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Walk With God Ministries

30 4月

聖霊の声を聞く確信    デイル・アンダーソン        2018年4月30日


 

聖霊の声を聞く確信

 

デイル・アンダーソン(IHOPカンサス)

 

 

 神と話をするとか、神の御声を聞く、あるいは、 聖霊の話すことばが聞けるという確信を持つということに 関して、私は全く何もわかりませんでした。

 皆さんはいかがでしょうか? 聖書には「信仰は聞くことから始まり・・・」(ローマ10:17)とか、「助け主、聖霊が、いつまでもあなたがたと、ともにおられる・・・」(ヨハネ14:16)とイエスが言われたとありますが、どのようにしてそれを知ることができるのでしょうか?

 

私には全く確信がなかったのです。私の心は人生に対する不安で一杯で、私の頭の中は沢山の疑問や自分を責める思いで満ちていました。聖書には

「人のすべての考えにまさる神の平安」(ピリピ4:6−8)という神の救済手段があると書いてありますが、私の心や思いを守ってくれる平安は全くありませんでした!私は自分のたましいを苦しめ心を攻撃する自責の思いで混乱し苦しんでいました。

するとある日のこと、 聖書を読み黙想をしていると、それまで私の人生に深い影響を与えていた3つの聖書箇所が思い浮かび、その3つが一つに繋がったのです。最初は創世記1:1で、創造の中心は神であることがわかります。

 

「初めに、神が....」(創世記1:1)

 

神が創造の中心を占めておられることを確証する二番目の箇所は、ヨハネ1:1です。ヨハネはその福音書を「初めに、ことばがあった。...ことばは神であった。」と始めています。

ですからここにおいても、語られたのは神であり、神が私たちがフォーカスすべき生命の中心であることがわかります。

そして最後の三番目は、1ヨハネ1:1−2で「初めからあったもの、私たちが聞いたもの、目で見たもの、じっと見、また手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて」とあります。

 

生命の物語は神を中心にして始まったこと、そして中心におられる神が語られたことによって始まったことを私ははっきり悟りました。もしすべての領域において神をまず第一にするならば、神はそれらの領域において語ってくださることが分かりました。神は生ける御ことば御子イエスの人生を通して、私にすでに語っていてくださったことが分かりました。言うならば、私は神を見て触れるようにと招かれたのであり、その経験を通して、自分が経験したことを宣言するようにと招かれているのだと悟りました。

 

そこで私はキリストの人生について聖書を読み始め、彼の行動がどのように彼の性格(即ち神のご性質)を反映しているかを考えました。そのことを通して私は深く霊的に触れられる瞬間を経験するようになりました。幾つかの状況を新しい見方で見るようになりました。要するに、私は自分が神の御声を聞き始めたという事実に気付いたのです!本当に興奮しました!

 

次に私は、数人の教師から聖書に書かれている祈りを祈るという非常に実践的な祈り方を教えられました。それで私は聖書の中にある祈りを捜し始めたのですが、驚いたことに聖書は人々の祈りで溢れていました。「その祈りが彼らにとって有効であったのならば、私にとっても役に立つはずだ」と私は考えました。

 

聖書の中の祈りを急がずゆっくり一節ずつ祈り始めると、神のことばが私のたましいに溢れるようになり、それは私の霊に触れ、私は

もっと喜びをもって自分の人生に接するようになり、困難な状況の中でも揺り動かされなくなりました。少しづつ私は主との交わりが実現していることに気付きました。神が近くにおられる確信が沸き、更には聖霊が私の心にささやかれる声への確信も劇的に増加していきました。

 

そして私は一つの決断をしました。私は神を神の御ことば通りに受け取り、主イエスに私の人生のすべての領域をコントロールしてくださるようにお願いしました。主を私の人生のフォーカスポイントにすることによって主がすべての領域で私に語ってくださるという確信を私は得ました。主は常に語っておられますが、私たちは主に焦点を当て、こころを主の御声を受信できる態勢にする必要を忘れないでください。

 

神を中心にすると決めたとき、 主とコミュニケートするための非常に実践的な方法へと主は私を導いてくださいました。私は聖書の祈りや歌(詩編と黙示録にある讃歌)をゆっくり、一節ごとに(時には一節を何週間もかけて)祈りましたが、その時3つのことをしました。

 

一番目は、その節の内容に対する感謝を表現しました。「イエス様、感謝します。あなたが忠実な証人であることを感謝します。」(黙示録1:5)というようにです。2番目に、そこにある真理に同意します。「イエス様、同意します。そうです、それは真理です。あなたは忠実な証人であられます。」と言うのです。

聖書の祈りのことばに感謝し同意するときに自分の心がどれほど変革するかを見て、あなたはきっと驚嘆することでしょう。

 

最後に、更なる洞察や情報が与えられるように願います。「イエス様、忠実な証人とはどういうことなのかをもっと教えてください。」と言うのです。以上の3つが、私が御ことばに触れることができ、それによって聖霊が私に語りかけるのを助けてくれたことでした。

次にすることは、私が敬慕と呼ぶもので、神の属性、特徴、性質、即ち神のさまざまな呼び名を用いる方法です。時にはアルファベットを用いてAのつくものから順番に神の特性を崇めます。

 

例えば、Mならば「Mighty God  力ある神 (イザヤ9:6)」で、私は「神よ、あなたを愛します。あなたは力ある神です。

 God, I love You. You are the Mighty God.”と言うのです。

ある日私は力ある神、イエスを崇拝していたのですが、その時「そしてあなたの力で私を満たしてください。(エペソ3:16)」と祈っていました。すると突然、聖書の中の祈りは、神との会話や他の聖書箇所との関連性を教え確信を与える引き金になることに気がつきました。

 

以上が私がクリスチャンとして40年間実行してきたことです。私の心は神の声を聞いたとき今もなお深く感動します。長年のうちに確信が大きくなると共に、私の心は神の口からでることばを更に慕い求めるようになりました。あなたはイエスの声をどのくらい聞くことが出来るようになりましたか?

今こそ、このシンプルなコミュニケーションの方法を用いて、主との関係の確信を築きあげる時ではないでしょうか。これ以上に神の声を聞くよい方法はなのではないでしょうか。(終り)


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