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Walk With God Ministries

13 11月

主が祈っておられることを祈る   ダッチ・シーツ           2017年11月13日


主が祈っておられることを祈る

 

ダッチ・シーツ

 

 イリノイ州の牧師夫人であるデルブラ・プラット師の言葉を紹介いたします。

「私たちは『大胆に信じることの大切さ』をあまりにも強調する結果、物事を深く考えたり主の御こころを求めることなしに「信仰による宣言」をしてしまい、角笛を吹き、旗をふり始める傾向があります。(訳者注:カリズマ系のクリスチャンに多いですね。)

 

立ち止まってその事に対する主の見解を訊ね、私たちが何を祈り、何をなすことを主が願っておられるのかをお訊きすることをほとんどしないのです。残念なことに、私たちは人から祈りの要請を受けると「いつも通りの慣れた応対」をして、「自分勝手な祈り」をし始めるのです。

 

その結果私たちは、余りにもしばしば「神の祈り」を祈りません。

 

確かに主から啓示と識別が与えられるのを待つのは忍耐を要するかもしれません。「何を祈ればよいのか」、またある場合には「何をするべきなのか」を、

聖霊に導かれつつ聖書を丹念に調べねばならないケースも多々あるのです。

 

このように主の啓示を求めるならば、私たちは主との親密な関係を築くことができます。このプロセス全体を通して私たちの信仰は成長し、心は新しくされます。天国はどのように機能するかという幾つかのパターンを私たちが見始めるからです。私たちは今までよりもっと神と神の取られる方法を知るようになります。」

(引用終り)

 

 今まであなたが主の御心を求めないで多くのことを「自分のやり方」でしてきたことを悔い改めましょう。今日、主と共に静かに時を過ごそうではありませんか。言葉を口から出さずに、ただじっとしていてください。

 

主が今日、あなたに、アメリカのために祈ることを願っておられることがあるかを、尋ねてください。主が言われたことを祈り、また宣言してください。主がある聖書箇所に導かれることもあるでしょう。

 

祈りますー「主よ、あなたからの指示なしに、すぐに祈り、行動したことを赦してください。私はあなたを愛しております。愛の関係は親密さが土台です。今日私はただ黙してあなたとしばらくここに座していたいと思います。もしあなたが私に知らせたいことや、示したいこと、教えたいこと、また私に祈るべきことがありましたら教えてください。」(終り)

 

 

 以上のメッセージは、妻の柚実子が今週のWWGMGMのために選んで訳したものですが、この短いダッチ・シーツ師のメッセージを読んで,私は自分が昔書いた本「主を見つめて待つ」で私が取り上げたテーマであることを思い出しました。そして、このシーツ師のメッセージに、今の教会が最も必要とする「クリスチャンの基本」の一つが説かれていると思ったのです。正直なところ、今の時代は十字架のメッセージが欠けていると最近私は、しきりに思わせられております。

 

 

 そこで、ご参考になればと思い、私が昔書いた「主を見つめて待つ」という小冊子(2003年発行、2008年再販)の中から、下記の部分(86−88ページ)を引用しますのでご高覧下されば幸いです。(坂 達也)

 

「愛の十字架を生きる」

 

 ブラザー・ローレンスが、何をしていてもいつも主のことをお思い、主を喜ばすこと以外には何もしない、主と絶え間なく会話をしながら、主の臨在と共に生きる、主と二十四時間共に語り合いながら過ごすお話を先程ご紹介しました。霊的になることがこの域に達すれば、「あなたと神の関係はもう一段階深いレベルになります。」とマダム・グイヨンは言いました。

[この婦人は十六世紀のフランスで当時のカトリック教会と論争を引き起こし、ついにはルイ十四世によってバステイーユに投獄されましたが、彼女の書いた「イエスキリストの深淵を経験する」という本は彼女の自伝と並んで、女性が書いた、キリスト教会史上最も影響を与えた本と言われます。私はその本から総て引用しています。]

 

「それは、あなたの人生に対する態度と考え方を、根本的に変えることを意味します。すなわち、それは全面的に自分の存在の権利を放棄し、神に手渡すことです。」とマダム・グイヨンは言っています。

 「具体的に言えば、あなたの身に毎時毎分起こっている出来事の総てが神の御心であり、神の許可なしに起こるものは一つもなこと、総てが神から来て、総てがあなたに必要なことであると心から信じるのです。これを信じられれば、あなたはどんないやなことが起こってもそれを甘受できます。主を本当に知りたいと願うなら、このコミットメントを生涯続ける決心をしてください。一時的な決心では進歩しません。全面的かつ無条件に自己放棄することにあなたは同意しますか。そうすれば、あなたは自らの自由意志を無条件に放棄して、今日からは完全に主の持ち物になるのです。」

 

 この決心は決して生易しいものではありません。又、生易しく考えてはいけないと思います。私はこの本を読んだ時、「待って下さい。私はこれもしたい、あれも今祈って待っています。主よ、それら総てを放棄するんですか。」と思わず心の中で主に訴えました。正直なところ放棄すると考えただけで恐れが出て、ものすごい不安に駆られたのでした。

 それは本当にあなたの必要とするものも、したいことも全部放棄するのであるからです。あなたの望んでいる「霊的になること」すらもです。あなた自身は勿論です。一切を神に差し出すのです。

 

 それでは実際に毎日の生活の中でどうすればよいのかと言えば、マダム・グイヨンは「毎時、毎分、あなたが何かをしたいという思いが来たら、すかさずそれを断念して、その思いに対する主の御心を聞くのです。その時、自分の思いがどれ程よいと思っても、自分からの欲望なら全部ギブ・アップすることです。」と言います。

 この断念し、ギブアップすることを徹底的に行えば、自分には全く無関心になる心境に達するでしょう。しかし、そうすれば、考えられない程すばらしいことが起き始めます。」とマダム・グイヨンは続けます。その結果は「自分から完全に解放され、後は主の御心だけを熱望するようになります。」又、「主があなたを離さなくなります。そして深い深い愛の関係に入ります。」そして「主に総てを放棄した人に対して主は特別の嫉妬を持ちます。その人には主以外のいかなる楽しみも持たせないように主はします。」と言います。

 

 自分を主に完全に放棄する、私はこれが十字架であると信じます。そしてキリストの愛の中に入るのです。自分を放棄してキリストに生きる、これはよみがえりのキリストと一つになることではないでしょうか。

 マダム・グイヨンは続けて言います。

 「あなたは十字架を心から愛するようにならなければなりません。」

 「十字架を愛さずに主を真に愛することは不可能です。」

 「あなたはどれ程迄イエスを飢え乾き望みますか。」

 「神は十字架を下さるか、十字架が神を私たちに下さるのです。」・・・

                            以上です。

最後に、もし私の拙書「主を見つめて待つ」ー霊に目覚め・神の声を聞く方法ーにご興味がおありの方がおられましたらお申し越し下さい。未だ在庫がいくらかありますのでお送りさせていただきます。(坂 達也)


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