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Walk With God Ministries

30 12月

ニネベの断食      フランシス•フランジペイン             2019年12月30日


 

ニネベの断食

 

フランシスフランジペイン(Ministries of Francis Frangipane)

 

 

 断食には色々なタイプがあります。あなたがもし長期の断食をしたことがあるならば、それが人生を変革するような経験であることがおわかりでしょう。罪を示されたニネベの王は、その国の貴族や民衆と共に、食物と水を完全に断ちました。神は彼らの真摯な悔い改めを見て、ニネベを滅ぼされませんでした。ニネベの人々は、「断食を伴う祈りがどれほど神の心を動かすか」という見本となったのです。(ヨナ3、ルカ11:32)

断食はリバイバルを活気づけるパワフルな道具ともなりますが、又ただの宗教的な慣習に堕ちてしまい、何の霊的意味も持たなくなることもあります。パリサイ人は週に二回断食をしましたが、それは人々から見てもらうためでした。パリサイ人の断食は宗教的プライドであり、全く霊的価値のないものでした。

 

真の断食とは

 

断食の根本的目的は、私たちが霊的目的地に素早く到達するのを助けることにあり、断食が 「fast (早い)」と呼ばれるのはそれが理由なのです。イエスは「義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。(マタイ5:6)」と言われました。私たちの飢え渇きは、自分や家族、教会、町、国家の上に義が満ちることを求める飢え乾きです。断食は私たちをその目的地に速く到着させるのです。

しかし私たちは、断食を「自分に課す刑罰」にしてしまってはなりません。断食は「肉体の苦行(コロサイ2:20−23)」ではないのです。断食は実のところ「恵みの賜物」なのであり、主と長時間交わることのできる機会なのです。普段なら食事をして肉体を養う時間を、自分の霊を養うために用いるのです。主ともっと親しくなり、御ことばを読み、暗記し、自分や人のために祈るのです。

 

イザヤ58章には、断食は又、神の愛を人々に示す時でもあると書かれています。

イザヤ58:6−7

「わたしの好む断食は、これではないか。

悪のきずなを解き、くびきのなわめをほどき、

しいたげられた者たちを自由の身とし、

すべてのくびきを砕くことではないか。

飢えた者にはあなたのパンを分け与え、

家のない貧しい人々を家に入れ、

裸の人を見て、これに着せ、

あなたの肉親の世話をすることではないか。」

 

ですからあなたが断食をするときには、不遇な人や傷ついた人を助ける手段を考えてください。食事のための費用を貧しい人々の援助団体に寄付するのも一つの方法です。

 

ニネベの人々

 

ニネベの王に戻りましょう。彼は「人も、獣も、牛も、羊もみな、何も味わってはならない。草をはんだり、水を飲んだりしてはならない。(ヨナ3:7)」という布告を出し、国民に完全な断食をさせました。

イエスご自身も、ニネベの人々が神の前に真摯に悔い改めた結果起ったことを、「打ち破りの見本」として賞賛されています。

皆さん、今アメリカには打ち破りが必要とされています。そして祈りと断食なしには決して起らない打ち破りがあるのです。私たちもニネベの人々と共に立とうではありませんか。(終り)

 

 

訳者よりの付記         

 

今、打ち破りが必要なのはアメリカだけではありません。クリスチャンであれば誰でも、個人的に主に対する真の愛とその信仰の程が試される時がやってまいりました。そして日本が羊の国になるか、山羊の国になるかも、私たちクリスチャンの信仰に掛かっています。

新年には、主に示された時と方法により、日本とアメリカのために、ぜひ断食を伴うお祈りをしていただくことを切にお願い申し上げます。2020年良いお年をお迎えください。     坂  達也・柚実子


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