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Walk With God Ministries

29 1月

神の王国 リック・ジョイナー


神の王国 リック・ジョイナー

Word for the Week 4

 

  ダニエル2章では、ネブカドネザル王が見た夢が語られています。夢の最後に、小さな石がこの像の足元にぶつかり、崩れてしまいます。小さな石はその後、山に成長し、それが全体の地球を覆うまで成長し続けます。これは、今の時代に歴史がどのように展開するかを正確に預言したものです。この時代の終わりには、人間の帝国はすべて崩れ落ちますが、神の国は小さな石から始まって、山に成長し、地球全体を覆うまで成長し続けます。

 

         聖書の中では、山はしばしば政府・政権を表しています。私たちは今、人間が築いた数々の帝国の土台をすべて石が打ち砕く時に来ていますが、その土台が崩れ始めています。それと同時に、神の国は政府へと成長し、地全体を覆うまでに大きく広がっていくでしょう。

         私たちが政府・政権について考えるとき、私たちは首都、政府の業務が行われる建物のインフラ、軍隊、政府の権威を守り、維持するための法執行機関などを思い浮かべます。私たちは、最終的に地上の神の国の首都が新エルサレムになることを知っています。しかし、それが政府に成長する時期には、人の政府とは大きく異なるものになるので、その一部になるためには、私たちが理解しなければなりません。

 

   神の国が人間の政府とは異なる第一の、そしておそらく最も重要な違いは、神の政府は、人間の心の中に築かれているということであって、建物や機関、官僚機構ではないということです。

 それは主がルカ17:20-21で述べられているように

     「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。『そら、ここにある』とか、『あそこにある。』と言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」

 

     歴史家のウィル・デュラントは、「シーザーは、機構組織を変えることによって人間を変えようとしたが、イエスは人間を変えることによって機構組織を変えた」と述べています。イエスの復活からイエスの再臨までの全時代は、本質的には二つのことについてです。

 一つは、イエス様と共に統治するために召された人たちを(霊的)訓練すること、二つ目は、その訓練を受けた人たちが、実際にイエス様と共に王国を統治する準備に入ること、この二つです。

 

人間として神から元々与えられた能力を、その人の努力によりたとえ実ったとしても、自分勝手に自分の道を進むか、あるいは、神と共に神の王国に仕えるかは大違いです。

         すべての問題、すべての大災害、すべての病気、そして今地球が苦しんでいるすべての不和は、人間が、神が意図した「私たちと神との関係」から切り離された結果から起こったことであるのです。

 これらすべての問題を解決するには、神に立ち返り、すべてを神の方法で行うことを決意しなければなりません。そのためには、私たちが神ご自身と親密な関係になって、真に神を知り、そして神の道を知り、それに忠実に従うこと、すべてにおいて神の御心を実行しようとすることが絶対に必要です。

         それが主の方法であり、主が創造主としてご自分の姿に似せて私たち人間を造られたとき(創世記1:26)に私たちに与えられた創造能力を許容するために、権限をご自分の人々に委譲することなのです。だからこそ、主はすべてのことに命令を出されるのではなく、ほとんどのことにおいて、私たちがこの人生の問題を解決していく中で、信仰と知恵の中で成長していくことを可能にしてくださるのです。堕落の原因が主に対する信頼の欠如であったように、主は私たちが主に知恵を求め、主に対する信頼を深めていくことを望んでおられます。

          そうであっても、私たちの神との関係にとって最も基本的なことは、私たちが神のために何ができるかということではなく、神との「リレーションシップ」です。統治のための訓練も大切ですが、それ以上に神にとって大切なのは、私たちが家族であるということです。そのためには,父としての神との関係,兄弟姉妹としての神との関係の中で成長していくことが必要です。この二つの関係こそが,わたしたちが召されている姿になるための鍵であることはご存知の通りです。

    わたしたちは主の御心を行うためにここにいますが,「何をするか」と同じくらい重要なのは,「何になるか」ということです。わたしたちの目標は,常に主のようになり,主がなさった御業を行うことです。わたしたちがこれらの業を行うのは,やはり主がわたしたちを通して業を行っておられるからです。このためにイエス様が使われた言葉は「実を結ぶ」ということです。イエス様がヨハネ15章で説明されているように、私たちは主に留まることによって実を結びます。りんごの木の枝は、一日にたくさんのりんごを出すために無理をする必要はありません。リンゴの木に正しく接続されていれば、リンゴはやってくるのです。

     わたしたちが実を結ぶのは,神のご性質の中で神のようになることであっても,神の業を行うことであっても,神と一緒に歩むときに実を結ぶことになります。主に近づき,主に完全にとどまるようになれば,より多くの実を結ぶようになります。(終わり)


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