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Walk With God Ministries

02 05月

神様による出会い         坂 柚実子    5月2日


神様による出会い 

先週の水曜日に私が祈祷会から帰ってくると、主人が「素晴らしいことが起こったよ!」と輝くような笑顔で言うのです。私も「何がおこったの?!」と期待をふくらましました。何が起こったのかは下のオダ牧師夫人のキャロラインのEメールを読んでください。オダ牧師夫妻はエド・シルボソ師のトランスフォーメーション・カンファレンスにスピーカーの一人として参加するために、先週の月曜日まで一週間ニューヨークに行っていました。ハワイに帰るとすぐに私たちに知らせてくださったのです。

「親愛なる達也さん、柚実子さん

主はなんと素晴らしい方でしょうか! 私たちはブルックリンのホテルに火曜日に到着し、気持ちのよい春の午後、ホテルの近くのモンターギュ通りを散歩していました。手づくりのベゴ屋さんを見つけたので、次の日の朝食はそこに来ようと二人で話しました。
 
水曜日の朝、そのベゴ屋に行き、外のテーブルに座っていますと、一人の若者が近づいてきて、「ハワイからいらっしゃいましたか?」と聞くのです。何か私たちの物腰とか着ているものでわかったのかしらと、私たちはびっくりしました。すると彼はあなた方の息子であると自己紹介してくれたのです。(訳者注:息子は去年のクリスマス休暇にハワイに来たので、教会でオダ牧師夫妻を見ていました。)彼もベゴの朝食をしにきたのです。私たちは少しお話をし、訪ねたいと思っていたブルックリン・タバナクル教会のことを彼にたずねました。彼は次の日曜日に一緒に連れて行ってくれると約束してくれました。(訳者注:息子はそこに数回行ったことがあったのです。)

日曜日の朝、彼はホテルに迎えにきてくれて、教会まで案内してくれました。素晴らしい礼拝でした!それから彼が近くの小さなポーランド人のレストランに連れて行ってくれて、一緒に食事をしました。私たちはシルボソ師のカンファレンスで多くの恵みを受けたあとでもあり、また、ブルックリン・タバナクル教会の礼拝で心が満たされていたので、興奮していて沢山のことを彼にお話しました。マーケットプレイス・ミニスター(自分が働いている場で人々に神様の愛をもって仕えていく人)の役割についても話しました。彼も自分の生活や仕事、そしてもうじきニューヨークのダウンタウンに引っ越す計画があることなどを話してくれました。

彼は素晴らしい若者ですね。きっと誇りに思っておられることでしょう。
私はいまだに神様が計画された一分たりともたがわない奇しき出会いに驚嘆しています。
愛もって キャロライン」


この出会いは、本当に神様からのプレゼントでした。 親としてこんなに嬉しいことはありません。神様が息子のことを愛し、見守っていてくださることの証です。子供のためには毎日夫婦で祈っていますが、この出会いはその祈りの答えの一つと信じます。

息子といえば、先日今回の日本旅行で使うためのレール・パスを買いに、ある旅行社に主人と出かけました。 私たちの係りの女性とは主人はすでに電話で話してあったのですが、主人いわく「すごく優しい人なんだよ。」ということでした。実際会ってみると、とても細やかで親切でした。最後には「どうぞ、よいご旅行をなさってください。」と言ってくれました。 主人と私は「息子の嫁にしたいような人だねぇ。」と笑いながら話をしました。何か映画の中で聞いたことがあるようなセリフですよね。

確かに親として「息子の嫁」の一番の条件は、何をさておき「優しい人」と考える人が多いのではないでしょうか。私は天のお父様が一人息子のイエス様の嫁になるはずの私たち教会のことを、そんな風に思っているかな、と考え、もっと私も優しくならなければ、と思ったことでした。(終わり)


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30 04月

写真でハワイ便りをお送りします




 上記4枚の写真のうち3枚目の夕日は私たちの住む丘の上の家から撮ったもの、又、私たちの写真は少し古いですが、昨年末にワイキキのレストランの前で娘が撮ったものです。少し風があり涼しかったのでセーターを着ていますが、これがここでは一番寒い時ぐらいの写真です。
28 04月

火のバプテズマ         ショーン・ボルツ  4月28日


火のバプテスマ  
                                     ショーン・ボルツ
  
  私は最近ある都市を訪れましたが、そこで一人の牧師と会う機会が与えられました。彼はこれまで20年間、その地域で開催される多くの重要なカンファレンスを主催したりして、神に大いに用いられていました。また、多くの教派の牧師たちからも、主のために燃えている人として認められていました。彼の牧する教会は大きく、彼のヴィジョンも果てしなく広がっているようでした。 しかし今回私が会ったときには、彼も彼の教会も以前の栄えある姿とは、まったくかけ離れた状態になっていました。彼はその地域の聖会を主催するどころか、もうそれに参加することもしなくなっていました。 彼はまだ牧師をやめてはいませんでしたが、私のような預言者に会うということは、彼にとっては非常に気が重いことのようでした。 しかし、そういう気持ちにもかかわらず彼は私と会ってくれました。

  この神の人である牧師と会う前に、この都市の別のリーダーと話す機会がありました。 彼は私がこれから牧師に会うことを知って、次のように言ったのです。「ああ、彼はもう疲れ果てて幻滅を感じているんですよ。彼はもう落ち目ですね。神様は彼のマントルをもう誰か他の人に与えてしまったと私は思いますよ。」

  このリーダーがどうしてこのような評価をこの牧師に下すか、その理由はよくわかりますが、それは非常に心の狭い、身勝手な考え方だと私は思います。 それは神の御国の考え方ではなくて、西洋的ビジネス界の考え方であり、私にはうれしいものではありませんでした。

  私がこの神の人である牧師と会ったとき、私は主からヴィジョンを見せられました。ヴィジョンの中で私は、おびただしい数の世界中の聖徒たちを見せられました。彼らは神に大きく用いられてはいましたが、約束されているさらに大きなわざ(ヨハネ14:12)の領域にはまだ踏み込んでいませんでした。これら多くの聖徒たちは、かつてないほど困難な、しかし同時にすばらしいシーズンを今通らされているのだと私は信じます。 今という時は、自分の中にある罪を取り除き、キリストのご性格を自分のうちに形作っていくシーズンです。

火のバプテスマのための溶鉱炉


  人が火で精錬されるとき、自分では良いと満足していた外側の部分をすべて焼きつくされ、イエスに愛されている部分だけが残ります。そして自我から解放されます。次の聖句が私に示されました。 
  第二ぺテロ3:14-15 「そういうわけで、愛する人たち。このようなことを待ち望んでいるあなたがたですから、しみも傷もない者として、平安をもって御前に出られるように、励みなさい。また、私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。…」

  この火による精錬期間は、時には非常に長期にわたりますが、そのシーズンの中で、神は聖徒たちを真の勝利者となるように訓練し、彼らが知恵と理解を得て、これから神の御国に入ってこようとしている人々の良い指導者になることができるようにされているのです。 主は忍耐をもって御自分の目標を完成させられます。私たちは、ペテロやパウロのように永遠の尺度で物を見なければなりません。そうすれば、私たちも主の目標が達成されるまで忍耐強くのぞむことができます。

  私はここで、罪を犯して不道徳に陥ってしまった人たちのことを言っているのではありませんし、ミニストリーをしていて間違いをおかして堕落した人のことを言っているのでもありません。それとは全く違った事です。ここで言っているのは、教会の中で勝利者となるようにと選ばれている人たちのことであり、今神に愛されているゆえに荒野を通らされている人たちのことです。イエスもこれと同じ荒野と試練を経験されました。これはイスラエルの子たちが不従順であったために受けた荒野の試練ではありません。(試練にはこの2種類があることを理解することは大切です。)

  神が求めておられるのは、キリストの聖なる愛に全面降伏することに基礎を置いている従順さです。これこそ主があらかじめ選ばれた人々の持つ特徴です。彼らはキリストの友であり、自分の日々の生活の中でキリストの十字架と復活を実際に味わっているので、頭だけではなく身体でその実体を把握している人たちです。

  現在のキリスト教会の動きや教えを、これこそ主との深い関係だと思ってしまっているベイビー・クリスチャンにとっては、キリストの十字架と復活は理解できないことかもしれません。成熟した大人としての深い歩みをしているクリスチャンは、聖会とか本とかテレビやラジオのクリスチャン番組とか、さらには教会にも依存してはいません。それらは非常に深く個人的な信仰にとっては、まあ、せいぜい補給剤として少しは助けになるかもしれない程度のものに過ぎないのです。
  神に今成長させられている多くの人たちは、今の教会に真の喜びを見出すことはできません。というのは今の西欧の教会は新しい信者や初心者を引きつけ教えることに重点が置かれているからです。しかし、神は「残りの者」(レムナント)を集めようとされていて、人々を救うだけではなく、もっと主の心の奥深くまで彼らを導きたいと思っておられます。

  多くの教会はこのことに焦点を当ててはいませんが、これこそが御国の焦点です。 神は大人に成長した愛人を求めておられるのです。神はヘブル5:14に書かれている神のご性質という堅い食物を食べる者を求めておられます。

「わたしは深みにいるもの者をもっと深いところへと招いている」

  私は昨年、心の中に主のはっきりとした御声を聞きました。 主は「わたしは深みにいる者たちをもっと深いところに連れて行く」と言われました。 それは、すでに主のこころの奥深いところで主との交わりを持っている者たちを、全く新しいレベルの深みにまで主は連れて行こうとされているのだ、と私はわかりました。
  第二コリント3:18 「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。」

  教会の中ですでに成長して大人になっている人たちは、今、次のレベルへとトランスフォームされて、もっと栄光に輝くようになるのです。 私たちは栄光から栄光へと変えられていくことができるのです。もし私たちがあるレ
26 04月

アメリカに対する預言         坂 達也   4月26日


アメリカに対する預言

アメリカでメディヤとかカンファレンスを通じて、かなり一般的に知られている預言者の一人にキム・クレメント師がおります。師が最近預言していることの一つに「神がアメリカをこれから四年間、大いに祝福する」と言うのがありました。私がそれを読んだとき、何か私の心に触れるものがありました。下記がその預言です。

「アメリカは今、これから四年間の繁栄に入ろうとしている。この国は決して忘れ去られないであろう。なぜなら、あなたは自分たちの血を流して他の多くの国の門を守ったからだ。だから、わたしがアメリカの地を祝福するであろう。フレッシュで新しい恵みがあなた方の上に来る。大いなる経済的祝福がアメリカの捕われている子どもたちを開放する。そしてアメリカの地は今まで見たこともないようなところとなるであろう。…」

アメリカは中近東の戦争で、今までのどの戦争よりも大きな犠牲を払い続けて来ました。それを指揮して来たブッシュ大統領は私の知っている限り、最も人気の無い大統領です。世界中から非難を浴びせられ、憎まれながらも決してひるまないその姿は、本当にミッションマインド以外の何物でもないという気がします。イラク戦争は果たして神様の全き御心であったのでしょうか。クレメント師は神からのみことばを預言します。

「あなたはわたしがホワイトハウスに真理を信じるクリスチャン大統領を、しばらくの間留どめるのを見るであろう。それは3代に渡ってである。わたしは、ホワイトハウスがわたしを信じない者で汚されることを許さない。なぜなら、わたしがこの国に繁栄をもたらすからである。」

神はイラク戦争を始めた二つの国の指導者である、ブッシュ大統領とイギリスのブレア首相(クリスチャン)を二人とも再選させました。ブレヤ首相はブッシュ大統領に劣らず人気がなかったにもかかわらず、神様は、はっきりそのことを前もって預言した通りに再選させることによって、神が彼らを是認し支持していることを明らかにされました。

アメリカは建国以来神を信じる大統領が多く出ております。初代のジョージ・ワシントン大統領を記念して建てられたモニュメントのことをここでご紹介したいと思います。



Laus Deo
 
しばらく前ですが、上記の写真とそれを説明する下記の歴史情報がポートランドの友人から送られて来ました。これはアメリカの建国の歴史を知る上で参考になるかと思いましたので、先ずはかいつまんでその説明の内容をご紹介します。

上記の写真で白く天に向かって聳え立つ、高さ170mの建物は、アメリカの首都ワシントンD.Cで一番高い塔であるワシントン・モニュメントです。花崗岩と大理石で造られたこの塔のてっ辺に、アルミ製のキャップ(オベリスクの方尖突端部分)がかぶせてあり、その上にラテン語で二語Laus Deo と書かれてあることをご存知でしょうか。

このラテン語の二語は、アメリカ合衆国が創造主の神によって建国された国であるということをよく物語ってくれます。その意味は「Praise be to God、神をほめたたえよ」です。
 建国の父であるご在天の父に向かってこの塔は、アメリカ合衆国が天の神をたたえる国であることを象徴して造られたのでした。

この初代大統領ジョージ・ワシントンを記念する塔は、1848年に建設が開始され、1888年に正式に完成披露されましたが、頂上のアルミ製のキャップとそれに文字を書き込むのに25年が費やされたと言われます。
この塔の設計者ピエール・シャルル・ランファントのオリジナル・デザインでは、この塔を中心にして、北のホワイトハウスから南にあるジェファーソン・メモリアルを結ぶ線と、東に位置する国会議事堂(キャピトル)と西のリンカーン・メモリアルを結ぶ線をもって完全な十字架を描くものであったと言われます。

1848年7月4日の独立記念日にこの建物のコーナーストーン(基石)が設置されたとき、そこにはアメリカ・バイブル・ソサエティー寄贈の聖書が埋め込まれました。この塔の内部には898の階段と50の踊り場があり、その階段を登って行くとき、そこには色々な証とクリスチャン・メッセージを見ることが出来ます。12番目の踊り場にはバルチモア市からの祈り、24番目の踊り場にはニューヨークの日曜学校の生徒からのプレゼンテーション、フィラデルフィアからは箴言10:7、ルカ18:16を彫刻したもの、といったアメリカ市民の願いと神への賛美が至る所に見られます。

このワシントン・モニュメントは、初代大統領のかかげたユニークな民主主義「One Nation、Under God 神の下での一つの国」を記念する建物です。
 そこで参考までに、このジョージ・ワシントン大統領がアメリカ国家のためにどのような祈りをささげたかをご紹介します。

「全能の神よ。アメリカ合衆国が主の聖なる保護をいただけますように切に祈ります。市民の心に政府に忠実に従う精神(霊)を培い、お互いが同朋として愛し合う兄弟愛を持てますように導いてください。最後に、我々総ての国民が正義を行い、憐れみを愛する者とならせてくださいますように。我々の祝福された信仰(宗教)を造られた神のご性質である愛、謙遜、穏やかな心を我々にも与えてください。神に似た者となるように努めることなしに、我々が幸いな国家になることは望めないからです。どうかこの嘆願をお聞きとどけください。我らの主イエス・キリストの御名のよって祈ります。アーメン」

Laus Deo!ジョージ・ワシントンにとってこの二語「神をほめたたえよ!」の意味するところは、詩篇127:1 「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。主が町を守るのでなければ、守る者の見張りはむなしい。」の御ことば以外の何ものでもなかったのです。

 
私はアメリカに渡って44年になりますが、今ほどこの国の「神によって建国された」という根底が揺さぶられている時代はないと言うことだけは、はっきり申し上げられます。アメリカの紙幣には総てIn God We Trust と書かれている通り、誰が何と言おうとアメリカが建国以来神を尊ぶクリスチャン国であることを否む人はいないと思います。

しかし、そのすばらしいアメリカが徐々にリベラル化し始めて200年が経ちました。そしてついには、2-3年前のことですが、これがクリス チャン国かと疑いたくなるようなことが連続して起こりました。堕胎・中絶を広範囲で認め、同性結婚を公に認める州が増えて来ると同時に、自殺希望者を医者が助けることを許したり、又、学校で祈りと聖書研究を禁止して、挙句の果てに裁判所から十戒を掲げた像とかサインを取り外すに至りました。

しかし、このような国民全体が反キリストの傾向を露にしている中で、アメリカはイラク戦争に突入し、中東で多くの犠牲者を出し始めました。ところが国民はその霊的な相関関係に気がついていませんが、国家的犠牲が多くなるにつれ、アメリカに異変が起こり始めたのです。あれだけ進んでいたリベラル化がストップしたのです。そして世論は反転し、キリストを信じると言う人が増え、多くの州で今、中絶問題、同性結婚を許す法律が見直されて、禁止しようとする動きが出て来ています。

ブッシュ大統領と言う人は、最近聖霊のバプテズマを受け、毎朝仕事に着く前にひざまづいて長く祈るその姿は、ホワイトハウスで大統領に近い人たちには周知の事実です。私は、彼自身が戦争の責任者であると同時に、自分自身の人気を捨てて、犠牲者になることを甘んじて受ける覚悟はできていると信じます。あるいは神は愛するがゆえに彼をいけにえにするお考えがあるかもしれません。それは十分にあり得ると思います。しかし、だからと言ってそれはブッシュが神の怒りに触れるようなことをしたからではなく、むしろ彼が主に忠実に仕える者であるからこそ、国家のために主がそれを許されるのであると思います。

皆さん、クリスチャンの兄弟として、ブッシュ大統領があくまで主に忠実を通す勇気をいただけるように、ぜひお祈りください。(終わり)


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20 04月

イースターに思う      グラハム・クック     4月20日


イースターにあたって  
                    グラハム・クック

世界中のクリスチャンが毎年イースターに祝う十字架の奇跡は、私を驚嘆させてやみません。それは、私たち「キリストのからだ」である教会が持つ、信仰の真の根拠であり土台です。そして、それは私たち人個人にとっても、同じように大きな力を持っています。

私たちは、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、神を愛するようにと召されています。イエスはこのすべてを包括する愛を、私たちの模範となるように十字架の上ですでに示してくださいました。イエスは私たち一人一人を、心を尽くし、思いを尽くし、精神を尽くし、力を尽くして愛してくださっています。主のその愛は十字架の業において明らかに証明されているのです。

イエスの私たちに対する御心は疑う余地がありません。主の御心は、私たちへの愛で満ちております。主は私たちが「よい子」 の時でも「悪い子」のときでも、全く変わらない愛で愛してくださいます。事実、私たちがまだ罪の中にいた時に、主は私たちのために死んでくださったのです。
主は、私たちが、その主の愛に果たして応じるだろうか、と案じてはおらられません。主は私たちのためにご自分を犠牲にすることだけに心を注いでおられました。そして私たちへの愛を2000年前に十字架の上で表してくださったのです。

父なる神も、思いを尽くして私たちを愛しておられます。エレミヤ29:11にあるように、神は私たちのために想像もつかないほど素晴らしい御思い、御計画を持っておられるのです。また、ダビデも詩篇の中で、神の愛を次のように詠っています。

「わが神、主よ。 あなたがなさった奇しいわざと、私たちへの御計りは数も知れず、あなたに並ぶ者はありません。私が告げても、また語っても、それは多くて述べ尽くせません。」 (詩篇40:5)
「神よ。あなたの御思いを知るのは、なんとむずかしいことでしょう。それを数えようとしても、それは砂よりも数が多いのです。私が目ざめるとき、私はなおも、あなたとともにいます。」 (詩篇139:17,18)


ダビデは自分に対する神の愛の思いを悟ったのです。それは彼に大きな平安を与え、その愛は彼の思いの中に反映されました。

イエスはまた、私たちを精神(soul)を尽くして愛してくださっています。イザヤ53:10で、イエスのいのち(soul)は罪過のためのいけにえとされた、と書かれています。イエスが十字架にかかられた暗黒のとき、神はご自分をイエスから引き離され、それによって、私たちが決してイエスから引き離されることがないようにしてくださいました。

主はまた私たちを、力の限り愛してくださっています。私たちが直面するあらゆる問題というものは、それから主が私たちを必ず救い出し守ってくださる方であるという主への信仰を強めるために与えられるものです。

私は、このことをよくあらわしている夢を見たことがあります。私は夢の中で、私が以前主と共に歩いていなかったとき、即ち、主に反抗し不従順であった頃に戻されていました。それは20年以上も前のことでしたが、私はひどい状況の中にいる自分の人生を再び夢の中で繰り返したのです。
私の目の前で、私が罪を犯している姿が映しだされましたが、そのとき、信じられないようなことが起こりました。あたかも神が時間を止めてしまったかのように、すべてのものが動きを止めました。まるで映画がある場面で突然止まってしまったようでした。

  するとイエスがその場面に現れて、私を見ました。私は自分が罪を犯している場面にイエスが来られたので、びっくりし、また恥ずかしくもありました。でもイエスは私に伝えたいメッセージがあったのです。

  「グレー(イエスがグラハム師を呼ぶときの愛称)」と主は優しく私に声をかけられました。「わたしを悲しませたのはあなたの不従順とか反抗ではないのだよ。息子よ、それらの罪はもう十字架の上でわたしが処理したのだから。わたしが悲しかったのは、あなたのためにわたしができたことを、あなたがミスしたことなのだよ。わたしがあなたに与えたかったものがあることをあなたは理解できなかった。あなたのためにわたしがしてあげられることをあなたが分かっていたとすれば、あの時の状況はこうなっていたんだよ。」

  そういわれた主は、やさしく私の注意をもう一度夢の場面にもどされました。それからは夢全体が、あたかも私が完全に主に従ったかのように進行していきました。その瞬間に、その場面は本来ならこうなるはずだったのだ、ということが分かったのです。私は心が清められ新しくなったように感じながら目を覚ましました。そしてその瞬間に、私に対する神の愛の深さを悟ったのです。

  この夢を見て以来、自分の置かれた状況の中に神をお招きすることによって、素晴らしい神の力が得られることを私は体験し始めました。どのような状況に置かれていても、神の視点で物事をとらえ、そのときの自分にもっと神のご性質を与えて下さるようにと願うならば、この世で起こることで、私にとってマイナスになることは一つもないことが分かったのです。人生で起こるすべての事態において、それを興味深く、しかもエキサイトしながら受け入れ、そこで私たちが学ぶべきことを神が示してくださることを期待できるのです。

  私がミニストリーを始めたころは、神は私を、神の愛の「高さ」を知る旅路につかせてくださいました。そして神は、想像もできなかったような神の栄光、栄華を私に見せてくださったのです。しかし今の私は、神の愛の「深さ」を発見する旅路をたどっております。これが十字架の真の喜びです。それは、どのような状況に置かれても、主に感謝をささげることができるということです。
  私は今までの私の人生で起こったことを詳細に思い出してみました。私が主にひどく反抗していたり、罪を犯したりしていたときも含めてです。そして神に、私の人生のあらゆる段階において起こったすべてのことを感謝しました。私を傷つけた人をすべて赦しました。私の人生に起こったことで神に感謝をささげられなかったことは一つもありません。

  イースターにあたって、皆さんも私と同じように今までの人生を振り返って考えてみてください。あなたが前進するのを引き止めている事柄を、十字架のところに持っていってください。あなたに対する神の愛の深さを探り求めてください。神が
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