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16 7月

サタンは暗やみを支配する フランシス・フランジペイン  2019年7月16日


サタンは暗やみを支配する  

フランシス・フランジペイン

 

 多くのクリスチャンは「サタンはこの世にいるのか、それとも地獄にいるのか?」とか「サタンはクリスチャンの中にも住めるのか、それともこの世の中だけか?」というような議論を戦わせます。その答えは「サタンは暗やみにいる」です。霊的な暗やみがあるところには必ずサタンもいるのです。

 

霊的戦いへの備え

 

 多くのクリスチャンにとって(それはあまりうれしくないことかもしれませんが)「霊的戦い」は、今まで経験したことのない領域へと私たちを導きます。悪霊との対決を考えると、私たちは不安になります。私たちはイエスのもとにきた「迷える羊」であって、「戦士」として馳せ参じたつもりは全くないのですから。

 

 ですからある人たちは、実際に霊的戦いを自分の方から仕掛けることは絶対ないかもしれません。しかしすべての人は、サタンの方から私たちに対して戦いを挑んでくるという事実に直面することになります。ですから、私たちが平安な生活を送るためには、サタンの攻撃に対して無防備な領域が自分の中にあるかどうかを見極めることが絶対に必要であるのです。

 

ユダの手紙1:6に「また、主は、自分の領域を守らず、自分のおるべき所を捨てた御使いたちを、大いなる日のさばきのために、永遠の束縛をもって、暗やみの下に閉じ込められました。」とあります。

サタンが神に反逆したとき、彼は、聖書が「 穴 pit =hell」(2ペテロ2:4)あるいは暗やみの「束縛 bonds」と呼ぶ場所で、永遠のさばきの下に置かれたのです。サタンと 堕落天使たちは暗やみの中に住むように指定されたのです。

 

この暗やみとは、ただ単に光がない場所をさすだけではありません。聖書が言うところの永遠の暗やみとは、本質的に倫理的暗やみを指していて、それは究極的には本当の暗やみへと堕ちていきます。それは単に光がないだけではなく、光なる神が存在しない場所です。

サタンが追いやられた暗やみは、人間の外側にしかないわけではないと知ることは非常に重要です。しかし、イエスを知らない人々とは違い、私たちクリスチャンは暗やみの圧制からは既に救い出されています。(コロサイ1:13)

 

もし光によって生まれたならば、私たちは暗やみに閉じ込められてはいません。しかし、自分の罪を容認し、その結果生じる暗やみをそのままにして受け入れてしまうならば、私たちはサタンに攻撃の余地を与えるのです。何であれ私たちの中に神の御ことばに対して不従順な領域があるならば、そこに霊的暗やみが生じ、サタンが入り来む可能性が出てきます。

 

イエスも次にように警告しています。「だから、あなたのうちの光が、暗やみにならないように、気をつけなさい。」(ルカ11:35)あなたの中には光があります。

 

「人間の息(spirit)は主のともしび、腹の底まで探りだす。」箴言20:27

 

あなたの霊はキリストの御霊によって明るくされ「主のともしび」となり、 主はその灯りであなたの心を探るのです。

 

実際、御霊に満たされた真のクリスチャンのまわりには聖い輝きがあります。しかし罪を宿すならば、「あなたの中の光」は「暗やみ」となってしまいます。サタンは「暗やみの領域に住む権利」を神から法的に与えられています。ですから、私たちは次のポイントを把握せねばなりません。「サタンは暗やみの領域ならばどこにでも出入りすることができる。それはクリスチャンの心でもそこにまだ暗やみがあるならば入ることができる。」のです。

 

脱穀の時

 

 人間の肉的な部分にサタンが入ることを許された例として、ペテロがイエスを否んだことがあります。ペテロがここで罪を犯したことは明らかです。しかし、私たちが見落とし勝ちなのは、実際に霊の世界で起こったことであり、それは目に見えない部分です。

イエスはペテロが三回主を否むことを正確に預言しました。あの夜のペテロの言動を見た者は皆「彼が主を否んだのは恐れの故であった」と単純に結論づけるかもしれません。しかしながらペテロは性格的にそのような者ではありませんでした。

 

彼はその数時間前にイエスを捕えに来た大勢の者にむかって剣を抜いたような者でした。違うのです、人間的な恐れがペテロに主を否ませたのではありません。ペテロの裏切りはサタンから誘発されたものだったのです。イエスは彼に警告しました。

 

「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」ルカ22:31−32

 

背後でサタンは、ペテロを麦のようにふるう許可を要求し聞き入れられていたのです。サタンはペテロの心の暗やみの領域に入る許可が与えられたのです。

サタンはどのようにペテロを陥れたのでしょうか?過ぎ越しの食事の後、イエスは弟子の一人が裏切ると言われ、弟子たちは議論を始めました。

 

「そこで弟子たちは、そんなことをしようとしている者は、いったいこの中のだれなのかと、互いに議論をし始めた。」ルカ22:23

そして、それはとても厳粛な時であったにもかかわらず、「彼らの間には、この中でだれが一番偉いだろうかという論議も起こった。(ルカ22:24)」のです。弟子たちはイエスの言葉にまずショックを受け、うろたえたのですが、次にだれが一番偉いかという議論へと移っていったのです!

そして明らかに、水の上を歩き、一番大胆で雄弁なペテロが勝ったことでしょう。弟子たちの間で目立っていたことで、ペテロは優越感を持っていたと想像することができます。それがサタンによって煽られ、誇らしげな態度になっていったのでしょう。ペテロはプライドで高慢になり、それが失墜する要因となったのです。

 

プライドはもともとサタンが失墜した原因でしたし、サタンがペテロを失墜させるために用いた暗やみでもありました。ルシファーは自分自身の経験から、「宗教的プライド」や「妬み」に対する神の裁きの厳しさをよく知っていました。彼は「高ぶりは破滅に先立つ」(箴言16:18)ことを身を以て知っていたのです。サタンは、無差別にペテロを攻撃し破滅させる権利は持っていませんでした。彼はペテロを攻撃する前に「ペテロの主」から許可を確保せねばなりませんでした。ですからサタンはペテロをふるいにかけることを願い、聞き入れられたのです。

 

神に服従する

 

 ペテロを失墜させるためにサタンが用いた罠は、ペテロ自身のプライドの罪でした。私たちも霊の戦いの前には、自分が暗やみに隠している部分こそが、やがて私たちが敗北する領域であることをはっきり悟りましょう。

私たちが直面する戦いは、自分のうちにある暗やみを自らはっきり認めて悔い改めるまでは止むことはないのです。もし私たちが霊的戦いに勝利したいならば、まず自分の心を吟味せねばなりません。私たちはへりくだって神と共に歩まねばなりません。私たちが取るべき最初の行動はヤコブ4:7にある「ですから、神に従いなさい。」であり、次に「そして悪魔に立ち向いなさい。」です。そうすれば悪魔はあなたがたから逃げさるのです!

 

サタンは 聖徒たちを滅ぼす許可は決して与えられていません。彼が許されるのは、私たちを「麦のように」ふるいにかけることだけです。すばらしいことに、神は私たち一人ひとりの中に「麦」があることをご存知です。このタイプのサタンの攻撃、即ち神の御こころで許可された攻撃は、プライドのある魂を聖め、よりよい柔和さと透明さを私たちの人生に作りだします。

攻撃を受けたときは苦しいですが、神はそれを益としてくださいます。

私たちの外側の籾殻のような性質が死ぬことによって、新しく創造された者として麦のような性質が生まれ出るようにせねばならないのです。籾殻も必要でした。それは人生の厳しさから今まで私たちを守っていてくれたのです。しかし神が私たちを真に用いるためには、どのような形であっても、必ず私たちは脱穀の時を通るのです。

 

ペテロの籾殻のような性質は、押しが強く高慢なことでした。彼の当初の成功は、野心と自分中心な考えを持たせました。神はプライドが打ち破られていない人には、決して神の御国をお任せにはなりません。プライドは暗やみが身につける鎧そのものだからです。サタンがペテロを攻撃する許可を要求したとき、イエスが言われたのは、「彼をふるいにかけることは許す。しかし彼を破滅させることはできない。」ということでした。ペテロに対する攻撃は激しいものでしたが、制限があったのです。そしてすべては神の目的のためでした。

 

聖霊が私たちに悔い改めるべきところを示されたとき、自分の内に頭をもたげる自己防御の本能を克服せねばなりません。

心の中の暗い押し入れから出て来て「私の依頼人はそんなに悪い人じゃありません。」と弁護する小さな弁護人を、私たちは黙らせねばなりません。あなたの「弁護士」は、あなたが死ぬまであなたを弁護し続けるでしょう。そしてもしあなたが彼に耳を傾けるならば、あなたは決して自分の悪いところを見ようとせず、変える必要があるところと正面から向き合うことをしないでしょう。戦いに勝利するためには、あなたの自己保身の本能を主イエスに明け渡さねばなりません。キリストだけがあなたの真の弁護人だからです。

 

この事実をしっかり信じることなしに、私たちが霊的戦いをすることはできません。事実、ヤコブ4:6には「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」と書かれています。神は高ぶる者に反対されます。これは非常に重要な聖句です。もし神が高ぶる者を退けられるならば、そして私たちが高慢すぎて自分の過ちを認めず、へりくだらないならば、その時神は私たちを退けられるのです。

ヤコブは続けて7節で「ですから、神に従いなさい。そして悪魔に立ち向いなさい。そうすれば、悪魔はあなたから逃げ去ります。」と言っています。私たちがこの節を読むとき、往々にしてこの節だけを取り出し、霊的戦いの記念碑のように見てしまいます。しかし、これは「悔い改め、へりくだり、聖い心を持つならば、サタンは私たちから逃げさる」という文脈の中に置かれているのです。

 

私たちは「なんとなく神に従う」という曖昧な態度を越えねばなりません。

自分の戦いのまさにその領域を主に委ねなければなりません。私たちは、サタンの力に立ち向かうとき、イエスに服従する心で戦わねばなりません。

 

あなたがこれから霊的戦いに勝利するためには、この原理を知り、理解し、適応することが重要です。その原理とは次のことです。勝利はあなたが「イエスの御名を呼ぶこと」から始まりますが、それは「あなたの心にイエスの性質があらわれる」までは成就しません。この規則は霊的戦いのすべての面に適応されます。

 

「 私に対する神の唯一の答えは、私がキリストに似た者になることである」とあなたが真に悟るまで、サタンはあなたの弱い部分を攻撃する許可を得ているのです。あなたがイエスの御名を呼ぶだけではなく、イエスの性質をも現し始めると、敵は退きます。サタンがあなたを滅ぼそうとした計画が、かえってあなたを完全にするために用いられたとき、サタンはあなたへの攻撃を止めるのです。

 

ペテロの経験の結果は、ペンテコステの後、神が足のきかない男を癒すためにペテロを用いられたとき、へりくだったペテロが群衆に語ったことでした。彼は

「なぜ、私たちが自分の力とか信仰深さとかによって彼を歩かせたかのように、私たちを見つめるのですか。」(使徒行伝3:12)と言いました。自分の傲慢さとサタンに対するペテロの勝利は、彼がイエスの御名を呼んだときに始まり、イエスの性質が彼の心に中に生まれたときに完成したのです。ペテロの中の暗やみは光に置き換えられ、プライドはキリストに置き換えられたのです。(終り)


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