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Walk With God Ministries

18 04月

90時間かけて聖書を朗読する   世界のニュース    4月18日


ワシントンD.C.国会議事堂前で、聖書全巻を90時間連続で朗読


聖書朗読マラソンが祈祷週間に先立って行われる

国際バイブル・リーディング(聖書を読む)・協会(IBRA)は、ワシントンD.C.の国会議事堂前で聖書朗読マラソンを4月30日から始めると発表した。これは恒例の行事で今年は17回目にあたる。当日午後8時にフェイス・アンド・アクションの創始者であるロブ・シェネック師によって開会式が行われる。

「神の聖い御言葉である聖書の単純明快な真理へとこの国を引き戻すために、神がこのヴィジョンを用いてくださると信じます。」とピープルズ・チャーチの牧師でIBRAの実行委員長であるマイケル・ホール師は述べています。「すべての関係者―働き人、様々な協会、教会、議員や聖職者たち―は聖書を始めから終わりまでコメントを一切つけず、又中断しないで読むことによって、神の御言葉である聖書にのみ栄光を与えたいというただ一つの目的でみんな集まってきているのです。」
 
朗読マラソンは5月4日(木曜日)の正午から1時の間に、黙示録の最後の2章を全員が一緒に朗読して終了します。 90時間の朗読マラソンの期間中、アメリカのためにとりなしをする人々の祈りの場所も用意されるとのことです。
詳しいことを知りたい方は、www.dcbiblemarathon.org をごらんください。(終わり)



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15 04月

カイロス タイム          坂 達也      4月15日


カイロス・タイム

 私は最近、今までにはなかったことを経験しております。それはやらねばならないプロジェクトが4つ、5つある時に、それぞれに「それをする時がある」ことを神様が私にはっきりと示され、教えられていることです。例えば、このホームページは、アメリカの使徒的・預言的なメッセージを選んで翻訳し紹介させていただいておりますが、それと共に、自分自身も主から与えられたメッセージを書くつもりで始めました。ところが、今年の正月から3ヶ月の間、書こうとしてもどうしてもまとまらず、不思議なぐらい書けないのです。勿論礼拝用のメッセージは、必要に応じて十分あり余るように与えられるのですが、書くこととなると、どうしても文章にならないのです。それが4月に入ってから又書けるようになったのです。そして、そうされたのは神様であったことがよく分かりました。

又、別の例(方法)によっても、物事には神様の順番があり、神様の時があり、私たちがそれに従う時に大きな祝福があることも今回はっきりと教えられました。その例というのは、私たちは今一年以上かかってかなり大掛かりな家の改修を行っておりますが、専門職に全部依頼するのではなく、自分で出来ることは家内の手を借りてでも自分でするようにしております。(だから時間が掛かっているのですが)私は以前家を建てる仕事をしていましたから、具体的に何をするかを先に先にと考えつつ進めて行くことには慣れているつもりでした。ところが今回、次に何をどのようにしようかといくら考えても、よいアイデアが出て来なかったり、出て来ても心に迷いがあるのです。しかし、自分には行き当たりばったりとしか思えないのですが、直前になると、「これをやろう。」と心が定まり、その朝になるとスーッとよいアイデアが浮かんで「これだ!」と納得がゆく方法が与えられ、うまく行くのです。
しばらくは、それは歳を取ったので頭の回転がにぶくなった性かと思っていましたが、どうもそればかりではないようなのです。結局気がついたことは、「神様に総てを委ね、神様の方法と、神様のタイミングで総ての事を進めたい。」と日頃祈り願っていながら、つい自分で考えてやってしまっている私に、神様が実際、具体的に「神に委ねる生き方」を指導して見せて下さったと言うことが分かったのです。そして神様の「時」を待つ重要性を改めて学んだのでした。

「時」と言えば、ギリシャ語で「クロノスの時」と「カイロスの時」があることが最近よく話題にされます。クロノスの時とは、一般的な時間の経過を表わす人間が持つ時の流れです。一方カイロスの時とは、神が定めた時、神の時間表、あるいは霊的な時間と言うことができそうです。
さて、時と言えば伝道者の書3章を思い出されるでしょう。

「何事にも時があり/天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
生まれる時、死ぬ時/植える時、植えたものを抜く時 殺す時、癒す時/破壊する時、建てる時 泣く時、笑う時/嘆く時、踊る時 石を放つ時、石を集める時/抱擁の時、抱擁を遠ざける時 求める時、失う時/保つ時、放つ時 裂く時、縫う時/黙する時、語る時 愛する時、憎む時/戦いの時、平和の時。」(伝道3:1-8、新共同訳)


 これは、自然界において、人間を含めた生物の営みには、何事にも創造者が初めから定めた季節と時があることを表わしております。それでは人間が日常生活をどのように生きているかといえば、二つの生き方があると思います。
一つはほとんどの人がそうなのですが、何事も自分の考えで事を運ぶ生き方です。自分で計画し、時間の流れとしての「タイム・テーブル」を自分で設定してそれを実行しようとします。これはクロノスの時で生きる人間的な生き方です。
もう一つの生き方は、クリスチャンとして神様に総てを委ね、神様の方法とタイミング(時)を待って事を行う生き方です。勿論、神様は人間が後者であることを望んでおられます。これがカイロスの時(神様の時)の生き方であると思います。
 
そこで後者の場合ですが、神様の進め方と時期とは、私たちの考えることとあまりにも異なる、つまり神様のすることは予測がつかないことを経験していない人はいないと思います。それはまさに、「風はその思いのままに吹き、あなたはその音を聞くが、それがどこから来てどこへ行くかを知らない。」(ヨハネ3:8)の御言葉の通りではないでしょうか。多くの場合に聖霊様のなさることは予測がつきません。「慌てる乞食はもらいが少ない」と言うことわざがありますが、私たちの傾向では、とにかく神様の時を「待てない」のです。「待つ」ことは訓練されなければなりません。「主の時を待つこと」を会得された方は霊的成長の完成が近い方です。

そこで気がついたことがあります。「何事にも時がある」と上記伝道者の書に書いてありますから確かにそうなのでしょうが、でも「時が定められていないこと」もこの世の中にはあるのではないかと思ったのです。その意味は、定まった時に何かをするだけはなくて、「常にその時である」と言うこともあると言うことです。
その一番よい例は「十字架」であると思うのです。十字架とは「苦しんで」「死ぬ」ことを意味します。人間は生涯の初めから終わりまで、どのような時も常に「自分に死ぬ」ことを神様は望んでおられるからです。死ぬことにおいては、時もシーズンもない、私たちは常に「自分の十字架をかついで」生きることを要求されています。

それは黙示録13:8に根拠が示されております。英語のKJV欽定訳と、日本語訳では新改訳の「別訳」として下段の付記の項に書かれていますが「世の初めからほふられた小羊」が存在していると言う事実です。これは何を意味しているのでしょうか。それは、世の初めからイエスの十字架が存在していると言うことです。

  「イエスが十字架にかけられて死ぬ」ことはこの世で一度だけ起こる必要がありますが、霊的に言えば、世の基の出来る前から父と子の心の中には十字架が常に存在している、と言うことです。なぜそうかと言えば、神様は時間の無い世界におられるからです。難しく聞こえるかもしれませんが、十字架の業は先ず「永遠」と言う時間の無い神様の世界で「決意され、初めから実行された事実」なのです。

それはどう言うことかと言えば、神に似せて造られ、自由な意思を持つ最初の人間アダムとエバにおいて、人間が神を見捨て、自分中心に生きると言う罪に堕ちることを、神様は見通しておられたのです。神様はご自分が 創造するものを本当に愛するがゆえに、罪に堕ちた被造物のために先ずご自分が苦しみ、そしてご自分が死ぬことによって総ての被造物をあがない(redemptive)救い出すご計画を初めから決意し、持っておられたのです。ですから神の愛とは最初からあがないのredemptiveな愛です。

「苦しんで子を生まねなければならない」と言う罰を与えられたのは、最初に罪を犯したエバでしたが(創世記3:16)、その前に、かわいい自分の子どもたちを生んで育て上げる(創造する)ことに、先ず「死に至るまで苦しむ」ことを決意し、実行されたのは創造者ご自身でした。それは神である父と子だけではありません。同じ神である聖霊様も罪だらけの人間の中に入って私たちを霊的に育て上げるのに、どれほど忍耐と努力をしておられるか、これが神様にとっての「産みの苦しみ」をされていることでなくて何が苦しみでしょうか。

  同じように罪を犯したアダムの受けた罰は「苦しんで食を得なければならない」(同3:17)でした。霊的な食物を得るために、罪のないイエス様ですらどれだけ祈りに時間を費やされたかを見れば、私たちが霊的食物を得るのに苦労しなければならないことは当たり前なことが分かります。本当にどんなに感謝してもしきれないことですが、私たち人間が苦労することで創造者が苦労していないことは一つもなく、又、神様が私たちのために先ず実行して見せないことは一つも無いのです。(ヨハネ5:19,20)みな安心してイエス様の後を追うように配慮されています。それが恵みであると言えないでしょうか。

神様は罪に陥って苦しんでいる人間に対して、「救いたい」と言う強い願いとあわれみの心をいつも持っておられます。ですから、私たちが救いを求める時はいつでも「今は時ではないから又おいで。」とは言われずに、常に救いの手を差し伸べておられるのです。救いの時とか時期はないのです。
総ての神の創造の中心には「あわれみの愛」と「イエスの十字架」と「赦し」があり、総ての創造はそれを土台にして存在しているのです。それは時間のない神様の「ご性質」そのものをあらわしています。
一方、私たちが本当にあがなわれ、救い出されるためには、私たちも又霊的に常に「自分に死ぬ」ことを要求されています。私たちは自分の肉に死ななければ永遠のいのちに入れません。

 間もなくイースターを迎えます。イースターとは、十字架の死からよみがえられたイエス様をお祝いする日です。イエス様が先ずよみがえられた、この「よみがえり」と言う霊的な状態こそ、私たちのためにイエス様が道備えをして下さったものです。私たちは霊の人間に生まれ変わり(ボーン・アゲイン)、霊的な成長のプロセスを通ってこの「よみがえりのいのち」すなわち「永遠のいのち」を既に生き始めているのです。
 この世で「永遠のいのち」を生きるとはどう言うことでしょうか。それはこの世に生きていながら、自分の肉に死んで、霊に生きること、それが「よみがえり」の生活であると思います。「よみがえり」の世界とは、もはやクロノスの時の奴隷となって人間的・この世的に生きるのではなく、神の時間と空間の中に入り込み、そこで得た神の御心を神に導かれてカイロスの時で生きるのです。

私たちは時間の経過の中に住んでいますから、総てが移り変わりますが、時間のない神様は変わりようがありません。まさに「イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。」(ヘブル書13:8)とある通りです。そこには永遠に変わらない神の愛が満ち、永遠に「赦し」と「回復」が存在します。そして「よみがえった」私たちにとっては、常に神を礼拝する状態が「時の過ぎない時間」であると言えないでしょうか。私たちはこのよみがえりの世界にある不変の「神のご性質」に出来るだけ早く到達しなければなりません。

マルコ1:15に、「時は満ちた、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信ぜよ。」(口語訳)とありますが、この「時は満ちた」はカイロスです。神が定められた救いへの条件と道が整い、時が満ちている今の私たちは、霊的に、既に神の国と言う「時間」と「空間」の中に生かされているのです。それはイエス・キリストの福音そのものの世界であり、私たちは「よみがえり」と言う次元に既に入っているのです。(このみ言葉は未信者にだけではなく信者に対して言われていると思います。)ですから私たち信じる者こそ、そのように神の国に住んでいるように行動しなければなりません。それが「信仰に生きる」ことであると私は思います。

信仰とは超自然のものであり、時間を越えた世界で生きることであると思うのです。創造者の神は、何か心に思う時に既に霊的にそれが存在します。そしてそれを口で言われればこの世に実現します。ですから神に似せて造られた私たち神の子どもも、神の思いに適ったことを信仰で自分の思いとして信じる時、それは霊の世界では神の御心として既に実在していることを取り上げて、神様と同じようにそれを口で宣言することによって、実現させることが出来るのです。ヘブル書11:1に「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」とありますが、もっと分かり易く言えば、「信仰は、望んでいることが霊的に神の御心として実在していることを確認して、それを目に見える形にこの世に出現させること」であると言えます。

御国に住む私たちのすることとは、総て創造者である神様の存在とその神様が創造したいと思う御旨・御心を私たちが神様に代って実現(創造)することによって、神の存在と御心を証明して見せること、それが私たちクリスチャンの仕事であると思います。

しかし、霊的な人間になったとは言え、私たちが実際に住んでいるのはこの世という時間が経 過している世界ですから、口で命令すると直ぐそうなる時と、時間が掛かって実現する時と、又実現しない時があります。この時間加減を支配しておられるのは神様ですが、信仰の難しさはここにあります。時間がかかっても私たちの心が全く揺れずに変わらない時に、それは必ず神様のタイミングで実現しますが、心がふらふらと定まらない時は実現しないことが多いのです。それを称してイエス様は「信仰の薄い人だ。」と言われました。
私たちも早く時間のない世界に到達したいですね。しかし、神様が今私たちを時の流れの中で信仰によって生きる試練を許されているのは、私たちにその産みの苦しみを経験させるためです。

信仰の訓練とは、この時間の経過 で「心変わり」してしまう信仰を、「心変わり」しない信仰にしていくことではないでしょうか。私たちをこの世に置いて、物事が実現するのに時間がかかるようにされるのは、神様が私たちの信仰をテストし、強めるためのプロセスであると思うのです。私たちは信仰にとってむしろ障害となる「時の流れ」を私たち自身が克服し、それを無いものとして不変不動の信仰に達することを神様は期待しておられます。「信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。」(ヘブル11:6)

「よみがえり」の世界は信仰だけで生きる世界です。しかし、この世で「よみがえり」の世界に生きる時にこそ(それは可能です。)クロノスの時の経過の中で生きていても、総てにカイロスの時で行動出来るのです。それこそが時を征服し、時に勝利した生き方と言えるかも分かりません。(終わり)


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13 04月

主から五年間の目標をいただく  パトリシア・キング  4月13日


今、明確な目標を定め、
       これからの5年間に多くの収穫を得よ 


      パトリシア・キング

3月22日の朝、私が目を覚ましたとき、主が私に次のように語られました。「今あなたが明確な目標を立てるならば、これからの5年間に大きな収穫を得るであろう。今という時は、去年や一昨年に与えられたヴィジョンを持ち続けるだけでなく、 今のシーズンに対する主の御霊の明確な指示を受け取ることが非常に重要である。明確な目標を定めないとあなたの収穫は非常に限られたものとなり、あなたは後になってそれを後悔することになるであろう。」と主は告げられました。主の語調には切迫感がありました。

聖書の中の人物も主から明確な目標を受けた

モーセは、荒野の中に主の幕屋を立てるという明確な目標を与えられました。 神はモーセに詳細な青写真を示され、彼はそのプランを実行に移しました。その結果として、イスラエルは荒野を旅するときにその幕屋によって祝福され、そのあとも、今日に至るまで、その幕屋に隠されていたキリストの啓示のゆえに人々は祝福されています。

ヨシュアは、イスラエルの人々を約束の地に導きいれるという明確な目標を主から受け取りました。 彼は主の指示に忠実に従い、その地を所有し、そこに住んで地の収穫物を食べることができました。
バプテスマのヨハネは、主の道を備えるという明確な目標を持っていましたし、イエスは、神と人との間の永遠に変わることのない契約を確立するという明確な目標を持っておられました。初代教会は、全世界に出て行きすべての造られたものに福音を宣べ伝えるという明確な目標をもっていました。

あなたはもう紋きり型の今までしてきたことを繰り返すだけの生活をする必要はないのです。 主はあなたに新しいヴィジョンを与えようとされていて、そのヴィジョンはあなたが前進していくのを助けるゆるぎない基盤となるでしょう。今あなたは、過去に自分が蒔いてきたものの結果の中で生きています。それと同じように、あなたが今蒔くものを、これからの年月の中であなたは収穫することになるのです。 これからの5年間に収穫するもののために、今計画を立てなさい。

これからの5年間には、あなたの蒔く種は今までよりも、もっと早く、もっと大きく育ちます。あなたは自分で蒔いたものを刈り取るのです。肉に蒔くならば滅びを刈り取りますが、御霊に蒔くならば命を刈り取ります。主はこれから5年の間は、蒔かれた種は今までよりもっと早くもっと大きく育つと言われるのです。今悪い種(分裂、憎しみ、敵意、争い、嫉妬…等)を蒔くならば、これらの種から生じる大きな産物の刈り取りを5年間することになります。しかし、同じように良い種、即ち御国の種、を蒔く者は、祝福という大いなる収穫を刈り取ることになります。ですから、今こそ良い種をまく絶好のチャンスなのです。あなたはそこから大きな見返りを受け取ることでしょう。 どんな種を蒔くか注意しなさい。今はあなたの人生の新しい明確な目標を立てるのに最良の時です。それによってあなたの想像をこえる素晴らしい結果を見ることになるのです。

神が承認の印を押すことが重要

あなたが定める目標には、神が承認の印を押さなければなりません。神は目標の定め方を知っておられ、神もご自身のために目標を定められる方です。神は目標を定められる名人であられます。例えば、神はご自分の目標を人の救いにおかれました。また、キリストの再臨に定められ、栄光の教会の成就に定められました。そして神はご自分の目標を必ず達成されるのです。ですから、神はご自分のやり方を用いて、私たちが目標を定めそれが成就されるようにと、助け導いてくださるのです。あなたが主の御前で静かに待つとき、主はあなたに語りかけ、あなたに目標を示してくださいます。成功する目標は、あなたの肉、即ち人間的な願望から生まれるのではなく、主の御霊によって定められるものなのです。主の臨在の中で時を過ごしてください。主があなたに新しいヴィジョンを与えてくださるのを期待して待ってください。主は必ず与えてくださいます。全知全能の方だからです。

主が語られるのを信じて期待して待ってください。 「私の心に明確なヴィジョンを与えてください。」と祈ってください。 私はそういう時は、紙とペンを用意して待つことにしています。主が必ず語ってくださるという確信と期待を持って待ってください。私はいつも次のように祈って、神からの声を聞くための心の備えをします。

「お父様、今御前に出ています。私の中にまだ告白していない罪があるならば、それを明らかに示してくださるようにお願いいたします。あなたの御声を聞くことを妨げるものを、そのままにしておきたくありません。 私の思い、言葉、行いであなたが喜ばれないものがありましたら、どうかお赦しください。私は悔い改めますから清めてください。 自分の肉的な思いや欲望、妄想を主イエスの名によって打ち捨てることを、私は選びとります。 主イエスの名によって私は敵の声を縛ります。私は、ただあなたの声だけを聞くことを決意いたします。あなた以外の者の声には耳を貸しません。あなたの声にだけ私は従います。今あなたの尊い聖霊であらたに満たし、あなたの声が分かるようにしてください。主よ、感謝いたします。 アーメン」

この祈りが素晴らしいのは、これがすべて必要な事柄を網羅していることです。まず罪の問題を取り扱って障害物がないようにします。次に自分の肉的な傾向を捨て去ります。 敵が邪魔してくるのを縛り、聖霊があなたを満たし、あなたの心に語ってくださるようにお願いします。 これで神があなたの心に語られる言葉を聞くのを妨げるものはみんな無くなったわけです。この祈りをしたあとは、あなたの心に浮かぶ思いは神からのものであると確信して、ただ信じればいいのです。

普通神は、その御心をあなたの考えや思いのなかに入れられます。ですから、あなたの心や思いの中にくる夢を振るい落とさないでください。「ああ、これは単に私の思いに過ぎない。」と考えてはなりません。 あなたはすでに自分の肉的な性質から来るものを捨て去る祈りをしたことを思い出してください。敵を縛る祈りもしました。もうあなたは聖霊に服従し、すべてを委ねたのです。ですから、神があなたに語っていると信頼しなさい。疑ってはいけません。なぜならば二心のある人は、その歩む道のすべてに安定を欠いた
06 04月

6,7,8月に来るパーフェクトな嵐  デニス・クレーマー  4月6日


6,7,8月にくるパーフェクトな嵐
                               デニス・クレイマー

アモス3:7 「まことに、神である主は、そのはかりごとを、ご自分のしもべ、預言者たちに示さないでは、何事もなさらない。」

 正直なところ、この有名な聖書の言葉を聞くと、預言者として私はちょっと居心地の悪い気分になります。いや実のところ、預言者としてとても神経質になるのです。 人々は、「預言者は、神が今世界中でされていることを、全部知っているはずだ。」と思っているようなのです。何という誤解でしょうか!世界はずいぶん広いんだ、ということを忘れないでほしいものです。

 「ところで、デニーさん、今神様は何をしておられるのですか?」とよく人から聞かれるのですが、それに対して私は「さっぱり、私にも分かりませんね。」と答えるのです。私からのこの返答は彼らの期待を裏切るものですが、それが全く本当のところなのです。

 はっきり申し上げますが、私は預言的に「全く何も分からない」時の方が皆さんが想像される以上に多いのです。神が見せてくださらなければ、私は見えないのです。 その意味では、私は大方のクリスチャンよりもっと聖霊の啓示に頼っているといってもいいでしょう。皆さん、預言のスイッチが切られているときは、切られているのです! でも主がスイッチをつけてくださると、私も時々は力強く預言的なことを見ることができます。

預言的に私はすごく強力なものを見た!

 2006年の夏に関して私が見た預言を皆さんにお話しますので、吟味していただきたいと思います。勿論これと同じ時期に、私には知らされていない沢山のことを神は世界中でなされるでしょう。もう一度言いますが、これは私がチラッとだけ見たことであり、それを今日皆さんにお分かちできることが嬉しくて私はわくわくしています。 ですから、皆さん、どうかこの預言を吟味しながら読んでください。

暑い、暑い、暑い

 私が今月いただいた「時の預言のことば」とは、実際には非常に短くてスイートなのです。主は今年の夏は焼けるように暑い、本当にジュージューと音と立てて焼けるほどに暑い夏となると、私に言われました。それは 超自然的なことで燃える、と言われたのです。「今から90日後の90日間(6,7,8月)に、前代未聞の超自然的な活動が世界中で起こるであろう。」と主が言われたと私は信じます。

備えよ、備えよ、備えよ!

 今から約90日経た時、天から超自然的なことが地上に降り注ぎます。それは90日間(6,7,8月)にわたる聖霊の大いなる降り注ぎで、ペンテコステの日に起こった聖霊降臨の様子に似ているでしょう。「天からの激しい風」が世界中の教会に90日間、次のことをもたらします。
  空前の世界中のいやし!
  空前の世界中のしるし!
  空前の世界中の不思議!
  
 そのいやし、しるし、不思議の降り注ぎよりももっと偉大なことが起きます。それは世界中で起きる前代未聞の奇跡であり、90日の間、あらゆる種類の大小、様々な奇跡が起こります。2006年の夏は、空前の、前代未聞の、無比の奇跡が世界中で焼けるように起こる季節なのです。
   空前の奇跡が世界中にやってくる!
   前代未聞の奇跡が世界中にやってくる!
   無比の奇跡が世界中にやってくる!

 主は「世界中に空前の奇跡が起こるだろう。 すべての国々は私が神であることを知るであろう!」といわれるのです。

パーフェクトな嵐がやってくる

主に愛されている皆さん、ですから、これからの90日を楽しんでください。 それは嵐の前の「静けさ」のときなのです。そのあと超自然的な90日が始まり、奇跡の嵐が地上に吹き荒れます。パーフェクトな嵐が来ようとしているのです。人々は変えられ、町は変えられ、国も変えられるでしょう! 今備えをしてください!(終わり)



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04 04月

祈りの歩行とトランスフォーメーション  坂 達也   3月30日


祈りの歩行とトランスフォーメーション


1995年、日本にヘンリー・グルーバー師ご夫妻を最初にお連れしてから10年が経ちました。この間私たちは、師と共に毎年二回から三回各地の教会を訪れ[罪を赦す祈りの歩行]のミニストリーを日本全国で展開して参りました。
しかし正直なところ、一部の地区とか教会を除いて、その祈りの歩行の目立った永続的な成果というものが眼に見える形では現れないためでしょうか、一度は地域の歩行を実行し始めたものの、やがて祈りの歩行に興味を失ってしまった教会がほとんどであると言っても差し支えないと思います。グルーバー師と私は何度も落胆し、神様が私たちを日本に遣わされた目的は一体何だったのだろうかとお互いに問うたことも幾度かありました。
 しかし今やっと、私たちの日本における「祈りの歩行」の目的と意義が、主によってはっきりと示されたという思いが致します。それはトランスフォーメーションというムーブメントが世界的に起こり始めたからです。日本にも紹介されつつあり、多くの教会が今このムーブメントに対し真剣に興味を示し始めております。

世界的なトランスフォーメーションの推進者であるエド・シルボソ師は祈りの歩行の重要性を次のように強調します。
 「イエスのためにあなたの街(の救われていない魂)をどのようにリーチアウトするのか?」その答えは、先ずその町の霊的空気を変えねばなりません。そのために、街全体を――総ての通りから通り、町の区画のブロックごとに、隣近所から隣近所まで――くまなく街全体をカバーする祈りの覆いをかけるのです。それは1テモテ1:15-2:8にある命令を実行することであり、組織的に一貫して繰り返す祈りをするのです。歩きながら、主の平安を語りかけ(ルカ10:5)、聖書全体を声を出して読み、あるいは預言的行為として、街の門と思われる多くの所で祈る、又、総ての学校のキャンパスで祈りの歩行をすることです。」

師は「街の霊的空気を変える」ことはトランスフォーメーションが起こるための必須条件であると強調しています。

 又、著名な預言の指導者グラハム・クック師も街の霊的空気を変えることの重要性を強調しています。師は教会の管轄地域は少なくとも年4回、教会の会員によって祈りの歩行をすべきであると言い、要塞を砕くために、あるいは祝福を得るために、油を注いで場所を清めることを勧めております。霊的空気を変え、敵を払拭する効果的な方法は、出来るだけ多くのクリスチャンが集団で集中して祈ることであると言っています。

 祈りの歩行は、敵との霊的戦いにおいて最も有効かつ重要な攻撃の手段ですから、敵を完全に制覇するまでは、その攻撃の手を決して緩めず、執拗に繰り返し攻撃する必要があります。第二次大戦で日本が敗戦したのは、何よりも圧倒的なアメリカ軍の物量作戦によってであると言えます。末期において、日本の大都市は何度も何度も後を絶たないアメリカ空軍のマス空爆を受けて弱り果てました。
 私たちだけの経験からしても、日本で今まで一番足繁く訪れているのは沖縄です。この10年間にグルーバー師と私たちと併せれば、少なくとも年2回ずつ沖縄を訪れて参りました。特に最近の数年、グルーバー師は沖縄だけに年一回訪れ、集中して祈りの歩行をして来ました。そして、その結果が今はっきり現れつつあります。勿論私たちの働きだけの結果ではありませんが、沖縄の霊的空気がはっきり変わって来ているのです。(間もなくこの春のグルーバー師訪問による沖縄レポートをご報告します)

そこで、私たちは皆様の街にトランスフォーメーションをもたらすために、改めてもう一度[祈りの歩行]の重要性を見直していただきたいと思います。特に皆様の地域の霊的空気を変えるためには、出来るだけ多くの人で、出来るだけ頻繁に歩いて祈る、つまり歩行の「量」がものを言うとすれば、一つの教会が孤立してその地域を歩くだけではなく(頻度を高めれば効果は十分ありますが)、むしろ同じ地域で牧会する、出来るだけ多くの教会と手を取り合って団結して歩行することによって、より以上の効果を上げることが出来ると思います。
又、地域の教会が団結して祈りの歩行をすることによって、「地域の教会が一致する」と言うトランスフォーメーションへの必須条件も満たされることになります。

 
最近報告されましたが、最初にトランスフォーメーションが起こった都市であるコロンビアのカリでは、あれだけ大きなリバイバルが起こって街全体がトランスフォーメーションされたにもかかわらず、10年後の今はクリスチャン人口が僅か10%弱に落ち込み、トランスフォーメーションの町とは似ても似つかない街になってしまいました。この間、当時の中心的指導者であったジュリオ・ルイーバル師が暗殺されたのをはじめとし、10人以上の中心的リーダーが次々と死んで行ったそうです。
どうしてそうなったのでしょうか。その第一の理由として明らかなことは、その街の人たちが敵の反撃を許してしまっていたことに原因があると信じます。つまり、「高いところ」(Ⅱ歴代誌20:33)が取り去られていなかったからではないでしょうか。戦いにおいて、敵サタンの要塞を一つ一つ完全に取り除く重要性がここにあると思います。グルーバー師の祈りの歩行の特徴の一つはこれです。

 しかし、それに加えてもう一つ重要な要素があると思います。今まで世界中で起こったどのリバイバルを見ても、総て線香花火のように数年で消えて行きましたが、それはなぜでしょうか。私たちの最終目標は永続的トランスフォーメーション(神の王国)を確立することにあります。そのためには私たちクリスチャン自身が先ず抜本的に変わる、つまりトランスフォームされなければならないと思います。そうでなければコロンビアのカリの街と同じ轍を踏むことになるでしょう。
それでは、私たちがどのようにトランスフォームされなければならないのでしょうか。それは、私たちは忠実な王国の戦士ですから、王の命令を毎日はっきりと受け取り、総司令官である王と緊密なコミュニケーションがとれるようになることです。
私は最近つくづく感じさせられていることは、クリスチャンが毎日主との深い霊的な交わりを持つこと無くして、最終的な勝利を得ることは至難な業であると言うことです。主と個人的に親しい間柄にならなくて、どうして主の思い、主の御心(命令)が分かるでしょうか。
「キリストのからだ」=教会が完全に一致出来るのは、お互いからだの部分(器官)同志が一致協力 するからではなく、それぞれの器官が司令官である「頭」の心や思いと一つになり、忠実にその命令に従うからです。

イエス様は宣教を開始して以来、徹底して「御国」(キングダム、神の王国)のミニストリーを説かれ、それをご自身で実行されただけではなく、それを私たちクリスチャンが実行出来るように弟子訓練をされました。この御国のミニストリーとは、神が人間を用いて直接すべてを支配される「アダムへの命令」(創世記1:27,28)の回復・実行・成就以外の何物でもないと思います。

ところで、私たちは今ホノルルの小さな教会に所属し、トランスフォーメーション・ハワイ(発足して2年)と言う大きなビジョンと目標の元に、身近な私たちの地域である「チャイナタウン」(商いと悪の巣窟)にある他のクリスチャン団体と共に「祈りの歩行」を始めました。最終的には「チャイナタウン」に隣接するホノルルのダウンタウン(政治・経済、企業の中心地区)に歩行の足を進め、次にワイキキ地区、そして島全体に広げて行く計画です。(終わり)


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