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Walk With God Ministries

21 2月

リバイバルがやって来る!誰がその火を点け、      誰がその実となる未信者を導くのか (その二)             坂   達  也


リバイバルがやって来る!誰がその火を点け、

     誰がその実となる未信者を導くのか (その二) 

 

                坂   達  也

 

 

 先週はこの2月8−11日に開催されたモーニングスター・ミニストリーにおける「アドバンス預言カンファレンス」で語られたリバイバルとアウェークニングへの預言についてご報告し、特にジェロマイヤ・ジョンソン師のメッセージに焦点を当てました。

 そこで今回はその前日の講師であったポール・キース・デイビス師のお話をご紹介’します。

 

 師は前にもお話ししたかと思いますが、約3年前に奥さんが家を出て行かれ、その衝撃と悲しみの中で、首の付け根辺りの背骨を痛めるという大変な事態になり大きな手術を受けることになりました。一時は一人で立つことも歩くこともできず、痛みに苛まれ食べることすらままならなかったといわれます。また手術後の回復が思わしくなく、再び背中の手術が必要と医師に云われたのですが、師はそれを断りました。そのような大変な痛みと苦しみの最中にあった2015年6月の或る夜、9時過ぎでしたが、濃い主の臨在が彼の寝室を満たし、上を見なさいという声が聞こえて、見上げると天井が吹き抜けて天の御座に座っておられる御父を肉眼以上にはっきりと見ることができたと言われます。それは本当に生きておられる父なる神に会うという劇的な経験であったのです。師は「それは私が痛みと苦しみの頂点にいた時でした。私はその感激で1時間半泣き続けました。そしてそれ以来今に至る迄、その濃い主の臨在が私から去らないのです。」と言われます。

 

「御父は、『わたしはあなたを養子としてわたしの子どもにしたのではない。 あなたはわたしの朽ちることのない永遠不滅の「種」から生まれ(それは人間の精子を思わせる霊の精子)、実際にわたしの種があなたの中に入っている』と言われました。それは1ヨハネ3:9に書かれてある通りです。ですから天におられる父なる神は、私を養子という形で他人の子どもを引き取ったから子になったのではなく、実の『父の種から生まれた真の息子』であることを強調されて『我が子よ、わたしは決してあなたから離れず見捨てることはしない。』とはっきり言われました。ですから、キリストとともに死に、キリストとともによみがえった私たちクリスチャンは、真実『神の子』であり、天におられる主イエスの父と私の父は同じ父であるという明確な確信をいただきました。」と師は言われます。

そこに師は、御父と主イエスと自分の関係が特別なものー霊の関係は肉の関係より遥かに強いリアリティーを持つ超親密なリレーションシップーであることを感じることができたといいます。そして父の子である自分はこの世が造られる以前から、終末の時代の「この時間」に生まれて生きる、そして予め天で定められた時が来る迄は「決して死なない」というデスティニーを持っていることを確信したそうです。

 

 師は続けます。「この世の中には『永遠のいのちの霊の法則』と『罪と死の霊の法則』があることをはっきり霊的理解を持たないで生きてしまえば、私たちは死の霊の法則を甘んじて受取ってしまう。そのようになりかけていた私に対して主は『止めなさい!ストップしなさい。』といわれたのです。それは私があまりにも痛みが激しく耐えきれなくなったときに『主よ。どうぞ私をもう天に引き取ってください』と主に二度も嘆願したからでもあります。私が死の霊に脅かされ、それに同意していたことを知っておられた主ははっきりと『あなたを天に引き取る時は未だ来ていない。だから、永遠の命の霊によって生きなさい。』と私に命令されたのでした。主は『私たちは罪と死の霊の法則に縛られたまま、それを受け入れた生き方ーライフスタイルーを脱ぎ捨て、本来既に持っている「永遠のいのちの霊の法則」で生きねばならない。そうすれば病気とか悪魔の誘惑に負けることはない。そして神が定めた時が来る迄、全く健康な身体で生きることができる。』と私を強くたしなめられました。」

 

師は、自分は超自然の力で癒しのミニストリーを強調しようとして言っているのではないこと、むしろそのような力は『永遠のいのちの霊の法則』で生きる者には既に具わっていることを強調していわれたのです。私はこれを「霊的覚醒」と表現したいと思います。

 

しかし問題は、どうすればそのようにいのちの霊の法則で生きることができるのか、です。これは信仰の訓練であり、それはジムに通って毎日筋肉トレーニングをするのに似ていて、一日二日しても効果は目に見えない。しかしたゆまずその信仰の筋肉訓練を続けるなら必ず効果が現れ、本来持っている永遠のいのちの霊の法則で生きる生き方ができるようになる。筋トレを怠ればその結果も数日では現れないが、一月、二月怠ればお腹のベルトの穴の位置が変わり、遂にはズボンを新しく新調しなくてはならなくなるのと同じであるといわれました。

 それでは、その信仰のトレーニングの方法は何かといえば、それは先ず、命の霊の法則で生きる信仰の上にしっかり立つことから始めなさいと主は言われたそうです。その点ボーン・アゲインしたクリスチャンであっても、この世で生きている間は、この永遠の命の霊の法則と罪と死の霊の法則という二つの法則が重なり合っており、死の霊の法則の(誘惑に)陥らず命の霊の法則だけに堅く立って生きることによって、決して病気にならない、あるいは、それに打ち勝つことができるといわれます。

そして師は、チャック・ピアースがいわれることに同意して「今私たちは、新しい希望をいただいて、新しいシーズンに入ったのであり、主が「この新しいニュービギニングのシーズンを勝ち通しなさい。あなたの持つ新たな信仰の戦いの向こう側は勝利であり、その信仰があなたを既に勝利した側に立たせてくれている」といわれて励まされたとそうです。

 

そのための具体的に何をすればよいのかーその秘訣を主に聞くと先ず「毎朝起きたときに、聖書の御ことばから、いのちの霊の法則のことばを選んで、それを声を出して唱えなさい」といわれたそうです。そこで師は、最初に詩篇の103を選んでそれを口に出して高らかに宣言しました。そして、これを始めてから既に一年近く経つと師は言われたのですが、その師をテレビ画面で見ますと、全く見違える程元気になられ、私たちが4年前に師に会った時よりももっと若返ってはつらつ、生き生きとしておられるのを見て私たち夫婦は心から感動しました。

 

このデイビス師が極限の苦しみの頂点にいる時に真の神に出会い、真の神を知ることができたことに私は心打たれました。主イエスの苦しみたるやその昔キリストが十字架をかついでゴルゴサの丘に向かうシーンが映画で演じられたことを思い出しました。実際に主が味わられた苦しみはそんなものではないといわれますが、過去・現在・未来に存在するすべての生きものが苦しむ痛みの総計に有り余る苦しみを、創造者の神ご自身が私たちに代わって味わってくださったのです。そのような考えられない程極度の苦しみと痛みのほんの一部を私たちが味わせていただけるとすればーこれ以上の特権がこの世の中にあるでしょうか。この特権こそ、主の十字架を信じ、自分の十字架を担いで、喜び勇んで主の後を追って歩く人だけに与えられた「永遠の命の霊の法則で生きる」特権であると私は信じます。そのような苦しみを味あわせていただいた人は最も幸いな人、特別に選ばれた人ではないでしょうか。今そのような苦労の中を通されている人は幸いです。

 

そしてデイビス師の話しが終わる頃に静かに壇上に現れ、師の側に並んで立たれたのはリック・ジョイナー師でした。リック師は、この一、二年の間、膝の手術後、複雑な問題から同じような激しい痛みと苦しみを味わって来られました。その彼が、或る時痛みをこらえつつゆっくり歩いていると、一人の少女が近寄って来てリック師の膝には悪霊がついているのが見えると言い、その子が祈ると80%程の痛みが取れたという証しをされました。リック師は詳しいことは云いませんが、最近主から多くのビジョンを見せられて来たといい、それを今数冊の本に書き上げたところであると言いましたから、私はうなずけるのですが、激しい敵の攻撃を受ける最中に書かれたその本は、さぞすばらしい本ではないかとその本が出版されるのが楽しみです。

 

同じように、私はデイビス師がこの終末の時代にこれから大きく用いられることを今回の彼を見て確信しました。また今回のカンファレンスで彼から預言の油注ぎを受けて「永遠の命の種を持って生きる信仰に堅く立つ決意を新たにしたクリスチャン」こそが終末の時代に主のために大いに用いられる人に選ばれ加えられたことをも確信しました。今回の預言のカンファレンスを画面上ではありますが目の当たりに見て本当に励まされました。

再度申し上げますが、今苦しみの中を通されている方は大勢おられます。しかし、その人たちは特別に選ばれた人、主に用いられる人であることをはっきりとお伝えしたいと思います。私がここ数年知り合った方々の中にもそのような方がおられます。どうぞこのメッセージを読まれ励まされてくださるようお祈りしております。

このような苦しみ、痛みに遭う(主がそれを許される)時には、主がその人に特別の任務を用意されていると信じます。その逆境が大きければ大きい程、その荒野の体験が長ければ長い程、その人は主に大きくすばらしく用いられるのです。事実私は今迄、主に用いられた著名な信仰の持ち主で、苦しい荒野の試練と逆境を通されていない人を見たことがありません。(終り)


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