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Walk With God Ministries

27 1月

私たち家族への主の導き                  坂  達 也          2020年1月28日


私たち家族への主の導き

 

                 坂  達 也

 

 柚実子が天に召されてから1週間が経ちました。1月22日(日本時間23日)行われたメモリアル・サービスは予想以上の出席者が参加され、何から何まで主ご自身が御支配された大変すばらしい祝福された集会となりました。会場は圧倒的な主のご臨在に満たされました。このサービスの録画は下記のサイトによりフエイス・ブック Face bookで見られますので、ぜひともご覧くだされば幸いです。

https://ballarddurand.com/obit/yumiko-ban/

 

 さて、柚実子亡き後しばらくは、後整理、あるいは住居移動の可能性もあり、毎週のブログ・メッセージを通常通り続けることが困難な場合もありますので、とりあえずの方法として、今までの10数年間に掲載されたメッセージの中から、今後に必要、かつタイムリーと思われるものを選んで再掲載させていただきますのでどうぞご了承くださるようお願い致します。

 

 

麦打ち場での親密な交わり( 2015年2月16日)

 

ボビー・コナー

 

 

 

 

昔の夢がよみがえる

 

最近私には、1990年代の半ばに私が見た鮮明な夢に深く関わる預言的な出来事が幾つかありました。その夢の中で啓示されていた幾つかの基礎的な真理(神が今まで私が発表すことを押さえておられた真理)を、神が今解き放ち回復させようとしておられることを私は感じ取っています。それらを明らかにする時がやってきたのです!

 

箴言25:2「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ。」

その夢は、私がボブ・ジョーンズ師と一緒にドイツのオートバーンを運転しているところから始まります。私たちは優秀なドイツ車に乗り、見事な高速道路をものすごいスピードで走っていました。ボブと私は、過去に起ったこととこれから神がされることを話していました。するとボブが「私がここだと言うところで、車を道路のわきに寄せて停めて欲しい。」と指示したので、私は承諾しました。

ほんのしばらくすると、ボブが「ここだと思う!車をわきに寄せて!」と叫びましたので、私はスピードを落とし道のわきに車を停めました。車から降りると、道路の横は急勾配の深い溝になっていて、その向こう側にはがっしりした鉄条網が張リ巡らされ、誰も入れないようになっていました。あたりを丹念に調べていたボブが興奮して言いました。「そう、ここだ!ここに違いない!」

彼は鉄条網に開いている小さな隙間を指差しました。鉄条網の向こう側は濃い茂みにおおわれていましたが、人にあまり踏まれていない小道がうっすら見えました。向こう側に入る入口を見つけたボブがそんなにも興奮してうれしそうなのを見て、私も非常に勇気づけられました。深い溝を下りてまた上るのは大変でしたが、私たちはどうにかやりとげました。そして注意深く鉄条網に開いていた小さな穴をくぐって向こう側に出ることができました。

私たちは濃い茂みをかき分けて丘を一歩ずつゆっくり登っていきました。一歩毎に道はだんだんと開けてゆき歩きやすくなりました。私は目的地がどこなのかを知りたくてたまらなくなりボブに訊ねましたが、「はっきりはわからない、着けばわかるだろう」という答えが返ってきました。

 

両開きのダブルドア

 

丘はしだいに急勾配になっていきました。山道を苦労して登りきると、非常に大きな古い納屋の前に出ました。納屋自体が芸術作品のようにすぐれた建造物でした。非常に古いのですが、壊れたところもなくすばらしい状態でした。納屋には非常に大きな両開きのダブルドアがあり、ステンレスの大きな鎖と錠で閉められていました。苦労して登ってきたのに納屋に入れないかと思い、私は非常にがっかりして悲しくなりました。

しかし、 ボブに鍵を開ける暗号を知っているかと私が訊ねると、彼は満面に笑みを浮かべたのです。彼は「訊くまでもないよ」と言うかのようにうなずき、錠のダイアルを注意深く回し始めました。私は興味津々で見つめていました。ボブは左に5回まわし3で止めました。次に右に3回まわして4で止めました。次に左に回して1で止まり、次に6と8、そして2のところに戻りました。

その時、錠がカチッと鳴り、開いたのです。私は「あなたが3−4−1を用いるだろうとは知っていましたが、6−8−2というのはわかりません!」と彼に言いました。ボブは確信をもって答えました。「今は2倍、ダブルの時なのです!

341を倍にしたら682でしょう。」そしてもう一度いいました。「今はダブルのシーズンです。恵み、恵みの時を信じて期待しなさい!」

大いに興奮し、わくわくと期待してボブと私は巨大な木の扉を開け放ちました!電灯は必要ではありませんでした。というのは大きな天窓があり、そこから日の光が納屋全体を満たしていたからです。

まず最初に私たちが目にしたのは、横向きに倒れた美しい手彫りの説教台でした。それは建物の入口をほとんど塞ぐかのように倒れていました。私たちの最初の作業はそれを起してもとの正しい場所にもどすことでした。

 

宝の家

 

私たちは何があるのかと期待しならが、建物の奥へと進んでいきました。そして今まで見た事もないような非常に美しい古い材木が天井まで一杯積まれているのを発見して心底から驚きました。材木は番号が付けられ分類されていて、見事に整然と積まれていました。その辺にあるただの材木ではありませんでした。それらの角材はとても大きく、その木目は言い表せないほどすばらしいものでした。どの角材もこの場所に置かれるのにふさわしいものでした。これらは教会を建て直すための材木だったのです!一つ一つが力強く、優秀で、美しいものでした。

納屋の中のものが、ほこりや蜘蛛の巣などは全くなく、完璧な状態であることに私は心から驚嘆しました。私たちが正真正銘の宝の家にいることが私にはわかりました。そして、失われていた神の宝を再び見出して用いるために、神が預言の賜物をパワフルに用いようとしておられることがわかったのです。

かなり以前に与えられたこの夢の中で、ボブは「今は教会の土台となる基本的な機能が回復される時です。」と言いました。

 

これは私たちにとって2015年のため、特にこれからの日々のために大変重要な夢であることを私は霊の深みで感じています。真の改革と根本的革命が教会に再び来ようとしているのです!

 

5775年:両開きのダブルドア、2倍の分け前

 

2015年になって私はこの夢を再び心に示されたのですが、この夢の中に示されているヘブル的な意味には興味を引かれます。ユダヤ暦では今年は2015年ではなく5775年であり、ユダヤ暦の新年ロシュ・ハシャナは2014年9月24日でした。

古代へブル語には数字がありませんでしたので、アルファベットを数字に用いていました。(古代ローマが用いたローマ数字のようなものです。)それによると5775という数字はTish’ehという実際の単語になり、それは留意する、注意する、注目する、凝視する、という意味です。また、Ha’tish’ehとも書く事ができ、それは「あなたは注目しますか?」という意味になります。今年、私たちは「あなたは注目しますか、しませんか?」と訊かれているのです。では何に注目するのでしょうか?

ヘブルの数字はアルファベットで表されますが、各アルファベットはそれぞれ一つの絵になっています。これは聖書を学んでいる人は皆知っていることです。5775という数字は非常に明確な絵となっています。そこには主が両開きのダブルドアから2倍の分け前と主のつるぎ(主の御ことば)を携えて入ってこられ、主の民のために戦い、彼らを養われるという姿が描き出されています。

「両側に開かれた扉と2倍の分け前」に対して私たちはどのように応答すればよいのでしょうか?

私たちは、教会の土台を築く基本的な機能を建て直し改革せよと語っておられる聖霊の言葉に注意を払い耳を傾けるのでしょうか?

 

現に、2014年にユダヤの過ぎ越しの祭りと仮庵の祭りに起った血の月blood moonsの現象が再び起ころうとしています。2015年にも、即ち3番目と4番目の血の月、過ぎ越しの祭り(4月4日)と仮庵の祭り(9月28日)に起ろうとしています。2倍の分け前である2つの血の月が2つの祭りの時に出るのです。2年続けて起る4つの血の月という天のしるしは、1942年、1948年、1967年に起りましたが、これらはすべて歴史的に見て非常に重要な年でした。今回はどのような重大事が起ろうとしているのでしょうか?

 

2倍の親密さ

 

「納屋 barn」というヘブル語の言葉は「打ち場」とも訳すことができます。打ち場こそが、これから始まる非常に重要なシーズンにあたり私たちのために開かれた場所です。打ち場は平で滑らかにされた場所です。麦が実と殻に分けられる場所であり、真の宝が見出されて貯蔵されるところです。打ち場はルツがボアズと逢ったところであり、即ちそれは教会が主と出会うところです。そこは非常に深い親密さの場所です。打ち場は愛する方が花嫁に「恵み、恵み!」と呼ばわる所です。

どのようにして私たちは親密な場所に入る鍵を開けることができるのでしょうか?暗号はなんでしたか? それは私たちが「隣人を愛すること」であり、又「恵み、恵み」と呼ばわってくださる方を愛することです。雅歌5:5にこう書かれています。

「私は起きて、私の愛する方のために戸をあけました。私の手から没薬が、私の指から没薬の液が、かんぬきの取っ手の上にしたたりました。」

愛する主との親密さの鍵を開ける341という暗号は、イスラエルに対する「シャマー」、即ち注意せよ、聞いて従えというイザヤ34:1の恵みを指しています。「国々よ。近づいて聞け。諸国の民よ。耳を傾けよ。地とそれに満ちるもの、世界とそこから生え出たすべてのものよ。聞け。」

 

2倍の祝福あなたが祝福となる

 

3—4—1という夢の中の納屋の鍵を開ける暗号の数字は、ボブにとって長年非常に意味深いものでした。それは1980年以来神からの特別のしるしとして彼に与えられたものであり、神が導かれる人生の中でずっと特別の意味を持っていたのです。

今私たちは打ち場に行き神に近づくようにと招かれています。そこで私たちの宝である主を見出し、人びとと一緒に主の教会として建て上げられるのです。この出会いの場所を開ける鍵は、主の恵みの招きに応答するときに見つけることができます。神の恵みは癒しと繁栄の賜物をもたらしますが、それと同時にすべてのクリスチャンが聖なる会合に連なり、この世から分たれ聖別されることが求められています。(参照:第二コリント7:1「愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。」

 

私たちは「求め、捜し、戸を叩いて」主の御座から直接知恵と啓示を頂きたいと嘆願するように召されているのです。(ヤコブ1:5参照)主は花嫁と親しく語り、ご自分の愛と臨在を目に見える形で注ぎたいと熱望されています。それによって私たちがこれからの重要なシーズンへの備えができるようになるためです。(コナー師メッセージ終わり)

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 ここから坂 達也のメッセージを付記させていただきます。

私は柚実子のメモリアルサービスの後、遺体の火葬もすべて終わったその夜、ハワイから来ている娘夫婦と共に私たちのコンドに帰宅し三人でくつろいで話をしました。そして就寝の前に私は主の前にひざまづき、主を見つめて待つ祈りに入りました。そして、WWGMの運営も含め、一人となった私が今後どのようにすればよいか、主にお伺いし主のご指示を待ちました。

顕著な御臨在の中でほぼ1時間があっという間に経ったのですが、主からの具体的なみことばはありません。主は語られることも多くありますが、語られないことも多くあります。語られない時はそれ事態が意味を持ちます。

私たち家族は息子夫婦と孫がニューヨークに住み、娘夫婦はホノルルに住んでいて、子供はいない、幸いなことに皆クリスチャンです。独り身となった私はどちらにも住めますし、どちらも私が一緒に住むことを心から歓迎してくれていることがこの数日で私にはよく分かりました。すると暫くして主は、大人五人と小さな孫二人それぞれが、それぞれの立場と状況に立つ時に、主がそれぞれに主の知恵と啓示を与えるとおっしゃられていることにはっと気がついたのです。その時ヤコブ書1:5の聖句も思い浮かびました。

 

 実は、上記のボブ・ジョーンズ師の夢の話を私が今回選んだのは、上記のメッセージでボビー・コナー師が、私たちは「求め、捜し、戸を叩いて、主の御座から直接知恵と啓示を頂きたいと嘆願するように召されている」と言っていることに目が留まったからです。

それと共に、ジョーンズ師とコナー師の夢のお話は2015年の時点で書かれてはいますが、その5年後の今も含め、これからこそ、いよいよ霊的な主をお迎えして終末の真のキリストの教会を私たちが建て直されねばならないからです。そのために絶対に必要なメッセージではないでしょうか。なぜなら、今こそ、第二コリント7:1に書かれている「・・・いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖くならねばならないこと」が絶対条件であるからです。(終わり)


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