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05 8月

エリヤとイゼベルとの戦い フランシス・フランジペイン 2019年8月5日


エリヤとイゼベルとの戦い

 

フランシス・フランジペイン(Ministries of Francis Frangipane)

 

 いにしえから戦われている一つの戦いがあります。それはエリヤの霊とイゼベルの霊との戦いです。この戦いにおいて、「エリヤ」は神の御こころを表しています。即ち、人々が悔い改めて神に回帰することです。反面「イゼベル」とは、

神の御業を阻む独特な悪の主権を表しています。

 

勝利者が国を勝ち取る

エリヤの霊とイゼベルの霊との戦いを理解するためには、この敵対する2つの霊が聖書の中でどのように描かれているかを知る必要があります。この二つの霊は

対照的なものです。エリヤは大胆でしたね。しかしイザベルは厚かましく傲慢でした。エリヤは悪を容赦しませんでしたね。しかしイザベルは義を憎悪していました。

エリヤは神の道と神のことばを語りましたね。しかしイゼベルは魔術と偽りの言葉で満ちていました。

エリヤとイゼベルとの戦いは、今日も続いています。両者の軍団のリーダーは預言者たちです。私たちの国の魂は、まさにこの戦いの勝利者のものとなるのです。

サムエルによれば、エリヤは預言者学校の長で、彼の下には主のことばを歌で表す何百人という「預言者のともがら」がいました。しかしこの戦いでイゼベルは、酷い方法で計画的にほとんどすべての神のしもべを殺害し、残ったのはエリヤだけのように見えました。(1列王記18:22)最後の預言者としてエリヤは、450人のバアルの預言者と400人のアシュラの預言者に対して「力を見せよ」と挑みました。彼らの神々と主の力との対決です。

850人の男たちは偽預言者であり、イゼベルの食卓につくサタンの祭司たちでした。(1列王記18:19)彼らは暗やみの霊が生み出した最もパワフルな者たちであり、悪霊に取り憑かれた者たちでした。イゼベルの夫、アハブ王は、イスラエルのすべての人に知らせを送ったので、

エリヤの神とイザベルの悪霊たちの間の戦いを見るために国をあげて集りました。

戦いの方法は簡単でした。両者が祭壇に雄牛をのせました。そしてエリヤが言いました。「あなたがたは自分たちの神の名を呼べ。私は主の名を呼ぼう。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」敵の預言者たちが神を呼ぼうと12時間試みた後、エリヤは「もっと大きな声で(バールを)呼んでみよ。、、、もしかすると、寝ているのかもしれないから、起こしたらよかろう。」とあざけりました。

次に夕暮れ時にエリヤがいけにえを捧げて祈ったところ、主の火が降ってきて、全焼のいけにえを焼き尽くしました。民はみな、これを見てひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」と言いました。このパワフルな出来事のすぐ後に、エリヤはバアルの預言者たちを捕え殺しました。

 

私たちは「この時、エリヤはイゼベルをも始末するように神に願うだろう」と考えるのですが、彼はそうしませんでした。意外なことにエリヤは霊的な戦いの渦中に投げ込まれたのです。イゼベルは部下の身に何が起きたかを知ったとき、

エリヤに向かって 悪霊の力を 解き放ちました。エリヤが恐れて逃げ出した原因はそこにあるのです。

 

あなたは「どうしてこのように力ある預言者が逃げ出したのだろうか?」と訊ねるかもしれません。答えは簡単ではありません。事実、状況は悪化しました。次の場面でのエリヤは、えにしだの木の下に横たわり、「私は先祖たちにまさっていない。」と嘆き、死をも願ったのです。どのような圧迫感がこの偉大な神の人を襲い、彼を恐れと落胆の餌食にしたのでしょうか。それは彼がイゼベルの呪術に屈したからでした。

次のことを理解してください。私たちがイゼベルの霊に立ち向うとき、たとえ彼女の「色情や呪術」には屈しなくても、「恐れや落胆」の力に対して屈しないように、堅く身を守らねばならないのです。イゼベルはあなたを敗北させるために「恐れと落胆」の霊を送るからです!

 

ドラマは続く

これは霊的奥義なのですが、 ある者の上にあった油注ぎを、聖霊が他の者に移して機能させることがあることを聖書は語っています。例えば、エリヤの霊の二倍の油注ぎが彼の後をついだエリヤを通して働きました。(2列王記2:9−10参照)

又、バプテスマのヨハネが出現したとき、彼はエリヤの霊と力をもって主の前ぶれをしました。(ルカ1:17)イエスも又彼を「実はこの人こそ、きたるべきエリヤなのです。」(マタイ11:14)と言いました。

 

エリヤの霊的影響力がバプテスマのヨハネのミニストリーを通してこの世に再び戻ってきたのです。エリヤのようにヨハネも悔い改めの必要を説きました。そしてヘロデ王と妻へロデヤの姦淫の罪の生活の中に悔い改めが必要でした。ヨハネが彼らの罪を告発したとき、ヘロデヤの願いを聞き入れてヘロデはヨハネを牢に入れました。(マルコ6:17−18)

 

ヘロデヤの暗い魂に働きかけ彼女を操っていたのは誰だったのでしょうか?

エリヤの霊がヨハネを通して働いていたように、妖婦ヘロデヤの反抗的態度を通してイゼベルは再び登場したのです。イゼベルは呪術を盛んに行ない(2列王記9:22)エリヤを攻撃し恐れと落胆をもたらし、彼が自信をなくして混乱に陥るようにしたことを思い出してください。

今やヘロデヤはヨハネに猛烈に歯向かいました。

ヨハネはキリストの上に御霊が下るのをはっきり見た預言者です。御父が「これはわたしの愛する子」と宣言する声も聞きましたし、イスラエルのメシア、イエスの聖さを畏れをもって見つめもしました。しかし今や恐れと落胆がヨハネの肩に重くのしかかったのです。キリストへの疑いが彼の心に溢れ、「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」(マタイ11:3)と弟子を通して質問したのです。

 

ヘロデヤにとって好機が訪れました。ヘロデの誕生日に娘にヘロデの前で踊らせ、何でも望むものを与えるという約束を勝ち取らせました。母親の願いにより(「イゼベルの願いにより」と言った方がより正しいでしょう)娘はヨハネの首を願い、それを受け取りました。そしてこの敵対する2つの霊は、その後一時の間、静まったのです。

 

エリヤがやってくる!

 

2千年前に、イエスはエリヤのミニストリーは終ってはいないと言われました。主は「エリヤが来て、すべてのことを立て直すのです。」(マタイ17:11)と約束されました。また、マラキは「見よ。わたしは、預言者エリヤをあなたがたに遣わす。彼は、父の心を子に向けさせ、子の心をその父に向けさせる。それは、わたしが来て、のろいでこの地を打ち滅ぼさないためだ。」(マラキ4:5−6)と預言しています。エリヤは戦いのため、又、回復のために来るのです。大いなる日の前に、主の恐るべき日の前にエリヤは戻ってくるのです。

 

イエスの再臨の前にエリヤが来るならば、イゼベルの顕れをもこの世に見ることを、私たちは知らねばなりません。現にこの国では呪術と淫行が横行し、イゼベルがはびこっているのが分かりませんか?

神の権威を無視するイゼベルの猛々しさが聞こえませんか?

彼女が神のしもべたちに不品行を行わせているのをあなたは見たのではありませんか?(黙示2:20)イゼベルがこのようにずうずうしい態度で自分を顕していることは、取りも直さず、エリヤの霊も又、悔い改めを説き、預言者たちを戦いに立ち上がらせていることを確証しているに他ならないのです。

 

平和の時ではない

 

旧約聖書で、私たちは神がイゼベルをどのように滅ぼされたかを見ることができます。イスラエルで新しく王となったエフーが、エリヤの後継者であるエリシャが語った主のことばによって、神の約束を成就するために遣わされました。

 

エフーとその軍勢が戦車で激しくイゼベルを追ったとき、イスラエルとユダの王たちは彼を迎えました。彼らは「エフー、元気か。」と聞くと、彼は「何が元気か。あなたの母イゼベルの姦淫と呪術とが盛んに行われている限り。」(2列王記9:22)と答えました。そして彼は二人の王を殺し、直ぐイゼベルに向かいました。

エフーを見たときイゼベルは「目の縁を塗り、髪を結い直し」窓から見下ろしていました。そして「元気かね。主君殺しのジムリ。」と言いました。

エフーが窓を見上げて「だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか。」と言うと、2、3人の宦官が彼を見下ろしていたので、「その女を突き落とせ。」と言いました。すると彼らはイゼベルを突き落としたので、彼女の血は壁や馬にはねかかりました。エフーは彼女を踏みつけました。(2列王記9:30−33)

エフーの霊は私たちが今日持たねばならない何かがありました。私たちは彼女の手管や策略に引っかかった人たちに対しては同情するべきですが、イゼベルの霊そのものに対しては憐れみを持ってはいけないのです。エフーはイゼベルに対していっさい妥協はしませんでした。

 

それによって私たちはこの悪魔に私たちの魂に探りをいれる機会を与えず、彼女の多くの呪術につけ込ませるすきを与えないのです。彼女は私たちの思いに影響を与える高い地位から投げ落とされねばならず、それによって私たちは真にキリストに従うことが出来るのです。(ルカ10:19、ローマ16:20参照)

 

この国で淫行や魔術が行われている間は、そしてイゼベルの霊が征服されるまでは、私たちは「いちじくの木の下で(ミカ4:4)」平安にくつろぐことはできないのです。妥協や恐れによる偽りの平安でよしとすることを拒否せねばなりません。神の御霊は私たちを戦いに召しておられるのですから!

宦官たちがイゼベルを投げ落とした事は意味深いです。今この記事を読んでおられる方の中には、この悪の霊のとりこになった人がいます。今日、神はあなたにイゼベルに対する神の裁きに参加する特権を与えておられます!

神の味方となり、神の解放を得てください!

 

祈り

天の父よ、私のこころをあなたに委ねます。イエス・キリストの御名により、イゼベルの霊を退けます。イエス・キリストのしもべとして、イゼベルの虜となっていた者たちを解放します。インターネットや不正な関係によって不品行に陥っていた人たちを解放します。

イゼベルの奴隷たちに言います。もしあなたが真実主の味方ならば、この無慈悲な主人への同情的な思いを投げ捨てなさい!

あなたの頭から彼女の邪悪な思いを断ち切りなさい。イエスの御名の力により、今あなたの魂を掴んでいる彼女のサイキックな縛りからあなたを解き放ちます。生きるキリストの権威によって祈ります!アーメン(終り)

 


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