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Walk With God Ministries

12 11月

2018年秋の日本訪問を終えて (1) 坂 達也   2018年11月12日


2018年秋の日本訪問を終えて(1)
坂 達也
 
 マタイ24:37ー44「人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らは分からなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。・・・だから目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。・・・なぜなら人の子は、思いがけない時にくるのですから。」 
                         
 今世界はまさに、「見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおう」時となりました。そしてそれ程遠くない将来に「あなたの光が来て、あなたの上に輝く」のです。それゆえに、主が教会に「起きよ。光を放て。」といわれる世の終わりが確実に近づいて来ています。
 それは最後の大リバイバルが目前に迫って来ていることを意味し、しかも東西の預言者たちが、いよいよこの二、三年のうちにそれが始まると言うのです。私たちは、その期待と緊迫感を、アメリカだけでなく、日本でも今回強く感じました。そうであれば、今最も必要なことは、自分の教会とか地域にどのようにしてリバイバルを起こそうかと思い計ることではありません。(但しリバイバルへの祈りは大事ですが)なぜなら、主が私たち教会に言い残された言葉は「リバイバルを起こしなさい」ではなく「大宣教命令」であったからです。
 リバイバルを起こすのは主であり、私たちはその火を消すことなく、持続させねばなりません。しかし最も急務なことは、その大リバイバルから生まれてくるベイビー・クリスチャンを、私たち教会ができるだけ短期間に霊的に養育することであると信じるからです。「その日、悲惨なのは身重の女と乳飲み子を持つ女です。」と主はマタイ24:19で警告されています。
 そのためには、私たちの周りのクリスチャンを今こそ最大限に弟子訓練し、乳飲み子を霊教育する多くのリーダーを立て上げるのが私たち急務ではないでしょうか。しばらく前に天に召されたボブ・ジョーンズ師は、天への入り口で主から「これから10億のベービーを生まれさせるから、あなたはもう一度この世に帰り準備しなさい。」と言われて、地上に戻って来ました。

 

 最近私たちのWWGMのブログ・メッセージではリック・ジョイナー師とか、ラリー・クライダー師のものを集中して掲載し、「霊的コイノニアの交わり」とかスモール・グループでのミニストリーの重要性を強調して参りました。なぜなら、週一度の礼拝の集まりだけでは「キリストの花嫁訓練とか弟子訓練」は十分にはできないからです。現にイエスご自身は12人の弟子を3年半の間に地上で育て上げましたから、10億の幼児が生まれるなら、そのために少なくとも一億の育ての親が必要です。しかも最後の大リバイバルは10億に止まりません。
 そこで重要なことは、そのスモール・グループでの集まりで養育係の中心となるのは、あくまで主ご自身であることです。このことをグループメンバーは先ず抜本的に認識する必要があります。そして、それぞれ個人が毎日主と直接交わって得たことを、週に一度のグループ会合で分かち合い、それが牧師に伝えられ、全てが一致して聖霊に導かれて主のご計画が実行に移されねばならないのです。
 そのためには基本的に、すべてのメンバーが主の預言的ビジョンと主の御声を聞く訓練をすることが先決であることは言うまでもありません。そして、そのように訓練されてゆくためにはグループごとに少なくとも1人の霊的に成長したリーダーが必要であると思います。
 就きましては、今回私たちが日本各地を回って語らせていただいたことを下記に要約してご報告させていただきます。
終末の教会に必要なノアの信仰
 神を信じるアベルをいきなり殺してしまったカインの子孫はその後どんどん「生めよ増えよ」で人口が増大しました。そして、悪魔の影響が強く作用した結果、その当時の人間の罪があまりにもひどくなり、彼らの心はいつも悪いことだけに傾くようになったと創世記6章に書いてあります。
 そこで神はついに「わたしが創造したひとを地の面から消し去ろう。」と決意しました。そして、当時一人だけ神に従う人間として残しておいたノアに箱舟を造らせた後、ノアとその家族を含めた八人と地上の動物・地をはうもの・鳥類のすべての種類からそれぞれ雄雌一対を箱舟に乗せた神は、地球上に前代未聞の大洪水を起こし、悪を極めた人類を一掃したのです。
 そこで主が8−9節で言われました。ノアは主の心にかなっていた。・・・ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。と。これだけでも充分に彼がどんな人間であったかが窺い知れます。上記で「その時代にあっても」と書かれている意味は、当時、地は、神の前に堕落し、地は、暴虐で満ちていた...実に、それは、堕落していた。すべての肉なるもの、地上でその道を乱していたからである。」と言う状態であったのです。そこで神はノアに「人も家畜も空の鳥に至るまでわたしが創造したものを地上から消し去ろう」と言い、ノアに一艘のゴフェルの木から箱舟を造るように指示しました。
 この船の大きさは長さ300キュピト、幅50キュピト、高さ30キュピトと言う三階建ての巨大な木造船でした。(注:但し原語で使われている cubit  と言う単位は元々「人の腕の肘から、手の指のくるぶし間の距離、あるいは中指の先までの距離」と言う曖昧な寸法であって、その実寸の解釈が聖書学者によってまちまちです。ほとんどの聖書で1cubit  =18インチ=46センチで計算していて、それによると箱舟の長さは140M、横幅23M、高さ14Mですが、ある注釈書によれば1cubit  =22インチで計算し、これらの寸法で箱舟の排水容量トンを計算すると最大3万4千トンになると書かれていました。私は少なく見積もっても2ー3万トンにはなると思いました。と言うのは昔、私のアメリカでのビジネスは、アメリカの国有林を入札して買い付け、それを切り出して自らの工場で製材したもの、あるいは丸太のままで、商社が用意する木材専用船に積み込んで日本に運んでいたので分かるのですが、箱舟はおよそ当時の専用船の大きさに匹敵します。)
 従って私はこのノアの箱舟の話を読む度に興奮し胸が躍ります。何故なら、ノアはこの巨大な木造船を造るのに、恐らく巨木の切り倒しから、運搬、それに製材経験も、造船技術に関する何の知識も無く、また必要な工具とか運搬車も無い時代に、神から言われて「やりましょう」と引き受けたのです。これは当時の人間にとっては先ず絶対に不可能な仕事でした。しかし、22節に「ノアは、すべて神が命じられた通りにし、そのように行った。」と書かれています。
 いや、ノアは考えたに違いありません。「人間には不可能でも、相手は全知全能の神がやれと言うのだから、すべて神に聞き、神に一切を教えてもらい、それを忠実に実行すればできる。」そう腹をくくったのです。ーこれこそ、マルコ11:23で、主が言われた「だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ。』と言って、心の中で疑わず、ただ自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。」の信仰そのものではないでしょうか。
 ノアは、ひたすら神からの指示だけを頼りに毎日こつこつと造り上げたのです。山から何らかの方法で巨大なゴフェルの木を切り倒して運んで来る。それを製材・造作して建て上げる。寸法に切った木材を組み立て、その隙間にピッチを塗り込んで防水加工をする。一切を神に頼った。彼の仕事を助ける人は自分の家族以外には誰もいませんでした。何故なら彼の周りは、彼と家族を除いて皆、神が滅ぼそうとしているほど罪で堕落した人たちであったからです
 そこで、箱舟を造り上げるのにどの位の時間が掛かったのでしょうか。一般に100年とかそれより短いと言う人もいますが、私が読んだ二、三の注釈書(Bob Utley’s How it all begun Genesis 1-11,  The Teacher’s commentary,   Alfred Edersheim ’s Bible History: Old Testament)  等によれば、1ペテロ3:20、2ペテロ2:5等を引用して、神は120年間、辛抱強く箱船が出来上がるのを待ったと言う解釈をしています。後日ノアの三人の子どもたちが育って父親を助けたとしても、僅か数人でこれだけの仕事量に100年ー120年掛かることはうなずける話です。
 その上ノアは船を造る傍ら、船を造る目的は神の裁きが来るからだ、悔い改めなさいと説教しても(参考2ペテロ2:5)、恐らく誰も聞く耳を持たず、かえってノアを嘲笑するだけであったのです。クリスチャンとしてこれほどの忍耐を要する経験があるでしょうか。 私が驚嘆するのは、ノアは本当に神と毎日親しく会話できたことです。これこそ「WALK   WITH  GOD」で生きるライフ・スタイルの最高の見本と言えないでしょうか。
 当時の人々は、陸の上で巨大な船を造りながら、人々に世の終わりが来ると警告し続けたノアをからかい嘲笑するばかりで、洪水が押し寄せるその日まで分からずに死んで行ったのです。
 このノアの洪水と箱舟の話は決して単なるおとぎ話ではありません。事実その箱舟の遺跡を発見した人がいます。その人とは考古学者のロン・ワイエット氏で、私はヘンリー・グルーバー師に紹介されて、その人がポートランド大学で公演した際に会い、その発掘の話を詳しく聞きました。発見した場所は今のトルコに当るアララト山の高い山の斜面に遺跡が残っていると言います。
 実は、このノアの方舟の話が非常に重要な意味を持っていることは、本書の冒頭で引用したマタイ24:37−44をお読みいただければよくお分かりになるはずです。神はこの世の終わりに、頑なに真の神を拒否し続ける、ノアの時代と同じような不信仰な人間に対して「最後の裁き」の審判を下すことが聖書では明確に預言されています。しかも、最後の裁きは洪水によるのではなく火によるものであると預言され、2ペテロ3:3−13にこう書かれています。
 「終りの日に、あざける者どもがやって来てあざけり、自分たちの欲望に従って生活し、次のように言うでしょう。『キリストの来臨の約束はどこにあるのか。・・・何事も創造の初めからのままではないか。』こう言い張る彼らは、次のことを見落としています。すなわち、天は古い昔からあり、地は神のことばによって水から出て、水によって成ったのであって、当時の世界は、その水により、洪水におおわれて滅びました。しかし、今の天と地は、同じみことばによって、火に焼かれるためにとっておかれ、不敬虔な者どものさばきと滅びとの日まで、保たれているのです。・・・・しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。・・・しかし、私たちは、神の約束に従って、正義の住む新しい天と新しい地を待ち望んでいます。」

 

 神の人間創造のプロセスは、六千年経つ今の時点においても決して完成してはいません。神はET US  MAKE  MAN と言いましたが、その質的な創造行為はこの地球のすべての営みが終わる日まで続きます。何故なら、神がこの地球を造った理由は、ひとえに人間の創造を神の家族の一員として完成させるためであるからです。

 

 度々天を訪れるリック・ジョイナー師は、「地上で苦しみと試練を通して霊的訓練を受けた人と、受けないでベービークリスチャンのままで天に挙げられた人との間にできる霊的成長の差は未来永遠に残る。」と警告します。それは、主イエスが私たちに命じた「大宣教命令」による霊的訓練こそが、神がこの宇宙と地球を造り、そこに人間を生まれさせた究極の目的であることを示しているのです。次回はノアの時代の直ぐ前の時代に生きたエノクの信仰に触れたいと思います。(続く)

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