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27 10月

時のしるしを見きわめる(第53回) リック・ジョイナー 10月27日


時のしるしを見きわめる(第53回)

リック・ジョイナー

 最近行われたアメリカの教会に関する調査結果を見ると、アメリカ人の65%が自分はボーンアゲインしたクリスチャンだと言っているにもかかわらず、キリスト教的世界観、即ち聖書的世界観を持っている人はわずか3%に過ぎないというショッキングな事実がわかります。キリスト教的世界観を持つという意味は、イエス•キリストと同じ視点で世界を見ることであり、又キリストの教えを知りそれに従うということです。

 ボーンアゲインしたと自認する人の数とキリストの基本的なものを反映した生き方をしている人、即ちキリストの視点で世界を見る人とのギャップがこのように大きいということは、私たちがキリストの(宣教)大命令をほとんど果たしていないことを示しています。私たちはただ人々を回心させるだけではなく、弟子を作リ彼らの主が命じられたことをすべて 教えるようにと命じられているのです。

 アメリカのキリスト教のこの基本的な失敗を正すにはどうすればよいのでしょうか。まずこの問題があることを認識することが第一歩でしょう。人々をキリストを信じる決心に導きボーンアゲインさせてから、教会が 彼らを「キリストに似る者」へと成長させることに失敗しているのは明らかであり、それは 弟子を作れという主の命令を悲劇的なほどに割り引いたものにしてしまっています。これは回心者を起こす働きをする伝道者への批判ではなく、そのような伝道者の働きをフォローすべき教会がその役目を果たしてないということです。


 使徒行伝を見てみると、一つの地方でリバイバルが起こると、そこに使徒がリーダーによって遣わされ、新しい信者がキリストの弟子として確立するようにフォローアップする働きをしました。明らかに今この記事を読んでおられるあなたは、キリストの弟子であり、主から学び、自分も主と同じ視点で世界を見たいと望んでおられる方だと思います。けれども、今の教会の様子から考えると、そのように決心された皆さんのほとんどは教会からそのように導かれたのではなく、ご自分でそのような道を選ばれたのだと思います。それはそれで素晴らしいことに違いないのですが、新しい信者たちは自分の教会からもっと助けを受ける必要があるのです。

 新生児は自分ではほとんど何も出来ず、基本的なことが出来るようになるまでには長い間いつも誰かに世話をしてもらう必要があります。私たちがボーンアゲインしたとき、ほとんどの者が霊的には同じようなレベルにあります。 霊的に自分を養うために何をすればよいのかわかりません。
 
 今日アメリカではほとんどの人は小さい時に教会には行っておらず、聖書に関して無知ですから、特にそうといえます。彼らはキリスト教に関する書籍、CD、DVDとか他にどのような助けがあるのかも教えてもらわねばわかりません。そういうものがあるとわかったとしても、何かを推薦してもらわねばどれから始めればいいのかわかりません。
 
 又、生まれたばかりの者がまだ弱い内に食い殺してしまうのがサタンの常とう手段なので、新しい信者を脱落させるための絶え間ない誘惑と攻撃が彼らにむけられます。幼子が無防備であるように新しい信者もサタンの策略に対して無防備ですから、彼らはしばらくは絶え間ない世話を必要とするのです。そしてこのように他の信者から世話を受けることによって築く関係こそが、新しい信者がキリストの身体と絆を結ぶきっかけとなるのです。


 私がこれをお話する理由は、教会が次の大リバイバルに入る前にこのことを改めないと、リバイバルによる実の多くが失われてしまうことになるからなのです。この実とは単にりんごとかオレンジとかではなくて、神ご自身の民であり、 弟子にせよと主が私たちに命じられた人々です。 これが教会と教会のリーダーたちに与えられた基本的な責任です。ヘブル13:17でこう言われています。「あなたがたの指導者たちの言うことを聞き、また服従しなさい。この人々は神に弁明する者であって、あなたがたのたましいのために見張りをしているのです。」

 私たちが自分に委ねられている人々のために弁明するとは大変重大なことです。もし誰かに自分の子どもたちの世話を頼んで出かけ、帰ってきてみるとキチンと世話をされていなかったことを発見したならば、信頼して任せた人たちに対して私はよい感情は持たないでしょう。

 1970 年代の「ディサイプルシップ 弟子訓練」や「シェパーディング」のムーブメントの中にいた者の多くは、リーダーへの服従やリーダーによるコントロールを強調し過ぎました。その反動として次世代は弟子訓練に対し疑いを持つに至りました。しかしながら、そうだからといって 私たちに与えられている最も基本的な命令であり責任が、教会から取り除かれるままにしておくことはできません。

 真の弟子訓練はリーダーの支配力を増大して人々を縛るものではなく、人々を真理によって自由にし、キリストにあって成熟するのを助け、 私たちの助けを必要としなくなるまでに彼らを成長させることです。真の弟子訓練は、肉の家族よりも強い霊の家族の絆を築きますが、それはコントロールや支配によるものではなく愛と奉仕によるものです。

 「シェパーディング ムーブメント」に関わっていたリーダーの中で非常に間違ってしまった人たちを私は知っています。彼らは人を支配するような人とは思えませんでしたし、真の牧者として弟子作りをするには最もふさわしい人たちのようでした。しかし、そのシステムが何層にもなってくるにしたがい、一番上のレベルで教えられたことが下のレベルに行くにしたがって崩れて行ったのです。
 
 全員が十分の一献金を自分のシェパード(牧者)にしたので、明らかに多くの者はお金のために弟子を作ろうという動機を持ってしまいました。それだけが彼らの動機ではなかったかもしれませんが、それが少しでも混じっていたならば、地獄の大きな門は腐敗への扉を開いたのです。

 キリストにあってはマルチ・レベルの関係は私たちにはありません。聖書に神の孫という言葉はないことに気がつかれましたか。私たちはみんな神の一代目の息子、娘なのです。また、十分の一献金がシェパード(牧者)にいくとは書いてはありません。それは倉に納められて、シェパードや教会の諸々のミニストリー はその中から収入を得るべきなのです。
 私たちは神と人とに兼仕えることはできませんから、何であれ経済的動機でミニストリーをすることは絶対に避けねばな

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