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Walk With God Ministries

09 02月

2006年は植え、剪定し築き上げる年 ヘクタートレス 2月9日


2006年は植え、剪定し、築き上げる年

ヘクター・トレス

私は2006年のミニストリーの指針を主に尋ねました。2006年は物事が始まる年になると、主が言われていると私は信じます。2005年は主の御業の証、恵み、安息の時でしたが、それはすでに終わりを告げました。我々は今、新たな時に入ろうとしています。今まで敵は、教会が神の御国を完全に実現することを妨害しようとして、多くのものを教会から阻んできましたが、今は教会がそれらのものを敵から奪回するときです。

今まで教会は、自分たちが主の祝福をいただきたいと願って来ましたが、これからはもう一段成長して、教会が国家を祝福する器になるのです。教会が本来あるべき姿、即ち、回復と和解の務めをしていくものとして立ち上がります。地上に神の御国を築くために必要な多くの事がどんどんと起こってきます。それは家族や市町村、国家が変革されることであり、そのためには先ず教会自体が厳しい剪定を受けることによって始まります。

このような理由から、2006年は種まきと建て上げのために重要な鍵となる年となるでしょう。失われた魂を救い、サタンの業を破壊し、収穫が何倍にも増し加えられて、教会がこの世で主権を握るようになるという、主の大宣教命令をまさに実行していく年となるでしょう。

建て上げはどのように行われるか

使徒的預言的なものが正しく理解されて活性化されるでしょう。過去15-20年の間に啓示により明らかにされて来た神の教会に対する真の目的を理解する指導者たちが、今、神によって起こされています。これらの指導者たちは、神の権威と力の栄光ある顕れをもって、教会を活性化するでしょう。使徒的預言的教会が起こされ、そのリーダーの多くは神からの油注ぎを豊かに受けて、彼らの正しい生き方が周りの人に明らかになっていくでしょう。

町の合同の教会、国家の教会が建てられるようになるでしょう。それは、大教会(メガ・チャーチ)が自分の教会が大きくなるという目標を捨て、神の御国の拡大に力を入れるようになるからです。町や地域、国家のトランスフォーメーションへのヴィジョンが、今まで教会の力を奪って来た教派の壁を取り除き、そのような障害を乗り越えて行くでしょう。 これら多くの教会は、聖書に書かれているキリストの身体の真の一致という目標に向かって、今までにはなかった動きを始めるでしょう。

大収穫のために必要な資金を生み出す種(シード・マネー)となるように、神はこれらの教会やリーダー、牧師に今までになかったような経済的祝福を与え始めるでしょう。ある者たちはミニストリーや他の人のヴィジョンに投資ができるように経済的に繁栄するでしょう。また、他の人たちは、キリストの身体が一致して神の御国を建て上げるために適した人材や、技術的資源を提供するための豊かな祝福を受けるでしょう。我々は御国のヴィジョンを持つ他の人たちのために、またその人たちと共に働くために、神が既に与えてくださっている様々な資源の器を用いる準備をしなければなりません。


 人々(教会・企業・団体等)の間で同盟や提携が結ばれ、それが大いに用いられるでしょう。霊的な提携が結ばれますが、それは自分のためとか肉的、自己中心的な動機からではなく、又、自分が祝福を受けたり、何か得をすることを求めるのでもなく、ただ町や国が祝福されることだけを求めるものです。そうすることが神の訪れを招き入れます。「神の定められたカイロスの時」が解き放たれるからです。それに加えて、これらの連携はお互いが責任を持ち合う信頼関係を生み、又一人ひとりの道徳感とか誠実さがあらわれ、それを見ている未信者にクリスチャンに対する信頼感を回復させます。

孤立や分派が明るみに出されます。聖書で教えているへりくだりの欠如やプライドが、ミニストリーのあらゆる面で顕わにされるからです。 他のクリスチャンと相互の関係を持たずに働こうとする者の多くは、しだいに恵みと油注ぎを失い、呪われたイチジクの木のように、実をならすことができなくなるでしょう。 このような剪定により多くの者が、お互いに責任を持ち合って生き、活動し、ミニストリーをしなければならないという理解を持つようになるでしょう。

教会はワーシップの祭壇を築き始める必要がある


 教会が貧しい者や不当な扱いを受けた者、囚人、未亡人、そして孤児等の必要を満たすことに焦点を当てるようになるので、魂の収穫のために社会福祉的な伝道活動の新たな広がりが起こってくるでしょう。

 預言者の働きにおいても剪定が始まるでしょう。神は預言者の世代をおこし、彼らを建て上げ、訓練し、備えをされます。彼らは教会を慰め、建て上げ、育てるために送りだされます。預言者たちはそれにふさわしい油注ぎを受け、今という時をわきまえ、主から召された者として教会の中で自分たちの正当な地位を見出すでしょう。聖書と一致しない預言をしたり、自分の思いで預言をする者たちは、矯正されるか、又は、預言者の仕事から除かれます。

教会はワーシップの祭壇を築き始める必要があります。これは新しい次元での預言的ワーシップや、霊的戦いのワーシップであり、聖霊によって導かれるものです。生ける神が臨在される至聖所にまで歌声と楽器の音が溶けて流れこんでいくようなワーシップです。
現在、楽器奏者と賛美者たちが神によって整えられていますが、その多くの者は全く予想もしなかったようなところから出現します。そして今までなかったような油注ぎを受け、シャカイナ(神の栄光)を地上にもたらし、天を開き、町や地方や国を今まで支配してきた地域の要塞を引き倒す霊的戦いの権威を解き放ちます。徹夜のワーシップやワーシップ礼拝、ワーシップ集会によって、預言者ダニエルのときのように、天の軍勢が解き放たれ、空中のこの世の力、権力と戦うのです。

政治と事業との提携がおこってくる

政治と事業の提携が起こってきます。新しい世代の政治家、事業家、技術専門家が結束し始め、戦略を練り、神の御国建設のために一緒に働くようになります。多くの教会は、町や地域、国の政治や経済によい影響を与えるためには、自分たちが(積極的に)そこにかかわっていく必要があることを理解するようになります。

社会で影響力を持ち、発言力をもつために、積極的にいろいろな分野にかかわり仕事をしていきたい、という願いが急増します。彼らはこの世的な成功を 追及する流れ(マモンやエジプトの霊)に入っていきますが、それによって毒されることはないように気をつける必要があります。神はこのような人たちの中から、ダニエルやヨセフ、ネヘミヤ、エステルのような人たち…即ち、忠実で謙虚、道徳的で誠実であると証明された人…を抜擢されます。

主はこういわれます。
「わたしはわたしの教会をしみもしわもないものとして整えている。わたしの裁きは教会の中からはじまる。その教会が完成したときに、わたしはそれを見て喜ぶであろう。わたしはわたしの教会を建てている。多くのものは一生懸命働いてはいるが、わたしの王国を建てるというのが彼らのヴィジョンやゴール、願いではないので、彼らの労力はすべて無駄になる。今は建て上げ、改善し、回復し、創立するときである。わたしの願いは、わたしの栄光がわたしの教会を通してこの世に現されるのを見ることだ。
産みの苦しみ、揺り動かし、内乱、戦争のうわさが現在ある。今年、多くの国で激しい暴動がおこる。それはわたしの御国が激しく攻められているからだ。ラテン・アメリカでは、わたしの収穫は大いなるものとなるが、敵の抵抗も激しいであろう。いくつかの国では、多くの血が流されるであろう。また他の国々では和解とシャローム(平和)が起こるであろう。」 (終わり)


(訳者注)ヘクター・トーレス師は、ピ-ター・ワグナー師の主催する   Apostolic Council of Prophetic Elders (ACPE)に選ばれている会員の一人で、今年も恒例の新年への預言を語り合う円会議に出席した預言者の一人です。


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08 02月

シュワちゃんのこと      坂 柚実子     2月8日


シュワちゃん

もと映画俳優で今はカリフォルニア州の知事であるアーノルド・シュワツネイガー氏のことを日本ではシュワちゃんというらしいですね。そのシュワちゃんに関する逸話をご紹介します。トランスフォーメーション・ハワイに携わっているモアナルア・ガーデンズ・ミッショナリー教会のコンチネン牧師が、先日のエド・シルボソ師の集会のときに話してくださったものです。

「最近、うちの教会のメンバーの娘がカリフォルニア州のサンディエゴで結婚することになりました。両親はハワイのトランスフォーメーションのビデオを沢山もってでかけました。

結婚式が終わってから、彼らは娘に、知事のいるサクラメントまでの飛行機代を出すから、知事にこのビデオを渡してきてほしいと告げました。娘は『とんでもない、シュワちゃんが私なんかに会ってくれるはずはないでしょ!』と答えました。するとお父さんが、『ハニー(愛する娘よ)、誰がこの結婚式代を払ったんだっけ?』というので、娘は『分かったわ、行ってくる。』と仕方なく引き受けました。

数日後、両親はハワイにもどっていましたが、娘さんから電話がありました。『今、知事のオフィスに来たんだけど、中に入れるかどうかもわからない。もう帰ろうと思うんだけど。』という娘に、母親は『とにかく中へ入りなさい。』と励ましました。

又、すぐに電話がありました。『アポイントメントは取れたけど、シュワちゃんの時間があくまで、待ってなくちゃいけないのよ。何時間後になるか分からないし、そのときに会ってくれるかどうかの保証もないの。やっぱりもう帰ろうと思う。』という娘に、母親は『ハニー、あなたの大学の費用は誰が出したか覚えてる?』といいました。娘は『分かったわ、待ってみるわ。』と承諾しました。

しばらくして、また、娘から電話がありました。『私、今、知事と一緒にいます。彼がビデオを今一緒に見てくれて、お母さんと話したいといっているの。電話、彼にかわるからね。』という娘の声に、お母さんは冗談かと思いましたが、電話の向こうに確かにシュワツネイガー氏がいたのです。『ハワイのトランスフォーメーションのビデオを見て、とても興味を持ちました。もっといろいろと知りたいと思うので教えてください。』と彼は言ったのです。なんと神様のされることはすばらしいのでしょう。」

ハワイのトランスフォーメーションは学校から始まっていて、その一つの表れはティーン・エイジャーの妊娠が減っていることだそうです。カリフォルニアでもハワイのトランスフォーメーションがモデルになることをハワイの人たちは祈っています。(終わり)


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04 02月

神の子孫   ボブ・ジョーンズ  2月4日


神の子孫(種)

  ボブ・ジョーンズ(代筆ポール・キース・デイビス)


 神の民は残りの者という子孫(種)です。今主は神の民の残りの者を再び蒔く準備をしておられます。多くのクリスチャンは今まさに自分に死ぬ時を迎えています。神の種は産みの苦しみや涙と共に蒔かれるのです。時が遅れている主な理由は、主のタイミングを待っているということです。神はご自分の計画を遂行するために、すべての物事が起こる時間を合わせているのです。

今まで何年もの間、主は、この時のために多くの人を調え、彼らに力を与えて準備をされてきました。我々は今神のご計画の青写真の中に描かれた岐路に立っていて、偉大な変化が水平線上に現れようとするのを見ているのです。

これまでの過程は長く厳しいものでしたが、神は困難なときには我々に新しい命を与えてくださり、主を求め続けるようにと励ましてくださいました。主の民に喜びをもたらすためにトロント・ブレッシングを与えてくださいました。悔い改めを強調し教えるためにブラウンズビルを与えてくださいました。 他にもいくつかのことを用いて主の恵みを教会に示し、我々をここまで導き助けてくださいました。
今、収穫の主が立ち上がられました。大収穫に参加するようにすべての人が召されています。魂と主の約束の収穫は祈りによって始められます。ヨブ記22:30にあるように、あなたのとりなしによって罪ある者さえも主は救ってくださるのです。とりなしと我々の手のきよいことによって、罪ある者も救われるのです。

我々は祈るとき、先ず自分の家族のための祈りからはじめるべきです。 自分の家族や、教会という家族の中で和解する機会への扉を我々は与えられているのです。分裂や不調和を取り除く恵みが与えられています。この恵みの実は、キリストの身体「教会」のなかですでに顕著になってきています。
罪ある人のために、きよい手を持たない人のために、主の救いをまだ受け取っていない人のために、又、あなたに最悪な助言をした人のために祈りなさい。 ヨブがしたのは、まさにそのことでした。

ヨブ記42:7-8、10 42:7 「さて、主がこれらのことばをヨブに語られて後、主はテマン人エリファズに仰せられた。「わたしの怒りはあなたとあなたのふたりの友に向かって燃える。それは、あなたがたがわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったからだ。 今、あなたがたは雄牛七頭、雄羊七頭を取って、わたしのしもべヨブのところに行き、あなたがたのために全焼のいけにえをささげよ。わたしのしもべヨブはあなたがたのために祈ろう。わたしは彼を受け入れるので、わたしはあなたがたの恥辱となることはしない。あなたがたはわたしについて真実を語らず、わたしのしもべヨブのようではなかったが。」…… ヨブがその友人たちのために祈ったとき、主はヨブを元どおりにし、さらに主はヨブの所有物をすべて二倍に増された。」

友人たちの愚かさにもかかわらず、ヨブの義なる祈りは、彼らをとりなし、助けたのです。今は又、神の民の繁栄も回復されるときです。ヨブが友人のためにとりなしたとき、神はヨブを救い、彼の財産を2倍にして回復しました。我々は今、2倍のものを受けるとき(シーズン)に入ろうとしています。

主の目はいま地上を見渡して、破れ口に立つべき義しい者を探しておられます。主は問われます。「わたしが来たとき誰もいないのか? わたしが呼んだとき誰も答えるものはいないのか? 誰かわたしの声を聞くものはいないのか? わたしの手が短くて贖うことができないのか? わたしには救い出す力がないのだろうか? わたしが誰なのかおまえたちは知らないのか?」 主のこの呼びかけを聞いて応答する者が「残りのもの」として地上にいることでしょう。イザヤ50:2で主はこのように問われています。

イザヤ50:2 「 なぜ、わたしが来たとき、だれもおらず、わたしが呼んだのに、だれも答えなかったのか。わたしの手が短くて贖うことができないのか。わたしには救い出す力がないと言うのか。見よ。わたしは、しかって海を干上がらせ、多くの川を荒野とする。その魚は水がなくて臭くなり、渇きのために死に絶える。」

主は物事をすばやく変えることが出来ます。主はご自分の民に言葉を与えられ、疲れ果てた者を支えるようにされます。主は今、聖徒たちを朝毎に起こされ、ちょうど12弟子にされたように、霊の目を開いて見えるようにし、霊の耳を開いて主からの指令が聞こえるようにされているのです。
教会の中の多くのものにとって、剪定とさばきのシーズンは終わろうとしています。そして剪定とさばきのシーズンがこの世で始まろうとしています。主の願いは我々の光が明るく輝くことです。というのは、大いなる暗闇が人々を覆うとき、多くの者が私たちの光に向かってやってくるようになるからです。今こそ勝利を得る者たちが大いなる主の栄光を身にまとって立ち上がるときなのです。

これはまさしくダニエルが書き記した預言が成就するシーズンなのです。
ダニエル12:3 「思慮深い人々は大空の輝きのように輝き、多くの者を義とした者は、世々限りなく、星のようになる。」

今こそ神のご計画が成就するときであり、大収穫のときです。主は、現代の若者も、又、老成した者も、ご自分のものであると言われます。ヨシュアとカレブのように。傷ついた者や迫害された者が「三日目」に収穫されるときに、主はご自分でつくられた裂け目を癒されます。主の御心は力強くなし遂げられ、大収穫が起こります。

ホセア6:1-3 「「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」
イザヤ30:26 「主がその民の傷を包み、その打たれた傷をいやされる日に、月の光は日の光のようになり、日の光は七倍になって、七つの日の光のようになる。」

地上での艱難は甚だしく増大するでしょう。そのとき、黙示録に記されている真理がますます明瞭になってきます。これらの奥義に関する偉大な理解力が教会に与えられます。
黙示録は主の花 嫁に宛てられたラブ・レターで、花嫁が主と結ばれるために調えられるようにと書かれたものです。主が今のシーズンに関して語られていることを、耳のあるものは聞くようにと、主は呼びかけておられます。今は何事も憶測でするときでありません。聖霊によって導かれる者は主の守りと恵みのうちに安息することができます。

主はすでに敵に勝利され、敵を公衆の面前でさらしものにしました。我々はその事実をもっと完全に理解して、私たち自身がそれをあてはめ現実のものとすることが大切です。我々が主と結ばれるとき、主は主の勝利を現実にあらわすことを我々に委ねられるのです。

今の最大の召しの一つは、我々が主のしもべではなく、主の友と呼ばれることです。我々は勝利と権威の王座に永遠に座しておられる方を友として持っているのですから、我々の信仰を完全に働かすためには、この事実をしっかり把握せねばなりません。王座のある部屋から指令を出すことは、神の御言葉の中で約束されているのですから、本当に現実となりえるのです。主は「ここに上れ。」と言っておられるのですから。

主は教会に対して、今の時がどのような時であるかを認識しなさい、と呼びかけておられます。今というシーズンを知り、このシーズンのキリストの思いを知りなさいと言っておられます。それを我々から隠すことは主の願いではありません。救われていない人たちのうえに神が祝福と知恵を注いでおられることを彼らが見ることができるように、我々が主のみ思いをはっきり理解するようにと願っておられます。過去10年間の訓練はこのことのためでした。我々の過去の苦しみは将来のための準備だったのです。

理由が分からないままで砕かれることは、絶望へと人を追いやりますが、砕かれる理由を理解するならば、それは我々に望みをもたらします。主の霊は我々を砕き、罪の性質や肉的な計画を根絶し、主の御性質と主の戦略を注ぎこんで下さっています。主の最終目標は、父なる神の御性質を我々に表し、我々を神の成熟した息子、娘にすることです。

我々は今まで沢山の失敗を重ねてきただけのように見えますが、実際には、それらの年月は我々の内にへりくだりを養って来たのです。 終末にあたって我々に要求されている仕事(命令)は、肉的な働きや我々の力では達成不可能なのです。それは人の力や工夫によってなされるのではなく、主の霊によってのみ達成されるのです。我々がなすべきことは、主の霊にすべてを明け渡して、主に協力する方法を学ぶことです。

主がヤコブにされたと同じように、我々は自分の力に頼る傲慢を砕かれ、性質が変えられたのです。このように勝利したものには、黙示録2:17にあるように新しい名前があたえられます。

すべての雷や稲妻、地震、火山の噴火、ハリケーンの中で、主は主導権をとられます。これらは、今我々が生きている時代を照らしだす道標であり、今が予断を許さない重大なときであり、我々がいかに主イエスを必要としているかを知らせるものなのです。 (終わり)


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31 01月

色々ある        坂 柚実子     1月31日


色々ある

ハワイに住むようになって、毎朝のようにパパイヤを食べています。オレゴンから遊びに来た人と一緒にスーパーに買い物に行きましたが、食料はほとんど全部といっていいほど、オレゴンよりハワイのほうが高いです。ハワイのほうが安いものは、というとパパイヤとマンゴ、パイナップルくらいのものでした。
安いパパイヤですが、朝食に食べていると、やっぱりリッチな気分です。半分に切って中の黒い種を出すのですが、私は内心いつもその種の多さに驚嘆するのです。マンゴの種は大きいのが一つだけなのに、パパイヤの種はなんでこんなに沢山に神様はしたんだろう、と思うのです。マンゴとパパイヤの木は生育形態が全く違いますから、きっとパパイヤは沢山種を作っておかなければならない理由があるのだと思います。ちなみにパイナップルはどうやって育てるかご存知でしょうか。パイナップルの実の上の葉の部分を土に植えると新しいパイナップルの苗になるのですよ。

うちの庭には、ピンクの花のジンジャーが植わっています。その花が終わりかけると花の中から新しい葉っぱが出てきて、それが新しい苗になります。私はそうやって殖やすのが楽しくて、今は庭に沢山ジンジャーの子供たちが育っています。同じジンジャーでもホワイト・ジンジャーは全く花の形も違い、匂いも違います。私の亡くなった母は台湾で子供時代をすごしたからでしょうか、家の庭にレーシ(苦瓜)やホワイト・ジンジャーを植えていましたので、私にとっては懐かしい花です。甘い清らかな匂いがします。黄色のジンジャーも又、花の形も匂いも違います。

私は何が言いたいか、というと、なんでも色々あるんだな、ということなのです。神様の創造はなんと多種、多様、多彩であることでしょう。それと反対に、人間が作るものはどうしても画一的になってしまいます。教会のことを考えるとき、神様はいろいろあっていいんだよ、と言っておられると思うのです。

グラハム・クック師がかかわっていたイギリスの一つの教会は、建物の中では集会をしない教会だそうです。それは大道芸人が集まった教会で、彼らは都会や田舎に出かけていって、集まった人に大道芸を見せながら、福音を語るのです。観衆に自分を縛りあげてもらって、縄から抜け出しながら自分が罪に縛られていたときにイエスによって救われた証を笑わせながらしていく、というようなことをするそうです。彼らは共に集まり、賛美し、御言葉を学び、祈りあい支えあっているから教会なのです。

これはちょっと突飛な例だとは思いますが、教えられる事があるではありませんか。人間的な考えではなく、神様から示されたように教会を建て上げていくとき、きっと一つ一つ、雪の結晶のようにユニークで美しい教会ができるのではないでしょうか。他と比べることもなく、競争する必要もない、それぞれはキリストの身体の一部として大切な働きをしていくように作られるのです。

私たちはハワイに来て初めの一年間はハワイで一番大きな(1万2千人)ニュー・ホープという教会に通っていました。主任牧師のコーディロ師は日本でも良く知られた方で、それはすばらしい説教者です。私たちはそこで大変恵まれましたが、私たちが遣わされるところではないことがわかりました。そして導かれてニュー・ライフ・チャーチのメンバーになったのですが、そこは120人の教会です。この大小2つの教会はそれぞれに神さまからの特別な使命をいただいており、活き活きと活動しています。又、ニュー・ライフで今まで賛美リーダーをしていた人が、今回「家の教会」を始めるということで、みんなから祝福されて教会を出て行くことになりました。オダ牧師が心から「家の教会」のコンセプトに賛成しておられ、彼の新しい出発を喜んでいるのが彼の言葉からよく分かりました。(そして神様は新しい賛美リーダーも備えてくださいました。)

メガ・チャーチも小さな教会も、又、家の教会も神様は祝福されます。大切なことは、それが主の教会であって、主の導きを求め、主に従っていくということではないでしょうか。(終わり)



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25 01月

暗黒と神の国の輝き(2)  リック・ジョイナー   1月25日


暗雲と神の国の輝き(2)
                        リック・ジョイナー(訳者:渡橋喜代佳)

産みの苦しみを理解する

 私たちは、分娩中の女性に陣痛が襲うように、霊的な陣痛が世界を襲っているのを見るようになる。出産が近づくにつれて母親の陣痛がひどくなり、その間隔も狭まるように、この世界を襲う苦難もますます激しさを増し、頻発するようになるだろう。嵐も激化し、地震も激化していく。病気もまた悪化するばかりだろう。そうした中で、神を知り神に近づいている人々は、キリストがこの地を支配される新しい時代が到来するための産みの苦しみをとおして、さらなる栄光を経験するのである。
 分娩中の女性は、動揺を避けるため、何か「焦点」となるものを見つけてそれに意識を集中させるように教えられるが、私たちもまた同様のことをしなければならない。私たちの焦点になるのは、主ご自身である。私たちの注意を、世界で起こっていることにだけではなく、主と主がなさっておられることにもしっかり向けていなければならない。
 ヘブル12章で言われているように、決して揺り動かされることのないものが残るために、すべての揺り動かされるものが揺り動かされる。揺り動かしが来るなら、何がこの世のもので、何が揺り動かされることのない神の国のものかが明らかになるだろう。前述したとおり、私たちは主のことばを聞いて主に従いながら、岩の上に自分の家を建てている。嵐や洪水はその建てたところまでやって来るかもしれない。しかし、私たちの家は倒れることなく、もちこたえるのである。けれども、もし、今私たちが詩篇32:6~11にあるこの警告に注意を払わなければ、異教徒よりも愚かな者となるだろう。

  それゆえ、聖徒は、みな、あなたに祈ります。
  あなたにお会いできる間に。
  まことに、大水の濁流も、彼の所に届きません。
  あなたは私の隠れ場。
  あなたは苦しみから私を守り、
  救いの歓声で、私を取り囲まれます。

  わたしは、あなたがたに悟りを与え、
  行くべき道を教えよう。
  わたしはあなたがたに目を留めて、
  助言を与えよう。
  あなたがたは、悟りのない馬や騾馬のようであってはならない。
  それらは、くつわや手綱の馬具で押さえなければ、
  あなたに近づかない。

  悪者には心の痛みが多い。
  しかし、主に信頼する者には、
  恵みが、その人を取り囲む。
  正しい者たち。主にあって、喜び、楽しめ。
  すべて心の直ぐな人たちよ。喜びの声をあげよ。


 この時代(世)の終わりは、何年か先というよりは、まだ何十年か先のことになるだろう。戦略と将来のビジョンをもって生きていくことが重要である。世界がばらばらに崩壊し始めるときに、もし私たちが主を知って主のみこころを行なっているなら、私たちは築き上げていることになる。けれども、揺り動かしが始まったり、嵐が来たりするまで、「岩」の上に自分たちの家を建てるのを待つ、ということのないようにしよう。今が建てる時である。洪水が来てからでは遅すぎるのだ。
 また、これらの苦難が来たときには、ダニエル11:31~35に記されていることを、私たちも決意しなければならない。

   彼の軍隊は立ち上がり、聖所ととりでを汚し、常供のささげ物を取り除き、
   荒らす忌むべきものを据える。
   彼は契約を犯す者たちを巧言をもって堕落させるが、自分の神を知る人たちは、
   堅く立って事を行なう。
   民の中の思慮深い人たちは、多くの人を悟らせる。彼らは、長い間、剣にかかり、
   火に焼かれ、とりことなり、かすめ奪われて倒れる。
   彼らが倒れるとき、彼らへの助けは少ないが、多くの人は、巧言を使って思慮
   深い人につく。
   思慮深い人のうちのある者は、終わりの時までに彼らを練り、清め、白
   くするために倒れるが、それは、定めの時がまだ来ないからである。
 

  私たちはここで、「荒らす忌むべきもの」が据えられているまさにそのとき、「自分の神を知る人たち」は、堅く立って事を行なう」ということがわかる。真の戦士たちのように、「自分の神を知る人たち」は、戦いの音を聞いて逃げたりはしない——それに向かって駆け込むのだ!主は、かつてこの地上に存在した中で最高の霊的戦いの戦士たちの世代を建て上げておられる。ダビデの心をもった何万もの人たち、エリヤよりもさらに力ある何万もの人たち、バプテスマのヨハネの説教の油注ぎを受けた何万もの人たちが出てくることだろう。彼らは困難から逃げることをせず、逆に困難に突き進んで行く。「自分の神を知る人たち」は、隠れていない。むしろ、私たちの時代の大いなる闇に大胆に立ち向かうようになる。そして、この闇は、終わりの時には、すべての時代を通じて最大の闇となっていくのである。
 倒れる者も出てくるし、死ぬ者も出てくるであろう。ヨルダン川を渡るという前号のメッセージでも触れているように、私たちが神のみこころだけを行なって前進している間、その周りで多くの人々が亡くなっていくのに慣れなければならないだろう。

 私たちには揺り動かされることのない神の国がある。その神の国の上に建てられたものと、今の邪悪な時代のシステムの上に建てられたものとの違いが、これから先、ますますはっきりしてくるだろう。「自分の神を知る人たち」は、神がすべての力と権威と主権の上におられる方だということを知っている。あらゆる状況下で、主にとどまっている人たちは主の権威を行使していくようになり、それによって地上のどんな状況も変えられていくだろう。

私たちには恐れ自体以外には恐れるものはない


 悪魔は、人々をコントロールするのに恐れを用いるが、主を知る人たちは、信仰によって生きる。悪魔は、恐れや恐怖を用いて、大勢の人々を奈落の底に追い集めようとしている。箴言4:18~19で与えられている約束と警告はこうだ。
  義人の道は、あけぼのの光のようだ。
  いよいよ輝きを増して真昼となる。
  悪者の道は暗やみのようだ。
  彼らは何につまずくかを知らない。


 義人の道を歩いている人たちは、その道でいよいよ光が輝いて明らかにされ、確信をもって歩けるようになる。ますますはっきり見えてくるからだ。この先何が起きてもけっして驚かないようにすること—–それが私たちのゴールとなるべきである。なぜなら、私たちは見えることを可能にして くれる光にとどまっているからだ。けれども、悪者の道を歩いている人たちは、目に見えないものにつまずくようになる。

ありそうにない提携

 ニュースメディアは、この時代の最強のテロリストだと言える。現在の世俗的なメディアは恐れと悲運を食い物にしており、どうしてもそこには欺きが入り込む。必ずしも意図しているわけではないのに、その性質上、そうならざるをえないのだ。たいした話題がない時は、どんなささいなことでもセンセーショナルに取り上げようとする。そうでなければ、だれもその新聞や雑誌を買わないし、番組を見ないからだ。
 たとえば、2、3年前のことになるが、他にビッグニュースがなかったために、サメによる被害がメディアの関心を集めたことがあった。それがあまりに誇張して取り上げられたため、恐れた何万という人々が海に行くのを控えてしまい、その年は多くのリゾート地に深刻な被害をもたらした。しかし、実際には、その年のサメによる被害はいつもの年よりも少なかったのである。海に行く途中の車の事故による死者の数の方が、サメや他の原因による溺死者の数をはるかに上回っていたのだが、そのことを言う者はだれもいなかった。もし本当に安全でいたかったら、車に乗ってはいけなかったということになる!
 同様に、わずか二回の祭日の週末で起こる車の事故で死亡するアメリカ人の数は、今までのイラク戦争における死者の数よりも多いのだ。実際、私は軍に入隊していた経験があり、どれだけの隊員が任務についていないときに車の事故で亡くなるのかを知っているので、これらの兵士たちが母国で車を運転している時よりイラクにいる方が安全であるかどうかを調べてみるのは、興味深い調査になるだろう。私はイラクの方が安全だと言っているわけではないが、たとえ危険だとしても、バグダッドをパトロールしている方が合衆国内でドライブしている時よりもはるかに危険だということはなさそうである。

 テロというのは人間がなしうる最も極悪非道な行為の一つであるため、最近このように注目されているのは、当然といえば当然だろう。とは言え、脅威ということに限れば、テロリストの手にかかるよりも、車でスーパーに買い物に行く途中の事故や雷に打たれて死亡する方が、はるかに確率として高い。間違った事を恐れてそれに多くの時間やエネルギーや資産を費やしてしまい、それよりもはるかに危険な事に対しては無防備な状態になるということが時々ある。
 メディアは、伝える内容やその伝え方によって、事実に基づいたものにもなり得るし、人を欺くものにもなり得る。伝える側は、自分たちはニュースを伝えるだけで、解説するわけではないと主張するかもしれないが、それは視聴者の知性を侮辱することであり、その言い訳はもはや通らなくなっている。半世紀前、ジャーナリストにはあらゆる職業人の中でも最大の敬意が払われていた。ところが、ニュースをすぐにセンセーショナルに取り上げようとする姿勢や、メディアの冷笑的な姿勢のために、ジャーナリズムに対する信頼が損なわれてしまった。今では、ジャーナリストというと、弁護士(法律家)や説教者よりも信頼できない者とみなされるまでになった!
 もちろん、弁護士も同様に評判を落としてきたし、最近ではクリスチャンのリーダーに対する信頼も損なわれている。この三者ともが信頼を損なったが、その原因はみな同じだ。すなわち、事実の歪曲、センセーショナルに取り上げようとする姿勢、誠実でない態度である。こうした態度はごくわずかな者にしか見られなかったのかもしれないが、その影響は全体に及ぶことになる。社会秩序に測り知れないダメージが加えられてきた。それは、まさにこの三者の信頼が損なわれたためであった。来たるべきものに備えて、この三者の誠実さと信頼とが回復されなければならない。
 この先、最高レベルの誠実さと信用を併せ持ったメディアが必要である。そのメディアは大災害の時にはきわめて重要であり、人々やそうした状況を救援するうえで通常大いに益となっている。もし、メディアがハリケーン・カタリーナの脅威についてあのように警告を与えていなければ、そして災害直後にもあのようなめざましい救助の働きをしていなければ、この嵐でさらにどれほど多くの犠牲者が出ていただろうか。こうした場合、ジャーナリストが多くの場合最大のヒーローとなる。

 弁護士も、これから先、秩序の維持や回復のためにきわめて重要な存在になるだろう。家族やビジネス、政治にかかわる問題を解決するにあたって、彼らの助けはきわめて重要なものとなってくる。

 また、誠実さと正確さが試されて信頼できる者とされた預言者も必要になってくる。事をセンセーショナルに取り上げたり、粉飾したり、利己的な目的のために自分が得た情報を用いたりせずに、はっきりと聞き、はっきりと見、はっきりと語る預言者が、私たちには絶対に必要である。真実こそがキリスト教にとって欠くことのできない最高のものであり、理由はどうであれ、真実を曲げるようなことがあってはならない。神の言葉のよき管理人として、忠実で、清廉潔白で、信頼できる人々が将来についての情報を扱うことになるだろう。彼らの預言は、これからの時代には今まで以上に非常に価値あるものとなるからである。

しっかり立っているものの上に立ちなさい

 私たちには揺り動かされることのない神の国がある。だれがその国の国民であるかは、ますますはっきりしてくるだろう。やがて、彼らは、将来に向かって大胆に確信をもって立っている唯一の人々ということになる。この時代に関しては、主イエスご自身の預言も明らかにしているが、私たちはいまだかつてこの世の中が経験したことのないような最大の苦難の時代を迎えようとしている。けれども、よいことは、もし、私たちが揺り動かされることのない神の国の上に人生を築いて来たのであれば、来たるべき苦難を生き残れるだけでなく、備えをしていなかった人々を助けるようになるのはもちろんのこと、敵に打ち勝ち、栄えるようになるのだ。実際、これが教会がヨルダン川を渡り、約束の地を所有し始める時なのである。

 現在のこの世のシステムは、揺り動かされ、崩壊していく。このしるしとして、地震や嵐といった自然災害がますます頻発するようになり、その規模や被害の記録を次々と塗り替えていくだろう。神を抜きにしてやっていけるという考えを捨てなかった人々も皆、それが不可能だということがわかってくる。「福音に従っている」人々は、自分たちを取り巻く世界が崩壊していく のと同時に、ますます自分たちが光り輝いて繁栄していくのを知るようになる。私たちはこのことを恥じてはならない。これもまたさばきの一部だからだ。けれども、私たちが繁栄するのは、私たちが贅沢に暮らすためではなく、絶望的な人々を助け、神の国が来るための道備えをするためなのである。

 ヨシュア3:16に、ヨルダン川の「上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツアレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち」と言われている。この箇所は、ヨルダン川の水は「アダムのところまでずっと後退して」とも訳すことができる。
この小さな町が「アダム」という名前であるのは、偶然でも何でもない。これは、神の民がヨルダン川を渡り始めるとき、私たちは神から相続するようにと約束されたすべてのものを所有し始め、死はアダムのところまで後退するという預言であったのだ!
 これは、アダムとエバが犯した最初の罪の結果としてもたらされた死のすべてがアダムまで逆戻りするという意味である。それこそが福音だが、実際に起こることは、私たちの理解をはるかに超えたすばらしいものとなるだろう。今がその時、今日が救いの日なのだ!今日この日、私たちは決して揺り動かされることのない神の国で生きることができ、必ず勝利するのである。今日この日に、いのちの木を選び取ろう。そうすれば、永遠に生きることになるのだから。

まとめ

 テロ行為さえもニュースの片隅に追いやってしまうような自然災害と災禍が来ようとしている。私たちはこれらのものを恐れる必要はないが、慎み深くして、それへの準備ができていなければならない。今は、自分たちの家族や教会、住んでいる町のために祈り始める時である。今は、霊的な支配権を行使して、天を閉ざすことによって地を閉ざしたり、天を開いて地上に解き放ったりする時である。

 クリスチャンが陥りうる最悪の状態はなまぬるさである。これから数年のうちに押し寄せて来る苦難の波によって、教会からなまぬるさが取り除かれるだろう。しかし、今なまぬるさを悔い改めるなら、その方がはるかにいいのだ。私たちの神は焼きつくす火であるから、真に神を知っていながら神と神の目的のために心が燃やされないでいるということはありえない。神のために燃やされていない人々は、恐るべきあざむき(惑わし)の中にいるのであって、この世の心遣いや心配といういばらにふさがれて実が結べなくなっているのだ。

 私たちに与えられているすばらしい約束の一つは、「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて,これらのものはすべて与えられます」(マタイ6:25~34参照)という約束である。もし、私たちがすべての決断において神の益を優先順位の第一にするなら、神も私たちの益を第一にしてくださる。神は、私たちが自分で自分の面倒をみるよりも、はるかによく私たちの面倒をみてくださるのだ。

 この時代に、主がこの地上に対してもっておられる最大の関心と目的は、ご自分の花嫁である教会を建て上げることである。教会は、今の時代のこの地上における神の国であり、神の国がこの地上に確立されるための器となる。もし私たちが神の益を第一にしているなら、よりよい仕事を得たからという理由でその仕事場の近くに引っ越すのではなく、そこに自分たちの所属すべき教会があるからという理由で家を引っ越すようになるだろう。繰り返すが、もし私たちが神の益を第一にするなら、私たちが自分で自分の面倒を見るよりも、はるかによく神が私たちの面倒をみてくださるのである。

 あの暗雲が迫って来ている夢は、私たちが神の家、すなわち神の教会にいることがどれほど重要なことかという、生死にかかわる決定的なメッセージを伝えていた。今この時点では、教会はまだ整えられておらず、多くの点で混乱状態にあるかもしれない。けれども、やがて立ち上がり、本来の召しである救いの要塞に変えられていくのだ。あなたはこの教会の一員となるように召されている。今、教会に逃げ込みなさい。洪水が来るまで待っていてはならない。主のみからだの中に自分の場所を見つけるのだ!(終わり)


 この原稿を訳していただいた渡橋喜代佳先生はリック・ジョイナー師の本「天国からのメッセージ」(マルコーシュ出版)を訳された方です。今回私たちのミニストリーにご協力いただいて心から感謝申し上げます。坂 達也


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