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Walk With God Ministries

08 10月

朝ごとの私の祈り ハイディ・ベイカー(IRIS MINISTRIES) 2018年10月8日


朝ごとの私の祈り

 

ハイディ・ベイカー(IRIS MINISTRIES)

 

「どのようにしたらあなたは毎日自分に死ぬことができるのですか?」という質問にお答えしたいと思います。

少し変に思われるかもしれませんが、私にとって自分に死ぬことは、毎朝次のように祈ることを通して可能になるのです。

 

まず、床に座りひれ伏して、文字通り姿勢を低くします。そして主の臨在の前に自分を注ぎ出します。自分には力がなくて出来ない様々なことを思い、又、神にはすべてが可能であることを思い祈ります。そして「神よ、どうかあなたの愛が私を通して輝き出ますように。どうかあなたの麗しさで私を覆ってくださいますように。」と祈ります。私は死んで、主が生きてくださるのです。それは栄光に満ちたすばらしいものです。

 

この祈りの時は、私にとって毎日の葛藤であり、毎日の戦いであり、毎日の喜びです。この「葛藤、戦い、喜び」という3つの言葉は一見矛盾するようですが、本当なのです。

主に従えない思いの中で葛藤し、戦い、そして勝利したとき喜びがくるのです。私が主の邪魔をすればするほど、主がコントロールしてくださる部分は少なくなっていきます。

 

私はひざまずいたままで両手を広げ「主よ、助けてください!」と心から叫び求めます。そして黙して耳をそばだてます。御声を聞くことができるように、自分の霊を静め整えます。そして聖霊の言われていることを聞きます。すると聖霊はいつも私が思いもつかないことを心に入れてくださるのです。

 

聖霊に自分を完全にコントロールして頂くためには、「明け渡した愛 yielded love」の状態にならねばなりません。主の御声に対して100%オープンになると、あなたは御声を聞き始めます。主の言われることは、この世で忙しくしている肉の人には意味をなさないかもしれません。でも私たちが霊で聞くならば、聖霊が私たちの心の中に来てくださり、ある考えや思いを与えてくださいます。私はそれを「霊的知性 spiritual intelligence」と呼んでいます。それはとても素晴らしくわくわくするものであり、即ち「キリストの思い mind of Christ」を私たちが持つことに他なりません。

 

主の御声を聞いて立ち上がるとき、私たちは主がしておられる事をすることが出来ます。あなたが主の御声に従えば従うほど、次にあなたがするべきことがわかってきます。(主が分からせてくださいます)主が下さった小さなことに従うならば、主は次には更に大きなことを下さるでしょう。自分に死ぬとは、従順と愛に生きることであり、身を低くして時間をかけて主に聞くことです。それは本当にすばらしいことです!(終り)


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