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Walk With God Ministries

07 7月

イエスの血潮による住まいの大掃除 坂 達也 7月7日


イエスの血潮による住まいの大掃除

坂 達也


科学者であるデービッド・ヴァン・コエバリング氏は、1970年代にレーザー光学を利用した音楽楽器を発明しました。彼は物質には記憶のメカニズムがあることを利用し、シルバー・オキサイド酸化銀のフイルムの上に音を録音し、その音をキーボードから再生音として出させるキーボード楽器を開発しました。 物質には記憶のメカニズムがあることを彼は下記の聖書から引用しています。

「見よ。この石は、私たちに証拠となる。この石は、主が私たちに語られたすべてのことばを聞いたからである。あなたがたが自分の神を否むことがないように、この石は、あなたがたに証拠となる。」(ヨシュア記24:27)

テープレコーダーやコンピューター、或いはカメラで使うメモリー・ステイック、メモリー・カードを見れば分かるように、物質は目の前で起こっている話し声とか映像を記憶することが出来ます。音声だけでなく、すべての光・映像のソースからは光子が放たれていて、それが物質に記録されるからです。
そうであるとすれば、私たちの日常会話とかやっていることは皆、私たちの住まいとか事務所の天井、壁、床、家具等あらゆる備品が見て聞いていることになり、その音声と映像(コエバリング氏はそれに加えて「思い」もと言っています)をちょうどDVDか撮影機で撮った映画のように記憶しています。そしてそれがよいことであればすばらしい祝福となりますが、罪とか悪いことであれば、のろいとなって残り、そこに住む人々に大きな影響を与えるのです。

ここで思い出して下さい。ろばに乗ってオリーブ山のふもとに近づかれたイエスにむかって弟子たちの群が大声で神を賛美しました。それに反対し抗議するパリサイ人に向かって、イエスは答えて言われました。「わたしは、あなたがたに言います。もしこの人たちが黙れば、石が叫びます。」(ルカ19:40)

「石は叫ぶ」のです。石がそうであるのなら、あなたの家の床、壁、天井も叫ぶことが出来ないでしょうか。あなたがご自宅でいつも神を賛美していれば、あなたの家全体が神を賛美していることになります。
 又、あなたが悪いことを言い、罪を犯しているなら、それを記憶しているあなたの家ではその呪いがいつかは叫ばれることになりませんか。これは恐ろしいことです。

それでは一体どうすればよいのでしょうか。あなたの家を部屋毎に廻り、床、壁、天井、家具備品の上に記録された一切の悪いこと、罪と呪いの記録をイエスの血潮とイエスの御名によって丁寧にぬぐい去る宣言をすればそれは消されます。これしか方法はありません。これによっても、イエスの血潮がどれ程力のあるものであるか、お分かりいただけると思います。

又、得体の知れない処で作られた土産物、あるいは人からいただいた形見の遺品に至る迄、そのものには生産者とその地の人々が関わる罪とのろいが掛けられ残っている可能性は十分あります。又、遺品の場合はその残した人の良いもの悪いものが記録されていますから、やはりそれも霊的に「きれいにすべき」です。

 ですから皆さんにぜひお勧めします。皆さんは時々家の霊的大掃除をして下さい。又、友人とか家族の人が病院に入院しているような場合は、その病室を訪ね、その部屋全体を小声で結構ですから、イエスの血潮と御名できよめて下さい。そして出来るだけ多く信仰で励ましの言葉、神様のお話をして上げて下さい。教会の人たちと行って賛美をするのも大変よいことでしょう。


ところで話は変わりますが、過去の記憶と言えば、私が最近経験したことをお分ちしたいと思います。しばらく前でしたが、一週間のうちに二、三夜ほど昔の仕事をしている当時の夢を見ました。全く同じ内容の夢ではなく、又取り立てて何かが起こった時を思い出すような夢でもなかったのですが、当時私の事業の末期であった頃の何か重苦しい感じの、どちらかと言えば、とりとめのない夢でした。
三日目の朝でしたか、どうしてそんな昔の夢を続けて見るのかなといぶかしく思ううちに、ハッと気が付いて私は膝まずき、私の事業をしていた時期に私が犯した様々な罪を出来るだけ具体的に思い起こしては、それを改めて悔い改める告白をしました。そして、イエスの血潮でそれら一切の罪をぬぐいさり、赦す宣言をしました。するとその後は、当時のよくない重苦しい夢を見ることはなくなりました。

私は自分の過去に犯した罪とその呪いを取り去る祈りを、思いつく度に時々して来ました。ですから今回私がしたことで特に変わったことをした訳ではなかったのですが、一つだけ新しいことと言えば、私の事業をしていた40年近い期間を一つのひっくるめた期間として、その全体にイエスの血潮の充分なる覆いを掛け、私の心の中できっぱりと整理・清算したことです。

その時期と言うのは、私がアメリカに渡って仕事を始めて約10年後にクリスチャンになり、その後に試練の時期に入ってやがて倒産するに至りました。その事後処理を通して私が神に頼り切るつもりでも全く頼り切れず「人間的に苦しみあがいた」格闘の期間でした。(今はそれを卒業したと言う意味で申し上げている訳では決してありません。)
その当時経験した様々な仕事上の人間関係と仕事の処理の仕方において、自分が犯した様々な罪と自分の至らなさは、既に悔い改め、赦すべき人は赦して来たつもりでいましたので、今では全くと言ってよいほど当時のことは忘れ去っていました。しかし、主は私の中に未だにその頃の罪意識が残っていて、私自身を縛り、完全に解放されてはいないことを気づかせて下さったのであると思います。

過去の悔やむべき思い出は完全に消し去らなければなりません。そのようないやな思い出は、 自分には最早何のトラウマとはなっていないと思っていても、意識下で罪悪感の痕跡が残っているのです。「以前は 自分も悪魔に属していた」と言う私たちの古傷を持ち出してきて私たちの罪悪感を煽り、悪魔の暴力団からは二度と足を洗えないと言う嘘の言い掛かりを付けて脅迫してきます。

これは悪魔の典型的なやり口です。私たちの罪は私たちが考える以上に巾広いもの、そして根の深いものであると思います。
それには、自分の罪は既に完全にイエスの血潮で消え去られていると言う確固たる不動の信仰を持っていなければならないのです。

人間の脳細胞、特に記憶する機能の細胞、いや、あなたの身体全体があなたの過去に起こったこと、見たこと、聞いたことを全部記憶し、それを引き継いで抱え込んでいると

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