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20 11月

聖霊があなたのすべての心配を拭いさる    キャサリン・ルオナラ    2017年11月20日


聖霊があなたのすべての心配を拭いさる

 

キャサリン・ルオナラ

 

心配が平安と喜びを奪う

 

最近 一日の休みを与えられ幸いな時をすごしました。毎日ずっとミニストリーをしていたので、とても感謝しました。聖霊と話をしようと散歩にでかけ、あたりを眺めながら会話を楽しんでいました。しかし、聖霊が語り始めたとき私の潜在意識の中はいろいろな心配事で一杯であることに突然気が付かされました。それは私が心配する権利もない事柄に関してだったのです。主が「あなたはそのような事を考えるように造られてはいません。」と言われる声が聞こえました。

 

そして、私の思いが常に「心配」という場所に行き着くように設定されていることも知らなかったことに私は気がつきました。私は内なる自分の意識の流れ(誰にもありますが)の潜在意識のレベルで物事を心配する習慣が出来ていたのです。その多くは私が必要とする事に関してで、あの事この事が巧くいくだろうか、何か問題が出て来たらどうしよう、というような心配でした。

 

私は、心が少しリラックス始めると、山積する問題が表面に浮かび上がってきて、それをどう解決しようかと考え始めて随分と頭のエネルギーを使って疲れるのでした。私は心配の中で生きるというわなに落ちてしまっていたのです。

以前は、もし誰かに「あなたは心配性ですか?」と聞かれたならば、私は「違いますよ。」と答えたと思います。私はもともと心配性ではないと思います。実際、私はいつもハッピーな人だと思います。しかし、私の思いは「心配という古い人間のパターン」に常に戻るように設置されていたのです。

 

ほとんどの人は、すべての事に関して「もしも〜これこれのことが起こったら?」と考える傾向があります。その傾向が私の意識下に潜んでいました。聖霊はそれを表面に浮かび上がらせ、私はそのような事を考えるようには造られていないことを優しく思い出させてくださったのです。心配は平安と喜びの盗人です。

 

上にあるものを思う

 

数日後、このような聖霊と私との会話を何も知らない牧師が預言をしてくれました。「神は、何かを心配するためにあなたを造られたのではないと言われる。あなたの思いは、奇蹟や主がこれからなさる(すばらしい)事に留まるべきです。」

 

これは私にぴったりの預言でした。私たちの思いは「どうして? いつこんな事が起こったのですか? もしそうなったら?どうなるんですか?」

というような神への質問ですぐ一杯になってしまい、それらは執拗に私たちの思いの中に現れます。

 

「神は何をなされるのだろうか」と期待することと、「何が起こるのだろうか」と心配しながら生きることとは違います。

もし意識的に「心配な思い」を「神の真理(第二コリント10:5)」に交換しないならば、私たちの思いは後者の方に自然に行き着いてしまうのです。私たちは第一ペテロ5:7で「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」と言われています。恐れと思い煩いで心が一杯になるのは、私たちが造られたブループリントにはないことです。

 

恐らくあなたは「聖霊と共に生きる」というのは、奇蹟、御ことばの宣言、力のミニストリーなどの外面的な実に関することだと考えておられたと思います。それらは確かに聖霊との交わりの結果の一部であり、今それがますます現れてきています。しかし、もしあなたが外面的力の中を歩みたいならば、内面も整えねばなりません。聖霊の力は、慰めを与えるために私たちの内部に働き始められるのです。聖霊との個人的な親しい交わりは、外面的な力が生まれる場所なのです。

 

聖霊はあなたを慰め、あなたの考えを変えて解放することによって、あなたがもっとよい事について考える余裕を与えたいのです。あなたは「ただの人間」として考えるようには召されていません。あなたはキリストの心を持っています。(第1コリント2:16)あなたは愛に根ざし神の愛に基礎を置くように召されているのです。(エペソ3:17)この愛を知ることだけが、神の満ち満ちたさまに満たされることです。(エペソ3:19)

「私たちのうちに働く力によって(エペソ3:20)」私たちが願ったり考えたりすることを、神は「豊かに、思いを越えて、溢れるように」してくださることにもう気がつかれましたか?

このような私たちの内なる力は、宗教的に正しい行動をすることからではなく、本当に知り信じることから来ます。それは私たちの心と思いから始まります。そのためにはパウロが言う「心の一新(ローマ12:2)」という整備が必要なのです。

 

思い煩いを主にゆだねる

 

私たちの思いや考えを変える重要な方法の一つは、自分の思い煩いを主にゆだね、主がそれを必ず取り扱ってくださると信頼することです。第一ペテロ5:7で使われている「ゆだねる cast」という言葉のギリシャ語は「epiroto」で、それは「急な動き、素早く投げること」を意味します。

「もしも〜が起こったら」という心配が起きたときには、常にすぐその思いを投げ捨てて「私の問題ではない。私とは無関係だ。」と宣言することを主は望んでおられるのです。

 

もしあなたの人生に何か恐れや心配のもととなるものがあるならば、それを無視してはいけないと神は言っておられます。それを主のもとに持って行くのです。(ピリピ4:6−7)

素早く、意図的に、投げるように主に渡してしまうのです。その時に感謝をしながらすることが非常に大切です。というのは、それによってあなたが主を信頼していることが分かるからです。感謝をもって主にお願いするとき、あなたは主があなたのために働いてくださるだろうかと心配はしていません。主はそうしてくださることをあなたは知っているのです。それを主に明け渡し、あなたの心配をはね飛ばして主の平安と交換するのです。

 

今週あなたが主と交わるとき、あなたの心配をすべて主に委ね、主があなたの願いに御心のままに答えてくださると信じてください。私たちの地域や国の霊的リーダーのために続けて祈ってください。世界規模のリバイバルのために祈るときにイスラエルや同盟国のことを覚えてください。自然災害、犯罪、テロなどによって被害を受けている人達のために祈ってください。

 

サンクスギビング、クリスマスの季節に当たり、慰め、癒し、助けの必要な人達をどのように助ければよいかを主に訊いてください。(ピリピ4:4−5、第一ペテロ5:7)(終り)


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