WWGM

Walk With God Ministries

07 1月

今世界が抱えている深刻な問題=グローバリズムとナショナリズム=をどう対処すべきか 2019年1月7日                   リック・ジョイナー


今世界が抱えている深刻な問題=グローバリズムと
        ナショナリズム=をどう対処すべきか
                   リック・ジョイナー
はじめに                     坂 達也
 リック・ジョイナー師は昨年の12月14日に一つの夢を見ました。その夢から覚めた時、とっさに彼は「これは今までに経験した中で最も重要かつ信頼できる主からの霊的啓示ではないか」という気がしたそうです。それは「天からの見方によるアメリカ共和国の歴史」というものでした。夢の中で大きなスクリーン上を歴史の流れが右から左へと順次映し出されてゆき、時代を追ってそれを見ていると、やがて現時点にまで来ました。その時スクリーンには金色に輝いた鮮やかな字で「第二次アメリカ市民/革命戦争は避けられない。それは正しく、そして成功する」と書かれていたそうです。
第一次アメリカ市民戦争とは南北に別れて戦った南北戦争のことです。ジョイナー師は「私たちは既に今、この第二次市民戦争の最初のステージに入っていることは疑う余地もない。しかしこの夢を見るまでは、この戦争が『避けられない』事態に至るまでには未だかなりの時間があると思っていましたが、すでにその時が来ている事がはっきり示されたのです。従って私たちの戦術は、今までは『そういう事態を避けよう』であったのを、今は『その戦争には絶対に勝たねばならない』に変更する緊急事態に直面している」と言います。
そして「第一次市民戦争では、目的のものを勝ち得たのではなかったがゆえに、いまでも人種差別の課題だけでなく、貧富の差、政治的対立等を含むあらゆる面で未解決の課題が尾を引いて来た。」と言って、今こそアメリカは真の自由と正義を勝ちとる時が来ていると大いなる警報を鳴らしています。以下は、師の「プロフェテイク・プロスペクト」から抜粋したものです。
グローバリズムとナショナリズム
リック・ジョイナー 
2014年に私が、2016年に選出される次期大統領に関して祈っていた時、神は名前は言われませんでしたが、その大統領は「八方から襲ってくる敵と戦える者」であり、「自分の国を愛する者」であると言われました。これまでは世界的にグローバリズムが力を増していましたが、これからはアメリカのみならず世界的にナショナリズム(国家主義、愛国主義)が強くなることだと私は解釈しました。今回はこの両者の違いを説明したいと思います。
グローバリズム
多くの人はグローバリズムに概ね賛同していますが、それが自分たちの生活に影響を与え始めると、その現実に非常に驚き大きく反発します。ですから私たちは、グローバリズムとは一体何であり、どのような影響をもたらし、何処に向かって行くのかを、前もってしっかりと知る必要があります。グローバリズムは世界統一政府(One World Government)へと向かって行きます。「全世界を統治する権威を立て、人類が一丸となって世界が面している諸問題を解決していかねばならない」という考えです。
その良い点は、国々の間に会話と協力を生み出すことですが、問題点の方が絶対的に多いのです。これは今日世界にはびこる最も脅威的な思想だと思います。
聖書の中に表されている世界統一政府には二つあります。一つは反キリストにすべての人類が服従する反キリスト統一政府であり、それは世界の崩壊をもたらします。もう一つは神の御国であり、それも世界的統一政府です。主は王の王であり、世界を統治されます。 アメリカは、神ご自身がこの地を統治される日まで、聖書に書かれている神の方法で国を治めることを土台に建国された国です。
私たち主を信じる者はその日を待ち望んでいますが、その日が来るまでは、私たちは幾つかの権力と戦っていかねばなりません。
マルクス主義
一つはマルクス主義(共産主義)で、それが完全に機能するためには全世界が一つに統治される One World Governmentになる必要があります。私もティーンエイジャーの時はマルクス主義者で、沢山本を読み研究しました。しかし研究の結果、それがどれほど間違っているかが分かりました。マルクス主義を取り入れた国家の民衆は悲惨な生活を強いられています。恐ろしいことにアメリカでは今ほとんどの大学でマルクス主義が説かれ若者を洗脳しています。
社会主義
次にセキュラーなヒューマニズムがあります。これは共産主義的社会主義(ソーシャリズム)で人々をコントロールをしていきます。社会主義の一部は政府の政策に取り入れられてよいこともありますが、100%の社会主義であるならば、政府は破綻します。基本的な経済学を知っていれば、社会主義がいかに馬鹿げたことかはわかるはずです。最初はうまくいくように見えます。イギリスのサッチャー氏は「社会主義の問題点は、いつかあなたは他人のお金を使い果たしてしまうからです。」と言いました。経済的、政治的方策として社会主義は必ず破綻します。
シャリア法
もう一つのグローバリズムの形はイスラム教のシャリア法です。イスラムという言葉の意味は服従です。イスラム教の究極の目標は、全世界がアラーに服従し、シュリア法に従うことです。イスラム教を真に信じる者は過激派であり、この究極の目標のために命をささげています。確かにそれは間違ったことですが、多くのクリスチャンが「雨が降ったから」というだけで教会に行かないのに比べ、彼らの献身が勝利を与えているのは否めません。
私の友人の預言者が、ベルリンの壁が壊される前に「マルクス主義とイスラム原理主義が一つになるであろう」という神の言葉を聞きました。(当時イスラム原理主義などは社会的には出現していませんでした。)両者が一つになることは非常に恐ろしいことですが、今それが現実になってきています。
ナチのような愛国的社会主義(ナショナルソーシャリズム)においては、リーダーはどんどんと暴君になり、人民の思想や行動をコントロールし、すべての国民を同化しようとします。共産主義の国に行かれたことがありますか。ベルリンの壁が壊された直後に私は行きましたが、街には色彩がありませんでした。すべてがくすんだ緑と灰色でした。すべての建物、歩いている人たちもみな同じに見えました。私がその理由を訊いたところ、人々が最も恐れたのは「目立つことをして人と違うように見られること」だったのです。もし目立つならば、「皆と同じでなければならない」というプレッシャーの中で攻撃される標的になったのです。
全体主義による統一 、人間的なグローバリズムはすべての面において絶対的同一化を人間に課し、人々の個性や自由な思考を完全に押しつぶします。個人の自由は極端なグローバリズムとは絶対に共存はできないからです。グローバリズムがコントロールを強めていくならば、かならずそのようになって行きます。それはグローバリズムは全体主義的コントロールなしには、決して機能しないからです。
ナショナリズム(国家主義、愛国主義)
では次にナショナリズムを見てみましょう。何故ナショナリズムがより聖書的なのでしょうか。まず神が求めておられる一致というのは多様性の中にある一致であって、同一化による一致ではないのです。グローバリストの目標は、「すべての者を同一にする」ということですが、神は私達一人ひとりを違うように造られ、多様性を愛されています。神はすべての人類の多様性を通してご自分を表されたいのです。人類がみな同じになるのではなく、ユニークな一人ひとりが全員で神を表していくのです。それぞれの違いを敬い、認めて、お互いから学び合う事こそが神の望まれる一致です。
又、国土、国の領域に関しては次のような聖書箇所があります。
使徒17:26「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」
申命記27:17「『隣人の地境を移す者はのろわれる。』民はみな、アーメンと言いなさい。」
箴言13:22「善良な人は子孫にゆずりの地を残す。」
子が相続するものは、土地であり、伝統であり、歴史です。勿論歴史の中には良い物だけではなく悪いものや醜いものもあります。誇ることの出来ないものもあります。しかしそれらも教訓として失ってはならないものなのです。すべてが私たちが受け継ぐべき分なのです。
エペソ6:2−3「『あなたの父と母を敬え。』これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、『そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。』という約束です。」
この箇所は「あなたのすばらしく完全な父と母を敬え」とは言っていません。どんな親であっても敬えと言っています。私たちは自分で親や先祖を選ぶことは出来ませんし、自分の生まれる国を選ぶこともできません。しかしどのような親や国であっても敬うべきこと、学ぶべきことが必ずあります。グローバリズムはそのようなそれぞれの国の伝統歴史を否定していくものです。
極端になる危険性
ナショナリズムは、それ自体はその国独自の伝統と文化、習慣、政策などを保持しようとすることで、決して悪いことではありません。けれども、ナチはナショナリズムにソーシャリズムや人種差別を混ぜ合わせました。これは恐ろしい組み合わせでした。宗教とナショナリズムを一緒にしている国家もありますが、これも非常に恐ろしいことです。それによって人々をコントロールしようとしていて、それは絶対に避けねばならないことです。
今、私たちはナショナリズムの方に進んでいます。それは正しいことであり、聖書的であり、神の御こころだと信じます。しかし何事もそれが極端になる時に悪となり危険なものになり得ることを私たちは知らねばなりません。歴史を見ればそのような前例が沢山あるのです。
EUで起こっていること
グローバリストは「私たちは一致を保つためにほんの少しコントロールするだけだ。」と言います。確かにEUにおいても最初は各国の政治、文化にはほとんど干渉しませんでした。しかし今や威圧的な全体主義の法案が可決され、コントロールが強まってきて、その抑圧に反発する国が起り始めました。私はEUはやがて解体すると思います。確かにそこから良いことも生まれましたが、今は全体主義が大きくのしかかってきています。今やEUの移民政策を批判することさえ犯罪とされたのです。イスラム教を批判することも犯罪です。その反対に聖書の真理を語るならば「ヘイトスピーチ」とし告発されます。明らかに全体主義的コントロールの方向に進んでいて、これがグローバリズムです。
アメリカの現状
今アメリカはリベラル派と保守派(コンサーバティブ)にニ分されています。リベラル派は、人々のすべての問題を解決し、守り、必要を満たすのは政府であると考えます。それに対して保守派は、それは個人の責任であり、自分に必要なものは自分で調達するという考え方です。基本的に言うならば、政府が人々の面倒を見ようとすればするほど、人々をコントロールせねばならなくなります。それは実証されていて、リベラルな左翼が人々をどんどんとコントロールする方向に行っているのは当然の成り行きです。「政府が私の面倒は皆見てくれる」と考えるならば、あなたは恐ろしい専制政治を迎えることになるのです。
ハリケーン・カテリーナでの教訓
私たちが2005年、ハリケーン・カテリーナに襲われた地域に救援に行ったときのことです。救援物資を運んでいき、毎日何千人にも食糧を与えるようになりました。人々が寝ることができる場所も作りました。全部でニ千五百万円相当の物資を送りました。そこですぐに歴然としたのは、それまで自分で働いて生計を立てていた人と、政府からの援助で暮らしていた人との態度の違いでした。これは人種とかとは関係がありません。政府のお金で暮していた者たちは、たとえそれが健康な若者であっても、トラックから荷を下ろすとか、キッチンで働くとかを手伝ってほしいというと、気が狂ったように腹を立てました。そして「テレビが見えない、電気がない」とか文句ばかり言うのです。ボランティアの学生にむかって大声で怒鳴り散らすのは、本当に驚くべき異常な光景でした。自分のランチも学生に持ってこいと命令するのです。
また 、ハリケーンが襲ったとき他の街に出かけており、戻ったときに家族全員が亡くなっているのがわかった男性がおりました。彼は悲しみのあまりよろよろと歩いていました。しかし翌日にトラックが到着して皆が荷を下し始めたとき、真っ先に手伝い始めたのは彼だったのです。彼は自分で働いて生計を立てていたので、必要を見たときには手伝わずにおれなかったのです。その後も彼は何でも手伝ってくれました。
ハリケーン・カテリーナという災害において私たちは、人々が陥る最も忌まわしい状態(自分では何もしないで、すべて他の責任にする)と、最も気高い精神(悲しみで身体が動かないような時にも人のために自分の出来ることをする)とを見たのです。
政府がどれほどお金があったとしても、もしあなたが希望を政府においているならば、大きなリスクや危険を伴うのです。私は人々の面倒を見てくれる政府を感謝しております。しかし政府がすべての重荷を負う事はできません。出来ることには限りがあリます。今世界で健全だと言われる国家であっても、揺れ動いています。災害が起こったとき、人々は政府に助けを求めます。しかし今は世界であまりにも多くの災害や艱難が起り、そのすべてに対処できる政府などありません。私たちはもっと信頼できる方に頼らねばなりません。それは主なるキリストご自身です。主こそ私たちが頼るべき方です。主への信仰の中を歩むのです。そうすれば私たちは裏切られることはありません。(終り)

Post a Comment