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23 10月

イエスの血潮の力       リック・ジョイナー        2017年10月23日


イエスの血潮の力

 

リック・ジョイナー

 

黙示録12:11−1

兄弟たちは、小羊の血と、自分たちのあかしのことばのゆえに彼に打ち勝った。彼らは死に至るまでもいのちを惜しまなかった。それゆえ、天とその中に住む者たち。喜びなさい。しかし、地と海とには、わざわいが来る。悪魔が自分の時の短いことを知り、激しく怒って、そこに下ったからである。

 

ここで私たちは勝利するための究極的な戦略を与えられています。

1.小羊の血

2.私たちの証のことば

3.死を恐れないで生きること

 

私たちはどれほど小羊の血の力を本当に信じているでしょうか?

私はかつて、一つのアメリカの教会のリーダー達のグループから、ある有名な伝道者が罪から回復するために助け導くように頼まれました。私はそれが主の御こころだと知り、引き受けました。

すると、そのリーダーたちの中から多くの人が、一人ずつ私のところにやって来て、彼らが信じるところの「人が回復されるためのガイドライン」や「基準」を私に押しつけようとしました。最初私は彼らの考えや意見を歓迎していましたが、彼らが十字架の持つ救いと回復の力を制限していると分かった時、会うのを止めました。彼らは神の力ではなく自分の意見を述べたかっただけでした。説明いたしましょう。

 

リーダーたちは、この伝道者が完全に回復されるためには「絶対にこのくらいの時間は必要である」という自分の考えを押しつけ、十字架の力に制限を加えようとしました。私は彼らがどこからそのようなガイドラインを得たのか、聖書のどこにそれが書いてあるのか、と訊ねましたが、彼らは答えることが出来ませんでした。それはただ「回復されるには、彼の生活でこれこれが出来るようにならねばならない」という彼ら自身の尺度であり、その中には彼らにさえ出来ないこともあるのではないかと私は訝しく思いました。

 

私はこの事をもっと深く掘り下げて考えました。そして彼らがこの伝道者の回復に非常に厳しい基準を設ける理由は、彼が同じ罪に陥らないように悔い改め、癒され、強められるためというよりは、彼の罪によって「キリストのからだ」が酷い辱めを受けたからだということが分かってきました。回復させるのは罰することではありません。それはその兄弟を悔い改めに導き、癒し回復させることです。

 

これは今「キリストのからだ」の中で何が起こっているのかを暴露し、警鐘をならすものでした 。後にある人が話してくれたのですが、伝道者を公に誹謗したリーダー達に追随した人達は、その後皆、罪に堕ちたり、離婚したり、死亡したりしたそうです。私は誰かの面目をつぶすためにこれを言っているのではありません。私も同じような罪を犯していたかもしれないのです。私は人々が十字架の救いと回復の力を自分の考えで制限するという過ちを犯さないようにと、お話ししているのです。なぜならば、十字架の力を制限することは、回復されねばならない人が犯した罪よりも、もっと重大な罪であることが往々にしてあるからです。ヤコブの手紙にあるように、リーダーや教師として影響力が大きいほど、私たちは厳しい裁きを受けるのです。

何かのために十字架の力が働くのにどれくらい時間を要するかを、自分の意見で決めてしまうことは、非常に恐ろしいことです。もしあることには3年とか5年が必要だと決めるのは、何を根拠にしているのでしょうか?

第2ペテロ3:8に「しかし、愛する人たち。あなたがたは、この一事を見落としてはいけません。すなわち、主の御前では、一年は千年のようであり、千年は一日のようです。」とあります。この言葉が意味することの一つは、私たちが千年かかると思うことを主は一日でできるということです。また、私たちが一日でできるはずだと思うことを、主は千年かけてされるということでもあります。タイミングは主の御手にあるのです。

この伝道者の回復に関して、私が聖書的ではないと思う意見を伝えにきた人達に、私は「主を否む罪は、この伝道者が犯した罪よりも重いでしょうか?」と訊ねました。彼らは皆、主を否むことの方が重い罪であると言いました。そこで私は「どうして主は、主を否んだペテロをわずか数週間で教会の最高の指導者とするために回復されたのに、なぜあなたはそれより軽い罪からの回復のために何年間も必要だと言うのですか?」と訊きました。

 

ガラテヤ6:1に「兄弟たちよ。もしだれかがあやまちに陥ったなら、御霊の人であるあなたがたは、柔和な心でその人を正してあげなさい。また、自分自身も誘惑に陥らないように気をつけなさい。」とあります。「御霊の人」であるならば、どのような過ちを犯した人でも回復させることができるのです。十字架の力で贖えないもの、完全に回復できないものは、何一つありません。(終り)


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