WWGM

Walk With God Ministries

12 06月

トランプ大統領と金北朝鮮主席との最初の会談が終わって        坂  達 也  2018年6月13日


トランプ大統領と金北朝鮮主席との最初の会談が終わって

 

                 坂  達 也

 

 

待ちに待った日がやって来ました。特にこの会談が、その数日前に行われたカナダでのG7会議を途中で退席してシンガポールに向かったトランプ大統領だけに、これほど世界中から誹謗、批判と疑いの目で迎えられた会談は世界の歴史の中でも珍しいと思います。G7では、トランプ氏はまさに世界一の大悪人というレッテルが貼られました。特にアメリカで大きく報道されたニュースでは、会議の最後の方で興奮してトランプ氏に詰め寄り囲んだ6人の元首たち、特にドイツのメルケル首相がトランプ氏に厳しく詰問する姿は異例の事態でした。

 

さて、シンガポールの会談で話合われたことの内容は、正式の声明文が発表されていますので、要旨を私が申し上げるまでもありません。そこで、会談が終わった後で、トランプ大統領が会場の外に出て来たところを最初に捉えた元フォックスニュースにいて、今はボイス オブ アメリカの記者をしているグレタさんが行った記者会見の内容をかいつまんでお話ししたいと思います。尚、この会見報道を知ったのは、フランクリングラハム師がフェイスブックに載せていたからです。このグレタさんという記者は、大統領と長年親しくインタビューして来た間柄で、特に北朝鮮の事情に詳しく、恐らくグラハム師と同じ程私も全幅の信頼が置ける、久し振りに画面で会った懐かしい方です。以下がその要旨です。

 

1)トランプ氏の金正恩氏に対する印象は?=確かに金氏はタフで荒っぽい男であることは歴史が証明している。しかし会って分かったことは、彼は頭が良く、しかも有能な交渉相手であること、そして非常に親しみの持てるファニーな人で、彼は自国の国民をとても愛していることがよく分かった。また、彼の方こそ、私がどんな人間であるかを知りたかったと思う。私が北朝鮮とその国民を愛していることを知って安心したのではないか。お互いに気心が合う相手であることを確認できて非常によかった。I like him. He likes me. それが先に分かり合えたのでこれからの交渉は順調に早く進むはずだ。

2)今回の初めての出会いで、私が彼に最後通牒を厳しく突き付けて詰めよらなかったのは間違いであったと批判する人は多いようだ。しかし、交渉ごとはあくまでビジネスであり、私たちは朝鮮半島の完全非核化が全ての前提であることを、お互いに理解し、それに合意し、今回は直接会ってそれを再確認した。考慮して欲しいことは、既に3ヶ月近い時間を掛け、具体的な項目で徹底的にビジネスライクに打ち合わせて来た結果、お互いの望むことは十分把握しているというのが事実であること。今回の会談で90%の時間は全面的非核武装の話に費やされた。

今までのアメリカの大統領たちは趣旨についての暗黙の了解だけをしたが具体的な話を(ビジネスマンらしく)しないで終わって来たからうまくゆかなかった。

 

(注:ここで別な話ですが、アメリカのNBAプロバスケットボールのロッドマンという選手がいて、金氏が彼のフアンです。そこで彼は何回も北朝鮮に招待されて金氏とは親しい仲です。そのロッドマン氏は今回もこの会議場に来ていました。その彼が昨日声明文を出し「もしオバマ大統領が今回と同じように交渉していれば、今回と同じ結果を得ていたと私は確信する」と語っています。)

 

3)私が何十万人というアメリカの兵隊が過去に戦死していること、その遺族が遺骨を極力見つけて欲しいという願いをずっと持って来た事実を話し合った。

 

4)北朝鮮に対する経済制裁は引き続き続行する。また、韓国から米国軍の撤退を要求する話は出なかったし、しなかった。

 (以上はトランプ大統領のインタビューで、これ以降は私の意見です。)

 

私は上記4においてトランプ大統領の聡明さを見ます。なぜなら、軍事訓練は少し控えるとトランプ大統領は言いましたが、彼は今後も経済制裁を続ける意向を変えていません。そうである以上、制裁によって目下経済的に最大限に困っている北朝鮮側は、世界が承知する非核化交渉を遅らせる余裕は全くないことをトランプ大統領はよく承知しているからです。

 

私は前にも再三強調しましたが、トランプ大統領は政治家ではなく、海千山千のワンマンのビジネスマンです。その交渉の仕方は、時にはドスを効かせたり、威嚇したりと言う、人に嫌われるようなやり方をするかもしれませんが、言ったことは実行する人です。それよりも何よりも、彼にとって今は、国民に約束したことは何としてでも果たす=「アメリカ第一」の考え方に徹していることです。

それと同時に、トランプ大統領は、彼以前の二、三代のアメリカの大統領が自国のことを真剣には考えずに無責任な外交をして来た結果残したツケを何とかして是正することを最重要に考えている人でもあることです。それがG7の会議で如実に表れていました。寄ってたかって彼を非難する人たちに向かって、彼は、それならいっそ、関税を全廃にしようと言いました。特にカナダとか中国がアメリカに対して物によっては物凄い高い関税を掛けていることを知って私は驚きました。

従って彼の見方とかやり方は、アメリカの政治家やメディアには全く理解されていないことが今回もよく分かりました。又、日本の政治家やメディアも全く理解していないことも分かりました。特にC N Nのようなリベラルな情報を頼りにしている日本のメディアがトランプ氏を到底理解できないのは当然であると思いました。

 

しかもトランプ大統領は、交渉は厳しくても心は真っ直ぐで正直、その一方で思いやりも十分に持っている人です。ですから、彼は金氏がシンガポール辺りまでのこのこ出て来て、どれほど人を恐れ、信用していないかがよく見えたと思います。金氏が求めているのは本当に安心して頼れる相手ではないでしょうか。それに気がつかないトランプ氏ではない、非核化交渉を短期に成功させるためには、金氏を威圧的に早くやれと脅すよりも、むしろ最初にトランプ氏が彼を暖かく迎い入れることによって、彼の立場を保証し国に対しても十分な経済援助をすると約束するトランプ大統領の意向をいち早く金氏が信用できるように励ます態度を取ることこそ「急がば回れの上策」であると考えていると私は見ました。

第一、北朝鮮は敗戦国ではないのです。対等の独立国であることに十分配慮して交渉するのは当然です。それによって金氏が逆に、中国、ロシヤ、イラン等の国々こそ、本当には信頼できない相手であることを分ってもらえ可能性も十分にあると思います。

但し、これから中国、ロシア、イラン等が、北朝鮮に大きく干渉してくることが十分考えられことが懸念されます。

 

次に申し上げたいことは、トランプ氏がクリスチャンになって、その信仰が成長して来ていると言う事実です。それが先日ホワイトハウスで行われた祈祷会でよく分かりました。彼はまるでミショナリーか説教者のように振舞って人々を驚かせ、私も感銘を受けました。最近のアメリカの歴代大統領ではそのような人はおりません。トランプ氏が本物のクリスチャンであること(多少粗野な言語は別にして)を無視しては、もはや彼の行動は理解できないと私は確信します。

 

北朝鮮にリバイバルが来ることが祈られた

 

下記の情報はランスウオールナウ師のフェイスブックから引用したものですが、金氏のひいお爺さんはクリスチャンであったそうです。それはちょうど1904年に英国ウエールス地方で起こったエバンロバーツ師による大リバイバルの後に、その世界的なリバイバルの波が北朝鮮にも波及した結果、今の北朝鮮の首都であるPyongYoung 平壌に大きなリバイバルが起きました。当時平壌は「東洋のエルサレム」と呼ばれる程のクリスチャン都市となり、250万人の人口の20%がクリスチャンになり、今でもクリスチャンの人口比率は日本より高いのではないでしょうか。

ついては、このシンガポールでの会談に先立って、シンガポールの主要なクリスチャンリーダーたちが呼び掛けて、何千人ものとりなし手による祈りが集結された結果、金氏の上に重くのし掛かっている闇の力の呪いを打ち破ることができたそうです。そしてその打ち破りが起こった時に、すかさず金氏が彼のひいお爺さん(たち、すなわち当時のクリスチャンたち)に霊的に整列されるように祈ったそうです。

従ってこのトランプ/金会談を機に、これから北朝鮮にリバイバルが送ることを多くの人たちが祈っていると言いますから、日本の皆様もぜひお祈りください。私は北朝鮮にこそ主はリバイバルを起こされても全く不思議はないと信じます。

 

又、(預言者である)ウオールナウ師は、「ドナルド」トランプ大統領と一時代前の「ロナルド」レーガン大統領には、天から同じ御使いが送られていると言います。レーガン大統領は当時の東ドイツと西ドイツを分けていた「ベルリンの壁」が壊され時の大統領で、当時ソビエトの大統領はゴルバチョフ氏でした。しかも、レーガン氏が思い切って「ゴルバチェフ氏よ、壁を壊わせ!」と要求した日は1989年6月12日であり、又今回、北朝鮮と韓国の壁が壊されるべくトランプ大統領と金代表が会談したのも6月12日であったのです。

 

最後に申し上げますが、ウオールナウ師はトランプ大統領を「サイラス(クロス)トランプ」と呼んでいます。それはイザヤ書45:1−2を引用して、主から、トランプ氏が神に召されてアメリカの大統領になるという預言を受けたからです。その他にも私の知っている限り十人近くの人がトランプ氏に対し同じような預言を受けております。ご参考までにイザヤ書45:1− 2に「主は油注がれた者クロスに、こう仰せられた。『わたしは彼の右手を握り、彼の前に諸国を下らせ、王たちの腰の帯を解き、彼の前に扉を開いて、その門を閉じさせないようにする。私はあなたの前に進んで、険しい地を平らにし、青銅のとびらを打ち砕き、鉄のかんぬきをへし折る。』」と書かれていることをご紹介します。(終わり)


04 06月

聖霊により内側から生きる ジョン・ベルト     2018年6月4日


聖霊により内側から生きる

 

ジョン・ベルト(Overflow Global Ministries)

 

 

私がクリスチャンになった頃、非常に強調されていた教えの一つに、「本当に聖霊によるものか、それとも自分の肉によるものかの違いを知る」というものがありました。

 

私たちの3つの要素

 

この問題に取り組むとき、私たちは、聖霊に関してだけではなく、私たちの持つ霊、魂、身体についても考えねばなりません。信仰生活の初期にこれを学んだことは、私にとって大きな助けとなりました。魂に起因する言動と霊に起因するものとの相違に焦点を当てて学ぶことは、両者を識別するために非常に役立ちました。

 

「いったい、人の心のことは、その人のうちにある霊のほかに、だれが知っているのでしょう。同じように、神のみこころのことは、神の御霊のほかにはだれも知りません。ところで、私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神の御霊を受けました。それは、恵みによって神から私たちに賜ったものを、私たちが知るためです。」 1コリント2:11−12

 

私たちは霊的な生き物です。私たちが御霊によって生まれた時、それまで神から離れて死んでいた私たちの霊は生き返ります。キリストにあって、私たちは「霊の人」となり神に生きる者とされます。私たちの霊は聖霊が私たちと交わる領域です。

私たちの霊は真の義と聖さをもって神に似るものとして造られたので、神は私たちの霊と交わってくださるのです。

「またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」と、エペソ4:23−24にある通りです。

 

異言を伴う聖霊のバプテスマ(1コリント14:14)を経験した人は、その人の内にある霊の言語が解き放たれたのです。これは人間の知性や能力では理解できない天的な言語です。

一方「魂」とは私たちの知性、意志、感情です。魂は、ある意味において、「霊」(内なる人/新しく造られた者)と「肉」の間に捕えられているといえましょう。それは私たちがものごとを選択・決断するためのセンターです。私たちの「魂」と「思考」は、神の御ことば(洗濯石けん)と聖霊(純粋な水)によってイエスが持つ真理を十分に知りって訓練されることを通して、主の似姿へと変えられて行く必要があるのです。

 

「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」ローマ12:2

 

私たちの「霊」はすでに主の似姿に造られていますが、「魂」は変革される必要があります。あなたが自分の魂を聖霊とまことによる生き方に委ねるとき、あなたの魂は霊的に変革されます。「肉」は私たちを形作っている重要な部分であり、決して悪ではありませんが、 この世的なものに対して 敏感であり、 目に見える物質的世界に向いて生きている部分です。

 

皆さんは、次のような説明を聞いたことがあるかもしれません。

1.私たちの霊は神を意識する Our spirit is God-conscious
 2.私たちの魂は自分を意識する(自意識)Our soul is self-conscious

3.私たちの身体は物質的世界を意識する Our body is world-conscious

 

内側からの変革

 

私たちの肉の身体は霊に敵対します。それは生まれつき悪であるわけではないのですが、多くの場合、神が私たちの内や神の目的のために働こうとされる時、真っ向から歯向かいます。しかし、私たちの身体は生ける供え物として神に捧げられるべきものなのですから、身体を用いて神に栄光を捧げることが私たちにはできるのです。

 

「また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。」ローマ6:13

 

「神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。」ローマ8:14

 

これは、私たちが御霊によって生きる必要があることを教えています。内なる人(霊の人、キリストにある新しく造られた者)に真理と啓示をもたらすのは聖霊です。神が生き生きと働かれるのは私たちの霊においてであり、魂の中ではありません。

私たちが聖霊に委ねて聖霊と共に生き、霊的波長を聖霊に合わせるならば、私たちの魂はその影響を受けることができます。

 

コロサイ1:27「神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。」

 

この神による変革が進んでいくのは、内側からのものです。しかし生まれつきの欲望で生きる者は外側から影響を受けるのであり、それは即ち肉がすべての行動を支配し、魂を肉の思いに従っていきるように訓練さえもしてしまうのです。

これを理解するならば、私たちが内側から生きねばならない必要性を知ることができます。聖霊(即ち、私たちに内におられる神、私たちの内なるキリスト、油注がれたお方)は、そのいのちを内側から外側へと働かされるのです。このような生き方は、霊を魂へ、そして身体へと働かせることができ、私たちが肉体的身体を通して神に栄光を与えることをも可能にします。

 

神を喜ばせること

 

「霊はすでに主の似姿に造られているが、魂は変革される必要がある」

信仰がなくては神を喜ばすことはできません。信仰があなたの肉や魂から生まれることは絶対ありません。信仰は新しく造られた者から来るのです。即ちあなたの霊が神との関係を回復することによって生かされ、神の御ことばが内で生き生きと生き始めるのです。

あなたの内なる宮において、あなたは神に生きるものとされたのです。御霊に敏感になることを学ぶと、私たちは肉の思いではなく信仰による人生を見出すことができるのです。神が私たちを召されている人生とは、信仰に満たされたものであり、聖霊のリアリティーが常に伴う人生です。

 

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」

                                                                                         2コリント5:17

 

私たちがこのように生きる霊的領域に目ざめるとき、神が私たちを通して働いてくださる無限の可能性が生まれます。それは私たちは御霊によって生まれたので神のご性質が内側にあり、いつでもそれを手にすることができるからです。もはや神に「ここに来てください」とお願いする必要はありません。神はすでにあなたの内におられるからです。

神は私たちの霊を目ざめさせ、聖霊を下さり、ご自分の聖なる御性質を私たちに分与して下さる約束をもって私たちの魂を訓練してくださるのです。

 

2ペテロ1:4「その栄光と徳によって、尊い、すばらしい約束が私たちに与えられました。それは、あなたがたが、その約束のゆえに、世にある欲のもたらす滅びを免れ、神のご性質にあずかる者となるためです。」

 

神は救われて間もない者を通しても奇蹟を起こすことができます。それはもう何十年も救われている者と同じです。なぜならば神は「新しく造られた者」であれば誰でも用いることが出来るからです。あなたは生きているか、死んでいてまだ神を知らないかのどちらかなのです。もしあなたが生きているのなら、神があなたを通して出来ることには限りがないのです。

救われたばかりの者と長年神に忠実であった者との相違は、後者が(ほとんどすべての場合)より多くの変革を経て来たことです。

 

明らかに、変化や変革が起こるスピードはその人の選択に掛かっています。どれだけ主に委ねる人生を送っているかが、成長の度合いを決めます。たとえ偉大な油注ぎを受けている人であっても、人生のある部分、ある領域を神に完全には明け渡し委ねていないこともあり得るのです。

油注ぎを受けていても、それがさまざまな自己防衛や愚かさ、未熟さと混ざり合っている可能性があるのです。奇蹟を起こせるからと言って簡単にその人に惹き付けられてはなりません。

 

王の代理人となる

 

私たちは神の王国を具現し、世に現していく神の代理人となりたいのであり、自らが注目されることを自分の利益を望んではいません。

 

霊のものと肉のものを見分けるとき、そこにもし自己保存や自己防衛がいつも存在するならば、多分肉の問題があると考えてください。すべてが自分を中心としているならば何かが間違っているのです。

大勢の人がイエスを王にしようとしてやって来たとき、主は去っていかれました。神が私たちの人生の中心におられるならば、すべてのことは神を中心にして起り、それがまさに私たちが望むことなのです。(終り)


28 05月

尊ぶことの重要性 マイケル・バン・ヴリメン        2018年 5月28日


尊ぶことの重要性

 

マイケル・バン・ヴリメン

 

 

神の御国で尊ぶこと

 

 私が神の御国で「敬い尊ぶこと」が持つ重要性について学び始めたのは数年前のことでした。それまでは、クリスチャンとして人生で何を尊ぶべきかについてはあまり考えたことはありませんでした。尊ぶことに関する聖句で思い浮かんだのは、出エジプト20:12とエペソ6:2−3くらいでしたが、そこには父と母とを敬うべきことが書かれていました。

 

ある時から私は神の国について更に深く考察を始め、クリスチャンとして真に生きる道を教えている牧師たちの説教をもっと聞くようになりました。するとそこには尊ぶことに関する教えが非常に多いことに私は気付きました。

 

私はネビル・ジョンソンやブルース・アレンの説教を聞きましたが、彼らは自分が敬い尊ぶことがそのまま自分の人生にも現れてくることや、自分が尊ぶことを私たちは自然に追い求めるようになることを教えていました。私はまたジャスティン・アブラハムの説教も聞きましたが、彼は尊ぶことを通していのちが流れ出ること、そして尊ぶことが天国の通貨であることを教えてくれました。ローマ13:7には「敬わなければならない人を敬いなさい。」とあります。

 

聖書には尊ぶことに関する 箇所は多くあり、尊ぶことが主にとってどれほど重要なことであるかを示しています。それに関して神の御こころをよく表しているのは1サムエル2:30です。

 

「それゆえ、—イスラエルの神、主の御告げだーあなたの家と、あなたの父の家とは、永遠にわたしの前を歩む、と確かに言ったが、今や、—主の御告げだー絶対にそんなことはない。わたしは、わたしを尊ぶものを尊ぶ。わたしをさげすむ者は軽んじられる。」

 

私たちは自分が価値を認めるものを尊ぶ

 

私たちは、自分が価値を認めないものを尊んだり理解しようとはしません。単純なことです。伴侶や子どもという神からの贈り物を、私たちがもし尊ぶならば、彼らとの時間を多く持ちもっとその贈り物を理解しようとするでしょう。

 

尊ぶことは、私たちのこころや願いを表し、それは目に見えるかたちで表面に現れるものです。それは誰の目にも明らかになります。それは私たちの主との関係においても同じです。私たちが主との関係に価値を置き尊ぶならば、主の御こころを理解したいと願うでしょうし、主と時間を共に過ごすことでしょう。確かに命は尊ぶことから流れ出ると私は思います。

 

数年前のことですが、 私たち夫婦に主がなされた一つの事に関して私は少しばかり悩み苦しんでいました。それは、私たちの家でパワフルな神の超自然的現象が起り始めたのですが、私にはそれを受け入れる用意が出来ていなかったので、しばらくの間悩み続けることになったのです。それは妻のゴーダナが2011年11月11日に主からパワフルな霊の分与(インパーテーション)を受けたのが始まりでした。

その日から妻は祈ったりとりなしをするとき、必ず霊の領域に引き入れられるようになったのですが、私は全くそれについていけませんでした。この事を通して私はあることに気付かされました。それは超自然的癒しや奇蹟をテレビ等で見る時は、「本当にすばらしい!よかった!」と興奮して喜べるのですが、それが自分の家の中で家族しかいないときに起こると、それを受け入れるのには調整期間が必要であるということです。

 

ですから神の力が妻に臨み部屋の中で天使たちが動いていても、私はそれをほんの微かにしか感じることができませんでした。私は「これはおかしい!私にも天使がはっきりと見えてもいいはずなのに、見えない!」と思いました。そしてその不満を主に2年近くもぶつけていました。「主よ、なぜ私には霊的に起こっていることが見えないのですか?」と。

 

「わたしのしていることに参加しなさい。」

 

ある日、寝室に入って行くと妻が祈っており、部屋は神の臨在で満ち天使たちが動いているのを感じました。私は思わず叫びました。「姿を見せてください!私は彼女の夫なんですから!」私がそう言うや否や、輝く青い閃光が部屋にさし込み、私と犬とはびっくりして飛び上がりました。しかしそれでも天使たちは私には姿を現しませんでした。

 

その日の夜、主が私に語られました。というよりは、主は今までも語られていたのに私が聞く耳を持っていなかった、と言うべきかもしれません。主は言われました。「わたしはあなたに見せることはできません。わたしがあなたの妻にしていることをあなたは尊んでいないからです。奇跡的なしるしや癒しを通して、すべてはわたしの業であることをあなたに証明しましたが、あなたはまだ疑っています。彼女が祈るときに見るものをあなたも見たいのならば、あなたも彼女と一緒にとりなし、わたしがしていることに参加しなさい。そうすればあなたにも見せてあげましょう。」

 

これは私が主に願うものを受け取るための重要な鍵となるレッスンでした。私は神に仕える人々が力ある超自然的な業をなすときに、いつもそれを理解し認めることができるわけではありません。しかしそのような時にも、主を信頼し、彼らの人生で主がされておられる業を尊ぶことを私は学びました。そして主はそのような私を祝福してくださいました。

 

自分が尊ぶことが自分の人生にそのまま現れてくるのです。それは確かです。御父は喜んで私たちに御国をくださいます。ですから御国で尊ばれることを敬い尊んでください。(終り)


21 05月

神が与えてくださる仲間 ランス・ウオルナウ 2018年5月21日


神が与えてくださる仲間

 

ランス・ウオルナウ

 

人々はいろいろな問題に遭遇すると、指針を求めて神の御声を聞きたいと願いますが、それは簡単なことではありません。しかし私はその鍵の一つになることを見出しました。それは私がワシントンDCでアメリカや世界の政治的動向に注目しているクリスチャンたちと交わりをしていた時に与えられた啓示でした。

 

その時私たちは、一人ひとり自分が見たことや感じたこと、自分の考え等を分かち合っていたのですが、その時皆がある事実に気づいたのです。それはあなたが一緒にいるべき人達(right people)と話をしているならば、神の御霊がその会話の中に介入され、自分が話している内容をもっと明確に鮮明にしてくださるということです。自分一人で会話をすることはできません。あなたは一緒にいるべき人たち(right people)と共にいる必要があるのです。

 

一人ひとりが自分の思っていることを分ちあっている時、聖霊が私たちの内側からそれをさらに鮮明にし、聖霊が何を考えておられるかを皆が分かるようにしてくださるということを皆が感じました。しかしあなたが共にいるべきではない人々(wrong people)の中で話すならば、その会話から神の御こころを見出す霊的環境に入ることはできません。なぜならばあなたは彼らに対して自分の考えを説明し理解してもらい説得するので精一杯になってしまうからです。しかしもしあなたが共にいるべき人達(right people)の中にいるならば、聖霊があなたの言葉に同意することを示してくださる時にはそれが分かるようになります。それは人々があなたの意見になんでも同意するということではなく、彼らがあなたの霊的波長を聖霊の御声に敏感になるように助けてくれるからです。それによってあなたが「これはもしかして神からかもしれない」と感じていた考えやアイデアを分かち合うときに、それが確かに神からであったとあなたがはっきりと感じ取ることが出来るようになるのです。

 

イエスはヨハネ16:12、13で「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません。しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導きいれます。御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し、また、やがて起ころうとしていることをあなたがたに示すからです。」と言われました。あなたの内におられる聖霊は、主があなたにいろいろな手段(思い、アイデア、ささやき)で示されていたことを聞いてそれをあなたに話してくださるのです。

 

私たちの周りにはいろいろな雑音(ニュース、人の意見、自分の魂の声など)が溢れていますが、その中でも神の御霊はあなたに語っておられるのです。この箇所で「御霊は自分から語るのではなく、聞くままを話し」とあるように、御霊は「聞いて語る」のです。あなたが他の人々と「心を一つにして」共に集い話し合うとき、あなたの内にいる聖霊はそれを聞いておられ、あなたが話すときに聖霊が共に話してくださるのです。聖霊は神の御こころをあなたの言葉に吹き込んでくださるので、あなたは話しながら自分の口から出る言葉によって神の御こころがはっきりとわかるのです。そして神があなたの人生でされていたことや、あなたの進んでいる方向が神の望まれていることであると確認させてくださいます。それはあなたが話している霊的環境が正しい仲間によって整えられているときに起こるのです。

 

使徒行伝4章でペテロとヨハネが時の権力者たちと対峙したとき、この真理が現れています。(アメリカや世界中のクリスチャンは今このような状況に置かれています。あなたが御霊によって動けば動くほど、宗教的組織や、報道関係、政治的な権力から圧力をかけられます。神のメッセージを伝えるものたちへの迫害がますます顕著になってきています。世界が、羊とやぎ、麦と毒麦、善と悪とにますます鮮明に区分されてきています。)

 

23節に「釈放されたふたりは、仲間のところに行き」とありますが、これが鍵です。神が与えられ深い関係を築いた仲間のところに行くとき、自分の進むべき方向が示され、そのための力が与えられるのです。そして彼らは「祭司長たちや長老たちが彼らに言ったことを残らず報告し」、これを聞いた人々はみな「心を一つにして」神に向かって声をあげました。ここに鍵があります。

 

「心を一つにして in one accord」というのはクリスチャンならだれでもいいということではありません。さまざまな偏見やあなたとは異なる考えを持っている人は、たとえクリスチャンであってもあなたが神から聞く霊的環境をつくりだすことはできません。ですからあなたと同じ神からの使命、任務を受けているクリスチャンである必要があります。

 

使徒16の6節ではパウロがアジアで御ことばを語ることを聖霊が禁じており、次の7節ではビテニヤのほうに行くことをイエスの御霊が許されなかったとあります。

神は二つの扉を閉じられたのです。(パウロは宣教に出かけることを恐れてはいませんでした。しかしそこに住む人々に福音を聞く用意ができていないならば、神はその道を閉ざされるのです。あなたの手に神からの福音というギフトがあっても、人々に受け取る用意がないならば、そのギフトを無駄にすることになります。)そして9節に「ある夜、パウロは幻を見た。ひとりのマケドニヤ人が彼の前に立って、『マケドニヤに渡ってきて、私たちを助けてください。』と懇願するのであった。」とあり、10節には「パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニヤに出かけることにした。神が私たちを招いて、彼らに福音を宣べさせるのだと(私たちは)確信したからである。」とあります。幻を見たのはパウロでしたが、心を一つにしていた仲間の一行(パウロ、シラス、テモテ、ルカ)はそれが神の御こころであることを共に確信したのです。

 

もしあなたが神に「共に働くべき仲間を与えてください」と祈っているならば、それは一人でも二人でもいいのです。大勢である必要は全くありません。2、3人の人が共に語りあうとき、そこに主もいてくださり、そのグループの進むべき道が鮮明に確認、確証されるのです。自分の思いを口から出すとき、あなたの内なる聖霊がそれを聞き、あなたの言葉を用いて語り、それによって皆に神から確証が与えられます。

 

皆さんの中には今神から「開かれた扉」を与えられている人がいると思います。あなたが思ってもいなかった所や、ある扉が開くのを待っていたときに、違う扉が開くかもしれません。そのときにあなたが間違った人達(wrong people)に話すならば、その扉は閉ざされてしまうのです。自分自身が抱く疑いや迷いがそのような人々から増幅されて自分にかえされてくるからです。時として敵はあなたに「今はそれをするタイミングではない」とささやきます。私たちはその敵の言葉に同意一致してしまい、開いた扉に入って行かないのです。ですから正しい人々(right people)に話すことがとても大切です。

 

次に大切なのは恵みの中を歩くことです。パウロは2テモテ2:1で「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。Be strong in the grace that is in Christ Jesus.」と言っています。これはグラハム・クック師のから教えられたことですが、恵みは普通「受ける価値がないのに与えられる恩恵」と説明されますが、聖書はイエスが「恵みとまことに満ちていた」と言っています。イエスは恵みを受ける価値があるお方でしたから、「恵みは受ける価値のない者に与えられるもの」という定義はおかしいのです。そうではなく、恵みとは、神が望まれる自分になるために与えられる力です。私たちが恵みによって強くなるとは、神が自分を見られているように自分を見ることであり、そうなるための力を与える恵みの中(神の臨在の中)で生きることです。神はあなたが完成した姿、新しい創造物のあなたを見ておられます。あなたが神と同じようにその完成した自分の姿が真のリアリティーであると知れば知るほど、あなたは恵みによって強くされます。そして前進し向上していく自分を認め、自分の召しに確信を持つことができるのです。

 

もしあなたが間違った人々に神から与えられたアイデアを話すならば、彼らは自分の心や思いにあることに焦点を当てるためにあなたの話を逸らしてしまいます。しかし少人数の正しい人たちに話すならば、彼らはあなたが恵みを受けるためのスペースをつくり、それによってあなたのアイデアは更に研ぎすまされ、知恵が与えられ、内なる聖霊からの確認が得られるのです。

 

今は皆さんが「仲間のところに行き」「心を一つにして」神に向かって声を上げる時です!

 

使徒行伝4:31「彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。」(終り)


15 05月

エルサレムの平和のために祈ろう        坂  達 也       2018年5月15日


エルサレムの平和のために祈ろう
                 坂  達 也
5月14日は、イスラエル建国70周年に当たる特別の記念日でした。
その日のお昼頃でしたが、イスラエルの首都エルサレムで、アメリカの大使館がテルアビブからエルサレムに正式に移された記念式典が行われました。私はその実況中継を見てクリスチャンの一人として大変感動を受けました。
式典で最も称えられたことは、トランプ大統領の勇気ある決断力でした。トランプ氏はご存知の通り選挙でそれを公約し、昨年12月に大統領として正式にそれを実行する事を世界に公表しました。しかし、それを受けて世界(特にアラブ系諸国)は猛然と反発して参りましたが、それを敢えて押し切って、遂にエルサレムにアメリカ大使館の移動が実現に至った記念すべき日でした。
本件は過去において、1995年にアメリカ議会がイスラエルのアメリカ大使館をテルアビブからエルサレムに移すことを承認したにもかかわらず、最近の歴代3大統領はそれを実行しなかった経緯がありますから、この事がどれ程大きな勇気と決断を要するものであったかがこの式典を通してうかがわれ、大きな感銘を受けた次第です。
しかもこれに先立ち、トランプ大統領はイスラエルの最大の政敵であるイランとの核に関する六カ国合意契約を破棄する事を宣言していましたから、この式典と時を同じくして、パレスチナ自治区ガザで数万人規模の激しいデモが発生し、それを企画したハマスのテロリストに対してイスラエル防衛軍(IDF)が報復したため多大な死傷者が出たことは、十分予期された事件であったと思います。
 イスラエルとエルサレムの歴史は非常に複雑です。第二次大戦が終了し、イスラエルが独立国家として正式に1948年に誕生して以来70年が経った訳ですが、その首都は聖書的に言えば間違いなくエルサレムです。そして、このエルサレムこそは将来イエス・キリストが帰って来て、世界を統治する御国の永遠の首都となる場所であることは、クリスチャンの皆様はよくご存知です。
一方、歴史的政治的な立場からすれば、イスラエルは1967年の第3次中東戦争で、ユダヤ教やイスラム教、キリスト教の聖地が集中する旧市街を含む東エルサレムを占領。その後は併合したエルサレムを「不可分の首都」と位置づけてきました。但し、国際的な承認は得られていません。
これに対して、東エルサレムを将来に独立する際の首都とするパレスチナ側は当然ながら反発しました。1993年のイスラエルとパレスチナの「2国家共存」を目指すオスロ合意では、今後の交渉でエルサレムがどちらに帰属するかを決めるとしていました。そのため今回の米国の動きに、パレスチナ側は猛反発した訳ですが、これによって中東和平交渉の再開は一段と難しくなってきたことは否めません。そして、その理由がお互いに宗教的な事情が絡む以上、和解の余地はほぼ考えられない最悪の事態に立ち至った状態にあります。
一方アメリカにおいても、トランプ大統領の立場は苦しいものがあります。それはアメリカには宗教の自由が許されている以上、大統領が一宗教の立場を取ることは許されないからです。従って中間選挙をこの秋に迎えるアメリカは、国内の政治闘争による紛糾がますます深まると予想されます。しかし私たちクリスチャンの立場からすれば、トランプ大統領が取った今回の行動は、明らかに彼自身が正真正銘のクリスチャン信仰の持ち主であることを証明したと言えます。
ユダヤ教徒とクリスチャンの立場
ご存知の通り、詩篇122:6ー9には、こう書かれています。
「『エルサレムの平和のために祈れ。『おまえを愛する人々が栄えるように。
おまえの城壁のうちには、平和があるように。おまえの宮殿のうちには、繁栄があるように。』
私の兄弟、私の友人のために、さあ、私は言おう。『おまえのうちに平和があるように。』
 私たちの神【主】の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。』」
ナタネヤーフ首相は昨日の演説で、イスラエルの首都はエルサレムであるが、そのエルサレムにおいて、戦いではなく、平和を望む、と言っていましたので、おそらく彼は上記の聖句を踏まえた「両者が平和裡に共存する」可能性を追求する用意はあると言っているのではないかと思います。しかし、パレスチナ側はあくまでエルサレムを自分の領土と主張すると思われ、そこには妥協の余地はほとんどないと言えます。
また、創世記12:3では、イスラエル建国の父アブラハムに対してあなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。」と明言され、それには異邦人の私たちも含まれていますから、真にキリストの神を信じる者であれば、イスラエルに反対する立場は取れないはずです。
さてそこで、私は日本とイスラエルの関係を憂慮します。一応今までは友好的に推移して来たようですが、最近日本国首相が、アラブ側に気を使ってか、日本は大使館をテルアビブからエルサレムに移動はしないと明言しました。しかし私たちクリスチャンとしては、日本が「羊の国」になるためには、名実共にイスラエルを完全にサポートする立場を明白に宣言する日が一日も早く来る事を願って止みません。
世界情勢は完全に終末の時代に入っている
つい先日アメリカは、イスラエルの東北側の隣国のシリヤを攻撃し、その背後にいるロシヤを刺激しました。その後にイスラエルとアメリカを目の敵にする東側の大国イランとの条約破棄を宣言したのです。これでイスラエルを取りまくアラブ諸国陣営と後ろ盾のロシヤに対抗して、イスラエルとそれを後押しするアメリカが対峙するという世界を分けての二大体制ーーこれはまさに聖書が預言する最後の時代に起こる「決戦体制」が出来上がりつつあると言えないでしょうか。
一方、アジヤでは中国が後押しする北朝鮮とアメリカが後押しする韓国、日本、台湾の体制が不気味な様相を呈しています。すなわち、ここでも二大勢力の対決ができつつあり、もしかすると黙示録8章9章の預言が当てはまり、戦争が勃発するだけでなく、更に激化して10章の預言に続く可能性があるようにも思えます。これらの章は、明らかに核戦争の様相に当てはまるとも考えられます。
正直なところ、私は中国が北朝鮮を簡単にアメリカ側に手離すとは考えられません。その点、北朝鮮問題の解決が今後難しくなる可能性が十分あり得るという気がします。但し、このように申し上げても私は世の終わりがすぐ来ると言っているのではありません。
むしろ、私が申し上げたいことは、終末のリバイバルと霊的アウェークニングは、前にも申し上げた通り、イザヤ書60章に書かれているように見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている」という暗闇の最も暗い最中に(2節)起こるのではないかと言うことです。であればこれから世界中がますます暗くなります。しかしその時に「あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現れる。国々はあなたの光のうちに歩み王たちはあなたの輝きに照らされて歩む」と書かれている3節はリバイバルが来る時の様子ではないでしょうか。
 いよいよ世の中は未だかってない真っ暗な暗闇の中を通る時となるーーその時こそ、そのために主に整えられた私たち御国の精鋭が、主の良い御使いに助けられ、最後の大収穫に参加する一方で、世界の多くの国を主の御国となるように導く仕事に就く時であると信じます。
そのために私たちは、今こそ主に似た、へりくだって主にのみ仕える者にならねばならない、それはマタイの5章にある山上の垂訓の教えーー「心の貧しい者」「柔和な者」「義に飢え乾く」「あわれみ深い者」「心の聖い者」にならねばならないと思う次第です。(終り)

 Page 4 of 167  « First  ... « 2  3  4  5  6 » ...  Last »