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29 4月

私を変えた3つのみ言葉(その2) ジャック・ディア              2019年4月29日


私を変えた3つのみ言葉(その2)

 

ジャック・ディア

 

 

二つ目の祈り

 

このように私は、「神への情熱」を持つための実践的な道を見出しました。次に私が出会った二つ目の祈りは、ヨハネ15:15にあるイエスの言葉「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。...わたしはあなたがたを友と呼びました。」によります。

このみ言葉によって衝撃を受けたのは40代の時でしたが、すでに私は友情に関しては知り尽くしていました。というのは、私の育った家には愛というものがほとんどなかったので、家の外に愛を求めるしか道がなかったからです。それで私は小さいときから必ず一人か二人は親友を持っていたのです。

 

本当の友情がどう言うものであるか、お話ししましょう。「その人のために何かをしてあげるのが友情」では決してありません。「その人に忠誠を尽くすのが友情」ということですらありません。友情とは、その人と一緒にいるときに私が感じる喜びです。友情とはその人から愛されていると感じる時に自分の重要性、存在価値を感じることです。

そしてこの友情こそ、ずっと神が私たちに求めてこられたものです。アブラハムやダビデ、ヨセフ、ダニエルの話を読んでみてください。このような友情こそを神は求めておられたのです。神は人々が「神を喜び楽しみ、又神も自分を喜び楽しんでいてくださると感じること」をずっと願っておられたです。

そしてイエスはそのことを公言されました。「わたしのあなたたちへの愛を感じてほしい。わたしを喜び楽しんでほしい。」と言われたのです。

 

マイク・ビクルが再び、私の前に現われて言いました。「ヨハネがイエスの一番の親友だったことを知ってるね。」と。私はちょっと考えてから答えました。「ああ、本当にそうですね。ヨハネの福音書を数えきれないほど何回も読み研究してきたけど、ヨハネがイエスのベストフレンドであったことは確かですね。」

 

他の福音書の筆者たちはヨハネを「使徒ヨハネ」と呼んでいますが、ヨハネは自分が書いた福音書で自らを「イエスが愛された弟子」と呼んでいます。自分のアイデンティティーを「神に愛されている者」と言うことをどう思いますか?

「自分がどのような立場や地位のものか」とか、「どれほど豊かであるか」とかではなく、「神に愛されていること」を自分のアイデンティティーにするのです。

ヨハネは自分の真のアイデンティティーを「神が愛されている者」としたのです!ヨハネは主イエスのベストフレンドであり、それはヨハネの福音書全体を通して見ることができます。例えば最後の晩餐のことを見てみましょう。

 

イエスは弟子たちが周りに座っていたとき、「あなたがたのうちのひとりが、わたしを裏切ります。」と爆弾宣言をされました。皆は「それは一体誰だろう?」と心の中で思いまどいました。

彼らは多分ペテロが何か言うかを待っていたでしょう。ペテロはいつも最初に口を開くのですが、このときは何も言いませんでした。そしてみんなは「ヨハネならイエスに聞くことができるだろう。」と思ったのです。そこでペテロはヨハネ(イエスが愛しておられた者)に「だれのことを言っておられるのか、知らせなさい。」と言いました。ヨハネはイエスにそれを訊ねるのを恐れないと知っていたからです。

あなたはベストフレンドになら何でも恐れずに聞けますね。ヨハネはどこに座っていましたか?イエスのすぐ横でした。ですからヨハネはイエスに向いて「主よ、それは誰ですか?誰があなたを裏切るのですか?」と訊ねたのです。

イエスは「ヨハネ、それはわたしがこのパン切れを浸してから与える者だよ。」と言われ、それをユダに与えられました。そこでヨハネはベテロに「それはユダだよ。」と教えました。簡単なことです。それがベストフレンドということです。ベストフレンドなら何でも訊けるのです。

 

ときどき私は神学者の友人たちにこのように話すことがあるのですが、彼らはいらいらしたように「イエスが他の使徒たちよりヨハネをもっと愛したなんてことはない!」と言います。私は仕方なく「全くあなたの言う通りですね。」と言うのです。

 

 しかし、友情とは愛することだけではありません。愛だけで友情を保つことはできません。あなたの親友のことを考えてみてください。ただ彼らを愛していくだけではなく彼らを信頼していますね。

信頼がなければ親友にはなれません。信頼がなければお互いの心を明け渡すことはできません。私が私の息子スコットを愛した以上の愛で愛した友はいません。しかし私とスコットは友達になることはできませんでした。それは私たちがお互いを信頼することができなかったからです。スコットは22歳で自ら命を断ってしまいました。

イエスがヨハネを信頼していたことは、主の十字架の苦しみの時に見ることができます。天地の主である方は十字架の上からあまねく全地を見渡されましたが、唯一イエスを見捨てなかったのは、母マリアと数人の女性、そしてヨハネだけでした。

私は目を閉じるとイエスがご自分の母親を見下ろしているのが見えるのです。主は母マリヤの顔に浮かんでいる深い苦悩と戸惑いを見ておられました。マリアは天使ガブリエルが告げた偉大な約束と今見ていることとの矛盾をどう理解すればよいのかわからなかったことでしょう。

私には母マリアを見ながらイエスが考えておられたことが分かるのです。「私の弟たちは駄目だ。彼らは私を信じてもいないのだから。他の使徒たちも駄目だ。みんな私を見捨てていった。ヨハネ、ヨハネ、お前だけがわたしにためにいてくれる。」

 

イエスはそしてこう言いました。「お母さん、今からヨハネがあなたの息子です。」次に主はヨハネに「さあ、この人はあなたの母親です。」イエスは地上で最も大切な人を唯一信頼できるベストフレンド、ヨハネに託したのです。

 

マイク・ビクルはこう言いました。「あなたもイエスのベストフレンドの一人になれるように祈ったらいいんですよ。確かにそれは突飛で途方もない祈りですよ。でも神は突飛な神様ですよね。目指すなら最高を目指すべきですよ。」

そこで、私はそのように祈り始めました。「父よ、あなたが主を愛するように私も神の御子を愛せるように、どうか聖霊の助けをお与えください。」という第一の祈りに加えて、「主イエスよ、どうかあなたのベストフレンドの一人になれる恵みを私に与えてください。私もヨハネのようになりたいのです。」と祈りました。

 

三つ目の祈り

 

この二つが私の人生の切なる祈りとなりましたが、次に今から5年前、私の心は3つ目の祈りにとらえられました。それは詩編27:4です。

「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさ(beauty)を仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために。」

そこで、私は「父よ、今日あなたの麗しさを仰ぎ見る恵みを私にお与えください。」と祈り始めました。

友人の中になにか麗しいものを見る度に、私のその友人に対する愛が増し加わります。ですからもし神の、そしてイエスの中に麗しさを見ることが出来るならば、私の主に対する愛も増し加わると私は考えました。それによって心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛することが出来ると思いました。

私の人生の夢は心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛することです。でもそれが夢で終ってほしくはないのです。これは私に与えられた課題であり、成就させたいのです。

 

私たちがこの世を去る時に、天に持って行けるものは私の心の中にある神への愛だけです。地上でのミニストリーや私が書いた聖書の解説書や本を天国に持っていくことはできません。それで、私は毎日祈り始めました。「主よ、あなたの麗しさを見せてください。」と。ダビデがこの祈りをしたとき、彼は「主よ、あなたの全知能力に関する新しい真理を見せてください。」とは祈りませんでした。また、「神に関する神学的知識をもっとください」と祈ったのでもありません。彼は神を体験することを願ったのです。

 

トマス・アキナスは「美とは、我々に喜びを与えるものである。」と言いました。又 現代の彼の弟子は「美とは、まぶしくて目がくらむようなものである。」と言いました。ですからダビデの祈りは「主よ、あなたの麗しさ、美しさで私の目がくらむほどにしてください。私の目がくらむような、あなたの愛、あなたの憐れみ、あなたの親切さ、あなたの全知、あなたの知恵、あなたの全能を私が経験できる恵みをどうかお与えください。」と言うものだったのです。

 

5年前、私は教会で24/7の祈りをスタートさせたいと思い、「神の麗しさによって目がくらむとはどういうことか」を巧く説明できるものを捜していました。私は聖書解説書や聖書辞書を調べたり、いろいろな訳の聖書を調べました。

それは私がいつもする方法でした。しかしその日には神は本の中にはご自分の麗しさをひとかけらも潜ませてはおられませんでした。

2時間ほどで、私は本の中に主の麗しさを捜すのをあきらめました。そして書斎から出てゲストルームに行き、ベッドに横になり言いました。「主よ、あなたの麗しさで私の目がくらむまで、絶対ここから起きません。」

私は自分の人生の出来事をあれこれと思い出し、その中に何かまぶしいばかりの神の麗しさの体験があるに違いないと考えました。神の赦しや憐れみ、親切などの記憶をノートに書き出しましたが、「まぶしくて目がくらむ」ほどのものは一つもありませんでした。私は天を見あげて「神よ、何かもっとお出来になるはずです!」と嘆息しました。そう言った途端、スマホがチンと鳴ったので、ポケットから取り出して見ると、それはビデオが送られてきた報らせでした。

私は早速そのビデオを見ました。わずか18秒のものでしたが、私はそれを繰り返し見続けたのです。「あと一回だけ見てまた祈りに戻ろう。」と思うのですが、どうしても又繰り返し見たくなるのでした。そういう自分に可笑しくなってしまうほどでした。止められなくて、何度も何度も何度も見続けたのです。

 

それは生まれて2ヶ月になる私の初孫のレイチェルのビデオでした。寝ているレイチェルに向かって母親のリンデイとその母親のメラニーが「レイチェル、グーグーと言ってごらん!」と話しかけ、レイチェルが笑いながら「グーグー」と言っているビデオでした。

私はそれを見ていたのですが、突然「自分は今神の麗しさを見ている!」という思いが来ました。「11ヶ月前にレイチェルはたった一個の細胞だった」と思いました。その細胞もない以前には彼女は永遠の麗しさである神の思いの中に存在していたのです。そして今このような赤ちゃんとして私の目の前にいるのです。「私は今、まぶしいような麗しさに目もくらむほどだ!」と思いました。これはレイチェルの全人生を形成する時間の中のほんの一時に過ぎませんが、私にとってその18秒間は私の霊を大喜びさせる特別のものでした。

そして私は「声」を聞いたのです。「わたしがあなたを愛する思いは、あなたがレイチェルを愛する思いと全く同じです。」私は泣くじゃくり震えながらビデオを繰り返し見ました。やっと物が言えるようになったとき、私は「ありがとうございます、ありがとうございます。」と何度も言い、再び泣き続けたのです。

 

神は、感謝のない少年だった私を、赤ちゃんがグーグーと言うのに感動し感謝する老人へと造り変えてくださったのです。神はご自分のまばゆい麗しさで私を圧倒してくださったのです。この経験はもう一つの声にも語る機会を与えました。それは人生の多くの場面で私を陥れてきた悪の声でした。その声は「神がそんなことを言うはずはない。お前が勝手につくりあげた偽りだ。お前がレイチェルに対して感じるのと同じように神がお前を愛しているなんて、あり得ない!お前はあまりにも悪すぎる!」と言いました。

でも今回はその暗闇の声を聞いても、私はただ微笑み、その声に影響されることはありませんでした。それは、自分でつくりあげた嘘によって私が感動し泣きじゃくることなどありえないことがわかったからです。

 

皆さん、 神はすべての人にむかって「わたしはあなたを喜び楽しんでいるのですよ。」と告げたいと真に願っておられます。神は私たちに神の愛を毎日体験し感じてほしいのです。もし私たちが、「パーフォーマンス/自分の業」ではなく、「神が御子を愛するように御子を愛すること」に焦点を当てるならば、それは可能だと私は信じます。

 

祈り「父よ、どうか聖霊の助けにより、私たちがあなたのように御子イエスを愛するように、又、御子のベストフレンドになり、あなたの麗しさを仰ぎ見て、あなたの憐れみとあなたの愛を経験できるようにと毎日祈る恵みを与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。」(終り)

 

あとがきー坂 達也

 

二十年も前だったでしょうか、私たちがマイク・ビクル師のカンサス・シテイーの集会を訪ねた時に、このデイア師が講師の一人でした。その夜集会が終わって私たちがホテルの部屋に帰ろうとしてエレベーターに飛び乗ると、目の前に講師のデイア師が立っていて、にっこり笑って初めて会う私たちに二言三言親しく話しかけてくれたのですが、その笑顔がとても印象的で今でも忘れません。恐らくその集会で買ったのでしょうか、彼の書いた Surprised By the VOICE of GOD という本が二十年後の今でも私の本棚にあるのを見て懐かしく取り出して見ました。「神のみ声を聞く本」といえば、多くの預言者が書いておりますが、この方の本は技術的な方法論ではなく、むしろ神との親密さが鍵である事を強調していますのでそれをご紹介したいと思います。

「聖書でイエス程、御父の御声を聴ける人はいないと思います。それは子イエスが常に愛する御父の言われる事だけは絶対に聞き漏らさないと、24時間常にワクワクしながら待機しているからで、そういう人には父も最も多く語られるといいます。(ヨハネ5:19)するとそれは不公平だ、神は誰のいうことも公平に常に語るべきだと文句をいう人がいますがそれは誤解です。その証拠に「神は豚の前には真珠を投げない」と書かれている。申命記4:29に『主を慕い求め、主に会う。』とも書かれています。」とデイア師が書いている処に私は線を引いていました。どちらかといえば愛の少ない堅物の私は、理屈抜きにこのジャック・デイアの大ファンです。ー以上ー


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