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Walk With God Ministries

04 04月

祈りの歩行とトランスフォーメーション  坂 達也   3月30日


祈りの歩行とトランスフォーメーション


1995年、日本にヘンリー・グルーバー師ご夫妻を最初にお連れしてから10年が経ちました。この間私たちは、師と共に毎年二回から三回各地の教会を訪れ[罪を赦す祈りの歩行]のミニストリーを日本全国で展開して参りました。
しかし正直なところ、一部の地区とか教会を除いて、その祈りの歩行の目立った永続的な成果というものが眼に見える形では現れないためでしょうか、一度は地域の歩行を実行し始めたものの、やがて祈りの歩行に興味を失ってしまった教会がほとんどであると言っても差し支えないと思います。グルーバー師と私は何度も落胆し、神様が私たちを日本に遣わされた目的は一体何だったのだろうかとお互いに問うたことも幾度かありました。
 しかし今やっと、私たちの日本における「祈りの歩行」の目的と意義が、主によってはっきりと示されたという思いが致します。それはトランスフォーメーションというムーブメントが世界的に起こり始めたからです。日本にも紹介されつつあり、多くの教会が今このムーブメントに対し真剣に興味を示し始めております。

世界的なトランスフォーメーションの推進者であるエド・シルボソ師は祈りの歩行の重要性を次のように強調します。
 「イエスのためにあなたの街(の救われていない魂)をどのようにリーチアウトするのか?」その答えは、先ずその町の霊的空気を変えねばなりません。そのために、街全体を――総ての通りから通り、町の区画のブロックごとに、隣近所から隣近所まで――くまなく街全体をカバーする祈りの覆いをかけるのです。それは1テモテ1:15-2:8にある命令を実行することであり、組織的に一貫して繰り返す祈りをするのです。歩きながら、主の平安を語りかけ(ルカ10:5)、聖書全体を声を出して読み、あるいは預言的行為として、街の門と思われる多くの所で祈る、又、総ての学校のキャンパスで祈りの歩行をすることです。」

師は「街の霊的空気を変える」ことはトランスフォーメーションが起こるための必須条件であると強調しています。

 又、著名な預言の指導者グラハム・クック師も街の霊的空気を変えることの重要性を強調しています。師は教会の管轄地域は少なくとも年4回、教会の会員によって祈りの歩行をすべきであると言い、要塞を砕くために、あるいは祝福を得るために、油を注いで場所を清めることを勧めております。霊的空気を変え、敵を払拭する効果的な方法は、出来るだけ多くのクリスチャンが集団で集中して祈ることであると言っています。

 祈りの歩行は、敵との霊的戦いにおいて最も有効かつ重要な攻撃の手段ですから、敵を完全に制覇するまでは、その攻撃の手を決して緩めず、執拗に繰り返し攻撃する必要があります。第二次大戦で日本が敗戦したのは、何よりも圧倒的なアメリカ軍の物量作戦によってであると言えます。末期において、日本の大都市は何度も何度も後を絶たないアメリカ空軍のマス空爆を受けて弱り果てました。
 私たちだけの経験からしても、日本で今まで一番足繁く訪れているのは沖縄です。この10年間にグルーバー師と私たちと併せれば、少なくとも年2回ずつ沖縄を訪れて参りました。特に最近の数年、グルーバー師は沖縄だけに年一回訪れ、集中して祈りの歩行をして来ました。そして、その結果が今はっきり現れつつあります。勿論私たちの働きだけの結果ではありませんが、沖縄の霊的空気がはっきり変わって来ているのです。(間もなくこの春のグルーバー師訪問による沖縄レポートをご報告します)

そこで、私たちは皆様の街にトランスフォーメーションをもたらすために、改めてもう一度[祈りの歩行]の重要性を見直していただきたいと思います。特に皆様の地域の霊的空気を変えるためには、出来るだけ多くの人で、出来るだけ頻繁に歩いて祈る、つまり歩行の「量」がものを言うとすれば、一つの教会が孤立してその地域を歩くだけではなく(頻度を高めれば効果は十分ありますが)、むしろ同じ地域で牧会する、出来るだけ多くの教会と手を取り合って団結して歩行することによって、より以上の効果を上げることが出来ると思います。
又、地域の教会が団結して祈りの歩行をすることによって、「地域の教会が一致する」と言うトランスフォーメーションへの必須条件も満たされることになります。

 
最近報告されましたが、最初にトランスフォーメーションが起こった都市であるコロンビアのカリでは、あれだけ大きなリバイバルが起こって街全体がトランスフォーメーションされたにもかかわらず、10年後の今はクリスチャン人口が僅か10%弱に落ち込み、トランスフォーメーションの町とは似ても似つかない街になってしまいました。この間、当時の中心的指導者であったジュリオ・ルイーバル師が暗殺されたのをはじめとし、10人以上の中心的リーダーが次々と死んで行ったそうです。
どうしてそうなったのでしょうか。その第一の理由として明らかなことは、その街の人たちが敵の反撃を許してしまっていたことに原因があると信じます。つまり、「高いところ」(Ⅱ歴代誌20:33)が取り去られていなかったからではないでしょうか。戦いにおいて、敵サタンの要塞を一つ一つ完全に取り除く重要性がここにあると思います。グルーバー師の祈りの歩行の特徴の一つはこれです。

 しかし、それに加えてもう一つ重要な要素があると思います。今まで世界中で起こったどのリバイバルを見ても、総て線香花火のように数年で消えて行きましたが、それはなぜでしょうか。私たちの最終目標は永続的トランスフォーメーション(神の王国)を確立することにあります。そのためには私たちクリスチャン自身が先ず抜本的に変わる、つまりトランスフォームされなければならないと思います。そうでなければコロンビアのカリの街と同じ轍を踏むことになるでしょう。
それでは、私たちがどのようにトランスフォームされなければならないのでしょうか。それは、私たちは忠実な王国の戦士ですから、王の命令を毎日はっきりと受け取り、総司令官である王と緊密なコミュニケーションがとれるようになることです。
私は最近つくづく感じさせられていることは、クリスチャンが毎日主との深い霊的な交わりを持つこと無くして、最終的な勝利を得ることは至難な業であると言うことです。主と個人的に親しい間柄にならなくて、どうして主の思い、主の御心(命令)が分かるでしょうか。
「キリストのからだ」=教会が完全に一致出来るのは、お互いからだの部分(器官)同志が一致協力 するからではなく、それぞれの器官が司令官である「頭」の心や思いと一つになり、忠実にその命令に従うからです。

イエス様は宣教を開始して以来、徹底して「御国」(キングダム、神の王国)のミニストリーを説かれ、それをご自身で実行されただけではなく、それを私たちクリスチャンが実行出来るように弟子訓練をされました。この御国のミニストリーとは、神が人間を用いて直接すべてを支配される「アダムへの命令」(創世記1:27,28)の回復・実行・成就以外の何物でもないと思います。

ところで、私たちは今ホノルルの小さな教会に所属し、トランスフォーメーション・ハワイ(発足して2年)と言う大きなビジョンと目標の元に、身近な私たちの地域である「チャイナタウン」(商いと悪の巣窟)にある他のクリスチャン団体と共に「祈りの歩行」を始めました。最終的には「チャイナタウン」に隣接するホノルルのダウンタウン(政治・経済、企業の中心地区)に歩行の足を進め、次にワイキキ地区、そして島全体に広げて行く計画です。(終わり)


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04 04月

ハワイの問題     坂 柚実子   4月4日


ハワイの問題

ハワイはよく「パラダイス」といわれていますが、勿論頭の痛い問題が沢山あります。私たちはまだこちらに来て日も浅く、よくはわかりませんが、今ニュースになっていることの一つは、ホームレスの問題です。

うちの子供がまだ小さいころ私たちは寒いオレゴンの冬をさけてハワイでクリスマス休暇を過ごしたことが何回かありました。子供たちはハワイが大好きになって、息子は「僕は大きくなったらハワイでビーチ・バムになりたい!」とまで言ったのです。ビーチ・バムとは、つまり川原乞食ということで、椰子の木陰に住んでも寒くはないし、働かないでも何となく暮らせていけるのではないかという妄想をもったようです。(彼は夢かなわず、現在はニューヨークで働いております。)

さて、冗談はさておき、ホームレスの問題は深刻です。ハワイの住宅事情は非常に厳しく、家やマンションの値段は東京やニューヨーク並みですし、アパート代も年々上がっています。勿論、アルコールや麻薬の中毒になって身をやつしてしまう人や精神病の人が多いのですが、仕事や家庭の事情でちょっと不運がかさなると家賃が払えなくなって、働いていてもホームレスになってしまう人たちが増えてきてしまったのです。

ホームレスに対する援助をしているキリスト教関係のグループが多くありますが、彼らはホームレスの人たちに食事を出す、洋服を与える、シャワー室を使用させる、法律的な相談をしてあげるというようなことだけではなく、霊的な支えもしています。私たちの教会の副牧師でもあるボブ・マーチャント夫妻はリバー・オブ・ライフ(命の川)という非営利団体をホームレスが非常に多いチャイナタウンの真ん中で運営しており、多くのスタッフやボランティアと共に毎日多くのホームレスに対しての働きをしていますが、上記の働き以外に昼と夕方に彼らのために礼拝をしていて、ホームレスの人が集っています。

ボブはこの仕事に任命されたとき、ホームレスに対する気持ちは特に温かいものではなかったそうですが、あるとき主に触れられて一瞬のうちに心が変えられたそうです。そして、彼らも自分も同じ主に赦され愛されている者だとわかり、彼らに対する愛で満たされたそうです。この夫妻はチャイナタウンのホームレスの人たちを名前で呼び、彼らからも信頼されています。その中から立ち直って人生を新たに歩みだした人たちも沢山います。

マーチャント夫妻がいつも言うのですが、麻薬中毒の人が立ち直るには、統計的に見て平均7回リハビリを受けなければならないそうです。つまり、リハビリを受けて、また失敗し、また受けて、失敗し…ということを7回くらい繰り返すわけです。ですから、彼らには、失敗したからといってすぐに裁かないで、何度でも彼らを赦し信じつづけて励ましてくれるマーチャント夫妻のような人たちが必要なのです。

ホームレスの数は去年から急増し、その対策が今急がれています。低所得者用の住宅の建設や、シェルターの建設が必要です。ハワイが神の国へトランスフォームされることへの大事な一歩がここにあります。私たちの教会のメンバーによる5つのチームのチャイナタウンでの祈りの歩行も始まりました。どうかハワイのホームレス対策のためにお祈りください。(終わり)


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04 04月

神との関係を深めるには  ジョン・ポール ジャクソン  4月4日


神との関係を深めるには          
                    ジョン・ポール・ジャクソン

 聖霊様と深い交わりを持ちつつ生きるようになるのは一朝一夕にできるものではありません。それは恋におちいるのに似ています。…
 ある人と恋におちいるときもそうですが、神の霊と真の恋におちいるのには、時間と、集中する努力と、コミットメントが必要です。神の臨在を経験し、神とのより深い愛の関係を持てるようになるにはいくつかの方法があります。可能性は無限ですが、一つのシンプルな方法は、神がどれ程あなたを愛しておられるかを、真に理解してそれを信じることです。 「わたしたちが愛するのは、神がまずわたしたちを愛してくださったからです。(1ヨハネ4:19) そのために下記のことをお勧めします。

一時間、静かに神の前で祈る

 あなた自身について、今主が何をあなたに知ってもらいたいかを主に聞いてください。そして主があなたの心に静かに語ってくださることを書きとめるのです。どんなに奇異に思われることでも構いません。そうすることが自己中心的だと思う必要もありません。あなたは、あなたに関する主のご計画、主の思いをお聞きしているのですから。
 この簡単なエキサーサイズがあなたの人生を変えてくれます。主のお心の深いところへあなたの目が開かれると、主がどれほどあなたのことを思っておられるかが分かります。 あなたは神にとってとても大切で大きな関心事なのです。ほとんどの人はそのことを理解しておりません。又、実際にそれを信じて生きている人は少ないのです。

私は神が私のことをどう思っているか訊ねました

 数年前のことですが、私はラスベガスからダラス・フォートワースに向かって飛んでいる、ある会社の専用機の後ろの方の座席に座っておりました。そこで私は神にうかがったのですが、そのとき神が答えてくださったことを書きとめた8ページのノートを今でも持っております。
その飛行の途中、神の私に対するあまりにも大きな愛に圧倒されて、私はむせび泣いておりました。私は他の人と離れて飛行機の一番後ろに座っていましたが、誰も振り返って私の方を見ないように願いつつ、神の語られることを精一杯早くノートに書きとめました。

 今はそのときから25年たちましたが、8ページのノートに書き記したすべてのことが実現しております。そのとき神が語ってくださったことが実現するとはどうしても思えませんでしたので、そのノートを誰にも見せる気になりませんでした。しかし、考えられないようなことであったすべてのことが私の25年の人生の中で実現したのです。

あなたは神に恋をし、神もあなたと恋におちいるように

 主とあなたの関係を深めるための、最初で、又非常に重要な方法の一つは、神のみことばをそのまま信じて神に恋をし、神もあなたに恋をして、あなたに言い寄るような関係になることです。 「それゆえ、見よ、わたしは彼女をくどいて荒野に連れて行き、優しく彼女に語ろう。」(ホセア2:14)神があなたについて、驚くような、あまりにも大きくて偉大すぎると思われるようなことを語ってくださるようにしてください。そして神が語られたすべてのことを信じてください。なぜなら、神の語られるすべてのことは事実だからです。その通り実現します。

 神があなたのことをどう思っているかを語ってくださるように神にお願いしてください。エレミヤ29:11「主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。」 (終わり)


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01 04月

ヨシュア記に示された「祈りの歩行」と言う霊の戦い   坂 達也     4月1日


ヨシュア記に示された「祈りの歩行」と言う霊の戦い

ヨシュアに引き入れられたイスラエル人はヨルダン川を渡り、約束の地に入りましたが、この「乳と蜜の流れる約束の地」とは「神の御国」を指していると思います。
しかし、その地を本当の「御国」にするためには、先ず、今までそこの先住民を虜にして君臨して来た「この世の王」と戦い、その地を勝ち取る必要がありました。

そこで主が、勝ち取るために最初にイスラエルに与えたのが要塞堅固の町エリコでした。イスラエル軍は主の戦略とその命令に忠実に従った結果、堅固な城壁が奇跡的に崩れ落ちました。そこでイスラエル軍は町になだれ込み完全に攻略しました。その時に受けた命令は、町にあるもの総ての住民と家畜をことごとく剣の刃で「聖絶」することでした。しかも、聖絶のものを一切個人的に自分のものにすることは禁じられました。この「聖絶」の意味は最初の町を「初物のそなえもの」「いけにえ」として主にささげる意義があります、又、勝ち取った総てのものは「主のもの」「御国のもの」であることを示しています。


その地の「住民を聖絶する」ことを今の時代に霊的に当てはめれば、サタンやその手下が人々に及ぼしている力を取り除くことによって、今まで敵に縛られてきた民を解放して全員「生きたいけにえ」(ロマ12:1)としてクリスチャンにすることであると思います。

この「ヨシュアの戦い」とは、まさに今私たちがしようとしている「私たちに与えられた町、エリコ」を攻略することではないでしょうか。この世を御国にするためには、先ず自分たちの町(市)を勝ち取ることから始めなければなりません。それが王国の戦士である教会の使命です。そのための戦いとは祈りの歩行をすることであると私は信じます。

エリコを攻めるに当たって、ヨシュアは「抜き身の剣を手に持って、彼の前方に立っている…主の軍の将」(ヨシュア記5:13、14)である主イエスご自身と出会いました。御国建設のための祈りの歩行には、まさに主ご自身が全軍の総司令官として私たちの先に立って歩いて下さることを常に念頭に置きましょう。

そして、ヨシュアは戦いに入る前に、全員に「割礼」を施しました。これは、私たちも「霊の割礼」を受けてから祈りの歩行と言う霊的戦いに臨まねばならないことを意味していると思います。ここで「霊の割礼」とは、自分の肉の声に従わないで、「主の御声に聞き従う」ことと深い関係があることが次の御言葉からよく分かります。

「イスラエル人は、四十年間、荒野を旅していて、エジプトから出て来た民、すなわち戦士たちは、ことごとく死に絶えてしまったからである。彼らは主の御声に聞き従わなかったので、主が私たちに与えると彼らの先祖たちに誓われた地、乳と蜜の流れる地を、主は彼らには見せないと誓われたのであった。主は彼らに代わって、その息子たちを起こされた。ヨシュアは、彼らが無割礼の者で、途中で割礼を受けていなかったので、彼らに割礼を施した。」(ヨシュア記5:6,7)

祈りの歩行と言う戦いに出て、一緒に歩かれている主の御声(指令)を常に聞きながら戦うことの重要性がここに強調されています。
しかし、主の御声を聞くことは、日頃からその訓練がされていなければ、祈りの歩行中にだけ聞こうとしてもそれは難しいと思います。

私たちが主から与えられた約束の地に入る大前提として、ヨシュアとイスラエル人がしたように、洪水のように溢れるヨルダン川を、私たちは主の箱を先頭にして歩いて渡らねばなりません。この霊的な意味は、私たちが完全に全員水の洗礼を受け、「自分に死んで、よみがえった」クリスチャンになることが要求されていると言うことです。

この点を強調する意味で、主は一つの大きな教訓を私たちに示しておられます。それはヨシュア記7章に出てきますが、取るに足らないような小さな町アイを攻めた時に、敵の要塞エリコを勝ち取って意気揚々としていたイスラエル人は「まさか…」と思われる予期しなかった敗北を経験したのです。それはユダ族のアカンが、こっそり聖絶のものの一部を自分に取り込むと言う罪を犯したからでした。主は一人の罪も見逃されませんでした。ここに主の厳しさがあります。
ここで私たちが厳粛な気持ちで学ばねばならないことは、「キリストのからだ」である教会からは、主は一人でも密かな罪を犯す者が出ることを許さないおつもりであると言うことです。そして、一旦この世から主の御名で奪回したものは、総て御国に属するものであり、「王である主のもの」であることです。

これからの時代のこの世をサタンの手から取り返す最後の戦いにおいては、私たち教会は徹底して「肉に従って歩まず、御霊に従って歩む」(ロマ書8:4)者でなければなりません。このみ言葉が、戦いの前に霊的な割礼を受けることの重要さを示しております。
「割礼」とは、主イエスと主の御霊に「全き信仰と信頼を持つことによって義と認められる」こと、言ってみれば、御国の王に忠誠を誓って王との契約関係に入ることです。

確かにサタンと戦って、王国を取り返すことがどれ程厳しいことであるかは、先述のアイの町の教訓からしてもよくお分かりになると思います。しかし私たちはそれで決してビビッてはならないのです。私たちには内に聖霊様がついていて下さるのですから、私たちが「御霊に従って歩む」限り、たとえ万が一肉の誘惑に負けることがあっても、主の聖霊様に心から悔い改めることによって赦していただけるのです。ダビデが「不法を赦され、罪をおおわれた人たちは幸いである。主が罪を認めない人たちは幸いである。」(ロマ書4:7,8)と言っていることが心に割礼を受けた者の特権であるのです。
ですから、へりくだってはいても恐れることなく、安心して私たちに与えられた町エリコを、「祈りの歩行」と言う戦略によって今こそ勝ち取ろうではありませんか。主は言われます。

「わたしはあなたに命じたではないか。強くあれ。雄雄しくあれ。恐れてはならない。おののいてはならない。あなたの神、主が、あなたの行く所どこにでも、あなたとともにあるからである。」(ヨシュア記1:9)ハレルヤ! (終わり)


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31 03月

ことば      坂 柚実子   3月31日


言葉

3月11日から12日間、関西に住む小西家のお母さんと下の息子さん(ピアノの上手な12歳)が我が家に遊びに来ていました。ポートランドに駐在されていたときに教会に集っておられた御家族で、お父さんと上の息子さん(このサイトの立ち上げを手伝ってくれたコンピューターに強い17歳)は、今回は家で留守番でした。

彼らの会話は勿論関西弁です。それで彼らと一緒にいると、主人も私もいつの間にか少し関西弁になってしまうのです。「それ、違うんとちゃう?」とか「そうやなぁ」とか、初めはおもしろがって使っていると、だんだん身についてきて、そっちのほうが言いやすくなって自然に口から出てくるようになります。そして感じることは、関西弁はとっても会話をなめらかにするということです。そして心までもなんか「関西弁風」にソフトになっていくような気がします。

言葉といえば結婚してアメリカに36年前に来たときは、英語と日本語で苦労しました。英語は勿論「話せない」苦労であり、日本語は「主人のビジネス関係(主に商社)の方々の中でちゃんと話せない」苦労でした。

それから英語が少し話せるようになっても、アメリカ人のグループの中では緊張してしまって英語がうまく出てきません。私たちがその一部として日本語教会をやらせていただいていたオレゴンの教会は、まさしくアメリカ人ばかりの教会で(当たり前ですよね)、私はそこに35年も属していたにもかかわらず、親しい方と話す時は別として、うんと勇気を出さなければ英語が上手く出てきませんでした。

ところが、ハワイはご存知のように多くの人種がいて、それぞれがそれぞれのなまりのある英語を使っています。ハワイのいわゆる「ピジョン・イングリッシュ」にいたっては、しばらく聞いていても英語なのかどうか分からないくらいです。そういう中では「私の英語でも大丈夫」というおおらかな気持ちになることができます。

ニュー・ライフ・チャーチは、まさに人種のるつぼです。アメリカ生まれの人でも人種的には様々なので、日本人の私たちにとってもまったく違和感がありません。また、多くの人が移民でなまりのある英語を使うので、聞き取るのが大変です。

マーシャル・アイランドから最近引っ越してきた夫妻がいて、ご主人のチャーリーはもともとアメリカ生まれの人ですが、奥さんのレネーはマーシャル・アイランド出身で、彼女は英語をすらすら話すのですがすごいなまりがあり、私には半分くらいしか理解できません。また、スコットランドから引っ越してきたジョンの「本格的英語」は彼といつも親しく話している主人も、聞き流してすむ話は実は「半分くらいしか分かっていない」らしいのです。私のジャパニーズ・イングリッシュもみんなは、もしかして「半分しかわかっていない」のかもしれません。

それでもみんな和気あいあいとやっているのは、言葉の足らなさを補って余りあるものがこの教会にはあるからではないか、と私は思うのです。それはリーダーたちを通して流れてくるキリストの姿、即ち、相手を受け入れる姿勢、謙虚さ、仕える心です。

オダ牧師はハワイ生まれの日系3世ですが、神からそれぞれの文化を大切にするようにというヴィジョンをいただいています。 ちなみに、この教会のロゴはハワイアン・キルトの真ん中に十字架を入れたものです。賛美も時々ハワイ語のものを入れたりしていますし、これからは、日本語や韓国語などの賛美をも入れていきたいといっています。お互いの国の文化を受け入れ合うということは非常に大切であり、神が喜ばれることであると思います。

レネーはこの日曜日にマーシャル・アイランドの慣わしだといって、牧師たち全員に沢山の貝をマクラメ編みの中に入れ込んだ素敵な首飾りを配りました。主人も首にかけていただいてとても嬉しかったようです。そして教会全体がなぜかとても喜ばしい雰囲気になりました。(終わり)


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