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Walk With God Ministries

16 01月

2007年には変化の激しい風が吹く K.ウオルターズ 1月16日


2007年には変化の激しい風が吹く

キャシー・ウォルターズ

去年11月の末にアイルランドにいた時のことですが、私は一つのヴィジョンを見ました。それは、ある街に非常に強い風が吹き始めるというヴィジョンでした。その街を一人の女性が歩いていました。その女性は赤いコートを着て、頭には赤いスカーフをかぶっていました。赤いコートを見たとき、私はその女性がイエスの赤い血で覆われた教会を表していることが分かりました。赤いスカーフは彼女のライフスタイルを表していると感じました。私たち教会は王冠をかぶっていなければならないのです。
すると強い風がその女性の後ろから吹いてきて、彼女を道のはずれまで吹き飛ばし、曲がり角を回らせました。女性のスカーフが吹き飛ばされると、女性は軽やかに笑いはじめ風を楽しむ様子でした。次の日にアイルランドでは、時速80マイル(128キロ)の風が実際に吹きました。
2週間前に主がアメリカで同じ言葉を下さったときも、翌日にアメリカ北西部では時速80マイルの風が吹き荒れたのです!

揺れ動く中で賛美せよ「揺れ動かす方の中にとどまれば揺れ動かされることはありません。」

地震や嵐、その他多くの自然災害のニュースが毎日のように入ってきます。ですから神のみ心の中にとどまるのが一番安全です。
パウロとシラスが「奥の」牢に入れられていたとき、(これは牢の中の牢ということで2重に悲惨な所でした)足かせを掛けられ、背中からは血が出ていたのですが、彼らは主に賛美の歌を歌っていました。
賛美の力で何が起こったと思いますか。地震です! 獄舎の土台が揺れ動き、扉が全部開き、すべてが揺れ動く只中で看守が救われました。すべてが揺れ動くときには揺り動かす人の中にとどまるのが一番です! 主の中にいれば揺り動かされることはありません。

変化の風

話を風にもどしましょう。変化の風がすでにあなたの周りで吹いています。神はあなたのヴィジョンを変えて拡大しようとされているのです。主はあなたを整え、偉大なる目標に向けてあなたを解き放ちたいのです。

主はあなたが自分自身を見る目を全く変えてしまいたいのです。風が吹いてくるとあなたは物事の全貌を見ることができるようになります。あなたは風に吹き飛ばされて角を曲がり、方向を変え、過去においては少ししか分からなかったことがよく分かるようになります。全貌のわかる大きな構図の中へとあなたは歩み始めるからです。

エレミヤのことを考えてみてください。エレミヤという預言者はまだティーンエイジャーでした。まだ若僧だったのです。まだ経験も浅く、ミニストリーも大きく発展してはいませんでした。実際、彼は預言者としての召しが恐ろしくて、逃げ出したかったのです。彼が「私は何者でしょうか。まだ子供にすぎません。」というと、神は恐れてはならないと言われました。(エレミヤ書1章)
神はエレミヤに「あなたは何を見ているのか。」と尋ねられました。エレミヤは「アーモンドの枝を見ています。」と答えました。神は「わたしはお前のヴィジョンを好ましくおもう。そのようにしよう。」と言われました……というのは、私の私的解釈ですが、み言葉によると「よく見たものだ。わたしのことばを実現しようと、わたしは見張っているからだ。」と神は答えられました。(エレミヤ1:12)つまり、エレミヤが信仰で見たことを神は行われたのです。

あなたに次の質問をさせてください。「あなたは今日、何を見ていますか? あなた自身に関して何を見ていますか?」と。まずあなた自身のことから始めねばなりません。そして、それを信仰の目で見なければならないのです。聖霊があなたのために見ておられるものを、あなたも見ることができるようにお願いしなさい。そしてあなたもそれを見て、それに同意し、それを追求していかねばなりません。

古い昔のテレビを覚えていますか。ブラウン管が古くなると映像がだんだん小さく縮んでいきましたね。あなたもそれと同じように縮んでいる映像を見ているのです。私たちは主が見ておられるような縮んでいない映像を信仰によって見なければならないのです。主はあなたに全体像を見せたいのです。信仰でそのビッグ・ピクチュアーを見なさい。

ほとんどの人が見ている自己像は、周りの環境や家族、学校、先生、牧師、大学、そして友人というようなものに影響されて小さくなってしまっています。
あなたは神があなたを召してくださったことをする能力があるのです。そしてそれは、あなたが思ったよりもずっとずっと大きいことなのです。
私たちが毎月給料日から給料日まで余裕なく、食べるだけで精一杯のあくせくした暮らし方で生きるのが神のみ心ではありません。食べる以外になすべきこと、行くべきところがあるのです。神は御国を建てるために単なる労働者を求めておられるのではありません。主は、主の息子、娘たちが立ち上がるのを待っておられるのです。油注ぎはあなたが自分で(あくせく)しようとしている業の上に注がれるのではなく、(主にゆだねた)あなたを通して主がなさる業の上に注がれるのです。

変化をもたらす風はあなたをもっと大きな場所に連れていきます。神があなたに約束されたものは曲がり角を回ったところにふんだんに用意されています。角を回るということは、あなたが方向を変えねばならないということです。神はあなたに6ヶ月前に言われたことを、今も言われているとは限らないのです。
マタイ4:4でイエスは、私たちは「神の口から出る言葉」によって生きるべきであると言われました。それは「神の口から今日出てあなたに語られる言葉」という意味です。昨日とか一年前とかではなく、「今日語られるみ言葉を聞くこと」によって生きるのです。今日与えられる言葉によって進む一歩ごとに、あなたは(元からある、完成された姿である)「あなたのヴィジョン」に近づいていくのです。

あなたの見ているものを恐れずに信じる

もう一つ質問させてください。「あなたは何を見ていますか? 信仰で何を見ていますか?」 もしあなたが神に委ねた生活をしているのなら、神はあなたの心に神の願いをあなたの願いとして入れてくださったのです。その願いはただ夢見るためのものではありませんし、また、「いつか、ある日」という漠然としたものでもありません。それは今、この時、今年実現できる願いのことなのです。

神の与える変化に対 してあなたは2つの態度をとることができます。
一つは、変化することに抵抗することです。それをすれば非常に苦痛に感じるでしょう。慰め主(Comforter)ほどあなたに苦痛を与え居心地悪く(uncomfortable)される方はありません。
あるいは、変化することを歓迎してそれを楽しむことです。変化を喜んで受け入れて冒険に挑むのです。これを読まれるほとんどの方は、過去に、今にも折れそうな細い枝の先にまで追いやられた経験を持っておられると思います。しかし、本当のチャレンジはあなたがしがみついているその枝の元を切るのこぎりの音が聞こえたときにやってきます。そして神はそのためののこぎりを沢山もっておられ、それを使う天使たちも沢山用意されているのです。

ゆっくり考えてください。神があなたの心の中に入れられたことがはっきり表れるのを待ち、それを見たときには恐れずに信じてください。他の人が、またはあなた自身が自分を閉じ込めてしまった箱の中から外を眺めてください。それから脱出するには、あなたにそれをする能力があるとか、ないとかとは全く関係のないことで、主の霊があなたの中やあなたを通して動くことにあるのです。
イエスは死んでよみがえったとき、あなたがそれをする資格を100%与えてくださいました。あなたが信仰で見ているピクチュアの中に進んでいくのを引き止めるものは、あなたの不信仰以外には、なにもないのです。

2007年をあなたの年とする

風の音が聞こえますか?バルサム樹の林の上に風が吹いているのが見えますか?

I歴代誌14:15「バルサムの木の上に行進の音が聞えたならば、あなたは行って戦いなさい。神があなたの前に出てペリシテびとの軍勢を撃たれるからです。」 ペリシテ人は盗人でした。収穫物を毎年盗んだのです。盗人(サタン)にあなたの収穫物を、また、ヴィジョンを盗まれてはなりません。

 2007年はあなたが箱の中から出て、偉大なものの中に足を踏み入れる年になりえるのです。よく聞いてください。「キリストのからだ」である教会に今、油が注がれています。壇上に並んでいるほんの一部の人の話をしているのではありません。神が召されているのは一握りの人だけではないのです。神はあなたがた教会を召しておられるのです。風があなたの上やまわりに吹いています。あなたはその風に身を委ねなければなりません。今は、あなたの時なのですから。(終わり)


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12 01月

2007年はいにしえの油注ぎの回復の始まる年 デニス・クレーマー 1月12日


いにしえの油注ぎの目覚め
デニス・クレイマー


2007年は記念すべき年となる

このことを覚えておいてください。2007年は記念すべき年となります!世界の国々はもはや霊的に眠ったりまどろんだりしなくなります。2007年に国々は目を覚まし、神の御国になるという最終ゴールにむかって進んでいくでしょう。アブラハム、イサク、ヤコブの神が永遠のご計画の中で、個々の国にために定められたユニークな姿を目指して進みはじめるのです。たとえある国々はどのような宗教を今日まで信じてきたとしても、すべての国家は神のなさろうとしているこのみ業から逃れることはできません。そのみ業とは、それぞれの国が神から与えられた元々の存在目的に向かって歩み出すようにと聖霊を通して働きかけられることです。

すべての国に対して、一つ、又一つと次々に神はそのプロセスをはじめられるでしょう。それは超自然的な出来事であり、しばしば国中に影響が出るような規模のものでしょう。そして、そのうちのある出来事はよいことであり、また、あるものはあまり良くないことですが、すべての出来事はその国が持っている「いにしえの油注ぎ」を呼び覚ますために起こります。それぞれの国を呼び覚ますための的確な標的があり、神の弓矢がそれをはずすことはありません! もう一度言わせてください。神は決して的をはずしません。その国がキリスト教やユダヤ教、イスラム教やヒンズー教、神道、また、たとえ無神論の国であったとしてもです。

すべての国が神の的

それでは「その国のいにしえの油注ぎを目覚めさせる」とは、どういうことでしょうか? 先ず、「目覚めさす」とは、「喚起する、奮起させる、意識をとりもどさせる、鼓舞する」 という意味です。2007年には、全能なる神はまさにそのことをされるのです。国々を霊的意識不明の状態から目を覚まさせ、鼓舞し、奮起させて、霊的覚醒へと導くのです。

それでは何に目覚めさせるのでしょうか?その国に与えられているユニークな存在目的、目標を成就させるために目覚めさせるのです。新たに見出した神の国としてのアイデンティティーをもって、神が持っておられる計画へと奮起させます。そうです、神はすべての国に「神の御国のご計画」を持っておられるのです。彼らがそれを知っているか知らないかにかかわらず、また、彼らが現時点でそれを求めているか否かにかかわらず、神はすべての国を神の王国にされるのです。

次に、「油注ぎ」という言葉は常に、はっきりとした目的のもとに、神の力を伴って顕わされる「主の臨在」を示しています。そしてそれは聖霊を通して現れます。すべての国家は誕生の時、即ち、国が存在し始めたときに、神からユニークな「油注ぎ」を受けました。神のその国に対する「油注ぎ」、即ち、その国のためにだけ確保されている神の特別な顕われ、顕在こそが、その国を他のすべての国の中で特有なものにしているのです。

二つとして同じ「油注ぎ」を受けた国はありません。一つの国の「油注ぎ」は伝道かもしれません。その国は力強い伝道者たちを育て世界中に送りだすでしょう。また、他の国の「油注ぎ」は、しるしと不思議かもしれず、世界中から人々が神の生生しい力を体験するためにその国にやってくるでしょう。また、他の国はある種の霊的指導者たちを生み出すために存在しているかもしれません。たとえば、ある国は牧師を立てあげることができたり、またある国は預言者を、またある国は使徒をという具合にです。そしてそのすべては国家的な規模で起こるのです。
なぜならば、2007年には、それぞれの国に特有な油注ぎが以前より明らかとなり、それは神の御国の発展に大いに役立つのです。その国の油注ぎを無駄にするということは全く残念なことであり、神は決してそんなことが起こるのをお許しになりません。これからは世界の国の動向から目を離さないでください!それぞれの国の油注ぎが今からもっとはっきりしてきます。神のみ業は、人の目につかない片隅で行われるのではないからです。(使徒行伝26:26参照)

 第三に、「いにしえの」という言葉は、ずっと存在してきたもの、長い間持続してきたもの、時の初めから確かに存在してきたものであることを表しています。それは、もう時代遅れであるとか、もう通用しないとかでは決してありません。いにしえからのものとは、初めからあったものであり、今それを再び取り戻して、これから適応していかねばならないものです。2007年に、神はまさにそれを開始しようとしておられます。神はそのプロセスを始められて、多くの国家が彼らの(それは即ち神の)元々の目的(計画)にもどるように、「かれらのいにしえの油注ぎ」を生き返らせるようにされるのです。

年を経た方(The Ancient of Days) 

イエス・キリストが油注ぎを解き放つ鍵をもっておられます。年を経た方であられるイエスが今年国々のいにしえの油注ぎ(ancient anointing)を解き放ち始められるでしょう。それが出来るのはイエスだけです。イエスだけがすべての国々のために当初からの霊的目的を呼び覚ますことができるのです。「いにしえの油注ぎを目覚めさせる」とは、建国以来存在していたけれども、失われてしまっていた主の力ある顕在を呼び起こし、劇的に目覚めさせ、生き返らせることです。

それは、とりもなおさず、主があなたや私を使って国家的な規模で悪魔が盗んでいたものを取り返し始めるということです。思い出してください。地は主のものであってサタンのものではありません。すべての国は神に属しています。神の地所を霊的に横領するという何世紀にも渡ってサタンが犯してきた犯罪は終わるのです。神は多くの人々をサタンの暗やみと絶望から解放してくださるので、サタンはすべての人々をコントロールしてきた権利を今放棄せねばなりません。盗人(サタン)は、盗み、殺し、滅ぼすために来ました。イエスは国々が主のいのちをもっと豊かに得るようにするために来られました。イエス・キリストはこのサタンとの戦いに必ず勝利されます。見ていてください!

天使が「目を覚ませ、目を覚ませ、目を覚ませ!」と叫びながら飛ぶ

2007年はまた、多くの国々が先ず揺り動かされ、それから目覚めさせられるでしょう。ある国々は、芯から激しく揺さぶられます。どうしてでしょうか?それは多くの国が何世紀にも渡って、まがいものの文化、即ち、彼らの創造主である神によるのではないサタンの文化の中で生
05 01月

2007年への預言  リック・ジョイナー   1月5日


2007年―み言葉の解き明かし、預言、夢、ヴィジョンが拡大する年
  リック・ジョイナー



私たちが勝利するために特別に延長された恵みの期間

2007年には、クリスチャンが新年に抱いた抱負・希望事項を実現するための恵みを神は再び与えてくだいます。2006年には多くのものが打ち破りを経験し、長年の間敗北し続けてきた事柄にも勝利することができました。しかしながら、主の恵みを自分のものとする努力をしなかった人たちも沢山いました。けれども主の恵みは2007年にも引き続き与えられます。信仰と忍耐をもってこの恵みを獲得するものは、勝利を得て、敗北でなく勝利の新しい人生を生き始めることができるのです。

2007年には多くのクリスチャンが「勝利メンタリティー」をもって歩き始めるので打ち破りが起こり、多くのものが解放されていきます。あらゆる問題を克服していくことがクリスチャンとしての顕著なしるしであると、この世の人々は認識するようになります。

2007年にまで延長されたこの特別な恵みは、今まで私たちを抑えてきた悪の要塞を打ち壊すために与えられるのですが、そのためには私たち自身の鍛錬、努力も必要です。御霊の実である自制心を持つことは、私たちが真に主に従順に従っていくことを望んでいるかどうかを証明するものです。

「ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。 従順な子どもとなり、以前あなたがたが無知であったときのさまざまな欲望に従わず、あなたがたを召してくださった聖なる方にならって、あなたがた自身も、あらゆる行ないにおいて聖なるものとされなさい。それは、「わたしが聖であるから、あなたがたも、聖でなければならない。」と書いてあるからです。」(Iペテロ1:13-16)
 
主の恵みは弱さのうちに完全に現れます。そして、主は私たちの弱さをご存知であり、心から解放されたいと願うものには恵みを与えてくださるのです。私たちにその願いが本当にあるかどうかは、私たちの献身、決意、訓練の態度によって証明され、それらの上に主は恵みを加えてくださいます。そして、私たちが一つのことに勝利するだけではなく、すべての事に完全に勝利するまで、主は恵みを与え続けてくださるのです。

平安、喜び、啓示が与えられる

「主の多くの秘密が主の預言者や主の忠実な友たちに示される。」
2007年は勝利の年となるだけではなく、あなたの人生で最高の年となる可能性を持っています。今年は多くのものが勝利のうちに平安と喜びを経験するようになり、それは周囲の人にも影響を与え、平安と喜びは広がっていきます。「なぜなら、神の国は飲み食いのことではなく、義と平和と聖霊による喜びだからです。」(ローマ14:17)

私たちが主の目にかなうことを行い、正しく生きるならば、恐れと苦しみが満ちているこの世の中でも、超自然的であると人々が思うほどの平安と喜びを私たちはますます経験することができるでしょう。主に心から従うものは、この世のものとは違う霊で活動していくので、社会の中で劇的で説得力のある方法で人より抜きん出て活躍することができます。

 2007年はみ言葉の啓示、預言、夢、ヴィジョンが拡大していく年になります。多くの者が突然別世界に移されて神の国のヴィジョンを見たり、地上にこれからもたらさようとしている事柄を見たりします。主の多くの秘密が主の預言者や主の忠実なる友たちに啓示されますが、それよりも偉大なことは、多くのクリスチャンが主ご自身を探し求めて、主を見出すようになることです。

流れる川のヴィジョン

「クリスチャンはその愛によって知られる」
私は、金と銀が液体となって流れる川が主の御座から地上に流れているヴィジョンを見ました。この川を見つけてそこから飲む者は、非常に飢え乾いて神を求めるようになり、その流れの源までたどっていき、御座に座る方のところまで行き着きます。そのように主の方にむかって歩き始めたものは光をさらに見ることができ、歩むべき道がもっとはっきりと見えるようになります。

銀は贖いを表す

この川の銀は、私たちに流れこむ贖いの恵みを表していて、もし私たちがそれを受け取るならば、私たちの人生のすべてのものを贖いはじめます。人間関係や今まで犯した間違い、また私たちや私たちの愛するものたちが事故や敵の攻撃によってうけた傷をも癒してくれます。神を愛し、主の目的のために召されたもののために過去のすべてのことを主は益としてくださるのです。

金は神のご性質を表す

この川から飲むものは、飲むうちに神のご性質に変えられていきます。型にはまったようなマンネリの霊的状態の中に落ちこんでいたものも、そこから這い出し、自分を長い間縛っていた悪の要塞を克服し、真に御霊の実を表すようになります。クリスチャンはその愛によって知られるようになります。

人間に与えられる最も偉大な賜物は、神への飢え渇きであり、神の道を知りたいという深い願望です。神を探し求めるものにはその飢え渇きが増していきます。もし、あなたがこの飢え渇きに応答するならば、あなたは主と主の声をもっとよく知るようになり、今までよりもっと忠実に主に従うようになります。主の平安と恵みがあなたの上にあり、あなたの人生でもっとも生産的で収穫の多いときとなるでしょう。

主と時をすごす


「主のみ言葉だけではなく、言葉そのものである主ご自身の声を聞くことを求めなさい。」
今の風潮であるなまぬるさを打ち捨てて、自分の人生に対する主のみ心を心から求めるものの上には、劇的な変化が起こるでしょう。しかしながら、これらの劇的な変化は少しずつ起こっていくでしょう。もしあなたが祈りの中で主と1時間すごすようにと示されたけれども実行するのが難しいならば、5分から始めなさい。どんな仕事も小さいステップに分けさえすれば実行可能であることを忘れないでください。1日1時間しようと思うとくじけてしますが、誰でも5分ならばできるのです。1日5分間すれば、祈りと主の臨在のすばらしさがだんだんに分かり、やがて10分、20分と時を過ごすようになるでしょう。そして1年経つ頃には、1時間でも足りないと思うようになっているでしょう。

 祈りと同じように、すべてのクリスチャンは毎日聖書を読むべき だと思います。そうでないとあなたの霊的生活は、よくても貧血状態になってしまいます。しかし、あまりたくさん読まないようにしてください。1日1章から始めてください。み言葉への飢え渇きが増すにしたがって徐々に増やしてください。主のみ言葉だけでなくてみ言葉なる主ご自身の声を聞くように求めてください。

多くの人がテレビをしばらく見ない(テレビ断食)をすることによって人生が変えられることを経験しています。ある人たちはそれによって非常に変えられたので、テレビをもう捨ててしまったほどです。もしテレビが、あなたが主や家族と本来は過ごすべき時間を奪いとって、あなたの命を吸い取っているならば、1週間に1日だけでもテレビを消してその時間を主と過ごしたり、家族との団欒に使ってみてください。あなたの人生や家族の人生は変わることでしょう。

そして1週間に1日から始めると、もう1日テレビなしにしたいと願うようになることでしょう。やがてほとんどテレビをつけない自分に気がつき、テレビを見るとしてもただ何かやっていないかとチャンネルをあちこち回すのではなく(これは霊的生活が空っぽで目的がないときの症状ですが)本当に見たいものだけを見るようになるでしょう。

人々の人生があるべき秩序に戻される

今年主を求めるものたちは、主があなたの人生を主との関係においてあるべき位置にもどしてくださり、主のご計画があなたの人生に実現されるようにしてくださることを経験するでしょう。このためにはあなたの人生にいろいろな変化変更が必要となります。住む場所や仕事を変える必要が起こるかもしれません。確かに変えるということは困難を覚えることですが、それだけの価値はあるのです。それは、主が私たちを再び柔軟性のある人間にするためになさることが多いのですが、私たちが主の霊という新しいぶどう酒を入れられるやわらかい皮袋になるためなのです。

主が御座から流される川によって多くの新しい教会やムーブメントが、今まで乾いていた場所で始まります。砂漠に川が流れはじめるのです。主を求めて飢え乾いた魂はすべて、主の命を新たにフレッシュに味わう年となります。

預言的な働きの前進

私は主が預言的な賜物を持っている人たちに沢山の卒業証書を渡しているヴィジョンを見ました。一つのレベルで忠実に働いてきた人たちがすぐに次のレベルへと上げられました。 ほとんどの人は初級から中級へと上げられていましたが、それは意義深い成長であり、やがて教会での預言のミニストリーは広く信頼されるものとなっていくでしょう。このことは多くの地方教会に喜びと希望をもたらすものとなり、彼らも主の業を大いに進めることができるようになります。

艱難の中を祈り通す

私はこの世の艱難を示す温度計が上昇してくのを見ました。多くの問題、とくに自然災害が増加し、また、国家間の紛争も増えます。しかし、今年主の民の祈りも増えていき、その祈りによって艱難が神の定められた許容範囲を超えないように主が抑えられます。人々が祈らないために多くの問題が起こることを主は許され、それを見て人々は自分たちに与えられている祈りの権威に目覚めます。

妄想や心配をやめて、その代わりにとりなしの祈りを始める人たちは、自分の人生が変えられるだけでなく、他の沢山の人生を変えていきます。これからの2年間、神の民たちは、毎日の食事のように祈りの時間を不可欠なものとして求めるでしょう。そしてやがては祈りは酸素のように彼らが生きていくためには不可欠となり、彼らが息をするときは祈りも必ず口から出てくるようになるでしょう。
主の家は祈りの家となるのです。(終わり)


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31 12月

新しい年を迎えるにあたって   坂 達也   12月31日


新しい年を迎えるにあたって


 イエス様のご誕生をお祝いする日が、どうして12月25日になったかについては古来色々な議論がなされて来ました。しかし最近、私はクリスマスの7日後に新しい年の元旦を迎えることには大きな意味があるように思えてなりません。
 
 それは新しい年を迎えるにあたって、その直前に主イエスキリストの誕生というクリスチャンとしての一つの重要な原点に立ち返り、そこから改めて自分の置かれた現状において悔い改めるべきことを悔い改め、新しい年に対する主のご計画を祈りを通して信仰で受け取る機会が与えられるからです。今年のクリスマスはその意味において私は大変重要な新年に対する指針を主からいただきました。

 それは主のご誕生の6ヶ月前に生まれたバプテズマのヨハネに就いての新しい霊的理解が得られたことです。
 いつもクリスマスを迎えるとルカの最初の2章を読みます。今年もクリスマスのメッセージをいただくために私は幾度も主の前に出ましたが、ある時ふと私の心に疑問が浮かびました。それは、何故聖書はイエス様のご誕生の前にヨハネが誕生する物語をこれ程詳しく伝えねばならないのかという疑問です。(ルカ伝1章)又、主が宣教を開始するにあたっても、先ずヨハネがイスラエルの人々の前に現れたことに関しても同じ疑問(その必然性に対する再認識を求める気持ち)を持ちました。(マルコ伝とヨハネ伝は冒頭からヨハネのことで始まり、マタイ伝も3章で詳しく触れています。)とどのつまり、何故バプテズマのヨハネという人物がそれほど重要なのかということを再確認したいという気持ちに駆られたのでした。

 勿論それに対する多くの答えはマタイ3章に書かれていますが、特に2-3節にご注目下さい。
[「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」 この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」と言われたその人である。]

 ここでバプテズマのヨハネとは『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐに(する人)』であることが分かりますが、具体的にそれがどう言う意味なのかに関して、私は今回、特に下記の三つのことが示されました。 

 その第一は、彼がイエス様に洗礼を授けたことです。そもそもヨハネという人は「悔い改めの洗礼」をイスラエルの人々に施すためにこの世に生まれて来たといっても差し支えないと思いますが、彼がこの世に遣わされた重要な目的の一つは、イエス様ご自身に洗礼を授けることであったと私は信じます。

 しかし、罪の無いイエス様が何故ヨハネから洗礼を受けられたのでしょうか。それは、イエス様が私たちと同じ洗礼を受けることによって、罪人の私たちと一体となる、一体であることを示すためであったと考えられます。それは同時に、主の後を追うべき私たちがイエス様を見習って洗礼を受けるようにと、先ず主ご自身が洗礼を受ける見本を示されたと思います。
 これについて言えることは、私たちクリスチャンとは、信仰でイエス様の十字架に架かることによって既に罪赦された聖なる「からだ」であるのですから、めぐみによって罪の無いイエス様と同じ立場にあるということです。その私たちが「霊的な洗礼」を改めて受けることを、イエス様は望んでおられると私は理解します。

 但し、この場合の「悔い改めの洗礼」とは、普通未信者であった私たちがイエスをキリストと信じた時に受ける水の洗礼とは違う性質のものであると思います。それはむしろクリスチャンとして生きて来た私たちが、それまで本当に主の御心を理解せずに、御心から外れた生き方をして来たという罪に対する心からの悔い改めであって、もっと霊的に深い悔い改めの決意でなければならないと思うのです。そしてこの洗礼を私たちが受ける時には、ちょうどヨハネの洗礼を受けられたイエス様の上に神の御霊が鳩のように下って来たように、私たちにも特別の御霊の力が授けられると信じます。

「整えられた民を主のために用意する」(ルカ1:17)という使命を持って既に現れたヨハネは、主の再臨を目前に控えて生きている今の私たちに「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」と叫んでいるのです。今こそなまぬるい不信仰を振り捨てて、主に忠実な花嫁となる時が来ました。そして、人々の心だけでなく、主のご計画に従って村を、町を、国をまっすぐにして王をお迎えする準備をしなければなりません。まさに私たちがバプテズマのヨハネになる時です。

 この重要な御国のミニストリーを行うためにはそれだけの御霊の力が必要です。従って主は私たちの上に、初代の使徒たちがペンテコステの時に受けた力以上の前代未聞の超自然の力を今下さろうとしていると信じます。私たちはそれを信仰で受け取ることが出来るのです。

 第二に示されたことは、ヨハネが授けた洗礼とは「悔い改めの洗礼」ではありましたが、それが「死んでよみがえる」ことを意味しているということでした。ヨハネは主が現れる前に先ずこの世に来て「主の通られる道」をまっすぐに整える使命を持っておりました。そうであるなら、イエス様がこの世に来られた最大の目的が、総ての人を救うための「いけにえ」として十字架にかけられて死ぬことであったのですから、先駆けのヨハネ自身が先ず「いけにえ」として自分の命をささげることが「イエス様の通られる道を用意する」ことにふさわしいのではないでしょうか。この「いけにえとして死ぬ」ことこそが、バプテズマのヨハネがこの世に現れた最大の目的であったことを私は示されました。彼は荒野にとどまり、この世から離れた生活をすることによって出来る限り自分が「聖いいけにえ」となる準備をしました。

 ヨハネが「いけにえ」となったことは彼の死に方が物語ってくれます。彼は当時のヘロデ王によって首をはねられ、その首は盆に載せられて会衆の前に披露されました。それはあたかもヨハネが「キリストの花嫁になるには自分の頭はいらないから世に返す。」とでも言っているようです。
 そして、首のないヨハネの遺体は弟子たちのよって引き取られ葬られました。(マタイ14:1-12)これは一体何を意味するのでしょうか。
 「首のないヨハネの死体」とは「キリストのからだ」引いては「キリストの花嫁」を象徴していると私は信じます。とすれば、自ら花嫁の姿をとって「いけにえ」として死んだヨハネは、私たちクリスチャンに対し「キリストのからだ」になるためには自らをキリストの十字架につ けて死に、キリストと共によみがえること(霊的に)が必要であることを身をもって示してくれたことになります。そればかりではなく、ヨハネはキリストという花婿を心から愛するがゆえに、私たち花嫁を花婿に導く霊的マッチメーカーとしてこの世に送られて来たのです。

 それが三番目に示されたことなのですが、バプテズマのヨハネとは「花婿の友人」として私たちのために現れてくれたという事実です。

「あなたがたこそ、『私はキリストではなく、その前に遣わされた者である。』と私が言ったことの証人です。花嫁を迎える者は花婿です。そこにいて、花婿のことばに耳を傾けているその友人は、花婿の声を聞いて大いに喜びます。それで、私もその喜びで満たされているのです。」(ヨハネ3:28-29)

 ここで「花婿のことばに耳を傾けているその友人」とはヨハネを指しています。ヨハネが花婿であるイエス様の友人と呼ばれる理由は、ヨハネは常に花婿の御声に耳を傾け、その御声を聞いて大いに喜ぶ人であるからです。そして、彼は友人として花婿が花嫁を迎えるために現れることを誰よりも待ち望んでいるのです。
 
 先程私はヨハネが私たち「キリストのからだ=花嫁」の形をとって死んでくれたと申し上げましたが、実は、花婿と花嫁を愛するヨハネは、私たちの地上での花嫁を指導する者でもあるのです。と言うのは、ヨハネは私たちに花嫁となるための一番大事なことを少なくとも一つ教えてくれたからです。

 その一つのこととは、花嫁は常に「花婿のことばに耳を傾ける」ということです。そのためにヨハネは花嫁の目を花婿の方に向けさせる役目を買って出たのです。それが「花婿の友人」としての役目です。そしてその人は「キリストの花嫁」とは友人である以上に花婿と親密な関係に入る者でなければならず、常に花婿の声を聞いて喜びに満たされている人であるべきことを私たちに示してくれたのです。

 ヨハネは弟子を訓練しました。しかし、その弟子を決して自分のものと考えず、むしろイエス様の弟子となることを薦め、彼の二人の弟子がイエス様の後を慕ってイエス様の最初の二人の弟子となった時に心から喜びました。彼が弟子に徹底して教えたことは、彼らの真の教師は自分ではなくイエス様であること、そのイエス様に常に目を向けることを示したのでした。

 バプテズマのヨハネから私は、クリスチャンとは「キリストの花嫁」にならねばならないことを改めて教えられました。そして又、私たちは花嫁であると同時に「花婿の友人」にならねばならないことも教えられました。それは私たちが、私たちより後にクリスチャンになった人を花婿と個人的に親密な間柄になることを最重要事として導き、その方法を教え、又、そうなる過程においての困難さを分かち合い、必要な時に励ます友人になることです。

 私たちクリスチャンは、一日も早く主を「花婿」である「夫」として意識して、毎日を貞節かつ忠実な「妻」として仕えながら生きる生活に入らねばなりません。このクリスマスを通して、それが新しい年の最大の目標であることを確認することが出来た次第です。

 2007年は皆さんが、ヨハネのように主の御声を聞く度に大いに喜び、毎日が喜びに満たされた年になりますようにお祈りしております。(終わり)


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30 12月

ACPEによる2007年への預言  訳者 渡橋喜代佳 12月30日


ACPE(預言的長老の使徒委員会)による2007年に向けての主のことば           
[はじめに]
ACPE(預言的長老の使徒委員会)とは、預言的な人々が、自分たちが聞いた主のことばを互いに分かち合うために集まる円卓会議である。今年の委員会はユダヤ暦新年の最初の日(2006年9月22日)に開催され、そこで持ち寄られた預言のことばは、委員たちで確認されて、下記のように編集された。
 
このACPEのメンバーには下記の神の器たちが含まれている。
ジェームズ・ゴール、ビル・ハモン、ジェーン・ハモン、トム・ハモン、マイク&シンディ・ジェイコブス、チャック・ピアス、ジョン&ポーラ・サンフォード、ダッチ・シーツ、スティーブ・シュルツ、トミー・テニー、ピーター&ドリス・ワーグナー、キム・クレメント、グエン・ショウ、ポール・キース・デイビス 他16名

また、ここに記されている預言のタイミングと(あるいは)預言の成就に関しては、次の点に留意する必要がある。

1.聖書にない預言はすべて条件付きである。
2.預言が成就するタイミングは、1年という時間の枠内におさまらないこともありえる。
3.与えられた預言の警告によってその本人もしくは国家が悔い改めたため、預言されたさばきが回避されるということもありえる。聖書では、ヨナの預言によってニネベの町が悔い改め、神が態度を和らげられた例を見ることができる。

[2007年のための主のことば]

「達成不可能な任務」から「達成された任務」へと移って行く

「2007年は『達成不可能な任務(Mission Impossible)』から『達成された任務 (Mission Accomplished)』へと移って行く年である。すなわち、今年は完成の年、仕上げの年、完了の年となるだろう。」

次のものが完了(終了)するであろう。  
      
1. 一つの建て上げのサイクルが完了。新しい建て上げの戦略が解き放たれる時。
2. 五役者のミニストリーの回復が完了。使徒的なものと預言的なものが共に働くようになる。
3. アメリカの法廷を変えるための油注ぎが終了。国家がどっちつかずの不安定な状況にあるので、変化の好機となるこの窓を見逃すことはできない。
4. 政治上の再編成の時。影響力のあるイザベルの霊との戦い。
5. 奇跡を解き放つための油注ぎが終了。
6. 富の移動を解き放つための油注ぎが終了。今まではっきり決まらなかった多くの商取引が完了する。サタンが昔からの要塞を築いているが、その要塞は、富がキリストのからだに流れ込むようにするために打ち破られなければならない。
7. 収穫の季節の到来。リバイバル、リバイバル。若者たちが大学のキャンパスで目覚めるようになる。
8. 私たちの人生における一つの章の終わりと新しい季節の始まり。神が新しいことにあなたを移したいと思っておられるときに、古いことに固執してはならない。2007年のうちに古いものは完成させ、2008年には新しいことに入って行くことが出来るようにしなさい。
9. 束縛のサイクルが完了。個人的な生活や共同のビジョン、国家の土台を束縛していたものが打ち破られる季節。アメリカ合衆国の公立学校では1967年に聖書が公に読まれなくなったが、この40年におよぶ荒野での放浪状態が終わりを告げる。今年こそは学校で聖書が公に読まれる年となる!

剣で交戦する年

今年はユダヤ暦によると5767年であり、剣で交戦する年となる。個人レベルでの今年の戦いは、あなたが完成するのを阻止しようとするものとの戦いである。数字の7は完成を表わす。今年は戦争や武器の年である。2007年の終わりまでは7年戦争のサイクル内にいるため、今年は、あなたの門から敵を押し返し、私たちの周囲で激しく繰り広げられている戦いを終結させるために、押し進めて行く年となる。

戦いにおびえてはならない。この戦いに勝利するために、神が両刃の剣をあなたに与えてくださるからだ。敵が激しく立ち向かってくるが、私たちはそれに対処するために見分ける力を持つようになる。

今は受け身でいる季節ではない。サタンは、あなたが神のことを追い求めるのを阻止しようとして、天にかかわる領域にまで口をはさんできた。そのため、家庭の問題や経済的困窮、自己満足が引き起こされて、脇道にそれるという事態が起きてくる。もし、あなたが今受け身になるなら、神から定められた道に進み入ることができず、神からの約束を手にすることもできないだろう。

舌は剣にたとえられる

「舌は剣にたとえることができる。したがって、今年は、あなたの舌やあなたの言葉を、神があなたの人生について語られることばに一致させる年である。」

神があなたに与えておられる預言の約束が実現するように、あなたの信仰を解き放ちなさい。あなたの心にある夢がどんなものであっても、すさまじい戦いによってそれをあきらめて捨ててはならない。

神は誠実な方であるから、あなたが戦いをやめなければ絶対に敗北することはない。神が語られる事を自分も口に出して言うようにしなさい。そうするなら、神はあなたに必要な知恵と啓示の知識の霊を与えてくださる。過去において私たちが口にした宣言の言葉が、その実現を目の当たりにして感嘆の言葉に変わるだろう。2007年が約束のものを所有する年となるからだ。

今年は、サタンが親しい友人や家族、同僚との間に問題を引き起こそうとしているので注意しなさい。この年は剣を交える年だからである。サタンがあなたや身の回りの人々に影響を与えないように、サタンを縛りなさい。ヤコブとエソウが衝突しようとするが、そうした衝突に巻き込まれてはならない。ヤコブが自分より先に贈り物を届けたように(創世記32:18)、あなたも先に祝福を送るようにしなさい。あなたに立ち向かっている人々の心を開かせる戦略を、神に求めなさい。

性的不品行や姦淫の罠を警戒し、誘惑の霊に気をつけなさい。今年は動機をきよめ、思いや行動における聖さが求められる年となる。

新しいブドウ酒が注がれる

2007年は、聖霊が地の表全面に力強い働きを始めていく年となる。聖霊の新しい動きが生まれ、新しいブドウ酒が注がれるだろう。今年はまた対決の年だということを覚えていなさい。したがって、反対されても神のみこころにとどまり動き続けていなさい。

「今年は古い皮袋が新しい皮袋と衝突する年となる。」

ますますスピードが速まっている今の時代において、地上でなされる神の働きに遅れずについていくためには毎年新しい皮袋が必要であると、主はまた私たちに語られた。真理にのっとっているかどうか、理解
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