたのでそうしたことを告白しました。社長は「神の声を聞いたというだけで、事もあろうに私の会社がこの大会社との大事な契約を反故にしかねないことを分かって言ったのか。」と、もっと気まずい空気となりました。それから車に乗り帰路につきましたが、この間全くの沈黙が続きました。降りる前に私はジョージに「私は首ですか」と聞くと社長はしばらくした後に「分からん。」と答えました。

 

三日後に昼食を済ませて自分の席にもどると、机の上に分厚い書類が置いてありました。それは新しい別なプレゼンテーション用の書類でした。表紙に走り書きのメモが付いていて、最後のページを見よ」とあったので、その指示に従って私は最後のページを開くと、値段を入れる欄が空白になっていました。(笑い)そこにもう一つのメモが張り付けてあり、それに「あなたの大きな上司に聞いて書き入れよ」と書いてありました。(会場爆笑)そこで私は祈って主に値段を聞きました。その値段と会社の人たちが通常計算する価格とを比べると、主からの値段は会社の出した数字の1.7倍ほどでした。そこでジョージは主からの値段を採用して私にプレゼンテーションをさせたのですが、その仕事も決まりました。その後も二つの仕事を同じ方法で、いずれも高い主の値段で仕事を取ることに成功しました。

そして私は会社での地位が24番目から2番目に昇格され、ジョージは新に私にビジネス・デベロッピング・マネジャーと言う肩書きをくれた上で、大きな個室と私自身の秘書を付けてくれたのです。しかし私はそんな肩書きと責任をもらっても自分だけではどうしてよいのか全く分からず、ジョージに元の地位に格下げして欲しいと頼みました。するとジョージは私の机の上にある電話を指差し、電話帳から適当な会社を選んで電話してその会社から機会を与えてもらい、仕事を取るためのプレゼンテーションをすればよいと助言してくれました。

そして、彼は「私はあなたを格上げして雇っているのではない。あなたがよく知っている『例の人』を雇おうとしているのだ。」と言ったのです。(笑い)

その後大分経ってから、Huiosになるとそのようなことが起るということに私は気が付きました。それはあなたではなく、あなたが一緒に旅をしているお方がそうであるからです。ダニエルが神に属した人であることは誰でも知っています。ヨセフが神の人であることもそうです。

そこで私は主に祈ったのです。月に一度だけ、一つの会社に電話をし、その会社とだけ契約を結ぶという祈りでした。そして後の時間の全部を、自分の預言者訓練学校で教える教材を書くことに費やしました。(笑い)

或る時私は、ロンドンで最も名高い会社のCEOの電話番号を主から教えてもらいました。しかし、そのCEOにはドラゴン(竜)というあだ名で名高い強力な支配力を持つ秘書が付いていて、すべての電話はその秘書を通さずには絶対にCEOには届かないのです。特に見知らぬ人からの電話はまず取り次がれません。主は私にそのCEOに次の火曜日の午後2時23分に電話をしなさいと言われました。その通りに電話をすると、その1分前にその秘書がトイレに立ち、その時たまたまCEOが秘書のデスクの前を通るように主がされたので、彼が私からの電話を取り、私は難なくそのCEOとアポイントが取れました。それを知った秘書は私がCEOに会うために現れると、本当に憎憎しそうな顔で私を睨みつけ、殺し屋を雇って私を殺してやるとまで息巻いたそうです。言うまでもありませんが、その会社と私はよい契約を結ぶことが出来ました。

さて、その頃ジョージは私に、会社にいるすべてのセールスマンを私がトレーニングし、私のやり方で「大きな上司」からの声を聞いて仕事が取れるようにして欲しいと言いました。私はその年にはセールスマン・オフ・ザ・イヤーになっていました。

私がその会社を辞める日に、ジョージは泣き出しました。私は彼にこれからは「私の大きな上司」の仕事にフルタイムで働くことにしたと伝えたのです。私はこの会社を彼らが経験した事がないレベルにまで収益率を上げました。私自身もどのようにしてそこまで成し遂げたかは想像もつきませんでした。あなたがHuiosの域に到達するとそうなるのです。

と言うのは、神は法外としか思えない程あなたと共にいたい方であり、すばらしいということがどんなことなのかをあなたに証明して見せたくてしょうがない方です。又、あなたは神があなたに与えたいと願っておられる油注ぎを決して低く見積もってはなりません。

あなたが完全に成熟した時、あなたは試合をひっぐり返すことの出来るgame changerとなり、あなたが王であり、英雄であり、チャンピオンとなれるのです。誰もあなたに反抗しなくなり、どんな強い反対者に対してもあなたは抜きん出て相手を打ち倒します。あなたが人生から学ぶことは、どのような状況の中からでも浮かび上がり、あなたが占めるべき正しい地位に着けるのです。なぜなら、卓越した神の性質があなたの上に現れるからです。それがHuiosです。あなたはどんな状態からでも栄えることが出来ます。どのような対抗者にもうまく処することが出来るのです。その結果としてあなたが、あなたの隣り近所を、地域を、町を、そしてハドソン•テイラーがしたように一つの国をも変えることが出来るのです。

 

クリスチャンが宗教的な制度の中に押し込められると、今お話しているようなことは理解できなくなります。宗教的制度は優秀な戦士とかチャンピオンを生み出すようにはつくられていず、単に羊ばかりを育てようとします。そのような羊は人に頼って生きる人たちであり、毎週教会に来て楽しませてもらい、「十一献金をしたから今月の支払いは全部出来るはずだ」と考えて満足して帰ります。こうして教会という企業全体が次の週に向かって進むのです。しかし、あなたが御国の理解と御国の願望を持つコミュニティーに属すると(たとえそのコミュニティーがどんなに小さくても関係ありません)そこから多くのチャンピオンと物事の流れを変えていくgame changerが生み出されます。なぜなら、一人の真のリーダはどんな大きな宗教団体よりもベターであるからです。イエスは「わたしを信じる者は、わたしよりもさらに大きな業をするようになる。それはわたしが父のもとに行くからです。」と言われました。主は、私たちが主よりもよくなることを望んでおられるのです。最もよいものが最後に残されているのです。(終)


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