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Walk With God Ministries

28 07月

報告 ジュディス夫人は無事もどりました  7月28日


報告です。ジュディス(グルーバー)夫人は無事アフリカから戻りました。
皆様のお祈りを心より感謝申し上げます。

今はオハイオ州からアイオワの自宅に帰宅する途中です。詳しくは又、お知らせします。
取り急ぎ皆様に御礼方々ご報告申し上げます。        坂 達也


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25 07月

秋の来日予定


ホノルルの祈りの塔についてのより詳しいレポート

以下のメッセージはリバイバル新聞最近号に報道されたレポートの原文です。尚、写真は前回掲載したものとは違う新しいものです。坂 達也

エンド・オブ・ジ・アース・プレヤー・タワーの開所式                             
ホノルル市のダウンタウンにある37階建てのセンチュリー・スクエアー・ビル(住所1188 Bishop St. Honolulu)の最上階全フロアーが常設の「祈りの塔」として、去る6月28日に正式に発足した。この日、二百人余の参列者が集まり、盛大な開所式とその祝賀会が行われた。この祈りの塔は、ホノルルにあるベス・イスラエル・ジューイッシュ・ミニストリー・インターナショナル(代表ラビ・ダニエル・バーガス師、本部事務所は同ビル六階にある)が五年間の祈りの実として実現したもので、このビル屋上の中心部に同じビル内にあるクリスチャン・テレビ局ラ・シア放送のアンテナ鉄塔が立っており、その鉄塔階下の屋上はほとんど使われていなかったが、そのテレビ局とビルの持ち主の好意を得てその全フロアーが提供され、祈りの塔が実現したものだ。元々コンクリートのままであった床壁はきれいに塗装され、外側窓沿いに世界各国の旗が立てられている。

これに先立ちバーガス師が昨年エルサレムを訪れた際、「エルサレム・プレーヤー・タワー」にその代表者ウエイン・ヒルズデン牧師を訪れ、ホノルルの塔が、エルサレムに続くものとして霊的な提携関係に入ることへの賛同を得た。その結果、今回ヒルズデン師を招き、師からの油注ぎの分与と祝福を得て正式に開所式の運びとなったもの。

 
この祈りの塔が「エンド・オブ・ジ・アース・プレーヤー・タワー」と名付けられた由来は、ハワイがイスラエルから最も遠い地点の一つにあることから、使徒行伝一-八 「聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」の「地の果て」(の英文)を引用したものであると言う。

この開所式を中心に「預言的エルサレム・カンファレンス」が三日間に渡って開かれた。初日の夜、祈りの塔と関連して先ずヒルズデン牧師からエルサレムの祈りの塔が設立されたいきさつとその証が披露された。続いてバーガス師より、世界に広げる「祈りの塔のミニストリー」のビジョンが披露された。それによれば、ホノルルの次は来年コロンビアのカリ市に、その翌年には香港に祈りの塔が設置されると言う。会場では来賓として来たコロンビアからの代表者が紹介された。今回開設された祈りの塔は、ホノルル市内にある全クリスチャン教会に解放し、希望する教会に割り振って各教会が自由に、イスラエルとエルサレム、世界各国の救いのため、又、地元の人たちのために祈りを展開することが予定されている。その説明の後、「太平洋の真ん中にあって、存在としては全く微々たるこのハワイを神は終わりの時に今大きく用いようとされている」と力強く語るバーガス師は、この地において既に着々と実行に移されつつある将来の雄大な計画があることを披露した。

先ずオアフ島西南部に今二〇四エーカーの土地が与えられ、そこに州の協力を得て、地元の低所得者救済のための住宅開発とリハビリ福祉施設を建てると共に、環太平洋の諸国からクリスチャンが集まって利用できるカンファレンス場と宿泊施設、キャンプ場、学校等が建てられる構想があり、最初に二千人収容の礼拝集会堂の建設が予定されていると語った。そして、二〇一〇年秋には、世界中のクリスチャンとユダヤ人に呼び掛けて、ハワイで盛大に仮庵の祭りを祝う計画があることが発表された。これは迫り来る終末の時に、世界中のユダヤ人と異邦人を一つにする神のご計画の一端をハワイが受け持つという大きなビジョンである。

二日目は、開所式の後の祝賀会で、ラビ・バーガス師とその家系の歴史が紹介された。バーガス師はニューヨーク生まれのユダヤ系アメリカ人で、イスラエルで正式にラビの資格を取り、1981年以来ハワイに家族で移住してミニストリーを設立した。先祖はユダ族、ジャファの出身で、その後北部スペインに移住したと言う。十四世紀に至って、バーガス家の高い山の中の土地に十二弟子の一人であるヤコブの遺骸が埋められた墓があることが発見され、バーガス家の先祖がヤコブの墓を守って来たと言う劇的な話が披露された。




カンファレンス最終日には、二〇一〇年に予定されている大会の用地となる八四エーカーの土地に案内された。ホノルルの東南端ワイマナロ地区にあるその場所からは、真下に美しい海が見え、背後にはそそり立つ岩山がそびえると言う実に雄大な場所である。その山と海の中間の小高い部分に平地があり、そこにモーセの荒野の幕屋を再現させると言う。私自身ここはすばらしい祈りの山になると言う思いで感動した。現地では先ず、この土地が神によって選ばれた特別の地であると言う、バーガス師と土地の持ち主(クリスチャン)からの証しがあった。持ち主はこの一年ほど、この土地をどう活用すべきかについて熱心に祈って来た結果、少しずつ具体的なビジョンを主から示された。そしてバーガス師と出会い、主がバーガス師に与えて来たビジョンと持ち主に与えたものとが全く同一であることを知り、持ち主はその場に泣き崩れ、直ちにその土地を主に捧げる決意をしたと言う。現場を案内された私たちは、荒野の幕屋が建つと言う平地の部分を祈って歩いていると、ホノルル在住のイスラエル人女性が「ここに主がおられる。靴をぬぎなさいと言われたようだ。」と叫び、近くにいたヒルズデン師が「私も同じことを感じていた。ここは主の油注ぎが
25 07月

リバイバルは始まったばかりです リック・ジョイナー 7月25日


リバイバルは始まったばかりです


リック・ジョイナー

先日の日曜礼拝で、出席者に対して次の質問のアンケートをとりました。
1.リバイバルを通してイエスを信じた人は?
2.クルセードや伝道集会を通してイエスを信じた人は?
3.クリスチャン・テレビを通してイエスを信じた人は?
4.友達や親戚の証を通してイエスを信じた人は?

その時の礼拝には千名ほどがおりましたが、結果は次のようなものでした。
1.3人
2.7,8人
3.4,5人
4.その他の全員

私はこれまでも同じ質問を多くのクリスチャンの集会、教会、カンファレンスでしてきたのですが、結果は基本的にこれと同じでした。
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この結果からまず初めに引き出せる結論は、一番効果的な伝道の力は活気のある教会が持っているということです。教会が励まされ元気になると、みんなが自分の信仰を友人や親戚に証しするようになります。そして、これこそすべての伝道方法の中でも飛びぬけて効果的なものなのです。


「新しく人が救われてこないならば、それは真のリバイバルとは呼べない」と多くのクリスチャンが言っているのを私は知っています。また社会に影響を与えてトランスフォーメーションを起こさないならば、それは真のリバイバルではないとも言われます。私もこの意見に同意するものです。しかし、真のリバイバルかどうかを本当に正しく判断するためには、長期間に亘っての成果を見てゆく必要があるのです。

もしリバイバルが教会をリバイブするだけだとしても、それはすばらしいことです。リバイバルを伝道集会にするよりも、教会がリバイブされたほうが多くの魂が救われることになるでしょう。同じように、第二次霊的大覚醒のときのようにリバイバルを政治的な働きにするよりも(第二時霊的大覚醒のときはそれが南北戦争へと進展していきました)塩気をとりもどした塩によって社会はもっと大きな影響を受け変革されるでしょう。


リバイバルに本来の役目を果たさせることによって、政治的にも社会的にも大きな影響を与えることができるのです。勿論、民主主義社会の中で私たちは機会を与えられているのですから、政治的にも参加するべきです。これはクリスチャンの権利というよりはむしろ義務です。しかしながら、リバイバルは直接的な政治行動のために与えられているのではなく、間接的に都市、州、あるいは国を神の義へと正していくものです。


「リバイバル 」という言葉は「リバイブ」から来ていますが、それは教会に再びいのちを与えるとか、あるいは、死んでいる教会を甦らせることを意味します。これはいろいろなレベルで起こります。眠っている教会の目を覚まさせることや、全くいのちが無いけれど霊的ライフサポートによってかろうじて生かされている教会を甦らせることまであります。一つの教会で起こるかもしれませんし、その地区の教会全体、しいては世界的なキリストのからだに影響を及ぼすこともあります。


リバイバルが来るときはそれが本当に必要とされていたのであり、それは私たちの必要を満たすために神が与えてくださる恵みです。私たちはそれを大喜びで受け取り、その波にうまく乗ってできるだけ遠くまで行くべきです。しかしながら、それが神のムーブメントの最終的なものではなく、むしろ始まりであることを、常に心に留めておかねばなりません。教会がリバイブされたならば、それからすべき仕事が沢山あるのです。そして教会が果たすべき仕事をキチンとするならば、もう再びリバイブされる必要はないはずです。
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リバイバルが送られる目的が教会をリバイブするという性質上、それは人生で最も私たちをわくわくさせる、エクサイティングなものの一つです。この理由で、多くの者がリバイバルの雰囲気の虜になって、そこから離れたくなくなってしまいます。それは理解できることではありますが、私たちが本当に成熟するためには、ある時点でそこから離れることが、普通、必要とされます。

私たちが求めるべきことはリバイバルの雰囲気ではなく、神に近づくことです。リバイバルの雰囲気とは、主の臨在に加えて大勢の人から出る偉大なエネルギーです。これはリバイバルにとって正当なことですが、人間的な興奮も伝染するものだということを認識していなければなりません。クリスチャンたちが再びエキサイトするのを見るのは大変すばらしいのですが、このエキサイトメントはそれで終わるのではなく、生活の中で神の御心に従うという実を結んでいかねばなりません。

歴史上最も偉大な神のムーブメントで永続的な実を残したものの中には、リバイバルを出発点としていず、今のリバイバルの定義にはあてはまらない経過をたどったものがあることを、私たちは忘れてはなりません。その一つはモラビアンでしょう。彼らはおそらく教会史上のどのムーブメントより永続的な実を残し、キリストのからだと社会全体に最も広く影響を与えました。

確かに彼らは「モラビアン・ペンテコステ」と呼ばれるものを経験し、聖霊が「ペンテコステの日」のように彼らの上に降りました。しかし、彼らは世界で最も困難な場所で骨を折って常に働き、その実は当時の他のムーブメントと比べればほんのわずかなものでしたが、それを蒔いたのです。そして、彼らが蒔いた種は、過去数百年にわたり、第一と第二の大覚醒、近代のいくつかのミッション、偉大な祈りのムーブメント、そして現在に至るまで様々なものを生み出してきたのです。全く多くの実ではありませんか!


ヴァンス・ハヴナー師(1901-1986)はリバイバルをデパートの大セールにたとえました。大セールは広く宣伝され興奮を呼びますが、これがデパートの通常の商売ではありません。通常の商売は毎日の忠実な商品の商いです。それと同じように、リバイバルは教会の中で最も報道されエクサイティングなことであり必要なことですが、それは教会の働きの中の小さな部分でしかありません。大セールはやがて終わりますが、デパートがなくなるわけではありません。リバイバルが過ぎていくとき、リバイバルによって生まれたモーメンタムは失わないで、私たちも同じように日常の仕事に戻らねばならないのです。


それはともかく現在私たちはリバイバルを迎えていて、しかもそれは始まったばかりですし、このリバイバルのピークを見るのはずっと先のことになるでしょう。私が信頼している預言者たちの言葉によると、このリバイバルは三年続くといいます。それはリバイバルとしては長い期間と言えます。しかし、リバイバルが終息 しても、すべてが終了するわけではありません。もし私たちがその次の段階にうまく移行できれば、神の御業は止まらずにもっと高くもっと深く変化しながら進んでいきます。絶えず変化していくのは、幼児が成熟した大人になるまで絶えず変わっていかねばならないのとちょうど同じです。


高い軌道にのる

この移行が知恵と戦略をもって遂行されるならば、私たちはリバイバルが終息するときに後ろ髪を引かれるような思いはなく、むしろ新しい何かにむかって進むという期待感を持つと思います。この移行の過渡期を知恵と戦略を持って進むためには、まずリバイバルを中途半端に終わらせてしまうのではなく、リバイバルがそのすべての任務を成し終えるのを許さねばなりません。

何年も前のことですが、夢やヴィジョンや御ことばを通して、私たちのミニストリーは発射されたロケットに喩えられてきました。この喩えは正確なもので、ミニストリーが辿ってきた各段階を通じて非常に私たちの役に立ったことが証明されました。そしてこの喩えが今キリストのからだ全体に訪れていることにも適応すると思います。

ロケットの発射直後と同じように、ロケットが次の段階に切り替わる所に到達するためには「ブースター」の燃料はすべて燃やされねばなりません。リバイバルは単に最初の段階かもしれませんが、私たちが召されている軌道に乗るためにはその段階が途中で止められたり、次の段階に時期尚早に火がつけられたりしてはいけないのです。


もし最初の段階、即ち教会を生き返らせ励ます段階がその目標を達成するならば、次の段階、即ち失われた魂の救いは、今その第二段階を早急に始めてしまうよりもずっと大きな成果があるでしょう。現在、多分そしてこれから 2,3年の間は、この教会を励ますことが私たちにできる最も重要な仕事でしょう。もう一度申しますが、世界で一番効果的で力ある伝道は、勇気づけられた元気な教会なのですから。

私たちはサタンからの圧迫を受けて悩みがあったり病気だったりすると、力を奮い立たせることは困難です。ですから今日教会のために癒しや奇跡、開放が強調されるのは大変重要なことなのです。やがて時が来れば教会は癒され、私たちは次の段階に進むことができるでしょう。そして癒された者たちが今度は失われた魂の癒し手になるでしょう。

それと同じように、ロケットの第二段階は、私たちが召されている軌道に届くための第三段階に移行する前に、完全に燃やされねばなりません。第三段階とは社会のトランスフォーメーションです。この段階に正確な速度と高度で入ることは大変重要です。これが今起こっていることの最大の目的だからです。

黙示録にある終わりのラッパ、あるいは神のメッセージは「われわれの神は王となられ、すべ治められる。」(黙示録19:6参照)、即ち、御国の福音です。この福音は一世紀以来語られていませんが、主が再臨されるまでに世界中で語られねばならないことです。教会はこの福音を語り、しかも御国の力を持って実際に生活している立場から語るために、いま調えられているのです。つまり主の道を備えるために備えられているのです。

主は来られます。主は地上に主の御国を建てられ、御心が天で行われるように地でも行われることを実現されるのです。イザヤ40章にあるように、主の道を整えるとは、大路、ハイウェイを作ることです。神のハイウェイは「higher way より高い道」であり、主に到達する道です。このハイウェイや御国の福音のついてはいずれ詳しく述べたいと思いますが、今は神がしておられることを理解し、その恩恵を十分に受けることが大切です。

すでに述べたように、早まって第一段階を放棄して、ロケットが必要なスピードと高度に達する前に第二段階を点火しようとすると、目指す目標に達することは不可能になります。これは第二段階から第三段階への移行に関しても同じことが言えます。多くの人が第二と第三段階のために調えられていますから、彼らが早く自分の仕事をしたいと思うのは無理もありません。しかし、彼らも、そしてまた教会も、そのときが来るまでは本当にはまだ整えられてはいないのです。

現在神の第一段階の働きの火が燃え続けていますから、このロケットはより速くより高く飛んでいくことが期待できます。より高いとはもっと偉大な奇跡という意味であり、より速くとは奇跡がもっと速く起こるということです。私たちが横に逸れずに進んで行き目指す軌道に到達するならば、これからの教会はこのような奇跡が起こるのが普通のこととなるでしょう。

揺り動かし

私は宇宙飛行士を何人か知っていますが、皆がロケット発射のときのすさまじい揺れについて話してくれます。初めての人はひどい振動でロケットがばらばらになってしまうと感じるかもしれません。現在起こっていることは、ある大いなることが打ち上げられたのであり、全教会が揺り動かされることが予測されます。それは教会がばらばらになってしまうのではないかと多くが疑念するほどです。そんなことにはなりませんが、私たちにはこの揺り動かしが必要なのです。ヘブル12章で言われているように、すべて揺り動かされるものは揺り動かされて、神からのものだけが残るのです。神からのものは揺り動かされた後にも必ず残ることは確かです。

発射されたロケットの喩えを使えば、現在の神の動きは発射台を離れたか離れないかというところで、第一段階が終了するまでにはまだ長い道のりがあります。揺り動かしは更に激しくなり、第一段階の期間中続くでしょう。第一ブースターが燃え尽きるころには、揺れは少し納まるでしょうが、私たちが目指す軌道についに到達するまではなくならないでしょう。


多くの揺り動かしは迫害の故ですが、そのほとんどは宗教的な人々からのものです。歴史を見ると、新しく始まった神のムーブメントに対する迫害は、その一つ前に起こったムーブメントのリーダーたちから起こされます。この大いなる悲劇は過去のリーダーによって達成された多くの実(それは彼らが迫害する新しいムーブメントに備える助けもしたのですが)を疑いもなく帳消しにしてしまいます。この悲劇は往々にして避けることができません。それは堕落の前にプライドが来るからであり、神に大きく用いられた器がプライドという最も恐ろしい罠を逃れることはほとんど不可能なのです。プライドは容易に嫉妬心を抱くものです。イエスが十字架につけられたのは嫉妬心故だと書かれています。(マルコ15:10)一番小さな者にするのは主
22 07月

ハワイの教会情報  坂 柚実子  7月22日2008年


ハワイの教会情報

といっても、私が知っているのはほんの一部ですが、ハワイに沢山教会があることの例として、うちの近所の様子をまず書いてみます。

私たちが住んでいるハワイカイのマンションから歩いて行ける教会が少なくとも5つあります。でも教会の建物を持っているのはそのうち一つだけで、あとは礼拝の時間の間だけ場所を借りて集会をしているものです。まず、道路に出て右の方に歩いていくと、ショッピングセンターの中に映画館があり、そこでアッセンブリー・オブ・ゴッドが礼拝をしています。そこから道路をわたってココ・ヘッド・パーク内に行きますと、その集会所を借りてホープ・チャペル・ハワイカイが礼拝しています。少し戻ってくると、ちゃんと建物のあるハワイカイ・チャーチ(バプテスト)があります。ここは幼稚園もやっています。そして、マンションの前にはカイザー高校があるのですが、そこのカフェテリヤでは、朝はニュー・ホープ・ハワイカイが2回の礼拝、夜はハーバー・チャーチが礼拝をしています。他にも小さなハウス・チャーチがいくつかあることを聞いております。

ウェイン・コーディロ師をリーダーとするニュー・ホープ・クリスチャン・フェローシップとラルフ・モア師をリーダーとするホープ・チャペルは、どんどんと新しい教会を作っていて、両者ともフォー・スクエア教団ですが、そのやり方は少し違うようです。

ニュー・ホープは、新しい場所には牧師を立てワーシップチームも結成しますが、説教はコーディロ師のDVDを大きなスクリーンに映し出して見る週が多いようです。これですと、学校の施設などを借りればかなり簡単に新しい教会を始めることができます。コーディロ師はそれらの牧師たちの育成に力を入れています。コーディロ師のメッセージはわかりやすく、実践的で深い、という3拍子そろったものなので、多くの人が集っています。教会全体としては1万人を超えていますが、それぞれの地域にある礼拝での交わりは親しいものとなっています。

ホープ・チャペルのほうも、いろいろな場所を借りて牧師と少しのメンバーで新しい教会を始めます。モーア師の指導は受けますが、各教会は独立していて、そこに立てられた牧師が説教を行います。50人くらいのメンバーでも、そこには次に細胞分裂して牧師になるべき訓練中の人がいます。ワーシップチームも結成されています。中には教会として集まるのは年に4回ほどで、あとの週は数家族があつまってホーム・チャーチをしている教会もあります。一つの集会を大きくするのではなく、主との交わり、メンバー同士の交わりが深いグループをたくさん生み出していこうとしているのが、ホープ・チャペルのやり方です。

それから、前にもご紹介したことがありますが、パラ・チャーチの働きをしているLaulima  Ministries Internationalという団体があります。ディーン・フジシマ師がリーダーですが、毎週二回の癒しの集会に加えて、年に数回講師を招いて大きな集会を開きます。アメリカばかりか世界的に活躍している講師が来ることが多く、教団教派を越えて多くのクリスチャンが集まります。先回の春の集会にはカリフォルニヤからビル・ジョンソン師を迎えましたが、200の教会からの参加者があったということです。主人と私も参加しましたが、多くの教会の牧師たちを始め、集まった人たちが互いにハグをし、一つになって主を賛美する姿は本当にうるわしいものでした。開会式はハワイ語とヘブル語のチャントから始まりましたが、ハワイ原住民とイスラエルに敬意を払うという意味だったと思います。

最後に最近私たちが連なっているラビ・バーガス師が導くBeth Israel Jewish Ministries International をご紹介します。メシアニック・ジューの集まりで、金曜日の夕方7時、即ち安息日の始まりの時間に集会をしています。イエスを信じるユダヤ人のグループですが、キリスト教の深いルーツを知りたいと思うユダヤ人以外のクリスチャンも集っています。いくつもの角笛を吹き鳴らし、ろうそくを点して安息日を始める儀式を行います。ユダヤ人へ福音を伝え、クリスチャンにイスラエルを愛する心を教える、そしてユダヤ人と異邦人の一致をもたらすということを使命としています。バーガス師は70歳ですが、聖霊に満たされてダビデのように踊られます。主人もいずれ踊りだすかもしれません。お楽しみに。(終わり)


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18 07月

神によらないとりなしを悔い改める祈り  ポール・コックス  7月18日


神によらないとりなしを悔い改める祈り

ポール・コックス

この祈りが生まれたいきさつ

私がノース・キャロライナのアッシュヴィルでミニストリーをしていた時のことですが、一人の婦人が膝の痛みを訴えてきました。彼女のために祈ったところ、この婦人はとりなし手であることを自分のアイデンティティーにしていたことが明瞭になりました。彼女もその通りであることを認めました。彼女は自分の放埓な息子のために祈るとき平安がありませんでした。絶えず祈り断食せねばならないように感じていました。
 
彼女のために皆で祈っていると、彼女が傷を受けた幼いころの記憶を主が思いおこさせ、その時点にまで彼女を連れていきました。4歳の彼女は男の人たちを恐れて隠れていました。そしてイエス様にも会いたいとは思っていませんでしたが、しだいにイエス様は安全な方であり、自分の隠れ場所にお招きしても大丈夫な事がわかりました。そこで彼女はイエス様を招き入れ、イエス様は彼女を癒し清めてくださいました。

そして、女の子とイエス様が遊んでいたときに大きな転機が訪れました。それは彼女がイエス様に自分の人形を抱くことを許したことでした。そして、彼女は人形の世話をイエス様に任せても大丈夫なのだから、自分の息子の世話もイエス様に任せることができるのだとわかったのです。自分が息子を愛するよりも、イエス様はもっと息子を愛していてくださることがわかったのです。今までずっと自分で背負ってきた息子やその他の重荷を、彼女はイエス様に渡しました。
彼女は今までは、自分の力でがんばる、努力の業に基礎をおいた、神によらないとりなしをしてきたのです。そのようなとりなしによって膝に付着してしまった彼女の不従順を取り去ってくださいと、私たちは主に祈りました。彼女がとりなしの重荷を主に明け渡し安息に入り、自分の心配事を完全に主に委ねたときに、彼女の膝の痛みは去りました。この経験から「神によらないとりなしの祈りを悔い改める祈り」は生まれました。

神によらないとりなしを悔い改める祈り

自分と自分の家系のために、今まで口にした神によらないすべての邪悪な祈り、人をコントロールする魔術の祈り、信仰からではなく恐れから生まれた祈りを悔い改め断ち切ります。主よ、どうか私の人生から、私のDNAから、そのすべての悪を取り除いて、あなたの臨在と聖霊の力を私の人生に取り戻してください。

私と私の家系が、あなたの言葉を待って仕えずに、自分の持ち場を離れて見張りを怠ったことを、悔い改め断ち切ります。私は今城壁で見張り役になり、主を待ち望み、主が私に語られるのを聞くことを選び取ります。主よ、これからの世代がそれを持って走れるように、まぼろしを書き記すことを選び取ります。私はまぼろしが遅れることのないように、主のタイミングを選び取ります。(ハバクク1:17-2:3)

主にではなく自分の悟りにより頼んだことを、そして主よ、あなたの御心ではなく自分の思いを祈ったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。あなたの生ける御ことばにより頼まず、あなたが豊かに与えてくださるいのちの代わりに死を私の愛する者たちの上に語っていたことを、悔い改め断ち切ります。

あなたの御心と望みを祈り求めるのではなく、私たちの思いと願いを祈り求めていたことを、私と家系のために悔い改め断ち切ります。神よ、全能のあなたをみくびり、あなたを通してなら総てが可能であることを信じて来なかったことを悔い改めます。

あなたからの夢があまりにも大きいので、それを受け取らず祈りもしなかったことを、悔い改め断ち切ります。どうか私のうちに信仰と期待という賜物を与え、あなたには私が考えたり想像するよりもっとすばらしいことが可能なことが理解できるようにしてください。あなたが私に与えてくださった夢や願いを受け取り、あなたにはすべてが可能であることを信じることを私は選びます。

自分に与えられた権威の領域から出てしまい、あなたが戦えと命じなかった戦いを戦ってしまったことを、悔い改め断ち切ります。

自分の周りで起こっている状況を見て、肉的で世俗的な立場からのみ祈ったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、主との交わりや真実を土台としていないものに誤ってより頼み、その結果失望させられた私をお赦しください。あなたは私の罪の代価をすでに支払ってくださいました。

疑い、不信仰、自己義認、プライド、嫉妬、ねたみ、恐れ、かたくなさ、競争心、利己的野心、裁き、欺きから祈った祈りを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、私の中にある苦々しい裁きの根を、どうか取り去ってください。罪を土台にしたすべての邪悪なとりなしの祈りを取り去ってください。ブレイクスルーの天使を遣わしてくださり、すべての神によらないとりなし、祈り、自己義認の祈り、すべての肉的な祈り、健全でない祈りをうち破り、打ちこわし、消し去り、破壊するようにお願いします。私は力と愛と慎みの中を歩くことを選び取ります。

自分の利益のために利己的な動機で祈った人をコントロールし操縦する祈りを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。(イザヤ54:17)父よ、すべての肉的な祈り、神からではないとりなし、預言、宣言によって私や家族に降りかかったのろいを取り去り、無効にしてください。それと共に、私や私の家族のために祈った人が、主の御心でなく彼らの思いで祈ったゆえに、それを知ってしたか知らずにしたかにかかわらず、私と私の家族にのろいをもたらしたことを赦します。

あなたと共に天の御座に座して安息して祈るのではなく、不安と心配で苦しみながら切迫感をもって祈ったことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。主よ、あなたが私のために用意していてくださる勝利にだけ目を留めることを私は選び取ります。(ピリピ4:6)

あなたからのとりなしの重荷ではなく、宗教的、組織的そして人間が作り出したとりなしのくびきを負っていたことを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。どうか私と私の家系から、邪悪なくびきと偽りのとりなしの重荷を取り去ってください。私が神からではない宗教的、組織的権威と交わしたすべての合意を破棄します。

すべての邪悪な呪文、儀式的な繰り言の祈りを、私と私の家系のために悔い改め断ち切ります。どうかこのような不義の祈りによって力を得た邪悪な霊的勢力と、活性化されたのろいを取り去ってください。人間が作りあげた儀
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