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Walk With God Ministries


16 03月

大きな災害に見舞われた日本に与えられた使命


大きな災害に見舞われた日本に与えられた使命 

 

坂 達也

 

 今、日本の皆様は大変な試練の中におられます。特に親族友人で亡くなられた方、被災を受けて家もなく、この寒さの中で多大な困難に遭遇されている方々、被害のあった原子力発電所近辺で放射線被害に脅かされておられる方々等、謹んで心からお見舞い申し上げます。

 又、直接の被災を受けていない方でも日本人ならこの国家的惨事で心を痛めておられない方はいないと思います。その意味で、日本国民全員が深い悲しみの中にあり、同時に又、全世界の目が日本に集中されております。恐らくこれほど世界中が日本に集中して関心を抱いた時は未だかってなかったと思います。

 

 私はこの3月に入って霊的な空気が変わったと強く感じておりましたが、3月11日に日本で巨大地震と津波が起こった時、私はいよいよ世界が「終末の時代」に突入したことを強く感じました。日本の巨大な災害が全世界に先駆けて先頭を切ったのです。そして今全世界がこの日本の惨事を人事ではないという思いを持って、刻々と報道される日本の被害状況とその対応の仕方から真剣に学ぼうとしております。これから終末の大天災・人災が世界中に起こり広がって行くことは世界の人たちが感じているのです。

 

 そこで私たちはアメリカの預言者たちが何を言っているかを探し始めました。そして、14日(日本15日)にリック・ジョイナー師のインターネット放送で知ったのですが、22年前にボブ・ジョーンズ師が、日本に大地震が来る預言を主から受けていたそうです。その預言によると、日本に大地震が起こるまでは終末の艱難時代に入らないこと、そしてそれが発端となって、世界的な天変地異が起こり、経済恐慌からアナーキイズム(無政府状態)に発展するというものです。特にアメリカではカリフォルニア州に必ず大きな地震が起こり、それがノースウエスト地区(オレゴン、ワシントン州)に飛び火することが示され、このカリフォルニア州の預言はジョーンズ師だけでなく、ジョイナー師他、数人の預言者も確認しています。

 

 私はこの大災害が引き起こす影響について考えていたのですが、先ず、世界中で株が暴落したり、円が高くなったりしています。私は今、アメリカのメディヤ、特に経済紙に注目していますが、それによれば目下世界中で関心がもたれていることは、日本がこの被害の復興に掛かる膨大な費用をどうしてまかなうかと言うこととその影響についてです。

 日本は世界一の借金国ですが、幸いなことに日本が持つ全負債の90%は国民と国の企業が持っていて、その上、国民の貯金率、たんす預金まで含めれば世界でも有数の「金持ちの国」であることです。従って世界一多くの借金はかかえていても、言ってみれば身内同士で借金し合っている状態ですから、よそ様(外国)にご迷惑を掛けずに、自分たちで何とかまかなえる可能性があることです。

 

 但し、そのためには国民がこの際本当に危機感と責任感を持って、先ず国の家計簿の帳尻を合わせることに努力しなければならないと思います。これ以上借金をしないで減らすことです。本当にその気になれば、この災害を機会に、挙国一致し、国民が一丸となって立ち上がり、お互いに助け合い、協力しあ合うことによって、国民全体でこの危機を乗り越えつつ復興出来ると確信します。

 日本は一度大戦に破れ、そこから立ち上がった経験を持っています。そしてつい最近まで、日本は世界で二番目の経済大国であると言われて来ましたが、今は衰退の一途をたどっていると言う印象を世界中で強く持たれています。しかし、世界が終末の艱難の時代に突入するに当たって、神が、今回の災害により日本を敢えて一番手に選んだのはそれなりの理由と期待があってのことであると信じます。

 

 終末には大きな地震が来ることが聖書の多くの箇所で預言されています。地震といえば、日本が恐らく世界で一番の地震と津波の経験と古い歴史を持つ国でありましょう。その日本が、天下未曾有の大災害にどう対処するか、それに伴う経済復興政策においても、後に続く世界の国々に模範となる良い例を今回残すことによって、日本が再び世界のリーダーとなることが期待できるのです。既にテレビを通して、日本人があれだけ大揺れの地震の最中に平静に行動し、町が秩序正しいことを見て、世界中が今驚いています。

 

 その点今一番、国の経済が危ぶまれているのはアメリカです。問題はアメリカの借金は日本の反対で外国に膨大な借金をし、これからも継続して依存せざるを得ない状態にあることです。しかもアメリカの赤字垂れ流し財政は日本よりも深刻な現状です。これからアメリカがもし外国に国債を売って借金が出来ないようなことになれば、借金による自転車操業が止まって一挙に国が崩壊する可能性が十分にあるからです。

 

 そのアメリカに金を貸している最大国は長い間日本でしたが、この数年、中国が日本を少し追い越しました。しかし、その中国が一昨年からアメリカの国債を買い控え始めたのでアメリカが大慌てをしました。そして今、日本はこの災害によって今後アメリカの国債を買う余裕がないどころか、手持ちの国債を換金せざるを得ない事態となれば、いよいよ追い込まれるのはアメリカです。これでアメリカが転ぶ可能性が充分にあるとジョイナー師は言っていましたが、もしかすると、本当に世界経済恐慌に陥る引き金となることが危ぶまれます。

 

 そのような情勢下、世界に対して日本の持つ責任は大変大きく、今こそ、ここしばらく貧困して来た政治と経済政策を、国民全員が悔い改め、お互いに批判しけなし合う代わりに、一致協力する体制に入るべきであると思います。いよいよ日本は物質的にも霊的にも世界に先駆けて「非常事態」に入ったと信じます。

 

 そして今こそクリスチャンが立ち上がらなければ、いつ立ち上がるのでしょうか。何のために私たち教会は今までお互いを訓練して来たのでしょうか。人数の問題ではないと思います。主にあって、一人のクリスチャンが一つの町を救うことが可能であることは私が申し上げるまでもありません。

 

 いよいよ闇が濃くなって来ました。世の終わりには自然現象で多くの異常事態が起こることが預言されていますが、加えて、

 

 戦争が増す。

 物質主義、人が利己的になる。

 罪を犯す者が増える。

 信仰から離れる者が出る。

 より大きな悪魔の力が働く。

 反キリストによる政治・経済・宗教の世界統一の動きが激しくなる。

 国において、社会において、教会においてリーダーシップがなくなり、混乱する。

 あらゆる面でモラルの退廃、愛が冷える。

 クリスチャンの迫害が激しくなる。

 

 等のことが起こることは皆さんよくご存知の通りです。しかし世の中が暗くなればなるほど、私たち主を代表する者が、主の栄光を大きく光り輝かせる時です。教会の皆様、いよいよチャンス到来です。その意味においても、日本の教会が世界に先駆けて終末のリバイバルの先頭に立ち、世界をリードすることを大いに期待します。

 

 最後に、今私が特に示されているみ言葉があります。それは私たちクリスチャンは、先ず自分の家庭と家族を愛し、身辺を主にふさわしいものとすることです。

 

 「もしある人が、その親族を、ことに自分の家族をかえりみない場合には、その信仰を 捨てたことになるのであって、不信者以上にわるい。」(一テモテ 5:8、口語訳)

 

日本の皆様、心よりお祈り申し上げます。(終わり)

 

 

 

 

 

 


19 02月

近況報告です  坂 達也  2月20日


 

イエスは言われます。「わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。」(ヨハネ15章)

これで思い出すのは、イエスが病人をみな治し、悪霊を追い出すのを見て多くの群集が彼の後をついて来る中で、一人の律法学者が「先生あなたのおいでになる所なら、どこにでもついてまいります。」と言ったのに対し、イエスは「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。」と答えられました。(マタイ8章)

 

私たちは目ざましい証には関心がありその後をぞろぞろついて廻る傾向があります。しかし、イエスが本当に求めている人は、少し距離を置いて野次馬的に「後をぞろぞろついて廻る群集」ではなく(それではいつまでたっても他人でしかない)、本当にイエスの中に入り、イエスにいつも滞在して欲しい、イエスと枕を並べ、お互いに心を開いて一夜をあかす人ではないかと思いました。

イエスに気軽に声をかければ、いつでも現れて語ってくださる、そんな気安く親しい間柄になることであると思います。

 

2011年に入り、今、多くの人が「主からみことばをもらう必要性」を語っています。いよいよ時が迫ってきているのですね。本当に今年、来年は何が起こるか分からない、思いもつかないことが今既に連続して起こっています。自分の考えとか思いでは、もはや全く、やって行けなくなって来ていると思います。

 

私は今本を書いておりますが、年のせいで頭の回転が衰えてきており、聖霊の油をそそいでいただかないと何も書けません。本当にそうであることを日に日に切実に感じております。しかし、これはとてもよいことのようです。「次に何を書きましょうか」といちいち聞き、与えられると書きます。静かに黙って主の前で待つか、異言で30分から1時間祈ります。そうすると大概はいただけます。又、今日はリラックスして休みなさいと言われることもあります。

 

主は必ずしも毎日語って下さらない方であることが分かって来ました。臨在も何も全く感じないのです。行きつけの店に行ってみると、「本日休業」の看板がぶら下がっていてびっくり、がっかりする、あの感じです。

しかし、時に何時間も、あるいは一日ふつか、何も与えられないことがありますが、そういう時は逆にうんと祈らなければならないようです。そのような祈りの後で大きなテーマの変換とか、「めざましいこと」をおっしゃられることが多いので、期待がふくらみます。何事をするにも祈りは絶対に必要であることをひしひしと感じます。

 

このところ、二度三度、私の思い上がり、いかに私が御言葉の意味を分かっていないか、クリスチャン生活を何年も続けてきて、自分がこんなに焦点がずれているout of focusかを思い知らされました。本当にショックでした。へりくだらされ続けています。ぎゃふんとなり、あるいは感激して一瞬泣きました。

 

それと、この頃非常に面白くなって来たと思うのですが、主に質問したり祈れば必ず答えて下さることです。この一、二年特に昨年初めぐらいから「お祈りは聞かれる」という思いが強くしております。皆さんもそう言う思いを持たれていると信じますが、いかがですか。

 

イエスがどれ程の祈りの人であったかをつくづく思い知らされ、自分はもっと祈らねばならないことをひしひしと感じる昨今です。(終わり)


30 12月

溢れるように与える祝福 坂 達也  12月31日


溢れるように与える祝福    

 

坂 達也

 

 

聖書的に言えば、私たちクリスチャンは皆「神の子ども」と言われます。しかし、同じ「子ども」と言っても「幼い子ども」もあれば、「成長した息子」もあります。聖書のギリシャ原語とか、英語の聖書では、その差が理解できるような単語で使い分けられていますが、日本語の聖書の場合は、どちらも通常「神の子ども」あるいは「男の子」と訳されていて、幼いのか、大人なのかの区別がもう一つはっきりしません。

 

勿論、神にとっても人間にとっても、年齢に関係なく「親子の関係」を表す場合には私たちは「子(ども)」でよい訳です。しかし神は、私たちが霊的に幼い子どもから大人に成長することを人間の親以上に重要視し、私たちの成長を、最後まで責任を持って見守り、指導されます。それは「私たちがみな、信仰の一致と、神の御子に関する知識の一致に達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:13)

 

このことを最近特に感じ、自分自身も反省させられていることがあります。それは「十一献金」についてです。クリスチャンが「十一献金」をすることは、言うまでもなく大変重要なことです。そのことを厳しく義務付ける教会もあれば、あまり言わない教会もありますが、いずれにしてもお金が絡むことですから、言い方に余程気をつける必要があります。

  

しかし「十一献金」は教会でやかましく言われるからするのではないことを、クリスチャンははっきりわきまえていなければなりません。端的に言えば、献金をするのは神ご自身とその御国に対してであって、その人の属する教会の必要を充たす、あるいは信徒としての責任からする、しないと言う考え方はあくまで二義的なことです。私は献金が、クリスチャンとして、その人の神への愛と信仰の度合いを表す最も重要で基本的な尺度であると信じます。従って「十一献金」が出来ない人は、大人で成熟したクリスチャンとは絶対に言えません。本当にこの世の中はお金がものを言う世界であり、神様もそのように見ておられます。

 

私は若い頃収入が良かった頃でも月々の十一献金が出来なくて、年末に慌てて帳尻を合わせたことが多かったのですが、それでも曲がりなりにこの「義務」は守って来ました。このことを主は喜んで下さり、私たち夫婦はビジネスがうまく行かなくなった時も、ミニストリーに専念することを決意し、神にすべてを委ね頼るようになってからは特に、神は私たちを豊かに祝福し、必要はすべて充たされて来ました。

 

従って子どもたちにも友人のクリスチャンに対しても「十一献金」がいかに重要であるかを機会ある毎に強調して来ました。しかし、ある時気がつかされたことは、私の考え方・メンタリティーは、間違っているとは言えませんが、必ずしも「成熟したクリスチャン」としての考え方とは違うと言うことでした。

 

神様への献金は義務からするのではなく、神様を愛し、すべて神様が与えてくださっていることを感謝する気持ち、信仰のほとばしりからするべきであると言うことです。

確かに旧約聖書では少なくとも6箇所で「十一献金」の教えを見ることが出来ます。しかし、新約聖書では「収入の十分の一を献金すればよい」とはどこにも書いてありません。なぜかと言えば、新約の目標は私たちイエス・キリストを心から信じる者はイエスのようになることであるからです。旧約的な見方からすれば、言ってみれば幼い子どもに例えられ、十一献金がしなければならない責任・義務であると言ってもよいかも分かりません。しかし、私たちは新約の時代に生きている(正確には神の中で生かされている)のですから、最早幼い子どもの考えではなく、成熟した大人の考え方に変えられ、レベル・アップされていなければなりません。真のクリスチャンになることとは、私たち全員が神のご性質に似た「キリストのからだ」の一部になることであり、それは霊的に成熟した大人になって、キリストと完全に一体になることを意味します。

 

そのためには、私たちは人間的メンタリティーから脱して神のメンタリティーにならなければなりません。神はすべてにおいて無尽蔵の財源を持ち、それをふんだんに与える方です。キリストは神でありながら、ご自分を私たちに与えられました。けちな根性は毛頭ありません。まさにパウロが言うように「私たちにすべての物を豊かに与えて楽しませてくださる神に望みを置くように。」(1テモテ6:17)であるのです。しかし人間はなかなかそうなれないのです。

 

 

貧困の霊

 

私たちには二人の子どもがいますが、一人は私たちやもう一人の子どもにも最近とてもよく気を遣って、必要と思えばおしげなく与える子どもに成長しておりますが、もう一人の方は未だそこまでになっていません。そうすると私はどうしても比較してしまいます。その結果は、私自身が全く人間的な父親の域を出ていないことに気がつかされました。

 

私たち地元のミニストリーを一緒にしている二人の男性が生活に追われっぱなしで、「十一献金」が出来ていないので、それを行なえば神は豊かに与えて下さることを、私の経験の証を交えて折に触れ強調して来ました。しかし、二人ともとてもよく祈ってはいるのですが、一向に十分な献金もしていないようですし、経済的に豊かになりません。

 

そこで今回、私が主から示されたことは、私が十一献金を勧めるその気持ちの中には、十一献金をしないから経済的に恵まれないのだと言う批判的な感情があり、その人を「裁いている」と言うことでした。そしてそのこと自体、私自身が貧困の霊に取りつかれていることに他ならないと主から示されたのです。深く反省しております。

 

 

確かに、自分の蒔いた種は刈り取らねばならないと言う霊の法則は厳然と存在しています。そして、神はご自身が聖く、その上、無限に溢れるような愛をもっておられる方ですから、愛をもって正しく適切に懲らしめも裁きもなさるのであって、私たち人間が人を批判したり、相手に報復したり、裁いてはならないのです。そうすれば、勿論自らに裁きを招くことになるからです。

 

私たちは神の子どもとして神の膨大な財産の相続人であり、現在でも無限の財宝を惜しみなく与えてくださる天の父がいるのですから、全く無制限の財源があるのと同じです。従ってその信仰さえあれば、経済的に恵まれない人を助ける必要がある時には、出来るだけ出し惜しみせず豊かに与え、愛を持って親身になって神にとりなすべきです。そのような態度と行動が、相手の人と、自分の貧困の霊を打ち破ることが出来るのです。

 

 

 

神はすべて無制限に祝福出来る方であり、それを望んでおられるのですから、その神にのみ信頼すれば一切の面倒を見ていただけます。これは私たちが神のチルドレン(幼い子ども)であるからです。しかし、それ以上に、私たちは霊的な成熟した大人として、神に負けないぐらいふんだんに、人に、あるいは神が示すミニストリーに与え続ける時に、それがものすごい力となって神の与えるミニストリーの手足となり、同時に自分にも有り余るほど返って来るのです。これが神の経済原則であり、重要で大きな神のビジネス(御国の企業)に参加することになるのです。

 

新しい年2011年から翌年の2012年に向かって、世界経済、特にアメリカの経済が大変な試練の時を迎える、真っ暗な暗闇に突入することが多くの人によって予測、預言されています。しかし、世の中が悪くなり、厳しい状態になればなるほど、神の子どもとして、こんな絶好のチャンスはありません。新しい年に、神の経済原則を忠実に守る成熟した大人のクリスチャンになることを決意し、神に聞いて忠実に実行すれば、その人は神に豊かに祝福されるだけでなく、暗闇の中で神の栄光を輝かせる御国のトーチ・ベアラーとして、又、御国の企業家として、大いに活躍出来るのです。これこそ主が私たちに期待するところではないでしょうか。

新しい年に皆様のお働きに大いに期待しております。 (終わり)   


25 10月

最近の中近東情勢 坂 達也 10月24日


最近の中近東情勢 坂  達 也 最近「世界のイスラム化Islamisation」の脅威が世界中に広がっていることのニュースをよく耳にします。 そのひとつに最近フランスのパリに起こっていることが報道されました。それは、イスラム教徒が街のある地区を歩道も路上もひざまずいた礼拝者で一杯にし、完全に交通止めの占領状態になっているのに、警察は観て見ぬ振りをしている姿でした。それがあまりにも目に付くのに見かねたパリジャンたちが、逆手に出て、ポーク・ソーセージとワインを手に持って街をプロテストのデモをして練り歩く姿をカメラで捉えたものでした。 私はCBNニュースが報道した映像のクリップを見たのですが、今、パリのフランス人はイスラムに対する強い警鐘と警戒の念に駆られており、イスラムが「一致協力した努力」によって、間もなく政府を乗っ取り、伝統的なフランス人の生き方が出来なくなる恐れを持っているというのです。それはフランスの民衆がイスラムにうんざりしている姿を伝えたものでした。 そしてこの報道は、このイスラム化の傾向が他のヨーロッパの国々とかイギリスにも広がりつつあり、やがてアメリカもそうなることは明白で、手遅れになる前に何とかしなければならないと結んでおりました。 現に、言われるまでもなく、アメリカでもその恐れが確実なスピードで現実のものとなりつつあります。イスラムからの大量の政治資金が流入し、政治家はイスラムに対して強い態度でものが言えなくなっていると言われます。クリスチャンの祈りとか礼拝は教育機関では全面的に禁止するという動きが常識となっている中で、イスラムの祈りと集会は「宗教の自由」という名目で堂々と行われ、それが広がりつつあり、それに文句を言わせない情勢です。

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ヨエル・ローゼンバーグ氏は、最近「The twelfth Imam」という新著(小説)を出版しました。 これは特にシーア派の回教徒の間で信じられていることのようですが、回教の創始者であるモハメットの死後、彼の後継者として12人のリーダー(imam)が現れる。その中で、最後の12番目に現れるリーダーがイスラムの真の救世主であると言われているそうです。(英語のインターネットではThe twelfth Imamについて色々説明されていますのでご参照ください。) 氏によれば、現にイランの最高指導者アヤトーラ・ハメネイKhameneiは、人の目から隠されて現れるという、この12番目のImamが彼を密かに訪れ、自分はそのImamの代表者である、そしてこのImamが人間社会を救出すると言っているそうです。 ローゼンバーグ氏は自分がこの本を書いた理由は、終末がいよいよ迫る時代に生きていながら、ほとんどの人たちはそれに気が付いていない。特にイランのやっていることが、イスラエルをこの世から抹消するという目的以上に、この世を破壊する「終末」の引き金を引くことになりかねないと言う警告を目的として書いたと言っています。 氏は本当にThe twelfth Imam が現れるかどうかは分からないが、下記の聖書の聖句がその可能性があることを言い表していることを無視できないと言います。 マタイ24:4-5「そこで、イエスは彼らに答えて言われた。『人に惑わされないように気をつけなさい。 わたしの名を名のる者が大ぜい現れ、『私こそキリストだ』と言って、多くの人を惑わすでしょう。』」 又、24:11でイエスは「にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。」 そして、24:23-27で「そのとき、『そら、キリストがここにいる』とか、『そこにいる』とか言う者があっても、信じてはいけません。 にせキリスト、にせ預言者たちが現れて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。 さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。 だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる』と聞いても、信じてはいけません。 人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。」 ローゼンバーグ氏は、最近中国の会社が核の部材・部品を国連の禁止決議にもかかわらず、イランに売り続けており、これがイランの核兵器を持つまでの時間表を早めていると言う危険極まりない事実であると指摘します。 これがThe twelfth Imamの現われ(と主張する事実)と相まって、イランが中心となって人類を滅亡に導く核世界戦争を起こし、イスラム救世主の時代に導き入れるのがイスラムの召命であると信じる人たちが今のイランを動かしていると言います。

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次にご紹介するのは、アメリカで人気のあるシッド・ロスSid Rothの番組に最近登場したヨエル・リチャードソンの終末に起こる聖書の預言に関するものです。この人は若い頃から、神が将来彼を用いて終末の聖書の預言に関する新しい理解を示すという約束の預言が与えられており、中東に約1年間住んでイスラエル・パレスチナ周辺の事情を実地に学んでよく理解する機会が与えられたそうです。 彼が先ず指摘するのは、聖書の預言、特に黙示録の解明において、今まではローマ帝国とかヨーロッパ的な考えに基ずくものが多かったが、もっと単純に聖書の基本にもどって、イスラエルを中心に、その回りのイスラム圏に焦点を当てるべきであると言います。 彼は黙示録17章に出て来る「女」「大バビロン」とは、最後に現れるイスラム帝国の中心となるサウジアラビアを指すと言います。 そして、その女を乗せた「獣」が出てきますが、この獣はトルコ(昔のオスマントルコ帝国1299年-1924年は、イスラム圏を500年以上統治した大帝国であった)の再来であると言います。「この女が座っている七つの山で、七人の王...五人はすでに倒れたが、ひとりは今おり」(黙示17:10)とある「今おる」のは六番目のローマ帝国のことでありその後に七番目として出てくるのが、経済大国サウジアラビアが後ろで操る、終末の「大イスラム帝国」である。そしてその「大バビロン」と密接な関係にある「獣」とは、一時致命的な傷を受け、打ち倒されたかに見えたが奇跡的に癒されて十本の角=十人のイスラム圏の王たちのリーダーとして再現する「トルコ帝国」であり、これが八番目に続くると解き明かします。 イスラム圏の国々は、世界で最も資源的に富裕な膨大な経済力を持ち、加えて最もラジカルで強力な宗教を武器として、今静かに世界侵略を進めています。確かに戦争をすれば米国とか西欧・ロシヤに敵わないかもしれませんが、今その米国と西欧の武力撤退が進んでおり、イスラム圏は一つの大きな空白地帯になりつつある。そのような戦略的に空洞化しつつあるイスラム圏で、今西欧に近く温和なサウジアラビアとエジプト、それに反してシーア派の過激的なイランの中を取りもって軍事的に統率するのがトルコであっても全くおかしくはないと言います。 現にトルコと言えば、イスラム諸国の中でもイスラエルと最も友好関係にあった国でした。しかし最近のフロテラ事件以降は急速にイスラエルと敵対するようになっています。 イスラム圏の国々の共通した願いは「イスラエルをこの世から消し去る」ことですから、トルコの台頭が、イスラエルに対して戦闘的なイラン、シリア等と協調して、イスラエルにいよいよ最後の戦いを挑む体制が出来つつあると見ています。 そのトルコがこの夏の軍事訓練で、昔は友好国としてそれに参加した来たイスラエルとか米国は除外して、中国を招いたと云われます。中国とトルコの関係が今急速に近まってきていると言う事実は、世界が非常にきな臭い緊迫した情勢に変わりつつあることを物語っていないでしょうか。 以上、最近の情報をお伝えします。 坂 達也
24 10月

坂 達也からのお知らせとご挨拶 10月25日


坂 達也からのお知らせとご挨拶

いつも私たちのサイトをご高覧いただいてありがとうございます。突然ですが、私たちのHPの様式を変えることになりました。前もってお知らせせずに、急に新しいサイトに自動的に切り替わるのでびっくりなさったと思いますが、こう言うことに慣れていない私たちの不手際をどうぞおゆるしください。 そして今後はこの新しいサイトで私たちのメッセージを相変わりませずご高覧いただけますよう、よろしくお願い申し上げます。又、しばらくの間は内容に不備が残りますが、出来るだけ早く改良して参りますので、どうぞご了承下さい。就きましては、私たちの新しいサイト・アドレスはhttp://www.banministries.org/ ですのでよろしくご変更と登録をお願いします。 尚、新しいカテゴリーとして、私の趣味でありますカメラ・フォトグラフの写真を時折り載せさせていただきたいと願っております。カメラは下手の横好きで全くの駆け出しの新米ですが、ハワイの風景、植物、海等を写してみますので、皆様からのコメントをいただいてご指導を賜りますようよろしくお願い申し上げます。以上、ご挨拶とさせていただきます。又、メッセージに対しましても、どうぞお気軽にコメント下されば幸いです。坂 達也
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