WWGM

Walk With God Ministries

15 06月

日本産のマンゴの話     坂 柚実子      6月15日


日本産マンゴの話

これは5月に、私の友人と日本で会ったときに聞いた話ですので、日本の皆様はもうご存知かもしれませんが、私にはとても面白かったので、ここに書きます。

宮崎でユニークなマンゴの栽培がされています。それは「完熟マンゴ」の生産です。マンゴがまだ青いときに、一つ一つに網袋をかけます。マンゴは網の中で熟して、時満ちて完熟すると、人の手をかりずに自分からポトリと網の中におちます。完熟していないときに収穫され出荷されてくる輸入物とは比べ物にならないほどの甘さ、おいしさだそうです。日本人の研究熱心にはいつも驚かされますね。ちなみに、このようにして収穫されるマンゴは大層高価なもののようです。

この話がどうして私にはとても興味があったかといいますと、ヘンリー・グルーバー師の天国での経験話と結びついたからです。グルーバー師は使徒パウロのように天国に行った経験を持っておられます。ある祈り会の中で、霊が天国に引き上げられ、気がつくと自分は天国の黄金の道の上に立っていました。彼の前に一人の白い衣を着た人が歩いていて、それはすでに天に召されたクリスチャンでした。グルーバー師が見ていると、その人は果物の木の下に行き、果実の下に手を差し伸べると、果実はその人の手のひらの上にポトリと落ち、木は葉っぱを打ちならし、「栄光、賛美、誉が主にあるように。私たちが贖われた者に仕えるのはなんと嬉しいことでしょう。」と歌を歌ったといいます。木は人の食べたいという思いが分かり、自分から進んで実をささげたのです。

グルーバー師はこの話を、私たちの伝道の仕方に適応して用いられることがあります。人々にイエス様を伝えるとき、まだその人が信じる用意がないのに無理に信じさせようとしてはいけない、つまり、青いうちにもぎ取ってはいけない、ということです。神様のその人に対する定められた救いの時には、喜んでポトリと手のひらに落ちてきますよ、その時を待ちなさい、といわれます。

又、伝道の仕方に関してグラハム・クック師も次にように言っています。

「私たちの心の中にある神様の姿こそが、この世の人たちが見てひきつけられるものなのです。神様の愛が私たちから流れ出ていれば、教会に来るようにと人々を説き伏せる必要はないはずです。今教会でしている伝道方法は、人々に教会に来るようにと薦めるのに力を入れすぎています。私はそれを好ましこととは思いません。私は人々がイエス様を見出すようにと願います。彼らはイエス様を見出す過程で自分に合う教会を見つけていくことでしょう。人々を集会に来させることが私たちのゴールであってはなりません。そうではなく、あなたの生き方を見て、人々になにか不思議だなあと思わせ、なにか質問したいような気持ちにさせ、なにか神様をもっと知りたいと思わせることが、私たちのゴールであるべきです。神様の愛は無条件で慈しみ深く、あふれ出て見返りをもとめないものなのです。」

いかがでしょうか。私たちが教会の中だけでなく、仕事場、生活の場でイエス様の愛、知恵を大胆に表わしていけるときが今日本にも来ているのを今回の日本旅行で感じました。イエス様の愛という太陽を受けて完熟したマンゴが落ちてくるのを、忍耐をもって待っている網のような方が、きっと沢山おられることでしょう。ポトリ、ポトリという音がもうすぐ日本中に響いてくることを信じています。(終わり)


トップページへもどる

13 06月

ジョイフルサウンド・ミニストリーズ・ニュースレター・14号


JOYFUL SOUND
MINISTRIES

  ジョイフル・サウンド・ミニストリーズ
ニュース・レター No.14 2006年      発行日  2006年6月10日



沖縄レポート2.
「リバイバルへの備え」(霊の畑を耕す働き)


                     アガペ・コミュニティー・チャーチ牧師  根間 民雄

 「私たちの心のうちで燃えたではないか。」これはエマオ途上における主イエスの二人の弟子たちが話し合ったことばです。去った2月14日、グルーバー師を那覇空港でお見送りした直後から、私の心に響いていることばでもあります。まさしく、主がグルーバー師と共におられ、働かれ、沖縄の霊の畑を耕され、大きな障害の石を取り除き、リバイバルへの備えを着々と進めておられることを感じさせられ、リバイバルへの期待がふくらむばかりです。
 グルーバー師は今回27日間滞在され、17教会と3つの団体、そして、多くの個人、家庭集会、病院を訪問し、相変わらず精力的な奉仕をしてくださいました。その中には5つの初めての教会と沖縄実践神学校での講義の奉仕も含まれており、来年はさらに、初めての6つの教会から既に招きがあり、少なくとも5―6週間の滞在が必要とされます。

 さて、はじめに昨年の津嘉山の森のことをレポートさせていただきます。今度も泡瀬バプテスト教会の具志堅牧師と兄弟姉妹、そしてグルーバー師があの山に登られましたが、頂上の拝所がなくなっており、霊的圧迫も誰も感じなかったという証しを聞いて、私は早速、その山に登ってきました。中腹の三大神の拝所はまだありましたが、頂上の拝所は確かになくなっており、さらに昨年までは呪われた地域のように放置されてあった娯楽センターは会社の事務所に生まれ変わり、周囲のビジネスも活性化され、霊的雰囲気も大きく変わっていました。ハレルヤ!今後もますます地域の霊的、経済的、社会的繁栄が拡大され、リバイブされ、主の栄光があらわされ、トランスフォーメーションが期待されます。
(1)
 似たようなケースでは、北中城村の喜舎場でも起こっています。昨年、島袋幸枝姉の案内で姉の住んでいる家やその周辺、その地域を支配している御嶽を祈りの歩行しました。今年行ってみると、近くにあった大きなホテルのビジネスは再開されていますし、その隣の大きなレストランも長年放置されてあったのですが、昨年の地滑りで破壊されたおかげで、新しいビジネスのための建設工事が進められていました。又、島袋姉は霊的圧迫から開放されて、House of Praiseの開拓伝道を始めておられます。ハレルヤ!

 今年の離島ミニストリーは伊江島でした。伊江島タッチュー〔山〕、アメリカの従軍記者の記念碑、土地闘争、千人洞穴、湧出(ワジー)、ユリ祭りなどで有名な島です。総面積23Km2の33%が米軍用地で、残りの土地に5,400人の住民が住んでいます。その島に28年間自給自足で伝道牧会を続けておられる野村牧師ご夫妻の伊江島キリスト教会があります。その教会の姉妹たちと沖縄本島から参加された比嘉球英牧師、大城啓子牧師、他三人の姉妹たちと教会でのオリエンテーション後、野村牧師の案内で祈りの歩行がなされました。アラウタキで始まり、タッチュー、湧出、芳魂の塔、千人洞穴、アニーパイル碑等々次々と祈りの歩行がなされました。ここでは代表的な場所として伊江島タッチューでの歩行のことだけを報告致します。
 そのタッチューの中腹まで車で行き、そこから徒歩で登りましたが、入り口の所に城山御嶽(グスクヤマウタキ)があり、そこで先ず祈りました。通常の登山経路と違って、その山を一周するような古い小路を通りながら、その道沿いにいくつもある拝所の総ての場所で霊的打ち砕きと十字架の血潮の祈りと勝利を宣言し、喜びと感謝と賛美に満たされました。頂上からは360度の視界でコバルトブルーの海、その向こうには島々眼下には平坦な畑や家々と絶景です。しばらく頂上で祈り、すばらしい景色を楽しんだ後下山しました。この島の最高峰が霊的に奪回されたからには、今後の主の御業が大きく期待されます。

 もう一つの山登りの歩行は、北部チャペルの大城啓子牧師の案内による今帰仁城跡の裏山でした。その山はユタの三大修練所の一つと言われるところです。頂上に着くまでには、ここでもたくさんの拝所があり、途中からはロープを頼りに30分ぐらい登らなければならない険しいところです。頂上付近は風が強く吹き飛ばされそうで、急な岩場をしっかりつかみながら登りました。頂上からは何とすばらしい見晴らしのこと。青い美しい海の向こうに伊江島や他の島々が見え、眼下には今帰仁城跡の全景が見えます。
グルーバー師と北部チャペルの兄弟姉妹たち8人の一行は、このような敵の重要な要塞が今回の歩行で奪回された勝利の喜びに満たされつつ祈りの歩行を終えて、夜の集会へと
導かれ、そこでも又すばらしい恵みの時が与えられました。過去にもリバイバルを経験したこの今帰仁の地に再びリバイバルの炎が燃やされることが大いに期待されます。
(2)

 アガペ・コミュニティー・チャーチによるオープン・ミーティングでは、イラン出身のイスラム教徒の夫妻がはじめてクリスチャンの集会に導かれ、キリストの良き知らせを知り、祈りのミニストリーも受けました。感謝、感謝を連発しながら帰って行きました。この夫人の弟はイランに住んでおり、クローン病という難病で医者から見離された状態でしたが、グルーバー師の祈りを境に、日ごとにいやしのきざしが見え始め、手術出来るほどに回復し、その手術のための祈りのリクエストもありました。ハレルヤ!
 いのちの水のキリスト教会による祈りの歩行では、いつもは入ることの出来ないお寺の境内に入ることが出来、建物の奥まで入って祈りの歩行が出来たことや、沖縄リバイバル・チャーチでは300-400人の集会で主の不思議な臨在と平安と喜び、その地域にあるいくつもの霊場での勝利等々、不思議としるしの証しは尽きることがありません。

== 数々のいやしの奇跡が起こる ==

 次に、今回すばらしい数々のいやしの御業が起こった証しをご紹介します。

金武バプテスト教会
 城間正人兄(50歳)はグルーバー師が来られる3日前に電気のこぎりで左手の親指の付け根をほとんど切断してしまい、手術を待っていたところ、病院でグルーバー師を見つけたので追いかけて行き、祈ってもらいました。師は後遺症もなく、傷は完全にいやされるようにと祈った上で「もう大丈夫で
10 06月

日本からもどって         坂 柚実子    6月10日


日本からもどって

5月9日からの4週間の日本旅行を終えて、無事ハワイにもどりました。多くの方々とお会いすることができ、沢山証も聞かせていただき感謝でした。神様が今、日本中で、いろいろな形、方法で大きくはたらいておられることが分かりました。皆様のお祈りに支えられて、出発前に痛くなった主人の足もすぐに癒され、風邪ひとつ引かずに全行程を終えることができました。今回お世話になった多くの方々に心から感謝申し上げます。

九州から青森まで、17の教会をお訪ねしましたが、今回の旅行のために主人が神様から与えられたメッセージは、エペソ4:13にある「キリストの身体である教会とは、大勢のクリスチャンがひとりの成熟した大人になることで、それには2つの一致が必要である」というものでした。

私は、基本的には同じメッセージを17回聞いたわけですが、途中でもうこれ以上同じ話を聞くのは耐え難いという限界状態に頭がなったときもありました。先回の旅行の主人のメッセージには、エデンの園の動物の様子を描写するところが出てきたので、主人は私のために動物の種類を毎日変えてくれました。昨日は猿だったのを今日は象にしたりしてくれて、私も楽しめるようにしてくれたのです。でも今回は残念ながら簡単に変えられるところが無かったようです。

これは伝道者である伴侶について旅行する者みんなに与えられる試練(大げさ?)ですが、ずっと以前に鉄道自殺を図ったあとクリスチャンになられた田原米子さんがポートランドに来られ時、同行しておられたご主人が彼女の証のあとで言われたことを、私は何故かよく覚えているのです。彼は「米子のこの証は、私はもう数え切れないくらい聞いてきましたが、飽きるということはなく、聞くたびに感動するのです。」といわれました。素晴らしいですね。

ともあれ、同行する私の役目は、主人が神様から力を得て話せるように祈ることですから、私も話しを聞きながら精一杯祈りました。主人は一回目から最後まで同じ熱心さで語ることができ、本当に主からいただくメッセージを語るというのは、こういう油注ぎがあるのだ、と感じました。そして、私もこのメッセージを何回も聞くことにより、「キリストの身体」に関して理解が深まっていきました。

帰国して、ハワイの私たちの教会であるニュー・ライフ・チャーチ・ホノルルの集会に出席し、みんなからハグをもって迎えられました。彼らも私たちの旅行中、忠実に祈りをもって支えていてくれたのです。キリストの身体の一部分であるこの教会に、その又一部分として私たちが属していることを実感し、感謝しました。(終わり)



トップページに戻る

08 06月

新しい種類のクリスチャンの誕生  ジェフ・ジェンセン  6月8日


はじめに                  
          坂  達 也

私たちが今回日本への旅行を終えてハワイに帰国した直後に、私は下記の記事に接しました。この記事の筆者、ジェフ・ジェンセン師の書いたものは今回初めて読んだのですが、驚いたことにこの記事は、私が今回主から与えられ日本でとりつがせていただいたメッセージの趣旨を、まさに確認するコンファーメーションであることに気がついた次第です。その意味でもぜひご高読ください。




超自然の力を発揮できる新しい種類のクリスチャンの誕生

          ジェフ ・ ジェンセン


勝利者が誕生するしるし 

モーセが出エジプトに際してパロにして見せた、数々の前代未聞の神の大奇跡を目の辺りにしたイスラエルの子達の仰天振りは、さぞ見ものであったと思います。同じことがイエス様が現れたときにも起こりました。マタイ4:16で「暗やみの中にすわっていた民は偉大な光を見、死の地と死の陰にすわっていた人々に、光が上った。」とあるように、イエス様ご自身が現れて、神の偉大な力を見せてくれたのでした。それは、これからの時代に現れる超自然の力がどんなものであるかを示してくださったものでした。

イスラエルの民が彼らの約束の地に入る地点に達するまでに、一世代、40年もかかったのは、彼らが約束の地を取るために必要な霊的な資質、あるいは信仰を築き上げていなかったからでした。荒野では食料や水、又、40年間履いてもすり減らない靴にいたるまで、必要なものをすべて神があてがわれました。そして再びチャンスが到来しました。ヨシュアと共に新しい世代の民は、彼ら自身の相続すべきものを、自ら戦って勝ち取らなければなりませんでした。しかし目の前に横たわる障害物は、全く克服不可能に見えました。

制限の無い新しいリアリテイー

ヨシュアとカレブは「ほかの者と違った心(霊)」を持っており、それは主に完全に「従い通した」ものであったがゆえに、彼らは約束の地に入ることを許されたのでした。(民数記14:24、30)その霊とは「勝利者(オーバー・カマー)の霊」でした。

今日、ヨシュアとカレブのように、天からの声を聞いて完全に主に従う一つの軍団が現れようとしています。これらの人たちを歓迎し受け入れることは難しいと多くの人は感じるかもしれませんが、私たちはこの軍団を必要としているのです。なぜなら、彼らは「無制限の新しいリアリテイー(現実)」を見せてくれる人たちであるからです。

数世代前ですが、A.W.トーザーは「事実、我々は真の聖徒を生み出していない。新約聖書には全くふさわしくない無能力なクリスチャンのタイプの信者ばかりを作り出している。今の時代の『聖書的クリスチャン』と呼ばれる人たちは、真の聖徒のほんの浅い見本でしかない。しかし現実はこのような宗教の低い形を永続的に作り出すムーブメントに何百万ドルも費やしており、そのような浅はかな知恵に反対しチャレンジしようとする人を攻撃している。」と言っております。

出現しようとしているエゼキエル・カンパニー(軍団)

 最近、リック・ジョイナーは「消極的クリスチャニティーと消極的クリスチャンが存在できなくなる時代が今来ようとしている。」と書いています。成熟し、訓練を受けた神聖な軍隊が今、神の民の中に現れようとしているのです。人間的で理想ばかり追う神学に屈服してしまった人たちにとって、これは受け入れがたいことでしょう。しかし、私たちの神とは軍隊的な戦う神であることを認識しなければなりません。聖書の中では神を「万軍の主」と呼ぶ回数が他のどの呼び方より10倍も多いことを知らねばなりません。この神の戦われるご性質を私たちが取り入れなければならない時がやって来ることを、理解する必要があります。

神には制限というものがないことをよく認識したクリスチャン(教会)が、今出現しようとしている強いしるしがあります。これが、神の息といのちの力が彼らを通して吹き出す、「エゼキエル・カンパニー」です。彼らの唯一のアイデンティティーと目的とは、イエス・キリストの力と臨在と人格そのものです。彼らは過激的な信仰を持ち、その信仰を果敢に実行することによって人々はバランスを失うほど驚いて見ているでしょう。彼らは必要に迫られれば、人間的には不可能なことをする神の無限の力を発揮できる人たちです。私たちはもはや御国の外に立って中を眺めている傍観者ではありません。私たち自身が御国の真っ只中に入り、ヨハネ14:12にあるように「わたしの行うわざを行い、またそれよりもさらに大きなわざを」行う世代なのです。

主の栄光にもどる

私たちは新しいドアのしきいをまたぎ、神の栄光がもどってくるのを見ながら、新しい部屋に入ったのです。それは新しいシーズンであり、新しいサイクルに入り、主と共にいる新しい場所に入ることであり、そこでは「キリストのからだ」が今までのような自分が招いた制限にぶつかるという経験を過去のものとし、神の栄光あるご臨在の新しい流れの中へと入って行くのです。人々は神の黄金の栄光の川に自由に浸りながら、全く新しい場所で、新しい川辺で果実を実らせる自分たちを発見します。
この黄金の川から、この新しい種類の信者が天のすべてのDNAを持って現れて来つつあるのです。彼らは町に、地域に、そして国に、栄光をつくり出すものとして出て行き、驚くべきしるしと不思議なわざ、奇跡を行い、力強く超自然の力を発揮します。そして神は彼らの上に、ご自身の御国の「承認」というスタンプを押します。それは、聖霊により約束された「キリストのからだ」の種として合格という新たなる認証のスタンプです。彼らがまだ現されていない栄光の領域を将来現すのです。

新しい種類の聖徒

彼らは、愛とあわれみの心を持つことによって「油注ぎ」が解き放たれることを知っています。彼らが理解する唯一の言葉は、聖霊のご臨在の中で主を待つことによってのみ彼らに語られるものです。柔和さとへりくだりが彼らのトレード・マークです。彼らには常に豊かな油が注がれていて、彼らは神の寵愛で包み込まれています。彼らこそが恋煩い(lovesick)に陥ったキリストの恋人たちです。彼らは、偉大な収穫の時が教会にやって来るとき、彼らが 刈入れの機械として用いられることを知っています。しかし、その刈入れは今までのやり方でなされるのではなく、彼らが行くすべての場所において、神の御国の領域の力が解き放たれ、全く超自然の形でなされることを知っています。

超自然の力と神の御国の栄光が流れ出すのを私たちが見るためには、私たち自身が過激的にトランスフォーム(変革)され、神とはどう言う方であり、どのように事を運ばれる方であるかをよく理解する人になる必要があります。主は、その人の心が完全に主のものとなって、常に主を待ち、主に仕え、天がその人を満たすことを許す人を探しておられます。そのような人は、主がこの世に侵入して来られる時がどのようであるか、主がどのように現れ、どうしてそれを察知できるかを経験からよく理解している人です。

この新しいタイプの弟子とは、へりくだってよく教えを聞く人であり、完全に聖霊の導きに依存している人です。彼らの内なる人は常に天の父の心の動きに敏感に呼応し、聖霊によって変えられてゆく人です。彼らは主にとどまることによって得られる秘密の力を知るようになり、又、神を待ち望むことによって上からの力を得、神のご臨在の中で親しい主の導きによってもたらされる打ち破りを経験している人です。

祈り

主よ、私たちは今、新しい打ち破りによって、あなたのご臨在の秘密の場所へと入ることができるようにお願い申し上げます。私たちがどのようにすれば、あなたの御国の息子、娘となれるかを改めて理解できるようにお教えください。そして、その秘密の場所でのあなたとの深いお交わりの経験をもたらすための啓示をお与えください。
聖霊様、私たちの内に深い飢え渇きを起こし始めてください。私たちはこれから現れる天の息に満たされたエゼキエル軍団に加えられることを切に望みます。私たちの恥を拭い取ってくださることによって、私たちが再びあなたのご臨在から来る新たな愛と信頼で輝くことができるようにしてください。あなたの恵みの中で建て上げてください。そして、私たちが今までやってきた従来の考えとかやり方から完全に踏み出て、あなたによる新しいいのちの中へと入ることができるような力をお与えくださるようお願い申し上げます。(終り)


トップページへ戻る
02 06月

神との深い交わりの鍵     ジェイムス・ゴール    6月2日


神との深い交わりの鍵―静まること
                                      ジェイムス・ゴール 

      マーク・バークラーはニューヨーク州バッファローの牧師ですが、彼は聖書の学びや霊的交わり、成長に関するマニュアルを30冊ほど出版しています。以下は「Communion with God 神との交わり」という師のパワフルな本からの抜粋です。

神と親しく話しを交わそうとするならば、まず私たちは静まらねばなりません。ハバククは祈るときは見張り所に行きました。(ハバクク2:1) イエスは朝早くまだ暗いうちに寂しい所へ出て行き祈られました。(マルコ1:35) そして、一日の終わりには山にいって祈られました。

神と交わるための基本原則
私たちのうちなる人が神と交わるためには、まず私たちの気を散らす周りの状況を取り除かねばなりません。 誰にも邪魔されない一人になれる場所を探し、外の環境に左右されずに心を集中できるようにしなければなりません。

次に、自分の中から聞こえてくる様々な声や思いに気をとられないために、内なる人を静めることを学ばねばなりません。自分の中の声や思いが静まらなければ、多分神の声を聞くことはできないでしょう。
静まろうとあせったり無理やり静まろうとしてはいけません。そうではなく、静けさが自然に起こるまで待たねばならないのです。あなたが静まってくると、神の訪れがあり、神の息吹があなたのうちに流れ込むのを感じるでしょう。神の本質が命をもってあなたのうちに流れ込んできます。神の声が語り、あなたに知恵と力を与えてくれます。あなたは自分は「霊にみたされている in Spirit」と感じるでしょう。(黙示録1:10)

思いという名の戦場  ジェイムス・ゴル

攻めの姿勢をとる

IIコリント10:2-6をお読みください。聖書のこの箇所を読むとき、私はこの「思いという戦場」をこんな風に思い浮かべます。この要塞(4節)は私たちの思いを取り巻く年を経た城壁です。それは私たちの心の頑なな態度です。つぎにさまざまな思弁(5節)は城壁の上で見張る人間的な論理の番兵です。あらゆる高ぶり(5節)は城壁の上にそびえるプライドという名の塔です。最後に、すべてのはかりごと(5節)は提案という強い武器をもって持ち場を守る兵士たちです。

先攻する私たちの武器は肉の物ではなく、神にあって要塞をも破るほどに力のあるものであり、思弁やキリストの知識にさからうあらゆる高ぶりをうち砕くことができます。イエスの御名と血潮(黙示録12:11)と神の書かれた言葉と話された言葉(マタイ4:3-10)とによって、私たちはあらゆる思いをキリストに服従させることができるのです。

実行の手順
私たちは、「すべての真実なこと、誉あること、正しいこと、清いこと、愛すべきこと(ピリピ4:7,8)」に心を向ける前に、まず私たちの思いを清めなければなりません。これは一朝一夕にできるものではありませんが、クリスチャンは必ずだんだんに清められていくのです。

キリストの思いも持つだめのステップ

•告白すること Iヨハネ1:7-9
•赦すこと 箴言14:10忘れること ピリピ3:13
•捨てること ヘブル12:1 IIコリント6:17

忍耐して戦うこと IIコリント10:2-6
•築きあげること  Iペテロ1:13、ヤコブ1:21、イザヤ28:10、ユダ20
•身に着けること Iテサロニケ5:8、箴言16:3、エペソ4:17-24

ゆったりと神の臨在を楽しむ

メリー・スオープ師は、「Listening Prayer聞く祈り」 という本のなかで、神の声を聞き分ける方法について次ぎのように書いています。

初めにすること

聞く祈りをするときは、いつもまず自分を神に委ね、聖霊に支配していただくようにお願いします。「自分の思いを棚に上げる」ことを学んでください。自分の考えが入り込むと、聖霊があなたの思いの中に語ろうとされるのを妨害することになります。

サタンの攻撃

サタンはあなたの気を散らそうとします。敵からのあらゆる邪魔な思いを捨てなさい。この世の喧騒や考えは内なる聖霊の静かなささやきを押しつぶしてしまいます。

主に安息する

ゆったりと神の臨在を楽しみなさい。神の力、知恵、慈しみ、柔和さ、寛大さを瞑想しなさい。主の平安があなたのうちに流れこみ、穏やかで静かな気持ちになり、あなたの心と思いが明るく照らされ活力を与えられるのを感じてください。主の霊はどのような仕事でも成し遂げる力をあなたにくださいます。

リラックスして緊張を解きほぐすことを学びなさい。心配や緊張があるときには、神は何も語られません。すべてを解き放ち、神が自由にあなたに語られるようにしなさい。心や思い、霊の静けさの中に退くことができる者だけが、神の声を聞くことができ、神から直接インスピレーションを受けることができるのです。

イエスはマタイ6:5,6で次のように言っておられます。
「また、祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。まことに、あなたがたに告げます。彼らはすでに自分の報いを受け取っているのです。あなたは、祈るときには自分の奥まった部屋にはいりなさい。そして、戸をしめて、隠れた所におられるあなたの父に祈りなさい。そうすれば、隠れた所で見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」

終わりの祈り
父なる神よ、このあなたの声を聞くいにしえからの方法を、フレッシュなものとしてください。 「神の臨在を経験する」すべは長い間見捨てられていましたが、今それを教えてください。 私の魂を静め、父とあなたの尊い一人子イエス様をもっと知れるようにしてください。 聖霊様、私のうちに荒れ狂う嵐をしずめてください。あなたの言葉、御心、方法に私がぴったりと合うように、私を調整してください。主イエスの御名によって啓示の霊を求めます。主よ、あなたを知りたいです。あなたの御国のためにどうか教えてください。アーメン

この静まることについてのメッセージがあなたの魂が愛する方との交わりをもっとすばらしいものにするために役に立つと信じます。私自身もこれによって本当に助けられてきました。 静まることこそ啓示という卵を生み出す暖いベッドなのです!(終わり)

トップページへ戻る

 Page 181 of 194  « First  ... « 179  180  181  182  183 » ...  Last »