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21 9月

敵の真中で平安を保つ (その1) フランシス・フランジペイン 2019年9月22日


敵の真中で平安を保つ (その1)

フランシス・フランジペイン(Ministries of Francis Frangipane)

真の平安は、私たちが神の愛を確信するときに実る果実です。どのような戦いの中にあっても「あなたがたのうちにおられる方が、この世のうちにいる、あの者よりも力がある。(1ヨハネ4:4)」という真理が啓示されるとき、平安は生まれるのです。あなたは自分自身を信じるのではなく、神を信じて平安を得るのです。

神の平安がサタンを打ち砕く

霊的戦いを効果的に戦うためには、私たちは「霊的権威」を理解し用いねばなりません。しかし、霊的権威を持つとは、自分の考えを他の人に押しつけることではありません。霊的権威を持っているならば、あなたは、以前葛藤と抑圧に満ちていた領域で神の平安を確立しているはずです。ですから権威をもって働くには、あなたはまず平安を得ていなければなりません。

使徒パウロはローマ16:20で「平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。」と教えています。私たちが戦いの最中に平安を保つならば、悪魔的圧迫や恐怖に致命的な打撃を与えることができるのです。勝利は自分の感情や知性では絶対に得られません。勝利は、「物事を自分の目や耳からの情報で判断すること」を拒み、「神の約束は必ず実現すると信頼すること」からやってきます。

自分のおかれた状況に人間的に反応するのをやめるまでは、 キリストの勝利を完全に経験することは絶対できないでしょう。
本当に権威があるならば、物事を心配や恐れや怯えなしに見ることができます。 あなたに平安があることが勝利のしるしです。

激しい嵐に対するイエスの権威は(マタイ8:23−27)ご自分の平安を自然の上にも行使し展開させたものです。主は嵐と戦ったのでもなく、恐れもしませんでした。全き平安のうちに主は嵐の猛威に向かい、主の権威で制圧しました。

イエスがピラトの法廷に立たれたとき、そこは地獄の権力が渦を巻き人々の感情を揺さぶっている世界でした。しかし、イエスの周りは聖なる静寂に包まれていました。それは、「どのような代価を払おうとも神の御こころを遂行する」という主の決意から生まれた平安でした。神の御座の平安を完全に映している静けさを、イエスの霊は放っていました。瞬時にして、
裁判にかけられているのは最早イエスではなく、サタン、ピラト、そして宗教界の人々となったのです。

サタンの兵器庫には、恐れ、心配、疑い、自己憐憫などが入っています。これらの兵器はすべて私たちから平安を奪い、内なる苦悩を与えるものです。敵がどこからあなたを攻撃してくるかを知りたいですか?あなたの様々な人間関係の網の中で、あなたに平安がないところがあるならば、そこには戦いがあるのです。反対に、あなたに平安があるところには、勝利があるのです。サタンが矢を放ち、あなたを逆境の中に陥れる時でも、あなたの平安が大きければ大きいほど、あなたはキリストの勝利の中を歩むことができるのです。

パウロはピリピ1:28で「また、どんなことがあっても、反対者たちに驚かされることはないと。それは、彼らにとっては滅びのしるしであり、あなたがたにとっては救いのしるしです。」と語っています。あなたが平安を保ち、神の言葉に固く立つならば、それはあなたが神の御こころに100%正しく従っているしるしです。あなたが「どんなことがあっても反対者たちに驚かされない」という事実そのものが、あなたが敵の上に権威を持っているしるしです。
(続く)


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