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Walk With God Ministries

06 04月

何十万人のイスラム教徒がクリスチャンに改宗している ジョエル・C・ローゼンバーグ 4月6日


イスラム圏に今起っていること

 ジョエル・C・ローゼンバーグ 2008年イースター更新

(2008年3月24日ワシントンDC)-「私は教会を建てます、そして地獄の門もその教会には打ち勝つことはできないでしょう」とイエスは言われました。(マタイ16:18)

この週末の時事問題に詳しい「ドラッジ・レポート」のトップ記事は、イスラム教からカトリックに改宗した著名なエジプト人の作家に、教皇が洗礼を授けたことでした。 そしてこの記事には、トップ扱いになる理由が充分あったのです。 これはイタリアやイスラムの世界ではとてつもなく大きな話題、特にオサマ・ビン・ラディンが、教皇はイスラムに十字軍を仕掛けていると非難した、その週にこの記事が出て来たのです。 然しながら、この特別な洗礼は、氷山の一角に過ぎません。


2001年9月11日以降、報道機関がアフガニスタン、イラクそして中東について先例のない程多く報道していますが、本流のメディアではほとんど語られていない、大きな話題がひとつあります。 何十万人ものイスラム教徒が福音的キリスト教に改宗しており、広範囲に及ぶ迫害や、まさに現実味を帯びた死の脅威の渦中にありながら、今年彼らは初めてのイースターを祝うのです。

私はアメリカ合衆国と中東で、36名余のアラビア人とイラン人の牧師と福音教会の指導者にインタビューをした後、2005年にこの話題を 初めてリポートし始めました。 然しながら、この3年間私はイラク、ヨルダン、エジプト、ヨルダン川西岸地区、トルコそしてモロッコを旅する機会に恵まれました。 加えて、私は200人を越えるアラブ人、イラン人、クルド人、スーダン人そしてその他牧師やキリスト教の指導者達に会い、インタビューをする光栄にも与りました。 更に多くの資料を入手することで、その傾向がより鮮明になりつつあり、この話題はさらに私達を興奮させております。

聖書の神は中東で、未曾有の数の男性、女性、そして子供を神の心に引き寄せ、神の家族にその人達を受け入れるために、力強く働かれているのです。 より多くのイスラム教徒がこの30年間に– 特にこの7〜10年間に– 人間の歴史に於いて他のどの時代よりも多く、イエス・キリストを信じるようになりました。 昔からのカトリック教会、コプト教会そしてカルディア教会の間でリバイバルが起きています。 今日キリスト教会は、それが生まれたところで、まさに復活しているのです。

最近明らかになった事実について考えてください:

アフガニスタン– 例えばアフガニスタンでは、アルカイーダがアメリカ合衆国を攻撃する以前には、福音派のクリスチャンはたったの17人しかいませんでした。 今日、1万人を優に越えるアフガニスタン人がキリストの信奉者となっており、その数は堅実に増えています。 教会の指導者によれば、アフガニスタンのイスラム教徒は、今までにはなかったほど心を開いて、福音のメッセージを率直に聞いていると言っています。現に毎週数10人もの人が受洗しています。 聖書やその他のキリスト教関係の本が刊行されたり、アフガニスタンに持ち込まれるや否や、人々はそれらをひったくるように手に入れています。 ルカによる福音書に基づいて、キリストの生涯を2時間のドキュメンタリードラマにしたジーザス・フィルムが、ある都市ではテレビにまで放映されましたが、その直後に放映したテレビ局全体が警察に閉鎖されました。 「神はアフガニスタンでとても敏速に動かれるので、私達はただ遅れないように努力するだけなのです」と、あるアフガニスタン人のクリスチャンの労働者が、匿名を条件に話してくれました。 「指導者を養成することが、今いちばん必要とされています。 私達はこれらの新しい信者全員を世話するためには牧師を訓練する必要があります。」

ウズベキスタン– ウズベキスタンでは、1990年にはキリスト教に改宗したイスラム教徒はいませんでした。 でも今は3万を越える人が改宗しています。

イラク– 私がイースターの朝に「フォックス&フレンズ」というテレビ番組で話したように、イラクでは、サダム・フセインが全権を掌握した1979年には、キリスト教に改宗するイスラム教徒は、ほんの一握りでした。 然しながら、元々イスラム教であった7万を越えるイラク人が、今日イエスを信じています、そして1990ー91年の第一次湾岸戦争の後、ヨルダンに亡命した約5万人がキリスト教に改宗し、そして別に2万人がサダム・フセインが陥落してからキリスト教に改宗しました。 ジョシュア基金の幹部役員であるジョン・モーザーと私は、イラクの5つの州への9日間の旅から戻ったばかりですが、 私達は福音教会の指導者である19人のイラクの人達にお会いしました。 私はバグダッドからの100人を越える、元々イスラム教徒でイエスを信じるようになった人達の教会で、伝道する光栄に与りました。 そしてその教会は、バグダッドが解放される以前の2002年には存在だにしなかったのです。 そしてまた私達は、キリストに帰依し、今では牧師で教会を新しく作っている、たくさんの元イスラム教聖戦テロリストに会って、インタビューをする光栄に与りました。

カザキスタン– カザキスタンでは、1991年にソ連が崩壊する以前には、福音派のキリスト教信者は、たったの3人しか知られていませんでした。 今日では1万5千人を越えるカザフ族のクリスチャンがいます。 そして、すべての民族を合わせると、10万人を越えるクリスチャンがいます。

エジプト– エジプトの教会の指導者によれば、過去10年余の間に100万人を越えるエジプト人がキリストを信じるようになりました。 エジプト聖書協会の人たちが言うには、1990年代初頭には年間およそ3000本のジーザス・フィルムを販売していたものが、2005年には60万本を販売し、加えて(アラビア語の)テープに収められた聖書のコピーを75万本とアラビア語の新約聖書をおよそ50万部販売したそうです。 「エジプト人は神の御言葉に益々渇望しています」と、エジプトのクリスチャンの指導者は私に言いました。 昨年のクリスマスに、私は中東で最大のキリスト教の集まりを訪れる光栄に与りました。 そしてそれはカイロ郊外のとてつもなく大きい洞窟で行なわれました。 1万人余の信者が毎週末にそこで礼拝をしています。 2005年5月に開催された祈祷の会議には、2万人余の信者が集まり
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06 04月

ココ・クレーターの植物園   坂 柚実子   4月6日


ココ・クレーターの植物園

先回の御紹介した山はココ・クレーター(噴火口)という名ですが、うちの方角から見ると、ただの小山に見えるので、ずっと不思議に思っていました。そしてある時、山の反対側に行って見ますと、そこは大きな火口になっていたのでした。勿論、ハワイ諸島で活動している噴火口は、今はハワイ島(ハワイ諸島と間違えやすいからか、ビッグ・アイランドとみんな呼びます。ハワイ諸島の中で一番大きい島です)に移っているので、ココ・クレーターはもう噴火はしないでしょう。

平たい火口の中に植物園があって、60エーカーの広い敷地にいろんな植物が植えられています。今はまだ建設中(ここ数年、もしくは十数年建設中なのかもしれません。ハワイでは万事がゆっくりしたペースで進むらしいのです)キチンと整備されているという感じではありませんが、かえってとてものんびり感があり、主人と二人で時々散歩に行きます。入ったところにはプルメリヤの森があり、今ごろから盛んに花を咲かせます。プルメリヤの花はレイに使えるのですが、入り口にはちゃんと「花を摘まないでください。」と書かれています。入場は無料ですが、入り口に一人おじさんがいつも座っています。

プルメリヤの森を過ぎると、アメリカ、アフリカ、南米などの立て札が立っていて、それらしい植物が植えられています。主人が張り切って写真を撮ったので見てくださいね。(終わり)

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04 04月

預言的ワーシップ(1.)   ローレン・サンフォード   4月4日


預言的ワーシップ(1.)

ローレン・サンフォード

ワーシップはただ歌を歌えばいいというものでは決してありません。ワーシップとは、神と人間との間で行われる大きな取引とも言うべきもので、愛し合う両者の間で情熱的に愛と力を受け取ったり渡したりする(ギブ&テイクする)素晴らしい交歓です。今日のキリストのからだである教会の多くが、ワーシップをただ説教を聞くためのウォーム・アップに過ぎないかのように取り扱っているのはなんという悲劇でしょうか! 多くの教会が、全体の礼拝を一時間以内におさめたいので、長い説教の前に2つくらい歌を歌うだけでワーシップをしたことにしてしまっています。なんと勿体ないことでしょうか!

本来、ワーシップとは神の御前で個人的に主と交わるものであり、それだけで十分完全なものであり、そこにずっととどまり続け、味わいひたるものなのです。私は自分の説教の価値を低いとみなしたり、それをおろそかにすることは決してありませんが、実際に教会の中でワーシップがしめる位置は、少なくとも御ことばの説教と同じだけの重要さがあると信じます。事実、ワーシップは説教と同じほど考え方や思想を伝える力を持っているのです。

ワーシップには少なくとも二つのレベルがあります。一つのレベルは、神との親密な交わりの時であり、自分を捧げ主を崇めるものです。もう一つのワーシップのレベルは、力強い預言的なもので、人々の人生を変える力を持っているものです。実際のところ、私たちが今生きている時代は預言的な要素のあるワーシップを求めていると思います。本当の預言的ワーシップが教会に起こり、周りの社会にも強い影響を及ぼすスタイルで力あるワーシップがなされなければ、今のままでは社会を変革していくリバイバルは起こらないのではないかと思います。

第一歴代誌25:1「ダビデと将軍たちは、アサフとヘマンとエドトンの子らを奉仕のために取り分け、立琴と十弦の琴とシンバルをもって預言する者とした。…」

 ダビデと軍隊の将軍たちは、預言的ワーシップをさせるために、その能力のある人々を選び任務につかせました。 祭司ではなく、ダビデと軍隊の将軍たちが音楽に合わせて預言をする音楽家を任命したのです。軍隊の将軍たちが、何故ワーシップのための組織つくりに関与するのか、いぶかしく思われるのではないでしょうか。しかし彼らの考えていたワーシップは普通のものとは全く違いました。それは預言的ワーシップだったのです。
将軍たちがワーシップのために音楽家たちを任命したのは、明らかにそれを軍の戦略的行動として捕らえていたからです。それは戦争に勝利するためには不可欠なものでした。彼らは、肉の目で見える戦いと、霊的領域での目に見えない戦いとは実に同一の戦いであり、一つの戦いの両面であると考えていました。目に見える戦い、戦闘、攻撃は、単に霊的領域での真の戦いの反映に過ぎないと、彼らは信じていたに違いないのです。

もしこれが本当ならば、私たちも目に見える世界で戦いに勝つためには、まず霊の戦いを絶対にしなければならないことを理解する必要があります。戦いがどこでなされようとも、また、それが何のための戦いであろうとも、これが真理であるはずです。目に見える世界で何かを達成しようと思うならば、まず、それは霊の領域で祈りによって達成されねばならないのです。ダビデは敵を克服するためには、まず、霊的に敵を打ち負かす必要があることを知っており、そのために預言的ワーシップをする者たちを任命したのです。

もしあなたが主の用意してくださった新しい仕事を見つけたいならば、どうぞ探してください。しかし、それはすでに達成されたと霊で感じるまでワーシップをし、祈り通してからでなければなりません。主があなたに与えてくださる結婚相手をどうぞ見つけに出かけてください。しかし、実際に探し始めるのは、ワーシップと祈りによって霊で事を成し遂げ、あなたの行く道に邪魔物がなくなってからでなければなりません。神がすでに何かを成し遂げてくださったという平安をまず見つけて、それから神がしてくださったことを自分のものとするために出かけて行きなさい。

あなたは不正な雇い主と談判をする必要があるかもしれません。しかし、まず、霊的に何かがすでに達成されたとか、何かが動き始めたと感じて平安を得るまではワーシップし祈り通してください。あなたは神の御前で正しい安息の場所に行き着くでしょう。その安息と勝利の場所に行き着くことは、預言的ワーシップの一つの働きであり、 物事を霊の世界でリアルなものとし、目に見える世界でそれが実現するようにするのです。

ある人たちは毎日つらい環境で仕事をしています。そこではあまりやさしくない人やあまり正直でない人が権威のある地位についています。また、ある人たちは、結婚生活に問題があり葛藤しています。また、ある人たちは子供たちを非行から守るために毎日戦っています。また、ある人たちは、神が自分の町にリバイバルを起し教会の目を覚まし、人々を救ってくださるようにと願っています。

これらの状況はすべて戦いを意味しています。祈りは戦いに勝利するための一つの武器です。信仰に固く立つこと(エペソ6章)も大事なことの一つです。悪霊を叱責することは多分最も小さな仕事でしょう。しかし、今までで分かった(またこれからもそうだと思いますが)霊的戦いの最も効果的な形は預言的ワーシップなのです。私たちがまことのワーシップの中で主の栄光を称え、主が私たちを御臨在に引き寄せてくださるとき、誰も想像も出来ないほどの計り知れない力が流れ出します。そして、その中には敵は宿ることができません。 いかなる状況の中においても、又、どのような問題に面したとしても、主の民がそのとき主を礼拝し崇めることを心に定めるならば、それは戦いが実際に始まる前に敵の陣地に巡航ミサイルを撃ち込んで敵の力を砕くようなものです。それ故にダビデの軍隊は霊的な戦いに勝つためにワーシップをする礼拝者を任命し、勝利を得たのです。これはまさに戦略的な作戦でした。

私たちの人生に問題が起こり戦いが始まったときに、「教会に出かけてワーシップをするのをやめて家にいよう」と、私たちがまず衝動的に思うのは、考えてみれば当然ではありませんか?しかしそれは敵がささやく声なのです。人々と一緒にワーシップをすることから遠ざかるのは、まんまと敵の手に落ちるということです。なせならば、あなたが敵の声に従ってワーシップをしな
29 03月

坂 達也・柚実子 2008年 春の来日予定  3月29日


2008年春 坂 達也・柚実子の来日予定表
 
[日本に滞在中の連絡先:坂 達也 携帯電話 090-6644-6207]

4月15日(火)日本到着 3:10PM 中部空港 
  16日(水)         
  17日(木)門司港ハレルヤチャーチ 渡橋先生 
  18日(金)八女フロンチアチャーチ 近藤先生
  19日(土)水俣福音教会 神園先生
  20日(日) “
  21日(月)松山 天川美江さん
  22日(火) “  ”  家の教会での集会 
  23日(水)津田キリスト教会 水村先生 
  24日(木) “
  25日(金)鳴門ホープチャペル 森綾子先生
26日(土)関西ハレルヤチャペル 小山敏夫・良子先生
27日(日) “
28日(月)南紀リバーサイドチャーチ 寺田先生
29日(火) “
30日(水)京都、シオン・プレイズ・チャーチ
5月 1日(木)  “  祈りの歩行  夜 集会
   2日(金)
   3日(土)藤枝リバイバルチャーチ
   4日(日)    “
   5日(月)大府、神の家キリスト教会 上野定雄先生 
   6日(火) 
 L 7日(水)京都 神足教会 斉藤先生 
   8日(木)  “
   9日(金)東京へ 
  10日(土)府中 
  11日(日)  “ イエスキリスト緑の牧場 染本先生
  12日(月)東京  
  13日(火) “  
  14日(水)群馬 富士見四恩キリスト教会 高田先生
  15日(木)いわき グローバル・ミッション・チャペル 森 章 先生
  16日(金)福島 旭町キリスト教会 小久保先生   
  17日(土)福島 蓬莱キリスト教会  佐藤先生
  18日(日)    “
  19日(月)  
  20日(火)長野 サンクゼール 久世先生 
  21日(水) “
  22日(木) “      午後成田へ 10:00PM発 帰国


  以上ですが、お問い合わせとご質問はメールか携帯にお電話下さるようお願い致します。
  お祈りを感謝します。               
                                          坂 達也・柚実子

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27 03月

主の軍隊の召集 リック・ジョイナー 2008年3月27日


主の軍隊の召集

リック・ジョイナー

人々を集める「動員の油注ぎ」について考えてみるとき、動員する数と油注ぎがどのような関係にあるかをも理解せねばなりません。バプテスマのヨハネの油注ぎは、ユダヤ全土から人を集め、主のための備えをさせるものでした。しかし、ほとんどの者は初めから大勢の人を集める能力をもっているわけではありません。ヨハネのミニストリーも、多分最初はそれほど大規模なものではなかったことでしょう。多くの場合、大きな権威を与えられる前に、まず小さなことに忠実であることを私たちは学ばなければならないのです。

世界的に見て非常に大きい教会やミニストリー、又ムーブメントも、初めはすべて12人くらいが集まって祈ることから始まりました。もし、私たちに動員の油注ぎがあるとしても、それは多分非常に小さなグループから始まるでしょう。小さなグループの時にどれだけ忠実であるかによって、主が私たちにどれだけ権威をもっと与えてくださるかが決まると思います。そして、多分それは少しずつ増えていくと思います。私が「思います」というのは、あくまで主がすべての主権を握っておられるのであり、いつもそうされるとは限らないからですが、普通、主はそのようにされます。

いつの時代においても、小グループを集める油注ぎのある人、あるいは数百人とか数千人、又はそれ以上を動員する油注ぎを受けている人たちがいます。自分たちにとっても、また他の人に関しても、それが真理であることを悟るならば、多くの人たちがフラストレーションから守られ、又、人々を動員するどころか散らしてしまうような失敗を犯すこともなくなるでしょう。神があなたを300人の牧師として召しておられるならば、あなたが様々な手段で教会をもっと大きくしようとしても、いろんなことが起きて、結局あなたは300人の牧師に戻るでしょう。その反対もあります。あなたが5000人の教会の牧師として神から召されているならば、教会の分裂やその他の問題が起こって、一時、教会が小さくなったとしても、また5000人に戻ることでしょう。

ですから、もし私たちがリーダーとして召されているのであれば、主は何のために自分を召されたのかを理解し、自分が置かれた場所で満足し、そこで最善を尽くすように決意する必要があります。小さいことに忠実であるならば、定められた時に主はより大きな権威を私たちに与えてくださいます。私たちは自分で自分を昇進させるのではなく、主が昇進させてくださるのでなければならないことをはっきりと知るべきです。神が与えられたのではない影響力を自分の力で得るとすれば、必ず問題を引き起こします。そのようなことは知恵のある者ならば何としても避けたいと思うはずです。ポイントは主に従順であるということです。役に立たない将軍であるよりも、才気ある有能な中尉である方がずっといいのです。

私たちのミニストリー(モーニングスター・ミニストリーズ)の仕事の一つは、色々なカンファレンスを開催することですが、それにもこの真理が当てはまることを学びました。私たちが開催するカンファレンスの多くは、クリスチャンをあるミニストリーのために調えたり、御霊の賜物を分与したりするものです。私たちはカンファレンスを宣伝する方法を知っていますし、確かに以前は何千人もの参加者がありました。しかし、聖徒たちを整えるためのカンファレンスは、小規模の方がよいということが分かったのです。私たちのゴールはただ沢山の人を集めることではなくて、参加した全員が変えられ、強い影響を受け、カンファレンスが終わるときには、以前よりもっとキリストの力強い働き人、メッセンジャーとなって遣わされていくということです。それと異なる種類のカンファレンス、特にキリストのからだの交わりやミッションや伝道への思いを促進させるためのカンファレンスの場合は、大きいほどよいのです。

このことをお話している一番の理由は、クリスチャンのリーダー達が今まで犯してきた悲惨ないくつかの間違いについて、共に考えてみたいからです。その一つは、神が定めてはおられない目的のために、神の民を何度も何度も動員してきたことです。第二は、正しい目的のためではあるけれども、間違った霊でクリスチャンを動員してきたことです。第三は、敵の要塞を砕くために人々を訓練し、調え、教育するために動員するのではなくて、動員すること自体を目的としてしまったことです。このような間違いはすべて、人々に多くの幻滅をもたらし、落胆させました。落胆とは勇気をなくすことですが、勇気こそすべて勝利する軍隊にとって、もっとも大切なエネルギーの源となるものです。

動員の効果的な方法を知っていれば、大勢の人を集めるのはそんなに困難なことではありません。ですから、私はずっと前から、教会やミッション、ミニストリーがただ大きいからという理由で感銘を受けることはなくなりました。本当の問題はその実です。大きなグループだけれど人々は世話がやけ、力がなく、その働きは小さなグループより少ないということもあるのです。私たちが人々を動員したいと願う理由は、福音のための効果的な力を立て上げ、神の御国を伝えるためでなければなりません。

集まって来た人たちを効果的に備え、調え、導くことが出来る人にこそ、私たちは従っていくべきです。大きなグループや教会でもこのようにしているところもありますが、それは稀です。使徒行伝19章32節に、自分たちが何のために集まったのか分からない人たちが混乱していることが書かれています。はっきりした目的もなく集まることは、大抵の場合、人々を混乱に落としいれます。

教会のヴィジョン

アメリカのクリスチャンの半数以上が、どの教会にも所属せず礼拝に出席していないと推定されています。これは悲劇的なことです。しかし、彼らを教会の生きた交わりに連れ戻そうとする前に、現在の教会の状態を見てみる必要があるのではないでしょうか。もし半数以上のクリスチャンが所属したい教会を見つけられないとすれば、もしかして半数以上の教会がキリストによって与えられた基本的な命令から、なぜか離れてしまっているという可能性はないでしょうか? クリスチャンが教会の交わりから離れてしまう理由は沢山ありますし、その中で正当性のあるものはほとんどないかもしれません。しかし、多くの教会がキリストをもはや真のリーダーとして立ててはいないこと、そして、人々にはそれがちゃんと判ることも私たちは認めねばなりません。

神の民を集めることは重要です。
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