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Walk With God Ministries

15 6月

日本産のマンゴの話     坂 柚実子      6月15日


日本産マンゴの話

これは5月に、私の友人と日本で会ったときに聞いた話ですので、日本の皆様はもうご存知かもしれませんが、私にはとても面白かったので、ここに書きます。

宮崎でユニークなマンゴの栽培がされています。それは「完熟マンゴ」の生産です。マンゴがまだ青いときに、一つ一つに網袋をかけます。マンゴは網の中で熟して、時満ちて完熟すると、人の手をかりずに自分からポトリと網の中におちます。完熟していないときに収穫され出荷されてくる輸入物とは比べ物にならないほどの甘さ、おいしさだそうです。日本人の研究熱心にはいつも驚かされますね。ちなみに、このようにして収穫されるマンゴは大層高価なもののようです。

この話がどうして私にはとても興味があったかといいますと、ヘンリー・グルーバー師の天国での経験話と結びついたからです。グルーバー師は使徒パウロのように天国に行った経験を持っておられます。ある祈り会の中で、霊が天国に引き上げられ、気がつくと自分は天国の黄金の道の上に立っていました。彼の前に一人の白い衣を着た人が歩いていて、それはすでに天に召されたクリスチャンでした。グルーバー師が見ていると、その人は果物の木の下に行き、果実の下に手を差し伸べると、果実はその人の手のひらの上にポトリと落ち、木は葉っぱを打ちならし、「栄光、賛美、誉が主にあるように。私たちが贖われた者に仕えるのはなんと嬉しいことでしょう。」と歌を歌ったといいます。木は人の食べたいという思いが分かり、自分から進んで実をささげたのです。

グルーバー師はこの話を、私たちの伝道の仕方に適応して用いられることがあります。人々にイエス様を伝えるとき、まだその人が信じる用意がないのに無理に信じさせようとしてはいけない、つまり、青いうちにもぎ取ってはいけない、ということです。神様のその人に対する定められた救いの時には、喜んでポトリと手のひらに落ちてきますよ、その時を待ちなさい、といわれます。

又、伝道の仕方に関してグラハム・クック師も次にように言っています。

「私たちの心の中にある神様の姿こそが、この世の人たちが見てひきつけられるものなのです。神様の愛が私たちから流れ出ていれば、教会に来るようにと人々を説き伏せる必要はないはずです。今教会でしている伝道方法は、人々に教会に来るようにと薦めるのに力を入れすぎています。私はそれを好ましこととは思いません。私は人々がイエス様を見出すようにと願います。彼らはイエス様を見出す過程で自分に合う教会を見つけていくことでしょう。人々を集会に来させることが私たちのゴールであってはなりません。そうではなく、あなたの生き方を見て、人々になにか不思議だなあと思わせ、なにか質問したいような気持ちにさせ、なにか神様をもっと知りたいと思わせることが、私たちのゴールであるべきです。神様の愛は無条件で慈しみ深く、あふれ出て見返りをもとめないものなのです。」

いかがでしょうか。私たちが教会の中だけでなく、仕事場、生活の場でイエス様の愛、知恵を大胆に表わしていけるときが今日本にも来ているのを今回の日本旅行で感じました。イエス様の愛という太陽を受けて完熟したマンゴが落ちてくるのを、忍耐をもって待っている網のような方が、きっと沢山おられることでしょう。ポトリ、ポトリという音がもうすぐ日本中に響いてくることを信じています。(終わり)


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