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Walk With God Ministries

29 6月

眠りの霊の ヴィジョン  キャシー・ウオルターズ 6月29日


眠りの霊のヴィジョン

キャシー・ウオルターズ


最近のことですが、ある朝私が目を覚ます直前に、若くて美しい女性がベッドに寝ている夢(又はヴィジョン)を見ました。彼女はとても気持ちよさそうにしていて、美しく穏やかでした。 彼女は本当に「白雪姫」のようでした。「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。」(イザヤ1:18)

すると、ハンサムな王子が彼女に近づき接吻するのを私は見ました。彼が手を伸ばすと、彼女は目を開けて微笑みました。そして起き上がり王子と共に去っていきました。 それから私は同じヴィジョンを何度も繰り返し見せられたのです。
夢やヴィジョンの中の「若い女性」は、ほとんどの場合教会を表しています。しかし私は何故同じ場面が何度も繰り返されたのか不思議に思いました。そしてそれが多くの地域、場所にある教会のことだということに私は気がついたのでした。

「眠りの霊、まどろみの霊」は人を欺きます。というのは、眠りの霊が支配する教会や地域では人々が何もしていない、ということではないからです。人々は神のために忙しく立ち働いているかもしれないのですが、眠りの霊のために自分たちの真のアイデンティティーや神から受け継ぐべき遺産に対して眠ってしまっているのです。 御国のために非常に忙しく働いている多くの人々に私は今まで会いましたが、彼らは自分たちがどのような立場にある者か、光なる主の聖徒として受け継ぐべき物が何であるかに対して全く無知なのです。

眠りの霊は悪霊の中でも最も油断のならない、狡猾なものの一つです。というのは、眠りの霊はあたかも自分は神であるかのように装うからです。それによって人々は神に仕え神のために働かねばならないという「良心の呵責」をいつも感じさせられます。ある人たちは休みをとって楽しい時をすごすことさえも罪に感じるのです。しかし主は 「主を喜び楽しむ」ようにと私たちを召してくださったのです。マタイ11:30に「わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからです。」とありますが、これはギリシャ語では「わたしのくびきはやさしくてわたしの荷は軽くて喜ばしい。それは厳しくもなく重くもない。」という意味です。宗教の霊はすべてのものを「重苦しく」してしまいます。

親しい友人が最近こう書いてきました。「私はもうすっかり疲れくたびれ果てました。一生懸命努力したり、色々なことを心配したことが主な原因だと思います。『これをしなくてはならない、、何かをしなくては、、』といつも感じるのです。本当にいやになります!」この人は私たちの真の召しが何であるかをよく知っている人なのですが、時として私たちは「頑張って一生懸命働かねばならない」という泥沼の中にまたひきずりこまれてしまうのです。

イエスは あなたを働きのために招聘したのではない

イエスはあなたに100%の資格を与えてくださいました。あなたが何かをして勝ち得る(取得する)ものはもう何もありません。救いは初めから終りまですべてイエスによるのです。主があなたを救い、あなたを召し、あなたを贖い、 御霊をくださいました。「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びをもって栄光の御前に立たせることの出来る方」はイエスです。(ユダ24)

「新しい心と新しい霊をあなた方の内に授ける(エゼキエル36:26)」というのが新しい契約の約束です。あなたは主の勝利のトロフィーであり、作品であり、創造なのです。生ける神の御霊があなたの内に住んでおられるのです。これ以上あなたは救われることが出来るでしょうか?

目を覚ましてください。主が呼ぶ声に目を覚まし、主にあるあなたの召しが何であるかに目覚めてください。王の王、主の主、宇宙の創造者、あなたの天の父(アバ)であるお方の子供とされることは何と素晴らしいことでしょうか。「わが愛する者、美しいひとよ。さあ、立って、出ておいで。(雅歌2:2)」と主は言われています。主は「わたしのために働くように」と言われたのではありません。
 主はあなたを滅茶苦茶に愛しておられるのであって、あなたが主のために働くことを望んではおられません。イエスはあなたをご自分のために働くようにとあなたを招聘されたのではありません。主があなたを喜ばれるように、あなたが主を喜ぶようにと召してくださったのです。

私たちの受け継ぐものとは

あなたは プリンセスになって舞踏会に行きますか? それとも台所にとどまり召し使いのままでいますか? イエスも「わたしのするわざはわたしのわざではなく、わたしを遣わされた方のわざです。わたしの話す言葉はわたしの言葉ではなく、わたしを遣わされた方の言葉です。」と言われました。私たちもそれと同じなのです。私たちはイエスのために働くために召されたのではないのです。どうかわざという王座から降り、辞任し、退位してください。そして主の油をあなたの内に流れさせてください。それはがんばることではなく働くことでもありません。主の御霊に委ねるのです。主ご自身があなたの内に生きてくださるように主にあなた自身を明け渡し、主に生きていただくのです。

あなたの受け継ぐべき物に目覚めてください。 イエスはあなたが主と同じ遺産を受け取れるようにと十字架につき復活してくださったのです。御霊の領域、超自然の領域、天使、天国を訪問すること等はあなたの人生の中で普通の出来事となるべきです。あなたの遺産はこれです:主と踊り、主の内に宿り、主の内に歩むことです。

私は人々に 「Snuggle, don’t struggle. もがかないで主に寄りそいなさい。 Nestle, don’t wrestle じたばたしないで主に休息しなさい」という言葉を好んで申し上げます。すべての「一生懸命すること」があなたを眠らせ続け、愛する方にある喜びを味わえないようにします。そして「努力し頑張り続けるベッド」の中であなたはまどろみ続けるのです。しかし、あなたに出来ることはただ主に委ねて主を楽しむことだけです。主はあなたが主を楽しむようにと召してくださったのです。主を楽しむとき、初めてあなたは主に仕えることができ、何かお役に立つことができます。

よい知らせに目を覚ませ

申し上げにくいことですが、あなたの「宗教」に心から興味を持つ人など誰もいないのです。でも、もしあなたが何か良いものを持っているならば彼らは興味を示すかもしれません。神の慈しみはあなたの人生の中で人々に見られるべきものです。すべては主なのです! この良い知らせ

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