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Walk With God Ministries

14 10月

打ちひしがれた魂はどこに神を見出すか フランシス・フランジペン 10月14日


:打ちひしがれた魂はどこに神を見出すか

フランシス・フランジペン


イエスは今の終わりのことを表すのに、非常に厳しいタイトルをつけておられます。主はこの期間を「大艱難時代」と呼ばれたのです。艱難という言葉は「過酷な苦痛、災難。霊的な圧迫、重圧」を表します。今私たちはこの時代の終わりに近づいているのですから、人間への破滅的な災難や圧迫が増加することを予期せねばなりません。

現代はますますストレスが大きくなるのに加えて、政府や一般社会はモラルの低下に歯止めをかける意欲をだんだん無くしています。世間のかなりの割合の人々が、神に真っ向から逆らっている時代に私たちは生きているのです。詩篇2編にある預言は、私たちの眼前で現実となっています。「地の王たちは立ち構え、治める者たちは相ともに集まり、主と主に油そそがれた者とに逆らう。」(2節) この世はモラルの価値を捨て去り、活動家たちは「さあ、彼らのかせを打ち砕き、彼らの綱を、解き捨てよう。」と叫ぶのです。(3節)

イエスは今の時代に関して「不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。」(マタイ24:12)と警告されました。もしあなたが暗さを増すこの世の中で、その流れに抵抗してきた者たちの一人であるならば、この戦いがどれほど激しく、又多くの戦いの最前線で戦わねばならないかをご存知でしょう。コミュニティーの中の不正を正そうとする戦いであれ、家族が一致するための努力をしているにせよ、一歩事が前進したかと思うと、今度は五つくらい問題がすぐに出てきます。

いくつかの都市でブレークスルーが起きているにもかかわらず、善良な人たちの多くは気力を失っています。彼らはただ毎日同じルーティーンを繰り返しているだけです。預言者ダニエルは、敵が「いと高き方の聖徒たちを悩ます(疲れさす)ダニエル7:25」時代のことを警告しています。今の時代に勝利者として生き残るには、詩篇91で神が与えてくださっているリアリティーまで登っていかねばなりません。いのちが再び満たされる場所がそこにあるのです、そこは私たちが宿ることができる永遠の命の泉です。聖書はこの場所を「いと高き方の隠れ場」と呼んでいます。

エリヤ:私たちと同じ人間

エリヤは私たちと同じように情熱をもった人でした。そして私たちと同じように霊的戦いをしました。彼はイスラエルの魂のために戦い、イザベルとその夫アハブ王とのたくらみに対抗しました。しかし、彼の一番激しい戦いの相手は目に見える敵ではなく、自分自身の落胆に対する戦いでした。

エリヤは勇敢な人でしたが、逃亡者として洞穴や隠れ場所を転々としなければなりませんでした。イザベルは主の預言者たちの大多数を殺害し、彼らからの神の影響の代わりにバールやアシュラの祭司からの暗闇の悪魔的な力を受けていました。 しかし、新しい指令が主から発せられました。エリヤとバールの預言者たちは、それぞれが仕える神の祭壇を築き、祭壇に火をもって答えられる神こそが彼らの主であると認められるということになったのです。 
アハブ王とイスラエルはこの戦いを見に集まってきました。そして、いかにバールの祭司たちががんばっても、悪の偶像バールからの応答はありませんでした。それとは対照的に、エリヤが祈ると火がたちまち天から下り、いけにえをなめ尽くしました。これはエリヤが勝ち取った最大の勝利でした。イスラエル人は神の力を見て地にひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」(第一列王記18:39)と叫びました。

しかし、主がされることはまだあったのです。バールの祭司たちを死刑にしたあと、エリヤはカルメル山頂に行き、顔を伏せて雨が降るように7回祈りました。 そして、とうとう3年間の旱魃を終息させる大雨を主がもたらされました。この日一日で火と雨が奇跡的に天から下ったのです!
このすばらしい出来事がイスラエルの歴史上の他の時代に起こったのならば、イスラエルは悔い改めたでしょう。しかし、それは起こりませんでした。バール礼拝はここで終わるべきでした。しかし、続いたのです。実際、何も変化が無かったのです。エリヤが心に描いていたリバイバルとは全く反対のことが起こりました。怒り狂ったイザベルは主の預言者を皆殺しにすることを誓い、エリヤはあわてて荒野に逃げ出しました。えにしだの木の下で、エリヤは疲れ果て意気消沈して倒れてしまいました。 疲れ果ててエリヤは「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」と祈りました。(第一列王記19:4)

エリヤは出来る限りの努力を主に捧げました。この日は彼の人生が絶頂に達した日でした。エリヤはイスラエルが主こそ彼らの神であることを知るようにと祈り、それに答えて主はイスラエルの「心を翻して」(第一列王記18:37)くださったのです。しかし、先の預言者たちと同じように、エリヤはイスラエルのリバイバルを引き起こすことは出来ませんでした。落胆が彼を圧倒しました。彼はもう十分だったのです。

あなたも霊的にも感情的にも疲れ果てて、「もう十分です。」と言ったときがありましたか? それは自分の家庭を良い方向に変えられなかった自分の力不足に落胆したときだったかもしれませんし、あるいは、あなたの教会や社会のために断食して祈ったにもかかわらず、何もこれといった変化が見られなかった時かもしれません。あなたは全力を出し切ったのに、なんの成果も見られなかったのです。エリヤのように落胆して疲れ果て、あなたのすべてを使い果たしてしまったのです。

エリヤは横になって眠りました。すると御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」といいました。(第一列王記19:5) 彼の頭のところにパンと水がありました。人生に疲れ果てていたエリヤは、それを食べてまた眠りました。

もう一度御使いが彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから(too great for you)。」と言いました。(7節) 私たちのヴィジョン、計画、プログラムに到達するための旅もまた、「too great, 大きすぎる、まだ遠い」のです。実に私たちの旅は、自分一人でするには大きすぎるように神は作られたのです。神なしで成功できるような計画を、主は私たちのために立てられることはないのです。私たち神のほうに助けを求めて駆り立てるように、人生は組み立てられているのです。

基礎に戻る

「そこで、彼(エリヤ)は、起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山
02 10月

トッド・ベントレーが残した課題 真の使徒時代の黎明 10月2日


トッド・ベントレーが残した課題
          -真の使徒時代の黎明― 


  
この記事はハーサー誌11月号への原稿です。

     坂  達 也

ユダヤ暦の2008年は間もなく終わろうとしている。今年一年を振り返ってみて最も目立った「事件」の一つは、フロリダのレイクランドに起こった癒しのアウトポアリングではなかろうか。
 その中心人物は好むと好まざるにかかわらずトッド・ベントレーであった。彼が招かれたイグナイテッド・チャーチで、彼自身も予期しなかった嵐のような聖霊のアウトポアリングが起ったのが4月初めであったが、それも4ヶ月ほどであっという間に過ぎ去った。まるで大型の台風のようであった。大型台風は被害を与えるが、人々は「ベントレー」と言う名の台風が去った今、ベントレーが祝福の代わりに被害を与えたかのように、その後始末で騒いでいる感がするのは私だけであろうか。

今回の「ベントレー事件」で注目すべきことの一つは、6月23日にピ-ター・ワグナーの取り持ちと司会により、ベントレーが三人の使徒的監督者の下につくと同時に、レイクランドにおける癒しのリバイバルの伝道者として公に按手・任命されたことであろう。しかしこの任命式の後、多くの人々、中でも自分と関係している使徒たちからの反対と批判を受けたピーター・ワグナーは、特にトッドの別居・離婚発表があった後において噴出した多くの抗議に答える形で、8月25日に一つの声明文を発表した。

 彼はその声明文の冒頭で、ベントレーのレイクランドのアウトポアリング第一部は終わり、その後ストレーダー牧師によりアウトポアリング第二部が始まりうまく行っていることを強調した。(確かにそれは事実のようであり、主の御名をたたえたい。)しかしその書き方には、ベントレーをまるで悪臭のする汚物のように見て、早くそれに蓋をし過去のものとして葬りたいと言う気持ちがありありと見受けられた。そしてピーターは、トッドに「うそつき」で「人を惑わす男」と言うレッテルを貼り、実際に彼自身も「だまされた」と言う。私はこの書き方から、彼が使徒と呼び合う同僚たちから、どれほど大きなプレッシャーをかけられているかが分かって気の毒に思った。

 彼は今回、神からトッドを使徒的にalign(整列・参加させる)せよと言われる御声を聞いて、自分は気が進まなかったがそれに従ったと言う。そして彼はチェ・アン、ビル・ジョンソン、ジョン・アーノットの三人の使徒(リバイバル・アライアンス)の下にトッドをつけることを提唱し、それを正式に司会者として発表した。私は彼のしたことは正しいと信じ、その点では彼を全面的に擁護したい。しかし、腑に落ちないのは、彼が信仰でトッドのミニストリーを使徒的な仕事としてその権威の下に入れる儀式の長を務めながら、実は、私は元々トッドをエンドース(支持)していないとか、トッドのミニストリーに対する興味は薄かったと、なぜ言うのかと言う点である。要するに彼の手紙は、使徒団体のリーダーとして自分のしたことの正当性を弁解し、反対者に対しての言い訳をしているに過ぎないような気がする。

 ピーターは今回自分がやるべきことをしたのでレイクランドの秩序が回復し、トッドもこれから3人の監督の下でカンセリングが始まることを自分(たち)の功績として誇ったが、私は確かにそれを認める。そして彼は、自分はリスク・テーカーであると言い、今まで1970年以来18人以上の著名なリーダーを自分の名声を賭ける危険を犯して支持したり、パートナーとなったり、あるいは使徒的にアラインして来たと説明する。その結果72%(13人)は勝利者となったが、17%、すなわち、トッドを含む3人がloser敗北者となった、そして残りの二人は勝者敗者のどっちともつかない人であったと言う言い方をして、トッドにはっきり敗北者と言う焼印を押した。彼は今回のトッドの件でピーターの団体に所属する人のうち、ピーターと係わり合いがあると思われることを恐れて数人が脱退し、多くの人が今も自分のやったことに憤慨していると言い、自分はそうなる危険を冒してまでもトッドを使徒的権威の下につけたと言いたいのであろう。ちなみに彼はICAと言う500人の使徒が所属すると言う世界最大級の使徒団体の議長を長年務め、現代における使徒のムーブメントの最も著名な世界的リーダーである。

  しかし私が驚いたことは、彼は、初めから終わりまでトッドの罪を責めてはいても、使徒的指導者としてトッドをかばう、あわれむ言葉は一つもないと言う事実である。就いてはこの際、私はピーターに使徒とはどんな人で、どんな役割を持つのか、その根本的な考え方を聞いてみたい。何故なら、私にとって使徒とは「主の直々の弟子」として主が選んで立て、個人的に主と親しい関係に入り、「真にキリストに似た者」となり、パウロのように「私に見習いなさい」と堂々と言える人であると信じるからだ。つまり使徒としての最優先の資格は、先ずキリストの愛に満ちた人で、常に父の御心を知り、主と同じ思いとあわれみを持って人を指導し、育て上げる人であるはずだ。
 
 次に、使徒は主が選んで用い、主の力と栄光を発揮できる人でなければならない。その点、トッドが主から選ばれた器で、聖霊のアウトポアリングによる力を受け、大いなる癒しを顕してイエスの証人になると言う、現代においてはまれな使徒としての重要な素質(資格)を持っていることをピーターは全く認めていないようだ。使徒とは、単に組織を作り上げたり、施政方針を決めたり、大局的に指図することだけがその職務ではないのである。

 さて、今回の「トッド事件」で私が気付いたことの一つは、6月23日の式で壇上に並んだ参列者の一人であったリック・ジョイナーが、ワグナー・グループのしていることを尊重して決して批判はしていないけれども、その式の内容を説明する際に一言も「使徒」「使徒的アラインメント」と言う言葉を使っていないことである。私の知る限り、彼は人から使徒と呼ばれても自分からは使徒であるとは言っていない。

ここで、9月19日にボブ・ジョーンズ夫妻とジェフ・ジェンセンから「主は2012年までに終末における真の使徒たちを立て、真の使徒組織が確立される」と言う重要な預言が発表されたことに触れたい。新約聖書では教会に五役者が立てられるとはっきり書かれているが、初代教会以来、特に終末の現在においては最も必要で重要な使徒職が未だ確立
01 10月

その後のトッド・ベントリーに関して リック・ジョイナー 10月1日


現在のリバイバルの歴史と将来―パート10.その一
その後のトッド・ベントリーに関して

リック・ジョイナー


私が今一番聞かれる質問は、「トッド・ベントリーはどうしていますか?」ということです。彼は私たちのところに来て数日過ごしましたが、概して言えることは、彼の様子を見て私は励まされています。彼は自分の問題が多くの人々に問題を与えてしまったことを、非常に申し訳なく思っています。彼は自分が間違いを犯したことやおろかな選択をしてしまったことを十分認識しています。彼はそのことを手紙という形で出来るだけはっきりと発表したいと考えていますが、それには数週間かかると思います。というのは、私がそれを手伝うことになっているのですが、私は3週間外国に行かねばならないからです。また、他の数人の人たちからもそれに関して助けてもらいたいと考えているので、そのくらいの時間がかかりそうです。


彼のための今の計画は、彼の生活の実際的な問題を解決することです。そのために、彼と同じような問題を経験し、しかもそれに勝利した二人ほどの友達を訪ねる予定です。それから私たちのモーニングスター・ミニストリーのヘリテイジに来て、癒しと回復のプロセスに入り、ある期間ここで過ごす予定になっております。


私はフレッシュ・ファイヤー・ミニストリーの主だった二人のリーダーとも話しました。その結果、私は、トッド並びにこのミニストリーがこの危機を切り抜けるばかりではなく、彼らがこれから起こる主のムーブメントにおいて、パワフルな力、並びに、ファクターとなることを確信しています。


今回起きた問題は、すべての面において非常に深い教訓を含んでいます。それを解決し、それから学ぶことは、教会の未来のために大いに役に立つでしょう。私個人としては、レイクランド・アウトポアリングが今の時代に与えられた非常に重要な主の訪れであったことを疑ったことはありません。何万人、何十万人という人が癒され、奇跡を体験したばかりではなく、数え切れない人の信仰が高揚されました。そしてそれによって今もいろいろな場所で霊的な動きが急激に起こったり前進したりしているのです。教会も、癒し主としてイエスを知り、必要な奇跡をしてくださる方として信じるという最も重要な信仰を持つことによって、来るべき時に備えることができました。私たちは、現在の教会のレベルより更に高く成長していかねばならないのです。


また、トッドの問題によって提起された種々の論点は、教会が次ぎに進む前にキリストのからだによってキチンと話し合われねばならないと思います。そうしないと同じような問題が将来起きたときにはもっと大変な混乱を招くでしょう。もう少し詳しいことがお分かりになったときに、皆さんも同意されると思います。この事態を正しく扱うことは、キリストの身体を強め将来のために教会を整えるすばらしい機会なのです。
今日までに多くの人たちがこの問題に言及されましたが、それは励まされるものであったり、又、がっかりするようなものでもありました。しかし、これを正しく解決することは、現在私たちが本当に必要としていることであり、教会全体を強めることができるのです。この問題から私たちが得るものは、本当に大きい可能性があるのです。主は私たちを常に勝利へと導いてくださり、今回も例外ではないと私は確信します。

トッドやフレッシュ・ファイヤー・ミニストリー、レイクランド・アウトポアリング、そして特にレイクランドや多くの場所で力強く働いておられる主をあきらめなかった人々の忍耐と祈りを、私は感謝します。レイクランドは多くの火をつけた火花(スパーク)であり、今も火をつけ続けています。消えることはありません。もしあなたが、どのような形であれ、それに触れられたのならば、どうか前進し続けてください。これはトッド・ベントリーがしたことではなく、主がしたのであり、主は今、劇的な速度で動かれているのです。実際のところ、これは止むことのない神の動きの始まりかもしれません。

それと同時に、私たちは傷ついた仲間を殺し続けようとすることを、もう止めねばなりません。ガラテヤ6:1で明言されているように、「いかなるあやまち」に陥った人でも、その人たちを回復させるのが私たちのとるべき唯一の道です。私はトッドがミニストリーに復帰するだけではなく、やがてもっと大きなインパクトを与えるようになり、今までより大きなパワーの中を歩むようになると確信しています。私がこう信じるのは、トッドに関して数年前に主から示されたものがあるからです。ボブ・ジョーンズが「レイクランドは来るべきものの予告編に過ぎない」と言った通りなのです。トッドは主が「地上最大のショー」と呼ばれるものを開始するために招集された人です。それは神がどのようなお方であるかを世界に示すために、神ご自身が地上を歩かれたとき以来最大のデモンストレーションになるでしょう。キリストのからだはそのために今整えられているのであり、レイクランド・アウトポアリングはその道を備え始めたのです。

それと共に、私はトッドの問題を知ったときにあまり驚きませんでした。彼のような性格と神からの召命を持つ人間は、偉大な勝利、前進を勝ち得るとともに、大きな失敗をも犯しやすいのです。使徒ペテロがそのよい例です。聖書の中で最も偉大な賛辞の一つを受けた直後に、神の御子ご自身が、ペテロを「サタン」(マルコ8:33)と呼びました。ペテロははじめ天から直接聞いたのですが、次の瞬間には地獄から聞いてしまいました。また、主を否むという私たちの出来る最悪のことの一つをしたすぐあとで、ペテロは赦しと回復を得て、ペンテコステの日のリバイバルのリーダーになりました。このことをよく考えてみてください。

このところ、この問題で毎日数時間を費やしておりますが、いまだにその真相やファクターについて、また解決するためには何が必要かを学ばされています。今回起こったことには多くの深くて重要な問題点が含まれています。妥協をほとんどしない人たちでも、より正確な情報を得たときに意見を完全に変えた人々の例も私は見てきました。もう少し進展すれば、すべてをはっきりさせるチャンスがあり、それによって多くの人が解放され癒されると思います。時として身体の癒しの方が魂と霊の癒しよりも容易であることがありますが、私たちはすべての面での完全な癒しが必要です。

私たちが絶対にしてはいけないことは恵みを制限し、出し惜しみ
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26 09月

神の友 キム・クレメント 2008年9月21日


神の友

キム・クレメント 



最近我が家でバイブルスタディーを開いたのですが、そこには私の子供たちと様々な年代の人たちが集まりました。そこでいくつかの興味深いポイントが話されましたので、皆さんにもお分かちしようと思います。

どうして神は男と女を創造されたのか?

神が地からちりで人を創り息を吹き入れた理由は多くありますが、その中でも一番興味深い(魅力的な)理由は、そしてそれが人間的にもっとも受け入れ難いことなのですが、友情です。
神と私たちの間で友情が可能だなどと、どうして信じられるでしょうか? 友とは何なのでしょうか? 友情にはどんな要素が必要なのでしょうか? (この質問に対するみんなの答えは、沢山のことを私に示唆してくれました。)

友情の要素

楽しみ:友達は一緒に楽しむ
秘密:友達はお互いに秘密を打ち明け合う
興味:友達は同じ興味を持つ
話をする:近くにいても遠くにいても友達はお互いに連絡し合い話し合う

友達はお互いのために何をするか?

お互いに忠実である
お互いに忍耐強い
お互いに赦し合う 欠点をかばいあう
お互いに正直である 「ただの友達はあなたにいつも賛成する、真の友は討論する」
お互いに同等である 「愛は友情と違う。愛は反対のことや極端なことを要求する。友情は同等性を要求する。」

さて、これを私たちと神との関係に当てはめてみましょう。箴言16:28には「陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。」とあります。(創世記1:26-28も読んでください)

人を創られたとき、神は毎日園を歩き彼らに友として話しかけるのを常としておられました。そのときひそひそと陰口とたたくものが、神と人との友情を裂くために園にやってきました。
創世記3:1「さて、神である主が造られたあらゆる野の獣のうちで、蛇が一番狡猾であった。蛇は女に言った。『あなたがたは、園のどんな木からも食べてはならない。』と神は、ほんとうに言われたのですか。」
蛇に対する女の返答は正しいものでした。つまり彼女は神の言われたことを正確に知っていたのです。次に蛇は、いろいろな疑いを抱かせるような言葉を使いました。悪魔という言葉はdiabloですが、これは文字通り「分裂させるために話す、分裂を起こさせるためにささやく」という意味です。

サタンの唯一の目的は、自分のすべての息を、分裂や疑いを起こさせ、団結や契約を破るために使うことです。蛇が創世記3:4で「あなたがたは決して死にません。」と言ったとき、彼は神の言われたことを曲げ、神が二人をだまし、損をさせたのだとほのめかしたのです。
彼らがうそに乗ってしまった時点で、彼らと神との友情は破れました。というのは、もはや「神と、霊と霊で話が出来る」という同等の立場でなくなったと彼らが感じたからです。神が彼らと話すために園に来られたとき、何が起こりましたか?

アダムはあわてて身を隠しました。友情は破れて、それ以来、人は神を恐ろしい、よく理解できない、悪意を持って腹を立てているモンスターとして見るようになってしまったのです。これは真実ではありませんが、彼らは神をそのように見たのです。そしてもっと悪いことには、彼らの裸はもはや自然美ではなくなり、恥になってしまったのです。

驚くべきことに、それでも神は友とされる者を幾人か探しだされました。彼らの話を読むと、そこにはすばらしいパターンがあり、神が人を友として話されることを望んでおられることを証明することができます。
アブラハムは神によって「わたしの永遠の友、アブラハム」と呼ばれました。出エジプト記32:7-14には、神がイスラエル人を滅ぼそうとしたときにモーセが論争をしたことが書かれています。神は実際モーセに「わたしの邪魔をするな」といわれ、神がイスラエル人を滅ぼすままにさせよ、と言われたのです。そのときモーセは、まことの友がするような行動を取ったことを見てください。モーセは神に、もし民を滅ぼせばエジプトから民を連れ出したのは、山地で殺すためだとエジプト人が言って神の評判が落ちると言ったのです。
もしあなたが普通しないことをして評判を落としそうになったときに、あなたの友はどうするでしょうか?

友であるならば、あなたの前に立ちはだかってあなたの行動の結末を警告して、腹を立てているあなたを止めようとするでしょう。友とはそういうものであり、モーセは神に対してそういう者、即ち、友だったのです。聖書によると、神はイスラエル人のした悪に対して気持ちを和らげました。即ち、もっと寛大になり同情的で赦す気持ちになったのです。モーセは神の友として、文字通り神がもっと寛大になり同情をしめし、気を静めるようにしたのです。

次にイエスが友情について何と言われたかを見てみましょう。 ルカ12:1-4で、イエスは数え切れないほどの群集に囲まれました。あまりにも大勢の人で、互いに踏みつけあうほどでした。イエスは群集に話すかわりに、まず弟子たちに話しました。4節で、イエスは弟子たちを「わたしの友」と呼ばれ、群集には話さないことを彼らには話されました。ですから、イエスが主の主であり神の一人子であるにもかかわらず、弟子たちとイエスは友人関係にあったことが明らかです。

ヨハネ15:15「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。・・・わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」
神が私たちを創造されたのは、沢山の理由がありますが、友とされるためであったということを証明する上で、私はこの聖書箇所が非常に好きです。聖書の中で友という言葉が意味するところを理解するならば、現代の友人関係(ほとんど見られなくなっていますが)の概念とは随分違うことがわかるでしょう。私たちは簡単に「この人は私のベスト・フレンドです。」といって人を紹介しますが、実際には他の多くの人をベスト・フレンドと呼んでいるのです。

聖書の基準において「友とは何か」を私たちは本当に知っているでしょうか。神にとってダビデは目の中の瞳のように大切な者と呼ばれました。アブラハムは永遠に神の友であると呼ばれました。「友 friend」という言葉は二つに分かれます。Phileosという言葉ですが、これはPhiとlogosから成り、話しかける相手ということです。神は話しかける相手を持つためにあなたを創造されたのです。とてもうれしい気持ちになるではありませんか。

イエスはご
21 09月

新しい使徒的組織が2012年までに立てられる  ボブ&バニー・ジョーンズ 9月21日


新しい使徒的組織が2012年までに立てられる

ボブ&バニー・ジョーンズ、ジェフ・ジョンソン


最近、私たちは地上に神の大いなる力が現れるのを見ました。病人が癒され、家族が回復され、テレビから語られた言葉を通して死人がよみがえりました。また、あらゆる創造的奇跡も見ました。盲人が見えるようになり、聾者が聞こえるようになり、癌が消えました。

神の栄光がすさまじい勢いで顕されるので、神の息子、娘たちは急速に霊的成長を遂げています。しかし、これらの御国の力ある業は「来るべきものの予告編」にしかすぎないのです!

バニー・ジョーンズの夢

最近の夢の中で、バニー(ボブ・ジョーンズの妻)は主の訪れを受けました。夢の中で主がバニーのもとに来られ、彼女を旅に連れて行きました。最初に行った場所は、人の身体の部分や内臓がいっぱい入っている巨大な倉庫でした。主はバニーに右手(信仰をあらわす)を倉庫の中に伸ばして、そこにある様々な臓器や手や足をさわるようにさせました。彼女は神への信仰(faith in God)ではなく、神の信仰(faith of God)を持つように主が教えておられることを感じました。

主は更にバニーを次ぎの場所に連れていきました。それは橋でしたが、それから鉄道の線路上に立ちました。橋と線路は十字に交差していて、「義と公正」を表していました。
次に22番街に行きました。主はイザヤ22:22「わたしはまた、ダビデの家のかぎを彼の肩に置く。彼が開くと、閉じる者はなく、彼が閉じると、開く者はない。」にあるダビデの鍵をバニーに渡しました。彼女が目を上げて見ると、遠くにスペリオル湖(Lake  Superior 五大湖の一つ)が見えました。主は最近私たちが経験したことよりもずっと優れたこと(far superior)をされようとしているのでした。

次にバニーは一枚の地図を手にしていました。それには「9番街で右に曲がれ」という指示がありました。彼らが9番街で右に曲がったときに、夢は終わりました。
バニーはオハイオ出身なので、夢から覚めたときエリー湖は知っていましたが、他の五大湖の場所は知りませんでした。そこでアトラス地図を調べて自分が夢の中でスペリオル湖を遠くに見たときの位置を見つけました。それはウィスコンシン州の北のはずれにあるコーノコピア(Cornucopia)という小さな村でした。コーノコピアは「神の祝福、開かれた門」を意味しています。スペリオル湖から真っ直ぐ見ると22のアポストル諸島(Apostle Islands)があります。興味深いことに新約聖書に記録されている使徒の数も22です。

真の使徒たちの出現

バニーが夢の中で主と出会い、見た内容は、主がされていることの比喩です。今のシーズン、主は真の使徒職を地上に回復しておられるのです。使徒の組織が現れ確立されるとき、主は新しい鍵をくださいます。それは、今までのどの世代にも無かったほどの御国の権威を持つ新しい統治の鍵です。

主がこの新しい統治組織を堅く設立され確かなものとされるとき、創造的奇跡、しるし、不思議が今までにはなかったように起こります。私たちが今までに見たり聞いたりしたものとは全く違うものです。地上に変動や揺さぶりが起こりますが、それは霊的に起こっていることをー肉のものが霊のものを宣言することによってー確認するものです。

これから主がされようとしていることは、今までよりずっと優れたことです。創造的奇跡、腕、足、身体の部分、そして臓器などが天から下ってきます。それは弱まることも終わることもありません! 天に資源があり、天の倉は開いているのです。キリストの身体に身体の部分が与えられますが、これを監督する管理組織が必要です。それは一人のリーダーとか一部のリーダーたちではなく、教会全体の組織(チャーチ・ガバメント)であり、一致して機能するキリストの身体です。これが起こることそのものが奇跡です。

2012年までに新たな使徒の組織が出来る

過去30年の間に預言の働きが回復され、教会に真の預言者が与えられるのを私たちは見てきました。そして今度は使徒的な働きが回復され、真の使徒が起こされようとしています。預言者は主からの啓示をもたらし、使徒がそれを実際に適応するのです。
これらの新しい使徒たちはジョシュアのような男女でしょう。彼らは残りの者たちを約束の地に連れていくのです。彼らは人からではなく、神から直接任命されます。実際に、彼らの多くは私たちが「使徒(的)」と呼ぶ人たちとは全く異なるでしょう。この新しい種類の使徒たちは、自分の評判を落とすとか、新聞がどう言っているかとかを全く恐れず、真実のニュースを語ります。この世的新聞が教会を裁くのではなく、その反対になるでしょう。

あなたは神の油注ぎや栄光を迫害してはならないのです。もし迫害すればあなたはそれを手に入れられないでしょう。これらの新しい使徒たちは世界の国々に語りかけ、霊的にそして目に見えるところでシフトを起こすでしょう。リバイバルが起こり、主が新しい統治制度を確立されるので新しい地域が変革されていくでしょう。これは人間ではなく神がされることなのです!

2012年までに全く新しい使徒の組織が現れるでしょう。そのとき、教会が一つになり、神の御霊の住まいに成長していくのを見るでしょう。「この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:21-22)

大統領選挙とユニオン(団結)という名に天使

今選挙のために祈ることは非常に重要です。変革の風が吹いています。神を愛する副大統領候補のために祈らねばなりません。9月は差異が生じる月です。9月からすべて始まるのです。ユダヤ暦の新年であるロシャ・ハシャナは9月29日の夜から始まります。
現在、神は大収穫のために収獲する者たちを刈り取られています。2012年までには、真の使徒組織が出来上がっているでしょう。それからは他の人たちがその組織の下についてきて、それぞれが命令にしたがって行動するでしょう。

今私たちは史上最大の変革の一つが起こりつつあろ時代の只中にいるのです。もし教会が権威をもって進み、神の義なる人々が選出されるならば、これからの8年間は喜びに満ちたものとなるでしょう。
中絶を合法化した「ローとウエイド裁判」が覆されるでしょう。今はアメリカ合衆国を呪うのではなく祝福するときです。ボブ・ジョーンズは
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