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22 04月

第二次「アメリカ独立/南北戦争 と     アメリカ合衆国憲法」について(その3)      リック ジョイナー


第二次「アメリカ独立/南北戦争

    アメリカ合衆国憲法」について(その3)

 

                        リック ジョイナー

 

 

マルクス主義者のアメリカ支配戦略

                                   (リック·ジョイナー 4月1日21年マルクス主義者の戦略パート7より)

 

    世界中のマルクス主義者にとっての最大の敵はアメリカです。なぜなら、創造者の神の前では「すべての人間は平等に造られている」ー アメリカは、この人間の自由と正義を確立し、それを維持するための人間の「共和国政府」を樹立する目的で建国された国であるだけでなく、その制度が世界各国の手本となることを最終目標として求められているからです。

 端的に言って、宗教、特にキリスト教信仰のリーダー國であり、民主主義、自由主義を尊重するアメリカを自分たちの支配下に置くことがマルクス主義者にとっての至上命令であり、そのために45の目標を立てて組織的にその目標達成に最大のエネルギーを使っているいると言われます。

 今回はその目標の28番目に当たる:アメリカの公立学校での祈りやあらゆる宗教的表現を、「政教分離」の原則に反するという理由で排除する、という彼らの目標に焦点を当ててみます。

 

 それは1962年に、エンゲル対ビタール事件という宗教問題に関する訴訟に際して起こったことですが、米国最高裁判所は、400年近くにわたるアメリカのクリスチャンの伝統と、それに200年近くにわたる最高裁判所の判例基準を根底から覆すような判決を下したのです。この判決によってそれ以来「公立学校での祈り」が禁止されてしまいました。

 

  ついては、最初に上記に挙げられた「政教分離の原則に反する」という理由についてですが、 「 政教分離」はアメリカ合衆国憲法のどこにも書かれていません。実際に憲法を読んだことのある人なら、このことを知っているはずです。

 

 マルクス主義者は、歴史上のどのグループよりも、プロパガンダを使って人を騙し、嘘を宣伝することに長けています。しかし、多くのアメリカの指導者たちは、何が政治的プロパガンダで、何が真実なのかという基本的な見極めもできないまま、メディアで広く語られたり、報道されたりすれば、ほとんどのことを真実として受け入れてきたのです。このような無能さ、場合によっては敵との共謀によって、アメリカ合衆国は過去に大変な代償を払ってきました。

 

    それでは、教会と国家の関係について、憲法はどのように述べているのでしょうか。憲法修正第1条だけがこの問題に触れていて、単純明快に次のように記されています。「連邦議会は、ある(新しく)宗教の設立を尊重したり、その自由な行使を禁止したりする法律を作ってはならない。」

 

    憲法制定に関わった建国者たちは、スピーチや個人的な文章の中で、これは宗教から政府を遠ざけるためのものであって、政府から宗教を遠ざけるためのものではないことを明確にしています。

 建国者の一人トーマス·ジェファーソンが最初に 「政教分離」という言葉を使いましたが、それは、ダンベリー·バプティスト(宗派の一つ)に対してで、これは国家が宗教に干渉させないためのものであり、その逆ではないということを確認するための手紙でした。

    また、憲法修正第1条では、合衆国議会だけが、宗教を確立(干渉する)ことを明確に禁じていて、州や国民が自由に考えて行動してよいと明示され、そのように理解されていました。

  問題は、あらゆる宗教にとって、その最も基本的な行為は「祈り」にあり、これを禁止することは、その宗教とその神との親しいコミュニケーションを禁止することになり、宗教的にいえば、これ以上に罪深いことがあるでしょうか?

 

         アメリカ共和国憲法の修正第1条では、私たちの他のすべての自由の基礎となる自由を保護しています。これは、自由を保証するために書かれた最も強力な45の言葉であり、アメリカを支配するためのマルクス主義の45の目標に対抗する最も強力な言葉でもあるのです。

  連邦議会は、宗教の確立を尊重したり、その自由な行使を禁止したり、言論や報道の自由を制限したり、人民が平和的に集合して政府に不満の解消を請願する権利を制限する法律を作ってはならない。

 

 この1962年の「エンゲル対ビタール」判決は、最高裁が下した中でも最も衝撃的な判決の一つと言われ、それ以来、私たちの国を覆っている腐敗への扉を大きく開いただけでなく、政府が教会の問題に介入するための扉も大きく開かれたのです。

 多くの研究では、この年からアメリカの道徳が崩壊したとされていますが、これは同時に、アメリカの宗教的自由に対する容赦ない攻撃の始まりであるとも言われます。

      そして、この違憲の最高裁判決は、他の多くの憲法違反の判決にも大きな扉を開きました。また、権利章典 the Bill of Rights で保障されている私たちの権利のほとんどすべてに対して裁判所が攻撃を加えることになり、ジェファーソンをはじめとする建国者たちが共和国にとって最大の脅威と考えていた「司法の専制政治」が始まったのです。

 

    イエスは、「木はその実でわかる」と言われました。アメリカの学生たちは現在、合衆国憲法修正第1条の「言論の自由」によって保護されていると想定し、学校内で自由に最も下劣な呪いのことばを使うことができると共に、何よりも衝撃的なことは、イエスの名前を使っただけで退学処分となる、それを政府が認めているのです。

 これは、歴史上最も神を愛し、神を求める国の政府が、今や反キリストとなってしまったという悲しい事実であるのです。

 

    アメリカはこの問題にあまりにも簡単に引っかかり、アメリカ文化に壊滅的な影響を与えたため、多くの人が現在のアメリカにおける道徳、誠実さ、人格の崩壊をもたらした唯一最大の破壊的な要因であると考えています。この見解を裏付ける圧倒的な証拠があります。真に憲法を知り、憲法を守るという誓いを誠実かつ勇気を持って実行する指導者がいたならば、アメリカでこのような事態は起こらなかったはずです。

 

         マルクス主義者は、もし彼らが宗教の自由、言論·報道の自由、あるいはアメリカ人の平和的集会の権利を破壊すれば、他のすべての自由の破壊が容易かつ迅速に行われることをよく知っています。彼らがすでに奪ってしまった自由を取り戻すためには、まず憲法修正第1条の権利を取り戻すことから始めなければなりません。

 

 次に、マルクス主義者の目標:その29では、アメリカの憲法を「不十分で、古めかしく、現代のニーズにそぐわない」と信じさせ、「世界規模での国家間の協力を妨げるものだ」と言って、その信用を失墜させようとしています。

    これによるマルクス主義者のねらいは、アメリカの「国の最高法規」としての合衆国憲法を無効にすることにあります。なぜなら、それができれば、共和国が立つ基盤を破壊することになり、アメリカ共和国は崩壊すると信じるからです。

 

         アメリカ人がこのような論法の影響を受けて、自国の憲法を軽視し始めているのは、自国の憲法に書かれている内容を全く知らないか、あるいは、アメリカが世界で最も強力で、裕福かつ自由な国となったのは、憲法がいかに役立ったかを明らかにしたアメリカの歴史を知らないという証拠です。

 歴史上、聖書に次いで、アメリカの憲法がこれほどまでに世界に良い影響を与えた書物は他にないと思います。

 それを「不十分」とか「現代のニーズにそぐわない」と言うのは、究極の無知、あるいは意図的な裏切り行為です。

    わが国の憲法は、書かれた時代の文化に合わせて作られたものではなく、時代を超えて明らかにされてきた人間の本質に関する知識に基づいて作られたものです。この憲法は、人間の悪を抑制し、善を自由にするために見事に設計され、これほど効果的な手段で政府を樹立した文書は他にありません。

         アメリカ人が「憲法は現代のニーズにそぐわない」と言うのは、憲法を知らないか、時代を知らないかのどちらかであることを示しています。憲法は、時を超えた真実に基づいているため、常に時宜を得たものであるのです。この憲法は、最初に批准された時と同じように、今日の問題に関連しており、今現在、人間の悪がその抑制をこれほど必要としていたことはないので、それ以上かもしれません。現在、米国を引き裂いている大きな危機の根源は、憲法を無視した結果であり、これらの危機を解決するための答えは、憲法を「国の最高法規」として正しい位置に戻すことです。

   最後に、憲法が世界的な協力の妨げになっていると考えるアメリカ人がいるとしたら、それは憲法と、今世界を究極の専制政治へと向かわせている力の両方について、いかに無知であるかということを改めて示しています。グローバリズムの根底にあるのはマルクス主義であり、地球上に放たれた最悪の専制政治の下に世界を統合しようとする人々に対する最も強力な防波堤がアメリカ憲法なのです。私たちの憲法は、これまでも、そしてこれからも、文明と自由を愛するあらゆる人々や国との協力関係の基礎となるものです。

 

    アメリカを破壊しようとするマルクス主義者のアジェンダを調べていくと、残念ながら、マルクス主義者は、憲法が私たちの自由、繁栄、強さにとっていかに重要であるかを、多くのアメリカ人よりもよく理解していることが分かります。

 

 

2020年の選挙の不正    (リック・ジョイナー師の4月21日 MSJ より)

 

 使徒パウロは、エペソ人への手紙1章18節で「私たちの心の目」が開かれるようにと祈りました。私たちの自然な目にも影響を与えるものがあり、物事をありのままに見るためには矯正レンズが必要なように、私たちの霊的な視力にも同じことが言えます。霊的な視野がぼやけてきたとき、正しい補正を受けると、すべてのものにピントが合うようになり明確になります。

 

 今回の選挙の後、私が話したクリスチャンのほとんどは霊的にぼやけた感じで、選挙が不正によって盗まれたと考えていない人はいませんでした。さらに悪いことに、最高裁判所を含む政府のほとんどすべての関係者が、この腐敗に加担しているように思えるのです。政府への信頼は1950年代から着実に低下して来ましたが、今回の選挙で米国民の連邦政府への信頼はほぼゼロになったようです。政府に対する信頼の低下は、政府の信頼性の欠如の増加に対応してきました。

 そうなるとすべてが悪い結果につながり易く、小さな火種でも大きな問題に連鎖する可能性があります。

 私たち国民がこのような事態を招いて共和国を破綻させてしまったのです。私たちの共和国では、国民が主権者であり、政府は私たちのために働くのであって、その逆ではありません。この状況を変えるには、国民が政府を取り戻さなければなりません。どうすればできるのでしょうか?

 

 まず、米国民が政府を取り戻す準備ができていることを示す証拠はあっても、「明確なトランペットコール」つまり明確な戦略や動員の場がない。

 しかし、今すぐに動員する必要はないのでそれでいいのです。まずはビジョンを修正する必要があります。

 私たちは、政府を修正する前に、政府がどうあるべきかという明確なビジョンを持つ必要があります。政府を再建し、私たちの信頼を得るためには、決まり文句やスローガン以上のものが必要になるでしょう。

 

 バイデン新政権は、トランプ氏に投票した人以外でも、多くの人が違法な政府とみなしています。多くのアメリカ人は、すでに選挙に対する信頼を失っていたため、長い間投票していませんでした。このところ、国が左に大きく揺さぶられているにもかかわらず、アメリカ人は自分たちは中道を堅持していると思っていて、80%以上の人がキリスト教徒であると言い、60%以上の人がボーンアゲイン・キリスト教徒であると主張しています。

 今、私たちアメリカ人は、地球上のほとんどの国がそうであるように自国の政府を信用していません。

 

 権力と権威·権限の間には違いがあります。権威がなくても力を持つことはできます。現在、多くの政府が不法に権力を握っています。事実、歴史上、世界のほとんどの政府にそれは当てはまりにますが、ローマ人への手紙13:1-2にはこう書かれています。

 「人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在する権威はすべて神によって立てられたものです。したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は、自分の身にさばきを招きます。」

 

 この文章で「権威」と訳されているギリシャ語は、「エクソシア」といい、文字通り「力」と訳されています。ですから、もしある人が権力を持っていたら、その人がどのようにして手に入れたかにかかわらず、私たちは、神が理由があってそれを許したと考えなければなりません。また、その力にできるだけ従うべきですが、一つだけ例外があります。それは、使徒たちが確立したように、権力者が聖書に書かれている神の明確な指示と相反することを指示する場合に「私たちは人よりも神に従わなければなりません」(使徒5:29参照)

 

 ローマ人への手紙13:1-4を考えるとき、多くの人が抱く疑問は、「ヒトラー、スターリン、毛沢東のような悪人が権力を持つことを神は許しておられたのか」答えは “イエス “です。神が許可していなければ、彼らは権力を握ることができませんでした。

 最初の人間が神ではなくサタンに従うことを選んだときに人間に与えられた権威をサタンが奪ったにもかかわらず、神はサタンがこの時代を支配することを許しておられます。イエスは、贖いによって地上の権威を取り戻したので、今はすべての権威を持っていますが、まだ地上の権力を奪ったわけではありません。

 なぜ主は、聖書に啓示されている多くの神の戒めに真っ向から対立するバイデン氏のような邪悪な政権を許されるのでしょうか。それはおそらく、歴史上で支配してきた他のすべての邪悪な権力を主が許されたのと同じ理由によるものでしょう。これらは裁きのために任命されたのです。もし私たちがこの理由を受け入れられないとしたら、それは私たちが神のありのままの姿、そして聖書に明確に啓示されている姿を知らないからです。

 

 「悪を善とし、善を悪とし、闇を光とし、光を闇とする」(イザヤ書5章20節参照)という究極の堕落に陥った国には、深刻な結果が待っています。

 アメリカは、記録された歴史の中で誰よりも神と神の道を愛していた国から、神が嫌うものを愛し、神を最も怒らせることを実践し、さらには実践している人々を称える国へと転落しました。もし神がこれらのことでイスラエルの国を滅ぼし、当時イスラエルが世界における神の唯一の証人であったときに神の民を流浪の民として散らされるなら、同じことをしている私たちに同じことが起こらないようにされると思いますか?

 

 私たちは、トランプ大統領が在任中に成し遂げることができたすべてのことに感謝すべきです。経済を再び動かすこと、軍隊の準備と効果を回復させること、聖書の正義と公正の原則に沿った信念を持つ裁判官を任命することなど、私が生きてきた中でどの大統領よりも多くのことを行いました。リーダーシップは重要であり、政府の最高機関に誰が座るかは重要です。

 邪悪な王がイスラエルを治めていたとき、国は邪悪になりました。正しい王が治めれば、リバイバルが起こり、神に立ち返るようになりました。

 

 バイデン政権は、就任初日から、神が “悪 “と呼ぶものの多くを大統領令で立法化し始めました。下院に提出された法案HR-1は、歴史上最も露骨な憲法修正第1条への攻撃であり、もし可決されれば、アメリカにおける宗教の自由、言論の自由、報道の自由の終焉と共に、その他の自由も攻撃されることになります。

 

 アメリカ国民はこのような事態を許すのでしょうか?選挙が簡単に盗まれるのを許してしまったら、他の権利が盗まれることに対して国民が立ち上がるとは思えないでしょう。確かに、私たちが方向性を変えなければ、今向かっている恐ろしい専制政治と同じようなことを、神は私たちに計画されているのでしょうか?その通りです。

 従って、私たちが神のもとに戻るならば、神は私たちのもとに戻って来られるゆえに、私たちは神のもとに戻らなければなりません。

 アメリカは基本的に神にこの国から出て行ってもらい、今では、神の名前を公の場で使うことさえ拒否しています。ヨハネの黙示録3章20節にあるように、この時代、私たちが主に心を開かなければ、主はご自分の教会にさえ入って来られません。ですから、私たちは、この国で日に日に増大している道徳的、霊的堕落よりも、主を望むことを決意しなければなりません。

 

 自分の将来を決めるのは、本当に私たち自身なのです。私たちが主を求めるなら、主を見つけることが約束され、また、私たちが主に近づくなら、主が私たちに近づいてくださることが約束されています。主を愛している人たちが、主を憎むごく少数の人たちに国を支配するのを許し続けるなら、私たちは本当に主を愛しているとは思えません。

 

 現在、アメリカの「キリストの身体」には、人間に対する恐れが蔓延しています。人間への恐れは「臆病」と訳されます。これは特にキリストの身体のほとんどの指導者に顕著で、彼らは人間を恐れるあまり、現代の重要な問題に取り組むことを控えています。私たちが政府にこのようなことを見るのは、私たちクリスチャンの教会がそのような模範を示して来たからです。

 この時代、アメリカには偉大な教会や祈りの運動があり、私たちはそれに感謝しなければなりませんが、一方で、教会全体がおそらく歴史上最も弱体化しているのも事実です。神は私たちに最大の権威と最大の力を与えたにもかかわらず、教会にはほとんど力も影響力もありません。なぜその力が使われないのでしょうか?それは、教会の指導者たちが、神への恐れよりも人への恐れによって生きているからです。これこそ「臆病」と言えます。

 

パート2:希望の兆し

 

 私たちが常に心に留めておかなければならないことは、主は、この世の強い者、賢い者、大勢の者を用いることはあまりないということです。むしろ主は、団結している二人を通して、団結していない大勢の人よりも多くのことをなさることができます。

 

 先月、私は国内外に影響力を持つリーダーたちのために、毎年恒例のラウンドテーブルの33回目の会議を開催しました。彼らは皆、クリスチャンですが、教会のリーダーばかりではありません。中には、ビジネス、行政、エンターテインメントなど、世界に大きな影響力を持つ分野のリーダーもいます。この座談会に参加する人たちの相互理解、尊敬、総合力は驚くほど高まっていますが、今回の座談会には特別なものがあり、私に大きな励ましを与えてくれました。

 

 座談会は自由な交流を目的としているので、このような集まりはいつも、主とその目的についての啓示や、私たちの時代についての洞察に富んでいます。その中には、国内外に影響を与えるようなものも発表されています。

 2015年の私たちの円卓会議は、トランプ氏を当選させたかもしれません。その座談会に参加したほとんどの人は、来る前は他の候補者を支持していましたが、帰る時は、ほとんどの人というより、おそらく全員が、トランプこそが運命の人だと信じて座談会を後にしました。その人たちは何百万人もの有権者に影響力を持つ人たちだったのです。

 もちろん、今回の座談会では、最近の選挙の意味合いについても議論されましたが、「今回の選挙は盗まれたものだ」というのが総意でした。盗まれた選挙は、失われた選挙よりもはるかに危険であること、そして、選挙管理そのものに信頼性がない時には、民主主義の共和国は存続そのものが難しいことを全員が知っている様子でした。ということは、私たちは今、歴史上最大の危機に直面していることは承知しているのです。ーではどうすればよいのか?

 色々なアイデアは話題に上りましたが、強烈なラッパを吹くレベルのものは何もない、しかし、それでいて、それを心配している人は一人もいませんでした。しかし、それが必ず来ることに、全員信仰ともいうべき確信を持っていて、そこには平安が溢れていたのです。

 この円卓会議になかったものは「不安と心配」ーーそのことが、恐らく会議で得られた最も重要なメッセージであったのです。

 そこには、驚くほど際立って大きな平安がありました。それは深遠なものでした。平安は、私たちの最も神聖な強力な武器の一つです。何度も繰り返しますが、サタンを足の下に打ち砕くのは「平和の神」(ローマ16:20参照)であると言われています。

 今回の座談会では、いつもながらの情熱があるにしても、平和と喜びが満ち溢れていたのです。主の臨在がそこにあり、主の臨在には「喜びが満ちている」からです。(詩篇16:11参照)そして「主の喜びはあなたの力」だからです。(ネヘミヤ8:10)これもまた、このリーダーたちの中にある強さを啓示していると受け止めています。毎回、笑いが絶えないのですが、今回は本当にそれ以上のほがらかな笑いがあったように思います。

 去年直面した危機の激しさを考えると、これは予想外のことでした。最も深刻な問題を話し合っているときでさえ、素晴らしいユーモアのセンスがありました。

 私たちの座談会の参加者は、何百万人もの信者に影響を与えているかもしれませんが、それはキリストの体のほんの一部に過ぎません。私たちは、国全体を代表しようと思ったことはありません。ただ、「キリストの身体」について幅広い経験を持ち、現代の重要な問題について国際的な視点を持った限られた人たち(30人以下)を集めるようにとの要請があったのです。ですから、私はこのような多様なミッションを代表する方々が、私たちが直面しているすべての問題に平安を感じているように見えたことは、私にとって非常に励みになりました。

 この平和と喜びは伝染するでしょう。もしあなたが世界に起こることについてストレスを感じているなら、これを読むだけでそのストレスが解消され、神への信頼と信仰が増していくことを祈ります。  (終わり)


22 04月

第二次「アメリカ独立/南北戦争とアメリカ合衆国憲法」について(その2)


 

第二次「アメリカ独立/南北戦争

                 アメリカ合衆国憲法」について(その2

              

                                                                         リック・ジョイナー

 

2021年を迎えて ( 2月21日 MSJ リック·ジョイナーより) 

 

 

 昨年の世界的な試練を受けて、2020年が終わったことを喜ぶ人が多いのは理解できます。しかし、その大変な2020年に、人生を取り戻した人たちーー特に主への献身や家族への献身を取り戻した人、人生の優先順位を取り戻したという人の証しを聞くことの方がはるかに多いのではないでしょうか。この勢いで、すべての出来事から学び、試練を無駄にしないように決意したいものです。未来に希望を持つことは良いことですが、その多くは私たち自身にかかっていることを忘れてはならないと思います。

「喜びに満ちて」主の御前にとどまっている人にとっては、最悪の時でさえも祝宴のごちそうになります。もし私たちがそうでないなら、私たちは主から離れてしまったのであり、私たちにできる最も重要なことは、主を求めることではないでしょうか。(箴言15:15参照)

 

 新しい心理学の分野では、私たちは環境や経験の良し悪しで決まるのではなく、それらにどう反応するかで決まると言われます。主は「私たちのためにならないことは経験させない」と約束されています。ですから、どんな試練でも、それが私たちのためになると確信して対処することが基本的な信仰です。そうしないと、神が私たちを助けてくださることよりも、トラブルが私たちを傷つけることを信じることになってしまうからです。

 

   2021年は、ある意味で私たちが生きてきた中で最も激しい年として始まっています。しかも、その激しさが増していくことを示す良い証拠が多くあります。アメリカには南北戦争以来の多大な分裂があり、アメリカ政府はおそらくこれまでで最大の憲法上の危機に陥っています。

 ヘブル人への手紙12章によれば、揺らぐことができるものはすべて揺らぐと言われていますが、私たちには揺るがすことのできない王国があります。王国の原則に基づいて建てられていない、あるいは王国の原則から離れてしまった政府のすべての部分は揺るがされます。残ったものは揺るがない。これは、主からのすべての規律がそうであるように、良いことです。もし私たちが今、個人的に揺らいでいるとしたら、おそらく私たちは、移り変わりの多い政府のやり方に必要以上の期待を寄せ過ぎているのでしょう。….政府のリーダーシップに目を向けると、ほとんどすべてのことに対して提案されてきた彼らの解決策の中で、国中に大きな不和が増えないようなものは一つもないように思えます。

 

 私たちが何年も前から言っているように、人類のあらゆる主要な問題は、今や人間の手に負えるものではなくなっています。しかし、すべての問題に対して、実行可能な完璧な解決策はあるのです。それらは人間を超えていますが、神にとって不可能なことは一つもありません。私たちが直面していることを、神はいとも簡単に解決してくださいます。ですから、私たちのするべき仕事は、問題にではなく、常に神に注目し続けることです。

 

 友人がジョージ・パットンの言葉を送ってくれました。それは「過去の人々がどのようにして予測不可能な事態に対処したかを研究することで、未知の事態に備える」というものです。このような偉大な例は、すでに聖書という1冊の本にまとめられていて、今ほど聖書が時代にマッチし適している時はありません。

 

 私はフィットネス・トラッカーを身につけていますが、その測定項目の一つにストレスがあります。ある行動がストレス・レベルにどのような影響を与えるかを見てきましたが、ニュースを見ることは、ストレスレベルが大きく上昇します。一方、聖書をはじめ、主や信仰に関する本を読んだり、クリスチャンにふさわしい生活をしていると、ストレスは下がります。従って、私はストレスが下がることに多くの時間を費やしています。

 

 2021年を21日間の断食で始めるにあたり、多くの人がニュースを見るのをやめて、その時間を聖書の中で過ごすことを選びました。MSJの記事は配信される1ヶ月以上前に書かなければならないので、私たちの教会の断食はすでに終わっていますが、神は時間と空間に制限されないので、今からでも参加することができます。もしあなたがストレスモニターを持っているなら、これがあなたに与える影響を見てください。不健康なストレスレベルは、事実上すべての臓器はもちろん、免疫系にもダメージを与えるため、パンデミックや紛争が増えている今日、これは私たちにとってさらに重要なこととなるでしょう。

 ストレスは恐れと直結しているので、恐れではなく、信仰を深め、信仰に基づいて歩むことを決意しようではありませんか。

 

 ボブ・ジョーンズは、メディアを「世界最大のテロ組織」と呼んでいましたが、その理由は、メディアが常に恐怖を植え付けているからです。私たちは情報を得る必要がありますが、恐れや疑いを与える情報源に気を付ける必要があります。

 これらは、私たちができる簡単で基本的なことですが、健康や生活の質に大きな影響を与えます。もし私たちが主に近づいているのなら、不安ではなく、喜びが増しているはずです。なぜなら、「主の御前では喜びが満ちる」からです。(詩篇16:11参照)喜びのレベルは、私たちがどれだけ主のもとにとどまっているかを判断する良い指標となります。

 主の平安と喜びを持っている人は、世界が増大するストレスと暗闇の中で霊的に抜きん出た人たちで、このようなリーダーによって最後の収穫は大いに増すことでしょう。

 ローマ人への手紙14章19節には「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」と書かれています。この世のものが、最も安定していると思われる組織や政府でさえも崩壊している中にあって、私たちは建設するように求められています。物だけではなく、人を築くように求められているのです。私たちは毎日、誰かを築き上げることによって、世界を変えることができるのです。

 私たちが、主とその王国のために道を築き、準備するために用いられる第一の方法は、マタイ6:33-34に従うことです。

「だから、主の国と主の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 だから、あすのための心配は無用です。・・・」

 

 主は、私たちが主と主の王国を第一に考えて行動するならば、主は私たちが必要とするすべてのものを用意してくださると約束しています。主よりもよく知り、世話のできる能力を持っている人は誰もいません。究極的には主にのみ頼り委ねることーこれが私たちのすべての問題の答えであり、世界のすべての問題の答えでもあります。私たちが、全能の神からのこの祝福を受けないとすれば、それこそ、生きてきた者の中で最大の愚か者ではないでしょうか?

 

 

真理とは何か  

         (3月21日 MSJ リック・ジョイナーより)

 

    前回のMSJで、私は「真理は行進している」ということを書きましたが、一方で、この国では今ほど真理が捨て去られていることはないと思われるかもしれません。実は、この2つはどちらも真実なのです。政府、メディア、教育、その他あらゆる影響力を持つ場所で、真実は踏みにじられているように見えます。しかし、これは真理が勝利しているのではなく、真理が暴露されているのです。真理の御霊は、政府や社会、文化における欺瞞と腐敗の深さを明らかにしてくれます。真理の光が、闇の中にあるものを暴いているのです。

 

 イエスが十字架にかけられる直前に、「この世の君主(サタン)が追い出されようとしている」(ヨハネ12:31参照)と言われたことを考えてみてください。追い出されるのはイエスご自身のようでした。神の史上最大の勝利が、一時的には最大の敗北に見えたのです。神の勝利のほとんどはそのようなものです。ですから、私たちが約束していたことや期待していたことと反対のことが起こっても、決して絶望したり、希望を失ったりしてはなりません。

 

 真の信仰は、結果だけではなく、神に対するものであることを忘れないで下さい。これは、私たちが祈るときに具体的なことを求めないという意味ではありませんが、私たちが望むもの、望むとき、あるいは主が提供してくださる方法が、最善ではないこともあります。私たちは、外見にとらわれず、主を信頼することを決意しなければなりません。

 

 2020年の選挙では、ドナルド・トランプ氏が大差をつけて勝利したことが、調べれば調べるほど明らかになっています。詐欺と汚職の証拠は、誰が見ても明らかです。しかし、これまではそうではありませんでした。しかし、証拠に基づいて却下されたものは一つもなく、「スタンディング」に基づいて却下されました。これはどういうことでしょうか?

 「スタンディング」とは、もしあなたが不注意な運転手に怪我をさせられた場合、あなたにはその怪我に対する損害賠償を求める裁判権があるということです。しかし、そのような事故の目撃者であっても、怪我をしていなければ、明らかな理由により訴訟を起こす資格はありません。

 

 選挙の完全性に異議を唱えるすべての訴訟を、すべての裁判所が、これらの訴訟を起こした州や人々には原告適格がないと言って退けたのは、どういう意味でしょうか。不正な選挙によって傷ついたのは、たとえ候補者が勝利したとしても、アメリカのすべての市民ではないでしょうか。有権者の不正行為は、この国のすべての人の投票権を低下させます。このようなケースで正義を求めて訴訟を起こす権利がないと裁判所が言うのは、私たちにはもう本当の権利がないと言っているようなものです。

 最高裁を含むすべてのレベルの裁判所が、事件の証拠を調べることさえ拒否するこの戦略を取ったのはなぜでしょうか?このことは、前例のないレベルの不正選挙よりもさらに私たちが警戒すべき裁判所の腐敗のレベルを明らかにしました。ひとたび裁判所がどの政党にも支配されていることが明らかになれば、共和国は絶望的になる。このようなことから、ジェファーソンなどの建国の父たちは、「司法の専制」を共和国にとって最も危険な脅威と考えていたのです。

 

 共和国では、国民が指導者を投票で選ぶ、最終的な権威を持つ主権者であり、政府の全員が国民に仕えているのです。裁判所が、私たちにこの問題での適格性がないと言うことは、国民がもはや主権者ではないということであり、従って私たちは、もはや共和国ではなく、この不正行為を指示する者の下での独裁国家であると言えます。

 共和国では、憲法は「国の最高法規」です。つまり、主権者である国民であっても、憲法に則って行動しなければなりません。国民の主権は彼らの投票によって行使されます。今回の選挙では、不正行為によって票数が少なくされたことによって、自分の票を正しく数えてもらうという国民の最も基本的な権利が踏み躙らました。と同時に、国の憲法が踏みにじられたことを意味します。

 

 メディアやリベラル派は、今回の選挙には不正の証拠がないと言っていますが、実際には、これまで経験したことのないレベルの証拠が山ほどあります。この国でこのようなことが起こるとは想像もできないでしょう。今や、不正と腐敗が勝利し、真実、私たちの権利と、憲法が徹底的に打ちのめされたかのように見えます。それはまさに、悪魔とイスラエルの腐敗した指導者たちがイエスを十字架につけ、イエスが死んだのを見た人々は、そう思ったのと同じです。

 イエスは弟子たちに、「自分は十字架刑に処せられねばならない」「自分はそうして死ぬが、必ず復活する」と何度も言われたにもかかわらず、弟子たちは、イエスが死ぬと絶望してしまいました。復活が起こるまでは、彼らには復活が見えなかったのです。イエスが復活した後、彼らの信仰はかつてないほど大きくなりました。

 

 今回の選挙で暴露された政府の腐敗は、間違いなく私たちが夢にも思わなかったほどひどいものでした。それは上記で挙げた十字架刑で死なれたイエスを見て弟子たちがうちのめされたのと同じことが、アメリカでも起こったのです。

 それが、私たちがこのような目に遭わなければならなかった理由の一つかもしれません。それはアメリカ人が持った「自分たちが作り出した選挙方式」への「誇り」に対する主からの戒めであったのかも知れません。私たちは、公平・正当な選挙が行われることをもっと厳しく監視する義務を怠ったのです。その結果は大変な打撃を受けました。

 このようなことがアメリカで起こるはずがないと考えるのは慢心であり、それを許したのは明らかに開かれた扉でした。メキシコでは、私たちよりもはるかに多くの安全対策が施されていますし、私たちがよく嘲笑する「バナナの共和国」も同様です。神は高ぶる者には抵抗されますが、へりくだる者には恵みをお与えになります」(Ⅰペテロ5:5参照)とあるように、私たちにはへりくだる理由があります。

 私たちは、自分の国の腐敗の度合いを知る必要がありましたが、それ以上に謙虚さが必要だったのでしょう。弟子たちは、イエスが十字架にかけられたことでみなへりくだり、イエスが復活されるまでは落胆し、落ち込んでいたことでしょう。これらのことは、彼らがアパー・ルームでイエスの約束を待つ間に得た、かつてないほどの一体感のための準備となりました。この一体感こそが、聖霊が注がれるための準備でした。

 

 この国の重要性やこれらの出来事を、イエスの十字架と復活になぞらえているわけではありません。しかし、これらは多くの人間の出来事と並行しており、私たちが今、アメリカで経験していることとも重なります。共和国は一時的に死んだように見えるかもしれませんし、ある意味では死んでいます。しかし、復活の時があるのです。そして、聖霊の注ぎが来るのです。

 

 私は、2018年に見た夢の中で、来るべき第二次アメリカ革命・南北戦争は避けられない。しかしそれは成功するであろう。」と主から示されました。 決して希望と信仰を失わないでください。勇気を失ってはなりません。また、決して喜びを失わないで下さい。「主の喜びはあなたの力」 どんな人間の政府よりもはるかに信頼すべき私たちの主は、選挙に負けませんでした。それどころか、主は無敗であり、どんな戦いにも負けたことがなく、これからも負けないのです。

 

 詩篇2篇にあるように、すべての国が主との関係を断とうとして大混乱に陥っているとき、主は「天に座って笑っておられる」のです。私たちが主に寄り添っていれば、私たちもそうなります。これは、私たちの国が経験しているトラウマを笑っているという意味ではありません。この時代全体、そして「大艱難」までもが、悪魔と彼に従う者たちが、イエスを殺して倒したと思った時のように、やがて捕らえられるための神の罠なのです。( 続く)


22 04月

第二次「アメリカ独立/南北戦争 とアメリカ合衆国憲法」について(その2)   リック・ジョイナー


真のクリスチャン國として世界を導くために、神は、

アメリカ共和国を造られた(その2)   

                  坂 達 也

 

第二次「アメリカ独立/南北戦争 とアメリカ合衆国憲法」について(その2)

              リック・ジョイナー

 

2021年を迎えて ( 2月21日 MSJ リック·ジョイナーより) 

 

 

 昨年の世界的な試練を受けて、2020年が終わったことを喜ぶ人が多いのは理解できます。しかし、その大変な2020年に、人生を取り戻した人たちーー特に主への献身や家族への献身を取り戻した人、人生の優先順位を取り戻したという人の証しを聞くことの方がはるかに多いのではないでしょうか。この勢いで、すべての出来事から学び、試練を無駄にしないように決意したいものです。未来に希望を持つことは良いことですが、その多くは私たち自身にかかっていることを忘れてはならないと思います。

「喜びに満ちて」主の御前にとどまっている人にとっては、最悪の時でさえも祝宴のごちそうになります。もし私たちがそうでないなら、私たちは主から離れてしまったのであり、私たちにできる最も重要なことは、主を求めることではないでしょうか。(箴言15:15参照)

 

 新しい心理学の分野では、私たちは環境や経験の良し悪しで決まるのではなく、それらにどう反応するかで決まると言われます。主は「私たちのためにならないことは経験させない」と約束されています。ですから、どんな試練でも、それが私たちのためになると確信して対処することが基本的な信仰です。そうしないと、神が私たちを助けてくださることよりも、トラブルが私たちを傷つけることを信じることになってしまうからです。

 

   2021年は、ある意味で私たちが生きてきた中で最も激しい年として始まっています。しかも、その激しさが増していくことを示す良い証拠が多くあります。アメリカには南北戦争以来の多大な分裂があり、アメリカ政府はおそらくこれまでで最大の憲法上の危機に陥っています。

 ヘブル人への手紙12章によれば、揺らぐことができるものはすべて揺らぐと言われていますが、私たちには揺るがすことのできない王国があります。王国の原則に基づいて建てられていない、あるいは王国の原則から離れてしまった政府のすべての部分は揺るがされます。残ったものは揺るがない。これは、主からのすべての規律がそうであるように、良いことです。もし私たちが今、個人的に揺らいでいるとしたら、おそらく私たちは、移り変わりの多い政府のやり方に必要以上の期待を寄せ過ぎているのでしょう。….政府のリーダーシップに目を向けると、ほとんどすべてのことに対して提案されてきた彼らの解決策の中で、国中に大きな不和が増えないようなものは一つもないように思えます。

 

 私たちが何年も前から言っているように、人類のあらゆる主要な問題は、今や人間の手に負えるものではなくなっています。しかし、すべての問題に対して、実行可能な完璧な解決策はあるのです。それらは人間を超えていますが、神にとって不可能なことは一つもありません。私たちが直面していることを、神はいとも簡単に解決してくださいます。ですから、私たちのするべき仕事は、問題にではなく、常に神に注目し続けることです。

 

 友人がジョージ・パットンの言葉を送ってくれました。それは「過去の人々がどのようにして予測不可能な事態に対処したかを研究することで、未知の事態に備える」というものです。このような偉大な例は、すでに聖書という1冊の本にまとめられていて、今ほど聖書が時代にマッチし適している時はありません。

 

 私はフィットネス・トラッカーを身につけていますが、その測定項目の一つにストレスがあります。ある行動がストレス・レベルにどのような影響を与えるかを見てきましたが、ニュースを見ることは、ストレスレベルが大きく上昇します。一方、聖書をはじめ、主や信仰に関する本を読んだり、クリスチャンにふさわしい生活をしていると、ストレスは下がります。従って、私はストレスが下がることに多くの時間を費やしています。

 

 2021年を21日間の断食で始めるにあたり、多くの人がニュースを見るのをやめて、その時間を聖書の中で過ごすことを選びました。MSJの記事は配信される1ヶ月以上前に書かなければならないので、私たちの教会の断食はすでに終わっていますが、神は時間と空間に制限されないので、今からでも参加することができます。もしあなたがストレスモニターを持っているなら、これがあなたに与える影響を見てください。不健康なストレスレベルは、事実上すべての臓器はもちろん、免疫系にもダメージを与えるため、パンデミックや紛争が増えている今日、これは私たちにとってさらに重要なこととなるでしょう。

 ストレスは恐れと直結しているので、恐れではなく、信仰を深め、信仰に基づいて歩むことを決意しようではありませんか。

 

 ボブ・ジョーンズは、メディアを「世界最大のテロ組織」と呼んでいましたが、その理由は、メディアが常に恐怖を植え付けているからです。私たちは情報を得る必要がありますが、恐れや疑いを与える情報源に気を付ける必要があります。

 これらは、私たちができる簡単で基本的なことですが、健康や生活の質に大きな影響を与えます。もし私たちが主に近づいているのなら、不安ではなく、喜びが増しているはずです。なぜなら、「主の御前では喜びが満ちる」からです。(詩篇16:11参照)喜びのレベルは、私たちがどれだけ主のもとにとどまっているかを判断する良い指標となります。

 主の平安と喜びを持っている人は、世界が増大するストレスと暗闇の中で霊的に抜きん出た人たちで、このようなリーダーによって最後の収穫は大いに増すことでしょう。

 ローマ人への手紙14章19節には「そういうわけですから、私たちは、平和に役立つことと、お互いの霊的成長に役立つこととを追い求めましょう。」と書かれています。この世のものが、最も安定していると思われる組織や政府でさえも崩壊している中にあって、私たちは建設するように求められています。物だけではなく、人を築くように求められているのです。私たちは毎日、誰かを築き上げることによって、世界を変えることができるのです。

 私たちが、主とその王国のために道を築き、準備するために用いられる第一の方法は、マタイ6:33-34に従うことです。

「だから、主の国と主の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。 だから、あすのための心配は無用です。・・・」

 

 主は、私たちが主と主の王国を第一に考えて行動するならば、主は私たちが必要とするすべてのものを用意してくださると約束しています。主よりもよく知り、世話のできる能力を持っている人は誰もいません。究極的には主にのみ頼り委ねることーこれが私たちのすべての問題の答えであり、世界のすべての問題の


11 04月

真のクリスチャン國として世界を導くために、  神は、アメリカ共和国を造られた(その1)      坂  達 也


のクリスチャン國として世界を導くために、

     神は、アメリカ共和国を造られた(その1)

 

                    坂  達 也

 

 イスラエルという国は、創造者の神が造られた唯一ご自分の国でした。そのイスラエルの歴史は、基本的に、旧約聖書がその歴史と言えます。

 一方新約聖書には、冒頭のマタイの福音書の最初に、神であって人間として生まれた「神のひとり子イエス・キリスト」の系図が記されていて、その「キリストがこの世で何をしたのか」の物語(4つの福音書)が書かれています。

 キリストは、彼を信じる人間を救うために、人間としてこの世に生まれ、全人類の犯す罪の身代わりとして十字架で死なれ、よみがえり、最後に天に帰られました。新約聖書には、それに付け加えて、「イエスの初代の真弟子たち」によって「その後のクリスチャンの歴史とその預言」が書かれています。

 

 しかし、神は人間を造った目的をより明確にするために、「その後のクリスチャンの歴史」の終盤において、アメリカという国を造りました。それは、「すべての人間は平等に造られていて、すべてのクリスチャンのための自由と正義を確立する」ことを、具体的に国の政治によって実現させるためでした。しかも、その制度が世界各国の手本となることを最終目標として求めておられたのです。

 

 私は、リック・ジョイナー師は、神学的に深い理解を持つ「神学者」であり、また「神と親しい預言者」でもあり、またこの世のビジネスの経験を持った方ですが、それ以上に重要なことは「真のクリスチャンを育てる教会の主任牧師」として長年苦労されて来た方であることです。このジョイナー師を用いて、神はアメリカ共和国を造った真の「神の目的」を明らかにされていると信じます。

 

 以降は師の書かれたものの中から選んで、その趣旨をお伝えします。

 

 

第二次「アメリカ独立/南北戦争 とアメリカ合衆国憲法」について

                      リック・ジョイナー

             

 

     私は、2018年12月14日に、私たちの国、アメリカ合衆国にさまざまな攻撃がやってくるという夢を見ました。そして、それぞれの攻撃に対抗するために送り出される人たちが示されました。

     夢の中で、私の任務が告げられ、そのための「天から見たアメリカ共和国の歴史 」が映し出されたのです。

     それを見ていると、右手には現在に向かって時代が進んでいることがわかりました。そこで私は、今起こっていることに対する天の視点を見るために、最後まで行ってみることにし、現在にまで来てみると、そこには燦然と輝く金色の文字で、「第二次アメリカ独立・南北戦争は必然であり、正しく、成功するであろう。」と書かれていました。

     (歴史の行程を)歩いて「現在」を見たことで、この革命・南北戦争がなぜ 避けられない のか、なぜ正しいのかが分かりました。これは、私が今までに託された最も重要な啓示かもしれないと感じながら、私は目を覚ましたのです。

 

 従って私は、天の視点から見た「アメリカ共和国」の歴史にアクセスする権利と、それに伴う「役割」が与えられたと理解し、これから終末に向かって展開される事態において、神の意向をより正しく理解し、この世に伝えるために、このアメリカの歴史に立ち返ることになるだろうと感じたのです。

 

     私たちは既に、”第二次アメリカ独立/南北戦争 “の最初の段階に入っているのです。このことは、次のような多くの疑問につながると思います。双方の立場、争点は何で、何が正しいのか?何よりも重要なのは、天の視点から見たこの戦争の成功とはどのようなものかということでした。

    預言者でなくても、アメリカが二つに分裂して「国内の内戦」に向かっていることは分かります。それでも、夢を見る前は、「避けられない」ことがはっきりするまでには、まだまだ時間がかかると感じていました。しかし夢の中で、私たちは既にその一線を越えてしまっており、それが今、私たちに迫ってきていることを知ったのですから、私たちはそれを避けるための戦略から、勝ち取るための戦略に変えねばならず、そのためには、「天の視点で勝つ」ことを考える必要があることが分かりました。

 

     天の視点では、(英国からの)独立戦争には勝てませんでした。天の視点では、この戦争は単に独立を勝ち取るだけではなく、自由、すなわちすべての人のための自由と正義を確立し、それを維持するための人間の政府を樹立するための革命を意味していたからです。

 この戦争では、いくつかの重要なことが達成されましたが、天が成功したと見なすには、基本的にあまりにも不十分な結果となりました。もし建国者たちが、独立を求める理由として宣言した「すべての人間は平等に造られている」ということを真に信じていたのであれば、奴隷制度自体が問題であり、南北戦争は避けられなかったはずです。

    また、 天の視点から見て南北戦争が成功していたら、その後起こった the Civil Rights Movement 公民権運動とか、私たちが今も戦っている多くの紛争の必要はなかったでしょう。連邦政府は、反乱を鎮圧し、奴隷制を廃止することには成功したかもしれませんが、すべての人に「正義と平等」を確立することには成功しなかったのです。

     アメリカ共和国では、自由と正義は人種問題だけではなく、富や名声、政治的な面でも歪められています。天は、この時代に地上のあらゆるものが完璧であることを期待してはいません。実際、聖書には、地上の最高のものも天の影に過ぎず、今の地上の最高のものもやはり来るべきものの影に過ぎないと書かれています。しかし、私たちが何かの影の中にいるとき、私たちは本物にとても近いのです。アメリカ共和国は、まだ到達していない自由と万人のための正義に、もっと近づくことが求められています。しかも私たちは、その制度が世界各国の手本となることを求められているのですが、実際には、現在のような機能不全の手本でしかない状態です。

 

     また、私たちは、戦争に対しても天の視点を持たなければなりません。私たちは、戦争というと常備軍隊同士の戦いと考えがちですがそうではなく、今起こっていることは真の意味での独立戦争や南北戦争ではありません。しかし、だからといって、私たちが今直面していることが容易であるということではなく、全世界がかつてなかったほどの大きな試練の時を迎えています。それに立ち向かう私たちには、「成功する」という確かな希望が上から与えられていることを望んで止みません。

 

 

Jan 4,2019 WEEK 2 第二次アメリカ独立・南北戦争

 

    私が見たこの夢の最初の部分は、この戦争で成功する戦略を理解するためのものでした。私たちの国にある特定の悪の拠点を攻撃するために、チャンピオンが育てられるのです。その悪とは、偏見、貪欲、利己的な野心、憎しみ、反抗、プライドなどのことです。夢の中では、これらの悪はすべて木の中にあり、根と枝を持っていることを語っていました。それらを打ち負かすためには、枝をもてあそぶのではなく、木の根に斧を突き立てなければなりません。

    但し、アメリカは神の国でもなければ、新しいエルサレムでもありません。私たち共和国が、神との特別な契約を結んでいた証拠を求めて歴史を調べましたが、それも見つかりませんでした。人は国家のために神との契約を結びますが、神が義務を負う契約の聖書的な基準ではなく、すべての神の契約は人間ではなく神に由来し、神が契約を結んだことが明確に超自然的に示されます。私が見落としているのかもしれませんが、私たちの国の歴史の中にこのことを見つけることができませんでした。

         そうは言っても、アメリカが「神に捧げられた国」であるという証拠はたくさんあります。神への献身は人間に由来することですが、神に捧げられたものは、すべて聖なるものとして聖別されます。従って捧げられたものには、特別な恩恵(好意)や裁きがついて回ります。神の好意は、この世のどんな宝や他の資源よりも価値があります。しかし、神に捧げられたすべてのものが聖なるものであるため、神に捧げられた国は、他の国ができるかもしれないことをすることができません。

 私たちには、すべての人が持つように創られた自由と正義を示す国になるという建国の目的が与えられました。この目的こそは、私たちがこの奉納のために受けた神の最大の好意です。

 聖書には「主の御霊のあるところには自由があります。」(Ⅱコリント3:17参照)と書かれています。だからこそ、「善悪を知る木」が園に置かれたのです。逆らう自由がなければ、真の従順はあり得ません。自由と自由意志は、私たちが創造されたものの中核をなすものです。

         私たちの「国の創世記の文書」は聖典ではありませんが、私たちの運命を明らかにし、導くために、神の霊感を受けたものです。このような天命があるからこそ、そこから外れたときにトラブルが起こるのです。天命を明確にし、それを果たすための道に戻ることは、私たちが存在し続けるために重要です。

         目的を逸脱すればするほど、不和は大きくなる。これまで述べてきたように、私たちの国家としての基本的な目的の一つは、「すべての人間は平等につくられている」ということを理解し、それを実践する場を設けることでした。天国では、独立ではなく、この点が独立戦争の最大の問題でした。独立戦争の後、我々の主目的が妥協され、偽善的に無視されたので南北戦争は必然的に起こりました。もし、アメリカ共和国が「人間はみな平等に造られている」と本気で信じていたら、奴隷制度はもちろん、人種による差別もあり得なかったはずです。

         南北戦争では、奴隷制度を根絶やしにすることはできても、「すべての人間は平等につくられている」ということまではできませんでした。これは、まだ達成されていない私たちの使命の一つの要素に過ぎません。アメリカにおける差別撤廃の進展には感謝すべきであり、顕著な進歩が見られますが、私たちが求められている場所にはまだほど遠いのです。私たちは今、国家として神から与えられた使命の明確なビジョンを取り戻し、それに完全に従うことを決意するまでは、紛争の拡大は避けられないところまで来ているのです。

                                                                                                                                                                                        (続く)


31 03月

預言の召し ビル・ジョンソン


預言の召し

 

ビル・ジョンソン

 

 

 預言的で霊的見分けが出来る人たちは「真の預言の油注ぎ」と「疑いをもたらし、自分の意見を通す怒りの霊」とをはっきりと見分けねばなりません。人生の最大のチャレンジの一つは、あなたが愛し仕えている人が持つ怒りと同じ怒りを自分も持ってしまわないようにすることです。それはとても難しいことです。

 例えば、あなたが貧しい人を一生懸命助けているならば、金持ちに対して腹を立てないでいるのは困難です。もし裕福な人たちへのミニストリーに召されているならば、きちんと働かない人たちに腹を立てないでいるのは困難です。大学生へのミニストリーをしているならば、保守的政治グループに腹を立てないのは困難です。老人にミニストリーをしているならば、若者に腹を立てないのは困難です。インディアンにミニストリーをしているならば、彼らに不正を行ったものたちに腹を立てないでいるのは困難です。

 

 私たちの働きの実は、私たちがどれだけ人びとを愛し、折りに適った神のことばを与えることができるかによって決まります。

自分の考えを押しつけたり、自分の益になるからではなく、彼らの益のために100%神から受けたことばを語るのです。そして彼らが持つ怒りを自分は持たないことです。歴史上、私達がどれほどこの国のカルチャーに良い影響を及ぼすことができるかは、私たちが「怒り、立腹」という感情をどれほどコントロールできるかにかかっています。これが真理です。(注:自分に死ぬ必要がある)

 

イザヤ60章は私の人生を変えた大好きな箇所であり、現在の教会のための預言だと思いますが、その一つ前の59章21節は、60章に書かれていることが起こるための舞台を作っています。

 

「『これは、彼らと結ぶわたしの契約である。』と主は仰せられる。『あなたの上にあるわたしの霊、わたしがあなたの口に置いたわたしにことばは、あなたの口からも、あなたの子孫の口からも、すえのすえの口からも、今よりとこしえに離れない。』と主は仰せられる。」

 

「神の御霊が人びとにくだること」と「神のことばが彼らの口にあること」の密接な関係がここでも言われていることに留意してください。神の御霊が私たちに留まっている証拠は、私たちの口から神のことばが発せられることなのです。イエスは「わたしは父の言われることだけを言う。」と言われ

(ヨハネ8:28)、私たちが話すべきことの基準を示されました。地上を歩かれ人の中で、一番すばらしい独自の考えを持っていた人は、多分イエスだったことでしょう。けれども主は自分自身のことばは何も語られなかったのです。

 

 ヨハネの福音書7:18には「自分から語る者は、自分の栄光を求めます。」とあります。自分から語るとは、御父が語られていることに耳を傾けようとせず、自らのことばを語り、それによって密やかに名を上げようとする行為です。

 

使徒行伝3を見てみましょう。2章の聖霊の大いなる注ぎの後のことです。24、25節に「また、サムエルをはじめとして、彼に続いて語ったすべての預言者たちも、今の時について宣べました。あなたがたは預言者たちの子孫です。また神がアブラハムに、『あなたの子孫によって、地の諸民族はみな祝福を受ける。』と言って、あなたがたの先祖と結ばれたあの契約の子孫です。」とあります。イザヤ59章はイスラエルに与えられた言葉でしたが、預言的には「贖われた者たち、即ち教会」に対して言われたことばです。そして使徒3:25は明らかに教会へのことばであり「あなたがたは預言者たちの息子、娘です」と明言しているのです。

 

これは「あなたや、あなたの子孫、あなたのすえのすえの口にわたしのことばを置く」という契約の成就です。神が私たちに御霊をくださり、いずれの世代においても地上に神のことばを宣言し解き放つことが出来るようにされたのです。私たちが受け継いでいる相続財産が何なのかを知ることは重要です。まず神が「私たちがどのような身分の者であるか」と言っておられるかを知らねばなりません。自分の「神にあるアイデンティティー」を知るときに、自分の受けている相続財産を用いることができるのです。それは傲慢でもなく、自己中心でもなく、自分に自信があるということでさえありません。神があなたを「預言者の息子、娘である」と言っておられるのです。それによってあなたは「神の御霊を受け」「神のことばを語る」正当な権利があります。この二つは同じことなのです。

 

イエスは肉となったことばであり、神の臨在は神のことばと同じです。神の臨在をあなたが感じる時はいつでもそこに神の声がある。そして神の声があるときはそこに臨在があるのです。

 

 イザヤ51:12、13「わたし、このわたしが、あなたがたを慰める。あなたは何者なのか。死ななければならない人間や、草にも等しい人の子を恐れるとは。天を引き延べ、地の基を定め、あなたを造った主を、あなたは忘れ、一日中、絶えず、しいたげる者の憤りをおそれている。」

 

 神は私たちが恐れるとき、やさしく慰めてくださる方ですが、この箇所では「わたしが慰めると言っているのだから、あなたには恐れる権利はない!」と厳しく言われています。あまり聞きたくないことばかもしれませんが、時として神はこう言われるのです。

 

 もし私が内向的になり「どうしよう、こんなことになって私の人生はどうなるのだろう。」とつぶやき始めるならば、私は恐れで一杯になってしまいます。恐れは時として自己中心の表れです。それは天を引き延ばされた方を見失っていることだからです。その方が「わたしが慰める」と言っておられるのです。私たちが恐れるのは神を見失った証拠です。この箇所で神は私たちの「人に対する恐れ」を取り扱っておられます。「人に対する恐れがなくなるように祈ってください」と頼まれるとき、私はもちろん祈りますが、人への恐れに対処するためには「神を恐れること」を知ることが必要です。両方を一度に恐れることはできません。

 

 人を恐れるとき、あなたは「神への恐れ」を「人への恐れ」と取り替えてしまっています。人への恐れを持ってしまったとき、私たちはその罪を告白し、悔い改めねばなりません。それによって人への恐れから解放され自由になるのです。人を恐れることから神を恐れることへの転換は、直ぐにできることです。

 

15節「わたしは、あなたの神、主であって、海をかき立て、波をとどろかせる。その名は万軍の主。わたしは、わたしのことばをあなたのくちに置き、わたしの手の陰にあなたをかばい、天を引き延べ、地の基を定め、『あなたはわたしの民だ。』とシオンに言う。」

 

 神はご自分が祝福した者たちを守る方です。祝福した者が敵に食い尽くされるのを見放す方ではありません。祝福し、守ってくださる方です。主は「わたしがあなたの口にわたしのことばを置いた、わたしの手の陰であなたをかばう」と言われます。そしてそれを通して「天を引き延べ、地の基を定める」と言われます。これは「天にあるごとく地にもなさせたまえ」という祈りの旧約聖書版です。神は「天を地にもたらすプロセス」とそのための手段を語っておられるのです。一つの世界(天)にある現実をもう一つの世界(地)にもたらす方法であり道具です。それは即ち「わたしがあなたの口にわたしのことばを置いた」とあるように私たちが神のことばを宣言することに他なりません。

 

モーセは「すべての民が預言者ならよいのに」と祈りました。イエスは、預言者や霊の父祖たちは私たちが見ているものを見たいと切に望んだと言われました。モーセはあなたや私が生きている今という時代、神のすべての民が預言的な油を持つ時代を夢見ていたのです。私たちの預言は第一に自己中心であってはならず、次に人を暴いたり痛めたりするものであってはなりません。それは人のデスティニーを呼び出すためのものです。主を知らない人であっても、私たちの口を通して神がその人の中にある尊い金塊を呼び起こし、その人の人生が変えられてきたことを、私たちはこの数年間に幾度となく見てきました。彼らはそれまで聞かされていた偽りではなく、神の真実のことばを受け取って、方向転換ができたのです。今ここにいる皆さんすべてに対して、神は力強い、ポジティブな正しいことを宣言されています。私たちがそれを聞き、しっかり受け止めたとき、私たちは変ることができるのです。主は私たちが主の御声を聞くようにと召してくださっています。今は「神の声を聞くこと」ほど嘲られていることはありません。しかし私たちは神の御声を聞きながら、それに従って生活するという預言的な生き方ができるのです。それははっきりした大きな御声とか、壁に字があらわれたというものではないかもしれません。しかし、神の臨在、御霊の臨在の中で生きるライフスタイルを始めるとき、あなたは主の思いを思い、主のことばを語り始めるのです。それは頑張って一生懸命に神の御声を聞くというのではありません。実際、私は頑張ると何も聞くことができません。神を聞くことは努力からではなく、降伏することからくるのです。あなたが自分の決意と努力で(即ち肉で)求めるのに疲れたときに、神は語ってくださいます。

 

 

エペソ4:29「悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。」

ここにある「恵み grace」とは神の特別の厚意です。あなたが誰かを励まそうとして口から出したことばを神が承認されるとき、神はその人に恵み、特別の厚意をそそそがれるというのです。

仕事関係の人、或いは近所の人に、何か励ましのことばを語ったり、神がその人の人生にしておられることを告げたり、その人のすぐれた才能を認めたりするとします。そのようにあなたが人の徳を養うことばを口からを出すならば、神はそこに恵みを置き、厚意を置いてくださるのです。

神は「わたしの息子、娘が、わたしからの励ましをこの人に伝えたのだから、わたしは勿論それをバックアップせねばなりません。」といわれるのです。

 

 預言的ライフスタイルとは、常に神の臨在と共に歩み、神の思いを自分の思いにしていくことです。そして人びとの徳を高めることばを口から出す時、神がそのことばのバックアップをしてくださるのです。 (終り)

 

(以上はジョンソン師が礼拝で語られたメッセージから取りました。)


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