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Walk With God Ministries

03 1月

人生における障害物は私たちの愛の容量を最大にする エリザベス・エンロウ   2018年1月3日


 

2018年を迎えて      坂  達 也

 

皆様明けましておめでとうございます。いよいよ「ニュービギニング」への突入ですね。

 新年最初に私の心に浮かんだみ言葉は2テモテ3章でした。それは私たちクリスチャンこそが、2テモテ3:5にある「見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者」になり、そして7節で「いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たち」になり果てていることでした。そして「そうなってしまっている状態からいよいよ真に脱皮する年であるという強い思いをいただきました。

 すなわち形だけのクリスチャンであること、これを現代風にいい直せば、フェイク・クリスチャンを止めて本物の信仰を持つ信者になれということではないでしょうか。2017年はこの世の中のあらゆる面で「フェイク」な者たちを浮き彫りに暴露して、主はそのような人を私たちへの戒めとして暴かれ始めました。

 

 しかし、それはまさに、パウロが上記の3章1節で「終りの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。」といった警告とマッチします。

 そこで本日は下記のメッセージをご紹介し、新年に神が、私たちクリスチャン一人ひとりのために特別に用意される「困難」「試練」にどのように対処してゆけばよいか、それが私たちを「本物」にする、その神の奥義の一端を学んでいただければ幸いです。

 

 

人生における障害物は私たちの愛の容量を最大にする

 

エリザベス・エンロウ

 

私たちの魂が出会う様々なシーズンは厳しい時もありますが、もしそこに神を見出すならば、私たちのうちに何かを生みだすユニークで良いものとなります。夏の日々は暑すぎますし、冬は寒すぎます。季節はそれぞれに素晴らしいところもありますが、またそれなりの試煉や問題があります。それは何故でしょうか。この質問に答えるために夫の言葉を引用したいと思います。

「人生は障害物競走であり、あなたの愛の力を最大限にするために神によってデザインされたものです。」

 

第一のポイント

人生は障害物競走です。人生は楽であるようには作られていません!

ある走者がこれは短距離レースだと思って走りだしたら、実際はハードル・レースを走っていたとしたらどうでしょうか。彼はただ速く走ればいいと思っていたので、ハードルに出会う度に邪魔な物があると感じ、驚き、ショックを受け、いらいらすることでしょう。しかしもし彼がハードル競走のために訓練を積んでいて、ハードルが或る事を予測していたならば、このレースに勝利するために訓練してきたのですから、ハードルを飛び越えることを楽しみながら走ることでしょう。

障害物競走でも同じことが言えます。多くの者がそのために訓練し、障害物が現れるのを予期してそのチャレンジを楽しむのです。障害物競走のコースに置かれた障害物は、それを征服して勝利することがポイントです。人生のシーズンは困難も多いですが、私たちがそれを克服して勝利者になることを教えるという大きな目的を持っています。ですから障害物に出会ったとき不平を言って走るのを止め、疲れて動けなくならないようにしてください。どうか走り続けてください!

 

第二のポイント

あなたが今走っているコースは、あなたのために神によって特別にデザインされたものです。それが苦痛を伴うものであれば、あなたは落胆してしまいそうになるでしょう。苦痛は混乱をもたらし、他のどんなものよりも惑わしへの扉を開いてしまいます。しかしその反面、苦痛は真理を明らかにする力があり、私たちがそのようにとるならば、人生の最高のギフトを与えてくれることもできるのです。苦痛の源は神ではありません。しかし苦痛を止められるのは神しかなく、もし神が止めてくださらなければ、それは私たちが絶望へと転がり落ちる坂道への 戸を開くことになるかもしれません。

 

 

希望の本質は、神が自分には善いことをしてくださるお方であると信じて期待する能力です。希望を失うと、私たちが物事を受けるフィルターが損なわれます。そして自分に対する神の真の御思いが見えなくなり、神に対する悪評を拡大する者として敵に用いられてしまうことにもなりかねません。それだけはしたくありませんね。ですから時として神が非常に苦痛の大きい障害物競走をあなたにデザインしたとしても、それは神があなたの苦痛に無関心であるとか、そこにずっと留まるようにと言っているのではありません。とにかく走り続けてください!

 

第三のポイント

障害物競走の持つ目的は、あなたの愛の力を最大限にのばすことです。即ち、自分がどれほど深く愛されているかを知る能力を最大限にすると共に、自分が受けたその愛を人に与えていく能力を最大限に大きくすることです。自分がそのような愛の能力において成長しているのを見るとき、与えられた障害物競走の困難なシーズンを正しく受け取り、通過するのに成功したことが分かるでしょう。

 

愛よりも大いなる勝利はありません。それは私たちではなく神が定義する「愛」のことです。即ち、寛容で、親切であり、人をねたまず、自慢せず、高慢ではなく、礼儀正しく、利己的でなく、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜び、すべてを我慢し、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍ぶ、、、そのような愛です。そして「愛は決して絶える(fail 止む、失敗する)ことがない」のですから、障害を乗り越えて勝利するとき、あなたはこの神の愛を学んだのです。

 

即ち、神の愛はあまりにも完全であるので、私たち自自身の内からは決して出て来ません。あなたの周りのすべての人が「神はあなたを愛していない」とか「神は信頼できない」と言ってあなたを説き伏せようとします。しかし、あなたの痛みや「楽になりたい」という願望を越えた神の優しさを聞き、神の愛にあなたの心の的を射ていただくならば、人に分け与えることができるほどに豊かに神に愛を受けとることができるのです。

 

ヘブル12:1は「こういうわけで、このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、いっさいの重荷とまつわりつく罪とを捨てて、私たちの前に置かれている競走を忍耐をもって走り続けようではありませんか。」と言っています。

実際の試合の時、 優秀なスポーツマンならば誰でも基本に戻り集中することが大切です。私たちも人生の障害物レースを走るとき、「忍耐し続ける愛」という基本に戻らねばなりません。神を十分に愛してください。自分を十分に愛してください。人々を十分に愛してください。そして走り続けてください!(終り)


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